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四時三十分。
授業終了を知らせるチャイムが鳴り始めたとき、私は鞄を手に取り、脇目も振らずに教室を飛び出した。いつもはお淑やかな女の子を演出しているが、今日は別である。三十メートルの廊下を数秒で疾駆し、階段を四段とばしで飛び降りる。途中、踊り場にいた男子生徒に、舞い上がるスカートを見られたが、今は構ってられない。今日は、愛すべきたった一人の家族、妹の真奈美の誕生日なのだ。 真奈美の好物は、プリンである。スプーンでちょっとずつプリンを口に運ぶ姿は、無邪気で可愛らしい。そして、食べ終わった後も、恍惚とした表情でしばらく余韻を楽しむ姿は、抱きしめたくなる。しかし、親がおらず奨学金暮らしの私たちには、そんなプリンでさえ、贅沢品である。お菓子一個三百円出すなど、考えただけでも恐ろしい。真奈美もそれは理解しており、普段は近所のスーパーの特売プリン(三個百円)で我慢している。しかし、今日は真奈美の誕生日、この日に奮発しなくていつするのだ。 狙うは、駅前のケーキ屋さんの『卵とミルクの贈り物』一個三百円。よく雑誌やテレビでも取り上げられる町の名物である。その日の朝産み落とされた卵と、絞られたミルクを使って作られるそのプリンは、絹のように舌の上でとろけ、豊満な味がするらしい。私は食べたことがないが、以前真奈美が食べたときは、一口で十分間放心状態を保った後、また一口食べるを繰り返し、そして、その後数時間放心状態で話しかけても反応がなかった。ちなみに、そのときの真奈美を写した写真は私の宝物である。残念なことは、そのプリンが平日限定四百個ということだ。それらは朝九時に二百個、夕方四時に二百個に分割して売り出される。もちろん朝売り出しの分は学校があるため買えない。私が狙うのは、四時に売り出される分だ。しかし、大体いつも一時間で完売してしまう。つまり、駅前まで歩いて一時間の道のりを、残り三十分で踏破しなくてはならない。 私は、息を切らせながら下駄箱で靴を履き替える。そして、屈んで靴紐をきつく結び直した。これからが本当の勝負だ。 「あっ、お姉ちゃん」 聞き慣れた可愛らしい声が響く。顔を上げると、正面玄関から制服姿の真奈美と、体操服を着た親友の加奈子ちゃんが入ってくるのが見えた。真奈美は朝に比べると顔色がずいぶんとよくなっている。 「真奈美、あれからどう。疲れてない?」 「うん、すぐに元気になったよ。念のため保健室に寄って、今の体育の授業も休んだけどね。これから、保健室に行って先生にお礼をするよ」 真奈美は、今朝、熱っぽく顔が赤かった。私が病院に行かせようとしたが、断固拒否されたので、結局保健室に行くということで落ち着いたのだ。よしよし、ちゃんと保健室に行ったのね。朝、一緒に通学してくれる加奈子ちゃんに念押ししておいてよかった。今は、元気な笑顔を見せている。 「じゃあね、お姉ちゃん急ぐから先に行くね。ばいばい、真奈美、加奈子ちゃんも」 手を振ると、二人もつられて手を振ってくれる。真奈美も加奈子ちゃんも素直で可愛い。……って、いけないいけない。後二十五分。 四時五十分。 下駄箱から十五分で駅前の繁華街にたどり着いた。もちろんその間は、全力疾走である。髪が乱れ、絶え間なく呼吸する私はどうしても注目を集めてしまう。だけどそんなことは、真奈美の笑顔さえみられればどうでも良いのだ。あと少し、あの角さえ曲がれば、ケーキ屋さんだ。私は、虎の子の千円札を握りしめ、最後の力を振り絞り、膝に命令する。そして、角を曲がった私が見たものは。 『卵とミルクの贈り物 四時販売分二百個は完売いたしました。ありがとうございます。』 私の心は、砕け散った。 両親が亡くなってから何度目か分からない無力感に私は襲われた。唯一の救いは、プリンのことを真奈美に内緒にしていたことだろう。でも、そんなことは実際救いにはならない。真奈美に最高の幸せをプレゼントできないのだから……。 目の奥がしだいに熱くなってきた。私は強く鞄を握りしめた。泣いちゃいけない、泣いたって解決しない。それに、まだできることだってある。私は、いつもよりも豪華な夕食にすべく駅前商店街へ駆けだした。 もう六時だ…… 魚屋のおじさんと交渉しすぎたのがまずかったかもしれない。鞄とスーパーの袋を揺らしながら、アパートの階段を駆け上がり、ようやく部屋の前に着く。そして、呼吸を整えながら、髪や、服装の乱れを直し、玄関の扉を開けた。 「おかえりー、お姉ちゃん、遅かったね」 「おじゃましています」 軽快な音を立てて、居間から真奈美が出てくる。すぐ後ろには、ぺこりとお辞儀する加奈子ちゃんもいる。真奈美は満面の笑顔を浮かべてくるりと華麗に一回転し、何か小さなものを持ち上げる。そして、パン!大きな乾いた音が響き、紙テープが舞う。 「じゃんじゃじゃん!お誕生日おめでとう。お姉ちゃん!」 真奈美は、そう言って微笑む。一方、加奈子ちゃんは、二人ともおめでとうございます、と祝福してくれる。そう、今日は私たち双子の誕生日だ。 「もー、お姉ちゃんの感激屋さん……放心していないで。ご飯作ろうよ」 真奈美は、感動で動けない私の手からスーパーの袋を取り上げ、中身を覗く。 「わっ、イカにエビもいる。今日は豪勢だね。何を作るの?」 「えっ、あ……八宝菜と、チャーハンだけどいいかな?」 中華、特に八宝菜は真奈美の好物だ、いつもは野菜ばかりだけど、今日は魚貝付きだ。真奈美は、満面の笑みで顔を上げた。 「さすが私のお姉ちゃん。今日は真奈美と加奈ちゃんも手伝うよ。お姉ちゃんは早く着替えてきて。さあ、加奈ちゃん台所へ行くよ! 」 うなずく加奈子ちゃんを連れて真奈美が台所へ行った後、私は目を閉じ感謝の言葉を口にした。 「あー美味しかった、お姉ちゃんの八宝菜が食べられる私は幸せ者だよ。どう、加奈ちゃん」 真奈美はご満悦で、ちゃぶ台の下で足を広げてくつろいでいる。 「……お姉さん、素敵です」 目を潤ませて、私を見つめる加奈子ちゃん。 「えっと、加奈子ちゃんと真奈美の作ったチャーハンだって美味しかったよ」 そんな……、お姉さんには敵いません、と頬を染める加奈子ちゃん。……いけない、空気を変えないと。 「二人とも、お茶入れるね」 「あ、お姉ちゃん。私が入れるよ。今日ぐらいは、お姉ちゃん孝行させて」 立ち上がろうとする私を制して、真奈美が立ち上がる。 「えっ、あ、ありがとう」 真奈美は、ちゃぶ台の上のお皿を重ねて台所に持って行った。加奈子ちゃんもそれに続く。本当にいい子達だ。私は、何も乗っていないちゃぶ台を見つめた。ここにプリンが無いことが悔しくてたまらなかった。 しばらくして二人は戻ってきた。加奈子ちゃんはお盆の上にティーセットを、真奈美は……。 「じゃーん、超有名プリン『卵とミルクの贈り物』だよ。お姉ちゃん食べたことないでしょ」 私は目を見開いた。なんでここにそれが! 今日下校するとき、学校の下駄箱で二人と出会ったはずだ。私は全力疾走しても売り切れだったのに。 「お姉さんごめんなさい。今朝、真奈ちゃんを保健室に連れて行く前に、プリンを買ってました。ちなみに保健室の冷蔵庫に保管してました」 加奈子ちゃんが白状する。つまり、朝九時の分のプリンを買ったということだ。ってことは! 「お姉ちゃんストップ! 一限目の授業をさぼったことを怒る前にプリンを食べよ」 真奈美が目の前にスプーンを突きつける。まあ、授業をさぼったことを怒るのは今日でなくてもいいだろう。私はそれを受け取った。そうこうしている間に、加奈子ちゃんが紅茶を入れてくれる、良い香りだ。きっと彼女は良いお嫁さんになれるだろう。真奈美は、準備が整ったのを見計らってお辞儀した。 「いつも私をかわいがってくれるお姉ちゃん、誕生日おめでとう」 「おめでとうございます」 「……ありがとう、そしておめでとう真奈美」 私は心の底から二人の気遣いに感謝した。さっき無理矢理せき止めた涙腺から涙が流れようとしている。 「では、いっただきます」 そして、私たちはプリンを食べた。口の中に、とても幸せな味が広がった。 |
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●感想
一言コメント ・最初は二人の織り成す可哀相な話かと思ったけれど、 最後はとても温かい気持ちになり、とても感動しました。 ・これぞ掌編といえる作品です。 ・おもしろかった。 ・優秀な作品だと思った。 ・起承転結がしっかりしている ハッピーエンドも好み。 ・なんかコメントが連続ででてるから読んでみたら本当におもしろかった。 ・素でいい。 ・他の作品よりも数段完成度が高いです。 ・Good! ・正統派コメディ。 ・おもしろかった。 ・心がほわっとします! |
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