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「――だから悪かったって」
それがいつもの、最初の台詞。 「海に行きたいなぁ、卓」 白いシーツの上でふと、そう呟いてみる。目元を包帯で覆われたままぼんやりと空を見上げると、白い蛍光灯の光が瞬いて見えた気がした。 口元から零れるのは、力を失った小さな言葉。どこか浮ついた夢のように、その言葉は病院の小さな室内へと消えていく。病院特有の、清潔で――嫌な香り。 視界を失った私の前で、小さな影がゆらりと揺れる。 「……そうだね。行きたいね、岬」 私の言葉に小さく、隣にいる彼からの返事が返ってきた。 少し掠れたような、けれど間違いようのない彼の声。目の見えない私の横から、確かに聞こえてくるその言葉。 「あ。でもやっぱり……海は嫌かな」 ふと記憶を辿り、暗闇の目元を天井へと向けてみる。蛍光灯の瞬く天井に。 事故にあったのは、そういえば海に行こうとしていたからだった。 卓と二人で、海を見に行きたい。そういって車を走らせてた、その途中―― 「やっぱり海じゃなくて、山にしない?」 「……うん、そうだね」 私の言葉に、彼は遠慮がちにそう答えてくれた。少し気弱なところは、彼の癖のようなもの。 その彼に詰め寄るように、私は言葉をつなげてゆく。 「海はほら、この前事故ったからさ。だから山。あ、でも意外とディズニーランドでもいいかな?」 見えない手先を動かして、隣にいる彼に必死で気持ちを伝えてみる。 ここじゃない、病院じゃない、どこか遠くへ行ってみたい。 こんな暗い所じゃない、とても小さな田舎とか。人の少ない、高い山とか。 私の目は、事故のせいでもう見えないけれど。匂いは感じられるし、人肌の感触は伝わってくる。 だからそう、空気が綺麗なところがいいな。 「うん、分かったよ、岬」 「……ちょっと。いい加減な返事しないで、ちゃんと考えてよ?」 適当っぽく聞こえた彼の返事に、少し怒ったように言葉を返す。 私の目が見えないからといって、彼はいつも適当なことをぼやいて誤魔化すのだ。 曰く、目が見えないから無理だろう? 事故の傷もまた治ってないんだし、とか色々いってるに違いない。だから結局、どこにもいけない。 そして私が怒ると、彼はいつも「悪かった」と言って謝るのだ。 それが、彼のいつもの癖。「ごめんなさい」とは、もう絶対言わない彼の癖。 「……じゃあ、また後で」 卓の言葉に、小さく頷く。 「うん。忘れないでよ。絶対だよ?」 「分かってるって。それじゃ」 少しトゲのある言葉を突きつけると、彼はやんわりとそれを避けるように返してきた。 彼らしい、少し弱気な声。 「うん……じゃあ、またね」 目の見えない私は、そう小さく返事をして。 病室を出て行く彼へと、手を振った。 そして――パツン、と小さな音が鳴り響く。 「……」 無音。静寂。それが、この病室に漂うもの。 残るのはただ、小さな暗闇と喪失感。 私はそっと右手を伸ばし、テープレコーダーのスイッチをOFFにする。指先で感覚を辿り、巻き戻しボタンをゆっくりと押した。 くるくると捲かれる、テープの音。かちゃん、とそれは最後まで行き着いて。 私は小さく口元を緩めて、再生ボタンに手をかけた。 「――だから悪かったって」 それがいつもの、最初の台詞。 「ねえ卓。この前、海に行きたいって言ったんだけど……憶えてる?」 突き詰めるように尋ねても、彼の返事はかえって来ない。 帰ってくるのは、いつもいつも同じ台詞。 「まあ、いいんだけどさ。ねえ卓。海外旅行もいいと思わない?」 私がそう尋ねると、彼はやっぱり優しく答えてくれる。 「そうだね。行きたいね、岬」 優しい声。何度聞いても同じように優しくて、同じ音程のその言葉。 最近、少し掠れてきたけれど。 「ほら。海に行こうとしたら……事故ったじゃない。だから、飛行機の方がいいかなって」 「……うん、そうだね」 静かな病室に、淡々と続くその言葉。 右隣から聞こえる彼の言葉は、いつまでも、いつまでも優しく響く。 |
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●感想
niseiさんの感想 「パツン」に完全に騙されました。蛍光灯のスイッチじゃなかった。 切ない少女ですね。これは……切ないです。はぁあ。 事故直前の電話の録音ということですが(電話の録音ってやったことないんですけど)、 あれって自分の声は入らないんですかね? ちょっと気になりました。 あと「暗闇の目元」という表現がピンと来ませんでした。 「見えない目」の言い換えかな、と気づくのに少し時間がかかってしまいました。はい、僕バカなので。 でも「目元を向ける」という表現はおかしい気がするんですが、どうなんでしょう。目? 目線? あれ? しどろもどろのままさようなら。 皇隆也さんの感想 テープレコーダーの声とは思いつきませんでした。 話の展開もさることながら、矛盾箇所もなく、ちょっと悲しげで、いい話だと思います。 mayaさんの感想 クッパさん、見っけ(←ここでまでやるか……) こんにちは、mayaと申します。 4良作でした。ごちそうざまです、クッパさん。 以下の論点は、まさに重箱の隅をつつくような話。 技術的な観点から見たらこうした方がいいよう、という程度なので聞き流してくださって構いません。 (語彙語法、小説作法) ちょっと手元に辞書がないため、未確認なので心苦しいですが―― 「彼からの返事が返ってきた」 →「返事が戻る」、「返事が来る」などが通例では。 「目の見えない私」 →気になったのは、わたしだけでしょうか。 同じ文章がいくつか繰り返されています。 そのうちの会話文はいいのですが、地の文についてはクッパさんほどの筆力がある方なら、 異なる表現ができのでは。 (視覚情報、聴覚情報、嗅覚情報) 「その言葉は病院の小さな室内へと消えていく。病院特有の、清潔で――嫌な香り」 改行前の文章は視覚情報。続くこの文章は聴覚情報となっていき、嗅覚へとつながるのですが、 改行なく連続しているため、やや文章の継続性に欠きます。 好みの問題でもありますが、それぞれの感覚ごとに改行されてもいいかとも思われます。 (なぜ、録音されていたのか) 「テープレコーダーのスイッチをOFFにする」 香苗さんからすでに指摘が出ており、クッパさんも「事故直前の電話」とお答えしてらっしゃいますが、 それでも、なぜ録音をしていたのか、という点が気にはなります。 うがった読み方をするなら、ちょっとしたミステリ。もしかして、動機なき犯行……(汗)、とも解釈できます。 やや作中において説明が不足していたように思え、ちょっとばかし残念でした。 というわけで、本当にごちそうさまでした。本日の亀料理の夕食はとても良かったです。 いずれにしましても、良作であることには間違いなく、これまでのクッパさんの作品と比較して、 ずっと詩的な(あるいはジャンゴ五郎さんにも似た)ものとなっています。 会話文だけに頼らない叙述的な作風を打ち出されるのでせふか? いやはや、これでまた「クッパさん、見っけ!」を止められなくなりました(笑)。 meshiさんの感想 読ませてもらいました。 面白い。 さくっと読めて、切なさという余韻が残る作品ですね。 このレベルの作品に「こうしても面白いのでは」というのは気が引けるのですが、一読者としていくつか。 パツンという音はテープが切り替わる音としては微妙かなと。 それと、もう一つ音のことなんですが、テープだと分かった後にテープらしい「音」を入れて欲しかったです。 音というか、テープならではのノイズと言うか、そういうのをクッパさんなら表現できると思います。 そういうのを入れることで、病室に響くテープがさらに無機質に、 それなのに女の子にはとても優しい音になるのではないかと思いました。 では。 一言コメント ・最後のオチは切ないです。私は優しく騙されました。面白かったです。 ・やられました。 ・優しいですね、本当に。 |
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