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結城 ゆうきさんからの投稿・回想形式を利用した不条理ギャグ
はじめまして、結城 ゆうきと申します。 さて、私がオススメするギャグですが、当サイトのコンテンツにある 「タブー、これをやってはいけない!」の 「過去を語る回想形式の弊害」を読んでいて思い出しました。 これは「極道一直線」という漫画で、頻繁に使われているギャグです。 例えば、小学校の頃に埋めたタイムカプセルの開封を明日に控えた組長は、 過去の回想の中でカプセルの中に入ってそのまま埋められてしまいます。 いかがでしょうか? 「回想なのだからどんな酷い目に遭おうと、 今ここで話をしてる人間がその話の中で死ぬはずがない」 という意表を突いて殺してしまうのです。 これは読者に突っ込ませるギャグの応用とも言える不条理ギャグですね。 昔話も終わり、反芻してる語り部へ水を差すように矛盾を指摘します。 で、ここからが解決編です。考え得るあらゆる理由をこじつけましょう。 例)実は語り部は双子の兄で、ちょっと呆けてて自分のことと混同してるとか。 あるいは何事もなかったように、読者の疑問を無視して話を続けましょう。 ミステリアスな要素はいつも魅力的です。 ※この手法はヘタをするとあまりの馬鹿馬鹿しさに、読者が離れていくという難を孕んでいます。 うっかり使ってしまったら、めげずに続けましょう。今さら常識人ぶっても手遅れです。 ▲目次に戻る |
ヤナギ猫さんからの投稿・ギャグとキャラクターの繋がり
初めまして、ヤナギ猫と申します。私は作家を志す猫でございます。 小説を研究していて、やはりキャラクターとは大切な存在だと思いました。 強く浮き出る個性、というものを日々模索しています。 そして、ギャグとキャラクターの繋がりがとても深いことにも気付きました。 つまりは、“そのキャラ”らしいギャグです。 こいつだったら、この人だったらやりかねないよなー、という感じでギャグを考えています。 例えば、ほわんほわんした美少女がいたとします。 「○○君のために料理を作ってあげる♪」 想いを寄せる主人公のため彼女は慣れない台所で悪戦苦闘。 そしてやっと出来上がった料理は……… 塩と砂糖を間違えてしまい、それを口にした主人公はギャー!! かなりベッタベタなネタですが、 この美少女の一途で好きな人のためになら一生懸命になれる、でもちょっとドジっ子。 といった部分がはっきりと判ると思います。 そういう意味で、ギャグもキャラクターの個性に繋がるのです。 キャラクターの性格さえ出来ていれば、“その人らしいギャグ”も簡単に浮かぶものです。 だらだら長文失礼しました。これからも、所長様のサイト様に通わせていただきます。 ヤナギ猫でした。 ▲目次に戻る |
脂さんからの投稿・お笑いには「間」が重要
こんにちは。いつもお世話になっております。 多分趣旨とは違う投稿になると思いますが、 笑いというものについて色々考えたことがあるので少しだけ書かせていただきます。 いきなり小説の話でなくなるのですが、お笑いには「間」が重要だと言われています。 ではそもそも「間」とは何ぞや、と。 タイミング、でしょうか。それならタイミングと言えばいいわけですよね。 またはストップウォッチで計測して「こういうボケなら○秒〜○秒」 というメソッドや分析があってもおかしくありません。 それだけではない何かがあるのでは、と思いました。 私は個人的に、「間」とは感情表現など、表現のメリハリだと思っていました。 「間」を言葉的に取られると、空間、時間的に何かが存在する場、 存在しない場が持続している状態、ということになると思います。 表現としての「間」のルーツを探ると「お能」に行き当たります。お笑いじゃないんですね。 そこで用いられる「間」とは、個人的な感覚ではやはり表現のメリハリのようなものでした。 では能の感情表現を考えてみます。 能は能面をつけて演じます。 能面の女面は基本的に無表情ですね。「中間表情」「前人称的表情」などと呼ばれます。 女面は真正面からみれば無表情ですが、角度によってその表情を表現させます。 しかし、その表情が変わる時には必ず無表情に戻る仕掛けになっています。 つまり、感情というものが存在する場→存在しない場→存在する場、 という順序を必ず踏まえるわけです。 この「存在しない場」を記号度ゼロ地点と呼びたいと思います。 ここでお笑いに戻ります。 ダウンタウンのまっちゃんを想像してみればわかりますが、 彼は基本的にシレっとした顔でぼけますよね? あの無表情的な表情の使い方が抜群にうまいわけです。 その後で浜田が怒ってつっこんだり、まっちゃんが怒ったり泣いたりすることで。 お笑いとして成立するわけです。 このシレっとした無表情的な表情を記号度ゼロ地点と考えると、 能と近い表現の順序を踏んでいるのがわかります。 つまり、「間がいい、悪い」というのが、 「存在する場→存在しない場→存在する場」の順序の踏み方と考えれば、 なるほどお笑いもお能も「間」が重要、ということになるわけです。 そして、これが「メリハリ」と言われるものの根っこにあると思います。 ※余談(ここは興味ある方だけでよいです) この「間」は実はダンスにもあてはまります。 ただ、日本舞踊やアジアのダンスと西洋のバレエなどのダンスでは記号度ゼロ度が違います。 日本やアジアは基本姿勢(記号度ゼロ度)は腰を落とします。バレエはつま先だちです。 ダンスというのは重力とどう対話するかが重要なのですが、 記号度ゼロ度は位置的に日本アジアだと演者の腰(みぞおちと言われます)、 西洋は地面にあるわけです。 このゼロ度からどのような位置に身体を持っていくのかが「間がいい、悪い」となるわけです。 また完璧に余談ですがアジア舞踊が大地、 自然に根ざしていると表現されがちなのもこの辺にあるのかな、と思っています。 では、小説ではどうでしょうか? ストーリー・構成的に。 読者にとって最大の記号度ゼロ度は読む前です。 そう考えるとなるほど冒頭で一発かます、 というここにも乗っている手法はメリハリとして基本になると思います。 では読み始めた以降はというと、似たようなところですが、 シーンの初めなどは記号度ゼロといえるでしょう。 ただ似たようなテンションの始まり方が続くと、 大きな視点から「存在する場→存在しない場→存在する場」という基本原理に背いてしまうので、 静かな始まり方が必要になるでしょうね。 キャラ的に。 これはもう上で言ったようにお笑い芸人が用いる「間」ですね。 お笑いでなくても、役者にも「間」は重要となってきます。 これは、やはり感情表現に記号度ゼロを持ってくるということだと思います。 例えば、怒り→笑い という感情の動きがあったとして、 それが連続して見えてしまうと「間が悪い」ということになります。 ここで、「怒り→感情なし→笑い」とゼロ地点を持ってきて基本原理をクリアしないと、 「間がいい」ということにならないのではないか、と思います。 (だからこそ役者は無表情を作れることが一番重要だと思っています) 小説では、そのキャラのゼロ度をどう表現するかは難しいところですし、 さまざまな手法があると思います。 そのまま地の文で「○○は無表情に言った。」とか。 「……」無言で表現したりとか、 「それは○○だろ! ――なんちゃって」などと――で表現したりとか。 「一陣の風が吹いた」などと風景描写で表現したりとか。 いっそ文章で表現しない、読者の脳内補完に完全に頼る、とか。 (これはお約束系ギャグでないときついでしょうね)。 いずれにしろ、読者の頭の中で「キャラが記号度ゼロの状態である」ということを想像させないと、 「間がいい」ということにはならないと思うわけです。 |
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