ダンディライオンを伝えて

燕小太郎さん著作

ジャンル:ファンタジー・伝言屋

▼電撃文庫のパロディ表紙イラスト

ダンディライオンを伝えて/メイドのヒロイン・リオ。電撃文庫風デザイン

プロローグ

「人に何かを伝える、受け取るというのは、とても難しいことよ」
 読んでいた本を閉じ、彼女は言った。
「だからこそ、『伝言屋』には大きな意味がある。そう思ってる」
 師匠たるクライン・スランバーは、いつものようにゆっくりと、俺にそう言い聞かせた。艶やかな唇を、一言一句を聞き逃さないように見つめる。俺とあまり歳の変わらない娘が一人いるそうだが、とてもそうは見えない。
「元々は読み書きのできない人のためにできた職業だけれど、手紙の代わりにと頼まれることも多いのはきっと私の考えが間違っていないからだと思う。私の口から、表情や仕草とともに語られる瞬間に、きっと誰かが伝えようとしたことをより豊かに伝えているのではないかしら」
 ぼう、とローソクの火が揺れる。かすかな灯りが、優しそうな横顔を小さく照らした。
 その横顔に、「ヤル」と決意を口にする。
「オレ、デンゴンヤ、ナル。オモイ、ツタエル」
 未だ慣れない異大陸の言葉を拙く並べると、横顔がゆっくりと頷いた。
「あなたはまだこの大陸の言葉を上手く使えない。読み書きもできない。伝えたり、受け取ったりする手段が、あなたにはまだ少ない。きっと私以上に苦労する。けど、だからこそあなたにしか伝えられないもの、あなただからこそ伝えられるものがあるはずよ」
 くしゃりと俺のくせっ毛を撫でまわすと、一言「頑張って」と励ました。
「オウ!」
 手を挙げて応えると、ニカッと彼女が笑った。
「よし、じゃあ今日もお勉強ね」
「マナブ!」
 今日もクラインと言葉の勉強をする。それは異大陸で育った俺にとって、未知の世界であるこの世界を知ることでもあった。
 クラインは伝言屋として様々な場所へ行くため、知識も幅広い。彼女はその知識の重要さを分類し、生きていく上で『とても大事なこと』や『割とどうでもいいこと』に分けて教えてくれた。
「これは『とても大事なこと』だから、絶対に忘れてはダメよ」
「ダイジ。ワカッタ」
 彼女が指を一本立てる。真剣な瞳を見つめ返し、話の続きを待つ。
 息を呑む緊張感の中、彼女は言った。
「――――今日は『ツンデレ』を紹介するわ。これは主に少女が意中の少年に対する好意の表現方法なのだけど、とても複雑な少女心理が働いているわ。代表的なセリフとして、『か、勘違いしないでよね! べ、別にあなたのためにやったんじゃないんだから!』があるわ。ポイントは『好きなのに素直になれない』という点ね」
「カンチガイ、イクナイ。オレ、キヲツケル」
「いいえ決して勘違いではないのよ。でも認めてしまうと好意を持っていると悟られてしまうから、絶対に認めたりはしないの」
「……ムズカシイ」
「あなたにもきっとわかる日が来るわ。その時がきたら、きっとあなたもキュンキュン萌えるはずよ」
「モエル!? アツイ! アブナイ!」
「いいえそうではないのよ……いつか、あなたの前にもツンデレの少女が現れると良いわね」
 彼女は遠い目をして、『ツンデレ』についてそれ以上語ろうとはしなかった。どうやら、俺はちゃんと彼女の話を理解しきれていないらしい。伝えること、受け取ることの難しさと、その奥深さを同時に感じ、ますます『伝言屋』としての未来に胸が高鳴った。
「オレ、ガンバル!」
「そうよ、その意気よ。じゃあ次は前に話した『とても大事なこと』の復習と応用よ。『絶対領域』については前に話した通りファッションのことなんだけど、最近はさらに進化して……」
 クラインの話はまだまだ尽きないようだった。全身で吸収しようと、俺も前のめりになって話を聞いていく。『レイノヒモ』なるものがとても大事らしい。

 こうした日々は、俺が彼女からお手製の『卒業証書』をもらう十六歳の誕生日まで、およそ二年ほど続いた。
 クライン・スランバーの教えてくれた『とても大事なこと』の大半が『割とどうでもいいこと』だと気付いたのは、独り立ちしてから一年ほど経ってからだった。

一章

 先の戦争の折、追い詰められた兵士たちが逃げ込んだ森を一人の魔術師が彼らごと焼き払ったことから、『虐殺の森』と呼ばれる森があった。
 戦争自体はすでに三百年近く前の話だが、鬱蒼と茂った木々によって日差しが遮られるため昼でも暗く、またジメッとした湿気や薄気味悪い生物が跋扈していることが、『虐殺の森』から人を遠ざける理由となっている。
 そうした森であれば、『夜になると死んだ兵士の霊がうろついている』といった類の噂も、出てきてしかるべしといったところだろう。
 地表にはみ出した木の根を器用に飛び越え、まだまだ見えない目的地に小さくため息した。普段はおとなしい馬のレヴィも、『虐殺の森』の空気を感じてか落ち着きがない。
「ドウドウ」
 首筋を叩いて落ち着かせつつ、周囲を伺う。かろうじて道とわかる道を進んではいるものの、うっかりすると帰り道がわからなくなりそうになる。
 森の外で聞いた話では、今回の依頼主は魔術師なのではないかということだった。
 死体をいじくり、生命を弄ぶ禁忌を犯した魔術師、ネクロマンサー。そうと聞けば、なるほど『虐殺の森』ほど適した場所もないだろう。
 パキン、と何かを踏んだ音がする。何となく人の骨だったような気がしたが、気のせいだと思うことにすると、ようやく少し開けた場所に別荘然とした建物を見つけた。
 その屋根には、横に長い旗が風に揺られていた。
『~ おかえりなさいませ ごしゅじんさま ~』
「……ンン?」
 最近ようやく、簡単な字なら読めるようになったので、何が書いてあるのかはわかった。ただ、意味がわからない。
 と、別荘の前に一人のメイドさんが立っているのが見えた。
 空のように蒼い髪を後ろで束ね、ピンと張りつめた空気を纏った彼女は、まるで氷の彫像のように見えた。
 彼女は僕を認めると、小さく会釈してきた。軽く頭を下げて応え、彼女の前まで近づく。
「エエト……」とどう声をかけようか悩んでいると、メイドさんがスカートの端を掴み、優雅に一礼した。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「……ハイ?」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
 メイドさんは全く同じ調子で繰り返した。
「……ゴシュジンサマ、チガウ」
「存じております。しかし世の殿方は、こう迎えられるととても喜ぶと聞いております」
 ちなみに世の女性は『おかりなさいませお嬢様』と迎えられると喜ぶそうです、などと付け足された。ちょっと意味がわからない。
 戸惑っていたことが伝わったのか、「ふむ」と一人納得し、話をきりかえた。
「改めてご挨拶を。私はマスターに仕えていた者で、リオと申します。この度はこのような辺鄙な場所までご足労頂き、感謝の言葉もございません」
 深く頭を下げたリオに、自己紹介を返す。
「コチラコソ。オレ、デンゴンヤ。ナマエ、ハマム。ヨロシク」
「ハマム様。では、中へご案内します。こちらへ」
 再び会釈すると、戸を開けて別荘の中へと案内してくれる。
 このリオというメイドのことはよくわからないが、悪い人ではないんだな、という感触を抱いた。
 俺の拙い話し方だと、悪い時にはからかわれたり、そうでなくても戸惑われたりするものなのだが、彼女はそうした様子を微塵も見せなかった。
 そんな些細なことが妙に嬉しかった。

 別荘は、とても綺麗だというのが最初の感想だった。
 怪しい道具だったり変な呻き声などがそこかしこから聞こえたり、とても読めないような字がそこらじゅうに書かれているような部屋をなんとなく予想していた俺を大きく裏切り、極めて整理されているように思えた。きちんと掃除が行き届いているのか、床には塵一つ落ちていない。
「今お茶をご用意しますので、どうぞ座ってお待ちください」
「ワカッタ」
 用意されたお茶がテーブルに二つ並ぶと、リオは対面に腰を下ろした。
 彼女だけ? てっきり彼女の言う『マスター』という人が依頼人なのかと思っていたのだが、彼女が誰かを呼んでくる気配はない。
「……ツタエル、アナタノ?」
 訝しげに首を傾げたのも一瞬、意味を理解したらしいリオは、無表情のまま「いえ。依頼主は私のマスターです」と答えた。
「ナラ、デンゴン、マスター、イウ」
 テーブルに乗せた手をぎゅっと握りしめ、語気を強めた。
「デンゴンヤ、オモイ、ウケトル。オモイ、ツタエル。チョクセツ、ダイジ」
 まあ依頼を受けるだけなら本人でなくてもかまわないが、それでは本当に思いを全部理解できたとは言えない。
『言われたことをただそのまま伝えるだけなら、手紙と変わらない。直接会って、聞いて、感じてこそ、伝言屋なんだと思う。少なくとも、私はそうありたい』
 そう言っていたのは、恩人であり師でもあるクライン・スランバーだった。この考えが決して間違っていないことを彼女とともにいた二年間で感じていたし、ここを曲げたくはない。
 とはいえ、彼女のような語彙があるわけではないので、果たしてリオにどれだけ伝わったかはわからなかった。
「……承知しています。後で、必ずご案内しますので」
 俯きがちに応じた蒼い瞳に、彼女にも事情があることを察した。
「……スミマセン」
「いえ。それで、お伝えしたいことというのが」
 そう言って彼女が取り出したのは、一冊の本だった。表紙に何か書いてあるが、残念ながら読めない。
「これを、ある方に届けてほしいのです」
「……」
 届けるだけなら、伝言屋の仕事ではない。そう言い返すのは簡単だったが、それは彼女もわかっているだろう。ちゃんと聞く前にどうこう言うべきでないことは、ついさきほどの経験で覚えた。
 どうぞ、と促され、本を開く。
 ページのほとんどが白紙だった。ぺらぺらとめくってみても何も書かれていない。いよいよなんなのかわからなくなってきたとき、ようやく白以外の色が目に飛び込んできた。
 押し花にされた、黄色い花。決して大きくはないが、太陽のように明るく、力強いこの花は。
「……『ダンディライオン』と。そう呼ばれている花です」
 リオの説明に顔を上げる。
「なぜこの花なのか。なぜ他に何も書かれていないのか。私にはわかりません。だからこそ、この意味をくみ取り、そして伝えられる、『伝言屋』に依頼したのです」
 受けていただけますか? 無言の確認に、俺はもう一度花に目を落とす。
 どれだけ見つめても、花は何も語ってはくれない。でもきっと、とても大きな意味があるのだと思った。
 同時に、試されているようにも感じた。この依頼を果たせば、一人前の伝言屋と師に胸を張れる。そんな予感めいたものが俺の中に満ちていく。
「ヤル」
 パタンと本を閉じ、青い瞳を正面から見据えた。
「ツタエル。カナラズ」
「……よろしくお願いします」
 もう一度、深々と頭を下げた彼女が顔を上げると、無表情な中にもどこかほっとした雰囲気があった。二人を包んでいた空気も一通りの決着を経て幾分緩くなり、少しばかり温くなったお茶を口に含む。
「少し冷めてしまいましたね。新しいのをお持ちします。紅茶は飲めますか? マスターの育てたハーブを使った、とても美味しい紅茶があるのですが」
「イタダキマス」
 紅茶なるものがどういうものなのか、あまり食に興味がなかったらしいクラインからは教わらなかったが、決して悪いものではないことは察せられた。出されるに任せ、ひとまずもらうことにする。
「では、少々お待ちください。紅茶を飲み終わったら、改めてご案内致しますので」
 何を? という疑問が表情に出たのか、リオは小さく苦笑し、そして言った。
「マスターのところへ、でございます」

 紅茶を飲み終えた俺は、リオとともに別荘を出ていた。沈みかけている赤い夕陽に、もうそんな時間なのかと小さく驚く。陽光の差し込まない森の中では、常に夜のような暗さだったこともあるかもしれない。
 リオに連れられてついたのは、小さな池のほとりだった。
「こちらが、私のマスターです」
 彼女が手で示したのは、とても四角い人だった。手足もなく、体には字のようなものが書かれている。これが魔術師なのか。 
「トテモ、カワッタヒト。イシミタイ」
「墓ですから」
 ハカ? きょとんとリオを見つめると、「……ボケではない? まさか天然!?」ととても驚かれた。
「これは墓と言って、亡くなった人が眠る場所です。つまり、マスターは死んだのです」
 死んだ。淡々と語られた事実に、ずんと腹の底が重くなるのを感じた。
「この依頼は、マスターから私への、最後の命令でもあるのです。どうか、よろしくお願いいたします」
 そっとハカに手を乗せる。やっぱり石はただの石で、そこに思いは感じられない。
 感じられないものを、どう伝えればいいのだろう?
 見当もつかない。けれど、断るなんて選択肢はなかった。
 ボセキを見つめる蒼い瞳からは、とても悲しい気持ちが伝わってきたのだから。

 出発は明日ということで、今日は泊めてもらうことになった。
 ベッドで横になったものの、目が冴えてしまってなかなか寝付けない。気になるのは、やはり依頼の花のことだった。
 魔術師が、なぜ押し花など作ったのか。
 そしてそれを、なぜ伝言屋に依頼したのか。
 伝言屋に依頼する方法はおおまかに二つある。一つは伝言屋ギルドを訪ね依頼を出し、引き受けてくれる伝言屋を待つ方法。もう一つは、各地を巡る伝言屋に直接依頼する方法だ。前者が一般的だが、小さな町や村になると伝言屋ギルドがなく、たまに訪れる伝言屋を頼るしかないこともある。
 今回はギルド経由だったが、依頼は俺を指名していた。不思議に思っていたが、色々あって聞くのを忘れてしまっていた。
「……ウン?」
 ふと、外から音が聞こえ、そっとカーテンを開ける。
 メイド服から動きやすい格好に着替えたリオが、黙々と槍を振るっていた。槍と言っても、刃先がついてないため殺傷力は低い。もっとも、あの悶絶必死の突きを食らいたいとは思わないが。
 気になったので、ベッドを出て外へ。月明かりで明るいせいか、リオはすぐに俺に気づいて、手を止めた。
「申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」
「ダイジョウブ。ナニ、シテタ?」
「槍の鍛錬でございます。マスターを守るサーヴァントとして、日々の鍛練は欠かせません」
「サー……?」
 いくつかの疑問が同時に浮かび、言葉尻に疑問符がつく。察したリオは、完全に手を止めて話してくれた。
「サーヴァント。マスターの魔術によってこの世に顕現した、『生ける駒』にございます」
「……ウーン」
「まあ、あまりお気になさらず」
 やはり半分も理解できず眉を顰めた俺に、リオは苦笑して付け加えた。
「マスターはもういないのに鍛錬を続ける理由は、あなたにございます」
「オレ?」
「はい」
 彼女は膝をつくと、右手を胸にあて頭を下げた。
「マスターの最後のご意志を果たすため、あなたが依頼を果たすまでお守りする。これが、私に与えられた、最後の命令でございます」
 いつもと変わらない、冷静な彼女の口調。でも少しだけ、いつもと違う気がした。
「カナシイ?」
「はい?」
 訝しげに顔を上げ、意味を理解するのに数秒を要したあと、リオは「いえ」と首を振った。
「私はサーヴァント。本来在らざる命であり、駒に過ぎません。そこに、感情はございません」
「ワカッタ」
 白紙に落ちた黒い染みのような違和感はあったが、それ以上の追及はしなかった。真偽はどうであれ、深く踏み込んで楽しいものにはならないだろう。
 リオは完全に鍛錬を中断したらしく、別荘へと歩き出す。
「夜はまだ寒うございます、温かい紅茶をお入れしますので、中へ戻りましょう」
「……ジャマ、シタ?」
「いえ。そろそろ切り上げようと思っていましたから」
 お気遣いなく、と応じたリオの蒼い瞳は、無表情ながらも内側に優しさを感じさせた。そこに感情がないとは、到底思えなかった。

二章

 美味しそうな香りに目を覚ます。すん、と鼻を鳴らして部屋を出ると、美味しそうな匂いがより強くなった。
「おはようございます、ハマム様。もうすぐ朝食ができますので、座ってお待ちください」
「アリガト」
 言われた通り席に着く。間もなく、「オムライスです」と目の前に皿が置かれた。玉子でご飯を包んだ料理だろう。
「イタダキマス」
「少々お待ちください」
 リオに制止され、お預けされた格好になり思わずむっとする。
「ただいま、このオムライスがさらに美味しくなる魔法をおかけしますので、しばしお待ちください」
 言うなり、ケチャップを手にしたリオが目を瞑り、何ごとか囁き始めた。
「पहले ऐक्य दिया था आकाश में प्रकाश और भगवान ने हमें, हे भगवान भला करे……どうぞ」
「イタダキマス……オイシイ! スゴイ!」
 ケチャップで書かれた文字も呪文もさっぱり意味はわからなかったが、このオムライスなる料理の美味しさだけはよくわかった。ふっくらふわふわな玉子に、絶妙な味加減のチキンライス。スプーンが止まらない。
 頬がパンパンになるほど詰め込んでから、水を飲むため顔を上げると、リオがよつんばいになっていた。
「…………わ、私の会心のボケだったのに……。そこは『何その呪文怖すぎ! 食べる気失くしたわ!』というツッコミでしょうに。マスターもノリノリでツッコんでくれた、私が最も得意とするボケだったのに……」
 なんだかよくわからないが、どうも落ち込ませてしまったらしい。とりあえず「……ゴメン」と謝ってみる。
「いえ。……いいえ、ハマム様が悪いわけではありません。どうかお気になさらないでください。というか、本当にハマム様にはなんの非もありませんし」
 オホンと咳払いしてから、膝についた埃を叩くと、彼女も椅子に座ってオムライスを食べ始めた。
「マホウ、イイノ?」
「大丈夫です。それと傷口に塩を塗るのは勘弁してください」
「?」
 塩もかけるの? と不思議に思ったが、どうやらもう触れてほしくなさそうだったので追及はしなかった。
 オムライスを半分ほど食べ終えてから、大分立ち直ったリオが今日の予定について話し始めた。
「食べ終えたら、少し休んで出発いたしましょう。森の道は私がご案内できますので、行きよりもずっと早く出られると思います」
 ただ、と前置きし小さくため息。
「……本当であれば、もうお一方来られるはずだったのですが。何か事情があったのかもしれませんし、これ以上待ってはいられませんので」
 どういうこと? と口には出さず聞いてみる。リオは『配達屋』ですと答えた。
「ハマム様の伝言とはまた別に、届けてほしいものがあったのですが。仕方ありません、こちらも一緒に持っていくことにしましょう」
 そんな気になる話も混ぜつつ、美味しい朝食の時間は過ぎていった。

 朝食を終え、軽く支度を整えてから別荘を出た。昨夜のうちに準備の大半を済ませていたらしく、出発までにそう時間はかからなかった。
 リオは馬上の人になると、片手には昨日の鍛練で使っていた刃先のない槍を持っていた。凛々しさと美しさを併せ持つリオだけに、その姿はとても様になっている。
「リオ、カッコイイ」
「やめてください妊娠してしまいます」
「ナンデ?」
 カランと槍が落ちた。拾ってあげると、「……いえ、なんでもありません。ありがとうございます」と受け取ったリオの表情が何やら硬い。
 そんなこんなで出発。リオは馬の扱いも巧みで、木の根や枝葉をすいすいと抜けていく。また俺が来たのとは違う道らしく、けもの道もやや広く感じられた。
 森を抜けたのは、昼を少しばかり過ぎたころだった。濃い枝葉に覆われた森から久しぶりに太陽を見つけ、ほっと背筋を伸ばす。
「おつかれさまでした。ひとまず街道にそって行った先に、町があります。そこで休憩をとり、今後の道筋を決めましょう」
 振り返ったリオが視線を鋭くしたのと、馬の足元に矢が突き立ったのはほぼ同時だった。
「ハマム様、後ろへ」
 矢が来た方へ向き、リオが俺を後ろに庇う。刃先のない槍を構えると、矢が来た方から葉を踏む音がした。
「……ふふ、待ちくたびれたわ」
 森から姿を現したのは、弓を片手に持った少女だった。
 翡翠色の髪を短く切り、勝気そうな瞳をしている。革製の胸当ての他は至って動きやすい旅人の恰好だが、ブーツともどもかなり使い込まれているのが感じられた。右肩と右の腰の辺りに、矢筒を備えている。弓の腕と自信は相当なものだろう。
 ひらりとスカートが風に揺れる。スカートとソックスの隙間のことを、さて何と言ったかな。いいや。忘れた。
「……何者か知りませんが、私達に危害を加える気ならば容赦はしません」
「あー、違う違う。敵じゃないっていうか、むしろ味方?」
 少女はそういうと、敵意はないと示すように両手をひらひらさせた。
「わたしは配達屋。依頼されて来たんだけど、ちょっと道がわかんなくてね。あなたたち森から出てきたんでしょ? もしよかったら案内してもらえないかな」
「ハイタツヤ……」
 その響きに、今朝話していたことを思い出す。リオもすぐにつながったらしく、「ひょっとして、あなたがエレイン様ですか」と槍を幾分下ろした。
「そう。で、どう? 少しなら謝礼もするけど」
 不敵な笑みを浮かべ、エレインは肩を竦めた。
 ふてぶてしい態度がチクリと来たのか、リオは声を固くする。
「……『虐殺の森』は確かに迷いやすいですが、マスターの別荘までは獣道があるため迷うことは滅多にありません。あなた、ひょっとして一度も中に入っていないのでは?」
 エレインの表情が固まる。弱々しく逸らされた目に、リオが追撃をかけた。
「そもそも遅れたくせにその態度、プロとしてどうなのかと思いますけど」
「……あ、その、それは……」
「まさか幽霊が怖くて森に入れませんでしたとかないですよね?」
「そ、そんなわけないじゃない!」
 急に語気を強くして否定され、リオが目を大きくする。そして口元を歪めると、
「じゃあ、後ろに血まみれの兵士がいても驚かな」
「へにゃん!?」
 いきなり走り出そうとしたせいで、足がもつれて前へと倒れ込んだ。
 必死に前に這いながら何もない後ろを振り返り、呆然とした顔でリオと何もいない森の方をキョロキョロした。
「………………ぷっ」
「わ、笑うなあ! なによ、幽霊なんて矢が通らないのよ! 怖いに決まってるじゃない!」
「おや逆ギレですか? 大きな声を出すと本当に森から良くないものを呼んでしまうかもしれませんよ?」
「ひっ!」
 肩をビクンとさせたエレインに、リオは嗜虐的に言った。
「まあご心配なく。お任せしようと思っていた品は、私が直接持っていくことに決めましたので。依頼は破棄ということで。行きましょうハマム様」
「ま、待って!」
「なんですか? 今更殊勝な態度をとったところで」
「た、立てない……」
 は? と、ポカンと開いた口がふさがらない。
「……腰、抜けた」
 沈黙。木々を揺らす風の音だけが聞こえ、何とも言い難い雰囲気を演出する。
 ややあって、リオは必死に声を押し殺していた。
 流石に可愛そうになったので、馬をエレインに寄せて降りる。
「コレカラ、マチ、イク。ウマ、ノル。イッショ、クル」
 カタコトだったことに違和感はあったようだったが、すぐにコクコクと頷いた。瞳がうっすら滲んでいる。そんなに怖かったのか……。
 腰が抜けて立てないという事だったので、彼女の肩と膝に手を入れて抱きかかえる。
 抱きかかえたまま、馬に乗って手綱を握った。
 エレインの顔が真っ赤に染まる。
「……は!? ちょ、後ろ! 後ろでいいって!」
「ウシロ、オチル、アブナイ。マエ、ササエル、アンゼン」
「危ないとか危なくないとかじゃなくて! 恥ずかしいって言ってんの!」
「しかたありませんね。行きますよお姫様(笑)」
「お姫様とか言うな! ていうか笑いながら言うな! アンタも普通に行くな! ちょ、下ろして! 下ろしてもらったら困るけど下ろして、とにかく恥ずかしいから! せめて後ろにー!」
「タビ、ニギヤカ、ナッタ」
「仰せの通りです、ハマム様」
「人の話を聞け!」
 
 エレインに負担をかけないよう馬の足を緩めて走ったせいか、町に着いた頃には日が大きく傾いていた。
 お昼を抜いてしまったこともあり、とりあえず食事できるところを探す。
 五十人程度は入れそうな居酒屋に決め、俺とエレインの二人で入る。リオは馬を繋いでおくため、三人分の宿を探してから戻ってきてくれるという事だった。
 案内されて中央の四人用テーブルに座ると、注文する前にエレインが突っ伏した。
「ツカレタ?」
「怒る元気もないわよ。うう、町中まであんな格好で……」
 出された水を飲み、適当に三人分の注文をする。
「お金あるの?」
「タブン」
 詳しい金額は計算していないが、まあ大丈夫だろうと思っていた。あまりしっかりした場所で食べた経験がないため、どのくらいお金がかかるのかとかは正直よくわからない。
 自信なげに応じると、「まあいいわ」と体を起こす。
「形はどうあれ、送ってもらっちゃったからね。ここはわたしが奢るわよ」
「ソレ、ヨクナイ。タスケル、トウゼン。オカネ、チガウ」
「気持ちよ気持ち。わたしはあんたにお礼がしたいの。あんたはわたしの感謝の気持ちを踏み躙るわけ?」
「イヤ……デモ」
「はい決まり。食べたいのあったら追加で頼んでいいわよ。わたしも頼むし。どれにしよっかなー」
 メニューを眺めながら、「そだ」と今思いついたようにエレインが聞いてきた。
「あんたってすごいカタコトよね。そんな田舎の出身なの?」
「イナカ……トイウカ、ウミ、ソト」
「海の外って……まさか異大陸?」
 頷く。表情には出さないが、無意識に唾を飲み込んだ。
 絶海と呼ばれる海を挟んだ異大陸とは交流がなく、色々な噂ばかりが広まっていた。中には『良くないものをまき散らす災厄の元』や、『悪魔が人に化けている』といった極端なものもあり、人によっては異大陸出身というだけで白い目で見られたり、迫害を受ける可能性もある、とクラインは言っていた。
 あまり強い迫害は受けたことがないので重く考えたことはないが、それでも悪い人ではないと思える少女が態度を急変したら、と思うと緊張した。そもそも信じてもらえない可能性もあったが。
「へえ」
 彼女の感想はそれだけだった。
「まあそういうこともあるんだろうね。で、伝言屋か。それはわかんないけど。言葉わかんないだろうに、なんでまたそんな仕事を」
「タスケテクレタ、デンゴンヤ。ダカラ」
「そんだけ?」
 驚いたように目を見開くと、頼んだ料理が届いた。軽く手を合わせてから食べ始めたエレインに、付け加える。
「コトバ、ウマクナイ。ダカラ、ツタワル、アル。イワレタ」
「……あー、なるほど」
 エレインが苦そうな顔で同意した。
「ていうか、わたしの母親もそう言うかもって気がした」
 がぶりとパンをかじり、続ける。
「わたしの母親もあんたと同じで伝言屋なんだけどさ。わたしも昔は母親に憧れてて、大きくなったら伝言屋になるって言ってたんだけどさ」
 エレインは香り良いソーセージを咥えると、力任せに噛み千切った。
「ある日突然いなくなっててさ。置手紙には、『言いたいことがあるなら、直接私のところまで届けに来い。それがあなたの最後の課題よ』って。ふざけんな! って思うでしょ? いきなり子供見捨てていく親がどこにいるってのよ」
 スープを一口すするエレインに、「デンゴンヤ?」と聞いてみる。ぽかんとしたのも一瞬、納得したように「ああ」と説明してくれた。
「私、伝言屋もやってるのよ。配達屋の方が仕事は多いからそっちもやっているってだけ。それに、母親には言いたいことだけじゃなくて届けたいものもあるし」
「ナニヲ?」
「平手打ち」
 裏拳もいいなー、などと呟きながら食べるエレインに苦笑しつつ、俺もシチューにスプーンを伸ばす。中々繁盛しているらしく、確かに美味しい。
「エレイン、リオ、マスター、シッテル?」
「うん? ……ああ、まあ、噂話程度には」
 カタコトだからだろう、理解されるまでに少し時間がかかる。もう慣れたけど。
「『死霊魔術師』サラディンでしょ。死体を兵士にするとか悪霊を呪いに使うとか、死んだ人間を生き返らせる魔術を研究してたとか。実験材料にするために人をさらって殺したとか、あんまり良い噂は聞かなかったけどね。酷いのになると、虐殺の森の事件は実験材料を欲したサラディンの陰謀だ、なんてのも」
「ソレハ」
「違うってんでしょ、わかってるわよ。虐殺があったのは三百年も前。魔術師が常人より多少高齢と言ってもせいぜい百年ちょっと。生まれてすらいないのに何かできたわけないもの」
 とはいえ、『死体弄り』自体は研究のためにしていたのか。
「まあ一人で研究してたから謎な部分も多いみたいだけどね。魔術協会からも白い目で見られたみたいだし」
 魔術は、この大陸ではそれなりに認められているようだった。協会で一括管理され、規則を定め、違反者には協会からなんらかの罰則を与える。
「つまり、死霊魔術師サラディンは、生死における神の領域を冒そうとする異端者、死体を弄る気持ち悪い人。総じて悪い噂の方が多いっていうのが世間の一般的な見方かな」
「…………」
 なんとも言えない気持ちで、スプーンを置いた。
 やっぱり悪い人、なのだろうか。そんな人からの、謎の伝言。本当に必要なのか、ひょっとして何か悪いことの片棒を担がされようとしているのではないか。嫌な予感が胸をよぎり、奥歯を噛みしめる。
 リオが戻ってきたのは、そんなタイミングだった。
「お待たせしました。ただいま戻りました」
「や、おっす。先食べてるよん」
「おかまいなく。おや、私の分も頼んでくれたのですね。感謝します……が」
 リオの表情が険しくなる。といっても、元々無表情なのでそんなに大きな変化はないが。
「随分と頼みましたね。これは」
「いいのいいの、コイツの分はわたし払うから。あ、あんたの分は払わないからね。自分で出しなさい」
 パンくずを口元につけたまま、イーッとエレインが言った。リオはかまわず、「ハマム様」と呼びかける。
「ご覧ください。これが『ツンデレ』というものです」
「ハア!? 全然違うわよ!」
 ツンデレ、聞いたことがあると思ったら、恩人であり師商でもあるクラインから『とても大事なこと』として聞いたやつだ。たしか勘違いがなんとかということで、好きな人にあえて嫌われるようなことをしたり言ったりするという。
 ということは。
「ツマリ、エレイン、リオ、スキ?」
「何でそうなるのよ! そんなわけないでしょ!」
「ご心配なく。私は両方いける口です」
「かえって不安になるわ!」
「ただしあなたに限り嫌です」
「何もしてないのにフラれた!? 別にいいけどなんか腹立つ!」
 しれっとスープに口をつけるリオに、エレインが青筋立てて詰め寄る。とても楽しそうな二人を眺めながら、しかし心は沈んで中々浮かび上がってこない。
 死霊魔術師サラディン。噂の中に組み上がる、彼のイメージ。
 リオという少女を通して見える、彼女のマスターとしてのイメージ。
 その二つのイメージがまったくかみ合わず、気づけばスープは随分と温くなってしまっていた。

 

 次の日。部屋をノックする音に目を覚ます。「失礼します」の声に体を起こすと、すでに着替えていたリオは朝食らしいお盆を持って立っていた。
「おはようございます、朝食の用意ができましたので、私達の部屋までお越しください」
 一礼し扉を閉めるリオ。マスターではない自分に対しても随分丁寧だなあと、今更ながら違和感を抱く。
 もしかして、俺がマスター扱いされているとか?
 ……いや、ないか。
 まあいいやと考えるのをやめ、支度を整えると隣の部屋へ。
 ノックして返事を待ってから入ると、リオはテーブルに朝食の支度を済ませて待っていたが、エレインの姿がない。
「エレイン様でしたら、まだお眠りになっております。起こしてあげてください」
「……イイノ?」
「と、仰いますと?」
 躊躇いがちに問うと、何の事だかわからない、とばかりに首を傾げられた。
「オンナノコ、ネテイル。オトコ、オコス。イクナイ」
「些末なことです。私は紅茶を入れますので、ハマム様お願いします」
「……ワカッタ」
 あまり驚かせないよう静かに近寄り、エレインの顔を覗き込む。
 ちゃんとは聞いていないが、歳はおそらく俺より一つか二つ上だろう。怒っていたり慌てていたりとあまり美しさを感じるタイミングはなかったが、こうして寝顔を覗いていると、リオとは違う方向に整った顔立ちをしていた。
 リオは完成された調度品だとすれば、エレインは人の心をくすぐる芸術品といったところか。なんか違う気もする。
「エレイン、オキル」
 声をかけても、返事はない。仕方なく肩を揺する。
「……うーん、そんなに食べられないよ~」
 起きた? いや寝言か。
「エレイン、オキル!」
「ふぎゃ、ダメダメ、シチューに入れるメロンは三個まで……うにゃ?」
 寝ぼけ眼をうっすら開くと、焦点が徐々に俺と合う。
 やがて大きく見開くと、布団をはね飛ばした叫んだ。
「はにゃ! な、何でアンタがここにいるんだ! じょ、女子の寝顔を勝手に見るなんて最低だぞ!」
「私が許可しました」
「あんたにそんな権利ないでしょ!」
「いつまで経っても起きないからです。さあご飯が冷めてしまいます、いただきましょう」
 そそくさとテーブルについてしまったリオを睨んだエレインは、やがて「か、顔を洗ってくる!」と部屋を飛び出した。
 その背中を見送り、ジロリとリオを見据える。
「……ヤッパリ、オコッタ」
「照れているだけです。本気で怒っていたら眉間に矢の一発も撃ちこんでいるでしょう。それにしても、からかい甲斐のある方です」
 本人聞いたらさらに怒るな、とは思っても口に出さなかった。
 しばらくして、眠気パッチリなエレインが戻ってくると、リオが立ち上がった。
「今日は私が台所を借りて調理しました、オムライスでございます。僭越ながら、私が美味しくなる魔法をかけて差し上げましょう」
「へーえ、面白そうじゃない」
 あまり深く考えない性質なのか、ケチャップを手にしたリオに自身のオムライスを差し出す。
 リオはそっと両手でケチャップを構えると、昨日聞いたのと同じ呪文を唱えた。
「पहले ऐक्य दिया था आकाश में प्रकाश और भगवान ने हमें, हे भगवान भला करे……どうぞ」
「どうぞじゃないわよ! サーヴァントが聞いたこともない言語で怪しげな呪文唱えないでくれる!? 何その呪文怖すぎよ! 食欲失くしたわ!」
 エレインが語気荒く問い詰める。
 リオは何故か、感極まったように胸に手を当てた。
「……ありがとうございます」
「はあ!?」
「やはりそういう反応が普通ですよね。思った通りの反応をしていただいて、今私はとても感動しております。なんだか今ならあなたのことを好きになれそうです」
「結構よ!」
 賑やかに始まった食事が済むと、これからの道程についての話し合いに移る。
 和やかな雰囲気が消え、適度に張りつめた空気が三人を包んだ。
「……私達がこれから向かうのは、カダインと呼ばれる魔術都市。それと、エコールという小さな村が目的地になります」
「二つあるの?」
 デザートにと用意された小さなケーキを口に運ぶエレインの問いに、「はい」とリオが頷く。
「というか、今は三人で行動を共にしておりますが、本来エレイン様にはハマム様とは別のものをお渡ししてほしかったのです」
 エレイン様が怖がりなために遅れてしまいましたが、とリオが前置きすると、エレインも渋い表情をしながら続きを待った。
「マスターが依頼した品は二つ。一つはハマム様にお渡しした白紙の本。もう一つは、マスターの研究の全てが込められている、こちらの魔術書です」
 彼女が取り出したのは、黒い書物だった。片手で持つにはやや重たい大きさで、表紙の字が読めないのは俺の識字力が低いからではなく、一般的に知られている言語ではないからだ。
「こちらはカダインの魔術協会に。もう一つの本は、エコールに住むとある方に、というのがマスターの依頼でございます」
「なるほどね。道理で配達屋と伝言屋に同時に依頼が来るわけだ。元々依頼も二つあったわけね」
 ふむ、と考え込んだエレインが続ける。
「……でも、カダインとエコールなら、途中まで同じ道よね。新街道を道なりに進めばカダインにつくし、エコールはそこから北に向かって進めば半日とかからない」
「エコールだけなら、旧街道から北に向かって海岸に出て、海沿いに歩く方が若干近いですがね。まあせっかく三人一緒になったのですし、エレイン様の提案されたルートで行く方が良いでしょう」
 ピク、とエレインの頬が緊張したのを、俺は見逃さなかった。
「そ、そう? そうね、そうしましょう」
「エレイン、ホットシタ?」
「は!? え、あ、まあ、せっかく出会えたのですもの、たまには何人かで一緒に旅をするのもいいかなーって思っただけよ」
「……昨日から疑問に思っていたのですが、エレイン様。あなたの馬はどうしたのですか?」
 ギク。そんな擬音が、動きを止めたエレインから聞こえた気がした。
「虐殺の森から来る時もハマム様の馬に乗っておられて、別途馬を引いているようでもありませんでした。てっきりこちらの町の宿に繋いでおられると思っていたのですが、そのようなことも言われませんし。距離を移動する配達屋で、まさか馬に乗れないわけもないですしね」
「も、もちろん乗れないなんてありえないわ! わたしが馬に乗ったら、その、と、とと飛ぶし! もうドヒューン! だし!」
 つうと汗が伝うエレインに、リオが蒼い瞳を鋭く細める。
「エレイン、ウマ、ソラトブ? スゴイ!」
「あ……あはは」
「ハマム様はとても素直です。すぐに人の言うことを信じてしまいますよ」
「う……その」
 何故か肩を落とすエレイン。やがて、しょんぼり項垂れて言った。
「……ごめんなさい。馬、乗れません」
「よくそれで……いや、なんでもありません」
 本気で落ち込んでいるのを見て、リオが追撃を控えた。
「まあいいでしょう。幸い道はほぼ同じ。途中までは私達のどちらかの馬に乗って行けばいいですし、なんなら両方とも三人で行ってもいいのですから」
「オレ、ノセル。レヴィ、ツヨイ」
 二人の少女は、レヴィが俺の馬の名前だと合点が行くまで少しばかり間があり、「わかりました」というリオと「わ、私は後ろだからね!」というエレインの声が重なった。
「ああそれと、これからは一応気を付けてくださいね。マスターは魔術師としてかなり知られていました。その魔術師の最後の魔術書ということで、よからぬ輩が狙ってくるかもしれませんので」
 ――――コンコン。
 これ以上ない完璧なタイミングで、ノックの音が響いた。三人で顔を見合わせ、エレインが弓を取りに行く。リオは扉の死角に槍を置き、慎重にドアを開けた。
「おはようございます、よく眠れましたか……て、どうしたんです? 怖い顔をして」
 そこにいたのは、宿の主人だった。恰幅の良い男で、昨日も見た覚えがある。
 動きも鈍く、とても人のものを奪うような『良からぬ輩』には見えない。
 リオも警戒を解き、「怖い顔は生まれつきです」と誤魔化した。
「それで、どのようなご用件でしょう?」
「はい、実は先ほど、こちらのお客様に渡してほしいものがある、と」
「ではその方々にはこのようにお伝えください」
「はい?」
 言うなり、槍を手にしたリオは再び、いや先ほど以上の警戒心を纏って言った。
「気配の消し方くらい覚えてから来い、と」
 窓が砕かれる音よりも早く、リオは窓に向かって駆けだしていた。
 入ってきたのは黒づくめの男が三人、手にはダガーや長剣を持ち、黒いフードとマフラーで顔はほとんど見えない。
 男たちが着地をした隙を見逃さず、リオがダガーの男を一突き。勢い余って壁に叩きつけられた男は、力なく倒れ込んだ。
 体勢を整えた男が、長剣を構えてリオに迫る。だが、間合いの利を生かしたリオが振り下ろされた長剣を冷静に捌くと、素早く踏み込んで心臓を撃ち抜いた。刃先がついていないので貫くことはないが、とても軽傷で済まない重い音が部屋に響く。
 最後の一人がリオの背後を低い姿勢で狙ったが、剣が届く前に矢が膝を撃ち抜いた。
「なんなのよいきなり!」
 弓を手にしたまま吐き捨てたエレインは、すぐさま矢をつがえて宿の主人に向ける。状況についていけてなかった主人は、矢を向けられて「ひぃぃ!?」と情けなく腰を抜かした。
「エレイン、チガウ」
「何がよ! 私達がコイツに売られたんでしょ!」
「いえ、ハマム様の言うとおりです。おそらく利用されただけでしょう。注意をドアに向けさせ、窓からの奇襲を図ったものと思われます。もし彼が本当に一味なら、ドアの外にも仲間、ないし彼自身も襲ってきているはず」
 リオは窓から外の様子を探る。
「……囲まれてはいないようですが、かなり多くいるようです。今すぐここを離れましょう」
「どうやってよ! 堂々玄関から出てったら絶対袋叩きよ!」
 第一手は失敗したとはいえ、恰好や奇襲の手段から察するに決して生半可な規模の敵ではない。入り口くらいは固めていると見るべきだろう。
「馬に乗れば、力づくで突破できます。まずはそこまで行きましょう」
 だから、と言いかけたエレインに、「ここからです」と押しかぶせたリオは、迷うことなく窓から跳躍した。
「ちょ、ここ三階よ!」
 あわてて窓に駆け寄ると、リオは完璧な着地をし、索敵を済ませ、来いのサインを送ってきた。
「イコウ」
「て、アンタも!? アンタは普通の人間でしょ! 怖いとかないの!?」
「ジャア、ツカマル」
 ひょいっと膝下から手を入れ、彼女を抱きかかえる。窓枠に飛び乗ると、ふわりと風が二人を包んだ。
 真っ赤な顔でエレインが反論してくる。
「思春期の少女をすぐ抱っこすな! ていうか三階って人が死ねる高さよ! せめて下にふんわりしたクッションを」
「ヨンカイヨリマシ」
「そ、そりゃそうだけどってきゃああああああああああああああああああああああああ!」
 両膝を上手く使って勢いを殺し、極力腕の中のエレインに衝撃が行かないよう両手に力を込めて着地。流石に二人分は重く、衝撃が頭まで響く。
「……ッ」
 悲鳴を押し殺し、エレインを下ろすとリオを追って馬小屋へ。「……わたしの意見が軽んじられ過ぎよ」などとぶつぶつ言いながらエレインもついてきた。
 幸い、馬の方には手が回っていなかったらしい。先にエレインを馬に乗せ、ついで俺も馬上へ。
「私が前を走ります! 離れずについてきてください!」
 馬の腹を蹴って駆けだしたリオを追って通りに出ると、まだ朝だからか人通りは少なかった。だが、明らかに町民ではない目がちらほらと視界に入り、力づくで突破するしかないと腹を決める。
「立ち塞がるものは全て私が払います。恐れることはありません」
「敵は倒せても矢はどうすんのよ! あちこちに狙撃手いるわよ!」
「全て弾き飛ばせばよいのです!」
 かけ声とともに、大通りを走り出す。立ち塞がった黒づくめの刺客は、宣言通りリオが一突きで撃ち払う。
 と、今度は馬に乗った刺客が前から、横からと湧き始めた。また、左右の建物からは弓を構えた者も見える。意地でもここで止めたいらしい。
「上は任せて! あんたはできるだけ頭下げて!」
 後ろから弓を構えたエレインが、矢継ぎ早に放っていく。馬に乗れないのに、馬上の射撃をこうも正確にこなすとは。馬を走らせながら、感嘆の息が漏れた。
 援護の弓が少なくなれば、もはやリオを止められるものはいなかった。
 騎虎の勢いそのままに、馬の速度も乗せた一撃で立ち塞がること敵わず、横に並んでも一撃で撃ち抜き落馬させる。
 やがて追ってくるものがいなくなると、俺とエレインが同時に大きなため息をした。
「なんとか撒いた?」
「ええ、おそらく……いえ、まだのようです」
 ちらりと振り返ったリオにつられて背後を見れば、リオを遥かに上回る速度で追ってくる、一つの黒い刺客の姿があった。
 黒づくめなのは他と一緒だが、しなりと弧を描く曲刀をそれぞれ両手に持ち、隙のない目でこちらを見据える目は一目で別格とわかる威圧感があった。
「……ハマム様。奴は左から来るようです。右へ」
 レヴィの速度を上げ、リオに並ぶ。これから一日走り通すためにはこれ以上速くさせて疲れさせるわけにはいかない。ここで追いすがろうとするあの曲刀使いの黒馬を、馬足で振り切るのは不可能だった。
 つまり、今叩くしかない。
 予想通り、曲刀使いが左からリオに迫る。間合いに入られる寸前にリオが突きを放ち、戦いが始まった。
 繰り出された突きを片手で弾くと、間髪入れず馬を寄せて空いたもう一振りを払う。槍で受け止めたものの、微妙に間合いに入られたことで分が悪くなる。
 間合いを詰めさせないよう、あるいは勢いに押され、徐々に右へ右へと押し込まれていった。
「前! 前!」
 後ろから聞こえた声で反射的に前を見る。置きっぱなしになっていた荷馬車が、進行方向を妨げていた。
「レヴィ!」
 慌てて右へ。荷馬車と店のわずかな隙間を通り抜けるが、荷馬車に掠めた肩からジワリと血が滲んだ。
「ちょっと! いい加減挟まれそうなんですけど! なんとかしなさいよ!」
 連続する剣戟音が返事だった。片手でも相当な腕力なのか、受け止めたリオが馬ごと右側へと飛ばされる。上手く手綱をきって落馬は免れるが、ますます右側へと押し込まれた。
 この曲刀使いは間違いなく強い。低く見積もってもリオと同じか、それ以上だ。リオは俺とエレインを後ろに抱えているため上手く間合いをとれず、不利な戦いを強いられている。
 ならば離れるしかない。馬速をあげて前へ行くか? いや、リオなしに追いつかれたら間違いなく殺される。
 ――よし。
 俺はあえて馬の手綱を引き、馬速を緩めた。
「ちょ!?」
 エレインの声が上ずる。リオと曲刀使いを前に出すと、一息に左へ進行方向を変えた。
 曲刀使いも簡単には逃がしてくれない。重い一撃でリオの体勢を崩すと同時に、こちらへと馬を寄せてきた。
「来たよ来たよ来たよ! どうすんのどうすんの!?」
「ダマッテテ!」
 距離が縮まる。狙いは真横に並んだ瞬間。
 見るべきは二振りの曲刀。
 馬の、レヴィの鼓動を感じる。ブルゥ、と荒い鼻息が任せろ、と言っているように聞こえ、小さく笑みをこぼした。
 距離が縮まる。左手で曲刀を持ったまま馬を操り、剣が届く位置にまで迫っていた。
 曲刀使いが右の曲刀を振り上げる。と、予備動作なしで『左』の曲刀を横薙ぎにした。
 刹那の時を読み違えず、左の手綱を引く。
 完璧な反応をしたレヴィが左方へ飛び退き、曲刀はわずかに服を掠めただけだった。
「イマダ!」
「――――先に言いなさい!」
 空振りした隙を、エレインの矢が貫く。
「……ッ!」
 寸前で右の曲刀に弾かれた。「この距離で!?」とエレインが驚愕したが、隙を作るにはそれで十分だった。
 右は攻撃に、左は防御に使わせて、意識は完全に俺たちに向く。彼女は、この隙を逃すようなサーヴァントではない。
 遅れて馬を寄せたリオが、全身全霊を込めた一撃を繰り出した。
「破ッ!」
 刃先のない槍が曲刀使いの右脇腹を捉えると、巨体が踏ん張る余裕もなく宙を舞い、地面に叩きつけられる。
 大きく息を吐いて辺りを探るが、どうやらもう追手はいないようだった。あの曲刀使いが最後の砦だったのだろう。
 もう一度背後を見やる。黒い光を湛えた曲刀使いの目と目が合い、ぞくりと背筋に怖気が走った。

三章

 パチパチと火が爆ぜる。蒼い瞳と髪は緋色に照らされ、サーヴァントを幻想的に魅せていた。いつもより口数が少ないように見えるのは、疲れているからか、あるいは何か考え事をしているのか。
 黒づくめの集団から襲撃を受けてから、四日が経っていた。
 ある程度危険は覚悟していたが、黒づくめの男たちの周到さ、規模はリオの予想をこえたものだったようだ。カダインを目指すうえで、人の行き来が盛んな新街道を進むのは危険すぎた。また海岸を目指してエコールから回り込むルートでは遠回りになってしまうことを考え、出た結論は街道を迂回する山越えのルートだった。
 街道から離れて道なき道を進む。上手く行けばカダインへは本来のルートの逆側から回り込むような形になるため、待ち伏せされても裏をかけるという望みもあった。
 それでも山越えは、決して楽な道ではない。ぶつぶつと不満を漏らしていたエレインほどではないにせよ、リオもそれなりに疲れているはずだ。襲われてないとはいえ、警戒を解くわけにはいかないこともある。
「……リオ?」
 声をかけると、はっとしたように顔を上げた。
「はい。お腹が空きましたか?」
 首を横に振る。「では、どういったご用で」と立て膝になったリオに、「シンパイ」と応じた。
「は? ……はは。お心づかい感謝します。が、そのような配慮は不要でございます」
 リオは苦笑した口元を隠す。
「私の使命はハマム様とエレイン様を無事お守りし、二冊の本を送り届けていただくこと。マスターを失った私の命などに、なんの価値もないのです」
 そんなことはない、と否定するのは簡単だった。でも、今のリオに伝えるべき言葉はきっと違う。根拠はないが、そんな確信があった。
「リオ。マスター、ドンナ、ダッタ?」
 ずっと気になっていたことを聞くと、彼女は答えるのに躊躇いがあるように思えた。
「……サーヴァントたる私が、マスターについて話すのは何か違う気がするのですが」
「コレ。ヒツヨウ」
 出して見せたのは、ダンディライオンを押し花にした本だった。この本に託した思いは、きっとサラディンについてもっと知らなければ汲み取れない。
 リオも察してはいるのだろう。慎重に、ゆっくり、言葉を選びながら話してくれた。
「私は、他のサーヴァントを知りません。そのため、何が普通なのかはわかりませんが、少なくともマスターは良きマスターだったと思います。少なくとも、私の知る限り生者を死に至らしめたことはありません」
 死霊魔術師が人を殺していない。思わず目を見開くと、リオは刃先のない槍を立てた。
「でなければ、私にこのような槍を使わせたりはしないでしょう。少なくとも私が造られてからは、ですが」
「ツクラレ……?」
「私達サーヴァントは男女の交わりによって生まれるのではなく、魔力と魔術、土や水によって魔術師に造られます。魔術師の趣味によっては幼子に作ることもあるでしょうが、肉体的な成長は基本的にしませんから、私のような成体として作られることが多い……と思います」
「リオ、ナンサイ?」
「三歳です」
 びっくりして鼻水出た。思っていた以上にずっと幼い。
「もしハマム様が私を押し倒すと、幼女を襲ったとしてより重い罪に問われることになりますが、それでもよろしければどうぞ」
「イヤ、ダイジョウブ」
「むしろ興奮するということであれば遠慮なさらず。ハマム様でしたら喜んで受け入れさせていただきます、もちろん後で面倒事など起こしませんし」
 ジリジリとリオが迫ってくる。もちろん『そういうこと』に興味がないことはないけど、真顔で迫られても怖いだけだ。
「ハナシ、モドス。リオ、オスワリ」
「はい」
 強い調子で命じると、しぶしぶ戻って行った。
「ええと、マスターの話でしたね。ですから、私は私ができてからの三年間、つまりマスターの晩年しか知らないことになります。それ以前の事は、何も」
「ホン、ワタス、ヒト」
「そちらも、ウィオラという名前と居所を聞いただけで。その方がマスターとどういった関係なのかも存じません……が」
「ガ?」
「昔、マスターが懇意にしていた伝言屋と話をしていまして。私は席を外していたのですが、紅茶を持って行ったときに、伝言屋の方がこう言っていました。『私にも娘がいる』と」
「……ソレガ?」
「前後の会話がわからないので確証はありませんが、今にして思えば『私にも』という言い方をしたということは、マスター『にも』娘がいたと考えるのが自然です。しかし私は、そんな話を聞いたことは一度もありません」
 ウィオラという女性がサラディンの娘なのか。もし違うとしても、何らかの形でこのダンディライオンに関係しているのだろうか
 とはいえ、憶測の上に憶測を重ねた推論に過ぎない。「ウーン」と唸っていると、リオが口元に小さく笑みを浮かべた。
「今話した伝言屋が、ハマム様に今回の依頼をした理由です」
 何故わざわざ俺を指名したのか。ずっと気になっていて聞きそびれていたことだった。
「『まだ駆け出しだが、きっと優秀な伝言屋になる。もし伝えたいことができたら、彼を使ってあげてほしい』そう勧められまして」
 クライン・スランバーという伝言屋をご存知ですか?
 彼女の言葉を聞いた瞬間、ふわーっと心が浮かぶような心地がした。
「オンジン、シショウ! イチバン、タイセツ、ヒト!」
「とても慕っていらっしゃるのですね。クライン様もきっと喜ばれます」
 そう言って目を目を細めたリオに、ふと気になって質問した。
「リオ、マスター、スキ?」
「……なかなか意地悪な質問をなさいますね」
 口元を小さく緩めて、彼女は言った。
「私はサーヴァント。造られた命です。好きや嫌いなどという心は、サーヴァントにはございません」
 うっそりと頭を下げたリオに、腑に落ちないものを感じたが、まだ言葉にはならなかった。



 木々が途切れ、急に開けた視界に飛び込んできたのは、一面の花畑だった。
「わー、すっごーい! こんなところあったんだあ」
 嬉しそうに走り出したエレインの先には、彩色豊かな花々が見事に咲き誇っている。人がいるようには思えないから、全て自然に育った野花だろう。
「向こうにカダインの町も見えますね。どうやら今日中には着けそうです」
「ハマムー! こっちこっち! ちょっと来てみて!」
 エレインに呼ばれる。早足に行こうとして、立ち止まったままのリオに歩みを止める。
「リオ?」
「呼ばれたのはハマム様だけです。私は私で辺りを見てますので」
「……」
 何か言わなければと思うものの、「ハーマームー!」と大声で叫ばれては行かざるを得ない。
 それにしても、エレインは随分と、馴れ馴れしくなったというと言い方が悪いが、とても距離が近づいたな、という気がした。
 手招きするエレインの足元には、小さく咲き誇る黄色い花があった。
「……コレ」
「でしょ? ダンディライオンよ」
 確かにこの花は、押し花にされた黄色い花とよく似ていた。
 ……確か、本を渡す人がいるエコールの町も、この近くだったか。
「エレイン、エコール、チカイ?」
「え? ああ、そうね。ここはカダイン寄りではあるけど、大体エコールとカダインの中間にある場所だし、近いと言えば近いかも」
 顎に指を当て、虐殺の森の植物を思い出す。深い枝葉に覆われてロクに日の差さない森の中で、あの花を見た覚えはなかった。観察していたわけではないからはっきりしたことは言えないが、あの押し花は虐殺の森でとれたものではないのかもしれない。
 本を取り出し、花を見比べる。
「……あれ、ちょっと違くない?」
「エッ?」
「ほら、花弁の感じとか」
 言われてよく見ると、確かに端々が微妙に違う。これは違う花なのだろうか。
「あー、多分別の種類なんだろうね」
「ダンディライオン、チガウ?」
「そうじゃなくて、ダンディライオンの中でも、またいくつかあるのよ。少なくとも、その花はここでとれたものではないんじゃないかな」
「チガウノカ……」
 しょんぼりと肩を落とす。落ち込ませてしまったと思ったのか、妙に明るい声が上から降りてきた。
「と、ところでさ、馬、凄かったね! 紙一重で、ピュンってさ!」
 意図するところわからず考えること数秒、何日か前の襲撃を躱したときの馬術をさしているのだと気付き、「アア」と曖昧に返事をした。
「マア、フツウ」
「いえ、私もあの巧みな手綱さばきには感服いたしました。一体どこであれほどの技術を学ばれたのですか?」
 いつの間にか、リオも近くに来ていた。女性二人に目を輝かせてあれこれ聞かれるのはなんだかむず痒く、目を逸らしてなんでもないことのように答える。
「ソーゲン、ミンナ、ウマ、ノル。ノレナイ、シヌ。オチル、シヌ。ソーゲン、ウマ、スベテ。アノクライ、デキナイ、シヌ」
 長くなってしまった説明に、ちゃんと伝わったか自信がなかったが、リオには間違いなく伝わったようで、真剣に考え込むような表情をしていた。
「草原の民……こちらの大陸にも広大な草原とそこに住む部族の話は聞きますが、彼らは自分の手足のように馬を操るといいます。異大陸の草原の民も、彼らと同等かそれ以上の技術を誇っているということですか」
 ふと何か思いだしたように、リオが顔を上げた。
「そういえば、草原の部族の中には、死ねば草原に還るとして墓を作らない部族もある聞いたことがあります。ハマム様もそれに近い文化を持つ部族で育ったから、墓をご存じでなかったのですね」
「じゃあさ、あの馬術は誰に習ったの? やっぱりご両親?」
「イナイ。オヤ、チイサイ、トキ、シンダ。イキルタメ、ウマ、オボエタ」
 途端、エレインが苦いモノでも噛んだような顔をした。リオも何とも言えない表情で、視線を逸らす。
「……なんか、ゴメン。嫌なこと思いださせちゃったね」
「ベツニイイ」
 頼るべき人を失い、野草を食い、死肉を漁り、盗みを働いて幾百と射かけられる矢から馬を駆けさせる日々が幸せだったとは思わない。新しい場所を探そうと海に向かい、密航した船が難破したところまでが不幸のどん底だとしたら、今は天秤が釣り合わないほどの幸運の中にいた。
 言葉がわからないことは不便だったが、クラインという優しい人に拾われ、言葉と生き方の指針をくれたことは、どれだけの感謝を尽くしても足りないほどだと思う。
 いつかこの感謝を伝えるだけの言葉を覚えたら、クラインに会いに行く。伝言屋になると決めた日に、誓ったことだった。
「ソロソロ、イコウ」
「……はい。急いで回れば、今日中にエコールまで行けるはずです」
「うん! もう一息だよ! 頑張ろう!」
「あなたは後ろに乗ってるだけですがね」
 チクリと刺したリオに、「なんでこの空気でそういうこと言えるかなあ!?」と反論する。
 リオもエレインも、クラインと同じくらい良い人だ。旅の終わりには、今ある言葉を重ねて、最高の感謝を伝えたいなと、そんなことを思った。



「カダインッ、とう、ちゃーく! いやー、ホントになんにもなかったねー」
 門を抜けたところで、エレインが両手を高々と挙げて言った。
「待ち伏せを警戒していましたが、カダインの町中ではそう滅多に襲っては来れないでしょう。カダインは魔術協会の本拠地ですから、迂闊に騒げば魔術師たちから狙われることになります。そんじょそこらの一個大隊程度ではかすり傷一つつかない強さを持っていますから、火中の栗を拾うようなものです」
 槍を手に、いつ射かけられても対処できるよう身構えているはいるものの、声はいくらか軽くなっていた。
「魔術師ってヨロヨロのおじいちゃんばっかりってイメージなんだけど。ホントに強いの?」
「サーヴァントがいますから。私が一度に百人襲ってくるといえば伝わるでしょう」
「……うへえ」
 エレインが渋い顔をした。割としっかり想像してしまったらしい。
「リオ」
「はい、ハマム様」
「マジュツショ、ナンデ?」
「……は?」
 っと、伝わらなかったか。もう少し語彙を増やしてみる。
「……マジュツショ、ハコブ。イミ、シリタイ」
「ああ、そういうことですか」
 こほんと咳を一つし、説明してくれる。
「あの魔術書には、マスターの研究の全てが込められています。マスターは自身の死が近いことを感じておられたようですので、その研究を誰かに託したかったのでしょう」
「……ミタイ」
「魔術書を、ですか?」
 リオが意外そうに首を傾げる。本来こちらは依頼の品ではないし俺も魔術には詳しくない。魔術書に興味があるとは思っていなかったのだろう。
「……まあ、かまいませんか。エレイン様、よろしいですか」
「うん。はい」
 エレインから渡された、黒い表紙の本。手のひら大の厚さが死霊魔術師サラディンの全てだとするなら、彼の人生は果たして厚かったと言えるのか、そうではないのか。
 答えのない思考を振り払い、本を開く。
 少し目を通して、がっくりと項垂れた
「……ヨメナイ」
 字が読めないの忘れてた。
 エレインがひょいと後ろから本をとり、「仕方ないなあ、わたしが読んであげますよ」とぱらぱらページをめくる。
「……うん? おや?」
 だが、エレインも訝しげに首を傾げるばかりだった。
「普通の方では読むことはできませんよ。魔術書は魔術師だけが使うルーン文字で綴られますので、魔術師以外の方が読んでも何の意味もありません。というか、そもそも読めませんから」
「リオ、ヨメル?」
「……少しだけですが。よろしいですか?」
 馬を横に並べ、エレインから本を受け取る。
「やはり魔術に関する記述ですね。詳しいことは省略しますが、主に霊魂や死霊などの存在や、それらを元にした生死について。また死者蘇生及び人間の不老や不死・延命についても研究されていたようです」
「れ、霊!?」
 エレインが眉を寄せた。リオが「あ、今もあなたの後ろに」とエレインの背中を指さし、エレインが必死の形相で背中を見る。もちろん何もいない。
「特にダンディライオンについては触れられてはいないようですが……これくらいでよろしいですか」
「ウン。アリガト」
 押し花の本についての手がかりとして聞いたことを、ちゃんと汲み取ってくれていたことに感謝した。
「……それにしても、なんか活気ないなー。カダインってこんなだったっけ」
 両手を頭に乗せ、エレインがぼやいた。俺は初めてきた都市なうえ魔術師の本拠地と聞いていたので、なんとなくこんなものなのかなと思っていたのだが、違うのだろうか。
 本をエレインに返し、リオも細い顎に指を当てた。
「確かに、ちょっと人も少ないように見受けられますね」
 ぴくん、と鼻が疼いた。
「ニオウ」
「え、美味しいモノ見つけた? どこどこ?」
 声を弾ませたエレインを「チガウ」と一蹴し、周囲に視線を走らせる。
「チ。ニオウ」
「ちって……え、血のこと? ちょ、ちょっと、驚かさないでよ」
 びくついたエレインの笑いが引きつると、鋭いリオの声が響く。
「二人とも! 後ろ!」
「に、二度も引っかからないわよってきゃあ!」
 リオの声に反射で手綱を引き、レヴィが素早く前方へ動く。急に振られたエレインの悲鳴が途切れると、彼女が背中にかけていた弓が真っ二つになって、先ほどまでいた場所に落ちていた。
 そしてそこには、長剣を手にした少年の姿が。
「そんな、気配は確かになかったはずなのに」
「構えてください、一人ではないようです」
 左右の建物から、ゆらりゆらりと武器を手にした人が出てくる。門の方からは黒づくめの男たちが、馬に乗ってこちらに迫る。だが、馬を急かしていないのかあまり速くはない。
「ま、前より増えてるんじゃないの!?」
「増えているというよりも、一般人が加担しているといった方が正解でしょう」
 確かに、黒で統一されていたいつかの襲撃と違い、建物から出てきた奴らは恰好もばらばらで、明らかに普段着だった。ただ、加担というには意志を感じられない。『操られている』に近いように見えた。
「しかし、これだけいて気配に気づかないとは。ましてこれほど近くに寄られていたというのに」
「チ、ニオウ」
「え?」
 エレインの問いかけに、目の前の少年を見据えながら続けた。
「イキル、ナイ。カレ、チ、ニオウ」
「生きるない……? じょ、冗談やめてよ、それって」
「……グール。生ける屍を操る魔術。だとすれば、気配に感づけなかったのも理解できます。死者の気配は薄く、そもそも生気を発しません」
 倒れ込むように斬りかかってきた少年をリオが槍で打つ。背中からもんどりうって倒れたが呻き声一つ上げず、のっそりと起き上がった顔には痛みすら窺えない。
「やはり。おそらくこの一帯の住人を殺し、グールとして使役しているものがいるのでしょう」
 ひいい、と声にならない悲鳴を挙げたエレインを背中にかばい、突破口を探す。
 リオは槍を構え、「正念場です」と声を鋭くした。
「ここを乗り切れば我々の勝利です。死力を尽くしましょう」

四章

 中央へ向かう道は、グールで塞がれていた。
 門の方はグールの数こそ少ないものの、黒づくめの騎兵がいることもあり、強行突破の難度はこちらの方が高いだろう。
「乗り切るったって、もうグールだらけなんでしょ? カダインから逃げるしかないんじゃないの」
「いえ、魔術都市カダインがたかがグールごときにそう容易く落とされるとは思えません」
 油断なく前後を見据えながら、リオが言った。
「おそらく、グールばかりなのはこの一帯だけでしょう。中央まで行けば危機は脱せますし、協会まで知らせることができれば助けを得ることもできるでしょう」
「言っとくけど、弓やられたからね。わたしもう戦力にならないけど、見捨てないでください」
「ダイジョウブ。マモル」
 前はグールが壁を作り、後ろには黒づくめの騎馬が今にも襲い掛かろうとしている。
「あれに捕まると、前後に挟まれてしまいます。なんとか突破口をこじ開けますので、遅れずについてきてください」
「リオ、トッパ、デキル?」
「無論です」
「ナラ。マエ、オレ、イク」
「ハマム様?」
 訝しむリオを置いて、馬を駆けさせる。
「はっ!? なんでアンタが前出てんの! バカなの!?」
「シタ、カム! ダマル!」
 一喝で黙らせると、さらに加速させる。リオも離れずついてきた。
 グールの壁は近づくにつれて思っていた以上に分厚いことがわかってくる。隙間のない壁は三重から四重の厚みがあり、闇雲に体当たりしても蹴散らすのは難しそうだ。
 先ほどの少年のグールがリオの一突きを浴びて平然と立ち上がってきたのを見ると、死体だけあって相当痛みに鈍いのだろう。
 ぶち破るのが困難であるなら。
 考える手は一つ。
「イ……ケエ!」
 ぶち当たる直前、レヴィが大きく跳躍した。
 グールどもを眼下に見下ろす、高さ約三メートル弱の大ジャンプ。軽やかに着地すると、速度を緩めず緩い坂を上っていく。
 振り返れば、リオも見事な跳躍を見せてグールを飛び越え、追いついてくる。高さが足りず一体の頭を蹄の下敷きにしたが、転ぶようなことはなかった。
 珍しく興奮しているのか、頬を紅潮させていた。
「お見事です! まさか飛び越えるとは思いもしませんでした! 流石は草原の民、御見それいたしました!」
 よく言うよ、自分もしっかり飛び越えてきたくせに。
 上手く話せればそう言っていたところだが、生憎ふさわしい言葉が出て来ない。しかなたく、いたずらっ子みたいに口端を歪めさせるに留めた。意志は伝わったのか、同じような笑みを返してくる。
「と、飛ぶなら先言いなさいよ! 舌噛んじゃったじゃない……」
「ダカライッタノニ」
 後ろを見れば、黒づくめの騎馬たちはグールの壁に阻まれて思うように進めない。グールたちも邪魔する気はないようだが、動きが鈍いのですぐにどけないのだろう。
 今のうちに距離をとれば思いの他簡単に逃げられる、そんな甘い考えが脳裏をよぎったときだった。
 後ろを警戒していたリオが、いつもの無表情に戻って重々しく呟いた。
「……やはり、そう簡単には行かせてもらえませんか」
 グールの壁を、二刀で両断しぐんぐん追ってくるのは、やはり曲刀使いだった。他の騎馬も、曲刀使いの開けた穴から続々と出てくる。
「な、仲間斬ってくるとか、あいつらなに考えてんのよ!」
「グールの元の死体は一般人のようですから、仲間意識などないでしょう。使い捨ての駒のようなものです」
 言いながら、リオは小さく息を吸い、吐く。追ってくる黒づくめの騎馬は、レヴィやリオの馬よりも速いらしく、確実に距離は縮まっていた。
 先頭は、やはりというべきかあの曲刀使いだ。
「ハマム様、あの曲刀使いは私が引き受けます。どうにか逃げ切ってください」
「引き受けますって、あんた前回押されてたじゃない! 次やったらホントに死ぬかもしんないわよ! それに他のやつらに囲まれたらどうすんのよ!」
「ご心配なく、奴らの目的は私の命ではなくマスターの魔術書ですし、仮に私が狙われるようことがあれば、むしろ望外の幸運というものです。……私の予想が正しければ、おそらく奴以外は私を襲って来ないと思いますが」
 曲刀使いが間合いを詰めてきた。リオは進路を微妙に逸らし、横に曲刀使いを引き寄せる。
「マスターの最後の思い、必ず届けてください! ハマム様!」
 リオの鋭い突きと、それを曲刀で受け止める重い音に背中を押され、歯を食いしばって前を向く。
 リオの読み通り、他の黒づくめの騎馬はリオには見向きもせず追い抜いていき、俺とエレインを狙ってきていた。
 本来、純粋な速さ比べであればレヴィはそんじょそこらの馬では相手にならない能力がある。いかに二人乗りで、これまでの旅の疲労というハンデがあるとはいえ、こうも容易く追いつかれるというのはおかしかった。
 だが、現状追いつかれつつある以上認めるしかなく、認めたうえでもう少し逃げ切らなければならない。
「まだ魔術協会は見えないの!?」
「キタ!」
 来たのは、追ってきた騎馬の剣だった。タイミングを合わせてレヴィをステップさせて回避し、振り終わりに馬を近づけて渾身の蹴りを入れる。
 バランスを崩したところへ的確に入った蹴りは、見事に相手を落馬させた。
 よし、一人。
 そうそう上手く行く手ではないが、一人でも削れたのは大きい。むしろこの速さで走っている馬から落ちたことによる怪我が心配になったのだが。
「……ア?」
 落ち方が悪く、頭から地面に叩きつけられたはずだが、黒づくめの男は無造作に立ち上がると、ゆっくりと歩き始めた。乗っていた馬は主を乗せないまま先に行ってしまったから脅威になることはないだろうが、あの落ち方でダメージが全くないというのは解せない。
 ……まさか。
 ふと思い浮かんだ嫌な予想を、エレインが代弁してくれた。
「嘘……ひょっとして、あいつらもグールってこと? あいつらはホントに仲間だったはずでしょ?」
 信じたくはないが、それ以外に説明のしようがない。
 いやむしろ、思考をもう少し先に進めれば。
「……ウマノニオイ、チガウ」
「え?」
「ウマ、セイキ、カンジナイ」
 馬もグールになるのかどうかなど知る由もないが、そうであればレヴィやリオの馬がこうもあっさり追いつかれたことにも説明がつく。限界を超えた速さで走らされていても痛みを感じなければ、そのまま走り続けることができるかもしれない。
 馬と寝食をともにしてきた身としては、身を切られるような辛さを感じるが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。
 もはや逃げ切る以外に道はない。
 レヴィの腹を蹴り、少しでも速く走らせる。
「来てる来てる来てる! っていうかこれ後ろにいるわたしが先にやられるじゃん! 位置代わって!」
「ウルサイ!」
 やがて川が見えてきた。
「やった! アレを超えればカダインの中央区だよ!」
「……デモ、トオイ」
 ちらりと後ろを振り返る。とても橋まで逃げ切れそうにない。
 ぎりっと奥歯を噛みならし、前を向きなおる。徐々に橋が大きく見えはじめ、その様に愕然とした。
「うそ……橋が、落ちてる」
 あるはずの橋が、真ん中からへし折れている。
 レヴィなら跳んで届かない距離ではないが、さっきの大跳躍にここまでの全力疾走と、今のレヴィがどこまでできるかは未知数だ。
 何より、橋に気をとられているうちに、グールはもう剣が届く距離にまで来ていた。
「うわ! ちょ、待っ……っ!」
 二体のグールが剣を振りかぶる。二本の剣がギラリと陽光を弾いた。
 しかし振り下ろされることはなかった。
 光が一閃すると、グールの首が同時に飛ぶ。
 ついで左右の家屋からは鎧に身を包んだ兵士が飛び出してきて、グールに斬りかかって行った。屋上からは矢が放たれ、さすがのグールも五本十本と射かけられると動きを鈍くした。
 突然の援軍に、ひとまず危機を脱して馬速を緩める。「大丈夫かい?」と穏やかな声をかけてきた相手を振り返ると、白いローブに眼鏡をかけた青年が立っていた。
「生存者かな。遅くなってすまなかったね。僕は魔術協会の魔術師で、マリウスといいます。知らせを受けてすぐに動いたんだけど、思いのほかグール化された区域が広くてね。橋を落として封鎖したり、他の地域の見回りなんかもしていたせいで人員を割けなかったんだ。ただ、もう大丈夫」
 見てごらん、と促され振り返ると、数に有利を得たカダイン側が圧倒していた。一人二人、明らかに次元の違う動きをしているのは、おそらくサーヴァントだろう。騎馬だけでなく、後ろからぞろぞろと一般人のグールも近づいてきているが、大した脅威にはなりそうもない。
「た、助かった~……」
 俺の方に顎を乗せ、エレインがへにゃへにゃと力を抜いた。
 ひとまず危機を脱したことには違いないが、だからといってまだ気を抜くわけにはいかなかった。



 重い一撃を槍で受け止める。片手で振り回しているというのに斬撃は手がしびれるほど重く、馬ごと弾かれるような威力があった。
 おそらく、曲刀使いの馬もグール化している。体力は無尽蔵で、このまま戦いを引き延ばしてもまず馬が持たない。
 リオは連撃で牽制し、一度距離をとって相手を睨み据えた。
 周囲のグールは前進するばかりで、リオに敵意を持っている様子はない。死体であるグールに複雑な指示は出せないはずなので、おそらくかかっているのは『人を襲え』程度の命令なのだろう。サーヴァントたるリオを無視し、ハマムやエレインを追いかけたことが何よりの証拠だ。
 そこからわかる事実が二つある。一つは、例外的にリオを狙うこの曲刀使いはグール化していない。おそらく、彼がグールを操る魔術を使っているのだろう。
 もう一つは、彼自身がグールに襲われていないことから察せられる事実。
 すなわち、彼もまたサーヴァントなのである、ということだった。しかも使用している魔術から察せられるマスターは。
「……あなたもマスターの、サラディンのサーヴァントなのですか?」
 マフラーとフード越しにかすかに見える目が、微かに細められた。間違いない、と確信する。
「なぜこのようなことを? マスターが亡くなった今、私達が生きる理由はないはずです」
「勝手に作っておいて、用が済めば捨てる。薄情なものだな」
 始めた聞いた曲刀使いの声は、とてもしゃがれていた。
「別にそれはいい。捨てられたなら俺は勝手に生きる。だが、寿命だけはどうにもならん」
 サーヴァントは、マスターの魔力にもよるがおおよそ十年程度で死ぬ。それは変えることができないサーヴァントの運命だと、リオもサラディンから言われ納得していた。
「万に一つの可能性だが、生死について研究していたサラディンの魔術書の中には、サーヴァントの延命に繋がる何かがあるかもしれん」
「そのために、かつてのマスターの意思を踏み躙ることになったとしてもですか」
「死ぬよりマシだ」
 曲刀使いの突撃。繰り出される一撃をかろうじて防ぐが、馬の足を死角から狙った二撃目は止められなかった。
 悲しげな鳴き声とともに馬がバランスを崩す。間髪入れず繰り出された一撃は受け止めたが、支えを失った体が宙へと投げ出された。
 受け身をとって衝撃を和らげ、すぐに体を起こしたが、そのときにはもう曲刀使いの刃が目の前にあった。
 ――ああ、ここで死ぬのか。
 死ぬのはかまわない。マスターの逝った日に、後を追う覚悟はできていた。
 心残りがあるとすれば、マスターの意思が果たされるその瞬間を見届けられなかったこと。
 ――――大丈夫だ。充分に時間は稼いだ。あの程度のグールにやられるほど、ハマム様は弱くない。
 ――――きっとあの人は大きくなる。もっと大きな何かを果たし、多くの人の助けになる。マスターの依頼も、果たしてくれるだろう。
 ――――私ははるか沈んだ地の底から、彼を見守ることにしよう。
 小さな満足とともに覚悟を決め、リオは目を閉じた。剣が風を切る音に、思わず身を固くする。

 ――――瞬間、何者かに体を引っ張り上げられた。

 風がすぐ目の前を行き過ぎ、蹄の音が二つになる。ぶらんと垂れ下がる自分の体に振り返ると、つい先ほど思い浮かべた馬上の少年が、片腕でリオを抱えていた。
「タスケ、キタ」
 いつものように片言で言うと、後ろに、と促してくる。
「イッショ、クル。リオ、ヒツヨウ」
 意外と大きな背中を見つめ、リオは胸の中に、今まで感じたことのない熱の存在を感じた。



 リオを後ろに乗せて、安堵と疲労の両方を込めた息を吐きだした。
 魔術協会にエレインを任せとってかえし、グールをよけながら戻ってきて紙一重のタイミングで間に合った。
 レヴィの疲れ具合が心配で、曲刀使いを倒してまた逃げられるかは微妙なところだったが、後のことは後に任せるしかない。
「グールは、術者さえ倒せば動かなくなります。つまり、曲刀使いを討てば戦いは終わります」
 まるでこちらの思考を読んだように、リオが言った。
 不意に襲った痛みに顔を歪める。
 何故かリオに背中をつねられていた。
「私の意思を無視して戻ってきてしまったことに関して言いたいことは山ほどありますが、とりあえず状況を鑑みて何も言いません」
 なんだろう、怒ってる?
「ハマム様が戻ってきたことで、周囲のグールたちもこちらを敵と認めました。もう時間はありません。極めて短時間に奴を倒す必要があります」
 そこまで言うと、曲刀使いに聞こえないようにか、更に声を潜めた。
 なお、背中は今もつねられたままである。
(……左へ。奴の右側へ回り込んでください)
(イタイ……ミギ?)
(はい。先日の戦いで、私は奴の右脇腹に渾身の一撃を入れました。そのためか、左に比べ右手の動きが若干遅れています。そこを突けば、勝機はあるかと)
(ワカッタ)
 ようやく背中から手を離してくれた。正面から曲刀使いを見据え、馬の腹を蹴る。
 遅れて曲刀使いも近づいてくる。タイミングを合わせて左へ回り込むべく、ぐっと左の手綱を握りしめた。
 まだ、まだ……。
 一瞬を見極めるべく、体を前傾させる。まだ、まだ……。
 ここだ、と見極めた、そのときだった。
 刹那早く、曲刀使いが馬を左へ寄せ、進行方向を塞いで来た。
 読まれた。背後から息を呑む音が聞こえ、同時に左手の曲刀が横に薙ぐ。

 剣の間合いスレスレを、レヴィが右方へ華麗なステップで駆け抜けた。

「―――――あ?」
 唖然と口を開けた曲刀使いを、円を描くように走る。俺の意思に寸分違わず答えてくれたレヴィは、右回りで左へと回り込んだ。
「――――お見事です!」
 リオが興奮したように叫ぶ。曲刀使いは右の曲刀で薙ぎにきたが、リオが正確に右手首を打ち、手から離れた曲刀が坂道を転がり落ちていく。
 ついで左の曲刀を振り下ろしてきたが、一振りしかなければ読むのは容易かった。リオは肘を打ち抜き、ぐしゃりという嫌な音とともに手から滑り落ちた曲刀を掴むと、すれ違いざまに曲刀使いの首を刎ねた。
 頭を失った体が、ぐらりと揺れて馬から落ちる。ついで周囲のグールたちも力を失い、倒れていった。
 シンと戦場が静かになる。辺りにもう敵の気配はない。
 ゆっくり深呼吸してから、リオに話しかけた。
「オワッタ。ケガ、アル?」
「……いえ、大丈夫です」
「ヨカッタ」
 肩から力を抜き、ゆっくりとレヴィを歩ませる。ほんとなら降りて歩き、レヴィも休ませたいところなのだが、リオもいるし俺も疲れている。もう少しだけ頑張ってもらうことにした。
「あの、ハマム様」
 おそるおそる、といった感じに俺の両肩に手を乗せ、リオが言った。
「……えと、その。助けていただき、ありがとうございました」
「オチル、アブナイ。ツカマル、アンゼン」
 返事すると、リオはほっとしたように手に力を込める。
 ちらりと振り返ると、リオの顔がどこか赤いように見えたけど、すぐに目を逸らされてしまった。まあ、見間違いかもしれないが。
 

 
 今回の件の後始末は、すべて魔術協会がやってくれた。
 マリウスからは簡単な聴取を受けたが、もともと俺やリオに非がある話ではない。また死霊魔術師サラディンに関しても、研究に関して、倫理面において一時期協会と衝突することがあったらしいが、晩年はむしろ彼の高い魔力や高度な研究が、他の魔術師からも一目置かれていたようだ。
 サラディンの魔術書は協会預かりとなり、今後の研究に活かされるという。
 この話を聞いて、リオがどこか嬉しそうだったことが、俺には嬉しかった。
 ただしすぐに解放というわけにはいかず、疲れもあったこともあり、もう一つの目的地エコールには、二日遅れて着くことになった。「せっかくだから最後まで」ということで、エレインも一緒に来ている。
 伝言相手のウィオラは、エコールの町から少し離れた小さな家に住んでいた。畑を耕し、薬草を作ったりしてひっそりと暮らしているらしい。
 家の扉の前に立つ。ひそひそと話しかけてきたのはエレインだ。
「……で、結局わかったの? ダンディライオンの意味」
「ワカッタ……ワカラナイ。モウスコシ」
「ぶっつけ本番てわけね。ま、頑張りなさい」
「では、行きますよ」
 リオがノックし、「すみません」と声をかけた。しばらくして、一人の女性が現れる。
 蒼い髪と瞳を持つ、三十歳くらいの女性で、優しそうな目元やすこしふっくらした頬は異なるものの、ところどころリオと似ているように思えた。
 エレインも同じことを考えたのか、きょろきょろと二人を見つめる。
 リオが何を思ったかわからないが、「お願いします」と促され、ひとまず前に進み出た。
「エト、デンゴンヤ。ツタエル。アナタ」
 んん、と眉を寄せたウィオラに、思わず焦る。うまく言葉が出て来ない。
「伝言屋です。マスター……サラディンからあなたへの伝言を届けに参りました」
 リオが助け船を出してくれた。わからないようにほっと小さく嘆息する。
「ああ。あの人からですか。息災ですか?」
「先日亡くなりました」
 リオが応じると、少し目を見開いた後、「そう……ですか」と声を落とした。ただ、あまり深い感情の動きは感じられない。もう少し親しい間柄なのかと思っていたが、そうではないのだろうか。
「まあ、評判が評判だからねえ。痛っ」
 ぶつぶつ言ったエレインの尻をリオが蹴る。もちろんウィオラにはわからないように後ろから。
「いや、でも、サラディンは決して噂通りの人ではないですよ? 実はすごくいい人で」
「知っています」
 あわてて弁解に入ったエレインを遮り、ウィオラは「どうぞ」と中へ招いた。
「立ち話もなんですから、お茶とお菓子くらいは出しますので」



 ウィオラの家は、外見同様というか、やはり家具も少なく、質素な暮らし振りが伺えた。
 テーブルにつくと、ウィオラがお茶を出してくれた。真っ先に手を伸ばしたのはエレインで、「いただきます」と言うが早いか早速口をつけ、「熱っ」と呻いた。
「あ、でも美味しい。良い香りですね」
「この辺りでとれた香草や薬草を使っているんです。今回は疲労回復の効果があるもので煎じてみました。味にこだわらなければ、もっと体に良いお茶を入れられるのですが」
「いえ、味は大事です」
 重々しく頷き、エレインがずずっと啜る。俺とリオも遅れて口をつけると、温かさとともに優しい何かが全身に伝わり、ほう、と息が漏れた。
「この薬草や香草の種類や見分け方などは、サラディンから教わったんですよ」
 最後に彼女も口をつけると、「あ」と口元を押さえた。
「すみません、先にご用件を済ませてしまった方がよろしいですか?」
「イエ。キキタイ。モット」
 お願いします、とリオも頭を下げると、「わかりました。では手短に」と話してくれた。
「あの人とは、十年ほど一緒に暮らしていました。私が行き倒れていたところを助けられたのが、最初の出会いでした。死者を操る魔術師と聞いていたので怖かったですが、私に対してはとても優しくしてくれましたね」
「ナゼ?」
「『惚れた弱み』と、当人は笑っていました」
 くすくす、と笑顔を見せた彼女は、本当に幸せそうだった。
 そっと左手を上げる。薬指にはめた指輪は、確か結婚の証になるのだと、クラインから聞いた覚えがある。
「でも、あの人はいなくなってしまいました。娘が死んだときです」
 まだ三歳でした。そう付け足したとき、ズクンと自分の事でもないのに胸が痛んだ。
 依然、両親が死んだことをリオやエレインに話したとき、二人はとても悲しそうな顔をしていた。きっとこんな気持ちだったのだと、今ならわかる。
「……なんで、いなくなってしまったんですか?」
「娘を生き返らせる。口には出していませんでしたが、おろそかになっていた魔術の研究に没頭し始めたあの人の背中を見れば、すぐにわかりました」
 ああ、と何かに気づいたように、ウィオラは言った。
「ひょっとして伝えたいものというのは、娘を生き返らせる方法か何かでしょうか」
 ぶんぶん、と首を振って否と告げ、頼まれていた白紙の本を取り出した。
「コレ、ワタス」
「本ですか? ……読んでもよろしいですか?」
 ウィオラが本を手に取り、ページをめくる。何も書かれていないことに眉を寄せパラパラとめくっていくと、やがて押し花のページにたどり着いた。
 小さくて黄色い花、ダンディライオン。
「これ、は?」
「何かわかりますか? 私達も、この花の意味がよくわかっていないのですが」
 ウィオラはそっと花に触れた。とても愛おしそうに。
「これは、娘が好きだった花です。そして、娘の名前の由来でもあります」
「なんていうお名前だったんですか?」
 エレインが軽い感じに聞くと、彼女は短く言った。
「リオです」
「えっ?」とエレインが驚き、リオを、サーヴァントであるリオを見つめる。リオもまた、あまり感情を表さない蒼い瞳に大きな驚きを宿していた。
 三人の同様に気づかないまま、ウィオラが続ける。
「私は字が読めないのでわからないのですが、この『ダンディライオン』という名前の中に、『リオ』と読める部分があるらしいのです」
 懐かしそうに話したウィオラは、やがて本を閉じ、同時に笑みも消した。
「しかし、これにいったい何の意味があるのでしょう。私にはよくわかりませんが」
 来た。リオとエレインが同時に俺を見る。
 ドクン、ドクンといつもより強く跳ねる心臓を押さえ、落ち着けと自分に言い聞かせる。サラディンが思っていたであろうことを。彼の残したこの花や、人々の言葉を重ねて見えてくるものを、自分の中にある数少ない言葉に代えて伝えればいいだけだ。
「……サラディン、ツクッタ。サーヴァント。ナマエ、リオ」
 ウィオラがリオを見つめる。リオは立ち上がり、「ご挨拶遅れました。サラディンのサーヴァントで、リオと申します」とお辞儀する。
「そう、でしたか。どうりで娘の面影があると。娘に似せたのでしょうね。娘の代わりに」
「チガウ」
 即座に否定すると、リオとウィオラが意外そうに俺を見た。
 いや、違ってはいない。おそらく半分は正解だろう。サラディンは失ったものを埋めるために、リオを造ったのだ。娘の成長した姿を想像し、同じ名前を付けて。
 おそらく最初は生き返そうとしたのだろう。そして無理と判断したのか、別の事情があったのかは定かではないが、次にサーヴァントとしてリオを造った。
 だが白紙の本の意味は、そこにはない。
「ワスレテナイ。リオ。アイシテタ」
 サーヴァントのリオと暮らしの中で、きっと気づいたのだ。失ったリオの代わりにはならないこと、そしてサーヴァントのリオもまた、彼の中で大切なものになっていたのだと。
「リオ、アイシテル。モウヒトツ、ノ、タイセツ」
 だから、伝言屋とともにリオを行かせた。新しい、もう一人の娘を、ウィオラに会わせるために。
 白紙の本は、言葉にできないほどの、娘たちへの愛だ。
「カナシイ、イトシイ、ウレシイ。イッパイツマッタ、サラディン、ノ、オモイ。リオ、アイシテタ。フタリ、ノ、リオ」
 言葉が尽きた。語り終えて、不安に駆られる。これは本当にサラディンの意図したものだったか。もしそうだったとして、本当にちゃんと伝わったのだろうか。言葉は足りていただろうか。
 もっと普通に話せる人なら。俺じゃない別の伝言屋なら、もっと正確に汲み取って、より豊かな表現方法で伝えられたのではないか。
 手に汗握って待つこと数秒。再び本を開き、押し花のダンディライオンを見つめたウィオラは、「そうね」と顔を上げた。
「この本の、この花を撫でながら、娘の事を考えていたあの人、想像できちゃったもの。きっとそうなんだと思う。ありがとう」
 蒼い瞳に涙をためて、ウィオラが言った。ありがとう、の言葉が胸の中を温かくし、ツンと鼻の奥を刺激して、思わず鼻を啜る。
「ただいまー」と子供の声が玄関から聞こえたのは、そんなときだった。
「そうだ、紹介するわね」
 ウィオラが立ち上がり、入ってきた子供を迎える。髪の色こそ違うが、蒼い瞳はウィオラやリオと同じ色だ。きっと髪色は、サラディンのものだろう。
「私の息子の、六歳になるリオンです。女の子ならリオ、男の子ならリオンって、あの人と決めていたから」
「この人たち、だーれ?」
「お父さんのお友達と」いったん言葉を切り、「あなたのお姉ちゃんよ」とリオを手で示した。
「私は三歳ですので、妹になります」
「どっちでもいいでしょ。見た目考えなさいよ」
 エレインがツッコむ。
「この子は、あの人がでていくちょっと前にできた子なんです。もしもう少し早くこの子のことがわかっていれば、あの人が出ていくこともなかったかもしれませんが……いえ、それは言いっこなしですね」
 自ら首を振り、発言を取り消す。
 リオンはトコトコとリオの前まで来ると、「お姉ちゃん」と呼びかけた。リオはどうしていいかわからず戸惑うが、「頭なでてあげたら」というエレインの助言に頷き、恐る恐る手をのせる。
 無作法な撫で方だったが、リオンは嬉しそうに、「えへ」と笑みを浮かべた。
「ところで、リオ……さん、あなたはこれからどうするの?」
「私、ですか?」
「もし行くところがないのなら、私と一緒に暮らしませんか? この子も懐いたみたいですし」
 彼女は押し花のダンディライオンにそっと触れ、微笑んだ。
「あの人にとっての『タイセツ』は、私にとっても『タイセツ』ですから」
 リオはぽかんと口を開けたまま、おろおろとエレインや俺を見る。
「良かったじゃん。嬉しくないの?」
「う、嬉しいも何も、私は造られた命、サーヴァントです。心を持たない私に、嬉しいなどいう感情は」
「でも泣いてるじゃん」
「―――え?」
 蒼い瞳から、一筋の雫が流れ落ちた。涙は次から次へと零れ落ち、拭っても拭っても溢れてくる。
「どうして……、私は、サーヴァント、なのに」
「カンケイ、ナイ。ウレシイ、ハ、ウレシイ」
 そう声をかける。 やがてリオは「……はい」と泣きながら笑った。
 それから、リオが落ち着くまでしばし待つ時間となった。エレインやウィオラが背中をなでてあげる姿は、記憶にない家族のそれを感じ、少し羨ましくなる。
 やがてようやく泣き止んだリオは、赤く染まった蒼い瞳で真っ直ぐにウィオラを見つめ、言った。
「とても、嬉しいです。ありがとうございます。でも私には、行くところがあります」
「行くところ?」
 ウィオラが聞き返す。「はい」と答えた瞳が、何故か俺を見つめた。
「……そっか」
 ウィオラはちょっとだけ残念そうに答えると、優しくリオを抱きしめる。
「でも、また会いに来てね。この子と、待ってるから」
「……はい」
 同じ蒼い髪と瞳を持つ二人が抱きしめあう。その姿は、まるで本当の親子のようだった。

 ――――こうして、『死霊魔術師サラディン』の依頼は終わった。

エピローグ

 ウィオラの家で一泊させてもらい、ウィオラとリオンに見送られて、俺たちは出発した。
 ニコニコと馬を並べて歩くリオに、躊躇いつつ聞いてみる。
「リオ、ツイテクル、ホント?」
「はい。ご迷惑ですか?」
「イヤ……」
 来てくれるならこんなにありがたいことはない。心強くて頼りになるし、何度助けてもらったかわからない。
 でも、せっかくウィオラやリオンと仲良くなれたのに、離れ離れになってしまっていいのかと思うのだが。
「私は、マスターから命をいただきました。そして、ハマム様からは『心』をいただきました。そのご恩に報いたいのです」
 リオがこうまで言ってくれるなら、断る理由はない。「アリガトウ」と素直に感謝を口にすると、なぜか「い、いえ、私が行きたいといっているだけですから」と口ごもった。
「……およよ? どうかしたのかな? らしくない動揺しちゃって」
「な、なんでもありません!」
 ぷいっと顔を背け、リオが馬を離す。なんだろう、嫌われたのかな。
「エレイン、コレカラ、ドースル?」
 いつも通り俺の後ろに座っているエレインは、「うーん」と顎に指を当てた。
「とりあえずまだ何も決めてないかなー。そういうハマムはどうすんのさ」
「アイタイ、ヒト、イル。アイ、イク」
「その方は女性ですか男性ですか」
 ぐいっとリオが馬を寄せてきた。見慣れた無表情のはずなのになぜかとても怖い。
「オンジン。シショウ」
「ああ、そういうことですか」
 クラインの事だとわかってくれたらしく、馬を離す。「仕事の報告?」と、こちらはエレインからの問いだ。
「コンカイ、コト、ツタエル。タダシイ、マチガイ、キク」
「何故です? 成功と言って差し支えない結果だと思いますが」
 確かにウィオラやリオには喜んでもらえた。戦いによる犠牲は残念だったけどそれは伝言屋の仕事とは直接関係ないし、満足していいものなのかもしれない。
 でも、気になることもあった。
「チャント、サラディン、オモイ、ウケトル、ワカラナイ。オレ、オモッタダケ、カモ。カッテ、ユガメテ、ハナシタ、カモ」
 サラディンがダンディライオンに込めた思いを、本当に俺はちゃんと汲み取ることができたのか。良いように解釈して、都合よく伝えただけじゃないのか。サラディンの思いを、ないがしろにしてはいないか。
 わからない。だから今回の事を話して、クラインがどう思うかを聞きたい。
「良いんじゃないかな」と答えたのは、エレインだった。
「わたしの母親が伝言屋だって話はしたと思うんだけど、前に言ってたんだよね。『依頼人の思いは共通だけど、伝え方は伝言屋それぞれで、きっと伝えた人の受け取り方も微妙に違ってくる。だから、あなたにしか伝えられないこと、あなただから伝えられることを探して、くみ取って、伝えてあげなさい』ってさ。だから、今回はあんたらしく伝えることができたんだから、胸張っていいと思うよ」
 なんてね、とエレインは照れ隠しに頬を掻いた。
 クラインも同じことを言っていたと思いだす。反省はいろいろあるかもしれないけど、確かにくよくよする必要はないんじゃないかと思えた。
「アリガト。デモ、アイ、イク」
 思いだしたら会いたくなったし、きっと褒めてくれるような気がする。
「クライン、ヒサシブリ。アウ、タノシミ」
 刹那。後ろから首を絞められた。呼吸を止められ、声が思うように出せなくなる
「ハマム? 今クラインって言った?」
 かろうじて後ろを見れば、エレインがニッコリと笑っていた。けど目が笑っていないのでとても怖い。女性は感情と表情が一致しない生き物なのだろうか。
「クライン……シッテル?」
「トー! ゼン! よっ!」
 首を離すと、声高らかに彼女は叫んだ。
「わたしの名前はエレイン・スランバー! クライン・スランバーの娘よ! あのババア、わたしをほっぽり出してどこ行ってんのかと思ったら、こんなところにいたとはね!」
 決めたわ! とエレインが俺の肩を掴む。
「あんたと一緒に行けば、母さんに会えそうだからね! 場所わかってるんでしょ!」
「……テガミ、トキドキ、キタ。チョット、マエ、ダケド」
「充分よ!」
「……ついてこなくていいのに」
 ぶすっとリオが何か呟いたが、よく聞こえなかった。

 かくして旅は三人に増え、俺の旅は続いていく。誰かの思いを受け取り、伝えるために。