aiさん著作
ジャンル: 大学生、手話
宮村マユは、うまく聞き取れなくて聞き返した。彼女に話しかけたシホは、「ちょっとー」と言い、同じグループにいた他の二人も苦笑した。
マユ、シホ、ワカナ、タカコ――高校生のときから一緒で大学一年生の今に至るまで、ずっと一緒に行動している。高校一年生のときに友だちになってから(きっかけは覚えていない)何となく一緒に行動するようになって、何となく一緒の大学を受け、そうして全員受かった。マユとしては新しい友だちを作りたい気持ちがあったものの、なかなか離れられなかった。こうやって昼食を食べるときだってそうだ。たまにはひとりで食べようかと思ったら電話がかかってくる。――『今どこにいるの』『食堂だよ』『どの辺?』『一番トイレに近いとこ』『わかったすぐ行く』
何となく、面白くないものを感じるマユだった。そんなことを考えていると、やや暗い表情になる。
「マユさ、最近耳大丈夫?」
マユの表情を見たのか、ワカナが少しだけ心配そうに訊いてくる。シホは遠慮がなくて、「ちゃんと聞いとけよー」と面白くなさそうだ。しょうがないじゃんと思いつつも聞いていなかったのはこっちなので、マユは笑顔になって「ごめんってー」のひと言で許してもらう。
「で、なんだって?」
「マユのピアノの発表会、いつだって聞いてるの」
マユは「ああ」と言って、その日を答えようとした。しかし、出てきたのは全然違う言葉だった。
「ごめん、今回出ないんだ。ほら、受験でしばらく休んでたからさ、練習不足ですよ練習不足」
「へー、そうなんだ」
嘘をついた。本当は受験生のときもずっとピアノ教室に通っていた。しかし、この三人は覚えていないようだ。今も週に一回教室に通い、毎日一時間は練習をしている。六月末の発表会には、どんなことがあっても出るつもりだ。順番も、最後から三番目というなかなかのポジションをもらっている。五十人近く発表することを考えると、すごくいい場所だと思っている。一概に最後の方がうまいとは言えなくても、発表会の終盤を任されるのは信頼されている証のひとつだ。
なぜ嘘をついたのか、わからない。ただ、わかりたくないなと思った。そう思うことが、実はわかっている証なのかもしれないけれど。
四人は同じ講義をとっている。今日も食事の後、すぐに講義がある。文学部に所属している四人は、『日本文学概論』の講義を受けるべく教室に向かった。
マユにとって興味のある講義なので前の方に座ろうとしたら、シホに「前過ぎない?」と言われた。
「うん、でもちょっと今回のだけは興味あるんだ。ダメかな?」
「ま、いいけど」
シホがそう言うと、ワカナとタカコも前から三列目と四列目に渡って腰を下ろした。マユ以外の三人はすぐに話しはじめた。マユは少しだけワクワクしながら教授を待った。いつもは教授が来てからノートを開くのだけれど、今回だけはすぐにノートを準備し、筆記用具も出しておいた。
講義がはじまる五分前、自分たちの座っている席の二つ前――つまり最前列に、五人のグループがやってきた。人数的には自分たちとひとりしか差がなくても、やけに大所帯だなとマユは思う。
五人のうち二人が、教室の前の方にあった使われていない椅子を運んで来る。何をする気なのだろうと思ったら、堂々と教壇に背を向けて座った。最前列の学生と向き合う形になる。
これはいったい何だろうと思ったものの、あんまりじろじろ見るとよくないかもしれない。マユはすっと目をそらした。
しかしどうしても気になり、視界の端で少しだけ見えるようにしておいた。教卓を見るようにすれば、彼らの姿が少し見える。
そのとき、教壇に背を向けていた学生のひとりが、口をパクパクさせながら手を動かしはじめた。それでわかった。これは手話だ。
話しかけられたらしい男子学生が、手を動かしている。背中を向けているから顔や口は見えないけれど、同じように口を動かしているのだろうとわかった。彼の手が止まったとき、グループの四人の学生が楽しそうに笑った。
みんなを笑わせた学生が話し終わると、その彼の右に座っていた女学生が「じゃあさ、そのとき花火してた人って、本当に上半身裸だったの?」と訊いた。その質問は、隣の学生の耳には届かない。彼は、ろう者なのだから。だから、教壇に背を向けるように座っていた学生のひとりが、手話で伝える。手話を通じて質問を理解した彼が、何度もうなずいた。質問をしていた女学生が笑う。
ずいぶんと大変なんだなとマユは思った。面倒そうだな、とも思う。電話で話せばすぐにわかることを、ひたすら文字で伝えようとしているかのような感じ。ずいぶんと手間がかかるだろう。大変なんだなと、もう一度思う。
それでも彼女は、自覚なしにずっとその光景を見ていた。たとえどんなことを思っても、関心があることに違いはなかった。それがなぜなのか、彼女にはまだわからない。
※
家に帰ってから、発表会で演奏する曲を何回か練習した。一応長年ピアノを弾いているので、一日に十回も弾けば一週間で聞くに堪えるレベルにはなれる。プロからすれば怠けているように見えるかもしれない。しかし自分はアマチュアで、あくまで趣味で弾き続けたいと思っている。楽しく続けるという前提を守るためにも、絶対無理はしないようにしている。弾いてる途中に、「あ、これ苦行だな」と思ったらキリのいいところですぐにやめる。修行僧じゃないんだから、楽しくできればそれでいい。焦って回数を増やそうとすると、嫌になって次から始めにくくなり、結果的に回数が少なくなる。できるできないを分けるのは、やるかやらないかだと思っている。
発表会で弾く曲を十回程度練習してからマユは電子ピアノのふたを閉め、自分のベッドに寝転がった。
気の向くままに読みかけの本を読んでいた。二十分くらいして本に飽きるとパソコンをいじり、動画サイトを覗く。twitterで呟く。そんなことをしている間にシホたちからLINEでどうでもいいメッセージが届く。会話に参加する。そうしてあっという間に一日が終わる。時間は大量に余っていたはずなのに、どうでもいいことに使い始めるとあっという間に夜が遅くなる。そろそろ寝ないと、明日の講義も眠たくなってしまう。今日がそうだったのだから。しかしベッドの中に入って目を閉じても、なかなか眠れそうな気がしない。寝付くのに、最低でも一時間くらいはかかる。もっともそれは、十一時にベッドに入った場合の話で、珍しく十時半にベッドに入ったときは、一時間半くらいかかってしまった。早く寝る気になれない理由のひとつは、結局のところ寝付く時間がなぜかいつも同じくらいになってしまうからだ。
ベッドの中で、焦りを感じながら考えごとをする。
自分の人生は嫌いではない。しかし、何かが物足りない気がする。アルバイトはしていない。それほどお金を使わないからお小遣いだけで充分だ。大学の講義の予習や復習の必要も感じない。
つまり、やることがない。
大学に入学してからはや二週間、予想以上に暇で驚いた。魅力的な部活も見つからなかったし、アルバイトもしたいと思えない。ボランティアにも興味はない。意外と、文系の大学生はやることがないのかもしれない。
高校生までは、休みが欲しいと常に思っていた。部活にも参加していたし、塾に通っていたからだ。だから、いつも自由な時間が足りていなかった。しかし、いざそれがたくさん与えられていると「休み」だったものは「暇」になり、「退屈」になり、「苦痛」になり――少しだけ「恐怖」になりつつある。
こうやって怠けている間に、本当に大切なものを失っているような気がする。では、何をすればいいんだろう? 勉強? でも何の? 英語? 政治? 経済? 自分の好きなこと? ――そうか、自分の好きなことだ。でも、自分の好きなことって何だろう。そもそも、自分って何だろう。こうやってゴロゴロしているわたしは、他の誰かとは違う人なのかな。
彼女は、「自分」をまだ見つけられていなかった。だから、ひらめきなどからやってくるはずのサインを読み取れず、行動に移れなかった。その割に「自分」は早く見つけろ、満たせ、と叫ぶものだから、それを聞き続けている彼女は不安になった。何かをしないといけない気がするけどそれが何かはわからない。だから踏み出せない。そういう状態に陥って抜けられずにいる。ここ数日、「大学生になったらするべきこと」「大学生がしなければならないこと」のようなワードばかりキーボードに打ち込んでいる。自分と同じような人の集まるスレッドを見ては笑って、そうして虚しくなる。
答えは、まだ見つかっていない。探しているなら答えに近づいていても不思議じゃないのに、なぜか日に日に怖くなっていく。その感情が、自分の人生がどんどん悪化している証のようだった。
※
マユは学校にいる間、ほとんどいつもの三人と過ごしていた。四人とも同じ講義を取っており(それとなく別の講義を取ろうとしたらシホが同じものを取り、続けざまに全員取ることになった)、食事も同じときに取る。きっと仲の良いグループだと思われている。
いつも一緒――すごく重たい。マユとしては身動きのとりにくいこの「ひとり」が嫌だった。どうしても遠慮しなくてはいけない。遠慮しなくてもいいタイミングでさえも、遠慮を求められているようで気分が乗らない。
これは口にすることができない本音だが、どうせなら、統一感のある本当の意味でのひとりになりたい。孤独――孤高か――に憧れる気持ちが確かにある。しかし、勇気が足りない。
マユの耳が聞こえにくくなってきたのは、そんなときのことだった。ゴールデンウィークが終わったころのことだ。
「だ、か、ら!」
シホの声が段々と荒々しくなっていく。決して争いごとを好まないマユは、引け腰になった。
「ごめん、ごめんね」
「もういいよ」
話が切れてしまった。どうでもいい話だったのだろう。しかし、どうでもよかったとしても聞く側の態度は決して悪くてはいけない。自分はそれに反したのだとマユは思った。
「マユさ、本当に耳大丈夫? 病院行った方がいいんじゃない?」
ワカナがそう言う。
「うん……でもね、異常がなかったんだ」
「聞く気がないんじゃない?」
シホが険のある声で言った。それが刺さってしまうのは、図星だからだろうか。
「それはないでしょー」
タカコが笑いながら言う。
「とにかく、ごめん」
シホは何も言わなかった。謝られるよりも、改めてほしい。しかしその手段が見つからない。彼女自身も困っていたのかもしれない。悲鳴を上げているのは、マユだけではないはずだ。
やや険悪なまま、四人は午後の講義に臨んだ。
四人の口数はその日、とても少なかった。マユは思う。シホの態度、だんだんキツくなってきたな。心が弱っているときに限って、それを助長するような出来事が降りかかるのは、一体どうしてなんだろう。
とにかく今日は早く帰ってゆっくりしようと思った。明日は土曜日だから、ゆっくりできる。
※
土曜日。
下の階から自分を呼ぶ母の声が聞こえにくい。音は耳に入っているのだけれど、輪郭がはっきりしないというべきか、やや聞いたことのある外国語のように聞こえる。ぐにゃぐにゃしていてどこで切ればいいのかわからない。
「何?」
マユは少しだけ大きい声で返す。言いながら、部屋から出て階段まで歩く。できれば大声での話はしたくない。大声を出すだけでも疲れるし、何より相手の声が聞き取れないことにイライラする。階段の下に母がいた。階段を挟んで向かい合う形になる。
「お母さん出かけてくるから、その間電話が来たら取って」
母の用事はそんなどうでもいいことだった。呼び出し音がなかなか止まらなかったら、言われなくても出る。彼女は、不要なお知らせメールを何通も受け取るときのような不快感を持った。
「わかった」
彼女は少しキツめの声で応じる。そうして部屋に戻る。
二分も経たないうちに、下からまた母の声が聞こえた。マユはやはり聞き取れなくて、思わず「何!?」と荒々しい声が出た。
「鍵閉めに降りてきて」
「閉めとくからいつでも出て行って」
部屋に戻るころには、マユの眉間にはしわが寄っていた。これだけの会話で妙に疲れた気がする。
さっきまで弾いていたピアノの前に戻る。ピアノに限らず、作業中に邪魔をされるとマユは不機嫌になる。デリケートな彼女には自分だけの時間が必要で、それを奪われたと感じると、とてつもなく心が乱れるのだった。
だからなるべく部屋にいるようにしているのだけれど、やはり一緒に住んでいる以上難しいものもあるようだ。ひとりでいたいな、とつくづく思う。
一気に疲れてしまったので、ピアノを弾く手をいったん止めた。パソコンを立ち上げて、動画サイトを見る。そのときふと、ぞっとするものを感じた。
自分は今、画面上にあるボリュームを最高値まで上げようとしていた。今までは、半分くらいで充分だったのに。
怖くなって、一旦音量を半分にしてみる。動画を再生する。聞こえる。しかしこの動画、こんなに音が遠かったっけ? 何度も見ているピアノの演奏動画だからこそ、違和感しか感じられない。
ピアノの方を見つめた。弾いてみる。聞こえる。
気のせい、だよね。それでも不安は、消えなかった。
※
日曜日になって、母に聞かされたことがある。
最近少しピアノの音が気になると、隣の部屋の人に苦情を言われたらしい。
※
不幸なことは、重なるものだ。
月曜日。マユはついに、シホたちとはいられなくなった。
「正直さ、話を途中で切られるのっていい気分しないんだよね。どんだけこっちが我慢してると思う?」
日に日に耳の様子は悪くなり、今日は三、四回聞き返してしまった。それで、シホはキレてしまったようだ。
シホが怒っていることはわかる。怒りたい気持ちもわかる。それでも、その気持ちを伝える手段である言葉が、ただの音にしか聞こえない。だから何も言い返せなかった。
「ごめん」
そうひと言だけ言って、立ち上がる。体が勝手に動いた。これ以上ここにいても、仕方がない。そう確信したのかもしれない。行き先は決まっていなかった。だから、何も考えずに歩いた。
食堂を出て、トボトボと歩く。次の講義は――出なくていいだろう。はじめての自主休講、罪悪感はない。それ以上の罪悪感が自分の心を埋め尽くしているのだから。
「何にも、無くなっちゃった」
ひとり言を言う。何人かの学生が振り返ったが、気にならなかった。
「無くなったんだ」
もう、戻れない。力のない笑い声が出た。笑い声と一緒に、心の中に入っていたものが出ていく。罪悪感は消えた。何にも無くなった。
しばらく歩いていると、次の講義の時間を知らせるチャイムが鳴った。サボった罪悪感を、マユは一瞬感じた気がする。それでも、空っぽの心には、チャイムの音が何を意味するのかさえほとんどわからない。
ふっと空を見た。どうして今日に限って、憎たらしいほど青くて綺麗なんだろう。
その空の下に、ベンチに座った女学生を見た。小さなお弁当を食べている。
最近は、五月でも相当暑い。お弁当が腐って危ないから、という問題以前に暑苦しいから外で食べている学生はほとんどいない。彼女はひとりだった。
どうして彼女のことが気になったんだろうと思ったところで、気づく。彼女は、『日本文学』の講義のとき、一番前の席で講義を受けていた学生だ。聴覚障がいのある学生を取り巻いている内のひとりだ。
「あのさ」
頭で考えるよりも先に話しかけてしまった。普段ならこんなことは絶対しない。ただ、引っ張られるようなものを感じたのだった。
しかし、マユは話しかけたことをやや後悔した。何やってんだあたし、という理性的な自分が咎める。それでも彼女の口は勝手に動いた。
「よく、前の方で授業受けてるよね? 同じ学部だっけ?」
「えっと」
女学生は少し困ったようだった。それもそうだろう。知らない学生に、「わたし(当然わたしのことは知ってるよね)と同じ学部?」と訊かれたのだから。
「ごめん、ごめんなさい。明らかに順番間違えました。えっと、あたしは文学部なんだけど……」
「あ、わたしは教育学部です」
しかも違う学部だった。話しかける学生を間違えたかなとマユは思う。
「でも、ノートテイクのこと、かなぁ? よく文学部の講義には出てるけど……」
「ノートテイク?」
女学生が簡単に説明してくれる。要するに、耳が聞こえない学生の代わりに、ノートを取ることだという。ただしそのノートは黒板に書かれたことをそのまま書くわけではない。原則として、先生が口にしたことを一字一句漏らさずに書くのだという。通りで熱心に講義を受けていたわけだ。
「そんなこと、できるの?」
「さすがにできないよ。――できないですよ。
だから、書くには書くんですけれども、なるべく要点だけを判断して取るんです。言い直しとかがあれば、前に言ったことを消したりして」
マユは自分がまったく敬語を使わずに話していることに気づいた。相手の女学生も同じだ。しかしマユよりも女学生の方が気づくのに早かったらしく、二人の関係は「友だちとまでは言わなくても不思議と話せる知り合い」から「他人」に逆戻りした。マユはあるべき手順に気づいて尋ねた。
「あ、ごめんなさい。えっと、何年生ですか?」
「一年生です」
「あ、あたしもなんです。だからその、敬語使わなくていい、よ?」
「あ、そうなんだ……」
お互いに安心の空気が漂った。しかし少し遅れて話題の切れ目が来た。
沈黙。
「あ、とりあえず座って?」
女学生がマユに勧めた。マユはお礼を言って座る。女学生はテーブルが一体になったベンチに座っていたので、マユと向かい合う形になる。
話がない。知らない者同士――気まずさを呼ぶ者同士での対面は、非常に危険なのだとマユは思い知った。
「ノートテイク――だっけ? あれって、難しくないの?」
「難しいよ。よく失敗する」
「へえ」
「うん」
また沈黙が来た。こういうときにマユは、ひとつの賭けに出ることにしている。
それは、この気まずさそのものを話題にしてしまうという賭けだ。
「なんか、何話していいかわかんないよね、ごめんね」
マユは自虐的に笑った。
「いやいや、いいのいいの。というかごめんね、わたしもあんまりコミュニケーションが上手じゃなくて」
「いやいやいやいや、それはあたしもだから、ね」
「充分うまいと思うんだけど……」
「ってかさ、よくこういうとき漫画とかだったらすぐ打ち解けるよね、あれなんで?」
マユが話題を変えると、女学生はくすっと笑う。
「なんか相手がつっかえたタイミング見極めて名乗ったりするよね」
「そうそうそう。『ありがとう、えっと――』『あ、ごめんね。あたしは花子だよ』みたいにさ!」
「なんで花子なの」
女学生が声を出して笑い出した。控えめで、可愛らしい笑い方だった。マユも笑う。
「言い忘れたから言うけどあたしは宮村マユって言います」
「わたしは山橋ユキホです」
「あ、そうなんだ、へえ」
言ってから、マユはやらかしたーと思った。このタイミングで相手の名前を呼べないと、後々急に呼びにくくなる。相手の名前を呼ぶのも挨拶をするのも先手必勝なところがあって、最初の段階でできないと後からすごくやりにくい。「ユキホちゃんっていうんだ、かわいい名前だねー」のひと言でも言えたならば、相当この後の関わりが楽になっただろうに。
打ち解けたことに安心はしたものの、少しだけ悔いが残ってしまった。
そうしてまた沈黙が訪れる。そのタイミングでマユはトイレに行った。催したわけではなくて、一旦頭を整理して冷静になろうとしたからだ。「ごめん、ちょっとあたしおしっこして来るわ」とご飯を食べてる人の前で卑屈な笑みを浮かべて退席する。
戻って来てまた話す。話題はすぐに切れる。それでも話す。震える手で恋人の袖を掴み、手を掴み、指を絡めていくような、ぎこちなくても心地いいコミュニケーションだった。
話している途中に、マユは気づいた。ひらめいたようではなくて、じわじわした感じの、ゆったりした気づきだった。
ユキホの言っていることを、一度も聞き返していない自分がいる。ユキホはかなり声が小さい。にもかかわらず、すっと入ってくる。そして、気づいた。
音が、戻っている。今まで遠い世界にいたような気分だったのに、夢から醒めたかのようだった。「自分」が帰ってきた――そう思った。
本当に、不思議な気持ちだった。
その日のピアノの演奏は最高だったと、マユは思っている。
※
運命的なものなのか、マユはその後しょっちゅうユキホに出くわすようになった。
彼女はいつも同じベンチでご飯を食べていたので、時間が合うときはマユもそちらに行くことにした。
ある日の食事中、ユキホがこう言った。
「マユちゃんも、ノートテイクやってみない? ちょっと人が足りないんだ」
※
ノートテイクのやり方は、意外と単純だった。二人一組で耳が聞こえない学生に付いて、その人を挟むように座る。順番を決めて、どちらかが先生が言うことをルーズリーフに書いていく。その人のルーズリーフが終われば(あるいは終わりそうになれば)、もうひとりが書き始める。基本はそれだけだ。もっとも、要点をまとめることもあるし、教科書やプリントの参照箇所や読んでいる場所を示すこともある。しかし本当にそれだけだという。それだけでも、ひとコマにつき千五百円の報酬が支払われる。
もし都合がつけば、手話通訳できる人も来てくれるという。しかしただでさえ人手不足なので、あまり期待はしないでほしいということだった。
「できるだけ、ノートテイクだけで伝えるようにしてほしいの」
ノートテイク担当の大学職員はそう説明した。
「じゃあ、今度いつ空いてるかな? 山橋ユキホさんと時間が合えば、一回一緒に練習してみようか」
そう言って、マユの空き時間を確認した。幸いにして、一コマだけ、ユキホと重なる時間帯があった。
※
ひとコマ目の講義なのに、ユキホは張り切っていた。マユが手伝うことにしたから、嬉しいのかもしれない。
「じゃあさ、わたしが書き始めるのと同時に書いてみて。書き始める目安は、前の人が最後の二行目に入ったくらい。今回はわたしが合図するからね」
「わかった」
講義がはじまる。耳の聞こえない学生の左隣にいる学生が書き始める。それと同時に、向かい合う形で座っている学生が手話を始めた。改めて聞いてみると、話すのはとても速い。そして先生自身もただ原稿を読み上げているわけではないから、言い間違えや言い直しがある。そのたびに左側の学生は書いたものを消したり書き直したりして、必死に対応していた。
じっと見ていると、どんどん残りの行が少なくなっていって、やがて最後の二行目に突入しようとしていた。ユキホがマユの方を見て、うなずいた。ユキホとマユは、同時に先生の言葉をメモし始める。
ひどいものだった。ユキホは慣れているらしくサラサラと書いているが、マユはちっとも書けない。意外と簡単かも、と思った次の瞬間には「読」という漢字に時間を取られた。平仮名で書いても構わないし、わかるように略しても構わないと言われていたが、とっさに対応することはできない。しかも先生は待ってはくれない。
「ですからこの史料には、お経のことが書かれているということがわかりますね。お経には南無妙法蓮華経とか、南無阿弥陀仏とか――とにかくたくさんありますけれど、ここでは西方という単語があることから、念仏の話だと思われます。西方というのは、要するに浄土のことですね。西方浄土とか、極楽浄土と言われます。阿弥陀如来がいるということで、みなさんもご存じだと思います。知ってるよね?」
この言葉を聞きながらマユはパニックになりかけていた。「資料」と書ききってから、一気に消した。歴史的な文献のことだから「史料」と書かなくてはいけない。それほど重要なミスではないのだが、間違えたということに気が動転してしまってそこでほとんどペンの動きが止まってしまった。「史料」と書き直そうとしたら、書き間違えて「資」という字の上の部分の「次」と書いてしまい、また消さないといけなくなった。しかも、慣れない高速の筆記は手への負担が大きく、ペンが指から離れそうになることもあった。また、わずかに集中が切れて何を書けばいいのかわからなくなったときは、禁断症状のように手が震えた。
意外と早く講義は終わった。達成感はほとんど味わえなかったが、安心感があった。
「大変だったでしょ?」
「自信が無くなりそうだったよ」
「でも結構書けてるよ」
「ホントに?」
「ホント。最初だとは思えないくらいだよ」
「そっかな。じゃあさ、ユキホ先生はどんな感じで書いたの?」
彼女のノートには、以下のように書かれていた。
この しりょう には お経 が かいてある。____は たくさん ある。けど ここでは 西方 って単ご があるよね、だから ねん仏→念仏 かな。 ___は、(___・ごくらく)じょうど→浄土 だよね。 あみだ仏 がいるとこだね
見れば、「お経」という単語にアンダーバーが引いてあり、そこから伸びた矢印が「____は たくさん ある。」の下線のところに向けて差されていた。これで、「お経はたくさんある」と読むらしい。
同じように、「西方」からも矢印が伸びていて、あとの二ヶ所のアンダーバーへと向かっている。「西方は、(西方・ごくらく)じょうど」と読ませるらしい。確かにそうすれば、ずいぶんと書くのが楽になるだろう。
ところどころある右矢印は、訂正を表す。先生が喋っている間はとても忙しくて漢字で書けなくても、暇になったころを見計らって、さらに読みやすい表記に変える。その際、元の字を消して、空いているスペースに正しく書き直す。これで読みやすくなる。
少し じだい→時代 はまえ→前だが (仏) で国を 守ろう という しそう→思想 があった。 ちんごこっか→鎮護国家 という。 (仏)はこのとき、せいじ利よう→政治利用 されていた。
ところどころにある(仏)は、臨時記号のようなもので、「仏教」を表す。頻繁に出てくる単語などは、略し方を決めておけば早く書ける。ノートの上の方の余白に「(仏)=仏教」と書いてあるのは、混乱を防ぐためだろう。ノートテイクを習う際、いくつか臨時記号は教えてもらっていた。例えば正方形を書き、その中に「ト」と書けば、「図書館」という意味になる。「社会福祉」などは、「社福」「しゃふく」でも通じる。つまり、書く人と読む人が混乱さえしなければ、どのような書き方をしても構わないらしい。ユキホは、先生が自分のことを指す場合、「I」と表記していた。「先生」「私」「僕」、少数だけれど「俺」や自分の苗字で自分を呼ぶ人――とにかく一人称はややこしくなりがちだ。だからこそユキホはややこしくならないように、「I」で統一していた。賢明だとマユは思った。
「お疲れ様。宮村さん、どうだった?」
終わってから、報告のため学生課に向かった。そこで職員に笑顔で迎えられる。
「死ぬかと思いました」
覇気のない声でマユが言う。
「でもとっても上手だったんですよ」
ユキホがそうフォローする。
「ん、よかったじゃない。できそう?」
「まあ、慣れればなんとか……なる、かな?」
「即戦力ですよ」
ユキホがそうフォローする。マユはヒヤヒヤした。
「じゃ、ぜひとも山橋さんと同じ時間帯でお願いしようかな」
マユが否定しようとする前に職員が畳みかける。
どうやらノートテイクは人手不足らしい。ちょうど、実習などの理由で何人か抜けそうだから、仕事はたくさんあるようだ。
過剰に期待されているものの、マユが断る理由はなかった。
「よろしくお願いします」
家に帰ってから、学生課からメールが来た。里村直人と言う男子学生を担当してほしい、とのことだった。
※
あらかじめ聞いていた里村という学生は、綺麗な雰囲気のある男の子だった。カッコいいというよりもかわいらしいが似合う。少し幼く見える、と感じたのは失礼だろうか。マユはそんなことを思った。
ユキホが里村に向けて、覚えたての手話で語りかける。ところどころ詰まっていて、ぎこちなかったものの、伝わっているようだった。そして、指文字。ミ・ヤ・ム・ラ・マ・ユ――きっとそう言ったのだろう。里村がうなずく。
――外国人が一生懸命日本語をしゃべろうとしてたら、何となくわかるじゃない。手話だって同じなんだよ。
ユキホが言っていたことをマユは思い出した。
「よろしくお願いします。ちなみに、あだ名は『まゆげ』でした」
マユがそう言うと、ユキホがマ・ユ・ゲと伝えた。里村が笑う。彼も指文字で伝える。ユキホはそれを見ながら、マユに訳してあげる。
「里村直人くん、って言うの」
マユは再度、「よろしくお願いします」と言った。あたしってこれしか言えないのな、と自分のコミュニケーション能力の低さに呆れたものの、案外この程度でも大丈夫なんだなと思った。
安心したのも一瞬のことで、席に着いた途端気まずさが戻ってきた。三人が横並びになって沈黙しているのは、何となく違和感がある。何かを言わないといけないと思ったものの、何を言えばいいのかわからなかった。しかも今回の場合、何かを言うのではなくて、何かを書く、ということに気づいた。書くとなると、余計何を伝えればいいのかわからない。メールでもそうだ。何か要件がないと使ってはいけないような気がする。焦る。とにかく焦る。気まずくて、何とか今の状況を打開しないといけないと思った。
そこでふと気づく。LINEだ。あれも文字だけど、なんかメールとは違う。メールよりもずっと、話す感じで書ける。あの感覚を思い出すんだ――マユは慌ただしくペンを取って、一回ペンを床に落とし、慌てて拾って芯を出し、ルーズリーフに字を書いていく。
『里村さんは何年生なんですか?』
一応年上だったときのことを考えて「さん」付けしておく。それを里村の方へと差し出した瞬間、ユキホとタイミングが被った。彼女も何かを言おうとして、ルーズリーフを差し出したのだった。
うわ、やべえ。
決してやばくはない。よくあることだ。しかしマユは、「やっちまった!」と思った。
ユキホは苦笑してマユにどうぞどうぞ、と促す。マユも同じことをユキホにしていた。完全に被っている。それでもユキホの押しの方が強かったので、マユが先に差し出すことにした。もうすでに質問の返答なんてどうでもよかった。逃げ出したかった。
『一年生です』
男の子っぽい力強くて濃い字で返ってきた。
「え、あ、ふーん」
マユはそう言った。返事が来たところで、またすぐに袋小路に入った。どこかから逃げたいと思って必死に行動を起こしても、なぜかその「どこか」に戻ってきてしまうものだ。マユは口元だけ笑った状態で、里村の方を見て必死に何度もうなずき始めた。何を伝えたいのかがわからなかったが、里村もうなずいてくれた。
「ユキホちゃん、どうぞ」
マユはそう言って、ユキホに会話の権利を譲った。押し付けたと言った方が正確だったかもしれない。ユキホがルーズリーフを里村に見せた。
『新しいテイカーさんです。すごくいい子だから仲良くしてあげてね』
ろう者の学生をノートテイクによって支援する人のことを、テイカーと呼ぶ。
マユは、ユキホのやさしさが嬉しくなった。里村がルーズリーフを受け取り、ペンを手に取る。「いい子」のところにアンダーバーを引き、矢印を伸ばしていく。その矢印の先に、こう書き足した。
『すごくよくわかります』
今度こそマユは、泣きそうになるくらい感動した。
『マユゲさん面白いですし』
触れてほしかったところを初対面で触れてくれる里村は、すごくいい人なんだとマユは感じた。
やがて先生がやってきた。ほとんどコミュニケーションは取れなかった。それでも、もっとも知らないといけないことをお互いに知ったような気分で、マユはすっかり安心した。
だからなのか、はじめてにしては比較的上手にできたとマユは思った。先生がろう者に理解のある人だったのもよかった。しっかりと話すことを考えてきてくれているようで、聞き取りやすく、「えーっと」や「あのー」と言った言葉は挟まれなかったし、言い直しもまったくなかった。
『この先生、自分の言葉をしっかり整理したうえで話してるって感じですね。テイカーさんがこんなにサラサラとわかりやすく書いてるのはじめて見ました』
ユキホがノートテイクに取り組んでいる途中、里村がそう書いてマユに見せた。本当にその通りだと彼女は思った。
片方のテイカーが書いている間、もう片方はすごく暇なので、たまにこうやって会話をすることもある。講義中におしゃべりをしたら怒られる。しかしこうやって紙に書けば、こんなにも簡単に話すことができる。こうやって話すことで、自分たちは三人で「ひとつ」なのではなくて、しっかりとした「ひとり」なのだと思ったのは、マユの思い上がりだろうか。
『なぜかわからないんですけど今、先生の声が実際に聞こえた気がしました。なぜかわからないんですけどね』
ふふっ、とマユは笑った。里村が自分たちを褒めるために冗談を言ったのだと思ったからだ。冗談だとしても、すごく嬉しかった。
※
シホたちと別れたのが五月のはじめ。ノートテイクに取り組む日々はすごく楽しくて、日が経つのが一気に早くなった。知り合いも増えた。ユキホ以外にもノートテイクに取り組む人はいるから、その人たちとも少しずつ話すことができるようになってきた。手話担当の人とも、よく話すようになった。彼らは手話で会話をしているから、たまにわからないこともあるけれど、それでも楽しかった。
里村のことも少しずつわかってきた。社会学部だということ。まだ研究したいことは決めていないものの、宗教についての関心が強く、聖書を高校生のときから愛読していること。仏教の辞典を買おうとしたものの、値段を見て思考がストップしたこと。宗教について詳しく話を聞こうと思って教会に寄ったらそこが新興宗教の団体で、教祖が座禅を組んで浮きはじめたこと。驚いたもののその技の使用用途が限られていることに気づき、がっかりして帰ってしまったこと。
少しだけ耳のことも話した。生まれつき耳が聞こえないのではなくて、途中から聞こえなくなったこと。声は出せるし、話していた時期もあったのだが、聞こえないために段々としっかりした話し方ができなくなり、今では口を利かないようにしていること。
たくさんのことを、話すことができた。やがてユキホと三人で、一緒にご飯を食べるようにもなった。
「いやー、入学したころはこんなことになるなんて思わなかったな。友だちができるなんて信じられなかったよ」
マユがそう言う。ユキホが手話で里村に訳す。
「『マユゲさんには友だち多そうに見えるんですけどね』だって」
「そんなことないよ」
「『意外です。僕自身は、大学に入って友だちできたら奇跡だと思ってました。まあ、できなくても何とかなるだろうなと思ってましたけどね』だってさ、ふふっ」
マユとしてはわからないこともなかった。里村は人より本が好きそうな雰囲気がある。プリントアウトした聖書を持ち歩いているからかもしれない。マユたちが必死にノートを取っている横で、堂々と寝ていることもあるからかもしれない。要するにマイペースだった。さみしがり屋のマユとは違って、里村は他人を必要としていないような雰囲気さえ感じる。それが傲慢さや自分勝手さを感じさせないのだから、不思議なものだ。
「『まああれですよ、自分の好きなことを制限してまで友だち作りたくないなって思ってたんで』」
マユは笑った。今までの自分なら、笑えなかっただろうなと思いつつも。
マユはふと、シホたちといたころを思い出した。きっと四人とも、少しずつ我慢することが友情だと思っていたんだろう。他の三人に嫌な気持ちを抱いていたころは確かにあった。しかしその原因は、本当にあの三人の中にあったのだろうか。
※
五月の末にもなれば、里村ともずいぶん仲良くなった。どう接すればいいのかわからなかったころが懐かしい。耳が聞こえないということに触れてはいけないような気がしたし、逆に向かい合わないといけないような気もしていた。向かい合うとしたら、どうすればいいのか。それもわからなかったころが確かにあった。つまり、慣れていなかった。
一ヶ月近い交流で少しずつわかってきたのは、本当に普通に接すればいいということだった。そんな当たり前のことを、回数を重ねてようやく理解してきた。遠慮はいらなくて、少しだけ配慮すればいい。
それでも時々思う。耳が聞こえない――そのことをどう配慮すればいいのかどうか、わからない。自分のやってきたことが本当にいいのか、わからない。自分ひとりが満足しているだけに過ぎなくて、本当は迷惑なのではないだろうか。そう思わずにはいられないこともある。
講義がはじまる前、そんなことをひとりで考えていた。ユキホと、二人の手話通訳者は里村と楽しげに手話で話している。手話がわからないので少しの疎外感があったものの、邪魔したくはなかった。
講義が終わってから、マユはユキホに話しかけた。
「どう接すればいいんだろうね、ユキホちゃん」
「何も考えなくていいんだよ。思うとおりにやれば、間違いなんてないよ」
ユキホはなんてことない、といった感じで返してきた。この人の思う通りと、自分の思う通りは違うんだろうなとマユは思う。
「気、遣いすぎだって。マユちゃんなら大丈夫だよ、大丈夫」
ユキホはそう言って笑った。しかしその笑みはやや暗い気がする。少し元気がないのかもしれない。
「でもさ、あたし、障がいのある友だちってできたことがなくて――」
「相当上手なヴァイオリニストと比べたら、わたしたちだって全員聴覚障がい者だよ。スポーツ選手からしても、身体障がい者だよね。
単にわたしたちは、里村君とかと比べて少しだけ聞き取りやすい耳をもらっただけだよ。その才能を、相手が欲しがったときに共有してあげればそれでいいんじゃないかな?」
ユキホはさらっとそう言った。言葉では説明できなくても、何か大切なことを聞いた。その衝撃の強さで、マユは一瞬呆然とした表情になった。
ユキホのことを馬鹿にしていたわけではない。しかし、知的というよりか優しい感じ――優しい方面がダントツに伸びていて、他の面は目立っていない――だと思っていたので、ユキホの口からそんな言葉が出てきたのはとても意外だった。目指している遥か遠いどこかから、呼びかけられたような気になった。
「……なんか、すごい感銘受けたよ今」
「感銘を受けた先生の言葉をそのまま横流しにしただけだからね。出典、ちゃんと言った方がいいかな?」
マユは吹きだして笑った。ユキホは優しくて、そして意外と賢い。それに、面白い。長所に三つ目を追加だ。
――障がいは不便ですが、不幸ではありません。
そんな言葉をどこかで聞いたな、とマユは思った。知識でしかなかったものが現実と繋がって、知恵になった。
※
一生懸命やっていたのがよかったのか、ノートテイクのシフトがどんどん増えていった。最初はひとつの講義だけだったものの、教育実習で抜けることになった先輩の代わりとしてもうひとつ追加された。そして、シフトに入れなくなった人の代理として呼ばれることも増えた。
当然だが、ノートテイクをやったからと言ってそれが自分の取得単位になるわけではない。その講義に出席していても、「いない学生」として扱われるからだ。だから、ノートテイクを引き受けているからと言って自分の講義を休むことはできない。
入学してから、一日四コマ連続で講義を受けるのは辛いと知った。幸いにして四コマ連続なのは月曜日だけだったのに、ノートテイクを引き受けたことで四コマ連続の日が二日も増えてしまった。もともとそうだった月曜日に加えて、火曜日と金曜日は、一コマ目から四コマ目まで連続。しかもノートテイクはそれぞれ一コマ目。遅刻するわけにはいかないので、ヒヤヒヤする日が続いた。体調には気を付けるようにと注意されていたものの、朝起きたときに調子が悪かったらどうしようと心配だった。もっとも、一度遅刻しかけて夜更かしは厳禁だと学んだので、早寝早起きが身に付いた。
気分がよくなってきたのは、規則正しい生活のおかげだけではないだろう。自分も支援者の一員として扱われることが嬉しかった。必要とされて、嬉しかった。余裕も生まれた。寝坊癖のある里村に講義がはじまる三分前に自主休講を宣言されても、笑って流すことができた。
シホたちと別れたおかげでフリーになった時間に、いきなり呼び出されても喜んで対応することができた。忘れていたり、急病になったりしてノートテイクに行けなくなった人の代わりを務めることも、楽しかった。
すっかり忘れていた耳の不調が戻ってきたのは、そんなときだった。外からの音は聞こえなくても、内側からやってくる不安の足音は、なぜだかはっきり聞こえてしまうものだ。
最悪なタイミングだった。ノートテイク中に、いきなり先生の言葉がぐにゃっとなった。おかしな表現かもしれないが、マユにはそうとしか言えなかった。目の前の景色がゆがむときのように、言葉が雑音になった。鮮明な画像にいきなりモザイクがかけられたかのようで、集中しても決して情報を読み取ることができない。マユの全身から、どっと冷や汗が出た。
彼女の手が止まったのを見て、ユキホが余白に『どうしたの?』と書いた。マユは走り書きで返す。
『ごめん、耳が聞こえない』
ユキホは一瞬慌てたようだったが、力強くうなずいた。
『ごめん、ポイントに切り替える!』
彼女は里村に向けてそう書いて伝えた。
『マユちゃん、休んでて』
マユは手で「ごめんなさい」の形を作ってうなずいた。彼女は冷や汗をかくほど焦っていたものの、相方のユキホに加えて、手話通訳者が二人もいたので、案外事態はスムーズに解消された。
ユキホは素早くマユと交代し、書き始めた。ただし、先生の言うことをすべて書き取るわけではない。一旦聞いて、大切だと思ったことだけ書く。こうすることによって、書く人の主観に任される割合が高くなるものの、内容がわかりやすく、コンパクトになる。要約筆記――またはポイントテイクと呼ばれる。ユキホがポイントに切り替える、と言ったときの「ポイント」とは、ポイントテイクのことだ。本来ノートテイクは二人ひとり組ですることが求められているものの、どうしてもひとりしか確保できなかった場合や、介助を必要とする学生の聴力がそれほど低くない場合はこの方法が取られることがある。マユも何度かポイントテイクの経験があったが、自分にしっかり自信がないとやりにくかったのを覚えている。ノートテイクは極端な言い方をすれば、頭を通さずに書いている感じだ。確かに自分の字なのに、書いた自分でも覚えがなかったりすることも多々ある。条件反射のように無意識的に書いているので、意味が通らないこともある一方で、相当正確だ。しかしポイントテイクは、どうしても自分の意見を挟まないといけない。負担が少ないものの、正しく捉えられているのかという不安は付きまとう。聴覚障がいのを持つ学生の「耳」として、果たして自分は優秀なのかという不安があるということだ。
ユキホは、スラスラと書いている。慣れているからかもしれない。彼女のその実力が、マユには羨ましかった。手話通訳の学生が、休むことなく里村に内容を伝えている。里村はしっかりと理解しているらしく、何度もうなずいている。
先生がプリントを配るタイミングで、ユキホが里村に用紙を渡す。手話を聞き、そしてユキホのまとめたものを見て整理する。里村にとっては、それで充分なようだった。
そのときマユが感じたのは、安心ではなかった。いや、安心も含まれていた。自分のせいで里村に迷惑をかけるところだったのだから。しかし安心以上に大きかったのが、悲しさだった。自分がいなくても、完全に今回の介助は回っていた。むしろ、自分が汚く書いた用紙よりも、丁寧に書かれたユキホの要約の方が遥かによかったかもしれない。それを裏打ちするかのように、里村は何度もユキホの要約を見ている。
自分以外の支援者が一生懸命サポートする様子を、マユはみていることしかできなかった。
自分はどうしてここにいるのだろう。人の仕事の邪魔をして、それでお金をもらっているんじゃないか。そんな思いが一気に噴き出した。
講義が終わった。マユは「次の講義、ちょっと急ぐんだ」と言って、今日のことを謝って、お礼を言って、そうしてさっさと立ち去った。いつもは数分だけでも仲良く話すのに、今回の自分にはその資格がないような気がしていた。
自分の講義に出た。やはり、音が少し遠い気がする。はっきりしなくて、聞いていてイライラした。そのイライラは、ひとつの溜息を境に悲しみになった。マユは衝動的に立ち上がり、教室の扉に向かって歩いた。講義中に退出するのははじめてで、少し怖かった。しかし担当の先生はチラッとこちらを見ただけで、何も言わない。何人かの学生もこちらを見たが、気にしてないふりをして、わざとゆっくりめに歩いた。ドアノブを握り、教室から出る。
一度、学生課に寄った。ノートテイクをした以上報酬が発生するので、その日のうちに申請をしなくてはならない。給料を受け取るのが後ろめたかったものの、ちゃんと仕事をしたという報告を兼ねた申請になるので、行かないわけにはいかない。いつもは仕事のことや、そのときの様子を詳しく話す。だから担当の職員さんとは段々と仲良くなっていった。しかし今日は最低限のことしか言わず、さっさと申請を済ませて帰ることにした。申請は、講義がはじまった時間と講義が終わった時間を記入するだけでいい。一分足らずのその申請を終えて、「お疲れさまです」とひと言だけ言って帰った。
家の近くの細い道で、横からやってくる車に気づかず、マユは轢かれそうになった。運転手が何かを言っていたようだったものの、彼女にはほとんど何も聞こえなかった。
家に着くまでの時間、ずっとさっきの出来事が再生されていた。その映像は何かを語るわけではない。その無機質な感じが、彼女を苦しめていた。
シホに罵倒されたときの声はしばらく耳に残っていたけれど、そんなものよりもずっとリアルな恐怖が、今も心の中に染み込んでいる。何度も繰り返される記憶は、再生のたびに心を抉っていった。
ピアノを弾く。マユは、楽器の中で音が一番きれいなのはピアノだと思っている。だから続けてきた。だからもっと上手になりたいと思っていた。しかしその音は、決してきれいには聞こえない。音が遠い。耳をすませば確かにきれいなのに、少しの雑音ですっかり消えてしまう。一瞬のひらめきが、どうでもいい思考でかき消されてしまうときのように、確かに与えられたはずの大切なものを失ったような気分だった。少し強く叩いた。荒っぽくなっただけだった。水中にいるとき、かすかに空気中から聞こえてくる音のように頼りない。結局、五分も弾かずに蓋を閉じてしまった。鍵盤を荒っぽく叩いた感触が指に残っている。怒ったような音を出させてしまった。そう彼女には感じられたものの、思い返してみればそれは、悲しみの音だったのかもしれない。
マユは少しやけくそになって、携帯電話を開いた。アドレス帳から、ピアノの先生のメールアドレスを探す。なるべく感情を殺して、客観的に自分の症状を説明する。そのくせ、ろくに読み直しもせずにメールを送った。
送ってから、後悔の感情が湧いてくる。仕方ないじゃん! と強く自分に言い聞かせた。先生からと思しき返事が来たけれど、しばらくは開かなかった。
『ピアノの発表会ですが、残念ですが耳の不調により休みます』
そうやって送ったメールの返事を見るのは、なんだか怖かった。衝動的に放ってしまった自分の感情のお返しには、できれば出会いたくない。
※
幸いにしてノートテイクは、メール一本で休めた。もっとも、耳が聞こえなくなったという事態だからこその特例だったのかもしれないけれど。
ユキホと里村からは、心配したような連絡が来る。慰めるようなメールも来る。
『今日のマユちゃん、ちょっと疲れてたように見えたよ。ゆっくり休んでね。わたしもさ、気分とかが悪くなるとすごく不愛想になっちゃうことがあるんだー』
マユは『大したことないよ、というかごめんね』と返していたものの、段々イライラしてきた。なぜイライラするのかはわからない。わからないけれど、イライラは、イライラを呼ぶ。もともと何に腹が立ったのかはわからないのに、気持ちだけが増幅されていく。そして少し落ち着いてから、罪悪感が生まれる。最低だと思った。慰めてくれている親友に腹を立てるなんて、最低だ。
休講だということにして、学校は休んだ。自分の殻を作って、閉じこもった。いつもはすぐ返す連絡も、わざと遅めに返した。
翌週の月曜日から復帰したものの、火曜日と金曜日のノートテイクは欠席した。
ユキホと里村は、何も言って来なかった。代理の人が問題なくこなしてくれているのだろう。やっぱり自分がいなくても回るんじゃないか。そう思った。
そしてもうひとつ。ピアノの先生も、残念そうにしていたものの、欠席連絡を普通に受理してくれた。やっぱり自分は、いらないんだな。
涙は出ない。いつからか、泣いて感情を吐き出すという天性の能力が使えなくなった。吐き出したいものに限って、どんどん溜まっていく。
※
死んだように過ごしたおかげか、荒れていたマユの心もずいぶんと落ち着いた。一週間ずつ休むと、ずいぶんと気分も変わるものだ。聴力も戻っているような気がする。しかしそれは気のせいだったようで、下の部屋から呼ばれた声に気づかないことが多い。学校には行くものの、集中できず、出席している意味が感じられない。頭がぼんやりしていて、視界も締まりがないような気がする。耳がほとんど聞こえないだけで、こんなにも世界は変わるんだとわかった。
マユのこの一週間は、ずっと自分だけの時間だった。ユキホと里村から連絡は来ていないし、聞き直されるのが鬱陶しいのか、親もほとんど話しかけてこなくなった。どこまでも、ひとりの時間だった。
本当の孤独を味わったような気がしていた。自嘲気味に笑う。願い、叶ったじゃん。ひとりになりたかったんでしょ?
そう笑ってから、悲しくなった。それでもすぐに普通の気分か、やや落ち込んだくらいにまで戻る。ひとりだと、感情の起伏も少ない。ゼロの地点があって、そこからほとんどぶれない。
きっと気のせいなのだろうけれど、そんなときに声が聞こえてくる。それは外側から来るものではなくて、お腹の底の方からふわっと浮いてくるような――人に説明するとしたら、そうとしか言いようがない。落ち込んでいるときや怖くて震えているときに聞こえてくるような切羽詰まったものではなくて、ずいぶんと落ち着いた、力強い声だ。
――あたしさ、ようやく気づいたんだ。ずっとずっと、自分だけの時間が欲しかったんだ。
心に、問いかけてみる。少し待った。静まった心の奥から、小さくても力強くて、温かい声が聞こえてくる。
――気づいてくれて、ありがとう。気づいてほしくて、構ってほしくて、たくさんつらい目に遭わせてごめんね。耳が聞こえないのって、つらいでしょう?
――どうして、こんなことをしたの?
――気づいてほしかったの。自分自身の声をしっかり聞くってことに。あなたは、ずっと人付き合いで悩んできたよね。シホたちとうまく付き合えなかったのと同じように、ユキホたちともなんだか距離があるような気がして仕方ない。
――やっぱり、そうだよね。どうしてなんだろうね。いつもさ、友だちは欲しいと思うのに、時間が経つとひとりだけの時間が恋しくなるんだ。
――ひとりになりたいときって、誰にでもあるよ。でもさ、そんなときだからこそ「あたし」と、仲良くなろう?
――どうやって?
――無理をしないで。嘘をつかないで。「あたし」にだけは、本当のことを言って。
マユは少し考えた。聞こえてくる声が何を言っているのか、わかったような、わからないような気持ちだった。それでもなぜだか、体には不思議な落ち着きがあった。ずっと、本当に欲しかったものを手に入れたかのような気分だ。自分の中にある感情は高揚でもなんでもなく、プラスでもマイナスでもない気持ちだけだ。「腹が決まった」って、こういう気分なんだろうか。
あたしはすぐに、ノートテイクに復帰したい。
※
「マユちゃん久しぶり。大丈夫?」
「ごめんねー、心配かけちゃってさ! 大丈夫大丈夫」
マユは低いテンションのユキホに笑いかけた。負い目があったので、目は合わせられなかったのだけれど。
彼女はさっさと里村に視線を移し、彼にも同じようなことをルーズリーフに書いて伝える。この講義には手話の二人がいないので、三人だけの忙しめの時間になる。
マユは里村の左側に腰掛けた。話題が切れる。ユキホの方を見たら、彼女は無表情になっていた。
やっぱり、あたしにどう接すればいいのかわからないのかな。慰めてくれたときだって、結構キツめに当たっちゃったし。
ユキホは、割れたガラスコップに触れて怪我をしたようなものだったはずだ。来ようと決めたものの、やはり最初の一回目である今日の講義が怖かった。比較的安定した様子の里村に話しかけることなら簡単だったので、謝罪と、これからもよろしく、と言う類のことを書いた。里村はまったく気にしていなかった、それどころかマユの落ち込みに気づいていないかのような様子さえ見せたので、安心した。
しかし時折、
『何と言うか、やっぱりマユゲさんとユキホさんが一緒というのが一番しっくり来ますよ』
のような嬉しいことを言ってくれるのは、どうしてだろう。マユは笑顔になりつつも、右側のユキホのことが気になって仕方なかった。
さっきからまったく話に入ってこない。怒っているのかもしれない。やっぱり、ちゃんと謝った方がよさそうだ。
心臓がバクバクしているのを感じながら、マユは自分に訊く。
今? ――いや、まだ心の準備ができてない。
今? ――まだ言うことが決まってない。
今? ――まだダメだよ、まだ緊張してる。そんな状態で、言いたいことが言えるわけないでしょ?
今となってはメッセージも、すっかり弱々しくなっていた。どうしようと思っている間に、先生が来て講義がはじまってしまった。
休みをもらう前、マユとユキホがペアになったときは、ユキホから書き始めるのが暗黙のルールになりつつあった。今回もそうなるだろうとマユは思っていて、案の定そうなった。しかしユキホの様子がおかしい。表情が険しい。ルーズリーフに書かれていく文字も荒々しくて、いつもより間違いが多い。どうも集中できていないようだ。
マユは何となく嫌な予感がして、ルーズリーフにユキホへのメッセージを書く。
『大丈夫? なんか、調子悪い?』
ユキホは一瞬チラッとルーズリーフを見て、マユの方を見、「大丈夫」と唇の動きだけで言った。マユはうなずいたものの、どうも心配だった。
ユキホの番が終わってマユの順番が来た。少しのブランクがあったものの、意外と問題なく書ける。よかった――少し余裕が出てきた彼女は、ユキホの苦しそうな息を聞き取った。しかし集中を切るわけにはいかないので、なかなかそっちに注意を払うことができなかった。
最後の二行目くらいまで辿り着いたとき、里村に二の腕を突かれた。彼の誘導するままにルーズリーフを見る。
『ユキホさん、ちょっと調子が悪いみたいです。悪いんですけれど、マユゲさんひとりでポイントテイクを頼んでもいいですか?』
マユは里村の方を見て、力強く頷いた。その瞬間彼女は、とてつもない心の重圧を感じた。ユキホはマユの方を見て手を合わせる。「ごめん」、と「お願い」が混ざった合図だ。緊張で無表情になりかけたマユは、笑顔を作ってユキホに頷いた。
たったひとりで懸命に筆記を続ける彼女は、もうひとりの自分が心の中から浮き出てくることに気づいた。その自分に話しかけてみる。
――今わかったよ。前にあたしの調子が悪くなったときさ、ユキホ、すごくがんばってくれたんだね。
――そう言ってあげるだけで、ユキホも嬉しいと思うんだ。
もうひとりの自分がそう言ってくれる。微笑んだマユは、話を続ける。
――でもさ。
――ん?
――でもさ、それ以上にわかったことがあるんだ。あのときユキホはさ、きっと誇らしかったはずだよ。だって今のあたしだって、そうだもん。
――ふふっ。
マユは自然な笑顔を浮かべていた。
講義が終わった。荒々しく書いたルーズリーフは、読めるかどうかわからない。少し心配になる。
『大丈夫ですよ、本当にありがとうございます。なんというか、臨場感が伝わってきますねマユゲさんの書いたのって』
里村は見透かしたかのようなことを言った。マユは笑顔になった。
「マユちゃん、ごめんね。体調には気を付けてっていったのはわたしなのに」
「いいんだよ。すごくさ、大事なことがわかったし。
というかさ、大丈夫? なんかすごい体調悪そうだけど」
「あー、たまになるから気にしないで」
「あ、ああ!」
マユは理解した。軽めの自分とは違って、起き上がれないくらい体調が悪くなる女性がいることはよく知っていた。ユキホはきっと、そっちのタイプの女性だったのだろう。
「でも今まであんまりそんな感じじゃなかったよね」
「うーん、わたしもちょっぴり気を遣ってたのかもしれない。なんというか、気を遣わせちゃダメってことに気を遣いすぎて……」
ユキホが、照れ笑いのような笑顔を浮かべた。マユは彼女の言ったことに、深い共感を覚えた。この子だって、同じだったんだ。頼まれてもいないのに自分の気持ちを押し殺しすぎて、それであるときどうしようもない気分になる。そんなところがそっくりだった。
「わかるわー。なんというか、がっつり自分が他人に迷惑かけてるって感じになるからね」
「そうそう。と言うかマユちゃん、やめようよ男の子の前で」
「いかんいかん」
『聞こえてないから大丈夫ですよ』
「里村くん、なんか今ものすごい矛盾を感じたよ!」
三人は笑った。
昼食をとりながら、マユはそれとなく、休んでいたときのことを伝えてみた。どうも自分が、場違いな気がしたこと。迷惑をかけているような気がしていたこと。必要とされていないんだと思ってしまったこと。
「ま、あれですよ。全部あたしが、勝手に不安定になっちゃったわけです」
マユは、すっきりとした表情で言った。ユキホが手話で、マユの言ったことを訳している。
里村は頷きながら、手元にあった紙で文字を書く。書きたいから書く、という様子だった。
『なんというか、わからないでもないです。だって僕も、こういう体ですからね』
里村は自分の耳に指を指した。今まで話には出なかったが、きっと聞こえない耳で他人に負担をかけてしまったこともあったのだろう。そのことで悩んだときがあったに違いない。何で気づかなかったんだろうとマユは思った。自分の気持ちを汲んでくれる大先輩は、こんなにも近くにいたのに。
『でも僕は、思うんです。こうやってマユゲさんが僕のもとに来てくれたのは、きっと僕にとってマユゲさんが必要な人だったからなんだって』
マユの視界が一気ににじんだ。ぎゅっと目を閉じて、もう一度開けると、同じような表情のユキホがいた。
『耳が聞こえなくてよかった。耳が聞こえていたらきっと直接話さないといけなかっただろうけど、こんなこと、恥ずかしすぎて言えません。でも、会えてよかったです』
くすっとマユは笑った。
「ばっちり、聞こえてたよ、今」
ユキホの言っていたことが、なんだかわかる。
里村は文字を書いているに過ぎない。文章を書いて、自分の気持ちを伝えている。
なのに、わかる気がする。彼の声をずっと前から知っていて、そしてその声を確かに今聞いている気がする。
彼の声が、わかる。
もう、聞こえる。
「ありが、とう」
里村がはじめて、自分の声で言葉を紡いだ。可愛らしい顔には似合わない低くてしっかりした声で、そう言った。
はじめて聞くはずなのに、ずっと聞いてきた声だった。
マユはその瞬間、自分の内側から湧き上がる正直の声を確かに聞いた。
――発表会、出ないといけない。
マユは「ごめん」とひと言言って、立ち上がった。
「すぐ戻るから!」
「う、うん」
何のことかわからなかったユキホは首を傾げた。
マユはポケットの中からスマートフォンを取り出した。ピアノの先生の名前を、アドレス帳から探し出す。メールにはしなかった。あえて、苦手な電話を選んだ。メールだと、文章を書いている間に情熱と勇気が萎んでしまいそうで、大切なことを落としてしまいそうだったからだ。
番号に電話をかける。先生は、すぐに出てくれた。
そして、伝えた。
※
発表会には、ユキホと里村が来てくれた。二人とも、演奏が終わってからわざわざ拍手をしに来てくれた。お菓子のプレゼントもくれた。
里村が文字を書く。
『ピアノ、すごかったです。なんというか、聞こえないんですけど、すごくビリビリ来ました。鳥肌が立ったんです』
音は結局のところ振動だからね――そんなつまらないことは、言わないよ。マユはそう思ったのだった。
ユキホと里村が帰った後、名残惜しくてしばらく会場に残っていた。
「マユさん!」
会場の座席に座っていると、先生に呼ばれた。
「これ、同じ年くらいの女の子からプレゼントだって」
マユは首を傾げた。ユキホはさっきプレゼントをくれたはずだ。一体誰が――?
ふと感づくものがあってマユは出口の方を見た。ちょうど、懐かしい三人組が出て行くところだった。マユは少し離れて三人を追った。
「何がよかったって言いにくいんだけど、やっぱり、なかなかさ、いい演奏だったよね。ま、聞いたことない曲だから眠くなったときもあったけどさ」
「それでもシホちゃん、さっきネットで調べてたの、マユが演奏してた曲だよね。CD買うの?」
「知らないよっ」
マユは、ふふっと笑った。ごめんね、ありがとう。三人の背中に、心の声を送った。きっと、届いたはずだ。
会場を出て、ホールからも出て行こうとする三人の姿を見送る。シホ、ワカナ、タカコ――シホとワカナの間が、ちょうど人ひとり分くらい空いている気がする。
すでにいられなくなったはずの居場所には、いつ戻ってもいいみたいだった。聞こえるはずのない彼女たちのメッセージが、今なら聞こえる気がする。
はじめまして、aiと申します。今までこちらで作品を書いたことがなかったのですが、ちょいちょい他の人の感想欄に出没してたので、はじめましてではないかもしれませんね。
さて、いきなりですが、お礼を言わせてください。まず、ここまで読んでくださったことに。そしてもうひとつ、わたしに作品を書かせてくださったことに。
4年間近くスランプに陥り、ほとんど書けずにいたわたしに気力をくださったのは、ここにいらっしゃるみなさまのおかげです。もっと言えば、この鍛錬室に出入りしているすべての方のおかげです。毎日少しずつ増えていく鍛錬室の作品を見るうちに、段々とわたしも書きたい気持ちになり、そしてようやく形になりました。誰かが待っていてくれるような、そんな久しぶりの気分で書くことができました。
未熟さが目立つ作品だったと思いますが、書く前よりも状況はずっとよくなっているんだろうなと感じています。
ちなみに本作は、実体験を元にして加工し、フィクションを付け足し、話を盛り、そして実体験を9割くらい引いて完成しました。
一時期他人の声が聞こえにくくなったことが、まさか役に立つとは思えませんでした。結構まわりをイライラさせましたが、その気になればこんな体験でも話になるんだと人生に前向きになりましたね。乾杯乾杯。ちなみに現在他人の声は聞き取れますが、目覚まし時計の音はいまだに聞こえてきません。やれやれ。
お付き合いいただき、ありがとうございました。もしよければ、思ったことを何なりとお伝えください。そんなに難しく考えてもらわなくても大丈夫なので(わたし自身、第一印象を何より大切にしてコメント書くので)、ひと言だけでもぜひ。楽しみにしています。たくさんのお友だちができたらいいなと思っています。
どうもありがとうございました。
2014年04月22日(火)09時28分 公開
お疲れ様です。としきです。
いつもコメントありがとうです。
最近、お名前を見かけないなぁと思っていましたが、
こういうことでしたか。執筆お疲れ様でした。
拝読しました。
読み終え、「超良い~」とリアルに呟きました。
面白かったです。
正直申し上げると、始めは、作者メッセージの重さと冒頭からのイメージから、
低調かな~と心配しながらでしたが、途中からきちんと物語に入っていけました。
次次と事態が変っていくので、中だるみもすることなく読み終えました。
何よりもノートテイクに関する説明(特にポイント)も、タイミングばっちりで、
普段なら気付かない・知り得ない情報や世界を感じることができました。
ラ研で読んでいて「お金払ってもいい」と初めて思ったかも知れません。
シホ、つんでれ最高。
途中、「里村、起きろ!寝てんじゃねえ」と思ったり、
「ユキホ、イケメン(女だけど)、惚れるわ~」と思ったり、周囲のキャラも良かったです。
以上、本当にただの感想になってしまいましたが。
良いものを読ませて頂きありがとうございました。
(ネタバレあります)
初めまして幸です、といっても同じ時期に感想を書きまくっていたので、恐らくご存知かとは思いますが、こうして接点を持つのは初めてですね^^
最近どうしておられるのかなと思っていましたら、なるほど、作品を書いておられたのですね。ブランク期間といい、書くことを思い立った時期といい親近感を覚えます^^
>シホは何も言わなかった。謝られるよりも、改めてほしい。
「謝られるよりも、改めてほしい。」はシホの思っていることをマユが斟酌していると思われますが、不明瞭に感じました。「謝られるよりも、改めてほしいということだろう」のような形がベターかなと。
>――そうか、自分の好きなことだ。でも、自分の好きなことって何だろう。
――が行末で折れていますので、他の場所同様改行した方が無難かと思いました。
日曜日になって、母に聞かされたことがある。
リアルタイムに進行している中での日曜日なので、「母に聞かされた」「母に言われた」くらいがちょうど良いかなと思いました。「ことがある」を読んで「いくつかある日曜日のうちの一つ」という印象を受けました。
>『なんというか、わからないでもないです。だって僕も、こういう体ですからね』
里村は自分の耳に指を指した。今まで話には出なかったが、きっと聞こえない耳で他人に負担をかけてしまったこともあったのだろう。そのことで悩んでときがあったに違いない
悩んでとき→悩んだとき(場所がすぐ分かるよう長めに取りましたが、ただの誤字指摘です、すみません)
上記以外、ほぼ完璧だと思いました、ぐいぐい読み進めることができました。読点の打ち方一つまで丁寧にされていると感じました。
何よりも空気感が素晴らしかったです。
高校までと違い、校舎に縛られることもなく、人数も段違いに多い。大学とはそういった場所で、良くも悪くも開放的である。(あとくされがないと言いましょうか、ちなみに真逆は中学生だと私は思っています)
そこを背景に、大学生たちは些細なことで割れ、疎遠になり、新しい仲間と出会いコミュニティを形成していく・・。マユたちもその例の一つだと思いました、すごいリアルだと思います。
ノート取りの心理描写もリアルでした。私は過去に手話を習ったことがあるのですが、一分話をしているのを手話にする、というのに挑戦したとき、出だし5秒でつまずき、挽回しようと思っても、つまづいた場所が気になり後にいけなかったのを覚えています。まさにここに書かれているのと感じでした。
英語のリスニングテストなどで同じような経験をした人が多いと思います。
以上のようなリアルさが下地となり、
「相当上手なヴァイオリニストと比べたら、わたしたちだって全員聴覚障がい者だよ。スポーツ選手からしても、身体障がい者だよね。
単にわたしたちは、里村君とかと比べて少しだけ聞き取りやすい耳をもらっただけだよ。その才能を、相手が欲しがったときに共有してあげればそれでいいんじゃないかな?」
ここの主張に説得力がもたらされていたと思います。
>マユは少し離れて三人を追った。
これまでの布石がしっかりしているため、ここで、「これまでの三人との距離感」「声をかけず、三人が今の自分をどう思っているのか確かめたい気持ち」というものが、わずか1フレーズで読み取れました。
ここからラストまで、まさに圧巻であります。
総じてレベルが高く、行間の香る作品であったと思います。
以上、創作お疲れ様でしたノシ
拝読しました。
小説としての完成度という面で見るとなかなか整ったものを感じました。ただ、ところどころにもう一つなところも感じたのも事実です。
以下、項目別にまとめてみようと思います。
【文章】
読むのに苦痛は感じませんでした。文章の基本はしっかり押さえられているし、スイスイ読み進めることが出来ます。
読みやすくはあったのですが、若干淡々とした印象を受けました。ストーリーは面白いのに文章が味気ないというか。「~た」で終わる文章が多かったのかな。
それと、主人公の独白が強く出過ぎているかな、とも感じました。語りに多くの文字数を割いているので、早く展開していってくれーとヤキモキする場面も多くありました。この辺の配分をもう少し見直してみて頂ければと思います。
主人公の不安なんかを表現する技術には秀でたものを感じましたので、バランスさえ見誤らなければより良いものが書けると思います。
【キャラクター】
全体的に良かったと思います。嫌な奴がいませんでした。
いちゃもんを付けるとするなら、ユキホちゃん、シホちゃんのキャラが良かっただけに、里村君をもう少し出してほしかったなーと思いました。すごく良いキャラな感じはするのですが、ユキホとシホの橋渡し的な役割ばかりに回っていた感じがあって、もっと彼の話を見たいなーと。
里村は自分のことを必要としていたんだ、とシホちゃんが気づく場面があるじゃないですか。そこが凄く良かったので、そんな風にシホと高村をもっと絡ませてほしかったです。
仲良し三人組はイマイチわかりませんでした。特に最後、三人組が急に出てくる場面で「ん?」となりました。お前ら何で来てるねん、みたいな。けっこう突拍子なく感じたので、ノートテイクをしているシホに三人が絡むような場面を挿入し、そこに伏線なりなんなりを仕込むと最後がもっと晴れやかなものになりそうです。
【構成・ストーリー】
すごく分かりやすいものだったと思います。
要するにこうですよね。耳の不調の人間関係の悩みを抱えた女学生がノートテイクを通して自分が必要とされていることを知り、立ち直る話。立ち直るまでの間の障害も上手く描かれていました。
この点についてはあまり不満はありません。起承転結が上手く盛り込まれた、お手本のような構成だったと思います。
少し自分の話をしますね。
僕も今大学に通っていまして、入学当初はノートテイクをやっていました。僕のところのノートテイクは完全ボランティア制です。障碍者支援のサークルがあって、そういうサークルに集まった人が、聴覚障碍者の講義補助だけでなく、大学生活を過ごす上でのサポートも行っています。ちなみにですが、僕のところのノートテイクは筆記とワープロの両方がありました。
実体験も踏まえ、大変興味深くこの作品を読ませていただきました。作者自身の体験も織り交ぜられているということですが、僕の知る事実の通りだったと思います。実体験を小説に出来るスキルは簡単なようで意外と難しいので、それだけでも作者さんにとって強い武器になるだろうと思います。
現在僕はノートテイクはやっていません。一年の夏休み明けくらいからバイトのシフトを増やし始め、ボランティア活動に多くの時間をかけられなかった、というのは建前で、ボランティアに対しての疑問というか。何も見返りはないのに、どうしてこんなことしてるんだろうという疑問を抱きまして。
その点、この小説はまさに僕の疑問を解決に近づける一作になったと思います。解決というよりかは、忘れていたものを思い出させてくれたというべきかな。いずれにせよ、読んでよかったと思いました。
点数については結構悩みました。小説として見た第一印象としては20点くらいかなーと思ったんですが、僕と深い関わりがある分野だけあって、慎重にこの点数とさせていただきます。
次回作、頑張って下さい。
拝読しました。まいくろうぇいぶと申します。
なんというか、心にグッとくる作品でした。私は手話やノートテイクのこととかは全く知らなかったのですが、その辺の描写がすごく丁寧で、見識が広がった気分です。
自分がそこに必要な人間かどうか。私もそういうことを時たま考えたりしますが、この作品ではその問に対してとてもいい答えを出せていると感じました。
文章についてですが、マユの心の中がそのまま文字になっているという感じで、物語の中にスルッと入り込めました。
全体としてもすごく引き込まれるような文章で、一気に読みきってしまいました。
ラストのところはもう最高でした。
テーマも文章も全てが参考になる作品で、私もいつかこういう作品をかけるようになりたい、そう思わせるような素晴らしい作品でした。
ぜひともこれからも頑張ってください。
(ネタバレ含みます)
こんにちは。
先日はどうもです。
なんか、呼ばれた声が聞こえましたので参上つかまつります。
6つ下の東子さんと呼ばれると、何だか私が年下みたいで、とてもいいですね。
こちらこそ、ありがとうございます。
ええと、
私も超イイ! と思いました。
作者コメを拝見するに驚いたのですが、私も同様の経緯でラ研に出入りするようになりました。
また、リアルでも障害者支援と口述筆記をしていて、初めから終わりまで「うんうん、そうそう」と思いながら一気に読んでしまいました。
まーろんさんが、おっしゃるように体験しているからといって、それを小説にするのは実は結構難しいと思うのですが、それをこのお話はとてもうまく表現できていたと思います。
他にも一々共感できる箇所がたくさんあって、心情描写はどこをとっても秀逸で、ノートテイクに関する箇所ではまさに私の心情を代弁してもらっているかのようでした。
加えて、聴力低下による現実の音が聞こえなくなる、という事柄と、自分の本当の思い(心の声)が聞こえなくなる。自己の喪失あたりと絡めているあたりもお見事でした。
実際、こういう突発性難聴はこのようなストレスと関係があるとも言う説があるので、細かいところまでリアリティを感じました。
よかった所を抜き出して、コメント書こうとか思ったんですが、そうするとほとんど全部になりそうなので、お許しをば。
逆に、ほんの少しですが気になってしまったところなのですが、
>死んだように過ごしたおかげか、荒れていたマユの心もずいぶんと落ち着いた。一週ずつ休むと
・一週間ずつ休む?
講義とノートテイクを、という意味でよかったのでしょうか?
あと、ユキホちゃんの生理痛不機嫌なのですが、この場面はユキホちゃんの心の闇か何かが吹き出して、新しい展開が初まってしまう場面かと深読みしてしまいました。
ユキホちゃんなら、すぐに「生理で体調悪くてごめんね」
とか、言ってこちらに気を回してくれそうな娘だと思いました。
ここまで、ずっとイケメンだったもので・・・
でも、これは私個人の生理に対する考えがトチ狂っている可能性が大きいので、言いがかりかもしれません。
あとあと・・・
ラストのシホワカナタカコー(笑)の会話なんですが、これってマユには聞こえていない会話ですよね?
マユは座席に座ってて、三人組は出口から出ていくとこで・・・
それとも、静かな状態で結構狭い会場だったのかな? それとも実は1メートルくらいしか離れていなかった・・・とすれば、さすがに話かけますよね。
ということは、三人称神視点で、マユは聞こえていないんだけど、何となく想像して微笑んだって場面でしょうか?
すみません、ほんのちょっぴり気になった程度です。
このお話は、私がいつか書きたいと思っていたお話にとても近くて、(いえね、到底信じては貰えないと思うのは山々ですが)よい刺激になりました。
私個人としても大変励みになりました。
ホントですよ?
子供の読書感想文しか書けないこんな、うん娘な私でよければお友達になっていただけたら、嬉しいです。
ps
突発性難聴は、発症後一週間が勝負だと聞きます。
だいぶ日数が経過しておられるようですが、予後が良好であられること、お祈りいたします。
次回作も、ぜひ拝見したいので、どうぞご無理なされぬようご自愛くださいね。
こんにちは。ふざけた名前ですみません。ゴリラゴリラスーパーゴリラというものです。
と、挨拶すると自分の中で決めているのですが、今日ほどこんなふざけた名前を恥ずかしいと思ったことはありません。感想のお名前欄に自分の名前を書いて寂しくなりました……。
大変恐縮ながら拙作に感想をいただいていたのでお礼も兼ねて、感想など書きたいと思います……。
作者様メッセージを読みますと実体験が基になっているとのことで納得のリアリティでした。
ノートテイクの存在を全く知らなかった私でもその概要を理解することはもちろん、実際にやっているときの難しさ、緊張感が伝わってくるようで、読んでてびっくりしました。「おっとレベルが違うぞ」と。
ここをこうすれば良かった!っていうのは、強いていうなら最後のシーンがちょっと無理矢理だったかな、と。個人的には「マユは自分が何者なのか、里村くんとユキホちゃんに出会ってそれを見つけ、ピアノの発表会に出る自信を取り戻した!」で終わっても全然アリです。
それでもシホ、ワカナ、タカコに触れるのだったらそれなりの理由がやっぱり欲しくなります。
でも、ラストシーンまでに伏線をねじ込むにはどうすればいいかは、もはや私のレベルでは言及できないんですけどね……!
ストーリー自体の感想ですが……
[物語の良さを語るも語彙が足りずに空回る文]
……というわけでですね。本当になんて言えばいいんだろうな。センシティブなテーマで、かつ作者様の実体験が伴っているので、僕なんかの薄ぺらな感想では作者様やろう者を傷つけてしまうかも知れません。文章にするのは本当に難しいです。こういう風に思ってること自体がいわゆる一つの偏見なのかなとも思ったり。こんな調子ですので、あまり参考にならないかもしれませんが、良いお話だったということに違いはありません。
改めまして、まず僕の作品を読んでもらったことのお礼と、稚拙な文ながら拝読した感想でした。
ありがとうございました。
読了しました。
それでは感想を
[文章]
とても読みやすくてすっと心に入ってくる文章でした。自分は三人称の文章を書くのが苦手なのでこんなに読みやすい文章を書ける作者様が羨ましいです(笑)
[キャラクター]
マユがとても共感できる人物でした。特に不満は無いはずの生活、だけど何か物足りなさや空虚さを覚えてしまう。自由な時間が余りに多いとこういう思考回路に陥ってしまいますね。
ユキホみたいな友達が欲しいです。惚れそうです(笑)
[内容]
ノートテイクという初めて聞く技術でしたが、それで混乱することが無かったのは、やはり作者様の文章力の高さによるものだと思います。
上手く行っているようで行っていない微妙な友人関係の描写もとてもリアリティがありました。
自分の居場所が在るはずなのに不安を感じる人間の感情が心に響いてきました。
これからも素敵な作品を作ってください、それでは
先日は拙作に感想をお寄せ頂き、ありがとうございました!
また、返信が遅れてしまい、本当にすみませんでした(汗
それでは、読みましたので、感想書きます!
描写力の凄まじさに驚嘆してしまいました。な、何だこれは……! レベルの高い描写・表現だと思います。
中でも特筆すべきは雰囲気の作り方。自分は専門学生なので大学の雰囲気はわからないのですが、それでも小説やテレビで見るような大学のイメージにすっぽりと合わさって、大学生活というものが伝わってきました。生々しい人間関係も良かったです。
ノートテイクなる存在も本作で初めて知りました。それだけでも勉強になったのですが、その説明のわかりやすさに脱帽です。
全体的に、丁寧な文章で物語が綴られており、心地良いリズムで作品を読み進めることができました。これも作者さんの描写力・文章力の為せる業ですね。
巧みな心理描写の反面、風景描写は少なかったかなという印象です。また、キャラの個性が少し薄いかなと思いました。最初喧嘩した三人組なんかは中盤一切出てこなかったので、もう少し登場シーンを増やしてみてもいいんじゃないでしょうか。
個人的に、いいなと思った文章を挙げてみます。
>――外国人が一生懸命日本語をしゃべろうとしてたら、何となくわかるじゃない。手話だって同じなんだよ。
>「相当上手なヴァイオリニストと比べたら、わたしたちだって全員聴覚障がい者だよ。スポーツ選手からしても、身体障がい者だよね。
単にわたしたちは、里村君とかと比べて少しだけ聞き取りやすい耳をもらっただけだよ。その才能を、相手が欲しがったときに共有してあげればそれでいいんじゃないかな?」
至言ですね。特に二つ目には感動しました。
自分は医療系の専門学校に通っていて、その関係上、障害者の方ともふれあう機会が多くあります(ちなみに明日も老健でボランティアです。本作をを読んで、頑張ろう! と気持ちを新たにしました)。
自分もこのようなスタンスを貫いていけたらなと思います。
最後に。自分は「障がい者」という表記があまり好きではないので先程「障害者」と表記しましたが、もし気分を害されるような言葉があれば謝罪いたします(この辺りの言葉選び、自分も小説を書く際には苦労しています……)。
拙い感想で、お役に立てたかわかりませんが。
よければ、これからもよろしくお願いします!〆
読ませて貰いました。腰痛魔人のデルティクです。
どっかで新品の腰とか売ってないかなぁ……
さて、感想です。
素晴らしい描写力に舌を巻きました。
流水のようにスラスラと読み進める事が出来、長さを全く感じませんでした。
私もノートテイクというモノを知らなかったのですが、その説明を読みながらでもコノ感想です。
個人的に商品化された小説とも比肩しうる文章です。
私も過去に実体験を元に書いた事があったのですが、もう駄目だしの嵐でした。
実体験を元にしつつ、主観が入りすぎずにしっかりと一つの物語として完成しているのは賞賛に値します。
結構実体験からの主観の排除って大変なんですよねぇ。
キャラクター描写も細かい心の揺れが書かれていて良かったです。
気になった点は、急に冒頭の仲良し三人からの連絡がプッツリと途絶えた事でしょうか。
それと何故彼女らがピアノの発表会にマユが参加する事を知っていた理由ですね。
ここは彼女らを、ユキホか里村と少し絡ませてあげれば解決できた部分かと思います。
講義で顔を合わせる機会はあるハズなので。
こんな所でしょうか。
細かい所で気になった所はありましたが、素晴らしい完成度の作品だと思います。
これからも楽しく創作活動を行える事を祈ります。
それでは、お疲れ様でした。
拝読しました。
たいへん完成度が高く、文章も読みやすかったです。心情のゆれもよく表れていましたし、人間関係もいいと思ったのですが、20点にとどまっているのは、単に好みの問題だと思います。
>「休み」だったものは「暇」になり、「退屈」になり、「苦痛」になり――少しだけ「恐怖」になりつつある。
>孤独――孤高か――に憧れる気持ちが確かにある。
これらの考えにあまり共感できませんでした。ここまで完成度が高いとあとは各個人の好みの問題しかなくなるような気がします。
>何となく一緒の大学を受け、そうして全員受かった。
そんなことがあるのだろうか、と思ってしまいました。エスカレーター式の学校ならわかりますが、すこし不自然な気がします。短編の内容に関係ない細かいつっこみですが。
>ワカナが少しだけ心配そうに訊いてくる。シホは遠慮がなくて、「ちゃんと聞いとけよー」と面白くなさそうだ。
名前だけでワカナはやさしいイメージ、シホは気は利かないけど元気なイメージがあります。
>気の向くままに読みかけの本を読んでいた。二十分くらいして本に飽きるとパソコンをいじり、動画サイトを覗く。twitterで呟く。そんなことをしている間にシホたちからLINEでどうでもいいメッセージが届く。会話に参加する。そうしてあっという間に一日が終わる。
家にいるときのあるあるといいますか、主人公が一気に身近になる描写ですね。
>いつも一緒――すごく重たい。マユとしては身動きのとりにくいこの「ひとり」が嫌だった。
仲のいい集団をひとかたまりに感じるのは共感できました。大学はともかく、高校のときは人とのつながりがまだ強いので、そういうような不自由さを感じていたことを思い出しました。
>「マユさ、本当に耳大丈夫? 病院行った方がいいんじゃない?」
ワカナがそう言う。
「うん……でもね、異常がなかったんだ」
ここで主人公が単に視覚障害者でないことがわかりました。健常者でもなく、障害者でもないこの設定は、より読者に主人公を身近に感じさせるという意味でうまいと思いました。
>意外と簡単かも、と思った次の瞬間には「読」という漢字に時間を取られた。
>歴史的な文献のことだから「史料」と書かなくてはいけない。
ノートテイクの描写がすごくリアルでした。実際に経験されたのでしょうか。
>こうやって話すことで、自分たちは三人で「ひとつ」なのではなくて、しっかりとした「ひとり」なのだと思ったのは、マユの思い上がりだろうか。
普段は不可視の会話を文章にする、ということが重要だったのでしょうか、それとも、自分にあった集団に属すことができたことが重要だったのでしょうか。自分が自立した人間になれたのは、思い上がりだろうか、と主人公は思っていますが、僕もある種の思い上がり、というよりこの場合はほのかな期待感といったほうが個人的にはしっくりくるのですが、そういう風な感情でしかないと思いました。しかし、障害者の支援団体というのは、仲良しグループよりも社会性があるため、しっかりとした人間になれるのではないか、という期待感は夢、幻ではない、確実な現実味があるとも思います。
>一ヶ月近い交流で少しずつわかってきたのは、本当に普通に接すればいいということだった。そんな当たり前のことを、回数を重ねてようやく理解してきた。
僕が中学のころ、身体障害者がクラスにいたことがあったのですが、普通に接してはいけない面がある一方で、普通に接することのできる部分が多いことに気づきました。よくよく考えれば、障害のある部分以外は健常者となにも変わりないので、当然のことなのですが、それに気づくのはわりと時間がかかりますし、気づかない人もいます。一ヶ月でそのことをある程度深く理解できる主人公は障害者と真面目に向き合ったのだろうと感じさせる描写でした。
>本当の孤独を味わったような気がしていた。自嘲気味に笑う。願い、叶ったじゃん。ひとりになりたかったんでしょ?
このあたりが共感できなかった部分でして……。人は元来、ひとりで、それに気づくか、気づかないか、向き合うか、そっぽむくか、というちがいでしかないない。なので、ひとりの状態というのは、なるものでなく、すでになっているものと思っています。
欲を言えば、はじめの仲良しグループと疎遠になったあとの描写がもうすこしあればいいと思います。
投稿者メッセージを拝見すると、実体験をもとに書かれたようですね。実体験で小説を書くというのはふたつの意味で難しいと考えていまして、ひとつは、実体験だからこそ書きすぎてしまい、だれてしまう。もうひとつは、実体験を直接小説にしておもしろくなるのはまれだということです。
御作は、これらふたつの問題をクリアしているので、すごいと思います。
以上です。
読ませていただきました。
思った事をつらつらと書いていきたいと思います。
本当に、きっちりと書かれているなという印象でした。
何より素晴らしいのは主人公がきちんと自分と向き合っている。
そしてもがきながらも自分なりの答えを見つけていくプロセスですね。
後は周囲の協力かな。
彼女は良い友人を得たのだなぁと思いました。
これは、冒頭の仲良し三人組ではなくて、ノートテイカーですけどね。
冒頭のような友達はいるけれども、どこかで疎外感を感じている。
こういうのが見られるのは小説ならではですね。言葉を尽くして心に迫る。
だから、読んでいるというのがあるんですけどね。
ひとつ、気になったところがありました。
既に言及されていますが、仲良し三人組についてです。
最初は、それまで続けていた関係が壊れてしまった、と主人公が思い込むわけです。
だから、距離を取った。実際、迷惑も掛けていたのでしょう。
私としてはシホのような人間はそれほど珍しくもないと思っています。
相手に共感する力……というよりは、現状、相手がどういう状況なのかが分からない。
だから、分かるためには「言ってよ!」ということなのでしょうが、マユは相手に気を使うところがある。
なかなか、違和感があってもそれを口に出したりできなかったのではないでしょうか。どこかに遠慮があって。
この遠慮がある時点で、彼女たちは本当の友達だったのかな?という印象でした。
だから、あの三人組がいなくなって、自分と向き合うことができたマユはとても幸せだと思います。
そういう意味では、冒頭だけの絡みでよかったのかなと。
もしも、三人組を絡ませるなら、ノートテイカーの時のマユと絡む事は必要だったと思います。
そうでないと、あのラストシーンがしっくりこない。
彼女たちはノートテイカーの時のマユを知っているような印象でした。
できれば、この後で和解があるとなお良かったかもしれないけれど、現状だとラストの三人組のくだりを
削るだけで充分だと思います。なぜなら、主人公が自分の居場所を見つけたからです。
そしてそれは、おそらくあの三人組のところ、ではないと思う。
執筆、お疲れ様でした。
やっぱりハッピーエンドは最高ですね、どうも嘘河です。
マユさんの悩みは読者の大部分が共感しそうだなと感じました。
たまに考えますよね、果たして彼等に私は必要なのだろうかって
逆の立場で考えると、やっぱり誰ひとり欠けて欲しくないなあって私は考えるので、私も勝手に周りから必要とされてる!大丈夫!って無理矢理結論づけます。
ただ、普段一緒にいると話題も尽きるし、一緒にいるありがたさを実感できなくなるものです。ですのでマユさんが高校時代のグループから離れたのは正解だと思いました。
それをきっかけに新しい仲間とも知り合えましたし、最後には復縁が望めそうな終わり方だったのが良かったです。
私が特によかったと思えたのは、問題が起きたけれども、いろいろと得ることができたし、結果的に何も失うことはなかったよ!むしろ以前より強固な絆で結ばれたよ!って完全無欠のハッピーエンドなとこですね、読後感最高でした。
今更感ありますが、執筆お疲れ様でした。次回作期待してます!
お初にお目にかかります、雪消陽といいます。
とても面白かったです。
主人公と自分の歳が同じくらいなのですが、彼女の悩みがそのまま自分の気持ちを代弁しているようでした。
「え? この人俺のこと知ってるのか?」って感じです。
能動的に動くことって大切だなぁ、と改めて思わされました。
素晴らしい作品をありがとうございました!
はじめまして。西田裕貴と申します。
気になったところを指摘できればお力になれたかもしれませんが、今回私、すごくはまっちゃいまして、褒め言葉で終始させていただきます。
<キャラ>
マユの心理描写がとても丁寧で、まさに生きているようでした。それは他の登場人物にしても同様で、素晴らしいの一言に尽きます。
さらにキャラの役割もきちっと定められていて、里村の橋渡し役、ユキホの親友ポジション、仲良し四人組のマユに対する重いしがらみ、それらがストーリーにがっちりと絡み合い、いい具合に機能していました。
<構成>
まーろんさんのお言葉をお借りすれば、お手本のような構成でした。事実、とても勉強になりました。
仲良し四人組の不和から始まる導入。ユキホとの出会い。ノートテイカーの仕事と、その中で大切なものをとりもどそうとするマユ。突然の難聴と、孤独。そして気づく、自分の気持ち。最後のハッピーエンド。
ピアノの演奏会で例の三人が登場する件、あれは良かったと思います。冒頭の彼女たちは、ずっとマユの心の中で鎖となり、しかし最後にはそれが取り除かれる。それは三人のマユへの歩み寄りでもあるけれど、なによりもマユの心境の変化が大きい。マユが人間関係の壁を乗り越えられたからこそ、三人の中に自分の居場所を感じることができる。あの描写があったからこそ、この物語はここまで綺麗に完成しているのだと思います。また、彼女たちは冒頭と最後にしか登場しないにもかかわらず、これほどまでにマユに影響を及ぼし続けていた。その描写力と構成はお見事としか言えません。
<文章>
ほころびが見当たりませんでした。いくつか誤字はありましたが、ごめんなさい、メモするのを忘れてました。
読みやすいですし、なにより描写がすばらしい。人間関係って、リアルに伝えるのがなかなか難しいと思うのですが、それを見事にやりきっておられる。マユの心の動きもつまびらかで、孤独の描写も良かった。私には自分と対話をするような体験はありませんが、しかしマユが心の中の自分と対話する場面では、共感してしまいました。感情移入していたんですね。
ノートテイカーや難聴を取り巻く状況もよく伝わり、現実世界を覗き見しているような感覚におちいりました。
設定、そしてキャラを引き立てたのは、その描写力だったと私は愚考します。
最後に点数についてですが、ここまで絶賛しておいてどうして40点なのか。
私の趣味です。
深いお話よりも、浅くていいから特大のカタルシスを。
そういうわけで、このような点数とさせていただきました。
とはいえ、商業レベルの作品であったと思います。読ませていただきありがとうございました。
ところで、次回作を期待してもよろしいんでしょうか? おこがましいですが、ぜひぜひ読ませていただきたいです。
執筆おつかれさまでした。