創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説の返信
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創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説(元記事)
どうも皆様こんにちは。いつもお世話になっております。
今回は私にしては珍しく創作論の話です。
よくなろうテンプレを嫌悪している人達がいわゆる「ざまあ」に対しても文句を言っている現場を何度も見てきました。
(普段はお前もそいつら側だろってツッコミはナシでお願いします)
ざまあ系の話はいわゆる復讐の亜種だと思っているのですが、主人公が復讐鬼となる基本的に短編の方が多いと思うのですよね。
商業作品に限らず昔話や神話にも、復讐を取り扱った作品は多くあるから、最近は「長編に引き延ばさないで短編でやった方がいいジャンルなのでは」と思うようになりました。
それなのにわざわざ長編でやる方が後を絶えないのはなぜなのでしょう?
ちなみに私は現在「転生チートよりは好感を持てるから、一回短編で真面目に書いてみようかな」と思っているところです。
創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説の返信
投稿者 迷える狼 投稿日時: : 0
あくまでも私的に思った事です。
復讐系の場合、基本的に復讐が終われば物語も終わります。ただ、その復讐が過程の1つに過ぎず、最終的な目標がまた別の所にあれば、物語は終わりません。
「ありふれた職業で世界最強」の場合、自分を罠にハメた同級生への復讐は、あくまでもついでであって、主人公の最終目標は「元の世界へ帰る事」ですので、物語はまだ続くという訳です。
また、「主人公が本当は強い。凄い能力持ち」だった場合、基本的にそれを知っているのは敵ではなくて読者であるべきです。
読者は、自分が知らない事があるのは基本的に嫌なのです。
なので、敵キャラが主人公を能無しだと思って散々こき下ろしたりナメてかかっても、読者は、
「こいつ、馬鹿だねえ。今に解っても遅いぞ。」
と、ニヤリと出来るのです。
言うなれば、「水戸黄門」です。
それと、当然ですが「復讐する目的がラスボスだった場合」は、復讐=物語の終了になります。
結局、目的が何であるかによって、物語がどこで終わるかは変わると思います。
スポーツ系の場合、①「これまで散々自分を見下して来た奴らに勝つ事で見返してやる」のが目的なのか、②「大会などで優勝して、これまで自分を見下して来た奴らを見返してやる」のが目的なのかでも、違いますね。
また、②の場合、その過程で自分を見下して来た奴らと戦う事になる場合もあります。
それと、①と②を比べると、②は「自分を見下して来た奴らに勝った上に、大会にも優勝する」という、二重のカタルシスを得る事が出来ますが、その分だけ長編になります。
「キャプテン翼」の場合、②に加えて、それまでライバルだった相手が味方になるというオマケもあります。
問題は、相手を見返す事が目的だった場合、これまで自分を見下して来た相手に、自分の実力を見せ付けて思い知らせた時に、それで復讐が終わってしまう事です。
その場合、それだけで終わってしまうと、どうしても物足りなさを感じると思います。
もちろん、見返す相手がラスボスだった場合は、それで良いんですけどね。
結局、読者を満足させるには、どういう結末にするかだと思います。
余り役に立たないと思いますが、以上が私の考えです。
カテゴリー : 創作論・評論 スレッド: 創作論の話 実はざまあは短編向きなのでは説