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自分を苦しめることを自分で選ぶことによって、自分を安心させる、というのはかなり変わっていると思います。人間は自罰的になることもありますが、大抵人間は原罪を背負っているんだ(キリスト教徒じゃなくても、比喩的にね)などと考え、自分を厳しく律する、という感じですね。
たとえば茨の棘の付いた腰巻きを付けたりとか。
しかし、すでに別れた恋人が今どうしているのか気になるので、もう関係は切れたけどまた会いに行く、というのはすごいタフな精神を持っていますね。
例えばこの主人公のような状態に追い込まれたとき、拡大自殺といって、自分以外の人間を巻き込んで自殺する人はよくいますが、それに比べたらかなり珍しく、肉体的苦痛ではなく精神的な苦しみを求める、というのは珍しいですよ。
まあ、それがいいのか悪いのかは、作品ができあがってみないと分かりませんが。
私が直感的に類似しているな、と思うのは拡大自殺です。
これは、拡大自殺という言葉が作られていることか分かるように、非常に多くの人が選ぶ行為です。迷惑ですが、人間の自然な感情としてそういうことをしたくなるのでしょう。
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投稿者 たまねぎくん 投稿日時: : 0
原罪というのは、単純に人間は産まれたときから罪を負っている、ということです。
要するに、欲望とか生活上犯してしまう些細な罪から、自由になれないから、人間は元々悪いってことです。
失楽園といってアダムとイブが楽園を追われます。裸を恥ずかしいと思ってしまうのは。知恵の実(禁断の果実)であるリンゴをヘビにそそのかされて食べてしまったからなんです。そのこと自体が罪だという意味ですね、キリスト教では。
つまり頭からっぽなら罪なんか感じようがないという、ものすごい皮肉ですね。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 投稿作品のジャンルについて(&聴覚的描写について)