高得点作品掲載所      穂村一彦さん 著作  | トップへ戻る | 


それなんてギャルゲ?

(1)

「おめでとうございま〜す!」
 パソコンの画面から、女の子のイラストが甲高い声であたしに呼びかけた。
 顔半分はありそうな大きな瞳と、とても勉学に励む格好とは思えないピンクのセーラー服。頭のてっぺんからは針金でも入ってるんじゃないかという触覚のような髪の毛が二本飛び出していた。
 常識をわきまえた人間とは思えないが、多分この手のゲームでは当たり前なのだろう。
 もちろんあたしは詳しく知らないし、知りたくもない。
 右の三つ編みを編みながら冷めた目線を送る。そんなあたしにかまわず、モニター上の女の子はハイテンションにまくしたてた。
「鈴木秋夫様! あなたは今年のギャルゲーキングに選ばれました!」
 へぇ……いまどきのゲームって名前まで呼んでくれるのね。
 日本の高水準なIT技術がこんなところで。無駄遣いにもほどがある。
 女の子はびしっとこちらを指さしながら、
「ご存知かと思いますがっ! ギャルゲーキングとは、その年で最も多く、長く、そして深くギャルゲーをプレイしたものに与えられる栄誉ある称号です」
 どこが栄誉よ。要するに日本一のダメ人間ってことじゃん。
 おそらくこのゲームは全プレイヤーに同じセリフを言ってるんでしょうけど……うちの場合はあながち間違いでもないわね。たしかに秋夫は日本一のダメ人間だ。
「それでは、よりよいギャルゲライフをお楽しみください。ではまた〜」
 言うだけ言うとパソコンはプツンと音をたてて真っ暗になる。
 あれ? これで終わり?
 何だったのかしら。秋夫はこんなゲーム、何が楽しくてやっているんだろう。
「ああーっ!」
 突然の大声とともに、あわただしく秋夫が部屋に入ってくる。沈黙したパソコンの前に立って、あたしを非難がましく見つめた。
「姉ちゃん! 勝手にパソコン切るなよ! まだセーブ取ってなかったのに!」
「し、知らないわよ! あんたの部屋の前通ったら、勝手にしゃべりだして勝手に切れたの」
「嘘付けよ! ああ、もう! ちゃんとメニューから終了した? もし壊れたりしたら、俺の今までの苦労が……!」
 な〜にが苦労だか。どうせ裸の絵しか入ってないようなパソコンでしょ? もうさすがに諦めたから、止めもしないけど。こんなんと血がつながってるかと思うと嫌になるわ。黙ってさえいればかっこいい……とは、言わないけど、それなりに普通の外見なのに。
 あたしより二回り大きな背丈も、精悍な顔つきも、その内面が全て台無しにしている。
 なんの因果でこんなんと姉弟に……
「って、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 学校学校!」


(2)

「ふわ、ねむ……」
 半分眠ったようにふらふら歩く愚弟の背中をバシッと叩いてやる。
「しゃきっとしなさいよ、しゃきっと〜! どうせまた徹夜ゲームでしょ〜?」
「うん」
 悪びれたふうもなく堂々とうなづく秋夫。ここまでくると逆に男らしいわね……
 昔はもっと子どもらしくて良い子だったと思うんだけどなぁ。何をどう間違ってこう育っちゃったんだか。
 ある意味、今でも素直だけど……いや、欲望に忠実なだけか。
「あんたって人は……本当に今年のギャルゲーキングかもね」
「ギャルゲーキング?」
「ほら。今朝あんたがやってたゲームが言ってたのよ。あんたがキングに選ばれたとか何とか」
 まったく頭の悪そうなゲームよね。
 ある日突然ナントカキングに選ばれる、か。いかにもご都合主義で、現実逃避した駄目人間が好みそうな話というか……
「ん?」
 ふと気がつくと、隣に秋夫がいない。立ち止まって、じっと先行くあたしを見つめている。
「ちょっとどうしたの?」
「……姉ちゃん」
 いつになく真剣な面持ちで、秋夫は首を振った。
「俺、そんなゲーム持ってない」
「は?」
 問い返そうとした瞬間、横から誰かに突き飛ばされた。
「わっ!」
「きゃっ!」
 あたしの体は無残にも道路に四つんばいになる。いった〜! 膝すりむいた……
「いったーい! ちょっとどこ見て歩いてるのよ!」
 事態を把握するより前に、かわいらしい声があたしを非難した。
 顔を上げれば、尻餅をついた学生服姿の少女。あたしと同じ高校生くらいみたいだけど、このへんの学校の制服ではない。ポニーテールを大きなリボンで縛っていた。
「ご、ごめん。でも、あんただって……」
「って、やだ、時間! 今度から気をつけなさいよね! あーもう、遅刻遅刻―!」
 言うだけ言うと、さっさと走り去ってしまう。な、なによ、あの子! 勢いに負けてつい謝っちゃったけど、ぶつかったのはお互い様じゃない!
 あ〜あ。日本のモラルはどこにいっちゃったのかしらね。女子はぶつかっても謝らず。そして男子は……
「姉ちゃん! そんなことよりギャルゲーキングって本当? マジでギャルゲーキングって言ってた?」
 これだからね……
「あんたね……朝っぱらから外でギャルゲーギャルゲー騒がないでよ」
「いいから! 本当に? 俺が今年のキングに選ばれたって、そう言ってたの?」
「あ、うん、言ってたけど……」
「よっしゃあ! やったあ!」
 嬉しそうにガッツポーズを決める秋夫。なんなんだか。どんなゲームをクリアしたんだか知らないけど、そんなに嬉しいもんかしら。
「子どもじゃあるまいし。たかがゲームにそんなに夢中にならないでよね」
「違うんだ! これ、ゲームの話じゃないんだよ!」
 秋夫はそこで声をひそめ、重大な秘密を打ち明けるように語りだした。
「ネットの世界ではいろいろな噂や都市伝説があるんだ。どれもうさんくさいものばかりだけど……ある条件を満たすと妖精になれるとか魔法使いになれるとか」
「ある条件って何よ?」
「……それはともかく」
 コホンと咳払いしてから、すっと人差し指を立てる秋夫。
「その中でも一番荒唐無稽で、一番馬鹿馬鹿しくて、それでいて絶対的に信じられている伝説がある。それがキング……『ギャルゲーキング』だ。一年のうちで最も多く、深く、熱くギャルゲーをプレイした者に贈られる称号さ」
 多く、深く、熱く、か……確かにパソコンの女の子もそんなこと言ってたっけ。
「で? それに選ばれると何があるの? 犯罪予備軍として刑務所入りとか?」
「……ギャルゲー体質になれる」
「ギャルゲー体質?」
 あたしが首をかしげると同時に、今度は後ろから何かがぶつかってきた。
「きゃっ!」
「はうっ!」
 再び路上に投げ出されるあたしの体。
 ああ、もう! 何なのよ、今日は! またなの? よ〜し、今度こそ文句言ってやるんだから!
「ちょっ、ちょっと!」
「ひゃあ! ご、ごめんなさ〜い!」
 勢いよく振り返ると、そこには電信柱に向かって必死に頭を下げる少女。
 見れば地面に彼女の物らしき黒縁眼鏡が落っこちている。
「あの、これ……」
 仕方なしに拾って手渡してやると、
「ひゃあ! 重ね重ねすみません!」
 と眼鏡を受け取りながら少女は顔を赤らめた。
「眼鏡がないと私、なにも見えなくて……ごめんなさい、ぶつかってしまって」
「あ、うん、いいんだけど……」
「本当に、ごめんなさ……って、ああ! 時間! それじゃ失礼します!」
 女の子はぺこぺこ謝ってから、ぱたぱたとせわしなく走り去っていった。
 う〜ん……文句を言うタイミングを逸してしまったわね。
「で、秋夫、何の話だっけ?」
「ギャルゲー体質……」
「そうそう、それ。それって何なの?」
「まさか……姉ちゃんが……?」
 ぽかぁんと口を開けて呆ける秋夫。どうしちゃったんだろう。ゲームのしすぎで頭がおかしくなった?
「ちょっと、どうしたのよ? ギャルゲー体質って何なわけ?」
「ギャルゲー体質……それはギャルゲープレイヤー全員が求める境地。運命は歪曲され、出会いを呼び寄せ、あらゆるタイプのヒロインを引き寄せる。どこでも、どんなときでも、『女の子に出会うべくして出会い、好感度は上がるべくして上がる』という……まさに伝説の体質……」
 なるほどね……
 やっぱりゲームのしすぎで頭がおかしくなったのか。
「秋夫。あんたの趣味にはもうお姉ちゃん、何も言わない。言っても無駄だって分かってるし。でも、現実と妄想の境界が分からなくなったら、人間おしまいよ?」
「妄想じゃないって! 本当にあるんだ! 現に姉ちゃん、二回も女の子とぶつかったじゃないか!」
「そんな……通学途中で女の子とぶつかるくらい、そんなに珍しくもないでしょ?」
「それが珍しくなかったら日本中の不登校問題は解決してるよ!」
 秋夫は膝まずき、がつっと悔しそうに道路を叩く。
「くそっ! 本当なら俺が受け取るはずだったのに! なんで姉ちゃんがもらっちゃうんだよ!」
「何? あたしがもらうって、何が……きゃあ!」
 突然のクラクションと急ブレーキ音。
 あたしは反射的に前に飛び出し、再び地面に倒れた。
 いったぁ……ええい! 今度は誰よ! 今度という今度は文句を……!
「うわ……」
 振り向いて、あたしは思わず目を丸くする。
 まるでおろしたてのようなピカピカの車体。洋画の世界から現れたみたいな黒塗りのベンツが道幅狭しと止まっていた。
 電動式の窓が開き、同い年くらいの少女が顔を出した。輝く金髪に、冷たい青い瞳。外国人かハーフだろうか。
 い、いや、ひるまないわよ! 相手が外人だろうが金持ちだろうが、過失は過失としてー!
「……どうぞ」
「へ?」
 少女はあたしが文句を言うより早く、分厚い紙束を差し出してきた。その表現しがたい迫力に押され、あたしは素直に受け取ってしまう。
 ずしりとした感触に、普段あたしはあまり触れることのない10000の数字。
 こ、これはまさか……!
「ちょ、ちょっと!」
 慌てて返そうとすると、すでにベンツは発車した後。大量の排気ガスを撒き散らしながら、あっという間に走り去ってしまう。
「な、何なのよ、あの子……」
「ほらね? これがギャルゲー体質なんだよ」
「そ、そんな馬鹿みたいな話が……」
 いや、しかし……確かに現実離れした物体が、今まさに手の中にある。
 ざっと百万は超えているかという、新品の札束……!
 どこの金持ちか知らないけど、ちょっとぶつかりかけただけの相手に払うような金額じゃない。
「ど、どうすりゃいいのよ、これ……」
「返すべきだね」
 秋夫はいつになく常識的な意見を述べた。
「そのお金を返せばさっきのお嬢様は驚き、人の価値基準はお金が全てではないことを知り、姉ちゃんに興味を引かれる。そしてお金以上に大切なものがあることを知り、好感度が上がり、お付きの人の目を盗んで一緒に町で庶民の遊びをしたりハンバーガーを食べたり、やがて仲良くなった二人は文化祭の夜か修学旅行の夜かクリスマスの夜かに……」
「あたし、真面目な話をしてるんだけど?」
「俺だって、めちゃくちゃ真面目に喋ってるよ!」
 ああ、あんたにとってはこれが真面目なのね……こいつに常識を求めたあたしが馬鹿だった。
「こんなお金、あたしだって返したいけど……でも、どこの誰かも分からないのに」
「それは大丈夫」
 秋夫はなぜだか自信満々にうなづく。
「まぁ……学校に行けば分かると思うよ」


(3)

「秋夫っ!」
 ホームルームが終わってすぐ、あたしは全速力で秋夫の教室へと駆けこんだ。
 秋夫は驚いた様子もなく、むしろ予想済みという感じで待ち受けている。
「いた?」
 短く問いかける秋夫に、あたしは唇を噛みしめながらうなづいた。
「……いたわよ。三人とも」
 遅刻して入ってきたあたしを待ち受けていたもの。それはさっきぶつかったばかりの三人……生意気な子と眼鏡の子と金持ちの子の三人だった。三人はたまたま同じ日に、たまたま同じ学校に転校してきて、たまたま同じクラスに配属され、そしてたまたま空いていたあたしの席の周り、右隣と左隣と後ろの席に座ることになったらしい。
 ありえない……常識的に考えたなら、絶対にありえない事態だ。
「どう? これでさすがに信じただろ?」
「ええ。本当らしいわね、ギャルゲー体質……」
 百万歩譲って偶然が重なり三人が同じ日に転校してきたとしよう。でも普通そんなことになったら別々のクラスに分けられる。どうしてわざわざクラス人数を偏らせなくてはいけないのか。そこには何らかの意思があったとしか考えられない。
「秋夫……今までずっとこんなゲームを楽しそうにやってたわけ? 朝っぱらから三人とぶつかって、それが全員同じクラスの転入生? あんた、馬鹿じゃないの?」
「いや、さすがに三人転入生ってのはギャルゲーにもないよ? この次はもっとポジションを分担してくると思う。後輩とか義妹とか幼馴染とか女教師とか」
「ちょっ、ちょっと! まさかもっと出てくるっていうの? 三人も登場してまだ足りないわけ? ありえないでしょ、そんなご都合主義な話!」
「うん……でも、そのありえないご都合主義ってのがギャルゲーの魂みたいなものだから」
 呆れた……今までは脱衣マージャンみたいなゲームかと思ってたけど、それを遥かに超える馬鹿馬鹿しさだ。こんな現実逃避推奨遊戯が市場に出回ってていいの? 政府は何をしてるのよ!
「冗談じゃないわよ。三人でさえ頭が痛いっていうのに!」
 くそっ! なんであたしがこんな目に……
 ぐったりとうなだれるあたしに、秋夫は憮然としながら、
「言っとくけど、姉ちゃんの今の立場は、日本全男子が理想とする夢のような立場なんだからな! もっとありがたがれよ」
「あたしは女なの! 嬉しかないわよ、女の子に囲まれたって! あんたに代わってもらいたいわ」
「俺だって代わりたいよ、心底!」
 そうよ。本当ならここには秋夫がいるはずだった。今朝のパソコンの女の子に頼んで戻してもらえないもんかしら。こんな立場になったら秋夫はますますダメになりそうだけど、このままじゃあたしの頭がダメになる……
「とりあえず、ちょっと休むわ……疲れたし」
「休むって、教室戻らないの?」
「戻るわけないでしょ〜。どうせ授業なんか頭に入らないわよ」
 本当なら授業の後、三人を連れて学校を案内してやってくれと頼まれていた。冗談じゃない! これ以上彼女たちと仲良くなって、この馬鹿げた妄想ワールドに足を踏み入れてたまるもんですか! あたしは愚弟とは違う! しっかりきっちり現実に立っている人間なんだから!
「授業はサボるわ。保健室で寝てくる」
「保健室か……うん。気をつけて」
「はぁ? 学校の保健室で何を気をつけることが……」
 気をつけることが……
 あるわけね? ギャルゲーの保健室では!
「保健室に行くと……何がいるわけ?」
 あたしが尋ねると、秋夫はそのエロ画像で占められた脳みそを回転させた。
「えっと、そうだな……普通なら、エロい保険医がエッチな身体検査で無理やり服を脱がせてくるか、または病弱少女がパンツを見せながらベッドで眠っているか……あ、部活で怪我したボーイッシュ少女がちょうど服を着替えてるところかも。普通に考えるなら、そんな感じかな」
「……あんた『普通』の意味を辞書で調べたほうがいいわよ」
 もうまともに突っ込む気力もないわ……
 何なのよ、ギャルゲーの世界の学校ってのは。キャバクラか何かと間違えてるんじゃないの? 学校来たなら勉強しなさいよ!
「……あたし、帰る」
「あ、帰るの?」
「今のこの学校にいても学ぶことは何もなさそうだもん」
「そっか。でも帰り道……」
「分かってるわよ! 何? 帰り道には何が出てくるわけ? 裸の女が抱きついてくるとか?」
「いや、そんなあからさまなのはないよ」
 保健室でパンツで着替えも充分あからさまだと思うけど。ここらへんの基準がさっぱりね。
 しかし、あたしはいまや不思議の国に迷い込んだ異邦人アリス。こんなダメ人間に頼りたくはないが、この時計ウサギが唯一の案内人だ。
「じゃあ、教えて。これ以上、変な知り合いを増やしたくないのよ。『普通』帰り道では何が起きるわけ?」
 うんっと嫌味をこめて『普通』と言ってやるが、秋夫はそれに気づかず「う〜ん」と指を折って考えはじめた。
「そうだな。出会いたくないってことは、ゲームの逆を選ぶわけだから……とりあえず人とぶつからないことだね。曲がり角、繁華街はさらに注意して。あと困ってる人がいても絶対に助けないこと。道に迷ったとか空腹で動けないとか落し物とか探し物とか、全部無視して。それと横や後ろだけじゃなくて上も注意ね。もしかしたら天界から足を滑らせた天使とか、空飛ぶ修行中の魔女っ娘とか、抜け忍として追われてる忍者少女とか、そういうのが落ちてぶつかってくるかもしれないから。分かった?」
 あたしはズキズキと痛む額をおさえながらうなづく。
「……ええ、分かったわ」
 ギャルゲー好きな人間がどれだけダメな思考をしているか……
 嫌というほど、よぉ〜く、分かったわよ!


(4)

「秋夫。また本読んでるの?」
「うん」
「秋夫は本当に本が好きね〜」
「うん! いっぱい本読んで、将来は博士になるんだ!」
「そっか〜。頑張ってね」

 あれから十年。
 博士は博士でもギャルゲー博士とはね……

 所狭しと積み重ねられたゲームの箱。少女漫画みたいなイラストでパッケージされてるけど、中身はそんなかわいらしいもんじゃない。エロエロのドロドロだ。パンドラの箱には希望が残ってたというけど、この箱に入ってるのは欲望のみ。
 こんなもんばっかやってるから秋夫はダメ人間になっちゃったのか、ダメ人間だからこんなもんばっかやってるのか。ニワトリとタマゴ並みの難問ね。
「ね、ねねね、姉ちゃんっ!」
 おお、ようやくそのダメ人間のお帰りか。
 ドタドタと階段を駆け上がってくる弟を、秋夫のベッドに座って待ち受ける。秋夫は驚愕と歓喜の入り混じった表情で部屋へと走りこんできた。
「姉ちゃん! 下のメイドさん、誰っ?」
「知らないわよ。帰ったら玄関の前で待ってたの」
 なんでもメイド専門学校の卒業テストとして、我が家が仮免試験会場に選ばれたらしい。どこにあるんだか、そんな学校……
「そんなことよりっ! もうたくさんなの、あたしは! 元に戻して! 朝のパソコンの女の子をもう一度呼ぶなりして、この馬鹿げた体質を治してよ!」
「で、でも、メイドさんだよ、メイドさん! いいじゃないか、このままでも。姉ちゃんだって家事手伝わなくてもよくなるんだよ?」
「冗談じゃないわよ。あんなウエイトレスみたいな格好の女の子が家を出入りするなんて。ご近所に何て説明するつもり?」
「そのときは正直に、姉がギャルゲー体質になりましたって答えるよ」
「あんた、それを他人に言ったらぶっ殺すからね!」
 あたしが拳を振り上げると、秋夫はようやくブツブツ言いつつもパソコンの電源をつけた。
「あ〜あ、もったいないなぁ……せめて一日待ってくれれば『ご主人様、朝ですよ』って起こしてもらえたのに」
「そんなの、そういう声が入った目覚まし時計を買えばいいでしょ」
「いや。それならもう二十個持ってる」
「……あっそ」
 毎朝毎朝隣の部屋がぐちゃぐちゃうるさいと思ってたら、それだったのね。徹夜ゲーム続きでろくに寝てないはずなのに絶対に寝坊しないのもその目覚ましのおかげ? とはいえある意味、夢の中にいたまま目は覚めてないわけだけど。
「じゃあ、ちょっと待っててよ。今、ネットに繋げてる。たぶん見ながら説明したほうが早いと思うから」
 よく分からないけど、とにかく解決策はあるらしい。キーボードで何やら打ち込んでいる秋夫。頼むわよ、任せたからね。ああ、まさかこの愚弟を頼りにする日が来るなんて。おそらくあたしの人生で、これが最初で最後でしょうね。
「あ、そうそう、忘れてたわ。話は変わるけど、秋夫って猫は好きだっけ?」
「ん〜、普通だけど……なんで?」
「さっき、帰り道に捨て猫がいてさ〜。かわいそうだから拾ってきちゃったんだけど、よかったら家で飼いた……ちょっと。どうしたのよ?」
 ふと気づくと、秋夫は頭を抱えながら、呆れたようにあたしを見つめていた。
「姉ちゃん……これ以上、変な知り合い増やしたくないって言ってたくせに、どうしてそう余計なことするんだよ」
「は? だって、猫はいいでしょ? ただの動物で、別に人間じゃないん、」
「ご主人さまあーっ!」
 バタンと勢いよくドアが開き、小さな女の子があたしの胸に飛び込んでくる。完全に虚をつかれたあたしはベッドの上に押し倒された。
「なああっ? だ、誰よ、あんた! どっから入ったの!」
「何言ってますにゃっ! ご主人様が連れてきてくれたにゃ。ご主人様。さっきはミイを拾ってくれて本当にありがとにゃっ!」
 お礼を言って女の子が頭を下げる。その頭の上では三角形の動物耳が二つ、ぴこぴことまるで本物のように動いていた。
「あ、秋夫―っ!」
 助けを求めて振り向くと、秋夫は冷めた目線で返してくる。
「だから言っただろ……そりゃ猫を拾ったらそうなるよ、普通」
「猫を拾ってもこうならないわよ、普通!」
 だってギャルゲーって最低でも中学生以上がやるゲームでしょ? 猫が恩返しで人間になるっ? 小学生だってそんなおとぎ話読まないわよ!
「お嬢様! 先ほどの大声は一体……きゃっ!」
 慌てて駆けつけたメイドが、ベッドでもつれあうあたしと猫少女を見て、小さな悲鳴を上げる。
「な、何してるんですか、お嬢様! 不潔です!」
「不潔とかエロいとか、あんたらにだけは言われたくないわ!」
 あたしは猫少女の襟首をつかみ、部屋の外へ向かって投げ飛ばした。「にゃあああ〜っ」と断末魔をあげながら一階へ落ちていく少女。大丈夫でしょ! 猫なんだから!
「お嬢様? さっきの子どもは一体……?」
「うっさい! あんたも一階に戻ってなさい! もうあたしに話しかけないで!」
「で、でもですね……お嬢様宛に宅急便が届いてるのですけど」
「宅急便? 何よ」
「とても大きな段ボール箱が一個です。どこだかの懸賞センターからの一等当選賞品だそうで。品名には『美少女型アンドロイド』と……」
「風呂場に沈めてしまえっ!」
 扉を閉め、あたしは全てを拒絶した。
 なるほど、これがギャルゲーなわけね……
 たいしたもんだわ。こんな難しいゲームをクリアできるなんて。
 あたしなら、途中で、確実に気が狂ってる……っ!


(5)

「ずっと……千年間ずっとそなたのような人間を探しておったのじゃ。わらわの姿を見ることができ、わらわを成仏させてくれる人間を。恥ずかしながらわらわは『でぇと』というのをしたことがない。それが心残りで現世への未練を断ち切れなくなったわらわは……」
「はい、ストップ。そこまで」
 あたしは半透明な和服少女の背中を押して部屋の外に押し出した。廊下で待っているのは黒山の人だかり……いえ、黒山ではないわね。赤とか青とか緑とか、カラフルな髪の毛ばっかりだから。
「最後尾はどこ〜?」
 あたしが質問すると、ニ、三十人のうちの一人、ドレス姿の金髪少女がすくっと立ち上がる。
「私ですわっ!」
「あっそう。んじゃ、幽霊さん。あの人の後ろについてて。順番になったら話聞いてあげるから」
「お、お待ちなさい! 幽霊ですって? 私の背中に変なものよこさないでくださいませんか!」
「文句があるなら出ていきなさいよ。窓から無断で入ってきた不法侵入犯のくせに」
「く……っ!」
 ドレス少女は悔しそうに顔を歪ませる。きっと言い返されることに慣れていないのだろう。なにしろどこだかの国の王女様なんだから。
「まったく、こんなことなら家出なんてするんじゃありませんでしたわ。宮殿のほうがまだマシでしたわよ」
 だったらさっさと帰りなさいよ……っていうか、家出だったの? こんな派手なドレスで宮殿を抜け出てきたって? この子の国には門番とかいないのかしら。
「大体、お茶の一つも出てこないなんて、どういうことですの! あまりに無作法ですわよ!」
「どっかにメイドがいるはずでしょ。お茶は彼女に頼んで」
「それは無理ですよ、勇者様!」
 すぐ耳元で小さな声。横を見れば、手の平サイズの妖精さんがあたしの肩にちょこんと腰掛けている。
「あのメイドさんは、闇組織に追われ命からがら逃げのびたけどとうとうこの家の庭で力尽きてしまったという殺し屋少女の銃創を看病中じゃないですか」
「そうだったわね……」
「それよりも早く冒険の準備をしてくれませんか? 勇者様が早く光の力に目覚めてくれないと、世界の均衡が……」
「あ〜、はいはい。だから話は順番がきてから聞くってば」
 あたしが耳を塞ぐと、妖精はしょんぼりしながら、その背中のトンボ羽で肩から飛び立った。それと入れ替わりに今度は耳のとがったゴスロリ少女が立ち上がる。
「お茶なら我が用意してやろう!」
「あ、いいの? じゃあ、お願い」
「よぉし、受理したぞ! これで貴様は『廊下で待ってて』に続き、二つ目の願いを言ったことになる。あと一つ願いを言ったら、貴様の魂は我の物だ!」
「……はいはい、もう何でもいいわよ」
 勝ち誇ったように笑う悪魔少女を放置して、あたしは秋夫の部屋へと戻った。
 え〜と、今現在あたしの抱えてる命の危機は……悪魔の契約、裏切り者を狙う闇組織、それに光と闇の均衡の崩壊……あ、あたしの命を狩りに来たっていう死神少女もいたっけ。
 なんかもう感覚が麻痺してきちゃったなぁ。死と隣り合わせなのに、危機感がゼロ。ギャルゲーやってる人ってみんなこうなのかしら。
「あ、姉ちゃん、おかえり。大丈夫だった?」
「まぁさすがに慣れてきたわよ……あんたさ、もし自分が死んだらどうする?」
「え? う〜ん……とりあえず誰にも姿が見えない幽霊じゃ困るから、神社に行って巫女さんに助けてもらおうかな。それがきっかけで仲良くなれるかもしれないし」
「……あ、そう」
 ポジティブというか、何というか……幽霊も悪魔もこいつらの妄想にかかれば全て美少女。ある意味、怖いもの無しね……


(6)

「さてと……」
 あたしは自らの領域を守るように、ドアを閉めて鍵をかけた。
「じゃあ、さっそく説明してもらいましょうか。このふざけた事態を収束する方法を」
 こうしてる間にも、廊下ではヒロインたちによる大弁論大会が行われているようだ。「あの人は私の大切な……」とか「あたしが最初に目をつけた……」とか聞き捨てならないセリフが聞こえてくる。もしあたしが男だったら、これはおいしい状況なのかなぁ。逆に廊下にいるのが全員男だと思えば……いや、ないない。何十人もの男があたしを狙ってるって、怖くて外に出られないわよ。
「えっと……じゃあ、まずこのページを見てくれる?」
 秋夫はパソコン画面を指し示した。真っ黒な背景に白い文字が二十行ほど並んでいる。
「これが『ギャルゲーキング軌跡の部屋』だ。管理人不明、更新日未定。カウンターもついてないから正確にはわからないけど噂では日本で一番アクセスの多いホームページと呼ばれている。みんないつかここに名前が載るのを夢見て、毎日チェックしてるらしい」
「こんなページに自分の名前が載って世界に配信されたら、あたしは自殺するけどね……」
 そういった配慮のためか、本名らしきものは載っていない。Y.NとかH.Sとか二文字のアルファベット。おそらくはその過去のキングのイニシャルなのだろう。
 その左には四桁の数字。2000、2001、2002……と下から順番に。たぶん、西暦。この人たちが選ばれた年かな。
 ここまでは分かったが、最後に右に並んでいる単語が分からない。妹だの姉だの、さらには猫だの精霊だの未来人だの……何なの、これは? あるなしクイズだったら確実にギブアップ。共通点が全く見つからない。
「で? その人たちの横に並んでる妹だの天使だのってのは何?」
「そのキングたちが最終的に選んだ自分の恋人」
「恋人?」
 この羅列されたファンタジックな人種の共通点が、恋人?
 そういう認識でもう一度読んでみるが、いまいち信じられない。っていうか信じたくない。だって……
「……妹って書いてあるけど?」
「よく見なよ。その横にちゃんと『(血が繋がってない)』って書いてある」
「……こっちの人は、幼女って書いてあるけど?」
「だからよく見なって。その横にちゃんと『(十八歳以上)』って書いてある」
 ……どうも今まであたしが学んできた日本語とは根本的に単語の定義が違うらしい。丸い四角とか真っ赤な黄色とか言われてる気分だ。
「狂ってるわね……」
「そういう言い方するなよ。そりゃギャルゲーキングだから個性的な人は多いけど、中には立派な人も……あ、この人は? 1999年のキング、D.Dさん。選択キャラは『恐怖の大王女』」
「一番狂ってるじゃない」
「違うんだって。噂では世紀末にノストラダムスの予言が外れたのはこの人のおかげじゃないかって言われてる。魔界か天界か宇宙か、とにかく高次元世界から人類滅亡させにきた女の子をこの人が口説き落としたから地球は壊されずに済んだんじゃないかって」
「なんか……一回くらい壊れたほうがいい気がしてきたわ、世界……」
 どこかのテレビ番組で愛は地球を救うってスローガンがあったけど……そんな救われ方したら地球だってたまったもんじゃないだろうに。
「で? これが何だっていうのよ。あたしには関係ないわよ? あたしはあいつらの中から恋人を選ぶつもりなんてないんだから」
 あたしがきっぱり宣言すると、負けないくらいきっぱりと秋夫は首を横に振った。
「そうはいかない。それじゃゲームが終わらない」
「ゲーム?」
「そう、ゲームだ。ギャルゲー体質によって現実になっているけど、その根本はゲームなんだ。エンディングを迎えることで、ギャルゲー体質は消滅し、出てきたヒロインたちも無へと帰る」
「ちょっと待って。専門用語抜きで説明してよ。エンディングって何のこと?」
 首をかしげるあたしに、すっと三本の指を立てる秋夫。
「エンディング……つまり、クリアの形さ。ギャルゲーには大きく分けて三つのエンディングが存在する。一つ目が最も一般的な『ハッピーエンド』だ。ヒロインの中から誰か一番好きな子を選ぶ。歴代のキングたちもみんなこのエンディングさ。一人選ぶことで他の全員は消えてしまうけれど、その最愛の相手とはずっと一緒にいられるんだ」
「だから、あたしは誰も選びたくないってば!」
「二つ目は『ハーレムエンド』だ。全員の好感度を上げると全員が恋人として残りつづける」
「余計、冗談じゃないわよ!」
 もしそんなことになったら、悪魔の子か殺し屋の子に頼んであたしを殺してもらおう。っていうか、それってアリなの? 一つ屋根の下に自分の恋人が複数いるって……毎日とんでもない修羅場になりそうだけど。
 一つ目も駄目。二つ目もアウト。となると、残るは三つ目しかない。あたしはおそるおそる問いかける。
「三つ目は? もうちょっとマシなエンディングなんでしょうね?」
「三つ目は……『バッドエンド』だ。いわゆるクリア失敗。誰とも恋人になれずに終わる、最もあってはいけないパターンだ」
「あ、そんなのあるの?」
 な〜んだ、心配して損した。まぁ歴代キングたちにとっては最低最悪かもしれないが、あたしにとっては地獄に垂らされたクモの糸よ。
「それなら話は早いわ。あたし、それにする。どうすりゃそのバッドエンドになるの?」
「う〜ん、でもこれは……」
 秋夫が説明しようと矢先に、部屋を超局地的直下型地震が襲った。落雷のような轟音とともに、屋根を突き破って何者かが落ちてくる……って、何者かといっても、どうせ女の子なんだけど。
「ようやく見つけたぞ……!」
 少女はあたしを見てニヤリと笑った。水着よりさらに露出度の高い黒い衣装と、こめかみからはやした二本の大きな角。昨日のあたしなら腰を抜かして絶句するとこだが、もう慣れたものだ。
「あ〜、待って。今、大事な話をしてるとこだから。廊下で待っててくれる?」
「待つだと? これ以上、待てるものか! 二百年! 貴様に封印されて二百年間もこのときを待ち続けてきたのだからな!」
 二百年も待ってたなら、それこそ一時間くらい待ってくれてもいいでしょうに。
「あのさ〜、説明するのも馬鹿馬鹿しいけど……二百年前はあたし産まれてないわよ?」
「ふん、しらじらしい。ごまかせると思っているのか? 私は忘れんぞ。貴様が何度生まれ変わろうとも、憎き貴様の魂の匂い、忘れるものか!」
 なるほどね……今度は前世なわけね。って、確か廊下には幽霊とか天使とかがいなかった? 浮遊霊がいて天国もあって、さらに輪廻転生もあるの? どの宗教をベースにしてるのかしら、この世界観。
「ま〜、いろいろ話もあるんでしょうけど……とにかく後にして。順番が来たら、ちゃんと聞いてあげるから」
 廊下に押し出そうとしたあたしの手を、少女はつかんでひねりあげてきた。
「いたっ! ちょっと! 何するのよ!」
「……本当に記憶がないのか? まぁ、いい。どちらにせよ、貴様を殺すことに変わりはないのだからな」
 少女の右手が黒く光る。ブゥン……と、古いテレビが消えるような音とともに、手の平から大きな鎌が出現しはじめた。
「離しなさいよ! だから、後にしろって言ってるのに……っ!」
 すでにあたしと会話するつもりはないのか、少女はゆっくりと鎌を振り上げる。
「我が仇敵よ。さらば……だっ?」
 ぎょっとして唐突に手を止める少女。いつの間に回りこんだのか、秋夫が少女の背中にしがみつき、羽交い絞めにしている。
「姉ちゃん、逃げて!」
「秋夫?」
「早く! このままじゃバッドエンドだ!」
 バッドエンド……誰とも結ばれずに終わる、この事態の収束の仕方。
 よく分からないけど、それで秋夫は必死なのかな? 全員が消えるよりは、自分の恋人でなくても女の子一人を残したいと、そういう考え? 本当に駄目なやつねぇ……
「バッドエンドなら、それでいいわよ。あたしは誰も選びたくないし」
「何言ってるんだよ! 死にたいのっ?」
「し、死ぬって……死なないんでしょ? だって、これはギャルゲーの……」
「死ぬんだよっ!」
 暴れる少女を必死に押さえながら、秋夫が真剣に叫ぶ。
「ギャルゲーで主人公が死ぬのは珍しくも何ともない! 最もよくあるバッドエンドパターンの一つなんだ!」
「……は?」
 な……だって、そんなはず……ぎゃ、ギャルゲーでしょ? 女の子といちゃいちゃして仲良くなってパンツ覗く、そんな能天気なゲームなんでしょ?
 あたしが、死ぬ? 殺される?
 とことんご都合主義で、馬鹿馬鹿しくて、荒唐無稽で……
 なのに、なんで変なところだけシビアなのよ!
「うああっ!」
 小さな体のどこにそんな力があるのか、少女は秋夫を投げ飛ばした。秋夫の体は壁に激突し、ベッドの上で大きくバウンドする。
「秋夫!」
 慌てて駆け寄ろうとすると、小さな手があたしの肩をつかんで引き止める。
「くくく……、そう騒ぐな。安心しろ。すぐに二人とも黄泉へと送ってやろう」
「あ、あんた……っ!」
 高圧的に微笑む少女。あたしはその瞳をぎゅっと強く睨み返した。
「分かったわ……やってやるわよ。どうしても決着をつけたいというのなら……」
 背中を伸ばし、すうっと深く息を吸い込む。
 これだけは絶対にやりたくなかったけど……
 最後の手段よ!
「全員集合―っ! こいつを倒してくれたら、その子を『選ぶ』わよっ!」
「ええええっ!」
 あたしが叫んだ瞬間、廊下で控えていた大勢の女の子たちが扉をぶち破って、一斉になだれ込んできた。
「お、お嬢様! 今の言葉、本当ですかっ?」
「こいつにゃっ? こいつをやっつけたら、恋人になってくれるにゃっ?」
「ターゲット確認。戦闘モードニ移行シマス」
「任せろ! 悪魔の実力を見せてやろう!」
「あたしは光の力を解放します!」
「わたくしだって幼少の頃から武術はたしなんでおりますわ!」
「超魔滅光覇―っ!」
 うわぁ……
 落ちてきた少女がどれほどの力の持ち主か知らないが、これではさすがに多勢に無勢。もはや勝負になっていない。二十人以上の少女に囲まれて、ぼこぼこの袋叩き。逆に哀れになってくるわね……
 っと、こんなことしてる場合じゃない。
「秋夫っ!」
 あたしはベッドに乗っかり、秋夫の頬をたたく。目は開けないけれど「う、う〜ん……」とかすかに反応。よかった……気絶しているだけのようだ。
「まったく、もう……」
 ゲームばっかりで弱っちいくせに、危ないことしちゃって……
 でも、確かに……昔からそうだったわよね。
 あたしが困ってるときは、ちゃんといつだって助けに……
「お嬢様! 片付けました!」
 メイドさんがぜいぜいと息を荒くしながら、割り込んでくる。
 は、早い……まだ一分もたってないのに。つーか、こいつら、こんなに強かったのか。ギャルゲーじゃなくて違うゲームに行っても通用しそうね。
「さ、さぁ! これでお嬢様は私の……!」
「ご主人様! とどめはあたしの必殺猫パンチでしたにゃっ!」
「おい! これでついに三つの願いを叶えたことになるぞ! 貴様の魂は私のものだ!」
「わたくしを選べば一生お金に不自由はさせませんわよ! わたくしの総資産は百八億まであります!」
 全員が口々に勝手なことを言いながら、あたしを取り囲む。
 や、やばい……さっきは緊急事態だったから、その後のことまで考える余裕がなかった。どうすりゃいいのよ、こっから……
 あたしは誰も選ぶつもりないし、下手にごまかしたら今度はあたしが袋叩きにあいそうな勢いだし、頼みの綱の秋夫は気絶したままだし……
 秋夫……
 秋夫……っ!
「わかったわ……」
 あたしはぐるっと女の子たちを見回してから、
「あたしが選ぶのは……」
 左手で気絶している秋夫の襟をつかんで、宣言する。
「弟よ」
「なあああっ?」
 女の子たち全員の声にならない叫びが部屋を揺らした。
「な、何を言ってるんですか、お嬢様! それはさすがにアウトですよ! おかしいです!」
「メイドにおかしいとか言われたくないわ!」
「倫理的にまずいだろう!」
「悪魔に倫理とか言われたくないわ!」
「生き物として間違ってるにゃっ!」
「猫人間のあんたが一番間違ってる!」
 ぎゃーぎゃーわめきたてる少女たち。どいつもこいつも奇妙奇天烈な存在で……あんたらに比べれば、あたしの禁断の恋くらい!
「分かってるわよ、おかしいってのは! 秋夫はあたしの弟だし、そうでなくてもギャルゲーオタクで、半引きこもりで、どうしようもないやつだけど……でも、ずっと好きだったのよ! 文句あるのっ?」
「そ……」
 あたしの告白に、少女たちは絶句する。
 ごくりと全員が生唾を飲み、そして同じタイミングで、同じセリフを口にした。

「それ、なんてギャルゲー?」

「うるさいっ!」
 秋夫……っ!
 あたしは瞳を閉じ、弟の唇に口付ける。
 眠っている弟にこっそりキスするのは……実はこれで三回目だった。




(エピローグ)


「う〜ん、いたた……」
 俺はズキズキ痛む後頭部を押さえながら、身を起こした。
 ……って、後頭部?
 あれ? なんで、こんなに頭が痛いんだろう? 昨日何かあったっけ?
 え〜っと、昨晩は確かいつものようにギャルゲーやって徹夜して途中で力尽きて仮眠を取って……
 いや、その後何かあったような……とても嬉しいような悔しいような何か大事件があった気がするんだけど……
 あたりをぐるっと見回してみるが、そこはいつもと変わりない俺の部屋だ。一つ一つが宝物である積み上げられたギャルゲーの箱。いつも明るく微笑みかけてくれるヒロインの等身大ポスター。そして体の一部といってもいいくらいに慣れ親しんだパソコン……
「あれ?」
 パソコンのモニターが見覚えのあるページを映している。毎週チェックしているところだからすぐに分かった。あれは『キングの部屋』だ。世界中のギャルゲープレイヤーの頂点に立つ達成者たちの栄光の歴史。
 でも……昨日は開いたっけ? う〜ん、どうしても思い出せない……
「よ〜やくお目覚め?」
「え?」
 振り返ると、姉ちゃんが不機嫌そうな顔で腕組みしながら立っていた。
「あ、姉ちゃん……ねえ、俺のパソコン触った? 開いた覚えのないホームページを映してるんだけど」
「……あんた、覚えてないの?」
「は?」
「あ〜あっ!」
 さらに機嫌を悪くしながら呆れた様子で首を振る姉ちゃん。
「まったく、屋根だけじゃなくて、あたし以外の人の記憶まで元通りとはね。最後の最後まで、とことんご都合主義だわ」
「なに? 何の話?」
「何でもないわよ。え〜っと、パソコン? 触ってないわよ。そんなやらしいデータで一杯のパソコン、頼まれたって触るもんですか」
「や、やらしいって言うなよ! そういうシーンだけじゃなくて泣いたり感動したりすることもあるんだから! 姉ちゃんにはギャルゲーの良さが分かんないんだよ!」
「……そうね。あたしには一生分からないだろうなってのは分かったわ」
 姉ちゃんはまるで一日分のストレスを吐き出すように深く深くため息をつく。
「あんたさぁ、もっとちゃんと現実を見つめなさいよ。いくらゲームに夢中になってもギャルゲーの女の子とは付き合えないんだよ?」
「わ、分かってるよ! うるさいな!」
 そりゃ俺だって現実で満たされてたらゲームをやってないかもしれないけど……でも、しょうがないじゃないか。現実はゲームと違って、セーブもロードも攻略本も無いんだから! どうにもこうにもしようがない!
 それに姉ちゃんは知らないだろうけど、現実にギャルゲーの女の子と付き合う方法はある。それがまさに今パソコンの表示してるページの……
「あれ?」
 もうすっかり記憶してしまったキングたちの履歴に、見覚えの無い一行が付け加えられている。これは……決まったのか! 今年のキングがついに!

『2007 H.S. 実弟(現実)』

「……弟?」
 うわぁ……今まで幼女とか猫耳眼鏡とか女自衛隊員とかいろいろマニアックなのはあったけど……今年は最強だな。男、しかも弟、しかも現実ってことはギャルゲー体質によって現れたわけじゃない、最初からいた実弟を選んだってことか。
 う〜ん、さすがギャルゲーキングともなると一味違う。予想を超えてくるなぁ。
 どんな人なんだろう。もちろんキングになるくらいだからギャルゲーは好きだったんだろうけど、でも前からいた弟を好き……逆に報われない恋のフラストレーションを全てゲームに叩き込んでいたのかな、このH.S.って人は……H.S?
 H……ハルナ……S……スズキ……
「何よ」
 ぽかぁんと口を開けている俺を、姉ちゃんはいぶかしげに睨み返した。
「あ、いや、その、なんでもない」
「まったくもう。いつまでもくだらないゲームばっかしてたら、本当に馬鹿になっちゃうからね。じゃ、早く降りてきなさい。もう夕飯できてるわよ」
 言うだけ言うとさっさと部屋を出て行く春奈姉ちゃん。
 俺は返事をすることも忘れて、その背中を見送った。
 H.S。春奈、鈴木。
 まさか……いや、もしかしたら……
 俺が選ばれるはずだったギャルゲーキングの特典が、ちょっとした人違いで姉ちゃんのところへ行ってしまって……?
 そう考えるといろいろ説明がつく。朝からの記憶が曖昧な理由。いつの間にかコブができてる後頭部。そして普通のキングなら選ぶはずがない現実の実弟という選択……
「いや、ないよなっ!」
 ないないっ、そんな馬鹿馬鹿しい話!
 こりゃ姉ちゃんの言うとおりだな。ちょっとゲームのやりすぎで思考回路がショートしてるみたいだ。今夜はゲームやらずに、夕飯食べてすぐに寝よう。
「あるわけ……ないよな……」
 パソコンの電源を切る前に、もう一度キングのホームページを見つめる。
 うん、あるわけない。
 非現実的。ポジティブを超えたただの妄想。
 冷静に考えれば、そもそも最初から荒唐無稽だ。
 一年で最も多く、深く、熱く、ギャルゲーをプレイした者に与えられる栄誉。
 ただ普通に生活しているだけであらゆるタイプのヒロインが寄ってくる体質。
 本当に好きな人を一人選ぶまで、ずっとハーレム状態が続くという権利。
 そんな夢のような話に……
 そんな夢のような話に、この俺が……


『2007  H.S  実弟(現実)
 2006  A.S  実姉(現実)』


 この俺が、二年連続で選ばれるはずないさ――



        「それ、なんてギャルゲー?」終


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●感想
一言コメント
 ・とても面白く、声を上げて大笑いさせてもらいました。ですので、この作品に一票投じさせていただきます。
 ・最後の最後で身震いしました!サイコーっす!!
 ・オチが素敵でした。
 ・たまらないシナリオw ラストまで楽しく読めた。
 ・テンポの良さに一気読みでしたw落とし方が非常にうまいと思いました。
 ・読み終わったあとニヤニヤできました♪ちょっとこんな弟欲しい……。
 ・くだらねえwwwと思いながら最後まで自然と読みきってしまいました。良いテンポですね、面白かったです。
 ・やったもの勝ちな内容の気もしますが、それでも最後まで一気に読ませるテンポの良さは評価に値すると感じました。
 ・テンポがよくて、最後まで一気に読めました。
 ・ラストは感動物です。
 ・話のテンポが良くすいすい読めた。/主人公の最後は首をひねるようなありえない!! (弟を選ぶ) と思いました。
 ・軽いようでいて考えられている。ギャルゲやったことない人にはどう映るのか分かりませんが、ストーリーが大変面白く、私はさくさくカチカチ読めました。もう少し「」無しの声を上手く書けるようにしたら技術的にもとてもよくなると思います。
 ・しょーもないお約束の連続でも飽きさせず、とんでもない方向へ行くのが良かったです。2008年は?
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