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どういう人が嫌いですか? (No: 1)

スレ主 大野知人 投稿日時:

 ええ、あけましておめでとうございます。
 新年一発目から、割とぶっこんだ質問をしましたが、おふざけや雑談の類とも言い切れず、そこそこ真面目な質問だったりするのです。

 なぜそこに至ったかという経緯を説明します。近頃思うんですが、『こういうヤツとは絶対にそりが合わない/嫌いだ』っていうのは、キャラクター作りの上で結構重要な『そのキャラのこだわり・プライド』を示すいい指標となっているように思います。

 という訳で、雑談半分サンプル採取半分で皆さんの『こういうヤツが嫌いだー!』と聞きたいと思って書き込みました。

 ただ、センシティブな質問でもあると思うので、いくつか注意事項をば。

・まず、当然ですが個人が特定可能だったり、特定個人を攻撃するような表現は出来るだけ控えて下さい。
・また、『自分が攻撃された』と感じた方も、相手の方にその意図が無い可能性も高いので、一回目までは見逃してあげるようにお願いします。
 
 この二点の問題に関しては、事態にもよりますが、スレ主として介入・及び管理人へのスレ版削除の依頼を責任を持って行わせていただきます。

・それから、主にハードモードな人生を送ってきた皆さん。ネタのデリケートさが分かり難いので『自分は気にしてないんだけど/結構コンプレックスだから丁寧に扱って欲しいんだけど』と明言してから書いてもらえると幸いです。
・また、スレの性質上、後々俺が作品のネタにする可能性がそこそこ高いです。ネタにされたくない方はその旨も書いてもらえるとありがたいです。

 さて、最後に。
 大野知人は、こういう人が嫌いです。

『他人の努力を評価できない人』

 文章の批評についてもそうですが、割と全般的に『相手がどういう努力をしたか』を考えていない人間が苦手ですし、嫌いです。
 『やった成果』だけではなく、『やったという事』自体にもちゃんと目を向ける人が好きだし、そうありたいと思って生きています。

 その昔、大野の一族は少しばかり相続でもめたことがあったのですが、親戚のA君が『自力でやって何とかなるだろ』と言い出し、弁護士を頼らなかった挙句にとんでもなく酷い目に遭いました。A君以外の――後始末担当だった人が。
 ちなみに当時、A君は何のかんの理由を付けていましたが、要するに弁護士に払うお金が惜しかったようです。
 当然ですが、相続の時に弁護士を呼ぶのにはそれ相応の理由があり、弁護士は弁護士になるためにとても努力した訳です。弁護士への依頼料と言うのは、その努力に払われるべき代価である訳で……。

 勿論、自力で何とか出来るならプロを頼らなくても良いのですが、それとは別側面の問題として『他人の努力をよく見ていない人間』と言うのが全般的に嫌いです。

 まあ、俺自身もそんなに人を見る目がある訳じゃないので、『よりよく生きるにはどうしたらいいか』みたいなのを自分で考える、一つの指標みたいなものなんですが。

カテゴリー: その他

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どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 2)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

あけましておめでとうございます。

この質問は、実際やばいです。人間、誰しも内心思っていることってあるでしょ? 自分の胸に手を当てて内心だけで思っていることをすべて口に出したら、かなり大変なことになるって思いませんか?

こう書くと「おまえはそんなに悪いことばっかり考えているのか」と言われかねませんが、いや、はっきり言って皆そうですよ。そうだと思わない人は自分を騙しているだけ。

他人の悪いところに気がついても口にしないのは、無用のトラブルを避けるためのオトナの知恵でもありますが、実は優しさでもあるんです。

他人の悪いところが見える時なんていくらでもありますが、自分にも悪いところがいっぱいあることも知ってますからね。お互い様なんですよ。我も人なり。彼も人なり。そもそも人間なんて大した生き物じゃありません。

なので私は、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりありません。

一番きらいなのは、

頭の悪い人。

これだけです。

ここで言う頭の悪い人というのは、

視野の狭い人。

という意味です。
視野が狭い人は他人の悪いところばかりが気になって、自分にも悪いところがあることに気がつきません。
いや。
もっと正確に言うと、自分にも悪いところがあることに少しは気がついてはいるんだけど、自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価するんですね。

◎自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価する。

それだけはやめてくれと強く思います。

   *   *   *

>大野知人は、こういう人が嫌いです。

>『他人の努力を評価できない人』

それは同意。
そして、そういう人が他人の努力を評価できない理由は、「自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価する」からです。

努力しても結果に繋がらないことは、いくらでもあります。結果が悪ければそこだけ目立つし、その人が実はけっこう努力していたことは気づきにくいものです。

頭の悪い人(視野の狭い人)は、

1)他人の悪いところが目につき、良いところもあることを評価しないから、

2)その他人は本当に悪いのだと思い込んでしまう。

3)しかし、その他人が自分より評価されたり、それなりの立場を手に入れたりしていることもあるので、

4)世の中がおかしいのだと思い込む。

5)そうして性格が歪んでいく。

こういう流れをたどって、本当にイヤな人になっていくんですね。
私にはそういう人が歪んだ理由もわかるので、倫理的に嫌うことはありません。しかしながら、

6)本来悪い人ではないのに、(そもそも生まれたときから悪い人なんていません)

7)自分も他人も似たようなものという単純なことが理解できないために、他人を誤解して歪んでいく。

こういう流れでイヤな人になっていくことが、とてもイヤなんです。

だから、そういう人がというよりも、そういう人が大量生産されてしまう「人の世」というものが嫌いです。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 5)

スレ主 大野知人 : 0 No: 2の返信

投稿日時:

 回答ありがとうございます。
 まあ、ヤバい質問なのは分かってたんですよ。
 なので、自己防衛で答えない人は応えずに済むように諸々予防線は貼ったつもりなのですが。

 個人的には『我も人なり。彼も人なり。』と言うのは別の意味で思っていて、『他人を慮って言わない』と言うのもそうですが、同時に『どんな人にも欠点、ひいては成長の余地がある』と言う風に思っています。

 『視野の狭い人が苦手』と言うのは分かる気がします。
 まあ、俺自身も『現場で起こってることに拘泥しすぎて、中間管理職系の人に怒られる』タイプなので、『人の振り見て我が振り直せ』案件なのですが。

◎自分の悪いところを過小評価し、他人の悪いところを過大評価する。
 
 確かにいやですねぇ。俺もそうならないように気を付けないと。

 
 あまくささんの仰る『人の歪んでいく過程』はかなり分かりやすかったです。丁寧にまとめてくれてありがとうございます。
 俺個人としては、『性悪説』ベースの人間なので、と言うか『良いも悪いもない者がごった返していて、お互いが(生まれたままの状態では)好き勝手な目線で物事を測っているため、全てが悪く見える』くらいの考え方をしているので、『本当は悪い人ではないのに~』と言うのはちょっと共感しづらかったかもです。

 まあ、ここら辺は俺が『どうせ自分の人生なんだから、自分にとって楽しいように生きなきゃね!』クラスの自分勝手な価値観しているせいでもありますが。
 ちなみに、『てめぇらなんぞ知った事か!』みたいな奴ではなく、あくまで物の見方としての話なんですけどね。

 新年早々あれな質問してしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
 返信、ありがとうございました。

性善説ではありません (No: 27)

投稿者 あまくさ : 1 No: 5の返信

投稿日時:

6)本来悪い人ではないのに、(そもそも生まれたときから悪い人なんていません)

これについて補足します。

私の考えは別に、性善説でも性悪説でもありません。自然や生物の世界には善も悪も無いと言いたいだけです。

以下は大野さんなら説明しなくても理解されている方かもしれませんが、一応。

人間というのは、なぜかはわかりませんが、本能の働きの鈍い生き物です。コアの部分には本能もあるのでしょうが、直感的に本能のままに行動することが難しく、本能の上に思考と学習を上積みしないと生きていくことができません。

でですね。

人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。

ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
このルールを外部からの規制としてだけではなく、一人一人の心の中に内面化したものが、「道徳」「倫理」「善悪の観念」です。内面化することによって無意識に行動することが可能になり、思考とか学習とかいうまだろっこしいものではなく、「本能」に近いものを獲得したんです。

つまり善悪とは、人工的に作られた第二の本能(モドキ)に他なりません。

そして、生物にとっての自然環境ではなく、上記のプロセスで人間の脳内だけに構築された擬似的環境を、「世界観」と言います。

生まれたばかりの赤ん坊は、まだそういう色づけをされていないゆえ、善でも悪でもないんです。

   *   *   *

でだ。

じゃあ、そういう人工的な社会とか道徳とか世界観とかいうものは無意味で無視しても良いものなのかというと、そうは行きませんよね?

さらに俯瞰的な視点から考えると、一見本能を逸脱したように見える人間の「生存戦略」も、人間にとっての「自然」なのだとも言えます。
ここまで述べてきたような方法で社会を作ることも、人間にとっては自然なこと。ただし、シンプルに本能に従って生きる動物とくらべて、複雑すぎる自然です。その複雑な社会の中で、10年、20年と思考し経験を重ねなければ一人前になれないのだから、人間は誰だって少しは歪みますよ。

社会という複雑な構造体の中で、その歪みの度合いが一線を越えてしまった人。それが私の考えている「悪人」の定義です。

こういう定義に基づけば、「生れたときから悪人」というのは有り得ないでしょう?

   *   *   *

この話をめぐってはまだまだ言いたいことは山ほどあるのですが、本が一冊書けるくらい長くなってしまうので、一先ずやめます。
というか、ここまで来たらこの考えをキャラクター化して小説を書く方が得ですよね。

というか、こういうことを考えてるやつだから小説なんて書いてるわけですが。

   *   *   *

ちなみに読むせんさんがあげていた赤レンジャーだっけ? の例も、おそらく歪みの一種だと思います。「一生懸命頑張る善人」という「物語」が生み出した歪みです。

   *   *   *

あと、歪みなら矯正すれば良いという短絡思考も嫌いですね。

あ、そう言えば、これはかなり嫌いだな。
社会という構造体が生み出す、「歪み」と並ぶ典型的な「悪」だと思います。

私の当面の目標は、よりニュートラルに、よりフレキシブルに、でしょうか。簡単なことではないのは承知していますが。

性善説ではありませんの返信 (No: 29)

スレ主 大野知人 : 0 No: 27の返信

投稿日時:

 うーん、まあなんとなく言いたいことは分かりました。多分、ではあるんですが。
 ただ、生物系が好きな人として、ちょっとだけ面倒くさいツッコミをします。

・人間は本能の働きが薄い。
 これは、難しい所であります。
 そもそもの『本能』と言う言葉が紛らわしいんですが、そもそも形質や生態が違う以上、生物ごとに『本能』の在り方は変わってきます。
 その上で、一個は人間が『学習本能』つまり、『物事を学習するという本能』を持っているという事。これは、屁理屈的な話ではなく、『何を重要な物と判断して学習し、何を不要な物と判断して学習しないか』などの直感的に見える側面も含まれるため、中々厄介なのです。
 それともう一つ、集団本能/集団形質と呼ばれる現象の問題もあります。例えば、『働きアリの中には2割ほどの働かないアリが混ざっている』と言う話を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。この現象、実はある程度より規模の大きい集団であれば、ほぼ確実にそうなります(強力な外敵の危機に晒され続けていたりすると、例外が発生します)。
 同じように、人間の社会構造と呼ばれている物の中には、『人間が自らの意思で作った』と思っていても、案外と『本能的にそうなってしまった』ものもあるのではないか、という説もあります。ここら辺、都市伝説っぽい話な上に、社会行動学や言語学の問題なんですが、原始的な文字形態や宗教などには、ちょいちょい奇妙な共通点が発生します。
 勿論、再現実験の難易度が高すぎるので『どこまでが本能で、どこまでが理性か』を決めるのは難しいですが、『人間社会の在り方』そのものに動物的本能が作用していないと言い切るのは、中々難しいのです。

・ミツバチやアリの思考・学習
 これについては、学術上『そこそこ高レベルの物を持っている』事が判明しています。
 有名どころで言えば、パブロフの犬ですが、人間が意図的に実験環境を用意せずとも、動物は学習・思考を行います。主な所で言えば、寝床と餌場の捜索ですが、別にアレだってランダムにやっている訳ではありません。
 所謂、『ミツバチのダンス』という物を聞いたことはあるでしょうか? これは厳密には伝達能力の話ですが、彼らは例えば、『巣の周辺の植物の生え方を記憶して、餌場を探しに行くとき、特定の順番で移動する』などと言う行動をとります。
 また、アリがセミの死骸などを解体しているところを見た事はありませんか? 人間の解剖学ほどではないにせよ、彼らは自分より大きな獲物を運搬する時、噛み切ってパーツごとに分けて運搬します。そういった際に関節を狙って千切りに行くところなどは、決して『本能』の一言で説明しきれるものではないでしょう。

 さて、話を戻しますが。
 あまくささんの『悪人』の定義は分かりました。
 ただ、その定義を通すのであれば『そもそもシステム的に「生まれつきの悪人」は発生しない』と言うのではなく、まず第一に『性悪説』という理屈を考えた人にとっての『悪人』の定義を考えるべきだろう、と俺は思います。
 まあそこら辺細かく言いだすと、そもそも俺とあまくささんの『世界観』が違っている訳なので、中々事態はややこしいわけですが。そもそも、性悪説云々言いだしたのも俺ですしね、定義が違うもんぶっこんじゃったんだったら、すみません。

 『善』と『悪』については、大体のラノベ好きは一度は考えるんじゃないですか? っていうか、考えていて欲しいなぁ。
 そもそもこのスレ自体、そういう『持論』を聞きたいから立てた側面もあるので、むしろ大いに語ってもらって構いませんよ。

 読むせんさんの上げてたマジレンジャーは好例でしたね。
 まあ、俺個人としては『日本人の作り上げた社会全体が持ってる歪み』もまた薄っすら見えてきて、二重に怖く感じるんですが。
 日本人って、『失敗』とか『敗北』に対して甘すぎる部分があると思うんですよねぇ。社会全体として。
 それを歪みと言うのか、適応成長と言うのかは個人個人に任せますが、中々けったいな国民性してますよね、この国。

 歪みなら矯正すればいい、と言うのは確かに短絡思考ですねぇ。
 30までは、まあそれっぽいことも出来ますが。取り合えず、30過ぎたら人格の矯正なんて無理ですよ。監禁&洗脳クラスの刷り込みとかをやれば、『都合のいい方向に歪める』ことは出来ますけど。
 大体根本的に、成長するって事が『歪んでいく』って事でもあるんですから、『真っ直ぐにしよう』ってのがまずおかしいんです。
 或いは、いっそ某ガンダムみたいに『その歪みを断ち切る!』ってぇ方向性で行くか。

 僕はむしろ逆かな、ニュートラルを目指すより、歪んでいけ。
 『歪んでる自分』をちゃんと認知できるように、文字の上では冷静に。
 まあ、二重人格とは全然違う話ですが、『冷静に物事を見て、愉快がる自分』と『感情的に突き抜けて、ぶっ飛んでいく自分』の二つに分けて、色んな『歪み』を愉快がって行こうかなぁ、なんて。

性善説ではありませんの返信の返信 (No: 31)

投稿者 あまくさ : 1 No: 29の返信

投稿日時:

ん?

いや、そんなことは言っていませんが。

>『人間社会の在り方』そのものに動物的本能が作用していないと言い切るのは、中々難しいのです。

これは、私の前の書き込みの、

◎さらに俯瞰的な視点から考えると、一見本能を逸脱したように見える人間の「生存戦略」も、人間にとっての「自然」なのだとも言えます。

は、同じことを述べたつもりですが。

>人間の解剖学ほどではないにせよ、彼らは自分より大きな獲物を運搬する時、噛み切ってパーツごとに分けて運搬します。そういった際に関節を狙って千切りに行くところなどは、決して『本能』の一言で説明しきれるものではないでしょう。

仰っていることの方向が、途中から逆になっていないでしょうか?

・人間の行動が本能に根ざしていないとは言い切れない。

・動物の行動は本能の一言で説明しきれない。

これじゃあ、右をさらに右から見たら左、左をさらに左から見たら右と言っているだけじゃないかと思いますが。

   *   *   *

猿を使った実験。

ある部屋の天井にバナナをつるします。猿が必死に飛び上がっても届かない高さです。
その部屋に棒を1本置いておきます。
すると猿を、その棒を使ってバナナを叩き落とすということを、わりと簡単に思いつくそうです。

ところが。

バナナと棒を別の部屋に置いておくんです。
猿はA室で棒を見てから、B室で吊されたバナナを見ます。しかし、同時に見えない棒とバナナを結びて考えることはできないらしい、という実験結果が出たとのこと。

もう一つ。
動物行動学のわりと有名な知見だったと思いますが、2匹の狼が戦うとき、一方が降伏の意思を示すと他方はすぐに攻撃をやめるらしいです。
人間だったら、一旦降伏しておいて、後で復讐するという行動を取り得ます。そして相手もそれが予想できるから、完全に息の根を止めるまで徹底的に攻撃するという行動を取ってしまうことが少なくありません。

直感的に結びつかない二つの事象を、結びつける思考。
未来に起こることを予測し、様々な結果や影響を洞察する思考。

この「洞察」という思考は、(ヒト以外の)動物には決定的にありませんよね。

この部分において、人間と動物とではそうとう隔絶していると思われます。

先に本能云々と書いたのは、ここは詳細にエビデンスを示して論じることができる場ではないので、話を分かりやすくしようとしただけ。論点はそこではないのです。

   *   *   *

>まず第一に『性悪説』という理屈を考えた人にとっての『悪人』の定義を考えるべきだろう、と俺は思います。

私は悪という概念自体が、言ってしまえば大いなる誤謬だと考えているんです。
物理法則の中に善とか悪とかいう要素はありませんよね? しかし、社会の中には善悪という要素が抜き差しがたく存在しています。
それは別に矛盾じゃないと考えているんですよ。
人間の根源が本能に根ざしていようがいまいが、他の動物にも思考の萌芽があろうがなかろうが、人間と他の動物では複雑さのレベルが違いすぎるんです。
そういう複雑な社会の中で、人間は独り立ちするまでに20年以上かかりますから、その期間に蓄積する経験値に余分な夾雑物がまざりすぎ、どうしても歪んでしまうんです。
そして、社会がなければ人間は生きていけない以上、歪みが一線を越えて社会のバランスを破壊するところまで行ってしまったならば、それは「悪」と定義することが妥当ではあります。

しかし、本質的には、例えば殺人が悪である理由を科学的には証明し得ないですよね?

まあ、貨幣経済の原理みたいなもので。

お金だけいくら持っていても、それで食物を買えなかったら誰だってすぐに死にます。だから貨幣は実体的な価値を持たないまやかしなのですが、そのまやかしを信じることで現代の市場社会は維持されています。この信用が崩れたらあっというまに崩壊するので、信じざるを得ないのです。

信じざるを得ないから信じているだけだと気がついている人もいますが、多くの人はたぶん本気で信じているように見受けられます。だから社会は成り立っているという。

そんなもんです。

性善説ではありませんの返信の返信の返信 (No: 32)

スレ主 大野知人 : 0 No: 31の返信

投稿日時:

 ・人間の行動が本能に根ざしていないとは言い切れない。
 ・動物の行動は本能の一言で説明しきれない。
 
 と言うのを連続して書いたのは、どうもあまくささんの文章の中に『人間は理性的な生き物、動物は本能的な生き物』という感性があるように見えたからです。
 間違ってたならすみません。

 ただ、俺が言いたかったのは『人間であれ、人間以外の動物であれ、理性と本能の区別はとても難しい』と言う話と、その事について(俺たちが人間であるのは確かにそうだけれど)人間だけを特段抜き出して議論できるものではないと思う。と言う話です。

 これが、最初から人間に限って善悪ないし理性と本能の話をされていたのであれば別だったのですが、他の動物が混ざってきた辺りで、解釈のズレが起こったみたいですね。

 言いたいことは分かるんだけど……。
 そういう意味で言えば、あまくささんが『悪』を誤謬だと思っているように、俺は『科学』とか『物理法則』を誤謬だと思っています。
 要するに、頭一つ抜けて正しいような顔をしているけれど、『科学』っていうのも所詮は人間から見た物差しに過ぎない訳で。
 
 そういう意味で、わざわざ善・悪或いはそれに相当するナニカの話に、科学が出てきたことが受け入れられなかったと言いますか。

 まあ、行きつく先としてはあまくささんと一緒で『科学法則』と『善悪』という複数の価値基準は、どちらに影響されることなく、矛盾なく存在しているだろう。と思っているんですが。

 人間と他の動物とでは複雑さのレベルが違う、ってのは些か飛躍しすぎてるように思います。
 どちらも違う形に複雑なだけで、『人間だけが一方的に複雑だ』って考えは傲慢じゃないでしょうか。

 殺人が悪である理由については、行動学的に『同族殺しは問題だ~』とか『生物が繁栄を目的に生息していることを考えれば~』とか難癖付けることは出来ますが、まあ、証明不可能です。
 ただし、逆説的に他の科学的立証に関しても『人間の都合』を抜きにすれば、都合のいい屁理屈で成り立っている物はごまんとあります。

 善と悪の定義をするのは、そうすると人間にとって都合が良いからだと、俺はそう考えてますよ。
 要するに、自分以外の誰かを下げる事に意味があるんです。或いは、誰かを『善である』と持ち上げる事に意味があるんです。皆、自分に都合のいい、『それっぽい』差別化がしたいんです。
 どちらにせよ、『善と悪に分ける』という行為自体に意味があるので会って、『善と悪』そのものには意味はありません。

 『善と悪』ってのは、要はそういう名前の宗教なんです。『キリスト教』とか、『白人優性主義』とか、『仏教』とか、『在日は出てけ』とか、『ホロコースト』とかと一緒です。
 信じざるを得ないから信じている人は少数です。大体の人は、信じたいから信じてるんです。そして、『信じたい』と思っていることに気付いてないだけで。

 『そんなもんです』と仰るなら、それは人間に都合がいい『そんなもん』を作ったんです。
 人類皆が、いかにも善人らしく、手と手を取り合って。

性善説ではありませんの返信の返信の返信の返信 (No: 33)

投稿者 あまくさ : 1 No: 32の返信

投稿日時:

>どちらも違う形に複雑なだけで、『人間だけが一方的に複雑だ』って考えは傲慢じゃないでしょうか。

なかなか噛み合わないのは、こういうところじゃないかと。

まず、私は(ヒト以外の)動物よりも人間は複雑だとは書きましたが、すべての局面において複雑だとは書いていないはずです。そして、どういう局面において複雑だと思うのかは説明したつもりです。

もう一つ、私は別に複雑であることが「高級(高尚)」だとも主張していません。

人間は脳を複雑に働かせて、予測したり、洞察したり、駆け引きしたりしながら、状況に対応しようとします。
ひょっとしたらそれは無駄に複雑なだけで、動物の本能的な行動の方が的確なのかもしれません。

そういうことも含めて、人間は事実として動物よりも複雑だと言っているだけです。

その点は理解して頂けるでしょうか?

性善説ではありませんの返信の返信の返信の返信の返信 (No: 34)

スレ主 大野知人 : 0 No: 33の返信

投稿日時:

 うーん。
 俺は、社会活動の面だけに限っても、人間以外の動物も平等に複雑だと思う、かなぁ。
 文化、文明とか、あるいは宗教なんかの面に特定すれば人間の方が『複雑』なんだけど、例えば夫婦の在り方とか、『集団』である事に季節・時間の限りがある点なんかを見て行くと、決して『社会の在り方』そのものの複雑さは決めきれないし、比較しようとするのが間違ってると思う。
 と言うか、『局面を抜き出して複雑だと思う』と言う表現をするのなら、まず総体の在り方が違うんだから、『局面』の単位で切り分けてる段階で人間標準に強引に合わせている訳で。
 ニュートラルな見方と言うのなら、そのやり用はいかがなものかと思う。
 
 そして、そういう『人間尺度に合わせて、局面を切り抜くやり方』を俺は傲慢だと批判しているのです。

 また、『高尚だと主張していない』のは存じています。
 まあ、これは俺個人の価値基準ですが、複雑であるよりも単純にまとめられている方が高尚だと思うしね。

性善説ではありませんの返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 35)

投稿者 あまくさ : 1 No: 34の返信

投稿日時:

>そして、そういう『人間尺度に合わせて、局面を切り抜くやり方』を俺は傲慢だと批判しているのです。

どうしてさ?(笑

前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思うんだけど。私に言わせれば、そういう考え方をしない方がおかしいと思う。

で、そこでね。
私は「ある尺度に合わせているだけ」と何度も言っています。人間尺度に合わせているわけじゃない。(註1)

こちらがフラットに言っていることに、無意識に価値観を当てはめてませんか?(註2)

(註1)
こういう思考をしているのが人間であるあまくさだから、思考の枠組みが人間の限界を超えられていないという意味なら認めますよ。
しかし、論法として人間基準を良しとはしていません。

(註2)
価値観を排除することがあまくさの価値観だというなら、それも認めます。
個人的には、そういうのは考え方の流儀であって(まあ、多少卑下するならクセと言ってもいいけど)、価値観じゃないと思うけどね。

性善説ではありませんの返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 36)

スレ主 大野知人 : 0 No: 35の返信

投稿日時:

 うーん、『前提が違えば結果も違う』のは当然のことだし、『特定の尺度に合わせて局面を切り抜く』のも当然でしょう。
 ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。

 当然だけれど、『人間、或いは動物』のどちら側にも寄せない、つまり『絶対的』な尺度を用意することは限りなく難しいし、出来ない。
 
 これがもし、人間同士の事であるならば、社会規範とか、『理想』と言う大雑把な物を尺度に当てて論ずることは出来るでしょう。
 或いは、個人や国家同士の比較において、事態を分かりやすくするために比較対象の片側を基準に持って来ることも理解できます。

 ですが、そもそも『人類の社会における善悪』の議論をしている時に

>人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。
 ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
 しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。

 と仰られれば、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?
 そういう意図はなかった、と仰られるのであればそれでも良いのですが、俺にはどうも『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
 
 その上で、『ある尺度に合わせているだけ』とのことですが、そも人間の話をしているところに動物の話を入れているのですから、俺からすればむしろ『人間尺度で話して居ない方がおかしい』ように見える訳です。
 大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、実際あまくささんもそのような書き方をされています。

 ですが、例えばミツバチやアリが社会を作るという話ですが、アレだって厳密に言えば『人間尺度』です。彼らの生活は社会を作るだけが全てではない。
 はぐれる事も、巣の移動も、社会同士の対立も、それぞれあります。人間から見て、人間の作る『社会』に似ているから『社会』と呼ぶだけで、人間社会と比較しうる物では無い。
 
 二番目に上げられていた猿の実験の件もそう。
 動物行動学ではわりと頻繁に似た実験をするので、あまくささんの知っているソレに携わった猿がどのような成長をした個体かによる影響もうけますし、逆に野生における猿がどういう成長をするかを示す結果でもありません。
 あくまで、単純化した状況における学習能力の問題であります。
 大体、人間の学習能力の何割かだって、パブロフ的刷り込みに依存している訳で、この実験結果のみをもって人間と猿の思考能力の違いを立証しようとするのは些か性急すぎます。

 例えばカラスは自動車を使って木の実を割ることが有ります。これは偶発的な現象ではなく、学習によって習慣化されたものとして、です。バードウォッチャーたちによって、ある程度離れた森林から木の実を運んでくることも確認されています。

 一方、狼の実験の方ですが、これ確かヤマネコかハイエナによる群れ同士の抗争の観察結果として、反証に値する――つまり『復讐を避ける/同業他社になりかねない相手を削ぐ目的で、同族殺しを行う』という結果が出ているはずです。
 また、狼にあっても、彼らには根本的に『身内同士で喧嘩をしあって、伴侶を決めたり、群れの中での順位を決める』という習慣がある種類も多いため、そもそも『どういう種類の戦闘』であったかの性質によるため、これも『洞察力』の有無を測るテストにはなりません。

 人間だって、プロレスや大相撲で相手を殺すまで戦わないでしょう?

 そしてここら辺を、俺が『人間の尺度』と呼ぶ部分なんですが、あまくささんの比較実験として出す動物の情報は、凄くピンポイントに過ぎる。
 その動物の生態や、社会性、生存環境を無視して、細かな実験結果を人間の社会性・思考能力と比較しているので、『傲慢だ』と言うのです。

 注1について。
 人間を超えた思考の枠組みを持て、とは言ってません。まず俺はそんなもの持ってないし、俺が持っていない以上、あまくささんが『人間を超えた思考の枠組み』を持っていても、議論にならないでしょう。
 そんな難しい事ではなく、もっと単純に『動物を比較対象にするなら、動物の事をもっとよく見てから話して欲しい』という事です。

>こちらがフラットに言っていることに、無意識に価値観を当てはめてませんか?(註2)

 『誰の』価値観かにもよりますが。
 フラットに物事を語る時、その根底にある価値基準の事を『価値観』と言います。あまくささんが何かを語る時、それを見ている俺は、『あまくささんの価値観』を考えるように意識的に見ています。
 何せ、俺とあまくささんの価値観が違う可能性はそこそこ高いですからね。『価値観』の事を考えない訳にはいかないでしょう。

 俺が勝手に『俺の価値観』をあまくささんの発言に重ねているんじゃないか、と言う意図でしたら、『そうしないように努力しています』としか言いようがないですね。まあただ、俺が『こう見える』と書いている場合は、明確に価値観を重ねていますよ。

注2について。
 俺の言葉で意訳させてもらいますが『価値観や先入観を出来るだけ排除して考える』っていう意味合いの事ですよね?
 価値観を排除する、と言うのはすごく難しい事なので、それが出来るんだったら凄いなぁ、としか。
 俺はそんなこと出来ないので、『他人の言葉を、自分だったらどう表現するか考えて、バイアスを掛けないように気を付けて翻訳し、自分の価値観で考える』って所かなぁ。
 勿論、外側に出力する時は『出来るだけ相手にも通じる価値基準で表現する』努力はしてるけども。

いったん話をもどしてみます (No: 37)

投稿者 あまくさ : 0 No: 36の返信

投稿日時:

困ったな。
途中から大野さんの反論が、かなり「反論のための反論」になってしまっていると思う。私の主張はわりと一貫しているはずなのですが、それについては後述します。

(1)

>ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。

それは当然です。
だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。

・人間に都合のいい考え方をする。

・(人間の話をしているのだから)人間を軸にして、議論を進める。

この二つを混同していないでしょうか?
もしくは、この二つをゴッチャにして反論してきているようにみえます。

(2)

>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?

>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』

これはYES。

>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』

こちらはNOです。

私は最初から一貫して人間社会の話をしていて、動物を持ち出すときは比較対象として出しているだけです。
だから、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』のは当然です。あくまで論点は人類社会であって、動物の社会は主題ではないからです。

>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』

これがなぜNOかと言うと、論旨に即して人間を軸として語ることと、それ以前に私が人間寄りに偏った思考の持ち主であることは違うからです。

>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。

それのどこがおかしいのですか?

私も一貫して「人類の善悪の話」をしています。繰り返しますが、比較対象として有効だと考えたから他の動物の話を持ち出しただけです。

>大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、

そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。

(3)
まあ、(2)のような議論の混乱は、私の説明がヘタだから生じている面もあるのだろうから、その点については謝罪します。
ただ、流れとしては(1)の齟齬を引きずったままやりとりして、その結果齟齬がまとまらず逆に増幅するような感じになっています。

だから、話をもどしますね。

(4)
人間という動物が、かなり奇妙で不安定な生き物であることは確かだと考えています。
奇妙な点は、

・脳が発達しすぎている。

・本能がこわれているのではないかと見る説がある。

・脳が発達しすぎた結果本能がこわれたのか、本能がこわれているため、それを補うために脳が発達したのかは分からない。

・脳の発達も人間という生物の「自然」であり、「本能」に根ざしているのかもしれないが、他の多くの動物が「本能」の比較的直接的な作用(こう簡単に言ってしまうと語弊があることは承知。しかし、そんなに間違ってはいないと思う)によって自然とやりとりするのに対し、人間はそれとは違う方法を複雑に発達させて自然と対応している。

*こういう部分で、ときどき動物の話を持ち出したわけですが、そちらは論点ではないわけです。まあ、話を分かりやすくするための譬え話に近いものと考えてください。
ただ、人間は特殊で不安定な生物なのではないかという視点で話をしているので、動物の話もある程度せざるを得ないわけで。

・上記のような形で、人間は生物としては特殊な部分を大きく複雑に肥大化させて社会を作っている。

・そのような社会の仕組みやルールは直感だけで体得できるものではないので、人間は20年以上かけてそれを学習しなければならない。

・その学習の体系は別に神が作ったわけではなく、やはり人間という不完全な存在が長い歴史の試行錯誤の果てに何とか作り上げてきたものなので、これ自体がそうとう不完全で欠陥が多い。

・人間はそういうシステムの中で学ばざるを得ないので、一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう。

・余分で雑多な情報の受け取り方にも個人差があるので、良くも悪くもそこで人間の個性が形成される。
 だから余分で雑多な情報が常に悪いわけではないが、争いやトラブルの原因となることも多い。

・先に「神が作ったシステムではない」と書いたが、いわゆる「神の見えざる手」という仮説がある。事象間の調整がいたるところで起こる結果、全体がしだいに調和に向かうものらしいという仮説です。

・神の見えざる手が働いた結果かどうかは分からないが、現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいるようです。

(5)
で、最初の、「どういう人が嫌いですか?」にもどります。

上記のような人間観でまわりを見ていると、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりないんですよ。
むしろ、理由もなく何となく虫が好かない、ということの方が強いです。

言ってしまえばそれだけなのですが、最初の方で「生まれつき悪い人間はいない」と書いたところ理想論としての性善説を述べたと誤解されたフシがあったので、私の基本的な人間観について説明させていただきました。

こんなところで、どうかな?

そうですね、一度まとめ直してみましょう。 (No: 38)

スレ主 大野知人 : 0 No: 37の返信

投稿日時:

 うーん、俺としては生物学の解釈でもめてるだけのつもりだったんだが、なんか壮大なことになって来たなぁ。
 
 そうですね、俺自身ヒートアップしてしまった感があるのは否めないので、ちょっと時系列を追って整理したいです。お手数ですが、俺視点でまとめるので、『それ違うぞ』って所はツッコんでください。

0 そもそもの発端は、善悪論の中で動物の例え話を出したあまくささんに、『ちょっと横道にそれるけど、違うんじゃない、ソレ?』と俺がウンチクを言い出したところでしたよね?
 この時点で俺が言いたかったこととしては、
 ①そもそも、その例え話に登場する解釈・理解が間違いを含むものである事
 ②その結果として、例え話を内包している一通りのセンテンスの意味合いが分からなかった事への確認
 の二つだったと思います。

1その後、それに対してあまくささんからの返信がありました。
 内容としては、
 ①大野が書いた『人間の本能ってそんなに簡単に表現できるもんじゃないねん』っていうのは、あまくささんが元々のスレで既に書いていた。
 ②大野の言っている『人間の行動が本能に根ざしていないとは言い切れない・動物の行動は本能の一言で説明しきれない。』と言うのは、理屈としてループしている。言ってることおかしくないか?
 ③と、他2件ほどの動物ウンチク。
 ④あまくささんが、『悪という概念自体が大いなる誤謬、科学的に存在しないものだと考えている』と言う話。
 ⑤善悪論については、『信じざるを得ないから信じているだけ』であり、その事に気付いている物は少数だ。

で、それに対する大野の返信が
 ①あまくささんの文章の中に『人間は理性的な生き物、動物は本能的な生き物』という感性があるように見えたから、そこまで区別できるものではない、『動物』と言うくくりから、特段人間を抜き出して話すのはおかしいだろう。
 ②大野としては、『科学』と言うのも人間が世界を見る尺度・物差しに過ぎないから、『科学』をそこまで信頼できると思うのはおかしいと思う。
 ③(人間と動物では複雑さのレベルが違う、と言う発言を『人間上位』の物と取ったため)『人間だけが一方的に複雑だ』という考えは傲慢に見える
 ④『科学』や『善と悪』と言うのは、人間がそう信じたいから信じている、一種の宗教のような物だと思う。

その後のあまくささんの返信。

 ①(『人間だけが一方的に複雑だ』という考えは傲慢じゃないだろうか、と言う発言に対し)あまくささん自身としては、『全ての局面において人間が複雑だ』と言ったつもりはないし、『複雑だから高尚だ』と言っているつもりもない。

対して大野。
 ①局面を限ったとしても、人間だけが複雑だというのは難しい。それこそ、とても細かい単位まで砕けば比較しうるだろうが、『社会』について論じるのであれば、比較はできないと思うし、すべきでないと思う。
 ②もし、局面を切り分けて比較をしたというのであれば、その切り分けは人間の尺度によっているように見える。そのやり方が傲慢ではないかと、批判したつもりだ。
 ③『複雑であることが高尚ではない』とあまくささんが思っていることは理解した。

その次のあまくささんの返信。
 ①前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思う。
 ②何度も言っているが、『ある尺度に合わせているだけ』。
 ③むしろ大野が、自分の価値基準を当て嵌めて考えて、あまくささんの発言を曲解しているんではないか。一度冷静になった方が良いのではないか。

その次の大野
①『前提が違えば結果も違うんだから、ある尺度に合わせて局面を切り抜くのは当たり前だと思う』と言うのはもちろん当たり前であるが、それでもあまくささんの表現は人間尺度によっているように見える。
②と言うかむしろ、『人間や動物を超越した絶対的な評価基準』を用意できないのだから、根本的に『人間の尺度』によらない評価をするのは無理だろう。
③だが、(大野には動物を比較対象に持ち込むのは無理があるように見えるので)やはり動物を議論に入れたのは間違いだったと思う。
④その上で、人間の話をしているところに無理やり他の動物の話を入れた訳であるから、文脈的にはむしろ『人間を基準とした話』でなければ通じないであろう。だから、そういう前提で聞いていた。
⑤あまくささんの例え話は動物学・行動学的にすごく一部の物だけを抜き出したものに過ぎない、よってそれを人間の社会や学習などと比較するという事が、『人間基準の尺度』であろう。
⑥(あまくささんの発言に対し)そもそも、人間が「価値観」という物から脱するのは、凄く難しいと思う。その上で、『出来るだけ自分の価値観を省いて話すためにどうしているか』って話。

 と言う感じに見ていたんだけど、あってますか?
 その上で、『いったん話を戻してみます』の返信はまた別に書かせていただきます。

そうですね、一度まとめ直してみましょう。の返信 (No: 39)

投稿者 あまくさ : 0 No: 38の返信

投稿日時:

まあ、大筋としてはだいたいあってるんじゃないかと思います。

あと、こちらはしばらく返信できなくなるので、続く場合は夜に対応させていただきます。

とりあえず、一つ補足 (No: 40)

投稿者 あまくさ : 0 No: 39の返信

投稿日時:

一応、一つだけ補足しておくと、

(再掲)
・脳の発達も人間という生物の「自然」であり、「本能」に根ざしているのかもしれないが、他の多くの動物が「本能」の比較的直接的な作用(こう簡単に言ってしまうと語弊があることは承知。しかし、そんなに間違ってはいないと思う)によって自然とやりとりするのに対し、人間はそれとは違う方法を複雑に発達させて自然と対応している。
(再掲、終わり)

動物の本能による対応も、複雑なんだと思いますよ。
ただそれは、動物の属する自然のシステムが複雑なのであって。(繰り返すけれど、だから動物は下等なんだと言っているわけではない)
人間の場合、人間サイドの脳の中でかなり複雑なことをやっています。インターフェイスとして、脳ばかりがやたらに肥大化している。だから脳の中に疑似世界みたいなものができてしまっていて、それを「世界観」と言います。この「世界観」は「クオリア」とも言い換えられます。

そういう点で、人間の対応法は実は他の動物よりもむしろ精度が低いのかもしれません。全部、自分の頭の中でやろうとしますからね。
しかし、この方法は、短期的に周囲の環境を改変するためにはかなり強力みたいです。だから人間は環境を作り替え、現時点では地球の王者になったのだと思われます。

いったん話をもどしてみますの返信 (No: 41)

スレ主 大野知人 : 0 No: 37の返信

投稿日時:

 『反論のための反論』にはしないつもりでいたし、俺もかなり一貫した主張をしてきたつもりなんだけど……。
 往々にして、客観性や冷静さってのは失いやすい物なので、一度見直しつつ、もう一度言いたかったことを再整理します。
 が、その前に返信。

>だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
 私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。

 はい、そこは存じ上げております。
 あと、割と早い段階で、『人間と動物のどちらが優れているか』の話は、お互い論じていないという事で決着してませんでしたっけ?
 俺が言いたいのは、
①あまくささんの上げた例は極めて限定的な実験を拡大解釈しているように見える。それを抜き出して、人類との比較に持ち出すのはおかしい。
②上の『限定的な実験を拡大解釈する事』こそが、『人間的な尺度』ではないのか。
③それはそれとして、大本では人間の話していたんだから、人間を比較対象にするのは分かるし、人間の話に動物を登場させようとしてるんだから、むしろ『人間的な尺度』で比較せざるを得ないんじゃないかなぁ。

 と言う話。
 要は、『そうなるのも無理は無いけど、その例え話はおかしいんじゃないか?』ってことです。色々端折ると。

(2)
 動物を持ち出すときに、比較対象としてしか出していない事は、理解しました。
 ただ、(1)のところでも書きましたが、根本的に比較の仕方がおかしいと思う、と言うのが俺の論旨です。
 
 そういう意味では『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』と言うのは表現が悪かったです。ごめんなさい。
 言いたいこととして言うと、『動物の思考や学習を、人間のソレと安易に比較できるとは考えない方が良い』と言う話でした。
 
>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
 それのどこがおかしいのですか?

 むしろ、『それがおかしい』と言う話です、最初から。
 第一に、比較の仕方に無理があり。
 第二に、例え話として破綻しているように見える。
 よってそもそも他の動物の社会について語ることが間違っていたんじゃないか。
 まあ、最後の奴は割と後になってからしか言ってませんでしたが、言うまでもないと思っていました。(例え話に『だってそれおかしいよね』って難癖付けた時点で、大元の発言が間違っていると言っているも同然ですからね。)

>そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。

 そうでは無く、そもそも動物の社会と人間の社会を比べるのはおかしい、と言う話をしています。

 ちなみに俺は途中から、一貫して『あまくささんの例え話は間違ってると思う』と言う話をしています。
 貫性が無い、と仰るのであれば、『これはそもそも人間の善悪を語るスレじゃないぜ』と返させていただきます。あくまで、『嫌いな人』を語るスレですからね。善人が嫌いだろうが、善悪関係なく金持ちが嫌いだろうが、何でも良いのです、大元を言えば。

(3)
 (2)のような議論の混乱は、俺が『あまくささんの例え話は間違ってると思う!』と最初に言わなかった事も大きな原因でしょう。これについては、本当にごめんなさい。迂遠な言い回しをして、事態を引っ掻き回してしまいました。
 俺としては、むしろ『あまくささんの例え話は間違ってると思う』が本旨であるので、No30くらいからこっちの発言には『あまくささんの例え話は間違ってると思う』以上の事は書いてないです。ってか、まず間違いなくそれが議論のズレだ。

(4)さてついに帰ってきた人間の善悪論。
 ちなみに事ここに至っても粘菌のアルゴリズムの事とかを語ってやろうと思っちまったぜ。
 本能については俺は上述の通り、『学習・思考する本能』という物があると思っています、通俗的に『理性』と呼ばれるソレとは、明確に違う形で。
 よって、『脳を発達させる本能』があり、『本能以外の物』が増えた結果、相対的に『本能』が薄れたように見えていると考えます。
 最後の奴も違うんじゃないかな。都市部で自然が減っただけで、農村部に生きてる人間はちょくちょく超能力的本能を発揮しますよ。あと、ド素人でも山登りとかさせると、『ツアーからはぐれたにもかかわらず、何故か沢・川に近付いてったり』します。それは本能ではないですか?
 特定の病気の時に、喉が渇くやつも本能っちゃあ本能ですね。まだまだありますが、人間の本能はそんなに衰退してないですよ。

 こういう時に持ち出した動物例え話がおかしい、と言うのが俺のメインのツッコミです。
 
 確かに、人間は他の動物としては特殊に成長し、そして社会を作っているのは事実です。

 人間社会のルールの学習に関しては、これは程度差があると思います。
 教育学・発育学は専門外なのですが、学習環境や個体の素質に依存するところが大きいので、掛かる時間は何とも。

 人間の学習内容にあっては、例えば『物を食べる』とか『アルファベットや五十音を覚える』などの部分は、大きく本能に依存する部分のある刷り込み型の学習なので、『人間の努力が生み出した』と言う表現は事実からズレると思います。『人間の本能と、ちょっとの文化が生み出した』と言う所でしょうか。

 『一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう』と言うのは、個人的には受け入れられません。まあ、『人類の理想像』みたいなのを仮定すれば確かに『余分で雑多』なのですが、ロマンを愛するファンタジーマニアとしては、『必要な個性』であり『機能外の拡張』の範疇だと思います。

 あまくささんの言う『神の見えざる手』が、俺の言う所の『思考・学習する本能』に近いかもしれません。要するに、『なんとなく、上手くいく方向に近付いていく』と言う話ですよね?
 まあここら辺、進化論における『自然選択(環境に適応した者だけが生き残る事)』が起こってるだけじゃねぇかともおもうんですが。

 『現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいる』のは、徹頭徹尾政府の陰謀にしたい所ですが、そんな陰謀は多分実在しないので、『なんでか知らんけどそうなったよねー』と思っております。

 ちなみに、俺の『価値観』としては、『善悪の価値基準』そのものも、『人類』全体の進化過程にあって、内部の異端者(=悪)を自然選択から弾き飛ばすために出来た、本能的なルールなんじゃないかとも考えてます。
 同時に、凄く規模のデカい上に、大概の人にとっては無自覚な『宗教』であるとも。

(5)
 うーん。あまくささんの言うような人間観をインプットできるのが、まずすげーなって。色々文句付けたけど、あまくささんが何を考えてるかは大雑把に伝わったつもりです。

 正直、あまくささんからそこそこズレるけど、でも『似て異なる』程度には近い思想を俺も持ってるけど、『なんとなく好きじゃない人間』って結構いるもん。で、そいつら見て、特徴探すと、『ああ、俺こういう人間が嫌いなんだな』ってわかんのよ。
 だから、そうならない、つまり大概の人間に対して『好き』ないし『無関心』でいられるのがすげーなと思います。マジで。

 そして最後の最後にもう一つ誤解!
 あの時俺が『俺は性悪説で考える人間なんで』って書いたのは、マジでそれ以上の意味無いから。
 俺は別に『性悪説か性善説のどっちかしか認めんぞ我ェ!』みたいな性悪説ガチ勢じゃないし、性悪・性善以外の見方があることは承知しておりますよ。勿論。

 ただまあ、結果としてあまくささんのよりディープな所を見られて、勉強になったんだ結果オーライかな。

 ロマン大好き人間としては、出来ればもう少し感情的に生きている人間が見たい所ですが、世の中には色んな人間が居るんだなぁ、って所でこれはこれでためになる話が聞けました。
 ありがとうございました。

 P.S. 今度こそ最後。不謹慎かもしれませんが……。
 ああー! 議論たんのし―!
 話が噛み合わなかったり、誤解とくために色々考えたり、全然噛み合わなくても『そういう考えの奴居るんだな』ってわかるの、滅茶苦茶楽しー!

いったん話をもどしてみますの返信の返信 (No: 42)

投稿者 あまくさ : 1 No: 41の返信

投稿日時:

>①あまくささんの上げた例は極めて限定的な実験を拡大解釈しているように見える。それを抜き出して、人類との比較に持ち出すのはおかしい。

これについては、まあ、多少卑怯な弁解になるかもしれないけど、話をわかりやすくするために単純化して提示したのです。

私が最初に「動物」を持ち出したのは、№27の、

(再掲)
ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。
(再掲、終わり)

これですよね。
これは大雑把すぎるとは自分でも思いますが、主旨としてはそれほど間違っているとは今でも思いませんよ。

これに対して、大野さんは、

>・ミツバチやアリの思考・学習
> これについては、学術上『そこそこ高レベルの物を持っている』事が判明しています。
(以下、略)

と返してきましたが、私としては率直に言えば、

「だからどうした?」

としか思いませんでした。

そこそこ高レベルだろうと、人間の思考の複雑さとは隔絶した差があることは間違いないと思うのですが、どうでしょう?
1と100に連続性があろうと、1と100くらい隔たりがあれば、それはもう別物といって差し支えないと思います。

他にもいろいろ言いたいことはありますが、取りあえずこの点についてはどうお考えでしょうか?

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いったん話をもどしてみますの返信の返信の返信 (No: 44)

スレ主 大野知人 : 0 No: 42の返信

投稿日時:

 うーん、まあそこら辺いる派閥の違いなのかもしれませんが。
 まず、動物と人間の知能を数値比較しようというのがナンセンスです。

 『タンパク質』とか『細胞』の単位であれば確かに同じ構造体ですが、『脊椎動物か無脊椎動物か』の時点でそもそも神経構造に隔絶が有りますし、社会と呼びうるシステムにしたって、一部の学者が『集団による個』と表現するぐらい人間とは別の在り方をしています。

 これはアリやハチの話ではありませんが、脊椎動物の一部には『地震や気候異常に対する予知じみた先見能力』があるとされています。
 人間の頭脳で理解しえないために研究が遅々として進んでいないのは事実ですが、観測上『何か』が存在しているのも確かです。

 この場合にあって、それを『人間には観測不可能な何かを「本能」によって察している』と表現するのは非科学的です。解剖学上、それを可能とするであろう、或いはそれに特化したであろう器官が見つかっていないですからね。何らかの『理性』或いは、人間に理解不可能な『考察』が働いた結果で判断しているはずなのです。

 ミツバチが行う『熱殺蜂球』と呼ばれる行動をご存じでしょうか? 少年漫画の必殺技のような名前ですが、『天敵であるスズメバチ(など)に数匹~十数匹で特攻を仕掛け、体温で焼き殺す』という少年漫画みたいな行動です。
 これに対し、『それはそういう本能なんだろ』と言うのも非科学的です。

 まず第一に、ミツバチはスズメバチに対して複数の対処手段を持っていて、『数匹のミツバチを囮にして巣から離れた場所に誘導する』とか、『集団で近付いて威嚇する』などの方法を使います。『集団による威嚇』が有効なのは、スズメバチ側が本能的に『熱殺蜂球』を恐れているからだとしても、その対処手段をミツバチ側がどう選択しているかについては、『本能』の一言で済ませられるものではありません。

 第二に、ミツバチ側の判断能力・伝達能力の問題が挙げられます。ここを、俺は『人間より複雑、或いは優れた何かを持っている』と思っている部分なのですが、ミツバチの集団行動にあっては、『司令塔』と呼びうる物が確認されていません。
 勿論、スズメバチ発見の第一報自体は、外でスズメバチと遭遇したミツバチによるフェロモンや羽音による警戒姿勢で他のミツバチにも連絡がいくものですが、他方で『第一に』で上げたいくつかの手段をどうやって行うかという選択は、個々の個体が行っていると推察されます。
 人間の民主主義のようにグダグダと話し合う訳でもなく、特定のリーダーが居る訳でもなく、命が掛かった状況下で飛行状態を維持しながらハイスピードでいくつもの手段を模索し、場合によっては『巣の位置と他の方角を意識しながら囮になる』などの手段もとります。

 熱殺蜂球による特攻時も鮮やかで、特攻を行う個体と、特攻から避難する個体でサッと分かれるんです。特定の脅威が訪れた場合の状況判断能力や、所謂『察する』能力にあっては人間を超えていると思いますがね。

 勿論、今あげたすべてを『本能』の一言で済ませてもらっても構いません。或いは『複雑なことを考えられないから、結果として判断が早いだけだろう』と仰っても構いません。
 ただし、集団単位での状況判断・各種伝達面に関しては、これは確かに人間よりも複雑な物を持っていると、ご理解いただけますよね?

 で、しかもこいつ等は基本的には『働きバチ』です。
 普段は分業して花の蜜を取りに行ったり、それを巣の中で貯めたり、巣の中で幼虫にエサの分配をしたり、巣の拡張工事をしています。

 花の蜜取りに関しては以前にも書きましたが、奴らは高度なマッピング能力を持っています。その上で、『ダンス』などと仇名されるような特殊な動きで花畑の位置を他の個体に伝達することも出来ます。
 で、ここで注目して欲しいんですが、さっきのスズメバチとの戦い方のところで『フェロモンなどによる伝達が確認されている』『羽音などによって、警戒を仲間に伝える』と言う表現をしました。
 警戒フェロモン、羽音に関しては、確かちゃんとした実験結果がそれぞれ存在しています。
 フェロモン、羽音、ダンスの三種類の伝達方法に関して、これを人間にあてはめて『三種類の言語』などと表現するのは些か無理でしょう。
 ただ一方で、ここまで複雑化した情報伝達を状況に応じて行い、或いは受信して次の行動に繋げるという技能は、人間にはまずできません。
 
 巣の中での貯蔵についてもそう。超密閉型の奴らのコロニーにあって『蜜を取って来たけど、既に満タンだったからあふれ出しちゃった、テヘ☆』みたいなのは許されません。動線どころか、酸素供給が滞って大量に死にかねないからですね。
 巣の中の在庫管理を行う担当の働きバチが居る、と言うのも事実です。ですが、奴らの記憶能力では、巣の構造を覚えることは出来ても、蜜のたくわえや幼虫の状態把握は容易ではありません。
 その状況下で、判断を行う能力、特定の順番に習って整理する能力があるのは間違いないでしょう。
 『巣の形が一定だから出来るんだろう』と言う言葉も聞きますが、そもそも人間が用意する養蜂箱が無ければ、ミツバチはもっと独創的なデザインの巣を平気で作りますし、それでも生活は成り立っています。

 そして次に巣の建設問題です。
 まあ、この一世紀弱でよくスズメバチの被害を聞くようになったので、奴らの巣を見た事が無い人はほとんどいないでしょう。
 ミツバチにあっても、スズメバチに近い構造の巣を持っているとされます。彼らの巣は、女王バチによる卵の植え付けと、そこから生まれた幼虫への餌やりを主な機能とした巣ですが、一方で『巣を作っている位置に合わせて、壁沿いや木などの外周に沿うように巣をつくる』ことが出来ます。
 当然ですが、総当たり的に『作ってみたけど、やっぱ無理だったから壊そー』と言うことは出来ません。女王バチが卵を産める期間は限られている上に、ミツバチは越冬の事も考えねばならないため、時間はそう多くない訳です。
 巣の拡張タイミングに関しては、『女王バチがこれぐらいの頻度で卵を産むだろう』と言う本能があるのでしょう。
 ですが一方で、建物などに沿う形で巣を作るのはとても難しいです。
 あまくささんも、見た事があるのではないでしょうか。『雨どいや、速攻を取り込む形で、やたら複雑化したハチの巣』を。まあ、今の日本で人家に巣をつくる物の大半はスズメバチなんですが、ミツバチだって似たようなことは出来ます。
 海外のニュースとかで、養蜂家が言えの軒先に巣を作られてしまった、なんてニュースもたまにあったりします。
 奴ら元々、木のうろなんかに巣を作りますからね、特に雨どいなどは格好の場所でしょう。
 彼らの建築工事もまた、本能で済ませるには無理があるでしょう。場所に合わせて作る以上、どうしたって構造は多様化せざるを得ません。
 例え単純な構造体を適当に組み合わせる、いわばレゴのような作り方をしているとしても、卵を産んだり餌やりをするためには、ある程度『総体』を把握する必要性が出てきます。
 
 ところで、ミツバチには『女王バチ』『オスの働きバチ』『メスの働きバチ』の三種類しかいません。
 ちなみに、メスの働きバチの仕事分担が一番多く、上に挙げたうちの大半は彼女らの領分です。

 勿論、『それのみに特化して成長しただけだろ』と思ってもらっても構いません。ミツバチは数十から数百のコロニーで生活しています。勿論、分業なのは事実です。
 やった仕事の大きさ事態で言えば、人間には遠く及ばないでしょう。
 
 ですが、集団単位での彼らの行動能力、作業能力、そしてそれらの際の伝達能力の中には、決して人類では敵わない面も多いでしょう。そしてそれは判断の早さとか、複数の物を同時に考える能力だとか、すごく早い伝達能力だとかも含まれるわけですが……。人間に出来ますか?

 あまくささんは『1と100に連続性があろうと、1と100くらい隔たりがあれば、それはもう別物といって差し支えないと思います。』と仰いますが、ハチの知能と人類の知能には、根本的に連続性はありません。
 『脊椎動物と無脊椎動物の段階で系統樹が分かれたから』と言う話ではなく、単純に生活形態も、種族内における『個』と『集団』の意味合いも、伝達能力も、活動の在り方も、全てが異なっているからです。

 それを、連続性のある数値として比較しうる物だと考えているのが、まず間違いだと言っています。

 あと、偏った実験の解釈と呼んだものの中には猿や狼の実験に関する批判も書いて置いたと思うのですが、そちらはどう考えますか?

 再掲

>二番目に上げられていた猿の実験の件もそう。
 動物行動学ではわりと頻繁に似た実験をするので、あまくささんの知っているソレに携わった猿がどのような成長をした個体かによる影響もうけますし、逆に野生における猿がどういう成長をするかを示す結果でもありません。
 あくまで、単純化した状況における学習能力の問題であります。
 大体、人間の学習能力の何割かだって、パブロフ的刷り込みに依存している訳で、この実験結果のみをもって人間と猿の思考能力の違いを立証しようとするのは些か性急すぎます。

 例えばカラスは自動車を使って木の実を割ることが有ります。これは偶発的な現象ではなく、学習によって習慣化されたものとして、です。バードウォッチャーたちによって、ある程度離れた森林から木の実を運んでくることも確認されています。

 一方、狼の実験の方ですが、これ確かヤマネコかハイエナによる群れ同士の抗争の観察結果として、反証に値する――つまり『復讐を避ける/同業他社になりかねない相手を削ぐ目的で、同族殺しを行う』という結果が出ているはずです。
 また、狼にあっても、彼らには根本的に『身内同士で喧嘩をしあって、伴侶を決めたり、群れの中での順位を決める』という習慣がある種類も多いため、そもそも『どういう種類の戦闘』であったかの性質によるため、これも『洞察力』の有無を測るテストにはなりません。

 人間だって、プロレスや大相撲で相手を殺すまで戦わないでしょう?

 これについての回答も、頂ければ幸いです。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょう (No: 46)

投稿者 あまくさ : 0 No: 44の返信

投稿日時:

とりあえず、まだ伝わっていないことはわかりました(笑
根本的な誤解が解消していないと思いますよ。

>ただし、集団単位での状況判断・各種伝達面に関しては、これは確かに人間よりも複雑な物を持っていると、ご理解いただけますよね?

別にそれを一度も否定していませんよ。

他の動物よりも人間の方が優秀だと思っているわけではない。

そう何度も言いましたよね? それは、

ひょっとしたら他の動物の方が人間よりも優秀かもしれない。

という意味も含みます。
当然ですよね?

他の動物、まあ、めんどくさいから、ここではミツバチとしますね。
私がずっと言っているのは、人間とミツバチは違うということです。
だから、

>あまくささんは『1と100に連続性があろうと、1と100くらい隔たりがあれば、それはもう別物といって差し支えないと思います。』と仰いますが、ハチの知能と人類の知能には、根本的に連続性はありません。

根本的に連続性がないと捉えていらっしゃるのなら、それでいいんです。
私はただ大野さんが、他の動物にも知能があるみたいなことを仰るから、連続性があるとお考えなのかと思ったんです。
だから、あってもそれはごくわずかでしょ? という意味で1と100という言い方をしたんです。

>これはアリやハチの話ではありませんが、脊椎動物の一部には『地震や気候異常に対する予知じみた先見能力』があるとされています。
> 人間の頭脳で理解しえないために研究が遅々として進んでいないのは事実ですが、観測上『何か』が存在しているのも確かです。

> この場合にあって、それを『人間には観測不可能な何かを「本能」によって察している』と表現するのは非科学的です。解剖学上、それを可能とするであろう、或いはそれに特化したであろう器官が見つかっていないですからね。何らかの『理性』或いは、人間に理解不可能な『考察』が働いた結果で判断しているはずなのです。

その「何らかの『理性』或いは、人間に理解不可能な『考察』」を、彼らも生物である以上何らかの器官によって働かせているわけですよね?

それは脳ですか?
脳以外の器官ですか?
それとも、脳を人間には理解できない別の形で働かせているのですか?

この3つのどれか以外は論理的にあり得ないと思うのですが、いずれにしても人間とは違うことをやっているわけですよね?
(個人的には脳以外の器官なんだろうと思いますが、それを証明はできませんし、現時点では別に証明する必要もないでしょう)

   *   *   *

>あと、偏った実験の解釈と呼んだものの中には猿や狼の実験に関する批判も書いて置いたと思うのですが、そちらはどう考えますか?

これについてもミツバチと同じことなので、改めてお答えする必要はないと思います。
(カラスは神社の鳥の餌の販売機を操作したりするやつがいるらしいですね。さすが恐竜の子孫はあなどれない。笑)

   *   *   *

以上の考察は、人間とはどういう生き物かということについての私の意見の本旨ではなく、その前段。前提の確認です。

ここまではいいですか?

なお納得できないなら、お望みならいくらでもお付き合いしますよ。

ここまでは1レスにあれこれ詰め込みすぎて混乱を助長していたので、まだ本題ではありませんが、一つ一つ片付けていきましょう。

もう寝るので、何かあったら明日の朝、お答えします。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信 (No: 47)

スレ主 大野知人 : 0 No: 46の返信

投稿日時:

 >以上の考察は、人間とはどういう生き物かということについての私の意見の本旨ではなく、その前段。前提の確認です。

 ええ、ですから、No29にも書いた通り、これは基本的には面倒な生物オタクのツッコミなのです。

 あまくささんが
>他の動物よりも人間の方が優秀だと思っているわけではない。
 ことはもとより知っております。一度確認を取りましたからね。

 ただ、
>私はただ大野さんが、他の動物にも知能があるみたいなことを仰るから、連続性があるとお考えなのかと思ったんです。
 俺はむしろ、あまくささんの方が『動物と人間の知能に連続性がある』とお考えなのかと思い、連続性の無さそうな物を例として挙げたまでです。
 不要だったのなら、それで構いません。

>その「何らかの『理性』或いは、人間に理解不可能な『考察』」を、彼らも生物である以上何らかの器官によって働かせているわけですよね?

 これは、話の流れ的に『脳』や『理性』の話をしている訳ですから、当然『脳以外の器官で』『地震の前兆を計測しうるようなものが』見つかっていないという話です。
 理性の話をしているんですから、脳ないし脳に該当するものを含まない訳がないじゃないですか。

 何度も書いてますが、俺は『前提』としてあまくささんが挙げられた『動物と人間の比較』というやり方が良くない、と言う話をしているだけで、まだあまくささんの語ろうとしている『人間の善悪観』の本旨に到達していない事は存じ上げています。
 そもそも、『余談』として挙げたレスに返信が帰って来て、それがずっと持続している状態なだけなので、最初から書いてある通り、これはあくまで『俺は良くないと思う』と言う話に過ぎない訳です。
 勿論、俺にも考え方の理屈や、固執する物が有りますから、『じゃあ大野さんはこういう問題はどう考えられますか?』とあまくささんの仰った部分に反論・ないし意見を述べる事はやってきましたが、これは本質的には『余談』ですよ。
 (まあ、そもそも『個人的な好き嫌い』を語るスレなので、人間の善悪論も『余談』っちゃあ余談なのですが)

>なお納得できないなら、お望みならいくらでもお付き合いしますよ。

 とのことですが、俺は本質的にはあまくささんがどうしようが『納得』はします。
 一番最初のNo29で書いた通り
『生物系が好きな人として、ちょっとだけ面倒くさいツッコミをします』
 と言う、俺個人の主義主張としての『そのやり方は気に食わないなぁ』というごく個人的な感想であって。
 その後No31(30は我々のやり取りとは別のレス)であまくささんが『大野さんそれ誤解してるんじゃない?』と言う深堀が有ったので、そっからお互いの主張について語るべき脱線して行っただけだと思います。
 これは、あまくささんが悪いと言ってるわけではないです。むしろ俺も『こりゃあ面白い事になって来たぞ』と脱線を助長させた側面もあるのですが。

 これはあくまで余談であり、脱線です。
 ここまでやってきたことを言うならば、『私はこういう風にやっています』というあまくささんと『そのやり方は好きじゃない』と言う俺が、それぞれの理屈や主張を言っているだけでは、無いのですか?

 俺はそれでもやはり『動物と人間の知能・学習性を比べるやり方』は良くないと思うし、好きじゃないですよ。
 でもそれは、大野の勝手な感情であって、もちろん深堀して議論をしてくれるのであればいくらでも楽しく議論しますが、『私は本題から逸れたくないのに』と仰るなら、いつでも本題に戻ってもらって構いませんよ。

 だって、大野が『そのやり方良くないと思う』っていうのが大野の勝手なら、あまくささんが動物の例え話を出すのも、本題に戻るのもあまくささんの勝手でしょう。
 『俺はそういうやり方なんだ。文句があるのは分かったが、俺にも俺の理屈がある』で終わる話なんですよ、究極。

 詳しくは『まとめ直してみましょう』のスレを見てほしいのですが
①大野が、『面倒くさいオタクのツッコミなのですが』と持論を語る。
②あまくささんが『ちょっと誤解があるみたいだけど』と語る。
③大野が『誤解されるような言い回しだったなら、こう言いかえるんだけど』と返す。
④あまくささんが『やはり誤解があるようだけど』と細かく掘り下げる。
⑤大野が『その誤解に見える部分の大前提が、俺は間違ってるとおもう』とさらに掘り下げる。
以下、更なる掘り下げ。

 と続いてるだけで、これは単純に余談を掘り下げてるだけです。
 確かに俺が掘り下げたのは事実です。だって、あまくささんの考えが色々見えてくるし、楽しかったですよ。
 ただ、もしあまくささんが掘り下げたくなかったのなら、別に途中で切ってもらっても構わなかったですよ。

 流石にKYの俺でも、自分が掘り下げた所にあまくささんが突っ込んでこなければ、『あ、余談は終わったのね。じゃあ本題の話しよう』となります。

 勿論付き合ってもらえるなら、根っこまでしっかり掘り下げたい所ですが。そうしても良いですか?

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信 (No: 48)

投稿者 あまくさ : 0 No: 47の返信

投稿日時:

では、もう少し解きほぐしてみましょうか。

動物と人間の比較というところで延々と話がこじれつづけている理由は、おわかりでしょうか?

ひょっとすると大野さんの側にも私がまだ理解できていない深いお考えがあるのかもしれませんが、私サイドの理由はわりと簡単です。

(№37から)
>第一に、比較の仕方に無理があり。
>第二に、例え話として破綻しているように見える。
>よってそもそも他の動物の社会について語ることが間違っていたんじゃないか。

他にも同様の文章がいくつもありましたが、これは私の見解をけっこう明確に否定していますよね?

一つ前のレス(№47)では、動物と人間の知性には連続性がないという点については見解の一致をみたように思います。
しかし、それに続く文章で、

(№47から)
>何度も書いてますが、俺は『前提』としてあまくささんが挙げられた『動物と人間の比較』というやり方が良くない、と言う話をしているだけで、

>俺はそれでもやはり『動物と人間の知能・学習性を比べるやり方』は良くないと思うし、好きじゃないですよ。

結局、これが出てきちゃうんだよね(笑
「好きじゃない」という部分で少し表現が緩和されている気もしますが、「その考えは良くないことだ」という一文だけは、すべりこませないと気が済まないという感じです。

断っておきますが、別に自分の考えが常に正しいと思い込んでいるわけではありませんよ。
ただ、上のように言われた場合、「どこが、なぜ良くないのですか?」と質問する権利くらいはあるのではないでしょうか?

それで、ずっとこだわっているのです。

    *    *    *

人間と動物の比較についての話は、一番最初は№27の私の発言から始まっているように思います。

(№27から再掲)

人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。

ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
しかし人間にはそれができないので、長い歴史を経て、思考し、経験を重ねながらルールを作りあげてきました。

(再掲終わり)

そもそもこの考えは、そこまでおかしくはないと思うのですが。
ただ、論じ方が粗雑だったとは自分でも思います。ああいうふうに突っ込まれるとは予想していなかったので、軽い気持ちで書いたのですが。

何が粗雑かと言うと、「本能」という言葉を安易に使いすぎているんですね。

世間には「それは動物の本能だ」みたいな言い方を深く考えもしないで口にする人が多いようには感じます。
しかし、その後のやりとりで、私が「本能」という言葉をそんなに単純な意味で使ったわけではないことは、ご理解いただけたでしょうか?

そこは一応クリアしたとして。

ならば、上記№27の文章は、ミツバチの生態と人間の思考による社会形成には連続性がないと言っていることもおわかりになるのではないかと。

この後提出された大野さんのご意見には、人間の思考による行動も実は根底では本能に根ざしているのではないか、という主旨の指摘もありました。
それも分かるのですが、ここでそれを言い出すと、方向性の違う論旨が交錯してしまい、議論が混乱する元になります。

そのことを指して、

(№31から再掲)

これじゃあ、右をさらに右から見たら左、左をさらに左から見たら右と言っているだけじゃないかと思いますが。

(再掲終わり)

と指摘しました。

    *    *    *

でだ。

そもそも最初の時点で、人間と動物を比較することによって私が何を言いたかったのかというと。

要するに人間という生物は、ちょっとバグってるんじゃないの? ということです。

で、なんでバグったのかと考えると。

一つ思い当たるのは、人間でも動物でも、ある機能に障害を持ったとき、それを補うために別の器官が異常に発達するという現象がみられることです。

ここで、粗雑ながら「本能」という言葉を使っちゃいますね。私がこの言葉をそんなに安易に使っているわけではないということは理解していただけたと思うので、文章をいたずらに煩雑にしないためです。

簡単にまとめると、以下のような流れを考えています。

1)人間にも本能はあるでしょうか、何らかの理由でそれに障害、または欠陥が生じている。

2)そこで、その代償として脳という器官が異常発達した。

3)人間は異常に発達した脳の機能を使って、環境に対応している。

4)しかしそれはあくまで代替機能であるため、生物の本来のあり方である本能による環境対応と比べて、不完全でバランスが悪い。

こんなようなことなんじゃないかと考えています。
バグと言ったのは発端である本能の障害のことよりも、異常発達した脳の思考の複雑性がさらなる不具合を発生させているんじゃないかということね。

これはあくまで仮説であって、証明はできません。

しかし、上記の文脈において、少なくとも人間と動物のあり方を比較して論ずる論法そのものは、間違っているとは思えないんです。

その点、いかがでしょうか?

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信 (No: 49)

スレ主 大野知人 : 0 No: 48の返信

投稿日時:

 そうですね、単純化するために、今までの物を含めて総括的に下の質問に答えさせていただきます。

>ただ、上のように言われた場合、「どこが、なぜ良くないのですか?」と質問する権利くらいはあるのではないでしょうか?

前提とする知識・思考
①動物、人間共に、それぞれ独自に複雑な思考を持っており
②かつ社会的・個体的に見た「総体」の在り方が違う知性を持っていて
③部分ごとに抜き出して比較にくく
④あるいは比較しえたとしても、どちらか一方に偏りがちである物を
⑤しかも特に連続性のある知性を互いに共有している訳ではないにもかかわらず。

考えている事。
①比較しようとしているのがおかしいと思う。

 と、いう事です。
 ここまで『前提とする知識・思考』の部分のすり合わせを二日ほどかけてやってきたと思います。
 全てについて説明する余裕が無かったので、また失礼ながらあまくささんがどの程度まで考えていらっしゃるか/どの程度まで俺と同じ前提を共有しているのかわからなかったので、早い段階では『その例え話は間違っていると思う』という言い方をしました。安直に、結論だけ言うべく。

 本能に関する議論に関しては、恐らく、お互いに『相手が広義な、或いは浅い意味での「本能」と言う言葉を使っているのだろう』と思ってお互いに掘り下げ、却って事態をややこしくしてしまったものと思います。
 すみません。

 ただ一方で、
>それも分かるのですが、ここでそれを言い出すと、方向性の違う論旨が交錯してしまい、議論が混乱する元になります。
 ①何度も書いているように、これは余談であり、方向性の違う議論です。No29からこっちは概ね全部。
 ②それでも、俺は方向性の違う議論になってでも『そのやり方はおかしいと思う』と言いたかったのです。

 人間がバグってる、とのことですが。
 個人的には順番が違うんじゃないかなぁ、と思います。

 俺はどちらかと言うと、『脳の発達に肉体の進化が追い付いていない』状態である、と考えています。
 状態としては『設計通りの暴走』とでも言うべきでしょうか。脳を中心に神経系の発達が早すぎたんですよ、結局。だから不足したのはむしろ『肉体』の側で。
 その後に、↓コレが来て
>ある機能に障害を持ったとき、それを補うために別の器官が異常に発達するという現象がみられることです。
 『脳の発達に肉体が追い付かない』ため、人間は『道具』や『衣服』の形で、外側に肉体機能を求めたのです。

 進化論における自然選択は御存じですね。
 基本的に生き物は『こう進化しよう』と思って進化するわけではなく、『偶々そう進化した』ものが生き残って来ただけなのです。
 『人間の進化』に『人間の生態が適応する』ことはあっても、『人間が自然に適応して進化』することは厳密には正しくない。(まあ、慣用的には後者の表現でも良いんですが)

 上に書いた通り、人間と動物の在り方を比較して論ずる方法は、『比較するにはお互いに複雑すぎて、比較しようとすれば極端な情報の抜出が必要になる』ため、やり方として間違っている。と思います。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信 (No: 50)

投稿者 読むせん : 1 No: 49の返信

投稿日時:

ちょい割り込みスイマセン。お二人とも、ほかの相談者さんとかの相談を埋めない程度に&疲れない程度にね?
ーーーーーーーーーーーー
あと個人的にクソワロタんですが、大野さんは「聞きたい」が「議論」になっとる。

読むせんとかは「聞く」は「お食い初め」みたいなもの、と捉えています。

 チビに初めての味を与えてみて「こんな味も、この正解にあるねんで」という新感覚を知ってもらうようなもの。

読むせんが「聞く」系の質問を建てるときは、いちおう「分かんないなりに、頂いた回答を口に含んでみて、どうにも合わないならペッさせてもらい、食べてみたいのに消化できなければ消化できない事を抱えて生きてみる」ノリで挑んでます。

「理解できない・共感できない」を抱えるのも、やっぱ読書の醍醐味だとおもうんだわ。

ーーーーーーーーーーーーー
お二人のレスポンス見ていると、

あまくささん→自分の回答を大野さんに「たべもの」と認識してもらうべく、味付けや食感、色どりに工夫するママ
大野さん→あまくささんの回答を「たべもの」と認識しておらず、元気にオモチャにする幼児

な、ほのぼの壮絶「ごはんのじかん」みたいで、みている分には微笑ましいけど、実情を思うと「あまくささん、マジ育児戦士( ワンオペ・アーミー)・・・・」という変な憐れみが湧いてしまいます(;´∀`)。

食べてもらうのって大変だから。あまり気負わず、気疲れしない程度にねー

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信 (No: 52)

スレ主 大野知人 : 1 No: 50の返信

投稿日時:

 ああ、今年入ってからの質問数がそこまで多くなかったので、まあ大丈夫かなぁと思ってたんで続けてたんですが、確かにキリ付けた方が良いかもですねぇ。気を付けます。

 うーん、そうですね。
 俺としては、相手が説明してくれるんだったらどこまでも聞きたい派かなぁ。

 別に『オモチャ』にはしてないっすよ。
 まあ、楽しんでるのは事実ですが。

読むせんさんへ (No: 53)

投稿者 あまくさ : 0 No: 50の返信

投稿日時:

読むせんさんへ。

ご迷惑をおかけしていたらすみません。

>お二人とも、ほかの相談者さんとかの相談を埋めない程度に&疲れない程度にね?

そろそろそういう突っ込みが他の方から出る頃かなと思っていました。

ここは旧掲示板のようにツリーが育って画面を埋めてしまう仕様ではないし、一時トップページの3スレのうちの一つが固定してしまう程度なので、まあ多少議論させていただいてもいいかなと思ったのですが。

しかし苦々しく思っている方が多そうだと判断したら、打ち切りにします。

すみません、もうちょっとだけやるかもですが(汗

   *   *   *

とまれ、よいタイミングで一声かけていただいて、ありがとうございます。

人気回答!読むせんさんへの返信 (No: 54)

投稿者 読むせん : 3 No: 53の返信

投稿日時:

お二人の話は、あまくささん側が「分かってくれない大野さん」を面倒くさくなって「嫌い」になってしまい、
「嫌いな相手」に自身の心情を伝える事を止めてしまえば【強制終了】させる事ができる、とは思います。

嫌ってしまう方が簡単だし面倒くさくないですから。

面倒であろうと、それを続けようと思わせるのは大野さんへの好感度とかが大きいと思います。だいたいの「面倒くさい事」は大切だから面倒くさいんですよね。どうでも良ければ面倒ではない。

なんとなくですが、あまりに疲れると、楽になりたさで「相手を嫌いになる」事があるじゃないですか?
人では無く「執筆活動」とか、頑張りすぎて、こう?執筆自体が嫌いになる的な?

あー・・・・・お互い、嫌気がさして、相手ごと嫌いにならない程度にねー?( ゚Д゚)ノシ

読むせんさんへの返信の返信 (No: 56)

スレ主 大野知人 : 0 No: 54の返信

投稿日時:

 気を付けます。
 嫌わないように、嫌われないように。
 
 あまくささん、このスレですが、これ以降に3つ以上質問が来たら強制終了、と言う形にしても良いですか?
 個人的にはかなり有意義な議論をしている気がするので、またいつかお話したいのですが、あまくささん側も疲れるでしょうし、期限決めませう。

読むせんさんへの返信の返信の返信 (No: 58)

投稿者 読むせん : 1 No: 56の返信

投稿日時:

いちおう!!いちおう!!(;´∀`)
読むせんの「嫌い」の方向がそれってだけで、全員の「嫌い」がそうなわけでは無いとは思うので!!そこ個体差で!!

私的には「憎しみ」と定義しているんですが①ストーキングとか、②執拗な嫌がらせとか、③嫌っている相手のスレを荒らさずにはいられなくなるような、執着方面の行動とかを『嫌い』と認識していたりするひともいるかもですし、そこはいろいろ。

「そんな事では嫌いになりませんよ!」って人も多々いるとは思いますから!!!(;´∀`)押し付けがましくてゴメンね!!

読むせんさんへの返信の返信の返信の返信 (No: 59)

スレ主 大野知人 : 0 No: 58の返信

投稿日時:

 いや、良いですよ。
 むしろ、ある意味『嫌い』という事の情報を集めるための個体差調査もあるんで、そういう意味でも突っ込んでもらえて助かりました。

読むせんさんへの返信の返信 (No: 60)

投稿者 あまくさ : 2 No: 54の返信

投稿日時:

そうなんだよね(笑

この議論は「どういう人が嫌いですか?」という本来の主旨から逸脱しまくっているように見えて、実はそういう嫌い爆弾がいつ発動するかというクライシスモメントを密かにはらんでおり、それゆえ嫌いの実証実験にも十分なり得るのです。

……というのは冗談ですが、まあ、ほどほどにやります。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信 (No: 51)

投稿者 あまくさ : 0 No: 49の返信

投稿日時:

まだ、かなり考え方が違うようですが、前提からして食い違っているという状態はだいぶ解消されたと思うので、ここからやっとまともな議論ができるかもしれません。

>前提とする知識・思考
>①動物、人間共に、それぞれ独自に複雑な思考を持っており
>②かつ社会的・個体的に見た「総体」の在り方が違う知性を持っていて
>③部分ごとに抜き出して比較にくく
>④あるいは比較しえたとしても、どちらか一方に偏りがちである物を
>⑤しかも特に連続性のある知性を互いに共有している訳ではないにもかかわらず。

①個人的な見解としては、多くの動物は「複雑な思考」は持っていないと考えています。

 ただし、人間の脳による思考に相当する、同等、または同等以上に複雑な何かを持っているのかもしれないとは思います。

 それを「思考」と呼ぶのは適当ではないのではないかと考えます。

②「知性」についても同様。

③それは一概に言えないでしょう。比較できる部分もあると思います。

④どちらか一方に偏りがちになる理由を教えてください。私は別にそんなことはないと思いますが。

 どのような事象であれ、他のものと比較して参考にするのは有効であることが多く、性急に結論を出そうとせず、参考にした上でそこからさらに検討を先に進めればよいだけかと。

⑤連続性のないものは比較できないと考えるのは、

 比較して優劣を判定しようとしてるからではないでしょうか?

 ある事象の特徴を抽出するために、それと異なる特徴をもつものと対比してみるのは有効だと思います。

①~⑤については、このように考えています。
よって、ここまでご説明を拝聴しても、

>比較しようとしているのがおかしいと思う。

その理由が、やはり私にはわからないのです。

いろいろ言葉を費やしておられますが、私の見るところ、結局、動物と人間は連続性がないということを言い換えているだけのように思えます。

よって、連続性のないものは比較できない理由を教えてください。

   ↑

まあ、私の考えをちょっとだけ、すでに書いたわけですが。

1)優劣をつけるための比較しか考えていないから、比較できないと思い込んでいるだけではないのか?

2)特徴を抽出するための比較は、やや極論すれば、インスピレーションを得るためにやることです。ですから、必ずしも論理的でなくてもかまわないのだと考えます。

   *   *   *

人間がバグってしまった原因として、欠陥を補ったのではないかと書いたのは仮説です。そこは、一つの可能性として提示しただけで、原因は他にあるのかもしれません。

ただ、人間の脳が他の動物と比べてやや異常と思えるほど奇妙な発達をしてしまっていることは、ほぼ間違いないと考えています。
19世紀くらいまでは、それは人間が「万物の霊長」であることの証であり、誇るべきことであるという考えが主流だったんですね。

しかし現代では、人間の脳の発達は実はそんなに良いことではないのではないか? という着想に基づく論考もなされるようになりました。
そのための思考実験の土台として、大野さんが先にいくつかあげられた「動物は実はきわめて高度な環境対応をしている」という観察は有意なのではないかと思いますが?

要するに、

(№44から)
>ですが、集団単位での彼らの行動能力、作業能力、そしてそれらの際の伝達能力の中には、決して人類では敵わない面も多いでしょう。そしてそれは判断の早さとか、複数の物を同時に考える能力だとか、すごく早い伝達能力だとかも含まれるわけですが……。人間に出来ますか?

大野さんだって、思いっきり人間と動物を比較してるじゃないですか?

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信 (No: 55)

スレ主 大野知人 : 0 No: 51の返信

投稿日時:

 ①②③についてのあまくささんの理解は分かりました。
 この、『理解』と言うのは『どうとらえるか』の話なので、『俺はこう思ってるけど、あまくささんには別の捉え方があるのね』という事で以降行きます。

 ④についてですが、これは①②の解釈に置いてあまくささんの仰っているように、動物にあっては『思考』『知性』と呼ぶべきものが存在しない、或いはあったとしても人間とは非常に異なる形で存在しているためです。
 あまくささんが事実そうしたように、人間の知性と動物の知性(或いはそれに相当するモノ)を比較する場合、当然ですがどちらか片側を基準に持ってこざるを得ないといけません。
 ですが、そうしてしまった場合に『基準』にならなかった側は比較するためにある程度形を変形させ、或いは情報を抜き出して比較せざるを得ず、それが結果として『情報が偏る』という事です。

 これについては
>人間の特徴の一つに社会を作るということがあります。
 ミツバチやアリも社会を作る生き物ですが、やつらはたぶん思考も学習もしないで本能だけで社会が作れるのだと思います。
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』
 これはYES。
 
 と、仰られていますが、これを指して言っています。
 既に何度も述べてきたように、人間以外の動物が作る社会・群れの構造は、人間とは全く異なったものです。それは、伝達・各個体の思考の形にあってもそうだし、『社会・群れ』そのものが生存面で持っている役割自体も、厳密には違います。
 これを人間側をベースに比較することは、『偏って』いないと思いますか?


>連続性のないものは比較できないと考えるのは、比較して優劣を判定しようとしてるからではないでしょうか?
 
 とのことですが、
単純<   >複雑
 で分けるという事自体が、優劣をつけていることが分からないあまくささんではないですよね?
 いえ、もちろん厳密な定義の『優劣』ではないでしょう。
 ですが、比較によって『どっちの方が、より○○である』と言うのであれば、どんな比較方式であれ、連続性が無ければ成り立ちませんよ。

 絵に描いた餅と現実の自動車の大きさを比較する時、大体の人は『餅が描かれた紙のサイズ』か『車をそのまま絵にするとしたら、どのようなサイズになるか』を参照して大きさを比較するでしょう。
 紙と言う立体を比較基準にする事で『立体』と言う連続性を持たせるか、『車を絵に描くなら』と言う発想を基に『平面』と言う連続性を持たせるかのどちらかのはずです。

 ですが俺が言いたいのは、人間社会とハチやアリなどの社会を比較するにあたって、どちらにも平等な連続性を持たせるのは不可能であるし、どちらかに合わせようとすると零れ落ちる情報が発生するために、偏るであろうという話ですよ。

 逆に聞きたい。数値的な物以外を含めたとしても、連続性のないもの、或いは『より○○しい』と形容できない物をどう比較するのか。
 少なくとも『より○○しい』と表現できるものには。

あまり○○しくない<    >より○○しい

 という疑似的な連続性が用意できるはずです。
 違いますか?
 
1)優劣をつけるための比較しか考えていないから、比較できないと思い込んでいるだけではないのか?

A.はい、そうです。逆に、比較にあって優劣を付けない事の方が難しいでしょう。
 比較、或いは比べるという事は、辞書曰く
『他と対照し、異なっている部分やその差異の程度などを見定めること、という意味で用いられる表現。基本的には名詞だが「比較する」の形で動詞(サ変動詞)としてもよく用いられる。』
 だそうです。異なっている部分やその差異、と言うのは『Aは○○ではないがBは○○だ』とか、『BはAより○○だ』という事です。
 理屈の上で、『0か1か』なのか『50か100か』の違いはありますが、何らかを比較基準として、連続性のある物として仮定するのが「比較」という行為です。

2)特徴を抽出するための比較は、やや極論すれば、インスピレーションを得るためにやることです。ですから、必ずしも論理的でなくてもかまわないのだと考えます。

 これについては、論理的で無くでも構わないのは事実です。
 その上で、『構わないがしかし、生物オタクとしては論理的に気になる物がある』と言うのが、そもそものNo29です。何度も言った通り、これは余談です。
 ですから、本来の議論にあっては、もちろん『論理的で無くても良い』し『どうでも良い』事です。
 ですが、そこに対して俺が『別にどっちでも良いけど、俺の知ってる理屈から外れるなぁ』と言ったからのこのやりとりな訳で、論理的であることを捨てるのであれば、余談を続ける事には意味がありません。

 人間の脳の異常発達については、俺のも一つの論に過ぎないです。
 奇妙な発達をしていることは、間違いないでしょう。
 思考実験の土台として「動物は実はきわめて高度な環境対応をしている」という観察は、きわめて意味があるのも事実です。
 そして、人間の異常な発達について考えるためには、『動物の環境適応や生活・生態』と『人間の環境適応や生活・生態』とを最終的に比較する必要があることも分かります。

 ですが、
 ①比較するにしては情報が人間側に寄りすぎているように見える
 ②比較するのであれば、他にもっと採用されるべき情報があると思うので、現状では不十分だ
 ③よって、あまくささんの書いたこの思考実験は、その結果をベースにして議論を進めるには、些か足りないように思う

 と言う話です。
 推定の上での人間の異常発達については異議はありません。
 ただしそれは観察の結果であり、『推定するに至る過程』としてはあまくささんの上げた例は間違っている/不十分であると思うという事です。
 有意義ではあるでしょうが、意義をなす形まで論理を詰め切れていないのであれば、それは『なんとなくそう思う』のと大差ありません。

 No44における人間と動物の比較は、『あまくささんのはなしに則るなら』という事をやったまでです。
 つまり、動物の社会側に寄せた標準での人間と動物の比較をすることが出来るし、それをした結果としての動物の能力や知性(らしきもの)の事を考えるのであれば、あまくささんの比較は『偏っている』という話ですよ。
 当然ですが、意図的に動物側に偏らせた比較ですし、『俺からはこう見えているよ』と言う表現をするためにあえて比較した訳です。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 61)

投稿者 あまくさ : 0 No: 55の返信

投稿日時:

やはり比較と優劣の絡み方に、ポイントの一つがありそうですね。

私から見ると、最初からずっと大野さんの方が「優劣」に引き寄せて考えすぎているように見えてしまうんです。
こちらからは「優劣ではない」と何度も言って、そちらからは「それはもうわかった」と何度も言われましたけどね。
わかったように見えないんです。

>単純<   >複雑
> で分けるという事自体が、優劣をつけていることが分からないあまくささんではないですよね?

いや、わかりません。
単純と複雑がどうして優劣なのでしょうか?
では、大野さんのお考えでは単純と複雑のどちらが優で、どちらが劣なのですか?

ゲームのルールが、プレイヤーの戦略が複雑である方が効率が悪くなるように設定されていれば、「単純」の方が優ということになりますよね?
そして、戦略が複雑か単純かによってゲーム性があまり左右されない設定であれば、単純・複雑は優劣とは無関係ということになります。

>ですが、比較によって『どっちの方が、より○○である』と言うのであれば、どんな比較方式であれ、連続性が無ければ成り立ちませんよ。

それは、

・連続性のないことは比較できない。

ではなく、

・連続性のないことには優劣はつけられない。

と言っているに過ぎません。

比較は普通にできると思いますよ。

>絵に描いた餅と現実の自動車の大きさを比較する時、大体の人は『餅が描かれた紙のサイズ』か『車をそのまま絵にするとしたら、どのようなサイズになるか』を参照して大きさを比較するでしょう。

餅と自動車のどっちがカッコイイ? という比較もあるじゃないですか(笑
また何らかの理由で大きさを比較する必要があるなら、絵に描いた餅にスケールをつければよいだけのことです。造作もありません。

そして!

餅よりも自動車の方が大きいという結果が出たとして、自動車は餅よりも優だと考える人がいますか?
いないでしょう?

しかし、餅と自動車の大きさを比較すること自体はできるじゃないですか?

それができないと思うのは、比較した結果を何らかの「判定」に結びつけなければならないと思い込んでいるからではないでしょうか?

しかし、比較というのは、そんなことだけではありません。

比べてみれば、「自動車の方が大きいね」「餅は白いけど、この自動車は赤いね」「だけど、白い自動車だってあるんだから、赤いことは別に自動車一般の特徴とは言えないよね」「でも、僕は赤い方が綺麗だから好きだな」
とか、いろいろあるじゃない。

そんな比較はできても意味がないと仰るかもしれませんが、

1)比較する前に意味があるかどうか決めてしまうのはどうか?

2)実際問題として餅と自動車はかけ離れすぎているとは思うけど、アリと人間については、これまでの論点としては「社会を作る機能」という共通のアングルはあるわけです。
その部分で、現実的に考えても十分有意な比較は可能だと思います。

でですね。そういう比較検討をする場合に、人間基準に偏った思考はできるだけ排除した方がよいのは当然です。
ただし、偏りがちだから比較はできないということではなく、偏り(先入観)が少ない方がより有意義な考察を引き出しやすいと期待できるからです。
ですから偏りはゼロにしなければならないということではなく、なるべく偏らないようにしようと心がけるだけでもかなり有効だと考えられます。

   *    *    *

それと。

私は別に論理性を放棄はしていないつもりですよ。

ただ私は「論理性」よりも「合理性」を上位に置いて考えています。

ある課題に取り組むときに、論理性を捨てた方が解決しやすい(直感を重視するとか。あるいは数量を把握するために計算式を立てるよりも、単純に1、2、3……と数えた方がよほど早いというようなケースもあります)と判断できる場合に躊躇なく論理を捨てるのは、合理的だと言えます。

   *   *   *

書き込みの回数に制限をつけるのはOKです。

まあ、3回とか限るのも窮屈で面倒くさいので、概ねそのくらいで終わらせるように意識します。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 62)

スレ主 大野知人 : 0 No: 61の返信

投稿日時:

>単純と複雑がどうして優劣なのでしょうか?
では、大野さんのお考えでは単純と複雑のどちらが優で、どちらが劣なのですか?
 
 に関しては

> いえ、もちろん厳密な定義の『優劣』ではないでしょう。
 ですが、比較によって『どっちの方が、より○○である』と言うのであれば、どんな比較方式であれ、連続性が無ければ成り立ちませんよ。

 と書きました。
 勿論『厳密な意味での優劣』ではなく、上下、でも大小、でもいいので『幅のある物』と言う意味です。

 カッコいい、という比較だってそうですよ。
 比較の基準は各々が定めればいい事ですが、

カッコいい<   >カッコよくない

 の連続性があって、その中に車と絵に描いた餅を当て嵌めた時、『カッコいい』により近い方がカッコいいのです。
 絵に描いた餅にスケールを付けるのは構いません。『長さ』という標準は、どちらかに寄せずに比較を行うために人類が生み出した知恵です。
 でも、『社会の複雑さ』を表す基準値はまだ存在しないでしょう。

 判定が出ない比較に意味なんてありませんよ。
 例え『AはBより尖っている』でも、判定は判定です。
 いえ、厳密には『判定が出来ない』という結論を出す事には意味が有ります。
 ですが、少なくとも今回あまくささんが立てた比較にあっては『判定が出来ない』という結論をあまくささんは出してないですよね。

>比べてみれば、「自動車の方が大きいね」「餅は白いけど、この自動車は赤いね」「だけど、白い自動車だってあるんだから、赤いことは別に自動車一般の特徴とは言えないよね」「でも、僕は赤い方が綺麗だから好きだな」
とか、いろいろあるじゃない。
 
 あまくささんが挙げたものは全部『判別』ですよ。言い換えれば、
 『自動車の方が持ちより大きい』『車は餅よりも赤い(餅はそもそも白いけれども)』『餅は車より赤い(車はそもそも赤いけれども)』『僕は白い物より赤い物が好きだ』
 です。
 もう少し言うなら、『他の車と比較すると、赤くない車も数多く存在する』よって『赤い事は車全体の特徴ではない』と言うのは判別から発展した結果に過ぎない。

 この比較には、意味が有ります。

 一方で、俺がずっと言っている事ではあるのですが、『アリの社会』と『人間の社会』では在り方が隔絶しすぎていて、そもそも『社会を作っている』という事は共通点になりえない、と言う話です。
 勿論、『在り方が隔絶している』と言う比較はできます。
アリっぽい社会<   >人間っぽい社会
 とすればね。

 一方で、あまくささんが挙げられていたような『複雑さ』などの観点においては比較しえないと思う訳です。
 車と餅の話で言えば、確かに『大きさ』と言う評価基準では統一できますが、車に対して『美味しいかどうか』と言う評価基準をするのは不適当ですし、餅に対して摂取カロリーを標準に『燃費』を語れば車における『燃費』とは意味合いが変わってしまいます。
 まあ、『ゴジラ』とかそういう、車を食べそうな生き物を出してもらっても良いですが、そこまで行ったらファンタジーです。

 俺は、『社会の複雑さ』と言う定規を当て嵌めるには、『人間の社会』と『アリの社会』を均等に比較しうるのは難しいと思います。
 また、『なるべく偏らない様にしよう』と言うのは個人差が出てくるので、有効性が無いと思います。まあ、これも『個人的には』の話なのですが。

 あまくささんが論理性を放棄していないのは分かっています。
 ただし、この議論自体は『論理的におかしくね』から始まる訳なので、『別に論理的じゃなくても、合理的であればいいと思うよ』と言ってしまったら『そもそも、論理的じゃない場合の話はしてないねん』となってしまうし、

 俺は根本的に『面倒くさいツッコミだけど』と言っている通り、『そのやり方が合理的である』事も『合理的に物事を進める』事にも文句は言っていないですよ。
 ただし、この余談にあっては『論理的である』事に意味があるんです。
 だからここまで丁寧にお互いの認識をすり合わせて来たんじゃないんですか?

 あーと、書き込みの件は『書き込む件数の制限』じゃあなくってですね。
 『他の質問者さんが、三件新しい質問のスレ版を立てたら』です。
 あくまで、問題なのは他の質問者さんへの迷惑ですからね。他に質問が無いのであれば、根本的に俺らが遠慮する理由もないでしょう。
 そっちの方が、合理的じゃないですか?

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 63)

投稿者 あまくさ : 0 No: 62の返信

投稿日時:

まず、こちらは社会の複雑さという話はしていません。

人間の脳が複雑で、その複雑な脳で社会を作っているが、その複雑さが少しバグっているのであまりうまく行っていない。そういう話をしています。

じゃあ、うまく行っていない人間の社会をどうすればいいか、と。
それについては社会学・経済学、または政治の方からアプローチするのが本道でしょうが、それで国内を多少改善できたとしても、世界には民族間・宗教間の深刻な対立なども存在します。

集団と集団の対立がなぜ起こるかを分析するに当たり、動物行動学は参考になるんじゃないかと考える潮流が20世紀の後半くらいに勃興したんじゃないかと。
私はそういう思想の影響を若い頃からけっこう受けているので、人間と動物を比較するのは良くないことだという見解が、本当にガチでわからないんです。

動物について研究することは、人間社会について考察する上でかなり参考になると思います。
それは、人間も動物の一種だと考えることでもあるんですね。

このスレではここまで、人間と動物にはある局面で連続性がないという共通理解にこぎ着けるのに苦労したので、卓袱台返しと受け取られかねないことを言い出すのを躊躇ったのですが、人間と動物はある局面では連続性がほとんどないにしても、別の局面では連続性があると思いますよ。

それは、人間も動物の一種だという連続性です。

そして、同じ動物という連続性を持ちながら、ある局面では連続性がほぼ無いと言っていいほど異なる振る舞いをしているのはいったいなぜなのか?

それを考えたとき、やはり人間と動物を比較して検討してみる他にないと思うんですよ。

それによって見えてくることはあると、私は思います。

それがどうしてよくないことなのかなあ?

と思ってしまい、かなり当惑しています。

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。

じゃあ、一つ一つ片付けて行きましょうの返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 64)

スレ主 大野知人 : 0 No: 63の返信

投稿日時:

 社会の複雑さの件については、こちらの誤解でした。
 すみません。
 『人間の脳の複雑さ』と『人間の社会』の話でごっちゃになっていたかもしれません。

 ただ、人間が動物の一種だからと言って動物との比較検証をする、と言うのはむしろ飛躍だと思います。
 多分、俺が居るのはあまくささんとは別の派閥なんだと思うんですが、あまくささんも認めていらっしゃる通り、『人間が異常に発達しているからこそ』人間を他の動物と比較して論じるのは、特に『社会』の面にあっては無意味、或いは限りなく意味が薄いと思います。

 ですが、今の時代にある群れ――社会の形を論ずるのであれば、それは人間が経てきた文化的活動や災害対策、他の動物にみられない大規模な同族同士の争いなどによる影響を抜きには語れないでしょう。

 むしろ例え話であるならばともかく、一つの論として語るのであれば、重箱の隅を楊枝でほじくっているように見える、とすら言いたいです。

 なぜなら、人類社会について語るべき要素は、他にもっと(自然への適応問題で言っても、災害や環境異変に関して、同じ人間の別部族同士を比較する)あると思うからです。
 人類の特殊性は、人類の中にこそある。それは、物理的な内面の話ではなくて、『似た様な環境下における別部族の対応の違い』とか『同じ部族における、年代ごとの首長の決め方』みたいな、まずは人類内部の比較をしてからにすべきだと思う。
 
>このスレではここまで、人間と動物にはある局面で連続性がないという共通理解にこぎ着けるのに苦労したので、卓袱台返しと受け取られかねないことを言い出すのを躊躇ったのですが、人間と動物はある局面では連続性がほとんどないにしても、別の局面では連続性があると思いますよ。

 これについては、俺もちゃぶ台をひっくり返すような事を言うんですが。
 あと、多分ここが誤解の発端の一か所だと思うんです。
『同じ動物と言う連続性』とは何ですか?
 それは『同じ動物と言う共通性』とは違うものですか?

 今まで俺は、『連続性』と言う言葉を『共通の特徴を持ち(これを『○○と言う連続性』と呼ぶ/或いは持っていなければ0として扱う)、疑似的に数値化して、順番に並べることが出来る性質』と思って使ってきましたが、もしかして、あまくささんにとっては意味が違いましたか?
 何か話が通じない部分があるなとは思っていましたが、そこだったかもしれません。

 以下、大野にとっての『連続性』
連続性だと思う例:
 バクテリア→植物→無脊椎動物→脊椎動物→哺乳類→猿→ヒト
 まあ、雑にまとめましたが、『進化』と言う連続性を持っています。

 ゴジラ→車→餅
 これも、『大きさ』と言う連続性を持っています。

違うと思う例:動物と言う連続性
 人、イヌ、蜘蛛、蛇、シャケ、ペンギン、ミジンコ
 これは、順番が付けられないので『グループ』であるし、『共通性』を持っていますが、『連続』してはいません。

 進化した順だとか、大きさの順に並べれば連続性のある並びに出来ますが、特に順番を付けなければ、それは『連続性』ではないと思って今までやりとりをしていました。

 また、例え0と1しか出てこなくても、並びとしては連続性のある物として考えています。
例:
 自動車、扇風機、網戸 → リンゴ、手漕ぎボート、そり

 これは、滑車を持つか、持たないかを1と0に区分した『連続性』です。
 俺が今まで『人間に偏った基準を設ければ連続性を持たせることが出来る』と言って来たのは、そういう意味合いの、つまり『人間以外の動物から、無理矢理要素だけを抜き取って比較すれば、比較できる』と言う意味だったのですが、違うように受け取られていたのでしょうか。

 その上で、俺はやはり人間と動物を比較することは良くないと思います。
 理由としては今までに述べて来たとおり、主に社会活動について比較するのであれば、人間と他の動物ではh威嚇するために必要な『連続性』を設けることが出来る要素が少なく、無理矢理に『連続性』を見出そうとすれば、動物側の形態を無視して情報を抜き出す結果になりかねないからです。

 例えば、No29における狼の戦いについて、俺は『そもそも狼は身内同士で決闘のような物を行い、群れ内部での立場などを決める習性がある』と反論しました。これは、その時のあまくささんが『人間だったら、一旦降伏しておいて、後で復讐するという行動を取り得ます。そして相手もそれが予想できるから、完全に息の根を止めるまで徹底的に攻撃するという行動を取ってしまうことが少なくありません。』と書いていらっしゃった。
 人間でも狼でも、戦いには種類があり『群れ内部での決闘』『逼迫状態で、お互いの肉を食料とみなしての戦闘』『プロレスや大相撲などのスポーツ』『戦争状態における敵兵同士の銃撃戦』では、状態が違います。
 それらを混同して比較してしまっては、正しい推論・結論・仮説などは当然生まれません。

 しかし、まず第一に俺は『あまくささんはいくつかの情報を混同していないか』とおもって反論しました。これは、後の認識のすり合わせで概ね混同はないであろうことが分かりました。

 第二に、現状の動物行動学では、混同を避けようにも限界があり、しかもその限界が早く来すぎるだろう、と俺は考えています。これは俺の考えなので、あまくささんがそう思わないなら、別にどちらでもいい。

 第三に、そもそも『人間同士の比較』『人間の社会同士での比較』が先にあるべきであって、『人間とその他動物の比較』を行うのはその後であるべきだ、と考えています。これは『人間の社会の話』ではなく、『人間がその他の動物となぜこうも異なるのか』を考える上で、です。

 第四に、もし『人間と動物の比較』を行うのであれば、ある程度の共通性を持たせるべきであると考えます。人間同士の比較の段階で『アメリカの現代社会』と『日本の現代社会』及び、『アメリカ人(の中の白人)の体質』と『日本人の体質』の情報にそこそこ大きめの『差』がある以上、当然ですが『アメリカに住んでいる○○』と言う動物と『日本人』を比較するより、『日本に住んでいる○○』と『日本人』を比較すべきでしょう。

 そして、脳や行動という物は、生息域や外敵、その地域の食物ピラミッドの影響を受けやすいからこそ、『人間全般』とか『ハチ全般』と言う比較は無理だと思います。
 勿論、『日本人』と『ニホンノウサギ(『日本の兎』ではないですよ、念の為)』とかまで絞り込んでも構いませんが、それだって住んでいる時代の違いや外敵が存在するかどうかの違いに影響を受けます。

 それら全て、つまり『人間に与えられたであろう、進化への影響』と『比較対象とする動物に与えられたであろう、進化への影響』をそれぞれじっくりゆっくり紐解いていかなければ、その比較における答えは出ない。

 答えが出るのに時間が掛かることを悪い事だとは言いません。ですが、ナンセンスだ。

 日本人は西洋人に比べてアルコールや牛乳に弱い、何故なら西洋人は衛生的に生水を飲めない時代が長く、その代替物として牛乳やアルコールを摂取していたからだ。
 と言う仮説は今適当に立てたものですが、少なくとも『近い食性をしていて』『概ね似た構造の肉体を持ち』『基本的に天敵(自分を捕食する者)がいない』などの共通点があり、それにより、比較も、仮定も、論証も、反論も、とてもやりやすい。

 一方で、人間と他の動物を比較するとなれば、まずもって構造の違いから問題が発生します。『なぜこういう体をしているのか』『なぜこういう行動をしているのか』『どういう天敵がいて、逆に何にとっての天敵になっているのか』などは、互いに作用しあう問題です。
 そう言ったものが相互に干渉しながら進化してきた訳ですから、当然ですね。
 それらをちゃんと整理せずに思考実験をし、仮説や議論をすれば、トンチキな結果が出る可能性はかなり高い。
 一方で、ちゃんと整理しようと思えば、まず資料不足の壁にブチ当たり、しかる後に検証時に関わって来る諸問題の数はスパコンでも使わなきゃ整理できなくなります。

 論理的にも、合理的にも、『恐らく正しいと信じるに値する』結論が出るのに、時間が掛かりすぎるのです。
 しかも実際には、人間の各社会における差の問題が有りますから、人間の社会を語る場にあっては、更に各人種とのデータ比較や、或いは各地域ごとの生態差も生まれます。
 当然、『人間は住んでいるけど、比較対象の動物Aは住んでいない地域』などが出てきますが、それについても検証時に補正を入れる必要が出てきます。

 まあ、あまくささんがやろうとしていたのは『思考実験』とのことですので、後者で発生する面倒なデータ処理は一切必要ありませんが。
 代わりに、思考実験をするだけでも、今あげた分だけのデータが『誤差』として発生します。

 そんな不確定な手段を、今の時代に(もっと未来なら別かもしれません)やろうというのが良くないと言っているんです。
 やることに意義はあるかも知れません。
 素晴らしい成果が出る可能性もかなり高いです。
 が、それは理想論に過ぎないんですよ。
 
 ですから、達成を前提とするならば確かに合理的でしょう。
 ですが、達成困難な物の達成を前提とするのは、論理的とは言い難い。

 何を、どう比較したらそんなに少ない誤差で済むのか、俺には見当がつかないので、『良くない』と申し上げました。
 
 方法があるのなら、ぜひ聞きたいです。

お考えは理解しました (No: 65)

投稿者 あまくさ : 0 No: 64の返信

投稿日時:

なるほど。
大野さんのお考えについては、はじめて理解しました。

1)人間社会について考察するためには、まず人間社会を対象にしてアプローチするべきだ。

2)状況が違いすぎるものを比較検討しても、有意な結果が得られるとは思えない。

ということですね?

1については同意ではあります。だから、

(№63、再掲)

>それについては社会学・経済学、または政治の方からアプローチするのが本道でしょうが、

(再掲、終わり)

と書きました。

2については、今頃になって理解したと言ったら、「ずっとそう言ってたろ?」という感じかもしれませんが。

う~ん。ごもっともなんだけど、何というかね。

「私達って内閣官房参与か何かだっけ?」と言ったら、ずるいでしょうかね?

>ですから、達成を前提とするならば確かに合理的でしょう。
> ですが、達成困難な物の達成を前提とするのは、論理的とは言い難い。

まことにもって正論ではありますが、そこまで仰るのなら、人間社会の事象そのものを真面目に見据える大野さんの取り組みによって、何らかの成果を達成しなければそれも意味が無いということにはなりませんか?

私としては、今はライトノベル作法研究所の掲示板でやりとりしているのだから、ブレインストーミングでいいんじゃないかと思っていたのですが。
理想論と言われちゃ、その通りではあるから恐れ入って黙るしかありませんが、ディベイトにもレベルがあって、できるだけ先入観を取り払って自由な発想に努め、それを次作のヒントにでも取り込めればいいんじゃないかと思うんですけどね。

それでは駄目だと言うなら、ここまで大野さんの真摯な姿勢に気づきもせずに不真面目で飛躍した自説を述べ続けてきた私が浅はかだったとしか言い様がないのですが。

   *   *   *

連続性と共通性。

私はここまで、連続性という言葉を使うとき、「地続き」という意味で述べていました。少し齟齬があったかもしれませんね。

   *   *   *
今更ですが一応このスレの中で、私が「人間がバグっている」ということを考え始めた端緒を書いておきますね。

二つあります。

一つは№1の終わりの方。ご親戚のA君のエピソードです。
もう一つは、読むせんさんの赤レンジャー。
どちらもごく普通にその案件についてだけ考察したり論じたりすることもできたわけですが、発想を飛躍させて話を面白くしようとするのは私の悪いクセなのかもしれません。

お考えは理解しましたの返信 (No: 66)

スレ主 大野知人 : 0 No: 65の返信

投稿日時:

 いえ、2についてはずっと言ってたわけではなく、むしろここ2~3スレで語ってたことですね。
 だって、それ以前の動物に対するアプローチや『比較のやり方』みたいな所で認識のすり合わせしてたじゃないっすか、俺ら。
 自分で再整理してみて、『こういう事も言っておきたかったんだよ』と気付いたので書きました。

>まことにもって正論ではありますが、そこまで仰るのなら、人間社会の事象そのものを真面目に見据える大野さんの取り組みによって、何らかの成果を達成しなければそれも意味が無いということにはなりませんか?

 これに関しては、『俺はそもそもごく個人的な好き嫌いの話を聞いただけであって、そもそも善悪論の話を始めたのはあまくささんだぞ』という責任逃れをしないために、先に書いて置くとして。

 俺は先ほども書きましたが、『結論が出ない/結論を出すために時間が掛かる』事を問題視してはいません。ナンセンスだとは思いますが、それでも議論すべきことは有ります。
 ですが、『目的としている結論を出すために使う手段の中に、仮定・立証・結論を出すのにやたら時間のかかる手段が含まれている』と言う所がナンセンス、というか『よろしゅうない』と思ってます。

>私としては、今はライトノベル作法研究所の掲示板でやりとりしているのだから、ブレインストーミングでいいんじゃないかと思っていたのですが。
 理想論と言われちゃ、その通りではあるから恐れ入って黙るしかありませんが、ディベイトにもレベルがあって、できるだけ先入観を取り払って自由な発想に努め、それを次作のヒントにでも取り込めればいいんじゃないかと思うんですけどね。

 これは全くあまくささんの言う通り。
 ただ単に、『大野がなんとなく気に食わないと思うから掘り下げた』と言うだけなので、まず第一にあまくささんの自由ですし、第二に『大野が作る作品に大野が気に食わない物が出てきてはならない』なんていうルールも無いので、特にあまくささんが嫌でなければ、十中八九今後の作品作りのネタかヒントにはします。
 ここまで細かく話し込みましたからね、データ採取という言い方をすれば相当な量・質のヒントを貰ったと思っています。
 
 連続性の齟齬については了解しました。ちょっと話のつながりが見えないと思っているところが有ったので、確認がとれてよかった。

 人間がバグっている、っていうのはとっても良い表現だと思います。
 発想を飛躍させるのは、むしろ小説家(及び志望)として大事なことですよ。ただ、真面目な理屈の中でどことなく、理想論っぽい物が見え隠れしたので、俺が『それ一個だけなんか場違いじゃない?』と突っ込んでしまっただけで。

 すみません、今晩は早めに寝ます。以降の返信は明日以降にさせて頂きます。

お考えは理解しましたの返信の返信の返信 (No: 68)

スレ主 大野知人 : 2 No: 67の返信

投稿日時:

 ここまで、長々と付き合い有難うございました。
 また、機会が有ったら議論にお付き合いください。

 細かく認識のすり合わせをしながら議論が出来て、とてもためになりました。
 ありがとうございました。

最後に、読み返して気づいたこと (No: 69)

投稿者 あまくさ : 0 No: 68の返信

投稿日時:

やりとりを最初から全部、精読し直してみました。

一つ分かったことがあるので、これで本当に最後にするつもりですがお伝えしておきます。

「比較」という言葉をやや違う意味で使っていたようです。

大野さんは、大きいものと小さいものは比較できるが、大きいものと赤いものは比較のしようが無いと仰っていたんですね?

それに対して私が「比較」と言っていたのは、単に二つ並べて見比べるという意味でした。

持論になってしまいますが、そういう比較にも意味があると思っていまして。

(人間の脳がバグっているかどうかは置くとして)
人間の脳には直列的な論理だけではなく、並列的に一見非論理的とも思える把握ができてしまうという、ちょっと不思議な特徴があります。
この能力は知的生産のための武器になり得ると考えているのですが、他人と議論するにあたっては話がかみ合わない要因になってしまうようなので、注意するべきだったかもしれません。

大野さんの言われていた方が、「比較」という言葉の一般的な共通認識には近いかもしれませんね。
以後、気をつけようと思います。

最後に、読み返して気づいたことの返信 (No: 70)

スレ主 大野知人 : 0 No: 69の返信

投稿日時:

>大野さんは、大きいものと小さいものは比較できるが、大きいものと赤いものは比較のしようが無いと仰っていたんですね?

 はい、そうですね。
 『比較』と言う言葉は
『見比べる』
『どちらがより、○○しいか考える』
 の二つの意味があって、確かに紛らわしいですね。

 俺は『情報を整理する』と言う意味で『どちらがより、○○しいか考える』を使ってましたが、あまくささんは『見比べる』の方で使って居た訳ですね。

 並列で考えた物事をそのまま出力――表現してしまうと、情報がゴッチャになる可能性が高いなと思いまして、それで『一個一個の特徴を比較する』と言う意味で使っていたんですが、確かに『どうやってやるか』の話であるなら、『単純に見比べる』の方の意味が通じやすかったですよね。

 いや、これは俺も融通の利かない考え方をしていた側面がかなりあるように思います。
 『見比べる』と言う意味の方がポピュラーで、自然に出やすい物なのかもしれません。俺も、今後はもう少し気を付けるようにします。

 わざわざのご連絡、ありがとうございます。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 3)

投稿者 半額オソーザイ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

スゲー短い回答で、サンプル採取には適さないかもしれませんが、それでも良ければ……。

ぶっちゃけ「嫌いな人はいません」です。

ああ、もちろん苦手な人はいますよ! でもそれは自分と価値観が合わないってだけで、好きか嫌いかなどと自分の主観で判断するべきじゃないケースばかりなので……

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 6)

スレ主 大野知人 : 0 No: 3の返信

投稿日時:

 うわぁ、善人だなぁ。
 これはすごく冷静なのか、とっても箱入りなのか、純粋に冷めてるのか気になる所ですが……。
 
 理屈は通ってるんで、多分箱入りってわけじゃないか。とか思いつつ。

 これは個人的な感傷かもしれませんが、『主観で好き嫌いを決められない』っていうのは寂しい気がするなぁ。
 勿論、主観的な好き嫌いを持ち込むべきでない場が多いのは事実です。ただ、だからと言って主観的な好き嫌いはあった方が良いと思うなぁ。って感じ。

 あとまあ、言葉遊びと言われたらそれまでなんだけど。
 『人を嫌う』ってのは、大体の場合『その人の一側面を嫌いになる』って事じゃないですか。
 でも、『価値観が合わない』って言いきっちゃうと、『その人自身』から少し離れてしまう用で、寂しく感じます。まあ、『嫌い/価値観が合わない相手』に対して未練を感じようとする俺がズレてるだけかもしれませんが。

 短いながらも、色々考えさせられる返信でした(半額オソーザイさんにとっては不本意かもしれませんが)。
 今年も一年、どうぞ宜しくお願いします。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信 (No: 9)

投稿者 半額オソーザイ : 0 No: 6の返信

投稿日時:

ああっと、新年の挨拶が抜けていた!
あけおめです!ことよろです!
(月日に関する感覚が鈍くて、時々自分の誕生日も忘れます……そういえば2022年なんですね、もう既に笑)

善人じゃあないですよw 嫉妬深いし、認知は歪みまくりだし……それを自認して、できる限り下手こかないように自制しているだけッス
箱入りかどうかはさておき、かなり甘やかされて育った身ではあるので、根幹はそうなのかもです()

たぶん自分は『嫌いを決められる立場かどうか』を凄い気にしているってヤツです。
人物が対象になると『嫌い』はその人を自分の価値観で判断して、否定的な見方をするということです(無論、別の側面も持ちますが)。自分は誰かの人間性を否定できるほど上等な人間ではないので、主観的に嫌いとは言いたくないのです。
なので、その人の行動や言動で『ん?』と感じたところは『価値観が合わない』『私の考えが正しいわけじゃない』と思い、一旦横に置いて―――それでも耐えきれないと感じたときは、そっと離れるようにしています。
自分も主観を持った人間ゆえに、どうしても人と衝突してしまう価値観はあるので……もともと距離が遠い人間なら反対意見が気になりますが、そうでない人間関係となるとお互いを摩耗させるだけなので……。分かり合えなさそう、と思った時点で身を引くことが自分にとっても相手にとってもベストな選択だと生きてくなかで気づいた感じです。

まぁそんなことだから他人の作品を批評できないんですけどね……。面白い好き!はたくさん言えるのですが、欠点と感じたところは『いやこれ自分が言えたことじゃないな』と押し込めるので。
今のところ新人賞で二次選考突破したり、小説投稿サイトで感想何件かもらったりといった実績もないので、つい先日まで畑を耕していた足軽が将軍に戦について具申するようなものじゃあないかなってw

とまぁ、いろいろ(屁)理屈を述べてきましたが……。
根本的には自分に自信がないだけなんだろうなぁ、と思っています。

そのくせ勉強のために読んだ直近の新人賞受賞作を読み終えて床に叩きつけて(比喩表現)、「畜生面白いの書きやがって……! なんで面白いんだよ、くそぅ!」と叫ぶぐらいに嫉妬深いので、善人じゃあないです(二度目)

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信 (No: 10)

スレ主 大野知人 : 0 No: 9の返信

投稿日時:

 いやいや、自己分析がしっかりしているというか何というか。

 ただ、後から気付いて恥ずかしくなっちゃったんでここに書くんですが、俺が言った『善人だなぁ』と言うのは2~3割かくらいは嫌味ーーというか僻みのような側面もあって。

 よく言うじゃないですか、『生まれつきの善人よりも、善人であろうとしている人の方が美しい』って。でも現実には、アレのレベルではなく『無能なお節介焼き』みたいな善人もゴロゴロしている。
 勿論、悪と断じるつもりもありませんが、同時に『善人っぽい/謙虚っぽい』人を見かけると、ついつい『この人は努力してこうしてるのか、無自覚系なのか』と探りを入れちゃう癖があって……。いやはや、お恥ずかしい。

 個人的には、そこまで卑屈――と言うか自分を下げなくても良いと思いますよ。偉そうに言う事じゃないですが、少なくとも俺は『自分が言えた口か』なんて気にしたことはありません。
 そも、ここのサイトなんて『どこの誰が書き込んでるかわからない』訳ですから。可能性の話だけするなら、『相手の短所を誉め、長所をけなして間違った方向に誘導しようとする奴』だっているかも知れません。
 そこの取捨選別は、意見を貰った側がするべき事ですから。

 俺は個人的には、『自分の主観・感情はそういうものである』と認めた上で、じゃあ相手に何を話すのかってのを別の視点で考えられるように努力しているつもりなんですが……。
 まあぶっちゃけ面倒くさいんで、他人に強制はできないっす。

 まあでも、人間は感情があるからこそ面白い生き物ですからね。せいぜい愉快がって生きていきましょう。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 21)

投稿者 半額オソーザイ : 0 No: 10の返信

投稿日時:

自己分析をする時間だけはありましたからね……笑

ああ、すみません。私、嫌味や皮肉が分からない人間なんです。でも私は『無能なお節介焼き』にカテゴライズされる人間だと思うので当たっていると思いますよ……! できる限り自分の人格や能力に関して他人から否定されたくないので、否定される前に自分のハードルをできる限り下げておくっていうことをしているだけなのですw
(人格や能力って変えようがないことですしね……)

多分それが普通の感覚なのだと思います。
自分が言えたことかと気にしている人は少ないでしょう() これも多分、自己防衛的な部分もあるのだと思いますが、それ以上に、責任を持てないんですよね……自分の言葉で他人が変わっちゃったらそれって怖いことじゃないですか?
ただこれも私自身の今までの体験での失敗に基づいて行動しているだけなので、絶対ではないですよね……難しい(´・ω・`)

余談ですが「感情が見えない」とはよく言われます。
普通に内側ではメラメラと感情は燃えているのですが、出すのが苦手っていうね……難しい生き方しているなぁ、自分。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 22)

スレ主 大野知人 : 0 No: 21の返信

投稿日時:

 自己分析の一つも出来ずに、一人前になったつもりで幅を利かせてる連中よりも、たとえ卑屈気味に見えても自己分析できてる奴の方が、よっぽど好きですよ。俺はね。

 嫌味や皮肉、って言ったのは『こんなのもわからんのかボケナスゥ!』的なアレではなく、『あてこするような言い方をしてしまったなぁ、すまぬ』と言う話なので、気にしてられないなら良いのだ。

 責任は、持てばいいのです。
 同時に、選べばいいのです。

 同じことをもう一度書きますが、アドバイスっつーのは、本来聞く側が取捨選択すべき事です。という事は、半額オソーザイさんがアドバイスした結果、相手がどう変わろうがあなたの責任ではない。
 勿論、『絶対にこうしなさい!』みたいなことを言ったり、強く傷つけるような事をしなければ、そもそもあなた自身が責任を取らなきゃいけないいわれもないでしょう。っていうか、俺が例に出したような案件はそもそもマナーの問題ですしね。

 人間ってのは、意外と理由なく変わるもんです。
 俺も特に意味もなく中二病を発症し、特に意味もなく治り、再発し、最終的に『じゃあコレなんかに生かせねぇかな』とか言って小説家を志しましたが、ぶっちゃけ大した理由なぞ無い!
 物語の登場人物じゃないんで、そこまで大層に尊敬してる人物も居なけりゃあ、そこまで影響を受けた人物が居る訳でもねぇ。

 そんなもんです。

 気ィ楽にして生きて行こまい。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 4)

投稿者 スイ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

 脳が刻みつつあるのは、情報ではありません、生き方なんです。

 キラいな相手は、そんな脳がキラっている相手であり、すなわち生き方です。
 その相手を認めてしまうと、こちらが否定されてしまから、なんですね。

 生き方さえ正規標準化してしまえば、キラいな人はいなくなるでしょう。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 7)

スレ主 大野知人 : 2 No: 4の返信

投稿日時:

 返信ありがとうございます。

 うーんとね、それやっちゃうとそこそこ高い確率で『俺がすべて正しいんだ! 間違ってるお前らは黙ってろ!』って奴が生まれちゃわない……?

 俺は感情や衝動、直感という物を重視する人間なので、『人を嫌う』という事は非常に好ましい事であると思っています。
 だから別に、『誰かを嫌いになりたくない!』系列の甘酸っぱい青春の匂いのする質問では無いのです、これは。

 生き方と言うのはその人が刻んできた経験であり、選択の結果や『運』なんかに引きずられた跡です。
 それを正規標準化する、ってぇのは俺個人としては風流に反するように感じますね。
 些か、愉快からぬ人生と言いますか。

 否定することも、認める事も悪ではありません。ただそこにそうあるだけなのです。
 まあ、俺が口を挟むことでもないでしょうが、『嫌う』事そのものも楽しめるともっと良い人生になると思います。

 返信ありがとうございます。
 今年も、よろしくお願いしますね。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 8)

投稿者 ふ じ た に : 0 No: 1の返信

投稿日時:

明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!

私の嫌いな人はズバリ「バイキングで大量にとって大量に残す人」です。
数年前に隣のテーブルでいたんですよ!
見た瞬間、ありえなーい!って思いました。

あと、相続のときは大変でしたね。お疲れ様でした。
大野さんが嫌いなタイプ、世の中には他にも同様にいるみたいですね。
技術を軽視するといいますか。善意を食い物にするといいますか。
ツイッターを眺めていると、たまに酷い目にあった系の注意喚起が流れてくるので、被害に遭われた方は大変だなぁって感じてます。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 11)

スレ主 大野知人 : 0 No: 8の返信

投稿日時:

 返信ありがとうございます。

 ああ、『大量にとって大量に残す人』は嫌ですねぇ。
 俺はかなり小物なので、『元を取りたい!』みたいな気持ちは結構よくわかるんですが、それはそれとしても、残すのはダメですよ。

 まあ、そこに思い至ると今度は『残飯が発生する可能性の高い、「バイキング」ってシステム自体に問題があるんじゃないか』って思っちゃうんですけどね。
 それでも便利だから利用してしまう。ああ無常。

 俺が嫌いなタイプの人は世の中に結構沢山いるみたいですよ。
 個人的には「お客様は神様だ!」系の思想を持ったモンスター顧客もその好例ですね。

 少し面倒な言い回しになりますが。
 代金ってのは、あらかじめ提示されたサービス/商品との等価交換だと思っているので、『商品以上の物』が提供されて当たり前だと思っている人間は苦手ですね。
 店側がそういう心がけをするのであれば、『それはどうぞご自由に』と思うのですが、客の側が『支払った代金以上の物』を要求するのは、よろしゅうないなぁ、と。

 っとと、脱線してしまいました。
 今年もよろしくお願いします。
 返信、楽しく読ませていただきました。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 12)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

あけましておめでとうございます。

【一生懸命な人】が、しみじみと嫌いですね~。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
『他人の努力を評価できない人』とちょっと似ているんですが、
そもそも、なぜ「他人の努力を評価できないのか?」というのがあります。

一つは無知。知らんから無神経にやってしまえる。

もう一つが【俺だって頑張ってんだよ!!】ってやつだと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【頑張っているのは皆同じ】とは言うけど、少なくとも私は正月の医者や介護士、救急医療士ほど頑張ってなんかいねーっす。

貴賤は無くとも、過酷か否か、キツイさのグレードの違いとかはバラツキがあると思いますし、それを【同じ】と括ってしまう方が不平等だと思います。

 【一生懸命な人】は、それぞれの努力を【みんな同じ】にしてしまう事が多い気がします。

よく見たら、それぞれ差があるけれど【必死過ぎて、そんなこと分かる余裕がない】から。

【余裕】も【余力】も持てないシフトを組んで精一杯生きるの、マジ止めろ。"(-谷-)"

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 14)

スレ主 大野知人 : 0 No: 12の返信

投稿日時:

 ああ、それ俺かもしんない。
 っていうかつまり、『一生懸命なつもりの人』ですよね。

 俺も脳筋系の一族の出身なので分かるんですが、『何でもかんでもやれることやって努力した気になる』っていうのと『努力するために努力のやり方を考える』のは明確に違う事です。
 そして前者しかやってない人間は『努力してる』とは言わない。と、個人的には思います。

 そういう意味では『仕事のきつさ』そのものもやや指標にはならないんじゃないかと思ったり。
 大して何もしてない俺が言えた口じゃあありませんが、たとえ過労死寸前だろうが『夜逃げ&場合によっては通報』と言う選択肢がある事を考えて頂きたい。
 結果が全てではないというけれど、だとしても『どういう結果を手に入れたいか』を考え、『どうやってそこに辿り着くか』を考えていない人間は『結果が全てではないし、頑張ったんだから良かったじゃん』と言う権利は無いと思う。自分の事にしろ、他人の事にしろ。

 まあ、それはそれとして。
 無駄な努力には、無駄なりに価値はあると思いますよ。
 無駄と言う事を学ぶにしろ、副産物的に体力や、人生観を身に着けるにしろ。

 と、長々語ってしまいましたが。
 本年もまあ、程々によろしくお願いします。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信 (No: 16)

投稿者 読むせん : 1 No: 14の返信

投稿日時:

>> っていうかつまり、『一生懸命なつもりの人』ですよね。

ううん。マジで一生懸命な人。

「つもり」なら、実際には余裕があるんです。「つもり」だという無自覚や薄ら自覚がある。『努力するために努力のやり方を考える』ことが「考えられる」だけのリソースがまだ有る。

>>たとえ過労死寸前だろうが『夜逃げ&場合によっては通報』と言う選択肢がある事を考えて頂きたい。
それを考えられないくらい必死だから、いきなり死んで、あとから死因を調べたら過労死なんですよ。( 一皿一)飲食業は覚醒剤漬けになるのと過労死、けっこう多いので・・・・・。
=======================
当て擦りだと怒られそうですが、無惨さんとかは一生懸命な人です。あの人、ニチアサのメイン・ヒロイン属性なんで頑張って頑張って、頑張りすぎて余裕がないんです。

余裕が無いから、相手の意見をちゃんと理解できないまま流してしまう。
余裕が無いから人の意見を聞けないし、変なサービスを入れちゃう
余裕が無いから甘言にも乗りやすいし【これだけ頑張ったんだから、相応の結果がともなうべき】と考えてしまう。

理想通りの結果が出なければ原因を考える余裕が無いから発狂。誰のせい?私はあんなに頑張ったのに!!酷い酷いよ!!

・・・・みたいな?自分の作品への執着も強すぎて近すぎるから、作品否定が自己存在の否定になってしまうくらい余裕がない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あー・・・前にポケモンに至った話があったじゃないですか。

あの時もけっこうレスポンス長引いて、大野さんもキツかっただろうし、あれだけネチネチ否定する発言を聞かされたら【読むせん】のことをクレーマーとしてブロックしたり、嫌いになって無視をするようになったって仕方ないと思います。

ただ大野さんサイドに【読むせん】のクレームやら批判を聞く「余裕」、聞き出せるだけの「心理的余裕」があったから、相互でやり合いつつ共通言語「ポケモン」まで至れたんです。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
無惨さんの質問は、私はけっこうまめに回答させていただいてきたし、純粋な文字数でも大野さんへのレスポンスの3倍相当の文字や言葉を、個人的な話つきで無惨さんだけのために書いてきたと思います。

結果がこれ(笑)\(^P^)/

ある意味、ポケモンと似たようなことを何度も、何度も伝えた事もありますが、「でもでもだって~」とか「どうせ私が悪いって思っているんでしょ!?ほんと最低!!」というノリで何度も、何度も終わりました。

しみじみ、あれだけのレスポンス考えたり返したりするために裂いてきた時間やリソースを、ぜーんぶ無駄遣いされた気分です(;´∀`)まあ勉強代だと思おう。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信 (No: 17)

スレ主 大野知人 : 0 No: 16の返信

投稿日時:

 無惨さん……。ああ、鬼滅のDIOモドキではなく、ラ研に居るあの人ね。
 まあ、そうですねぇ。一生懸命なのは、良い事だと思いますよ。ただ、8割くらいまでの一生懸命でいて欲しいってのは分かるかなぁ。何かあれですよ、黄泉平坂とかの『振り返っちゃいけない』系の道でも歩いてるんじゃないかと思えてくると言うか。

 うーん。如月さん絡みのあれこれについては、相性がクソみたいに悪い者同士で、お互い長々喋りまくってたように見えるからなぁ。
 俺の視点だと、読むせんさんも如月さんも3~5個ずつくらい『もうちょっと大人になろうぜ?』ってポイントがあるけど、まあそこいら辺は価値観の問題だろうし。

 読むせんさんと如月さんの関係については、そっちの方で出来る程度にどうにかしてくれ。

 ちなみに、俺は基本的に『程々に無関心、程々にせせら笑い、程々に興味を持つ』と言う不謹慎極まりないお山の天狗ポジションを狙って(盛大にずっこけつつ)日々を送っているので、読むせんさんとのレスが長引いても、そこまでダメージを受けるような事は無い、かなぁ。
 『うわぁ、意見合わねぇな。クッソ楽しー』を6~7割素で言える人間ですからねぇ。残りは強がりですが。

 ケッケッケ。
 今年もまあ、力を入れすぎない程度に。
 頑張って行きましょー。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 23)

投稿者 読むせん : 1 No: 17の返信

投稿日時:

正直、違和感は前々からあって「やっと反省したようですね」発言で「あ、この人何も分かってなかったんかー」って自分の中で決着ついてしまって以降、正直もうどうでもいい。_(┐「ε:)_

 書く物語のテイストも、ハードすぎて好みじゃない感じになったから読まなくなったし。読まない物語にケチつけるより、好みの物語を読む事にリソース使うよ。

そういう意味では喧嘩する気は全くないっす。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一生懸命は【必死】や【仕方ない】を産みやすいし、【必死】や【仕方ない】はだいたい最悪だとおもうんです。
ただただ、溺れる人が手当たり次第に水中へ引きずり込むように、自分が助かるためには【仕方ない】。だって【必死】だったんだもん、みたいな。

【仕方ない】は無罪なんです。・・・・イノセンスの影響、のこりすぎかも(;'∀')
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あと一生懸命って、そもそも一人では使えませんから。ドラゴンボールの元気玉みたいなもの。

皆の元気を分けてもらって使う力であって、1人でひねり出せるものではない。
1人で出せるのは【火事場の馬鹿力】とかだし、出し終わった後は何かしらペナルティーや肉体損壊がお約束。

 一生懸命は、ペナルティーを他人に負わせる「犠牲の力」みたいなもんなんですよね。

一生懸命は、ここぞという時に使うもので、乱発していいもんじゃない。なのに、それを常時発動させている人は、ヤバい。

鬼滅のディオもどきはわりと好きです。
アニメ映画「ガンダーラ」のメタトロン?だっけな最後のセリフが幼心に印象的で、「わたしをおいていかないでくれ」っていうのを一気に思い出して、また「ガンダーラ」を観たくなったっす。
 うろ覚えだから物語、たぶん正しく覚えていないけど。語りたいくらい好き(笑)

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 24)

スレ主 大野知人 : 0 No: 23の返信

投稿日時:

 如月さん絡みの事でいろいろストレスなどが溜まっているであろうこと、心中大雑把にお察しします。

 ただ、先述の通り俺自身は読むせんさんにも非がある部分もあると思っている事から、細かい言及は避けます。

 また、これ以上如月さんについて書き込まれるのでしたら、それはスレッド冒頭で書いた『個人への攻撃』に該当するものであると判断し、何らかの処置を行いなます。

 様々思う所は有るかと存じますが、どうかお控えください。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 25)

投稿者 読むせん : 0 No: 24の返信

投稿日時:

あー・・・・悪口と言うか例示として手っ取り早いかな?くらいのノリでした。

タロットカードの逆位置に良い意味を、正位置に悪意を読み解く時もある的な。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 別の例示だと、昔見たマジレンジャー?の良い話( )が印象的だったんですが、登場人物が10人くらいいたから、それを一々書くのが難しくて投げ出しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんかクリスマス前日に、赤レンジャーがレンジャー仲間全員を強制徴収して、
個人店のケーキ屋のバイトをさせて、
慣れない仕事のせいで、注文のケーキを100台くらい壊してしまい
青「納品が間に合わないから、客側に無理ですゴメンナサイって連絡しよう」
赤「諦めんなよ!!絶対間に合わせる」

皆で頑張って間に合わせました、メデタシ☆みたいな?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
①ケーキ屋の娘が、自宅のケーキ配達バイトを募集していたら、赤レンジャーが勝手にしゃしゃり出てきて、
「俺やってあげる!!友達も手伝いに連れて来るぜー」って安請け合いする

②クリスマス・デートの予定を強制ドタキャンさせられた隊員たちが無理矢理に手伝わされる

③修羅場に素人が慣れない作業で大損害を出す

④修復不可能みたいだし、客に「用意できそうにない」と早々謝り、代わりのケーキを手配するとかの根回しをする・・・・・のではなく、頑張って納期ギリギリまで追加ケーキ作成を強要する

⑦皆で頑張って、どうにかなった。ハッピーエンド

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①そもそも赤が出しゃばらなかったら、クリスマス商戦経験者のバイトを雇えたかもしれないのに、バイト上限をかってに赤が出しゃばって素人隊員で埋めた。

②それぞれも隊員達も個々のプライベートがあったのに、赤のせいでドタキャン

③修羅場に素人を雇うと、事故る。

④壊された100個のクリスマスケーキ(しかも ワンホール×100)を作り直させられるケーキ屋の負担が金銭的にもタイムリミット的にも最悪

⑤そもそも、ウッカリコケて100個を台無しにしたのが赤。

まとめ、いっしょうけんめい頑張る赤レンジャーは正義でカッコいい☆
・・・・・心底ゾッとしました。
=============================
むしろ無能な働き者だけど、周りを犠牲にする事で、結果を出してしまい【有能な働き者】として自信をつけてしまう赤レンジャーを、作中の誰も怒らない美談に仕立てているのが心底気持ち悪かったです。

で、どう?なんかニュアンス伝わる??(;´・ω・)

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 26)

スレ主 大野知人 : 0 No: 25の返信

投稿日時:

 いや、言いたいこと自体は分かるんですよ。
 ただし、話し方の問題として『如月さんの悪口を言っているように受け取られないゾ☆』と言う警告をしただけで。

 言い出すと、無能な働き者/振り返らない暴走特急がやらかすパターンなんていくらでもあるので、特に俺の場合血の繋がった親戚に一人いるので、日々是『ゾッ』ですよ。

 スーパー戦隊はギャグよりの側面もデカいからね。仕方ないね。
 かといってニチアサのガチな脚本って、小林靖子&井上敏樹でお茶の間の良い子に何らかのトラウマを植え付けに来るし。いやまあ、好きだけど! あの二人が関わってる脚本好きだけど!

 ま、お疲れ様です。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 28)

投稿者 読むせん : 0 No: 26の返信

投稿日時:

>> 振り返らない暴走特急がやらかすパターン
うーん?なんか、もっとポジティブな善い存在が嫌いなんです。

悪にする事すら許されない事が鬱陶しい。悪じゃないから反省する必要も改善する必要もない。みたいな?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あと、ポケモンみたいに「共通認識」で説明するのが楽なんです。
たとえば「一生懸命」を「大野さん自身」にしてしまうと、

①読むせんは一生懸命な人が嫌い
②大野さんは一生懸命な人間だという自認がある

④・・・つまり、読むせんは大野さんが嫌い!!

という認識スキップが発生します。
③読むせんは、大野さんを一生懸命な人間と認識している。というプㇿセスが必要だし
③読むせんは、大野さんを一生懸命な人間だと認識して「いない」というプロセスが入ると④が破綻する。

ここをスキップされると、曲解されてしまうんですよね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この際、だれでもいいから大野さんではない別個体に「一生懸命」を持たせる事によって、

①読むせんは、一生懸命な人が嫌い
②読むせんの認識している一生懸命な人は○○氏である。
③○○氏の行動を、大野さんが捉えてみる
・・・・・あー「あれ」を、読むせんは「一生懸命」と認識しているんかな?

④大野さんの認識する「あれ」が、読むせんにとって「一生懸命」である事が分かる。

読むせんが嫌いなものが「あれ」なのか「大野」なのか?は些末な違いです。でも混ぜられたくないねん。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
悪口うんぬんでいうと

⑤読むせんにとって嫌いな事は「時間を支払う事」でもある
そういう意味では
⑥読むせんは、嫌いな相手と「喧嘩する時間」すらケチる、セコケチ人間である。が正しい論理です。

なんか変な話、「嫌い」への対応も個体差がある気がします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
真面目に見てませんがニチアサの思想インプットって世相がでて面白いとは思います。小林靖子&井上敏樹がわかんない。_(┐「ε:)_

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 30)

スレ主 大野知人 : 0 No: 28の返信

投稿日時:

 俺、個人的に暴走特急じゃない『正義』とか『善』ってほとんど見た事が無いんだけど。
 一時期、難癖をつけるのが本分! みたいな仕事をしていたので、何にでも汚点が見つけられるんですよね。だから、『文句のつけようがない善』と言うのを、ほとんど見た事が無い。俺の心が汚れてるのかなぁ。

 共通認識で説明するのが楽なのはわかりますよ。ただ、どうしたって噛み合わない部分は出てくるので、そうなったときに掘り下げているだけっすね。
 今回の場合、俺の思う『一生懸命』と読むせんさんの思う『一生懸命』が微妙に違うみたいだったんで、掘り下げた訳で。
 混ぜられたくないだろうから、細かくするんや。

 悪口云々に関しては、読むせんさんの価値観はどうでも良いです。
 向こうさん()やその他のこのスレッドを見ている人がどう思うかの問題なので、『問題行動に見えかねないゾ☆』と言ったまで。
 俺は基本的には『嫌いになる事すら面倒くさい』に行きつくタイプですね。このサイトではほとんどやってませんが、そういう相手にはそこそこ笑顔で、そこそこ丁寧な、そして特に何も考えてない応対をします。

 小林靖子&井上敏樹ってのは、仮面ライダー龍騎とか、ディケイドとかですね。
 バラバラでも、凄い作品を作ってらっしゃるんですが、この二人が一緒に作業した年の作品はえぐみと言うか何というかが凄いのです。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 13)

投稿者 バッキー : 0 No: 1の返信

投稿日時:

元よりセンシティブな所がある上ポリティックな要素まで持ってしまう返信になっちゃいますが「口先だけは威勢がいい人」とですかね。
「ポリティックになる」という前置きに関して言うと、こちらの話になりますね。
ネットでよく見かけたのですが、気に入らない外国への軍事行動や実力行使を一方的に命じて、それを望まない国民をやれ平和ボケだと笑う。
でも肝心の彼ら自身は自分も自衛官になって矢面に立とう、そうでなくとも「待ち望んだ」有事によって今ネットで無責任に管を巻けるぬくぬくした暮らしが消し飛んでしまうかもという覚悟や危機感は全く感じられないんですね。
アメリカではこういう言動をする人たちの事を「チキンホーク」と呼ぶそうです。

平和ボケや反戦への揶揄や風刺はラノベや漫画では何気に人気のあるジャンルではありますが、自分はこういう「どうせ死ぬのは無関係の雑兵」という無責任な勇ましさにこそチクッとやりたいという気持ちがあります。
今日日「尊厳破壊」に拘ってるのも、こういう人間が自己投影しがちな強いキャラを辱めたいって気持ちもあります、それか単純に強者へのルサンチマンかもしれません。
…どのみち褒められた物ではありませんね。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 15)

スレ主 大野知人 : 0 No: 13の返信

投稿日時:

 いやいや、良いですよ。
 元々、冒頭にある通り『キャラ作りの上で、人間の持っているプライドや矜持を考える』みたいなのがこのスレの本旨(笑)ですから。

 無責任な平和ボケ・反戦揶揄は個人的に腹が立つ事ですねぇ。
 まあ俺自身、共産党寄りの界隈にいる自覚はあるので、そこまで派手なことは言わないようにしているのですが。

『北朝鮮やロシアからの脅威を防ぐために、九条改憲して軍拡しようぜ!』『今の時代に、武力持たないとか流石に平和ボケ過ぎて草』とか言われると、流石に『軍拡したらより諸外国から警戒されんぞ!』とか『そもそも、こっちがまともな軍備を準備するまで仮想敵国が待ってくれる前提ですか?』『そもそも、お前ら戦うんか?』とは思いますよね。
 
 まあ、俺は根っこのところで国家にこだわりが無いので、ヤバくなる前に逃げますが。

 俺はむしろ、富野監督的に『反戦を謳う戦争ラノベ』をやってみたいかなぁ。皆殺しはマズいけど。

 いやいや、良い話が聞けました。
 今年も一年間、よろしゅうお願いします。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 18)

投稿者 神原 : 1 No: 1の返信

投稿日時:

明けましておめでとうです。

私が一番嫌いな人間は「それまで仲良くしていて私を裏切る人」です。

子供の頃、ある友達が居ました。なにかの会で劇をやる事になったのですが、練習を当然しまくって、もう直ぐ終わりと言う処で寝坊を私がしたのです。たった一日。隣に住んでいたその友達は私が行くと皆で練習をさぼる奴はもうこのグループじゃない、と泣いた私を「泣いてやんの」と皆で笑いあったのです。

同時期頃、版画を作る場面があって、私が先生に褒められた時、その友達だった奴は一回くらいほめられたくらいで~。と嫉妬まみれの事を言っていたのを覚えてます。

この元友達は友達のふりをして内心私が嫌いだったのでしょう。

それ以来、私は私を裏切る人間が嫌いになりました。

まあ、古いお話しです。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信 (No: 20)

スレ主 大野知人 : 0 No: 18の返信

投稿日時:

 結構ナイーブな時期に深い傷を負ってますねぇ……。
 なんというか、災難ですねぇ。
 まあ、そういう時期の子供にありがちな奴、と笑い飛ばせてれば傷にはならんでしょうが、ちょっとどこかで聞いた話にも感じます。

 裏切る、ってのはーーもとい、『裏切らない』ってのは中々難しいもんです。
 案外、ものすごく努力していたつもりでも、周囲からは『失敗すると思ってたのに―』とか言われたりします。
 信じて居たものがただの妄想で、実態は別の姿だったり。信用してもらっていると思っていたのはこっちだけで、案外どこにも感情は乗っていなかったり。と、書くとなんだか小説的ですが。

 とまれ、信用する/されるっていうのは難しいですねぇ。人間はどこまでも主観しか見えませんから。

 強く生きようとは言いませんが、まあ生きられる程度に生きていきましょう。
 今年もよろしくお願いします。

こんなことになってしまうなんて、残念です (No: 43)

投稿者 鬼の王の墓標 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

こんばんは、大野さん。まだスレッド続いているみたいですね。
そして私の知らない間に無茶苦茶言っている人がいるみたいです。

スレ主の大野さんが「個人が推測できる情報を出すな」とあれだけ言ったのに、私だけが名指しでここまで言われないといけないのはなんでなんでしょうかね?
まあ私としては相手が自分から「如月VSアンチの戦いはアンチの方が全面的に悪い(少なくとも発言者本人は有罪確定)」ということを証明してくれたから特大級のジョーカーを手に入れることができて満足していますけどね。
それに私のスレッドの外で私を叩いてもいつもみたいにいいねを獲得できていないようですし。わざわざブロックすればいいのに物好きな奴がアンチを盾にして小賢しい攻撃をしていることも証明できました。

あ、別に大野さんを責めているわけではないので安心してください。
ただこのスレッドでの相手方の蛮行でもうこのサイトへの未練は完全に捨てることができました。
大野さんには申し訳ございませんが、このサイトにはもう二度と来ません。こんなところにいても健全に創作を楽しむ心は育めないでしょう。恩人の方も大勢ここを去ってしまいましたし。

今まで親切にしてくださった皆様、ありがとうございました。

こんなことになってしまうなんて、残念ですの返信 (No: 45)

スレ主 大野知人 : 1 No: 43の返信

投稿日時:

 如月さんは本当によく名前を変えますねぇ。

 ええと、引退されるんだそうで。お疲れさんです。

 ただ、出来れば引退宣言するなら自分でスレを立ててやって欲しいなぁ、って。

 まあ、何はともあれお疲れ様でした。

どういう人が嫌いですか?の返信 (No: 57)

投稿者 鬼の王の墓標 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

ここまで来て大野さん以外私のこと完全スルーですかwww
一人くらい「如月がかわいそうだろ」とか言ってくれる人が出てくれるのを期待していたのですが、客観的に相手方が悪いという判断ができない人ばかりのようで残念です。
このままだと遠くない将来にサイト自体が滅亡エンドっぽさそうです。重ねて言うけど私は何一つここに未練はないけどなッ!

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信 (No: 72)

投稿者 鬼の王の墓標 : 1 No: 71の返信

投稿日時:

すみません、お気遣いをさせてしまいまして……
お行儀悪してすみません。誰も庇ってくれないから気が立っていたもので……
鍛錬室はたまに来るかもしれないので、その時はまたよろしくお願いします。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信 (No: 75)

投稿者 読むせん : 1 No: 72の返信

投稿日時:

え?なにこれスレッドが再加速しとる?と思ったら、こういう事かー

不愉快にさせたなら申し訳ありませんでした、私が悪かったです。
以後できるだけ気をつけるよう、精進させていただきます。

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信 (No: 73)

投稿者 神原 : 0 No: 71の返信

投稿日時:

あ、もしかして、読むせんさんへ何か言ってくれる人って意味で言ったのかな? それだったら、私はスルーする。あえて喧嘩をする必要がないから。どうせ平行線で終わるのが分かっているので、大野さんに任せた。スレ主だから。自分と意見が合わない時、反論する事で大抵喧嘩が始まる。

喧嘩する熱量がもう私にはない。喧嘩にその熱量を捧げるくらいなら物語に捧げたい。多分これは如月さんも同じだと思う。

なので、一つ助言があるとするなら。

読むせんさんはもう如月さんをスルーすると言っているので、如月さんも読むせんさんをするーするといいと思う。

如月さんが一個前に出したスレッドは読むせんさんは返信書かなかった。多分もうぶつかる事は無いと思う。

こう言うスレッドで名前を出す読むせんさんはまだ執着が少しある様だが。これ以降は出さないだろう。(希望的観測)

どういう人が嫌いですか?の返信の返信の返信の返信 (No: 74)

スレ主 大野知人 : 3 No: 73の返信

投稿日時:

 俺のスレ主としての責務は、個人同士の確執をどうこうする事ではなくて、あくまでこれ以上の問題を発生させない事にあると思ってます。

 勿論、如月さんにしろ、読むせんさんにしろ、何らかの形で、プライドやこだわりを持って発言をされているのだとは思います。
 それぞれお互いに思うこともあるでしょうし、或いは『周りの人はどう思ってるんだろうか』と思う時もあるでしょう。

 ただ、申し上げにくい事ですが、このスレッドはあくまで俺こと大野のスレッド板であり、『大野の質問』という事が重視される場でもあります。
 そういった場にあって、如月さんや読むせんさんにあえて意見することを遠慮する方や、スレッド本来の役割に対して気を使って下さる方もいます。
 
 そういった考えの方もいた上で、如月さんへのフォローをためらった方が居たことも、忘れないで下さい。

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タイトル:どういう人が嫌いですか? 投稿者: 大野知人

 ええ、あけましておめでとうございます。
 新年一発目から、割とぶっこんだ質問をしましたが、おふざけや雑談の類とも言い切れず、そこそこ真面目な質問だったりするのです。

 なぜそこに至ったかという経緯を説明します。近頃思うんですが、『こういうヤツとは絶対にそりが合わない/嫌いだ』っていうのは、キャラクター作りの上で結構重要な『そのキャラのこだわり・プライド』を示すいい指標となっているように思います。

 という訳で、雑談半分サンプル採取半分で皆さんの『こういうヤツが嫌いだー!』と聞きたいと思って書き込みました。

 ただ、センシティブな質問でもあると思うので、いくつか注意事項をば。

・まず、当然ですが個人が特定可能だったり、特定個人を攻撃するような表現は出来るだけ控えて下さい。
・また、『自分が攻撃された』と感じた方も、相手の方にその意図が無い可能性も高いので、一回目までは見逃してあげるようにお願いします。
 
 この二点の問題に関しては、事態にもよりますが、スレ主として介入・及び管理人へのスレ版削除の依頼を責任を持って行わせていただきます。

・それから、主にハードモードな人生を送ってきた皆さん。ネタのデリケートさが分かり難いので『自分は気にしてないんだけど/結構コンプレックスだから丁寧に扱って欲しいんだけど』と明言してから書いてもらえると幸いです。
・また、スレの性質上、後々俺が作品のネタにする可能性がそこそこ高いです。ネタにされたくない方はその旨も書いてもらえるとありがたいです。

 さて、最後に。
 大野知人は、こういう人が嫌いです。

『他人の努力を評価できない人』

 文章の批評についてもそうですが、割と全般的に『相手がどういう努力をしたか』を考えていない人間が苦手ですし、嫌いです。
 『やった成果』だけではなく、『やったという事』自体にもちゃんと目を向ける人が好きだし、そうありたいと思って生きています。

 その昔、大野の一族は少しばかり相続でもめたことがあったのですが、親戚のA君が『自力でやって何とかなるだろ』と言い出し、弁護士を頼らなかった挙句にとんでもなく酷い目に遭いました。A君以外の――後始末担当だった人が。
 ちなみに当時、A君は何のかんの理由を付けていましたが、要するに弁護士に払うお金が惜しかったようです。
 当然ですが、相続の時に弁護士を呼ぶのにはそれ相応の理由があり、弁護士は弁護士になるためにとても努力した訳です。弁護士への依頼料と言うのは、その努力に払われるべき代価である訳で……。

 勿論、自力で何とか出来るならプロを頼らなくても良いのですが、それとは別側面の問題として『他人の努力をよく見ていない人間』と言うのが全般的に嫌いです。

 まあ、俺自身もそんなに人を見る目がある訳じゃないので、『よりよく生きるにはどうしたらいいか』みたいなのを自分で考える、一つの指標みたいなものなんですが。

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