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俺こと佐藤一郎は某中堅企業の総務主任である。
わが社が募集をかけていたアルバイトの採用面接のため、応接室で一人の青年と話しているところだ。 俺はその青年と志望動機や学歴、採用された場合の条件や待遇などを一通り話し合った。 その後、どうしても突っ込まずにはいられなかった、一つの質問を投げかけた。 「ええと、田中くんだったかな。趣味に書いてある『破っ』って、これはいったいどういうものなんだろう」 俺の質問に、彼はあわてる様子もなく答え始めた。 「それは、僕が考えたスポーツ、あるいは武道のようなものです。手のひらに力を溜めて飛ばすことが最大の目標です」 彼の声と言語はこれ以上もなく明瞭だったが、言っている意味が俺にはさっぱりわからなかった。 「わかりやすく言うと、かめはめ波や波動拳のようなものを出すための練習です」 それなら知ってる。ドラゴンボールと格闘ゲームは世代を超えて有名だ。そもそも俺はまだ三十歳で、ジャンプとファミコンの申し子でもあった。 「な、なるほど。今まで、出すのに成功したことがあるのかな」 「努力不足か、一度も出したことはありません」 そんなものを出す能力があったら、俺ならテレビ局に手紙を出すだろう。少なくとも地元でバイトなんぞ探さない。 混乱したままの俺に不安を抱いたのか、田中くんは観察するような目で俺の対応を待っている。 「ああ、すまんね。とりあえず面接は以上だ。合否は一週間以内に連絡するから、待っててくれ」 やっとの思いでそう言った俺を残し、綺麗なお辞儀と別れの挨拶をして田中くんは去って行った。 田中くんを採用しようと思った理由は、彼の応対が落ち着いて好印象だったこともある。 それに加えて、帰宅した俺に女房が言ったことが決定打となった。 「あなただって、私と付き合ってたころは金髪でギターを弾いてたじゃないの。あなたを親に紹介する時、すごく勇気がいったのよ」 俺も、女房の両親に会うときは少し緊張した。だが、その後に義父となる人は俺に会ったとき、淡々とこう言ったのだ。 「人様に迷惑をかけてないなら、どんな趣味があったっていいじゃないか。わしは音楽はわからないが、夢中になれることがあるのはいいことだよ」 あのときは感動したな。惚れた女と一緒になれる上に、すばらしい親まで増えるんだから。 他人の趣味がなんであれ、それで人間性や資質を判断するのは野暮だ。偏見と言ってもいい。 そういった経緯があり、俺はその週のうちに田中くんに電話をかけ、採用を伝えた。彼は素直に喜んでくれた。 その選択は、俺にとっても会社にとっても正解だった。田中くんは総務係に配属され、業務上のあらゆる雑用を瞬く間に覚えた。 事務所は心なしか綺麗になり、会議や催し物の下準備はスムーズに運んだ。消耗品の補充も先を読んで的確に行われている。 加えて、田中くんは驚くほどの怪力でもあった。分厚いファイルを何冊も抱え、体勢を崩さずに資料室へ運んでいる姿は会社の名物になりつつあった。 「毎日、鍛えてますから」 田中くんは平然とそう言った。やはり、破っ、とか言うのを出すために必要なのだろうか。 「心身ともに充実していないと、とても達成できないと思うんです」 「そうか、俺にはどうやったらそんなもんが出せるのかわからんが、夢中になれることがあるのはいいことだ」 そう答えたときに俺は、これは自分が義父から言われたことじゃないか、と気づいて可笑しくなった。 「毎日頑張ってるなら、いつか出るかもな」 軽い冗談のつもりで俺は言った。しかし田中くんにとっては、真剣に追い求めているテーマなのだろう。 「佐藤主任、ちょっといいですか? 田中さんのことなんですけど」 総務の女子社員が三時のお茶を飲んでいる俺にそう言ってきたのは、田中くんが採用されて二ヶ月ほど経った頃だ。 「彼がどうかしたか。なにか仕事にミスがあったとか」 たまにはそんな話を聞きたいと思うくらい、彼の仕事振りは完璧だった。最近では簡単な会計作業も任せている。 「あの人、変ですよ。人のいない会議室とか、廊下の角でなにかやってるんです」 「仕事をサボってか? 田中くんはいつ見ても、勤務時間の間はキリキリ働いているじゃないか」 事務所を離れて、会議室や倉庫での雑用があるときは、基本的に俺もその仕事をしている。彼が人目を避けて仕事をサボっているということはありえない。 「いえ、その。田中さんがお昼の休憩をしているときだと思うんですけど。あれ、絶対にかめはめ波の練習ですよ」 俺はあやうく飲んでいたお茶を吹き出すところだった。笑いをこらえて女子社員を諭す。 「休憩中ならいいじゃないか。俺も昼休みにエアギターしてるぞ」 「でも、気持ち悪いって他の子も言ってるし……」 その話を聞いて俺は邪推した。田中くんは電話番の都合で、他の職員とは時間をずらして休憩をとっている。 田中くんの修行を目にしたと言うことは、お前らが仕事をサボって人目に付かないところへ行ってるんだろう。 「わかった、俺のほうからそれとなく言っておくよ」 そう言ってその子を納得させ、仕事に戻らせた。 彼女たちの気持ちもわからないではない。新入りのバイトが働きすぎると、今までサボっていた職員が相対的に目立つ。 だが、心の中で俺は吐き捨てた。自業自得だ。給湯室で田中くんの爪の垢を煎じてろ。 それでも、少しだけ気がかりになった俺は、一部で気持ち悪いと噂される、彼の修行風景をこっそり覗いてみた。 奇声を上げていたり、アクロバティックな鍛錬をして怪我でもされたら、仕事にも支障が出るからな。 休憩中の彼は、半地下の資料室にいた。そして、まさにかめはめ波か、波動拳かと思うような動作を、声も発さずに繰り広げている。 腰の辺りで両手を構え、溜めた力を放つかのようにその手を前に突き出す。ただそれだけの行動を飽きもせず続けている。目つきがやけに真剣だ。 最初は声を殺して笑ってしまったが、五分も見ていると俺が飽きてきた。十分くらい、彼の挙動を見守り続け、特に危険がない事を確認して俺は仕事に戻った。 そんな日が何日か続いた。サボり常連は田中くんの修行場所を避けてサボるようにしたのか、その後は特にトラブルもない。 俺はたまに彼の様子を覗きに行ったが、破っとやらが出た雰囲気はなかった。人目を気にしてか、資料室がメインの修行場所になったようだ。 仕事が終わって会社を出ると、同じく定時で仕事を終えた田中くんが道端でアキレス腱を伸ばしている。 「走って帰ってるのか」 「はい、なにごとにもまずは体力ですから」 こんなに頑張ってるんだから、いつかはきっと出る、俺もたまにそう思う。田中菌が伝染したかな。 「成功しても、会社の壁には穴を空けないでくれよ。改築したばっかりなんだ」 応援のつもりで俺は言った。少しだけ驚いた表情をした田中くんは、 「気を付けます。では、お疲れ様でした。また明日」 と告げて走り去った。すごく速くて驚く。 次の日、出社した田中くんからの申し出は、俺の目を二倍に大きくさせた。 「こちらでの仕事を、辞めさせていただこうと思うんですが」 「辞めるって、ど、どうしてだ? なにかイヤなことでもあったか?」 俺は、彼がそんなことを言い出す理由がわからずにパニックになっていた。一部の女子社員のようなアンチ田中派も、今ではまったく訴えに来ない。 「いえ、ここの皆さんはとてもよくしてくれました。特に、佐藤主任には感謝の言葉もありません」 それならどうして、との言葉が出ずに唖然としている俺に、田中くんはこう説明した。 「出すことばかりに集中して、力の制御を考えていませんでした。昨日、主任に言われたことで、破っが出たとき、会社に迷惑をかけると思ったんです」 俺はなんと言った。壁に穴は空けるな。その前に、いつか出るかも、と言ったかな。 「この趣味を話して、今まで何度もバイトの面接に落ちました。受かっても気持ち悪がられたり」 俺も、彼を採用しようか迷っていた。今では違う。部長と飲むとき、彼の正社員登用をそれとなく持ちかけたりするほどだ。 「主任は、僕の生きがいを理解してくれて、そのおかげで僕も、ここでは居心地が良くて……」 田中くんが声を詰まらせていた。彼の感情がこれだけ動いてるのを見るのははじめてかもしれない。 なんてこった。俺が軽い気持ちで放った言葉を、彼は真剣に思いつめていたのだ。 ――そんなものは出ない、壁も壊れない、だから安心してここで働き続けろ。 俺は、危うくそう言いかけた。しかし、言えば彼のすべてを否定することになると思い、言えなかった。 田中くんの意志は固く、新しく採用されたバイトくんに仕事を引き継ぎ、会社を去って行った。今では道路工事の現場にいるという。 俺は新人バイトと一緒に、資料室の書類整理に汗を流している。田中くんの怪力が懐かしい。青空の下で働いている田中くん、俺にも力を分けてくれ。 「佐藤さん、ちょっとここ見てくださいよ」 バイトくんが何かに気付いたように俺に話しかける。彼が指差すのはコンクリ打ちの壁、胸の高さほどの場所。 「暗くて分かりにくいけど、なんか変じゃないですか」 よく見るとコンクリートの壁が、人間の手のひら二つ分ほど、陥没していた。俺は恐怖よりも感動で目が潤んだ。汗を拭くフリをしてごまかしたけどな。 |
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●感想
鷹匠 流さんの感想 最近感想を書くことに生き甲斐を感じてきた鷹匠 流です。 いやぁ、かめはめ波いいですね(笑) 最近テレビでかめはめ波の世界大会をやっていたのでかなり笑わせていただきました。 あえて言うならばストーリーが単調な気がしました。。。 もっと具体的な修行(?)の風景や田中考えがあればなお良くなると思います。 個人的には主任さんのエアギターというボケ(?)を生かして欲しかったです。 短い+タメにならないアドバイスですが今後の作品に生かしていただけるなら嬉しいです。 では次回作も頑張ってください。 和己さんの感想 好きです。 あ、読ませていただきましたので、感想を。 いや、この一途な主人公大好きです。 主任も良い人です。 最後の数行思わず主任とともに感動しました。 これからも頑張ってください。 xwlwさんの感想 すごく面白かったです。文章が硬くて良いと思います。 場面の切り替わり方とか、人の登場の仕方とかが普通の小説と変わりないくらい自然だと思います。 「破っ」の浮き具合も絶妙ですね。否定と肯定のバランスや流れが良い。 ただ欲を言えばというか個人的に見たいものというか、もう少し、ある意味でのほころびのようなものがあってもいいのではないか、と思いました。文章につっかかるところがあったり、違う知識が割り込んできたり。何かそういうものをうまく使うと読みごたえのあるものになるという気がします。 しかし嫌われ方がリアルだなあ。嫌な事を思い出しそうです。私が。 みぎしたさんの感想 みぎしたです。読ませていただきましたので感想を。 サンタクロースは初めから信じていませんでしたが、幼稚園くらい頃はかめはめ波はいけると思ってました。セルの時のゴハンな感じで。 文章が読みやすくて良かったです。 内容は、もっと過激な方がいいかなーと思いました。過激というか、勢いですかね。でも、なかなかに面白いアイディアでした。 参考になりました。 ただの感想で申し訳ないですが、それでは失礼します。 ふらふらさんの感想 拝読いたしました。 では批評を。 □『雑感』 ちょっと奇妙な、でも好人物の田中くんとそれを暖かく見守る佐藤主任のコメディタッチの交流劇。 素直に面白い。掌編というものでここまで書ける人がいるのかと本当に関心させられた。 □『物語としては』 言うべきこともありません。見事の一言。 何かがズレている、ちょっとおかしな性癖を持つけれど、でもとても好人物の田中くんと、常識人で人情あふれる優しい主任の物語。 非日常を感じさせつつも、安心して読むことができる。しかもその先がどうなるのか、この短い枚数で本当にわくわくしながら読むことができた。 起承転結も然り。プロット、構成、そして結末(オチ)。どれを取っても見事としか言い様がありません。素晴らしい。 □『キャラクター』 「立っている」。やはり「破の使い手」田中くんの造形が素晴らしいのですが、それを引き立たせる佐藤主任の存在も見逃せません。 いわゆるボケ役とツッコミ役をそれぞれが担当している構図なのですが、それが露骨に表れず、しっかりと物語になじんでいる。 佐藤主任の視点が、読者の(というか自分の)視点と合致し、読んでいてストレスがまったく生じませんでした。 読んでいて、自分が田中くんを見守っているという気持ちにさせられるほど。 □『オチ』 ここが素晴らしい。 最後に「ああ、あいつやったんだな」。思わず同じ感慨を抱いてしまいました。 ここまで物語に惹き付けることができる手腕に嫉妬します。 □『総評』 全体的にバランスも良く、日常に突然入り込んできた特異点の田中くんを見事に操りきったな、という感想です。 非日常設定を持つキャラクターはその設定いかんでは、いわゆる「ぼくの考えた超人」レベルになってしまいがち。ですが田中くんにはそんな心配は無縁でした。 最初から最後まで楽しむことができました。 かつてよく読んでいたSF系ショートショートが大好きだった自分には、特に。 大変素晴らしい作品でした。一読者として楽しませていただき、ありがとうございます。 感服しました。 以上です。次回作に大いに期待します。本当にありがとうございました。 いさおMKUさんの感想 拝読致しました。いさおMKUと申します。 早速感想を。 純粋に、面白かったです。 この様な(良い意味で)バカバカしい内容にもかかわらず、ラストに妙な感動を覚えました。正直、『やられたな』と。 田中君の好青年っぷりと『破っ』のギャップが笑いを誘いました。主任のクールな口調がそれに輪をかけて。実に上手いですね。 気になる所としては、ラストでしょうか。 個人的感想の域で申し訳有りませんが、ちょっと弱かったかと考えます。 もうすこし盛り上げても良かったかと。 重箱の隅をつつく様な指摘ですが、それだけ完成度が高かったという事で。 乱文ご容赦を。次回作も頑張って下さい。 三田さんの感想 全く面白くありませんでした。コメディ風なのが肌に合わず、全体的に白けました。掌編にせずに、短編にしたらもっと余裕のある構成に出来たと思います。 ギルティさんの感想 題名の不可解さとキレの良さに惹かれて読みました。 まさに読んだ感想は「破っ」です。 素直におもしれぇ、なんだこの面白さは、と思いました。 このまま感想を書いて去るのもありですが、一応のところ分析してみます。 長くなるので、ここから下は読まなくても、まぁ生きていけると思います。 まず最初辺り、つまらない日常から始まるのかなと思い読み始めましたが、 いきなり「破っ」という不可解な趣味の登場でひっくり返されました。 これこそ、日常と非日常の融合でござります。 もう読むしかありませんよ。といった感じで半笑いになりながら、読んでいきました。 佐藤一郎が田中くんを採用するに至る説得力の持たせ方も良いと思います。 単なる回想に飽き足らず、佐藤一郎に人間味を持たせることに成功していると思いました。 僕は少なくとも佐藤一郎に好印象を持ちました。そうして、主人公に感情移入しつつ田中くんも生真面目で良いヤツ。 このまま地味に「破っ」ができずに終わるのかなと思いきや、最後の最後で実はできたというオチ。 何となく、途中でよめるものの、今までの良さを破壊しないだけいいと思います。小手先の技術や何かを使って良いものを台無しにしない、これは良かった。 いやぁー努力ってし続けると報われるもんだね。というテーマ性すら感じました。 ただ、あえて苦言を呈するなら、もうちょいヒネリというか攻撃力が欲しいところ。 もっとすごい形で「破っ」が実現して、会社が崩壊するぐらいの方が過激でいいかも。 という冗談はさて置き、もうちょっと「破っ」を生かしきって欲しかったかなと思います。 杉上j太郎さんの感想 田中君には辞めてほしくない.でも,かといって田中君が持つ純粋な気持ちも応援したい……. そんな人間味のある暖かいジレンマがこの作品のキーポイントだと思います. 一言コメント ・非常に読みやすく、引き込まれる作品だった。 ・イオナズンネタだけど、オチにオリジナリティーを感じた。 ・おもしろし。 ・かめはめ波は出せないけど、どどん波なら出せますヨ。 ・いい話ダナー。 |
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