高得点作品掲載所     かっちさん 著作  | トップへ戻る | 


特撮おねーちゃんと科学者いもーと

「姉さんっ!」
 ばだんっ、と近所迷惑なくらいの音を立てて、扉が開く。ちょうどその時、天観(あまみ)伊朱花(いすか)は飼い猫のことねさんと一緒に猫じゃらしで遊んでいた。ちなみに「ことね」ではなく、「ことねさん」まで含めての名前だ。だからちょっと可愛がる時には「ことねさんちゃん」と呼ばないとならない。
「ど、どうしたの透子(とうこ)ちゃん」
 びくりと身を震わせて、伊朱花は開け放たれた自室の扉の方を見た。
 そこに立っていたのは、白衣の少女。跳ね毛だらけの三つ編みにレンズの厚い眼鏡と、一見して怪しい先入観を抱かせそうな出で立ちは、まるでどこかの科学者のようだった。そしてその認識は、大局において間違ってはいない。
 伊朱花の妹である天観透子その人であった。
「どうしたのじゃないのよ。とうとう完成したんだから」
「か、完成?」
「そう……苦節ン十日にしてようやく実用化にかこつけた透子さん新発明!」
 ン十日は苦節とは言わないのではないだろうか、と伊朱花は思ったが、口に出したところでこの妹が聞いてくれる訳がないので言葉を飲み込む。
「……最近また部屋に篭りっきりだと思ってたら、また何か発明してたんだ……」
 顔をわずかに引きつらせながら伊朱花は呟く。
 そう、発明。天観透子の趣味である。ただ、彼女のそれは趣味の範囲を逸脱しており、実益にまで達しているのだった。
 透子は天観家でこそ伊朱花の妹という続柄だが、実は既に大学を卒業している。小学校卒業と同時に渡米してマサチューセッツ工科大学に入学、瞬く間に卒業して博士課程も終了、数々の伝説を残して帰国した枕詞に超がつくほどの天才少女であった。
 そして何を思ったか、現在は姉の伊朱花がいる高校に在籍している。透子の明晰な頭脳を持ってすれば日本のどの高校の編入試験も赤子の手を捻るがごとしだった。
「今度のはちょっとすごいわよ。私的に最高ランクかも」
「そうなんだ……」
 自分より遥かに右脳も左脳も発達しているとはいえ、伊朱花にとっては透子は可愛い妹である。四年間離れ離れになっていた彼女が帰ってきた時は、伊朱花は透子を抱きしめもしたし、その晩は一緒にベッドに入りもした。
 が、どうやら思春期の四年間を勉学に費やしたという透子の現実は彼女をとことん歪めてしまったらしく、次第に透子の際どい一面も垣間見るようになっていた。
 それが、数々の発明品だ。
「……この前は携帯用小型コロニーレーザーだったよね」
「違うわよ、それは前々回。前回は空間圧搾無限連鎖式カタパルト『ウーレンベック・どこまでもドア』よ」
 ああ、あれか。間違ってことねさんがその中に入ってしまったものだから、透子がことねさんレーダーを開発して見つけ出すまでに一ヶ月かかったんだっけ。
 ちなみにそのドアをくぐったことねさんは、大英図書館地下の禁書保管庫で発見された。一ヶ月飲まず食わずで生き延びていたところを見ると、この子も透子に改造手術でもされたのかもしれない。
 とまあ、こういう具合に透子の知的好奇心が全く正反対のベクトルに加速されていたのだった。
 だから伊朱花は、今回の発明にも身構えてしまう。
「今回はね、子供の夢! 変身セットよ!」
「……はい?」
 我が耳を疑う伊朱花。今までに『意中の相手も一撃必殺! ラブラブキューピッドアローType.ジェノサイド』だの『不眠症もこれで解消! ピロウ・ザ・スリーピングVer.エターナル』だの、この女ヤバいクスリでもキメてるんじゃないかと懸念したくなるくらい妹の発明は過激だっただけに、今回の変身セットなどという子供が喜びそうな内容が信じられなかった。
「ほら、これ!」
 そう言って透子が差し出したのは、何の事はない手袋だった。五指の第二関節まで露出させるタイプのグローブで、手の甲には何やら紋様が描かれている。
「これが……なに?」
「姉さんだって子供の頃は魔女っ娘アニメとか見てたでしょ? よくごっこ遊びとかしたじゃない」
「う、うん」
 恥ずかしくて誰にも言えないが、実は未だに玩具のステッキとかコンパクトを大切に持っていたりする伊朱花だ。
「この『ストライバーデバイス』も似たようなもんよ。これを装着すると、リアルで変身できるスグレモノなの」
「そう、なんだ」
 一種異様な剣幕の透子に、伊朱花は身を引かざるを得ない。
 だいたい、この妹がこれを持ってここに来た時点で予想できて然るべきなのだ、このあとの展開は。
「だから、ね。姉さん変身してみて」
 予想を裏切らない可愛い妹だった。
「わ、わたし?」
「そ。知ってるのよ、姉さんが未だに一日一回は変身コンパクト開いてるって」
 しかもしっかりバレていた。
「でも……」
「大丈夫よ、ちゃんと変身できるから。まだ試してないけど」
「何で断言できるの!?」
「いいからいいから、よっと」
 あ、と声を上げる間もなく、透子は電光石火の勢いで伊朱花の左手にグローブを着けていた。
「ちょ、やだよ……あれ?」
 はたと気付く。
 外れないのだ、グローブが。見たところ、ジッパーのようなものもないし、手にぴったりとフィットしている。
「ああ、それ装着者の手相を照合するワンオフタイプだから、取れないわよ」
「何でそういう事するの!?」
 すでに伊朱花は涙声だった。妹がマッドサイエンティストなだけで、どうして真面目に一生懸命生きている自分がこんな目に。
「まあまあ、姉さんだって未だに魔女っ娘に憧れてたりするんでしょ? 変身願望だってあるはずよ」
「それは……そうだけど」
「だったらOKでしょ? いい、伊朱花姉さん。たった一度与えられた命はチャンスなのよ」
 訳の分からない理屈だった。
「うう……分かったよぅ」
「さっすが姉さん! 愛してる♪」
 ちゅっ、と。
 姉を抱きしめたかと思うと瞬く間にその頬にキスをして、すぐに透子は離れていった。
 顔を朱に染める伊朱花。何だかんだ言って、自分は妹には甘いのだ。
「さあ、善は急げ。変身よ!」
「って言っても、どうすればいいの?」
「変身にはね、一定の動作プロセスを必要とするの。まず、正面を向いたままで身体を横向きにして、右手を顔の前に掲げて……あ、手の甲を向けて、指はやや折ってね」
 言われた通りにする伊朱花。
「そのまま、拳を握ってから水平になぎ払うように手を伸ばして」
「うん」
「で、両腕を胸元でクロス」
「うん……?」
「で、そこから左手の甲を向けて最初と同じようなポーズ」
「透子ちゃん、これって……」
 魔法少女にしては何かが違うな、と薄々感じ始めた矢先に、透子の気合の入った檄が飛ぶ。
「今よ、叫んで! 『アクセスッ!』」
「え? あ、あくせす――」
 あからさまに何かおかしいと思いつつも、控え目にキーワードを口にした瞬間。
 伊朱花の身体に異変が起きる。
「わ、わ――!?」
 ちょうど変身グローブをはめている左手から眩いばかりの光が放出され、そこを起点に伊朱花の全身を包み込むように発光している。
 その光量はスポットライトの比ではなく、明らかに一般家庭の使用する照明からは逸脱していた。
 自分の身を襲った変化に、目をきゅっと閉じる伊朱花。瞼を閉じてなお感じる圧倒的な光の洪水に、半ば祈るような気持ちで耐えていた。
 そのまま、数秒。
「姉さん、もういいわよ」
 瞼を覆う白い幕が晴れたのと、妹の声はほぼ同時だった。
 うっすらと瞳を開くと、さっきまでと何ら変わらない透子が立っている。しかしその表情は決定的に喜色に満ちていた。
 それの意味するところは、つまり。
「成功、したの?」
「ええ、大成功よ姉さん」
 致命的な失敗もなく、ことねさんのように死に至るような災難にも見舞われず、ほっと一息つく伊朱花。
「でも、魔法少女にして、は――」
 そこで伊朱花は言葉を失った。
 変身後の自分を見ようと身体を眺めた瞬間、視界に飛び込んできたのは漆黒の甲殻。それが自分の腕だと気付くのに、数秒を要した。
「なっ、何これぇぇぇっ!?」
 あらん限りの声量で絶叫する。
「変身したのよ。ほら、鏡」
 そう言って透子は手鏡を差し出す。素早く奪い取って伊朱花は全身を隈なく映し出してみた。
 どこまでも深い深い黒色。数十秒前までの、ちょっと他人には明かせないくらい慎ましやかな胸も、今は光を吸収するような装甲になっている。
 そして頭。癖っ毛のあるショートボブや、そばかすなどがないのが自慢だった美顔が、何やら形容しがたい形状に。
「何で!? 魔女っ娘じゃないの!?」
「だから似たようなもんって言ったじゃない。姉さん、人の話はちゃんと聞かなきゃ」
 それはどんなに寛容に見ても魔法少女とは似ても似つかない、精悍な変身ヒーローそのものだった。
 考えてみれば、名前からおかしかったのだ。『ストライバーデバイス』なんて女の子向けの変身キットがある訳ない。普通はドリームとかマジカルとか、そんなファンタジックな名詞が付いているはずなのに。
 だいたいにしてStriverなんてそのまんま『戦士』って意味じゃないか。
 全ては気付くのが遅かった。
「うう……うええ……こんなんなっちゃったらお嫁にいけないよぅ……」
「大丈夫、その時は私と結婚しましょ。愛してるわ姉さん」
 壊滅的なまでに慰めになっていなかった。
 男の子垂涎の姿になった姉を尻目に、透子は眼鏡を光らせてあらぬ方向へビシっと指差しポーズをとる。
「正義を以って悪を殺(あや)つ! ストライバーイスカの誕生よ!」
「にゃあ」
「…………」
 新ヒーロー誕生の劇的な瞬間の立会い人は、とぼけた牡猫一匹だった。

      *

 一歳年下の透子を、伊朱花はそれはそれは溺愛していた。猫っ可愛がりとはまさにこの事で、何をするにも一緒だったし、たかだか十数ヶ月早く生まれただけだというのに、妙にお姉さんぶったりもした。
 伊朱花の記憶の妹はいつだって八面玲瓏な笑顔で、全幅の信頼をたたえている瞳で姉を見ていた。伊朱花はそれが好きで、クラスの友達との付き合いもそこそこにして、その分の情熱を妹の相手に注ぎ込んでいたのだった。その為、当時の伊朱花にとって、クラスメートはあまりにも印象の薄い存在だった。
 だから、ひょっとして。
 ひょっとしたら、自分の初恋の相手というのは妹だったのかもしれない。それくらい、伊朱花の心に占める透子の割合は大きかった。
「姉さん、いい? ピタゴラスは言ったわ、『万物は数』だと。この世界に存在する全ての事象は遍く数……情報なのよ。そこで私はそのストライバーの組成物質を情報の高効率パッケージで圧縮してそのデバイスにインストールした訳。ちゃんと姉さんの身長とか体型に合わせた強化装甲服をね――ああ、悪いとは思ったけど寝てる間に測定させてもらったわよ。姉さんやっぱり高校生平均よりもバストが下回ってたから胸部装甲も邪魔にならなくて助かったわー」
 だと言うのに、どうして今の透子はこんなにも捻くれてしまったのだろうか。それを現代の教育のせいにしてはいけないと思いつつも、文部科学省を恨まずにはいられない。
 おまけにいつの間にか胸囲も抜かれているし。
「擬似筋繊維に電圧をかけて収縮させるタイプだから非力な女の子でも充分に戦えるし、心配ない心配ない」
 肩を落としてあからさまに落ち込んでいる姉(変身後)を尻目に、透子は勝手な熱を吹いている。
 と、ふと伊朱花は顔を上げた。
「ねえ、透子ちゃん」
「うん?」
「戦うって、誰と?」
 おぼろげながら、おかしいとは思っていた。ただの変身グッズに、このような現代科学をギャロップで飛び越えている技術を使う透子ではない。
 そう、妹の発明は何だって矛先があるのだ。
「ねえ、誰と!? お姉ちゃんを変身させて誰と戦わせようとしてたの!?」
 切迫した声音で妹の肩を揺さぶる伊朱花。
「もうすぐ来るんじゃないかしら」
「え――」
 透子の言葉を問いただそうとしたその時だった。
 がしゃん、とけたたましい音を立てて、部屋の窓ガラスが砕け散った。明らかに自然現象ではないガラスの割れ方に、目を白黒させる伊朱花。
 だが、異変はそれだけではなかったのだ。風通しのよくなった窓から、何か大きい影のようなものが躍り出た。そしてその影は室内に着地すると、ゆっくりと立ち上がる。
 影は黒づくめの人だった。インナースーツのようなものを着用して、顔にはマスクをしている。
「え、あ、え」
 いったい何が起きたのか理解できず、意味のない音の塊を漏らす伊朱花。
 瞬間、人影が動いた。わずかに前傾姿勢をとったかと思うと、床を蹴ってその反動で姉妹へと駆ける。
「姉さん、どいて!」
 黒い人影が手を伸ばせば触れ合えるくらいに肉薄したその刹那、伊朱花の前に白い影が躍り出た。
 透子だ。白衣を揺らして、まるで姉を守るように立ちはだかる。
 その手にはピストル……ピストル!?
 ドンっ!
 何でそんなものを、と伊朱花が思った時には、すでに銃声がしていた。黒い人影が着弾の衝撃で仰け反り、部屋の壁まで跳ね飛んでいく。
 そして動かなくなった。
「ふう……」
 いかにも一仕事終えましたといった具合に嘆息する透子を見て、そこで停止していた思考が歯車を回し始めた。
「ちょっ、透子ちゃん!? 何でピストルなんて持ってるの!? 殺しちゃったの!?」
 早口でまくし立てる姉に、妹は苦笑しながら首を振った。
「まさか。実弾じゃないわよ。硬質ラバー弾。せいぜい60sの鉄球が時速150qでブチ当たる程度の衝撃だから」
 いや、それはそれで致命傷なんじゃないか。
「ね……この人、なに?」
 仰向けになって痙攣して昏倒している黒づくめの男を指差して、透子に問う。
「こいつら、ファットブレインの連中よ」
「ファット……? って、あの?」
 ファットブレイン。それは国内でも最大手の玩具メーカーである。そして日本でのその地位は、世界的にも有数のレベルである事を意味している。
 もっとも上には上がいるもので、ファットブレイン社よりもさらに玩具市場に君臨している会社はあるのだが。
「こいつはファットブレインのナンバレスエージェント。人様に言えないような裏の仕事を請け負う契約社員ね」
「そ、そんな人がどうして窓から?」
 人事不省に陥っている刺客を蹴り飛ばしながら語る透子を、伊朱花は怪訝そうに見つめる。
「ちょっと前からね、私を第一開発部に引き抜こうと接触してきてたんだわ。この世紀の大天才透子様を、一介の玩具メーカーがよ? ヘソで常温核融合しちゃうわ」
 訳の分からない喩えだった。
 しかし、ファットブレイン社の気持ちも分からないでもない。妹はちょっと性格がアレだけど、想像力と創作力は非常識なまでに高く、彼女が本気で玩具を開発すればそれはそれはすごいものができるであろう。
 例えば、このストライバーデバイスのように。
「そ、それで、何て答えたの?」
「断ったわよ。私は自分の好きな時に好きなものだけ発明するの。縦割り社会の拘束なんてまっぴら」
「じゃあ、何でこの人は?」
「あんまりスカウトがしつこかったんで、タチの悪いコンピューターウィルスを本社に流してやったの」
「……ちょっと前に新聞に載ってたアレって、透子ちゃんの仕業だったんだ……」
 今さらながら、妹の行動に薄ら寒さを感じた。
 しかしそれならば、ファットブレイン社が透子を狙うのも明確になった。
「そこで姉さんの登場よ」
「え?」
「これからも刺客が来るだろうし、そうなったら対処が面倒でしょ? だから姉さんが私を守ってくれるの」
「え、え?」
「その為のストライバーデバイスよ。愛しい姉さんが私の為に戦ってくれるなんて、ロマンよね……」
「え、え、えぇぇ!?」
 やっぱりか。
 やっぱりわたしなのか。
 分かっていたとはいえ、改めて宣言されると絶望の淵に叩き込まれた感のある伊朱花だった。
「――と、どうやらまた来たらしいわね」
「えっ?」
 透子が窓際に歩み寄る。そして窓の外を一瞬見たかと思うと、すぐにこちらを向いて、親指で外を指した。
 促されるまま窓枠から身を乗り出した伊朱花が、路上で仁王立ちしてこちらを見ている黒衣の男を発見する。
「ま、まさかあの人も」
「そ。ファットブレインのナンバレスエージェント。あのタイプだと、アーマーベスト着用ね。姉さんの出番よ!」
「出番よって透子ちゃぁん!」
 泣きつく伊朱花(変身後)に、透子は毅然とした態度で告げた。
「いい、姉さん。あいつらが私を狙ってる間はまだいいけど、下手すりゃ姉さんだって標的にされる危険性だってあるのよ。そん時は、自分を守るのは自分なんだから。その時に力がなかったら、きっと姉さんは捕らえられてファットブレイン社の地下室に連れ込まれて屈強の男達に弄ばれ辱められ嬲られ肉奴隷として裏街道をまっしぐら……ん……想像したらちょっと濡れてきちゃった」
「何が!?」
 急に身体をくねり出した妹の肩を揺さぶって正気に戻させる。だいたいにして自分を守るのは自分と言っておきながら他人に戦闘力を持たせようとするのはどういう事か。
「いいから行くのよ! Let's play!」
 どん、と。透子に力一杯突き飛ばされて、伊朱花は窓から転落してしまう。ここは二階だ。
「わあ!? おち、落ちる――え?」
 強烈な浮揚感を感じたかと思った瞬間、伊朱花の身体は極めて美しく重心移動をして、体操選手もかくやという着地を行なっていた。
「心配しなくてもー、そのストライバーデバイスにはー、運動能力強化機能も格闘支援プログラムも入ってるからー」
 窓の下、まだ自分の身体の変化に戸惑っている伊朱花に、透子は手でメガホンを作って語りかけた。
 改めて変身後の身体を見回す伊朱花。特撮ヒーローのスーツとは違うようで、どちらかというと西洋の軽甲冑を思わせるフォルムだった。しかし決定的に細身で、女性のような意匠すら感じさせる。
 そして――何でかデフォルトで首に巻きつけてある赤いマフラー。何の冗談だろう。
 ざっ、とファットブレイン社のエージェントが立ちはだかる。長身で、服の上からでも筋骨隆々のがっしりとした肉体が窺える、まさに海千山千の裏社会の人間と言ったところだ。
 どうやら標的を自分に定めたらしい。何で無視して妹のところに襲撃に行かないのか、伊朱花は理解に苦しんだ。
「あ、あの」
 相手は臨戦態勢だというのに、構わず伊朱花は控え目に話しかけた。
「えと……やっぱりこういう事はいけないと思うんです。そりゃ妹も悪いですけど、暴力沙汰は」
「……仕事ッスから」
 何故か敬語だった。
「……で、でも、ほら透子ちゃんって姉の私から見ても可愛いですけど、あれでいて結構怖いんですよ? ひょっとしたら命に関わる事にもなっちゃうかも」
「……自分、不器用ッスから」
 なかなか誠実な人そうだった。
 と。エージェントが拳を握ったかと思うと、伊朱花との距離を瞬時に詰めてボディーブローを放った。
「ぅぁっ!?」
 ボディーブローというよりクォーターアッパーのような一撃に、くの字に身体を折り曲げて数メートル後方に吹っ飛ぶ伊朱花。相当な膂力でなければこうまで人は宙に浮かないものだ。
「いっ……たぁ――く、ない?」
 が、伊朱花は自分の腹部に手を当てて、そこで気付いた。予想していたような、女の子にとっては赤ちゃんが産めなくなるくらいの激痛が、まるでない。多少の衝撃はあったものの、それは親に買ってもらったお気に入りのふかふか枕を腹部に強打されたくらいの微々たるものだった。
 むしろ攻撃を仕掛けたエージェントの方が身じろぎしている始末だ。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「……平気ッス」
 奇妙なコミュニケーションが成立していた。
 それにしても、この装甲には驚いた。
「はん、そんなパンチなんて効かないわよ。ストライバーデバイスはね、衝撃を吸収・緩和する新素材イスカニウムで構成されてるんだから」
「勝手にお姉ちゃんの名前使わないでよ!?」
「んな事より姉さん、反撃よ! とっちめてやんなさい!」
 反撃と言っても。
 生まれてこの方、人を殴った事もない伊朱花である。本来経験すべき姉妹喧嘩とて、幼い頃の妹への溺愛ぶりと空白の四年間が、伊朱花に拳を握らせる機会を与えなかったのだ。
「ああもう! 早くしないと他爆装置を使っちゃうわよ!」
「何それ!? 何なのそれ!?」
「押すとストライバーデバイスを爆裂四散させるスイッチ」
「わあああ!?」
 つまり、自ら爆発する装置ではなくて他人の手ずから爆発する装置だから他爆装置という訳か。
 透子らしい素敵なネーミングセンスだった。
「さーん、にーい、いーち」
「透子ちゃんのバカぁぁぁっ!」
 喚きつつ、乱暴に腕を振り回す……つもりだったのだが、その行為は実に流麗とした動きを伴った拳撃へと変化した。一筋の矢を思わせる直突きが、先ほどの意趣返しというのでもないだろうがエージェントの腹部へと吸い込まれる。
「ぐっ……!」
 エージェントはかすかな呻き声を漏らして、一歩二歩と後退した。
「あわわ、ごめんなさいごめんなさい!」
「……いいパンチッス」
 気の合いそうな二人だった。
「やっぱアーマーベスト着てると威力も殺がれるわねぇ……」
 一人呟く透子。
 そうして、伊朱花は他爆装置の恐怖と相手を殴り倒す罪悪感の板挟みの中、エージェントと格闘戦を繰り広げた。
 ちなみにここはバトルアリーナでも鏡の中の世界でも何でもなく、ごく普通の住宅地である。にも関わらず、このような激しい戦闘にも付近の住民が騒がないのは、平たく言えば天観家の近くだからだ。
 つまり、近所の人々が慣れてしまうほどに透子の狂科学が生んだ発明が日常化しているという事だった。そして、透子の発明はどんなに物騒なものでも決してご近所には被害が及んでいないという事も、町内の無関心さに直結していた。
 このバトルでも、せいぜい騒ぐのは子供くらいだ。そうこうしているうちに、向かいの家に住む津岡さん宅の男の子が玄関から顔を出した。
「ママー! ストライバーが戦ってるー!」
「何で知ってるの!?」
 思わずそちらを振り向く伊朱花。
「ああ、昨日のうちに近所にパンフ配っといたから」
「何でそういう事するの!?」
 それはすでに絶叫と化していた。
 次々と我が身に降りかかる不幸の当てつけとでも言うように、エージェントとの戦いに没頭する伊朱花。だが、相手も装甲素材のアーマーベストを着用しているだけあって、有効打を出せずにいる。
「もう、じれったいわねぇ。姉さん! 必殺技使用を許可するわ!」
「ひ、必殺技?」
 エージェントの踵落としをバックステップで躱した伊朱花が、横目(と思しき部位)で二階の透子を見やる。
「そう、特撮ヒーローのお約束!」
「でも、わたしやり方なんて知らないよ?」
 そう言うと、透子はにやりと口元を歪めた。
「知っているはずよ、姉さんは」
「え……?」
 そもそもストライバーデバイスの正体を知ったのはつい数十分前なのだし、魔法少女に憧れてはいても特撮ヒーローには興味などないのが伊朱花という少女だった。
 必殺技なんて、そんな荒唐無稽なもの知っているはずが――
「――あれ……何で……?」

 何でわたし、知ってるの?

 脳裏に浮かぶ、必殺技の光景。それは威力や効果範囲、モーションから名前に至るまで。おかしい、見た事もない技を頭が理解している。
「睡眠学習の効果はバッチリだったようね」
「お姉ちゃんに何か恨みでもあるの!?」
 まさかストライバーデバイスだけでなく、使用者にも処置を施していたとは思わなかった。つまり最初から決まっていたのだろう、伊朱花がストライバーになるのは。イスカニウムだし。
「ほら姉さん! 敵に引導を渡してあげなさい!」
「で、でも……本当にこれ言うの?」
「当たり前じゃない、技名が発動キーになってるんだから!」
 そうは言っても、と逡巡する伊朱花。彼女の頭の中には、そのキーワードやらが往来している。しかし、実際にその言葉を声高らかに叫ぶという女子高校生というのも何か嫌だ。
 そうしているうちに、エージェントが地面に落ちている十円玉をすくい上げるような急角度のアッパーを繰り出してきた。咄嗟に両手を交差して受け止め、伊朱花はその勢いを利用して後方へと飛び退る。運動能力強化機能様々だった。
「あーもう! 他爆スイッチ――」
「わあっぁあぁぁああぁっ! 透子ちゃんのバカ、マッドサイエンティスト、邪教崇拝者! もう一緒にお風呂入ってやんないんだからぁぁぁっ!」
 思いつく限りの罵詈雑言を浴びせて、伊朱花が駆け出す。頭をフル回転させた割には、お粗末な語彙だった。
 一歩ごとに加速する伊朱花は、ストライバーデバイスを装着している左手を握り締め、意識を集中する。全身の力が、左拳ただ一点に収束するのが実感として分かった。
 一陣の風のように、エージェントの元へ。だが敵もカウンターを狙っているようで、最高に重いであろう一発をストレート気味に放ってきた。
 瞬間。迫り来るパンチの手首を掴み、横に逸らす。そして開いた身体の、がら空きのボディへ。
 引き絞り、狙いを定める。この時、無意識に一番筋肉が発達していそうな部分を捉えていたのは、あるいは必要以上に相手に怪我をさせない為の伊朱花の本能だったのかもしれない。
「ロザリオ――」
 フルドローからリリースに移行するかの如く――
「――インパクトぉっ!」
 雷光のような一撃が、エージェントの身体に突き刺さった。
 その衝撃はアーマーベストから皮膚を通して筋肉に伝播し、内臓まで達する。
 そしてそれは身体の裏側に突き抜け、十字架状のオーラのような緋色の波動がエージェントの背後に広がっていった。
 ぴたり、と両者が静止する。
 そして。
「……真っ白に燃え尽きたッス」
 にやり、と無骨な顔に微苦笑を浮かべ、ファットブレイン社のナンバレスエージェントは地に伏したのだった。




「分かってる!? すっごくすんごく恥ずかしかったんだからね!?」
 激戦が明けて。
 変身を解いた伊朱花は、透子に詰め寄っていた。
「その割にはノッてたじゃない姉さん」
「なに!?」
「……何でもないわよ」
 ちなみにエージェントの二人は、救急車に運ばれて入院と相成った。後日聞いた話によると、伊朱花が繰り出した必殺技を受けたエージェントよりも、最初に透子に銃撃を食らったエージェントの方が入院期間が長かったらしい。
 ロザリオインパクト<硬質ラバー弾。
 ままならない世の中だった。
「うう、殴り合いだなんて……透子ちゃんだってぶった事なかったのにぃ……」
「いやあ、やっぱ姉さんストライバーの素質あるわ。私も安心して背中を預けられるってもんよ」
「ふかーっ!」
 猫のような威嚇音を上げて抗議する伊朱花。
 こうして、限定的地域を守る新ヒーローの伝説は幕を開ける。
「にゃあ」
 ことねさんだけが、全てを見透かしているように顔を洗っているのだった。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

クッパさんの意見
 こんばんは、クッパです。「特撮おねーちゃんと科学者いもーと」読ませて頂きました。
 私自身もいずれ追いつき、打倒せねばならぬ四天王(←勝手に選びました)の一人にしてリーダー格、かっちさんの作品に批評を送りたいと思います。
 なお私は反骨精神の強い男であるため、的外れな批評をしてしまうかもしれませんが……お許しください。

 ボキャブラリーや笑いを取れる描写に関して言えば、大絶賛、と言ってもいいでしょう。
 また姉の描写や変身スーツの描写が今一分かりにくかったというのはありますが、それはちょっと細かく書けば簡単に解決できると思います。
 くすりと笑える内容、魅力的なキャラクター、とまあ素晴らしい完成度です。
 その辺りに関して突っ込むところは何もありません。

 で、ここからが私の率直な感想なのですが……
 私の実感ですが、内容としては「くすりと笑えて読みやすい」ぐらいでした。その先、あともう一歩が届かない! みたいな(汗)具体的に何と明言できないのですが。
 また、この軽いノリが続くとなると少し飽きが来ると思います。
 巧みな描写があるとはいえ、基本的には強引な妹に振り回される姉、というノリの強い展開ですし……戦闘シーンも緊迫感ゼロです(面白いですけれどね)。
 私としてはもう少し、シリアスな一面も見たかったかなと言うのが率直な感想でした。
 全部が全部この空気、ではなくスパイスのように効いた何かが……そうしないと、物語の起伏が全部「笑い」の一色で平坦な感じになってしまいそうな気もします。
 まあ、私が何となく感じた事なんですけれどね。

 うーん、かっちさんの作品はハイレベルすぎて批評が難しいです。的外れな事を言っていたらごめんなさい。
 それでは。


藤林 蘭さんの意見
 タイトルが素晴らしい。分かりやすくてインパクトあって・・・。類稀に見るステキタイトルでしょう。

 ノリのいいギャグがステキです。無骨な口調のエージェントって、イイッス。

 ただ、天才マッドサイエンティスト妹は既出のキャラが居ますのでねーちゃんのキャラをどう活かすかが、焦点でしょう。コレでもかと凡人っぷりをアピールしましょう。ぶっちゃけ、成績悪くてもイイのではないかと。

 特撮ねーちゃんのストライダースーツ。頭部形状だけでも工夫して描写しましょう。見た目は特撮のハナです。

 まあ、新参者の戯れ言です。そんなに気にしないでください。


徒喪夜さんの意見
 若輩者ながら、批評、させていただきます。

 第一印象。面白い!、と。
 ギャグセンスがいいですね。笑わせていただきました。
 それぞれのキャラがしっかりできているので、個性と個性がかみ合って、ナイスギャグになってます。
 自分もやっぱり、透子のネーミングセンスがいいと思いました。

 ストーリーも、よかったです。
 ただ、変身後の姿が、よく分かりませんでした。残念です。


 あと、これは自分の読解力が少ないだと思うんですが、最初、どっちが姉だかわかりませんでした。

>透子は天観家でこそ....
 の辺りまで。
 二回目に読んだら、何故理解できなかったのか、分かりませんでしたけど・・・。
 すみません、忘れてください。


 あと、全体として、何か足りないような気がしますね・・・。
 もう一押し、どかんと印象の強いものをもって来てほしいと思います。
 
 なにやら訳のわからない批評を書いてしまい、すみませんでした。
 では。


mayaさんの意見
 こんにちは、mayaと申します。
 かっちさんの『特撮おねーちゃんと科学者いもーと』を拝読させていただきました。
 読みますよう〜♪と約束してから、すでに三週間が経過し、わたし自身もあれは夢だったのではないかと思ってましたが……いえいえ、きちんと指摘させていただきます(汗)。
 遅れて、本当にごめんなさいッス(涙)。

・長所
 コメディは一人よがりになりやすく、シリアスな作品などよりずっと作者の筆力が問われる表現分野でもあります。
 それにも関らず、多くの読者さんから高い評価を得ていることは、かっちさんが読者を意識された書き方をなされ、また、かっちさんご自身の書きたいものと読者の読みたいものの二つのバランスを大切にされていることを示していると思います。
 こうしたバランス感覚は、かっちさんが意識されているにしろ、そうでないにしろ、一朝一夕で身につくものではなく、公募小説で受賞するための大切な資格となりますので、大切にしていってほしいと思います。

・短所
 以下、個別の論点になります。

(読者はこってりよりあっさりがお好き?)
 冒頭がごちゃごちゃとしてしまった感があります。
 読者には伊朱花ちゃんの紹介より先に「ことねちゃん」の説明が与えられ、それからは会話を挿入するカタチで透子ちゃんの外見や経歴が語られます。
 伊朱花ちゃんについては語られないまま、姉と妹の立場の逆転が示唆され、コメディらしさは伝わるものの、読者にややストレスを与える印象を受けます。
 その最大の原因は、本作が三人称でありながら、伊朱花ちゃん視点で記されているからでしょう。そのため、「ことねちゃん」の説明が先行し、姉と妹の立場の逆転を経て、読者は伊朱花ちゃんに感情移入しにくくなります。
 凝った演出は、時おり、複雑さを伴います。私見ですが、よりシンプルな描写にしてもよかったのではないでしょうか。

(単調なボケとツッコミ)
 クッパさんも指摘なさっていることですが、二人の関係が単調に感じられます。
 その理由は、伊朱花ちゃんのツッコミが心象に留まってしまっているからでしょう。アクションとしてツッコミに動きがないため、やや抽象的になっているように思います。

(妹キャラの立ち位置)
「予想を裏切らない可愛い妹だった」
 とはいうものの、冒頭には下記の描写もあります。
「跳ね毛だらけの三つ編みにレンズの厚い眼鏡」
「可愛い妹である(略)が、どうやら思春期の四年間を勉学に(略)彼女をとことん歪め」
 というように、妹キャラの透子ちゃんへの伊朱花ちゃんの心象が揺らいでいるため、ボケキャラに対して許容する理由が弱くなっているように感じます。
 それを助長するのが、先述した姉と妹の立場の逆転でしょう。冒頭における透子ちゃんの外見や経歴を修正するか、あるいは中盤の「一歳年下の透子を(略)」といった伊朱花ちゃんの心象を先に持ってくることをお勧めいたします。

(コメディはドラマでもある)
 これもクッパさんの指摘と重なりますね。
 本作にはドラマがありません。商業作品において成功しないコメディのほとんど(最近なら、電撃の『白』がタイトルについたアレとか)は、ただキャラクターを動かしただけのものともいえます。
 本作のテーマの一つが、姉と妹との邂逅にあるのでしたら、(前述のコメントとは異なりますが)むしろ伊朱花ちゃんの心象を最後のドラマとして持っていっ た方がいいのかもしれませんね。そういった意味で、妹への心象を小出しにして伏線を張られてみてはいかがでしょうか。

・総評
 ほっとしました。よかったですよう、かっちさん。
 それに、まだまだ成長なさる余地がたくさん残っています。三週間前に「世捨て人みたいになる」なんて仰ってましたが、それはちょっと早すぎます。
 ちなみに、現在の作品を公募小説のコンテストに投稿なさるのでしたら、一次選考突破が想定できるといったものになるでしょう。それも、ダンボールの中身次第になるかと思われます。
 やはり、たとえどれだけ面白いコメディであっても、ドラマの欠如は大きな短所となります。よくできているけど、印象が薄いというイメージで下読みさんが捉える可能性は高いように思います(ごめんなさいね、かっちさん)。
 また、特撮(っぽい)モノはどうも最近ブームらしく、成田良悟先生の『世界の中心、針山さん』や秋田禎信先生の『愛と哀しみのエスパーマン』など、有名な作家さんの新作がこのジャンルに投入されています。
 新人作家のフォーマットとしても確立されておらず、公募小説のコンテストでは、特に下読みさんの選考を抜けてからの編集の評価にいくぶん影響が出るように思われます。
 いずれにしましても、筆力だけでなく、しっかりした実力をお持ちなのは確か。早く新作が読みたいので、首を長くしてお待ちしていますね!

・追記
 なお、いくつかの読者さんのコメントに表記についてのものがありましたので補足させていただきます。
1 名前括弧閉じについて
 公募ではルビ振りより、括弧を使用する方が一般的な手法です。詳しくは、新創作用掲示板で元村さんが丁寧に説明なさっていたので、ご参考にどうぞ。

2 「!?」について
 ライトノベルの公募においては、まったく問題ありません。ただし、一般的なエンタテイメントの公募ですと、下読みさんの心象が悪くなるのは確かです。また、文芸(純文学)の公募では、(『文藝賞』を抜かして)この表記はありえません。


一言コメント

 ・純粋におもしろいと思えました。
 ・おもしろい!うまい!
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