第4研究室 創作に関するQ&A 368P | トップへ戻る |
黒尻尾の駄猫さんからの質問
 初心者向けSFのジャンル解説
 
 通りすがりの野良猫です。
 お久しぶりの方はお久しぶりです。

 なにやらSFのお話で盛り上がってきているようなので、空気を読まずに、SF初心者向けに──
 オイラなりに非常に偏ったw──ジャンルの解説をしてみたいなと思います。

 さて、SFは大雑把にスペオペとハードSFというのがあります。

 内容的には大体以下のとおりです。

 スペオペ(ライト)<──サイバーパンク(その他、いろいろ))──<ハードSF(ヘビー)

 じゃあ、初心者にはライトなスペオペが良いのかと言うと実はそうでもありません。
 そもそもスペオペとは何か?
 まずは、その辺から書いています。

■スペオペ : スペースオペラ

 上記にもあるとおり、スペオペとはスペースオペラの略ですが別にオペラと言う訳ではありません。
 これには前身となるホースオペラ、すなわち西部劇という存在があります。

 西部劇というのは、その名のとおり西部開拓時代を背景としたもので、
 開拓の膨張というより拡散に近かった当初は、治安面では正規の司法組織の整備が追いつかずに、
 各集落等で仮の取締役として保安官を任命してあたることが多かったようです。
 犯罪はこの保安官が対処するのですが、正式な司法手続きや裁判は、
 数ヶ月ごとにやってくる巡回判事を待たねばなりません。
 
 保安官も本業があるので、微罪までいちいち判事が来るのを待つわけにもいかず、
 保安官の裁量で処理することになります。
 逆に保安官が対処し切れない大型犯罪や、大掛かりな組織犯罪には打つ手がありません。
(司法要請を駅馬車等を利用したりして郵便という形で送ったりしますが時間がかかりますし、
 必ず到着するわけでもなく、また、司法だって人材不足で保安官を任命しているので、
 すぐに手を出せるわけでもありません)

 つまり無法地帯と化すわけです。

 こうした悪が蔓延る孤立無援の荒野で如何にヒーローが活躍するのかがこの手のお話のキモで、
 この特殊な何でもありの舞台を提供する西部という環境はとても重要なのです。

 なんでもありのヒーロー活劇=舞台は西部


 西部劇はTVシリーズとして今のメロドラマ的に定番の娯楽だったようですが、
 上記の式をそのまま以下のように置き換えたのがスペオペなのです。

 なんでもありのヒーロー活劇=舞台は宇宙


 何せ宇宙ですから、未知の文明とか我々の常識の通じない相手や出来事、
 謎の宇宙人や宇宙生物、宇宙文明等々、より大きなパワーアップが行えたのです。
 馬はスペースシップに、コルトは光線銃に、宇宙という未知の開拓舞台を駆け抜ける。

 初期のスタートレック等、TVはスペオペの全盛時代がやってきて、
 日本でもいろんな作品が作られたようです。

 が、これは昔のスペオペの話です。
 ここでは古典スペオペといういい加減な造語に置き換えるとします。

 
古典スペオペには説明はありません。
 西部劇は「西部だから」という理由でかなりむちゃくちゃな展開ができるように、
 古典スペオペでは「宇宙だから」と理由で何でもアリなのです。

 
 古典スペオペとは西部劇の舞台を宇宙に変えて行うという安直さが生んだ、TVの申し子というわけです。

 当然ですが、当事の撮影や特撮技術には限界があります。
 そういう意味でもお話自体はシンプルだったのはしかたがありません。
 しかし、このシンプルさは今では少し幼さを感じる部分も多々あると思います。
 イカやらタコやらネズミやらの格好をしたヒト型っぽい宇宙人が、
 マフィアやら星間警察とか連合とかを組織して光線銃でドンパチに終始したり、
 毎回人類初の不思議な現象に遭遇しながら冒険するという展開も長く続けば飽きてきます。

 しかし、絶滅したわけではありません。

 アメリカではスターウォーズがいまだに人気ですし、何年かに一度はこうした
 「舞台は宇宙だ! 他は説明不要!」という古典スペオペ的な作品も作成されています。

 しかし、古典スペオペと違って今のスペオペは技術の向上により、
 ディティールも凝っていないと高精細な画面やスクリーンには映えません。
 また、簡単ながらも「宇宙」以外の物語的な背景や科学考証がないと、
 今の多様な情報が蔓延する社会のニーズに合わなくなってしまいました。

 日本では古典スペオペの継承者的生き残りの代表は”ドラえもん”でしょう。


 え? ドラえもんの舞台は宇宙じゃないって?
 もちろんそうですが、ドラえもんにも無敵の前提キーワードがあるのです。

 そう「未来」です!

 ドラえもんは22世紀の「未来」からやってきました。何せ「未来」です。
 そこでは現在では不可能とされている技術が何でも実現していることでしょう。
 つまり、「未来」だから何でもあり!

 これは古典スペオペの「宇宙だからなんでもあり」と似ていませんか?
 もちろん、ドラえもんのアイディアは秀逸で、物語を冒険活劇に固定しませんでした。
 主人公を小学生にすることで、彼の思いつきという展開を自由に押し広げて、
 日常から冒険活劇まで何でも行えるすばらしい作品となりましたから。

 この"ドラえもん"という存在は日本では「○×だからなんでもあり」、
 という便利な作風のベースになりました。


 藤子作品では忍者だからとか、ジャングルの土人だからとか沢山亜種がありますし、
 後から登場した多くの作家がこれを大いに活用しています。

 新しいところでは「涼宮ハルヒの憂鬱」がこの直系に当たるでしょう。
 何せ作中では「ハルヒだから」という理由で異常な状況は全て受け入れられますし、
 その対処も「統合思念体だかのインターフェイス」−「長門だから!」という理由で、
 万能的に解決できています。

 これがハードSF寄りな作品だと”統合思念体が自己進化を求める理由”とか
 ”彼等の生態”とかもっと背景の開示も必要でしょうし、
 そもそもお話の目的もハルヒが何故妙な力を持つにいたったかの解明と、
 その解決という方向に向かうでしょうが、それこそ野暮というもの。
 あのドタバタの展開こそ面白いのです。


 さて、次はその「ハードSF」とは何ぞやというお話をします。


■ハードSF

 そもそもSFとは”さいえんす・ふぃくしょん”という言葉の略だそうで、
 日本語にすると科学考証とか言うものに当たると聞きます。

 様は”科学的な考証を前提とした物語”という感じですね


 つまり、猿が進化して人間並みの知性を持ち文化を確立した世界があったら、
 それに遭遇した人間はどうするのだろうか?
 とかそういうアイディアをベースに「猿のもつ文化は人間と、どの程度似ているだろう?」とか
 「彼等の価値観は人間とどう違うだろうか? 或いはどこまで似るだろうか?」
 とか1つ1つ考えては設定し、舞台を作っていくというのが科学考証というわけです。

 まあ、「猿の惑星」のテレビシリーズ自体はスペオペ全盛期のお話ですが、
 ハードSF自体はもっと古くから存在し、TVのない時代に退廃した未来を想像したり、
 未知の海底文明が今も生き残っていたらとかを題材に創作されていきました。

 今のスペオペの前身の古典スペオペはTVという公共娯楽媒体が、
 誰にでも楽しめるアクション活劇として創造したといって良いでしょう。
 
 では、ハードSFが何故その対極になるかといえば、
 科学的考証を物語りの根底に置いてお話を作ったためといえます。

 作家も大半は科学者や専門家ではありませんが、
 「パラサイトイブ」という作品のように専門家が作家として創作した作品もいくつも存在します。

 様は念密な調査や資料集めにしろ、専門家の特化した知識にしろ、
 一般知識とは離れた特殊な知識をベースに読者は物語を読まねばなりません。


 もちろん、読み手に読んでもらうために作中に簡単な説明や背景の開示がありますが、
 物語の進行を期待する読者には専門知識の解説部分は読み飛ばしたいと考えてしまうことも多く、
 しかし、そうなるとお話がよく解らなくなると言うジレンマが存在し、
 「めんどくさい」という印象につながります。

 この辺が大衆娯楽そのものから生み出されたスペオペとハードSFとの差だとオイラは考えます。


 ただ、ハードSFといっても論文ではありません。
 娯楽であるということは間違えないのです。

 例に出した「パラサイトイブ」も”遺伝子の戦略”によって寄生したミトコンドリアが逆襲に転じるという、
 冷静に考えればありえないような発想の物語ですが、ドラマはやっぱり人間が中心です。
 日本地没も日本が沈没することは前提であって、そこで行われる人間模様こそが面白いのです。

 SFのメインテーマ的な部分で未来への想いがあります。
 他の娯楽作品同様に社会的な背景とかを反映した作品も非常に多いのです。
 まあ、早い話が流行り廃りもある。


 SFに限りませんが映画や色々な作品は、それが製作、発表、公開された当事は世界が、
 社会が何を感じていたかを探ることができる1つの指針です。
 28日後、28週後という映画はサーズや鳥インフルエンザへの警戒感が強い時の作品です。
 今のクローバーフィールドは戦争による一方的な殺戮や、
 破壊の逆襲を恐れているような感覚が反映されているという見方もあります。

 SFモノで危機を扱うものが多いのはそうした「未来への不安」があるためと言えなくもないのです。
 そういう見方でSFを分析してみるとちょっと身近に感じるかもしれませんね。



■いいとこ取りの近未来SF

 SFはスペオペとハードSFしかないわけではありません。
 どちらかにある程度寄っていたり、或いは両者を巧く取り入れた適度に親しみやすく、
 スパイスとしての考証を持ってる作品も沢山あります。

 そんななかの一つにサイバーパンクというものがあります。


 まあ、サイバーパンクも初期の物と今のものではかなり開きがあり、
 その遍歴は結構複雑なのですが、その辺は長くなるので割愛しますw


 まず、サイバーパンクの解りやすいところは「近未来」というところですね。


 なので、作中に登場する小物は今の技術の発展か応用されたもの。
 或いは大体想像される範囲での発明。
 まあ、ここに1つか2つの独自の考証を加えても、多くを説明せずとも、
 ドラえもん同様に「未来だから」と受け入れられる。

 しかし、スペオペほどに何でもアリではなく今の延長である近未来なので、
 今と似た価値観や社会構造でも問題ない。
 
 作者も読者も最低限の説明ですんなりと舞台を受け入れられるのが近未来物の最大の利点です。

 JMという映画や、日本では攻殻機動隊、電脳コイルとかがこれにあたります。
 今は潜脳調査室とかトップシークレットという日テレ系で放映されているものがそうですね。
 マトリクスは元はシャドーランというSFのTRPGのシナリオをベースにしているハードSFなんですが、
 見せ方が巧いのであまりそうは感じませんよね。

 「近未来」という適度にスペオペ的な安直さと、それでも「今の発展系」という巧い考証が、
 ハードルを適度に下げ、初心者もコアなファンも楽しめる娯楽性を持っています。


 オイラ的には、この辺のジャンルの作品を読んだり観たりするのがSF入門としては良いと思うのです。
 どうでしょうか?


■まとめ

 よくある勘違いですがスペオペといえば宇宙物というのがあります。
 

 まあ、古典スペオペの成り立ちから見れば間違えはないのですが、
 今の位置付け的には「ライトSF」という感じをスペオペといってもいいと思います。

 また、ハードSFといっても、その科学考証はあくまでも物語りの背景の一部であり、
 論文じゃないのでそれだけを延々と語るものでもありません。

 実はファンタジーと似ているのです。


 ファンタジー世界だから何でもありというライトなものから、
 世界観そのもを全て創作されたフルファンタジーまで様々あると思いますが、
 どれが好きかは読み手側の趣味の問題です。
 SFも違いはありません。

 ファンタジーが好きな方はどんなファンタジーが好きかという傾向を、
 そのままSFのスペオペ寄りかハードSF寄りかに置き換えて探してみると良いかもしれません。


 きっと、楽しめると思います。


 さて、最後に万一この長いだけでいい加減な駄文をここまで読んでくださった方がおられたなら、
 ここで深く感謝いたします。

 色々と突込みどころもおありでしょうが、どうか堪えて頂き、
 あまりこのジャンルが好きではなかった方に、
 少しくらいは興味が湧くことをいっしょに祈ってくださると幸いです。

 オイラはまたフラフラとどこかへ彷徨っていきますが、気が向けばまたこちらに顔を出すかもしれません。
 そのときはなにとぞ広い心でオイラの戯言をお聞き流してくださいますよう。お願いいたします。

                      ではでは


三毛招きさんからの意見
 駄猫さんお久しぶりですー
 さて、ライトSFオタとして(ライトSFのオタではなく、ライトなSFオタの意)としてひとつ。
 スペースオペラについてちょっと追加を。

 スペースオペラは本質的に日本にはなじみません。


(異論はあるでしょうが一応最後まで聞いてください)
 それは何故か?

 それは日本人が「個人の英雄」ではなく「集団の英雄」を求めるからです。
 「鯛の尾より鰯の頭」という言葉どおり、一国一城の主、一族郎党を率いてこその英雄なのです。

(ちなみにですが、諸葛孔明、山本勘助、秋山実之など、
 『軍師』『参謀』がもてはやされるのは日本だけらしいです。欧米では参謀はあくまで「アドバイザー」)

 ですから、西部劇(ホースオペラ)の直系という意味でのスペースオペラは日本では流行らない、
 もっと言えば、無いんじゃないかと思います。
  かといって、日本にスペースオペラが無いわけではありません。

 日本に来て、スペースオペラは変化しました。
 『群像劇』としてです。

 
 つまり、一人の人間の生き様よりも、集団の中で個人がどう振る舞い、
 集団をどう導くかにスポットを当てるわけです。
 もっともメジャーなところでいうと「銀河英雄伝説」などが当たるでしょうか。
 あの作品には明確な主人公が存在しません。
(ヤン・ウェンリー、あるいはラインハルト・フォン・ローエングラムという人物のかかわらない場所でも
 物語は進みます)
 
 この資質は割りと昔から変わりませんね。
 ヤマトしかり、タイラーしかり、最近だと星界しかりです。
 日本のスペオペの最大の特徴ではないかと


黒尻尾の駄猫さんからの意見
 お久しぶりです。

 どなたかは「今のスペオペはそうじゃないぞ!」と仰るだろうなと思い、
 古典スペオペなる造語まで作ったのですが、やはり説明不足でしたかね。

 結論から言えば、オイラの言ってる事も三毛招きさんの仰っていることも誤りではなく、
 また、どちらも違うと判断する視点も存在します。

 別段、厳密な分類方法があるお話ではないので、これ自体を更に進めようとは考えておりません。

 ただ、日本に海外TVシリーズのスペオペがやってきたころ、
 日本でも「キャプテンウルトラ(小林稔侍も宇宙人役でレギュラー出演していた)」とかが作成されました。
(まあ、それより以前に手塚治虫や石森章太郎が、
 未来物やサイバーパンクに火をつけていたりするのですがね)

 そうした和製スペオペが宇宙物というジャンルを築き、
 後のウルトラマンのシリーズへとつながります。


 銀河英雄伝説が出たので同世代の宇宙英雄物語も触れておきますが、
 これはあえてレトロチックに古典宇宙観を舞台にしたスペオペの王道作品でもあります。
 また、当事だと今のラノベに当たるもので とまとあきが
 「わたしの勇者様シリーズ」等を書き上げていたりします。

 ヤマトは一応ハードSF寄りの作品で、星界もちゃんと科学考証を下地にしたハードSFだったりはします。
(まあ、宇宙物=スペオペでもいいんですけどね)。

 ただ、仰るとおり、今の日本における平均的なスペオペの概念は、
 海外のそれとは大きく異なるであろうとオイラも知ってはおります。


 まあ、繰り返すようですが、この辺は細かくやると長くなる一方のなので、ご勘弁のほどを(汗

                       ではでは。

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