ライトノベル作法研究所
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  4. 萌え要素公開日:2012/02/02

萌え要素の効果的な利用法とは?

 萌え要素とは『メイド』『巫女』『妹』『猫耳』『眼鏡っ娘』『幼馴染』『ツンデレ』といった、一定数の人々から嗜好されるキャラクターの要素、性質、属性のことです。

 『妹』という要素を持ったキャラクターに人気が集まり、これと同じ要素を持ったキャラクターなら受けるだろう、という商業戦略や「妹、最高!」と影響を受けた偉大な先人たちの創作活動の結果、『妹』キャラクターが大量に作られ、消費されるようになりました。

 この現象は、妹の他に『メイド』『巫女』『猫耳』『眼鏡っ娘』『幼馴染』といった要素でも起きました。
 この結果、例えば『巫女』と聞いただけで、受け手は脳内に蓄積された過去のデータから、その容姿や性格、巫女関連のイベントを半ば条件反射的に想像し「おおっ、巫女さんいいなぁ!」と萌えて(興奮して)しまうような状況が発生しました。
 こうやって生まれたのが萌え要素です。

 『メイド』と聞いたら、多くの言葉を費やさなくても、メイドの魅力がすでに受け手の脳内に刷り込まれているので、メイドという要素を持ったキャラを登場させれば、その魅力がキャラに上乗せされるというわけです。

 萌え要素は、試行錯誤の末に発見された人々の嗜好の最大公約数的な存在でもあり、これを含めたキャラクターを作れば、必ず一定数の人(オタク層)に支持されることが、マーケティング的にも証明されました。

 このためギャルゲーなどでは、萌え要素を持ったキャラクターが必ず要所に配置され、似たような性格や言動を取るようになりました。
 メイドなら主人に従順、幼馴染なら主人公を朝起こしに来る世話焼き、などです。

 やがて、『メイド』で『猫耳』で『妹』などの、複数の萌え要素を併せ持ったキャラクターも作られるようになりました。
 それぞれの要素の魅力を複合的に付加されるので、それだけ強力な魅力を持ったキャラになります。
 このような経緯から、キャラクターとは記号の集合体であるという概念が生まれ、記号同士をいかに結びつけ、新しいキャラを創造するか? 
 といったキャラクター創作論が台頭しました。

 しかし、萌え要素によって得られる魅力には問題点があります。
 キャラの物語中での言動によって醸し出される本質的な魅力ではなく、受け手の脳内にある『メイド=最高!』という過去作品から作られたイメージ、及び嗜好に頼った付加的な魅力だということです。

 ロールプレイングゲームに例えると、『メイド』という要素は、装備するだけでキャラクターのパラメーターを手軽にアップできる剣や鎧のようなものです。

 これは受け手に「メイドは最高である」、という萌え要素を解する大前提がなければ成立しません。
 また大量の萌えキャラが乱造された結果、萌え要素は飽きられつつあります。
 いくら好きでも、洪水のように供給される萌えに接し続ければ、食傷気味になるのは当然です。

 『メイド=最高!』のイメージが『メイド=またかよ! もう、うんざり……』に変われば、キャラクターに付加されたメイドという萌え要素は狙い道理に機能しなくなるだけでなく、マイナス要因にさえなるのです。

 実際に2010年に私がプレイしたギャルゲー(け、研究のためなんだからね!)に出てきた猫耳娘は、耳を触られると、「うにゃー!」といったお決まりの擬音を発し、またかよ! という気分にさせられました。
 たいした意味も、ストーリー的な必然性もなく、「とりあえず猫耳さえ出しておけば、ウケルだろう」という安直さが透けて見えるようになると、ゲンナリします。

 こうなってくると、萌え要素があるだけで、「既存作品の劣化コピー」「没個性」「あざとい」といった悪いイメージを抱くようになります。

 しかし、こういった萌え要素に頼らなければ、ゲームが売れないのも事実です。
 萌え要素をまったく含まないキャラばかりのギャルゲーなど、リスクが高すぎて、挑戦できません。
 作り手は、既存作品の大同小異になっている、飽きられつつあるのがわかっていながらも、作品を販売するために同じ手法に頼らざるを得ないというジレンマに陥っている訳です。

 これはすでに2005年に野村総合研究所の書籍『オタク市場の研究』によって、指摘されていた問題点です。
 萌え要素は開拓し尽くされ、消費し尽くされ、新機軸を打ち出せぬまま、キャラクターは単なる記号の組み合わせのテンプレート的な存在に堕していき、オタク市場の衰退を招いています。

 前例として、1980年代までは、マジンガーZを元祖とするスーパーロボットは、『男の夢』『ロマン』というイメージがありました。
 アニメにロボットが出てきただけで、「おおっ! かっこいい!」と喝さいすることができたのです。
 しかし、スーパーロボットが大量に作られて消費されると、徐々に飽きられ、2000年代に入ると、ロボットアニメはすでにブームの去った過去の遺産になりました。
(科学の魅力が無くなったなど、社会的背景もスパロボ衰退の原因としてあげられます)
 今では、ゲーム『スーパーロボット大戦シリーズ』で回顧主義的に楽しまれる程度です。

 スーパーロボットがブームになっていた時期には、ロボットを出せば、それだけでヒットしましたが、ブームが過ぎ、人々の中からロボットに対する熱が無くなれば、これは通用しなくなります。
 同様に、萌え要素という借り物の魅力にのみ頼ったキャラは、それが失われれば、中身のないペラペラなものになりがちなのです。

 つまり、どのようにして既存キャラの劣化コピーではなく、生きた人間を描けるかが重要だと言えます。

 時代が変わり、ブームが変わっても、永遠に支持されるのは、やはり、人の心をうまく描き出した良質なドラマです。
 ただ、萌え要素は多くの人々の嗜好の最大公約数的な存在でもあり、その効果を完全に切り捨てるのは下策です。
 萌え要素のみに頼るのではなく、

 物語中でのキャラの行動によって醸し出される本質的な魅力にプラスして、萌え要素を織り交ぜるのが、理想的です。

 萌え要素は前面に押し出しすぎると、あざとい感じになったり、既存作品の劣化コピーとみなされるので、キャラの味を引き立てるための隠し味、スパイス的に挿入するのが正解だと言えます。

萌え要素の本質とは?

 『妹萌え』『幼馴染萌え』の本質、根源とは
「俺を尊敬してくれる、かわいい妹が欲しい!」
「俺を理解し、世話してくれる幼馴染がいてくれたら良かった!」
 といった類の現実世界では決して叶えられない夢や理想です。

 世界に残る神話や伝説などには、アーサー王やオイディプス王、ペルセウスなど、とにかく王様が不幸になって死ぬ話が多いのですが、これは庶民の密かな願望、
「王様は幸せで、ずるい! 王様死ね!」
 を反映しているからです。
 王様が絶大な力を持っていた時代、こういった物語は人々のルサンチマンを密かに解消したのでしょう。

 物語は『現実では叶えられない夢を、空想世界で代理的に叶えてカタルシスを得る』という目的を持った物です。

 俺だって英雄になりたいよ! と思っても、実現は困難なので、物語の中で、英雄である主人公と自分を一体化させて、楽しむ訳です。

 『メイド』が絶大な人気を誇る萌え要素となったのも、
「俺を尊敬し、かいがいしく世話してくれて、しかも絶対に裏切らない若くて美しい理想の女性」
 を体現したのが、メイドだったからです。

 空想の中で、妹や幼馴染やメイドから、愛され大事にしてもらうことで、現実世界で負った傷を癒す、叶わぬ願望を代理的に満たす、というのが萌えの本質な訳です。
(萌えがこれだけブームになったのは、戦後、社会背景的に家族が壊れ、恋愛や経済システムが弱肉強食化し、心に傷を持った人が増えたからではないかと分析します)

 すごく女々しくて現実逃避的でキモイ理屈に聞こえますが、これは太古の昔から、神話や伝説を通して行われてきた伝統的な精神浄化システムなのです! 
 伝統バンザーイ!

 これを忘れ、『妹』『幼馴染』『メイド』を単なる記号と見なして扱ったのが、萌え要素の形骸化を招いたと言えます。

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