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ちょいと横槍を

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語り手とカメラを意識させるのはまずいの返信の返信の返信の返信(元記事)

実は私は視点オタクの気がありまして(笑

>質問しておいてなんですが、私の感覚として、三人称の地の文に人格が垣間見えることが、そこまでリーダビリティーに影響するんだろうかと疑問があります。

そこは書き手の腕かな。使いこなしてしまう作者はいると思います。しかし、多少なりともリーダビリティを損なう恐れのある文章を大して意味もなく書いてしまうのは避けておく方が賢明です。書かなければすむだけの話なので。

>私の考えでは最大のメリットは「客観性」だと思っています。

異論はありませんが、それは三人称そのもののメリットかなと。三人称一視点(一元視点)の話なら、三人称なのに一人称のように一人の人物に視点を固定する理由を知りたくなりますよね?
その疑問への答えとして、 f-logさんは「読者を混乱させないため」ということをあげていらっしゃいます。一方、私と hexaさんは「それもあるけれど、他にもメリットがあるんじゃないか?」と考えているわけです。そこで微妙に意見が食い違っているのだと思います。

三人称の記述には客観性がありますが、読者と物語の距離感が遠くなりがちという問題点があると考えています。
三人称一視点には、読者が物語の世界の中で実際に情景を見たり誰かと会話したりすることを疑似体験させるという狙いもあると思うんですよ。
一人称にもそういう効果はあるでしょうが、語り手の主観が前面に出すぎるのと、語り手と読者が向き合ってしまうような感覚もあるので、世界を疑似体験させるには必ずしも最適ではない気がするんですね。
なので、むしろ臨場感という点において三人称一視点は一人称よりも優れていると考えています。

>「三人称なんだから、客観的事実は書いても問題ないでしょう」という考えの人はいないんでしょうか。

いや、もちろん問題ないと思いますよ。
というか三人称の原則としては間違いではないということです。ただ、一視点には上記のような狙いもあるという考えに立てば、その狙いにはそぐわない。だから、わざわざ一視点にするメリットが半減するんじゃないかという考えです。

ただ。
世の中には妖怪のような剛腕をもった作者もいるもので、上のような考えを嘲笑うようにあたかも視点に無頓着なような書き方で、リーダビリティもそこなわず臨場感も演出してしまうんですね。
そういうのを個人的に「現代的神視点」と考えています。

ちょいと横槍を

投稿者 サタン 投稿日時: : 1

>読者と物語の距離感が遠くなりがちという問題点があると考えています。
物理的(?)には「読者とキャラクターの距離」ではないかなと私は思っています。
読者はそのキャラクターに感情移入して物語を体感するため、結果的に物語との距離も離れる。
故に、キャラクターを介さない書き方をする作家やそれに適したジャンルでは問題が起きないか最小限になっていると感じます。

読者と物語をつなぐ最もわかりやすいツールがキャラクターなので、一人称はもとより三人称でも誰かしらに視点を固定したほうが良い。一人に固定するなら一元視点、それを章ごとシーンごとで入れ替えるザッピング方式なら多視点。
しかし、別に「つなぐツール」はキャラクターばかりではないので、ここに「何か」を置くこともできる。
例えば「監視カメラ」とか「動物視点」とか。

ここで f-logさんに対しての指摘になりますが、
>この件について、「三人称なんだから、客観的事実は書いても問題ないでしょう」という考えの人はいないんでしょうか。いれば、意見を伺いたいです。
>子供が視点者で、地の文に大人でないとわからないような記述がある、というのは例外なんでしょうね。
「人称」の問題と「視点」の問題が、一部で混線してるような気がします。
三人称視点は第三者の語りなので、視点主が子供であっても「大人でないとわからない記述」は書けますし、書いても問題なく、例外ではなく一般的な三人称の用法だと思います。
それは、「子供の状況を第三者が代弁してる」ようなものなので、「子供が知らない事を書けない」というわけではないです。
私が書いた「序盤に世界観を説明するタイプの小説」はけっこう意地悪な例でした。他に例が思いつかなかった。
あの例は私の個人的な「視点のこだわり」がだいぶ現れた例で、三人称であっても視点を固定するならその視点から物事を描写すべき、という考えがあります。「大国が戦争をしている」という説明がなされる冒頭であるなら「王子は戦争の歴史について整理していた」という場面でなければならない。
とまあ、私の個人的な構成の美学ですね。ただの美学であってルールではない。

「三人称の視点はキャラクターにこだわらない」という話ですが、
以前私が挙げた例の「長い長い殺人」や「吾輩は猫である」は一人称ですが、一人称は「モノに人格を与えないとモノ視点にできない」のですが、三人称は人格を与えなくてもできます。
なぜなら第三者がそれを代弁してる形に出来るからです。
私は神視点を古いものとして見向きもしていませんでしたが、今回のスレッドにおいてノンフィクションや歴史ものにおいて有効な要素ということに気づけました。
そしてそれを考えると、この両ジャンルは「事実・史実」にスポットを当てている、それを介して読者を物語に引き込んでいるので、キャラクターを介さない神視点が技術として成立すると考えます。
さて。では「長い長い殺人」や「吾輩は猫である」を三人称で書いたらどうなるかと考えると、財布や猫は人語を理解しないため、この地の文は「何者か」を意識させます。
すなわちそれが現代的神視点ではなかろうか。
これら例は「それは猫・財布視点の三人称一元視点・多視点だろ」とすぐにわかりますが、作家としてそれを伏せていたら読者にはわかりません。
特に財布視点だなんてわかるわけもない。何者かの神であるとしか言いようがない。そのうえ、この「モノ視点」を多視点のごとく場面ごと別モノに変えていったら絶対にわからない。
するとこれはパッと見で我々の目には「あたかも視点に無頓着なような書き方、にもかかわらず臨場感をも演出できている」と映るのではなかろうか。
うーん。思いつきに過ぎない考えだろうか……。

カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 神視点での小説の成功例

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