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時の魔術師、死者の時計

 ――プロローグ・A――


「自己言及のパラドックス、という言葉を知っているかね? 冬木」
 それはどんな時でも思考する事を止めない、佐山らしい言葉だと冬木有紀は感じていた。
「……この文章は嘘である、という話の事か?」
 私の返答に、流石、と彼が呟く。私を甘く見ているのかと問い直すと、彼は軽く首を横に振った。大仰に腕を上げながら、それにしてもと言葉を続ける。
「しかしながら、冬木には毎度ながら驚かされる。私と対等に話が出来るのは、やはり君ぐらいなものだ。考え方、という意味も含めてな」
 意味深な言葉を加えて、佐山は両腕を組んだ。その行動に意味は無い。格好つけか、或いはこの場の空気がそうさせるのか。論理的意味は皆無であろう、と余計な思索を巡らせる。
「自己言及のパラドックス。『この文章が嘘である』という文章が正しいとすれば、この文章は嘘をついている事になる。逆にこの文章が嘘であるなら、内容は真実になってしまう。自身の書いた文章について自己言及するが故に起きる矛盾」
「……それが、何?」
「似て非なる状況ではあるが、それに近いと思わんかね? この状況は」
 佐山に問われ、視線を遠くへ伸ばしていく。夕焼けの日差しを一様に浴び、その世界は茜色に染まっていた。二十一階建ての屋上から見つめる景色。細かなミニチュアのように敷き詰められた、ビルの群集と車の列。薄ぼんやりと伸びた建物の影。これが私達の育っていた町なのだ、と珍しい感慨をふと感じた。
 この町並みを、一応目に焼き付けておこうと思う。この壱場町の全景を。毎日見る事が出来るはずの、何の変哲もない光景を。今日が人生最後となるかもしれない、その景色を。
 最後の五分を彩るには、丁度いい。
「冬木。我々はこの二十一階の屋上より、空へと飛び降りねばならない。そして、落ちれば人として死に至る。がしかし、我々が明日へと生きる為には、ここから落ちなければならない。一見して矛盾めいた事をやっている、実にそう思わんかね?」
 両手を掲げ、空へ羽ばたく天使ように両手を広げる佐山。その姿を見つめながら、手元の時計に視線を落とす。残り、二分。
「確かに、他人から見ればそうかもしれない。佐山も私も、矛盾した言動を口にしている」
「頭がおかしいと言われても否定し難い状況ではあるな。遺憾ながら」
「それは問題ない。佐山は元々狂っている。誰も疑問に思いはしない」
 軽くそう茶化し、彼からの反論を期待した。失敬な、君も同類ではないのかね冬木? そんな冗談めいた言葉を交えながら、私達はここから飛び降りるのだ。
「ふん。相変わらずだな、冬木。この期に及んでまだ、そう言えるとは」
 反論は無く。彼はくすりと笑っただけだった。
「少しぐらい、女の子らしく佐山さん怖ぁいと叫んで抱きついてみないものかね、全く」
「拒否する。何故なら私は死なないから。飛び降りても死なないのなら、恐れる必要は何も無い」
 僅かに震えた拳を握り締めて、答えを返す。怖いのは当然。だけど、佐山にその姿を見せるのは、もっと不快。いや、見せてはならない。これからが本当の勝負だから。
 ゆっくりと鼓動が高鳴っていく。そんな私の顔を見てか否か、佐山が口元をにやりと歪めた。さて、ショータイムの始まりだと言わんばかりに。
「残り一分。何か言い残す事は無いかね? 冬木」
「別に、無い」
「具体的に言うと、例えば私に対する愛の告白とかは?」
「無い」
「遠慮は要らん。今しか無いのかもしれんのだぞ? これが失敗すれば、私も冬木も死ぬかもしれない。本当の気持ちを告白するチャンスなど今しか」
「佐山」
 ぐだぐだと喋り続ける彼の言葉を遮り、獣のように佐山の瞳を睨めつけた。おどけた顔を浮かべる佐山の中に、何の感情が混ざっているか気付かないほど私は愚鈍ではなく。互いに抱えている不安など、今更口にするまでも無い。その事実は佐山哲、貴方も一番よく知ってる筈。
「先程も答えたけれど。私は最初から、失敗する気など毛頭ない。従って告白のチャンスが今しか無い、などとも思わない。それに――」
 一度、躊躇いを挟んだ後。口元に手を当てて、笑ってみせた。あえて見せる、愉悦の笑み。
「私が、一介の平凡なる女子高生のように告白などすると思うか? この私が。冬木有紀が。そんな相手に興味があるのか? 佐山哲」
「ふむ。……それも、そうだな。失敬」
 夕暮れの光が、佐山の影をゆらりと伸ばした。顎元に手を当て、考え込む仕草を見せる。
「確かに私の知る冬木有紀は、そんな事は一切しない。もし仮に好きな相手が出来たとしたら、その人物に対し知略を巡らせ相手を謀り、最終的には自主的に告白せざるを得ない状況へと追い詰める。冬木有紀は私と同じ、誇り高き知略の女。告白させたいのなら、私を惚れさせてみるがいい――そんな所だろう?」
 返事をする要素など、何一つ無い。
「如何にして相手を惚れさせるか。告白せざるを得ない状況を作り上げるか。それが冬木の性格であり、同時にこの私、佐山哲の性癖でもある」
「分かっているなら結構。この状況を利用したところで意味は無い、それ位分かるだろう? 佐山。私との恋愛目的につり橋効果を狙う事など無意味だと心得ておけ」
 冬木の言葉に、佐山は一言軽く鼻を鳴らして返事をした。
「まったく。人がこれから飛び降りようというのに、随分無粋な恋愛話だな冬木! とても高校生の会話とは思えん。が、おそらくそれが我々の形なのだろう」
「……その点については同意する。そして――」
 冬木がそっと、ポケットの中身を確かめる。あと三十秒。
「そして私と佐山は、結局どこまで行っても似たような思考回路を持つ」
「その点についても異論は無い。さて、冬木」
「何」
「そろそろ、時間だ」
「そう」
「じゃあ。また、明日だ。冬木」
 佐山がゆっくりとした言葉で、そう告げて。
「そうね。また、明日」
 そうして、彼等は二十一階建てのビルから飛び降りる。


 ――事の発端は、十日前。
 六月、二十三日。











 時の魔術師、死者の時計



 ――第零章――

 私、冬木有紀は自分の思考が極めて男性的である事を自覚している。
 どうしてそんな風に育ったのか、理由を求めようとは思わなかった。父の性格や私の家庭状況など幾つか思い当たる節はあるが、そこに理由を求めた所で何かが改善される訳でもなく。それ以前に、私は自分の性格を変えようなどと最初から思ってもいなかった。
 確かに、友人は少ない。人に愛想を見せ建前だけを繕うことが苦手な私は、率直に物事を言いすぎ顰蹙を買うことが度々あった。冷たい人、と後ろ指を差された事もある。だが、別に構うものかとも思っていた。嘘を並べて媚びる姿に比べれば、私は私のままが一番いい。それが例え、強がりだろうと何と言われようと構わない。
 論理的で冷たい人。それが私、冬木有紀という女性を現すのに一番的した言葉。強いて不満を述べるとすれば、常に周囲との調和を要求される学校という名の閉鎖的空間は、こうも面白くないものかという事ぐらい。もっとも、それも義務教育の一環だと割り切ってしまえば左程苦痛には感じなかった。
 こうした私の基礎的人格形成が元と――或いは仇となり。中学を卒業する頃には既に、私は他者から随分かけ離れた思考回路を形成していた。同じ中学生の筈なのに、他の人は何に対し騒ぎ喜んでいるのか、その感覚を今一つ共有できない。中学の卒業式の時、私と本当の意味で話の合う同級生などこの世界に存在しないのかもしれない、そう漠然と感じていた程だった。
 そうして私は今の征路高校へと進学し、佐山哲という人物と出会う。
 彼を一言で例えるなら。論理的変態という言葉が適切であろう、と私は思う。


 六月、二十三日。空は梅雨時にしては珍しく、雲一つ無い夜空が広がっていた。この付近は電灯が少ないせいか、暗闇の中には僅かに輝く星が見える。
 壱場坂と名付けられたこの町最大の坂道の頂上付近にて、私は佐山哲と並んでバスを待っていた。目の前のバス停には『壱場町 征路高校前』という安直な名前が書かれている。
 私の通う征路高校は、この壱場町の中でも山間部に近い位置に建っている。山道に沿って蛇行したカーブの多いこの道は、通学路であるにも関わらず事故が多いという噂があった。傾斜三十度とも言われる坂道を進む手段は、主にバスか徒歩、または自転車。選定基準は家庭の経済状況か、或いは日々健康のために坂道を登ろうという現代人らしからぬ精神を持っているか否かといった所。私の家庭は幸い経済面において左程不自由していないため、こうしてバス停前に佇んでいる。悲しい事に、佐山と並んで。
 眉を上げて隣を伺うと、佐山は両腕を組み何かしら深い思慮を巡らせている、ように見える真面目な表情を浮かべながら。私の視線に気づいて不意に口を開いた。
「時に冬木。男女が手を繋ぐと、ドキドキする事があるらしい。それは何故だと思うかね」
 ――一応。念のためだが、最初に否定しておく。私と佐山は、俗に言う男女間の恋愛関係ではない。予め答えておく。
 身長百八十を越える佐山の視線が、背の低い私の顔へと向けられる。何か楽しげな事を閃いたような、子供のように期待に満ちた笑顔と瞳。その顔にそっぽを向けて、私はバスの現れる昇り方向の道路へと目を向ける。
「さあ。生理的反応の一種と推察されるが。私はあまり興味無い」
「ふむ。では試してみるか?」
「――断る」
「何故だね冬木。……ふむ、そうか分かったぞ! 安心したまえ、冬木。私は君のその貧相な身体に対して心を高鳴らせるほど欲に飢えてる訳ではぐえっ」
 佐山の期待に答え、思いきり足をひっかけた。隣で、佐山の身体が視界からふっと消える。アスファルトに鈍い音。足払いは見事に決まり、佐山哲は潰れていた。
 その様子を確認して溜息を吐き、視線を自身の身体へと落としていく。私の体躯を見て貧相と示した佐山の指摘は、残念ながら的確だと認めざるを得ない部分があった。私はこと全てにおいて真実を隠すつもりは全く無い、と一見して誠実な姿勢に見せかけた言い訳を最初に付け加えておこうと思う。
 私、冬木有紀は百五十にも満たない小柄な体躯をしている。綺麗に揃えたボブカットのせいか、つり上がった目線のせいか、時おり『何怒ってるの』と怒ってもないのに聞かれた事が幾度かある。つんと尖った鼻先が、剣呑さを更に引き立てているのも理由の一つか。そんな無愛想な顔と体格が相まって、確かに貧相と言われれば反論は難しい。その上シーズン的な問題上、高校指定の夏服を着用しているために身体のラインがよく分かってしまう。身体のラインが分かると何がまずいかは、あえて言わない。上から下までストレートとだけ答えておく。
「……ま、待ちたまえ冬木。いきなり蹴るとは何事かね」
 その点、今しがた地べたから這い上がり、私の隣に並ぶ佐山は対照的だ。多少顎が出ている特長はあるものの、身長は高い。隣に並ぶと肩のラインに視線が並ぶ。もみ上げの辺りをきちっと切りそろえた髪型と、細めの端正な顔つきは不服ながら美形のカテゴリーに入れて不足無い。インテリ風な眼鏡をかけさせ、無言で校門の前に立たせておけば入学希望の女子が増えるかもしれない、と時おり無意味な事を考える。
 最も、天はニ物を与えずという諺通りか。こいつの場合は性格面において私以上に難があるため、その外見を台無しにしている訳だが。自覚症状はあるのか無いのか。
「何だ。もう復活したのか佐山。遠慮しないで死んでていいぞ。誰も迷惑しない」
「冬木。君は時々、私に対して妙に暴力的すぎる時があると思わんかね?」
 思わない。が、その直感的理由をどう隠しつつ論理的にひねた返事を返すべきか。理屈をすり替え、まずは偽の話を作り上げる。いわゆる、屁理屈。
「佐山。暴力的というその言葉の定義だが、私は言葉による非難もまた暴力の一種だと考える。人を傷つける、という点において言論も暴力も同等の意味合いがあるだろう。よって私が佐山の暴言に対し、力にて返答を行う事にも一種の正当性があると考える。この意見についてどう思う? それとも、いつ如何なる時でも暴力は慎むべきか?」
 私の隣で復活した佐山に対し、不躾にそう説いた。学校指定の鞄を肩にかけ、何となくぶらぶらさせる。それにしても、待っている割にはバスが遅い。校門前に立てられた時刻表を見ると、定刻を五分も過ぎていた。剥げた時刻表に浮かぶ数字が、このバス停の立てられた年代を感じさせる。
「ふむ。それに関して言えば、成程。確かに私も同感だと答えよう。言葉は時に一種の暴力となりうる」
「つまり私の暴力は正当だと認める訳か、佐山」
「確かに、そうなる。が、しかしだ冬木」
 私の言葉に、佐山は軽くにやけ顔を浮かべて反論を述べ始めた。
「それを暴言、暴力だと認めるという事はだぞ? 冬木は私の言動に対し『傷ついた』と判断する事が必要になる。つまり君は傷ついた。逆説的に言えば、常日ごろ冷静沈着に振舞っているように見える君ではあるが、実は何気に自分のスタイルに対し一種のコンプレックスを抱いている所があり、かつ私に対して『そんなものは気にしない』と突っぱねる強がりを見せている。この事より、私が先ほど手を繋ごうと言った時に君はスタイルの問題上から私の頼みを拒否へぶっ」
 論理のすり替え中に失礼ながら、私はグーパンチを佐山の顔面にぶち当てた。潰れたカエルのように、佐山が倒れる。いや、蛙の方がまだ可愛いかもしれない。判断基準が難しい。
 それにしても、バスはまだか。今もしコンマ一秒と置かずバスが来たなら、即刻佐山を置き去りにして乗車する。だが肝心のバスはまだ来ない。そんな事をしてる間に、佐山がまた復活した。彼には元々ゾンビ並の生命力がある。車に轢かれても死なないかもしれない、という錯覚すら時々感じる。非論理的な妄想だが、何故だか真理のような気がしてならないのは何故だろうか。
「……佐山。一つ聞き忘れた。それ以上余計な話をするようなら殴っていいか、と尋ねようと思ったのだけど。その前に殴ってしまった」
「殴ってからその質問はどうかと思うがね、冬木。それでは筋が通っていないぞ?」
「その点に関しては問題ない」
 膝についた埃を払いながら立ち上がる佐山に対し、口を開く。
「何故なら私の質問は、最初から解答が一つしか無い。私は佐山が質問に対し、イエスと答えれば殴るつもりでいたし、ノーと答えても殴るつもりでいる。よって先に殴ったとしても問題は無い。何故なら解答は既に分かっている」
「待ちたまえ冬木! その説明には異論がある」
 鞄をぶら下げたまま、私は佐山の方に右耳だけ傾けた。
「それはまず先ほどの前提が間違っていると考えられんか? 私はそもそも、冬木に殴られる理由となる程の暴力的行為を行った事実が無い! 私はただ君の容姿を客観的に判断し、それを言葉として表現しただけの事。それに対して君が不満を感じたのだとしたら、それは君自身が自己に対する客観的な観察力を失っており、加えて自身の身体に対して歪んだ認識を抱いているという事だ。そして、その事に対して単純に不都合だったから、君は私を殴り暴力によって事の収集を図った。……即ち今回のケースの場合、私の暴力ではなく。私の常識的あるいは客観的な通常範囲内の台詞に対し、君自身の不条理かつ過剰な反応が私への不当な暴力行為へと結びついているのだと思われる。この意見、どうかね冬木?」
 佐山の妙に長い弁明に対し、私は顎に手を当てて考えるふりをしてやった。私と佐山、二人並んで妙なことを語っているバス停前。時刻表しかない路肩の上で、顔すら合わせず喋る私達の姿は他者から見て一体どういう風に写るだろう。変人と思われなければ良いのだが。
「佐山。その話は一部、認める。確かに私の認識は多少、過剰な点があったかもしれない」
「だろう? 最も冬木の認識自体、常人とは大分ずれているようだがな。……まあその話はさておき。以上の事より先ほどの一発は非論理的な一撃だという結論になる訳だが」
「否」
 佐山の証明を一蹴するように、言い返す。
「確かに私は認識過剰な部分が多少、ある。しかし。佐山は私がそれをコンプレックスだと認識していた上でその言動を行ったのだとしたら、私がその言動に傷つき、暴力的行為だと受けとる事ぐらい容易に察する事ができただろうと考える。加えて言えば、それを知った上で悪意を持ちそのような言動を行ったと考える方が適切だ。その点に関してどう思う?」
 ぐ、と佐山が言葉に詰まった。
「そ、それは……うむ」
「今しがた佐山は、私のコンプレックスによる認識の歪みだと指摘した。私は一言も私自身のコンプレックスについて語っていない。よって佐山はそれを事前に知った上で答えた。悪意を込めて、だ。つまり私は佐山の悪意に対し、悪意をもって返すことを正当と主張する権限がある」
「ま、待ちたまえ冬木!」
「何か反論があるなら言ってみろ。五秒待つ」
 一、ニ、三、四、五。
 五秒経った。
「……冬木」
「何」
「一介の大人として、体型の事を言われた程度で暴力を振るうなど恥ずかしいと思うがぐえっ」
 佐山にもう一発グーパンチを食らわせた所で、ようやく坂道の向こうにバスが見えた。征路高校前に止まる最終バス。定刻、二十時四十分。
「バスが来たぞ。何を寝ている佐山。起きろ。夜はまだ宵の口だぞ」
「殴っておいてそれは無いと思うがな! 冬木、君にはやはりもう少し、慈悲の心があるべきだと私は思うのだが」
 愚痴を零しつつ、佐山はしっかりと両足で立ち上がる。その生命力に呆れ交じりの溜息をつき、僅かにあざのついた彼の顔を見た時。バスの夜光ライトが、私達の姿を大きく照らした。
 疑問を感じるのに、左程時間は必要なかった。どうして、バスが私達の顔を直接照らす?
 夜間とはいえ、バスライトがハイビームになっているとは考えにくい。第一、直線に近い道路を下るバスが停留所に停車するなら、私達の身体を直接バスライトが照らす事など無いはず――
「む……」
 佐山が唸り、私達はほぼ同時にバスの方へと振り返る。ゆるやかな傾斜を、巨大な鉄の塊が加速しながら走っていた。その走行速度に徐行の気配を感じ取れないのは私の錯覚か。違う。バスは停車位置の手前にも関わらずむしろ加速し、私達自身を目掛けて異様な速度で走行――いや、突撃して来る。
 運転席に目をやった。僅かにかくりと、頭を垂れた運転手の姿が見える。
「佐山!」
「冬木!」
 声を荒げ、私は直感的に佐山の身体を突き飛ばした。その右手が、佐山の突き出した左手と衝突する。同じ行動を取ったと、悟った。佐山も咄嗟に、私を突き飛ばそうとしていた。
 バスが迫る。右手にぶつかった佐山の身体を、力ある限り押し返した。火事場の馬鹿力とでも言うべき威力をぶつけ、佐山の身体を僅かに押し切ったかもしれないと感じた直後。バスの巨体が私の視界を隙間無く覆いつくし、
「冬、」
 佐山の声はかき消され、轟音が夜空に響いた。
 身体が宙に浮いた瞬間、綺麗な月が視界の中に大きく納まる。その光景を最後に、私の意識はぷつりと途切れ。
 冬木有紀の人生は、こうして十七年間の幕を閉じた。











 ――第一章――


 という、夢を見た。
「っ!」
 白地の羽毛布団を跳ね飛ばし、鳴ってもいない目覚まし時計の頭を叩く。六時五十分を示した針は、目覚めのベルを鳴らすことなく沈黙した。
 手のひらが、汗で冷たく濡れている。額に手を当てると、僅かに熱っぽい感触が残っていた。悪夢を見た事に身体が緊張しているのか、酷く汗ばんでいるのが身体で分かる。
「妙な夢を……佐山の馬鹿」
 がしがしと頭を掻き、理由にならない愚痴を吐いて起き上がる。汗でべったりと背中に張り付いたパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替えて戸を開けた。台所から、ウィンナーを炒める美味しそうな音が聞こえてくる。台所に立つエプロン姿の父におはようと声をかけ、洗面所へと直行した。その私の背中に、おう、と父の気前のいい返事が聞こえてくる。相変わらず、男性にしてはハスキーな声だった。
 私の家は、一般的に言う父子家庭に当たる。母は私が物心つく前に亡くなったとだけ聞いた。実際にはその間に幾つものラブロマンスがあったのかもしれないが、私は知らない。私の知る父と言えば、男手一つで私をここまで育ててきたその手腕と、今も朝食を作るべく台所に立つ後姿が大半だ。家庭的で、母親の代わりまで勤めようとしてくれる心遣いは昔から何となく感じている。授業参観に一人、父親だけで来てくれた事もあった。
 出来た父親だと思う。もっとも、私が今のような性格に育ってしまった事について、父なりに悩んではいるようなのだが。
「有紀。出来たぞ、朝飯」
 顔を洗い、今朝の余計な悪夢を頭の中から追い払った頃、台所から父の声が聞こえてきた。背広姿の上にフリル付きの白エプロンを付けた父と、私。リビングに置かれたテーブルに、二人だけで腰掛ける。常日ごろ二人しか座らない机に椅子が三つ並んでいるのは、十年以上昔の名残なのかもしれない。聞いた事は、無いけれど。
「頂きます」
 両手を合わせて箸を手に取り、父と一緒に礼をした後ご飯に手をつける。
 不意に、奇妙な錯覚に襲われた。
「どうした、有紀」
「ん……いや、別に」
 並べられたメニューを見つめながら、浮ついた声をあげた。父の朝食には大体、二日ごとのサイクルがある。季節柄はあるものの、軽い洋風テイストと和風テイストを交互に作る。昨日が目玉焼きとウィンナーであれば、今日は焼き魚や納豆といった所を予測していたのだが。何かの偶然か、それとも食材の買い忘れか。昨日と朝食のメニューが一緒だった。
「父さん。昨日と同じ?」
 何気なく尋ねると、父は不思議なことを言い出した娘を見つめて首を捻る。
「昨日は焼き魚だっただろ。どうした有紀。……寝ぼけてるのか?」
「……ううん。気のせい、かも。寝ぼけてるかも」
 私の脳も、齢十七歳にして早くも老化してしまったか。或いは今朝の悪夢を引きずっていて、まだ正常な思考に戻らないのか。とりあえず後者が原因でありその理由は佐山哲にある事にしつつ、テレビの電源を入れた。
『六月二十三日、朝のニュースをお伝えします』
「六月二十三?」
『速報です。つい先ほどM県内の高速道路で衝突事故が起きた模様です。この事故により乗用車の運転手、井坂智之さんが病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されました。現在、高速道路は通行止め状態に――』
「……お父さん。今日って、何日の何曜日」
 昨日と同じニュースを聞きながら、私が真顔でそう尋ねると。流石の父も不可思議な生命体を見るように眉を潜め、ウィンナーを一口放り込んでから答えてくれた。
「六月二十三日、木曜日。って、今自分で言ってたろ。有紀、大丈夫か。熱あるか?」
 心配げな顔を見せる父から視線を逸らし、ポケットに入れた携帯電話を取り出した。日付、六月二十三日木曜日。天候、梅雨時にしては珍しい晴天日和。さて。
 私は少なくとも、自分が日付を間違える程には耄碌してない自信はある。いかに脳の劣化や悪夢の影響、思考の偏りがあったとしても。昨日と同じニュースと同じ料理が同じように食卓に並べば、偶然の一言で片付けてしまうほど馬鹿ではない。たまたま、偶然、が続いていいのは三度まで。とはいえ、偶然以外に説明の仕様が無いのも事実だった。何度も続く偶然は、限りなく必然に近い事象であるにも関わらず。
 自分の脳に異常があるのか、それとも私以外の何かが違っているのか。
 テレビから、今日の正座占いカウントダウンが響いてくる。
「……お父さん。今から流れる占いカウントダウン、上から全部当てたらウィンナー一本頂戴」
 さらに不審げな目線で見られた後。父はまた娘が妙なことを考え出したのかとでも思ったのだろう、冗談交じりでこう答えた。
「いいぞ。全部当てたら、全部やる」
「分かった」
 遠慮なくそう答えてから。私は父のウィンナーを全て頂くことに成功した。喜ぶべきか悩むべきか難しい所かもしれないと頭を抱えた頃。父がぽつりと、言葉を漏らす。
「有紀……前々から変な奴だとは思ってたが、ついに予知能力まで身につけたか」
 育て親のお前が言うな。

           ○

 着々と異常事態が進んでいる。その気配を肌身で感じながら、私は壱場坂を徒歩で昇っていた。梅雨時にしては珍しく晴天となった今日の天候は、昨日と全く同じ快晴。右手にガードレールが立ち並び、左手には崖崩れ防止用の石垣が並んだこの坂道を歩くのは随分と久しぶりだった。その私の真横を、バスが勢いよく走って行く。背筋に、ひやりとした悪寒が走り抜けていった。
 普段なら必ず乗るバスを利用しなかったのは、今朝方の悪夢に理由があった。
 ――実は、あの悪夢には続きと言うべきか、前話がある。
 あの悪夢を見た時。私は今朝と同じように朝食を取り、朝何も考えずバスへと乗り、学校で通常通りの授業を受け、そして放課後に佐山に呼び出され生徒会の仕事とやらを八時過ぎまで手伝わされた。その後に、二人で並んでバス停へとたどり着く。そこでバスに轢かれて短い生涯を終えた、というのが悪夢の簡単な概要である。
 勿論、私の短い人生においてもそこまで長い夢を見た事は無いし、予知夢のように今日のテレビの内容まで当てられるはずもなく。そして夢の中身は確かに六月二十三日、木曜日だった。
 率直に言う。状況が上手く把握できない。佐山は何か、気づいているだろうか。
 父の様子におかしな気配は見当たらなかった。私が妙なことを言っているとは思っただろうが、今日が六月二十三日である事は疑いもしない。狂っているのは私の感覚か、それとも――昨日と全く同じ占いのカウントダウンや、雲ひとつ無い快晴まで偶然の産物と言うのだろうか。
 仮に、私の夢見た事態が予知夢の一つだと仮定する。とすると今日私は佐山と共に八時過ぎ、学校のバス停前にてあのバスに轢かれる事になるのだろうか。それが予知夢の原因か。
 いや、この際理由は二の次に考えた方がいいのか。私は自分が死ぬかもしれない可能性を放置したまま、好き好んで自殺する趣味は無い。理由は後回しに、まず佐山に相談する。彼に私と同じ予知夢、或いは再度ループのように訪れたこの六月二十三日現象が起きていなければ、その時点から説明をし。逆に何かしら気付いていたなら、今日取るべき行動方針を決定する。
 冷静に考えろ。確かに今、私の感じている現象は奇妙だが、それに慌てふためき何も出来ないのは最も愚かな選択肢。速やかに現状を把握し、何ができるのかを知り対策を――とまで考えた頃、ようやく学校へと辿り着いた。
 征路高校の校門は、簡素な作りをしている。門柱の上には何故か狛犬らしき銅像が立ってはいるが、あとは横開きのありがちな鉄柵が開かれているだけ。
 ただ。今日に限り、校門脇に妙なものが佇んでいるのは何故だろうか。
「……あの、馬鹿」
 背の高い、よく見知った顔がストーカーの如く怪しげな目を男女問わず向けていた。校門前で視線を動かし、登校する生徒の様子を逐一手元のノートにメモしている。現生徒会長である佐山哲の奇行はすでに全生徒に知られているとはいえ、流石にこの様子には通学してくる生徒も眉を潜めながら見つめていた。どう見ても不審者だ。警察に通報するべきか。
「むっ」
 視線が合った。しまった、不審者に気付かれた。
「おはよう冬木! 今日も良き快晴だな!」
 佐山は即座にノートを閉じ、相変わらず無駄に元気がある声で話しかけてくる。こうなった以上、最初から直に現状を話すべきか、それとも後で改めて会話をするか。
「……佐山」
「おはよう、冬木。まずは挨拶ぐらいするものだ。違うかね?」
「……それは、正論。おはよう、佐山」
「うむ! おはよう、冬木」
 満足げに両手を組みながら何度も頷く佐山の姿は、妙にテンションが高い。何か面白い事を見つけた少年のように、ノートを片手に持ちつつ不適な笑みを浮かべている。常日頃からそういう傾向はあるものの、今日は普段以上。頬の端が一センチほど通常より嬉しそうだ。いや、そんな事はどうでもいい。この不可解な状態について、話を。
「……ところで、佐山。朝一番から何だけど、珍しく私から佐山に聞きたい事がある。貴方に相談するのは私としては極めて不愉快だけど、今回だけは話を聞け」
「最後だけ命令形なのがいかにも冬木っぽい冬木だな! 流石、どんな時でもやはり冬木だ。しかし奇遇な事に、実は私にも聞きたい事がある」
 冬木っぽい冬木、とは一体どういう事象を指すのか気になる所だが、この際止めておく。
「冬木、今日はバスで来なかったのかね。普段は常時バス利用なのに」
「――佐山こそ。バスは?」
「なに。今日は少々、気が向かなくてね。実は私も珍しく徒歩で来たのだよ、冬木」
 そう答えてから、佐山は小さく笑ってみせた。どうやら話は速く進みそうだ。

           ○

 征路高校は、真上から見ると実に単純な構造をしていた。校舎は本館と別館に分かれ、その合間を渡り廊下が走っている。空から見下ろせば、丁度歪なH字に見えるだろうか。校門に近い本館は四階建てで、上から順に一年、二年、三年の教室と並んでいる。反対側が、主たる実験室や図書室の立ち並ぶ別館。いわゆる特別教室がこちらに多い。
 私と佐山は三階へ登り教室へ着くまでの間、軽く話を整理した。詳しい話は昼休みに、という事でまとまった。佐山もほぼ私と同じ状況下、即ち予知夢なのか何なのか、同じ一日を再び経験しているような錯覚を見ている、という奇妙な状態に陥っている。そしてまず昼まで様子を見る、というのが佐山と私の判断だった。
 木曜日の日程は一時間目から順に数学、現代国語、地理、物理。数学の時間においては、昨日確かに書いた記憶のある公式が羅列され、中身だけ消えているノートへまた同じように版書した。私は昨日と変わらずほぼ無言を貫き通し、先生は昨日と全く同じ言葉を並べて、予知夢で見た通りに授業を切り上げた。
 二時間目の国語に入り、私は先生の質問にあえて手を上げて返答した。常日頃、手を上げる等といった積極性は絶対に見せない私の行為に、先生も多少驚きながらも指名をする。当然、これは予知夢の範囲外の行動となる。私の体験、或いは昨夜の夢とは違う行動をすると、周囲の反応も多少、変化。
 三時間目の地理は、サボった。四時間目の物理は再度普通に受けてみたが、やはり先ほどサボった事について隣に座る友人から一言小言を頂いた。今日の冬木はどうしたの、ちょっと変だよね、と。確かに寡黙だが真面目一辺倒の私を知る人間なら、そう判断してもおかしくない。
 さて以上が、本日昼前までの経過であるが――
「……面白くない」
 思わず愚痴が零れてしまった。私は冷静に物事を判断する癖はあるが、機械人形ではない。ほぼ百パーセント完全予測できる未来、次に何が起こるか分かってしまう世界は、実に面白味に欠けていた。電車のように定められたレールの上を走っているのと同じ。いや、電車でもまだ遅刻やトラブル、車内での出会いなど〇.一パーセント未満ながら確率変動要素があるだろう。この場所にはそれすら、無い。教室内での出来事は、百パーセントの予定調和。
 そんな事を考えていると、ポケットの中が小さく揺れた。物理の先生に気付かれないよう、ポケットの携帯の蓋を開ける。メール送信者、佐山哲。
『つまらん』
 たった四文字の言葉に思わず噴き出しそうになり、私は慌てて笑みを抑えた。そして返信を打ち込み、携帯をポケットの中へと戻す。
『同感』
 たった二文字の返信だ。

           ○

「はて冬木ふん、わはひとひては」
「佐山。喰いながら喋るな」
 怠惰な四時間目を終え、私は佐山と共に食堂に居た。もっとも、食堂だけではなく多用途に使われる会場施設であるこの建物は、一階にカフェテリアと購買店、二階には吹奏楽部などが使う多目的ホールが設置されている。
 その一階、学生の数以上に席の多い食堂の隅で、私は佐山と共に椅子へと腰掛けていた。奴は二百円の格安掛蕎麦を勢いよく啜っている。毎日食べているのに、これだけは飽きないのだろうか。もっとも、私も同じメニューなのだが。
「さて冬木。もう一度現状について整理したいと思うが如何かな?」
「……そうね」
 答えながら、蕎麦を冷ましてゆっくり啜る。その間に、佐山にとりあえず喋らせる。
「まず、その一。私と冬木は予知夢か、或いはもう一度この六月二十三日をくり返しているような、そのどちらかに該当する現象に遭っている。そのニ、現在のところ私と冬木以外にこの現象は起こっていない。他者は現在のところ、同じような一日がくり返されているという現象を感じていない事からの証明。その三、よって我々はその未来予測とも言うべきか、そのような事ができ、かつ現在のところほぼ百パーセントの確率でヒットしている。この三つに異論は?」
「無い。ただ一つ、気付いてると思うけど、私がその予知夢と違う行動をとれば周囲の反応も変化する。授業中に確認した」
「それは私も試した。というか朝から同じでは退屈すぎてな。と、ここまでは良いとしてだ」
 そこで佐山はテーブルの上にある残りの掛蕎麦を一気に飲み干し、大げさに一息ついて器を置いた。細々と食べ続ける私の前で、佐山が嬉しそうに箸を動かしていく。
「まず最初に、これが予知夢であった場合。絶対に避けなければならないのは、今日の夜バス停前に立つこと。死の前兆として予知夢を見たと言うのであれば、これを避けなければ我々は死に至る。逆に、それを回避すれば我々は無事平穏にこの不可解な現象を抜け出し、明日の二十四日にたどり着けるという訳だ。ついでに予知夢となると、我々の身体に何かしらの特殊能力が宿っている、という面白い話になる。もっとも残念ながら、私にも君にも今の所そんな要素は無さそうだが」
 つまらなさげに呟く所が、何とも佐山らしい。
「次にこれが、一種のループ現象だった場合。こちらだと、より複雑になる訳だが――それについてはまた明日考えようかと思っている。理由は簡単、これがもし一日をくり返す反復ループであるなら、我々は必ずもう一度この六月二十三日に帰ってくる。それから考えても悪くは無かろう。それに、仮にこの現象が今日一日だけで終われば、昨日の出来事が予知夢であろうとループであろうと、我々の体感的には今日が二回くり返された、というだけで同じ意味になる。……以上の事より、当面の目標としては」
「今日の夜八時。まず、バス停の前を避ける」
「うむ。今の所、この二十三日は我々が昨日感じた事とびた一文違いなく符合する。よって、昨日の状態をより完全に回避するため、私は今日六時過ぎには学校を出ようと考えている。ついでに裏門から出て、かつバス停の前を出来るだけ通らない道を選択。そのルートは後ほど選別する。バスが来たら徹底的に道を外し安全策をとる予定だが、これで如何かね冬木?」
 佐山の瞳が、何かを試すかのように深く、煌いた。自分の考えに抜けが無いか、自己を振り返り何度も思案する。おそらく、授業中めいいっぱい考えていたのだろう。安全策を。
「……それで問題ない、と思う。それに私達が予め予測された行動から逸脱した場合、周囲の反応も変化した。同様の理由から、そうすれば今日一日を無事に過ごせる可能性が高いと思う」
「だといいのだがな」
 肘をついて私を見つめる佐山の顔と、視線が合う。静かに掛蕎麦を啜っていた私の表情や体つきを、佐山は妙にしげしげと観察していた。
「佐山。どうかしたか」
「何がだね」
「視線がいつもと違う。……普段の佐山は、そこまで私の顔を見つめたりしない」
「ん? それは失敬。いやなに、こうして改めてみると、冬木も可愛いものだと思ってな」
 新手の冗談だろうと思った。佐山がこうも改まって私に声をかける、という事は何か企みがあるに違いない。そう思い、冗談にしては悪質だと怒気を込めて睨めつけると。
 僅かに微笑む佐山の表情が返ってきた。
「……佐山」
「何だね」
「頭でも撃ったか。何を企んでいる。そんな瞳で私を見るな」
 私の思考が困惑した瞬間を狙ったかのように、佐山がくすりと笑う。どうして一体何が幸せなのか分からないぐらい、佐山はいつになく嬉しそうだ。まるで、ごく一般的な平凡を愛している一学生のような、普段の奇想天外な佐山哲という人間性からあまりにもかけ離れた顔。それが逆に異常事態としか例える他なさそうな――落ち着け。どうして私が佐山の顔を見て動揺している。
「理由を尋ねる。何故見つめている」
「うむ。まあ……何だね。俗な言い方をすると、冬木が生きているというのは良いものだと思っただけだ。昨日の悪夢が尾を引いているのかもしれんな、私も」
「……そう」
 その回答は、逆に返事をし辛くなった。妙な沈黙と、普段は出ないはずの奇怪な仲良しオーラが出ている錯覚に襲われる。とりあえず手元の掛蕎麦に手をつけ、一気に口元へと流し込んだ。
「……それにしても、面白くないな。佐山」
 話題転換を図るべきだと判断し、昼前のメールの話題を持ち出した。
「それは同感だな、冬木」
 私の指摘に、佐山は僅かに瞼を上げる。常日頃の何処か阿呆な顔つきをした佐山を見ると、何故か自然と落ち着く。先ほどのような厄介な表情は、正直言って慣れていない。
「……確かに、今起きている事は、興味深い現象ではある。が、やはり全く同じ一日がくり返されるのは面白味に欠ける。未来予知能力など本当は日々を怠惰に感じさせるだけの力なのかもしれん、そんな事すら思い浮かべてしまうな冬木」
「でも、そのおかげで死ななくて済むなら、私は有難いと思うけれど」
「まあ、それもそうだが……君なら分かるだろう? この私の微妙な心理が」
 鼻で笑い、佐山は行儀悪く割り箸を放り投げた。放物線を描き、見事にゴミ箱へと滑り込む。佐山は眉根をひそめ、また私の方へと目を向けた。輝きと不安の織り交じった虹彩。
「佐山の考えてる事なら、大体分かる。よく理由は分からないけれど、命は助かった。それはそれで当然の嬉しさがあるけれど、でもこの面白い謎を解明できない不満が残る。逆に夢と同じ事が今日も続けば、面白味は増すけれど私達の命が危険かもしれない。そういう不安。……佐山は一番どれが気がかり?」
「一体どれだと思うかね? 冬木。私が一番気にしているのは」
 問いかけてくる佐山の瞳に、光が宿る。
「それは、我侭な佐山の性格を考慮すれば簡単。答えは『全部』。違う?」
 私なりに相当の自信をもって答えた返事だった。が、佐山は軽く眉を上げて、
「残念。不正解」
「……もっと気になる事があるの」
「うむ。勿論全部気にはなるが、一つ飛びぬけて気がかりな事はある」
「何」
「昼休み中に当てられたら答えようか、冬木。当てられなければ、明日の昼食を奢ってもらう。どうする? 乗るか? 昼休み終了まで、あと二十分」
 時計を見つめながら、佐山がにたりと口元に笑みを作る。いつもの調子が戻ってきた。
「――勿論。私は佐山の思考を当てられないほど馬鹿ではない」
「言うな冬木。では当ててみるがいい。勿論、私は一切嘘はつかんぞ? ただしノーヒントだ」
 佐山の言葉を引き金に、食堂内の一角に妙なオーラが満ち溢れてゆく。脇を通り過ぎた学生が何故か背筋を引きつらせたが、私達はそんな事もお構いなしに相手の表情を睨みつけた。

           ○

 午後の授業も難なく終えた夕方過ぎ。時計が午後六時を指し示した頃、私は別館の四階にある生徒会室を後にした。とぼとぼと階段を降り、携帯電話を片手に時刻を見る。デジタル表示で六時三分を示す時計は、昨日私がバスに乗った時間よりも二時間以上早かった。
 携帯履歴を開き、馬鹿佐山のコールを鳴らす。履歴の大半が佐山からの電話と私の不在通知で埋められているのは、まあ気にしないでおく。
「佐山。裏門についた。これから帰宅する」
『うむ、よろしい。私は今しがた表門を出た。後は分かれて家に帰るのみだ。とりあえずはバスに気をつけることと、あとは――』
「大丈夫だ。お前に注意を受けるほど馬鹿ではない」
 気をつける点は大体分かる。バスの衝突による死が原因だという予知夢を見たなら、それに類する現象からは出来るだけ避ける事。例えば、乗用車。バイク。
 日常の中に、死へと繋がる要因というものは溢れている。道路上の交通事故などその最たるものであるが、他にも多々ある事だろう。それらの可能性を全て零にする事は不可能だが、限りなく零に近づける事は可能。日々、私達が注意は受けるものの実行していない安全確認が、それに当たる。普段何気なく見過ごしている危険性に対して、徹底的に対処する。
「佐山。お前こそ昨日と同じ表門だ。気をつけろ」
『問題ない。通常のバスの走行時間からは確実にずれているし、仮にバスが来ても逃げ道を確保する。冬木に心配されるほど、私は耄碌しているつもりは無いぞ?』
 佐山の阿呆みたいな笑い声が、電話越しに煩いほど聞こえてきた。余計な心配無用、という合図であると同時に、らしくもない私への気遣いが腹立たしい。
「私に心配かけないよう、などと言う配慮は要らない。自分の心配をしろ、佐山。それが私の不安を一番和らげる事になると自惚れておけ」
『ふん。君こそ口に出してまで私の心配などしなくて結構! ではまた明日会おう、冬木』
「……そうだな、佐山。また、明日」
 電話を切り、携帯をスカートのポケットへと滑り込ませた。梅雨時の晴れ間の下、鞄を背負って歩き出す。
 佐山と分かれた理由は、二人揃うと死因の重複する可能性が高くなると判断したからだった。
 私と佐山が並んでいれば、昨日のようにバス事故の一つで私達の命は途絶える。が、私と佐山が別れれば、少なくとも私と佐山が死ぬには事故が二重に起きる必要がある。しかも今日一日、普段より鋭敏に注意している私と佐山に対して、同時に。それが起きる可能性は、常時よりもなお零に近い。もしそれでも互いに何かしらの理由で今日、死に至ったとするなら。それは今日、私達が死ぬという定めか何かから逃れられない、という事の逆証明になる。
「……証明してどうする。馬鹿者」
 軽く自分を叱咤し、それにしても、と呟いて夕焼け時らしい茜色の空を見上げてみた。
 壱場町は、中途半端な町だ。丘の頂上近くにある征路高校からは、ガードレール越しに崖下へ広がる壱場町の様子が一望できる。古い瓦屋の家が並ぶ住宅街があるかと思えば、その対面にはマンションが密集した住宅街。駅の近くには、高さ二十一階建てにもなる巨大なタワービルも建っている。都市開発による新しさと古くから残る町並みをごちゃ混ぜにしたのが、この壱場町を示す特徴の一つだった。
 水平線の向こうに、輝く夕日の姿が見える。昨日と変わらず、一昨日からも変化する事無く、混濁した町並みを均一に赤く染めてゆく。
 そして私は――明日もまたこの夕日が見れるのだろう、とごく自然に信じていた。自分の死というものに対して、リアリティを感じ取れないからかもしれない。昨日の悪夢の中では、途中で記憶が途切れていたからよく分からない。
 ぶらぶらと歩き、それでも注意だけは払いながら坂道を降りていく。隣を通り過ぎる、車。ちらりと視線だけを背後に向けて、何事も無く歩き出す。道中、きちんと赤信号で止まり、車に対して細心の配慮を行ったお陰か。結局私は車に轢かれる事も、バイクに跳ね飛ばされる事も、突如木が倒れてくる事もなく道なりに進んでいけた。
 そうして家にたどり着いた頃。ポケットの中で、携帯が震えた。
『あー、もしもし。こちら佐山。戦況を報告せよ』
「……異常無し」
『ではこれより突撃する! 新高山に登りたまえ!』
「何の話だ馬鹿者。切るぞ」
『ま、待ちたまえ冬木』
 佐山は何か言いたげだったが、四の五の言わずに切ってやった。私の無事を確認しただけだろう。本当に用事があればもう一度電話が来るだろうし、理由が無ければそもそも今の電話もよこさない。普段以上にお節介な。
 携帯をポケットへと滑り込ませ、自宅の鍵を開ける。ドアを開き、食器棚が置かれたリビングへと視線を向け、
「――?」
 一瞬、視界の中に妙な違和感を覚えた。だがそれも、一瞬の間にふっと消えた。
 煤けた玄関と、障子で仕切られた古風な一軒家。手前には常日頃使う台所と食器棚が並んでおり、リビングを極端に狭くしている。障子の奥には居間があり、古びた絨毯の上には年中コタツテーブルが置いてあった。二人暮らし用にしては、少し大きめなテレビ。その居間に隣接したドアの奥が、私の私室。一応、ここは鍵が付いている。
 私は自分の部屋に入るなり、手早く私服に着替え鞄を放り出した。
 父の帰宅は毎日遅く、大体夜九時を過ぎる。よって朝食は父の仕事だが、夕食は私の職務。材料は昨日のうちに買っておいた――が、私にとっては昨日と同じ料理という事になってしまう。かといって、今から外を出歩くのも危険性を増す事になる。家で大人しくしているのが無難だろう、今日だけは。
 暫し悩んだ結果、結局昨日と同じものを作ろうと判断した。ただ本来今日の私は八時過ぎに帰ってくる予定だったため、時間が空いた。その間は適当な時間を漫画本などで潰し、やがて夜八時半を過ぎた頃。料理をすべく腰を上げて台所へと向かい、食器棚に手をかけた。
 その時だ。ガコン、と奇妙な音がしたのは。
 顔を上げると、黒光りする古びた電気釜が食器棚の上から私の顔目掛けて落ちてきた。どうしてこんなものが、こんな所にあるのか理解する暇も無く、重さ五キロ以上あるその電気釜は重力に従い私の頭目掛けて、














 ――第二章――


 という、夢を見た。
 ――では、どうやら済まないらしい。
 被っていた白地の羽毛布団をゆっくり下ろし、身体を起こす。確認するまでもなく寝巻き姿になっていた私は、隣に置かれた目覚まし時計へ視線を向けた。六時五十分。目覚めのベルを鳴らす事なく、机の上に鎮座している。
 身体に張り付いたパジャマを半ば苛立たしげに脱ぎ捨て、制服を一気に着込む。鏡を睨みつけると、いかにも不機嫌そうな顔が映っていた。太目の眉をちりりと吊り上げ、普段より五割増し程苛立った顔。
 六畳一間で仕切られた部屋の戸を開け、台所に立つ父目掛けて開口一番こう告げた。
「おはよう、お父さん。今日、何日?」
「……は?」
 ウィンナーを炒めていた父が、エプロン姿のまま怪訝そうに目を向ける。その視線を無視し、私はテレビの電源を投入した。
『六月二十三日、朝のニュースをお伝えします』
 テレビを切ろうかと思ったが、念のために確認した。
『速報です。つい先ほどM県内の高速道路で衝突事故が起きた模様です。この事故により乗用車の運転手、井坂智之さんが病院に運ばれましたが、間もなく死亡が確認されました。現在、高速道路は通行止め状態に――』
「朝からどうした、有紀」
「……別に」
「顔に書いてるぞ。今日の私はチョー不機嫌だって。嫌な夢でも見たのか?」
 半ば確信をつく言葉を口にする父は、昨日とも一昨日とも同じウィンナーと目玉焼きを並べていた。苛立たしげに食器棚の上の空白を見ていた私は、少しばかり申し訳なく溜息を吐く。不機嫌ではあっても、何も知らない父が悪い訳ではない。
「お父さん。うちって確か、古い電気釜あったよね。黒い奴」
「ん? よく知ってるな。押入れにあるぞ。昔、うちのお婆ちゃんがよく使ってた奴だから、捨てるのも何かなと思ってな。……それが、どうかしたか?」
「今日、使う予定とか無い? 食器棚に置く予定とか」
「有紀。予定も何も、あれもう使えないぞ。……どうした突然。歴史か家庭科の授業か?」
「いや、別に」
 学校というより、この世界で何かがあったのか。或いは私と佐山の身体や脳に、何かが起こっているのか。
「何も無い。……自分で何とかする」
「そうか。なら、困って行き詰ったらちゃんと話をしなさい」
 その父の言葉には、笑い話に出来る時が着たら話すとだけ答えておいた。父はただ小さく、おう、とだけ頷いた。
 信頼しているのだと思う。私が父に相談すべきか否かを判断するだけの能力を、私が有しているのだという事を。そして私が手におえないと判断したら、きちんと父に相談する事も。だから必要な時だけ、父は私の行動に口を挟む。
 とても、有難い。だけど今回だけは、相談しても仕方が無いかもしれない、とも思う。

           ○

 三回目の六月二十三日、木曜日。梅雨の中休みとも言える晴天に恵まれた日も、流石に三日続くと飽きてきた。それに疲労も溜まる。本来なら今日は土曜日に該当し、学生として羽を伸ばせる二日間が始まる筈なのに。木曜日から一向に一日が進まないお陰で、私は今日もまた同じ授業を受けるべく壱場坂を上っていた。学生鞄を背負い、早足で坂を登る姿には苛立ちが紛れているのか。一種の迫力となって周囲の生徒を避けさせている気がする。最も一日がくり返されると言うのなら、学校に行く必要は最初から無い。が、佐山と相談するのはそこが一番適切だというのも事実である。
「……居ないか」
 校門前にたどり着き、一人ごちる。アホ佐山の姿は、今日は校門前には見当たらなかった。そこには平凡な征路高校の一日があり、今日という退屈な、しかし今日何が起こるか知らない普通の生徒達がぞろぞろと蟻のように、楽しげに喋りながら登校している。
 教室に入っても昨日と同じ話題を耳にし、うんざりしながら鞄をかけた。面白くない。元から噂好きではない上に、話題が同じだと最早耳を傾ける気すら起こらない。
 そんな不機嫌さを隠そうともせず、黙ったまま座っているうちにホームルームが始まった。担任の先生が、相変わらず適当な口調で朝の呪文を唱えている。それを右から左に聞き流し完全無効化していると、不意にポーンと音が鳴った。
 学内全体への、放送が始まる合図の音。教室の中央上に取り付けられたスピーカーから、小さなノイズ音が聞こえてくる。
「ん……?」
 眉を上げ、先生が口を止めた時。雷のような大音量のボイスが響いてきた。
『早朝失礼する、生徒先生方諸君! 私は生徒会長、佐山哲! ご存知の方も多いと思うが一応自己紹介をさせて頂くことにする』
 ――あの、馬鹿。
 口元に浮かぶ笑みを堪えながら、額に手を当てて項垂れる。
『さて諸君。本日早朝、この放送室をお借りしたのは他でもない。実は、ある人物とコンタクトを取りたい思う私の熱烈な気持ちにより、この行動を取らせて頂いた。なお予め言っておくが、君達が噂している冬木有紀の事ではないぞ? いつでも会おうと思えば家に押しかけても良さそうな相手に対して、わざわざ全校放送などしても無いからな冬木よ!』
 教室内の視線が、全員一気にこちらを向いた。待て佐山。全校放送で私にそんな言葉を投げるなお前は。大体、今の発言には何の意味があるのか問いたい。その発言をする事自体がややこしい誤解を招く根本的原因になると気付いてないのか。或いはそれも作戦の内なのか。
 常日頃の私に対する仕返しかとまで疑った頃、佐山のさらなる狂言が続いてくる。
『おっと、本題から逸れてしまったな。さて、私が本当に用があるのはそう、君だ。私と冬木をこの奇妙な現象に巻き込んでいる、君。仮に、時の魔術師と呼ぶ事にさせてもらう。もし君が今、この学校内に居るのなら私の言葉の意味が分かるだろう? さあ、是非ともこの私に連絡をくれたまえ! もちろん、メールでも構わん。メールアドレスはSAYAMASUTEKI@〜〜だ。随時連絡募集中! なお余談だが私としては冬木――って、何をする畑山君! 離したまえ! いいではないか朝の放送ぐらいどうせ君らは明日になれば忘れてしまブッ』
 何か争いごとが起きたらしく、放送の最後は切れてしまった。どうやら放送室の無断借用を、誰かに取り押さえられたらしい。僅かに聞こえた畑山君、とはあの変態佐山のお目付け役とでも言うべき、彼の友達の名前のはずだ。
 えーと、と先生が微妙な仕切り直しを行い、何事も無かったかのようにホームルームが再開された。その言葉を再度聞き流し始めた私の横から、女子生徒がちょいちょいと突いてくる。振り向くまでもなく、背の低い童顔な顔が不思議そうに私を見つめていた。佐山にとっての畑山君のような存在。私の友人である、一川香織。その彼女が小さく、口を開く。
「……あのさあ、有紀ちゃん」
「何」
「あの佐山っていう人、変だよね。やっぱり……」
 全力で同意する。が、言外に『あんな人と付き合ってても大丈夫なの?』という心配をしてくれる所が彼女らしい。それとも同情だろうか。どちらにしても多分な誤解を交えているだけに、悲しい話だった。だからこうして、周囲から何とも言えぬ視線を受けるというのに。
 普段より早めに感じる予鈴を聞きながら、お昼に佐山へ何を喰らわせようか、と考え始める。エルボーか、アッパーか。難しい選択が脳裏を過ぎる。

           ○

「さて佐山。改めて聞くが、昼の放送は一体なんだ」
「冬木。……話を聞く前に突然エルボーアッパーコンビネーションを喰らわせるとは、一体どういう了解かね。まずその理由を述べたまえ!」
 お昼時。食堂へ行こうとしていた佐山を引っ張り出し、人気の無い屋上に連れ出した私は早速一撃を喰らわせた後にそう切り出した。
「誤解を招く発言を口にした。それが理由」
「何の事だか分からんな。そういう意図は無かったぞ?」
「貴方が意図していなかったとしても、放送の聞き手が素直にそう判断すると思うのか、佐山は」
「勿論、思わん!」
 やはり確信犯だったこいつにもう一撃喰らわせるべきか否か悩んだ末に、私は軽く深呼吸をくり返した。屋上を吹き抜ける風が、幾分気持ちを穏やかにさせてくれる。
 屋上には、私と佐山以外の人気は無い。ただ白地のコンクリートと私の背丈程度の鉄柵がある程度。転落防止のためか、屋上へと繋がるドアには常時鍵がかかっていた。
 勿論、本来なら私も佐山も屋上には入れない訳だが――佐山は生徒会長だから、という理由で学内のマスターキーを持っている。職員室から盗んで合鍵を作ったのではないかと疑っているのだが、佐山は口を割ろうとしない。もっとも、その合鍵のコピーを私も持っている訳だが。
「さて冬木。そろそろ本題に入りたいのだが如何かね。流石に同じ毎日を過ごしているのも面白味に欠けるからな! タダでさえ日々の高校生活など怠惰の極みだと言うのに」
「……それは私の台詞だ、佐山。時の魔術師とはいったい何だ。時間に関する何かが起きているという推察は可能だが、それを引き起こしている張本人たる人物がいると言うのか? この学校内に」
「――君はどう考えるかね? 冬木」
 問いただした私の前で、佐山が唇を吊り上げて笑みを浮かべた。屋上の鉄柵に腰をかけて座り込み、挑発するように見上げてくる。
 そう言われて、私は黙っている程心が広い人間ではない。誘いに乗った。
「……これは、私の推理だけど。最初に、今私と佐山に起きているこれは予知夢とは考えにくい。零ではないけど、夢として片付けるにはリアリティが伴いすぎる。加えて、死因も違うとなれば決定的だ。私一人なら脳の認識異状も疑えるが、佐山も同じとくれば違うと断定して構わないと思う。つまり今回の事は予知夢ではなく、六月二十三日という日をくり返しているのに近い状態だと考える。そしてこの繰り返し、俗に言うループは、私と佐山以外には起こっていない――この点より、本現象は私達特有のものだと考えられる。きっかけはおそらく、今日死ぬという事。他に要因があるかもしれないけれど、私の予想ではこれが最も大きな要因だと考えている。異論は?」
「無い。ちなみに私は昨日、アパートの階段を昇る途中で転んで死んだぞ冬木。全く、今どき頭をぶつけて死亡などサスペンス劇場ぐらいでしか使わんと言うのに。適当なものだな冬木!」
「なら、話を続ける」
 ちょっと詳しく話を聞いて欲しそうだった佐山をスルーし、言葉を続けた。
「ループ現象の発生原因だけど、これは現在不明としか言えない。死亡直後に体が今日へとワープしたのか、脳内の記憶が上書きされている、世界全体の時が戻っている、と幾つか適当に理由をつける事は出来るけれど、どれも根本的に不合理だし理由付けには意味が無い。……それと、このループ現象の内容。私や佐山が意図的に変化を起こさない限り、一日が変化する事は無い。また佐山も気づいただろうけど、ループの始まる朝の目覚め時刻は必ず等しい。これは目覚まし時計で確認した。同様に、死亡時刻もほぼ等しい――これは確認した訳では無いけれど、昨日、電気釜が落ちてきたのはバスの時刻とほぼ同じだったような気がする。これは後で確認すればいい」
「電気釜? そんな物を家の高い所に置いているのかね、君は」
 そこに食いつくか、お前は。
「違う。あれは意図的に私を殺害するためだけに置かれたものだった。普段は押入れにあるらしいし、既に壊れている物だ。私の父があれを取り出すとも思えない……が、しかし父が気まぐれで取り出し気まぐれで食器棚の上に置き、偶然にして私の頭に落ちてくる、という可能性は零ではない。つまり通常では極めて零に近い可能性であっても実現可能な事から――佐山が階段から落ちて死んだ事も含め、このループ内において死という現象から逃れる事は、今のところ不可能に近いのかもしれない。同時に、死に至る事がこのループ現象に入る理由だからか――とりあえず、そんな所」
 私もまた佐山の隣に座り込み、距離を開けて空を見上げた。今日もまた、いつもと同じ晴天日和。雲ひとつなく太陽が燦々と照りつけ、温かく湿った空気が屋上を抜けていく。
「冬木。ループ現象、と俗に呼ばれているものに幾つかパターンがあるのを知っているかね」
 あぐらを作り、肘を足について考え込む佐山の口から、ぽつりとそんな言葉が漏れた。
「……流石に、知らない。SF小説なら読むけれど」
「一概にループと言っても、実際には幾つか種類がある。まず回数固定タイプ、とも言われるループ回数が決まったもの。スーパーマリオで言う残りプレイヤー数のようなものか? 一定回数の間だけループを繰り返し、それが終わると抜けられるもの。二つ目、原因未解消タイプとも言われる、何かしらの原因があってループが永遠と続いているもの。三番目、無限回廊タイプと言われる、理由も無くループがくり返されていくもの。死ぬまで続くテトリスみたいなものか。そして私はこのうち、現状では二番が該当するのではないかと考えている」
「――根拠は」
「それはもう一つの説を話してから説明しよう、冬木。……君は確か、朝のニュースを見るタイプだったな?」
「日付確認の意味も込めて、見た」
「なら話は早い。大抵の番組でやっていたのだが、実は今日……というか、三度目の六月二十三日だが。M県で事故があったな。高速道路の事故速報。確か、死者が出たそうだ。一度目も、二度目も、三度目も。さてここで気になるのだが、その事故で亡くなった人は、果たしてこのループ現象に気付いていたか? 入っていたか?」
「……否」
 佐山の質問の意図に気付き、私は軽く首を振った。にっと笑みを作り、佐山が笑う。
「その通り。仮にループに入っていたとすれば、彼が常人であるなら我々と同じく何かしら死に対する回避手段を考え、その結果としてニュース報道される死亡要因も変化したはず。私が階段から落ち、冬木が電気釜直撃という阿呆な死に方をしたのと同様にな。加えてもしこのループ現象が世界中で起きているとするならば、そろそろ何かしらのリアクションがあってもおかしくない。英国、米国、中国、中東――日本だけでも、冬木有紀という変人がいるぐらいだ。本現象について私が学校で学内放送を流したように、全世界に向けて何かしらのメッセージを送っている人がいるかもしれん。そもそも全世界の死者に同じ事が適用されていれば、もっと何かレスポンスがあるだろう」
 微妙に私の事をけなしているのは、先ほどのエルボーコンビネーションに対する反撃だろうか。何となくそんな事を考えながら、佐山の持論に再び耳を傾ける。
「さて冬木。この事より世界全国はおろか、お隣とも言えるM県で起きた死亡事故すらループに入っていないのが現状だと考えられる。となると本現象はある程度の範囲内で発生しているか、我々固有の現象となる。その範囲が何で決められているかは知らないが、現状においては私と冬木しかその範囲内に入っていない。或いは」
「……或いは?」
 一拍置いた佐山に、私がオウム返しで尋ねてやると。その言葉を待っていたと言わんばかりに、佐山は大仰に口を開いた。
「入っている事を、隠している。この事件の張本人がいるとすれば、の話だがな」
「それが、時の魔術師と名指しした相手の事か」
「その通り! さあ、こうなると後は犯人探しとなる訳だ。どうだね冬木、そうなると話が面白くなるだろう?」
「……確かに、それだと面白い話にはなるけれど。でも」
 今の理論には、破綻があまりにも多すぎる――そう告げようと思って、止めた。
「ここは逆転の発想。そう考えるべきなのだよ冬木」
 佐山が笑っている。その言葉より意図を理解せよ、という無言の意味を込めた瞳。その意味を暫しの間考えてから、私は静かに頷いてみせた。
「……随分と強引な発想だな、佐山」
 呟いて、鼻で笑った。
 佐山の今の理論には、極度の飛躍がある。時の魔術師と勝手に命名した、このループ現象を引き起こした張本人がいると最初から結論付けた、トップダウン的な思考手順。正直に言えば、そんなものは実在しない可能性の方が極めて高い。おそらく佐山もそう考えている。人為レベルで、この事象が起こされているとは思えない。
 ――ではどうして、佐山は時の魔術師、人為的という結論を持ってきたのか?
 理由は単純明快、そうでなければ、私や佐山に解決手段は無いから。
 ループの話に戻る。仮にこのループが固定回数タイプだとしても、無限回廊タイプだとしても、そもそも私達にそれを確認する術は今の所、無い。そして仮に無限回廊タイプであったとすれば、それが証明できた所で解決方法は無い。解決方法があるという事は、イコール原因未解消ループに当たる。何れにせよ、原因が存在しなければ私達に出来る事は何も無く。よって、原因が無いという前提を考える事は無意味なのだ。どうしようもない事をどうにかしよう、と考えているのと同じ、それは無為な努力。なら最初から、このループ現象に原因があったと仮定すべき。それが佐山の発想だ。
 そして同時に、このループ現象が超自然現象的なものの一つだとすれば、同様に私達には解決する方法が全く無い。台風の発生を止める事が出来ないのと同様、手出しが出来ないのだ。最初から対処法が絶対に立てられないものに対して、考える必要は無い。
 そうやって、本現象を私達の解決できる範囲内で絞り込んでいったとすると――佐山の話にたどり着く。このループ現象には原因があり、私達がそれを解決できる状況下にある、という仮初の前提を置き。次に何をしたらいいのかを考えると。
 佐山の説明は、何一つとして時の魔術師なる人物が存在する証明にはなっていない。しかし同時に、私達がこのループから抜け出す可能性が僅かにでもあるとしたら。本現象が人為的に起こされ、その人為的な理由が近くに存在するかもしれない、と考えるのが一番。
 ついでに、言えば。隣の県でこの現象が起きていない事から鑑みるに、このループ現象は私達特有、或いは私達の身近のみに起きている可能性――つまり、私達の身近に誰かがいる可能性も、低確率ながら考えられる。
「……時の魔術師、ね」
 上手い比喩を考えたものだ、と佐山の事を珍しく褒めてみる。そういう人物がもし仮に居たとすれば、確かに面白い想像は出来る。人知を越えた存在が、実はこの日常の中、死のループという中にこっそりと紛れ込んでいた。不思議極まりない物語。
 そして仮に、時の魔術師なる存在がそもそも居なかったとしたら。その時は、また別の方法を思案すればいいだけの話。これが神様の悪戯、手のひらの上のゲームであるなら、最初から私達に勝ち目は無い。
 そして、もう一つ。
「分かった。……ただ一つ、訂正を加えておく。佐山」
「何だね」
 今の佐山の言動に、修正をかけるのなら。本現象は人為的なものである、ではなく。人為的に起こされた可能性に期待する、が正しい表現だ。しかし佐山がそう言わなかった理由は一つ。もしかしたら、このループが永遠と続くかもしれないという不安を私に示さないため。
 つまり私へのお節介。そんな建前は、予め弾いておく。
「佐山の理論が、極めて望みの薄い希望的観測の上に成り立っている事。それだけは、付け加えておく。私への配慮は必要ない」
「ふむ。別に、配慮などした覚えは無いがな、冬木」
 と言いつつ佐山はそっぽを向いてしまった。図星だと指摘する必要はまあ、無いだろう。
 ひとしきり語り終えて満足したのか、佐山はふぅ、と大きく息を吐いて背伸びをした。
「さて冬木。そろそろ私はお腹がすいたのだが、昼飯はまだかね」
「……昼? 何の話だ」
「何、とは何かね冬木。昨日の話だ。まさか忘れたとは言わせんぞ? 君は私の思考ぐらい当ててみせると言い切って、結局不正解だったのだからな。お昼は奢ってもらおうか」
 そういえば、そうだった。余計なことだけは覚えている。
 昨日の昼、私は結局佐山の思考を当てる事が出来なかった。この阿呆の脳内ぐらい簡単に読めると思ったのだが、私の読みが甘かったのか。或いは佐山の思考が、私にも理解し難いほど極端な方面へと走っていたか。何れにせよ、私は勝負に負けたのだ。
 別の意味でキラキラと目を輝かせる佐山に対し、私はゆっくりと返事をする。
「……そうだな、佐山。昼は奢る。勝負事だから、負けたらきちんと支払おう」
「では是非とも掛蕎麦以外をご希望したいが、このささやかなる佐山哲の希望を叶えてくれるかね冬木!」
「勿論」
 と答えてから、ついでに付け加えてやった。
「……六月二十三日の、約束通り。明日、奢ってあげる。六月二十四日になったらね」
 さて。私が佐山に昼食を奢るのは、一体何時になる事か。
 隣で佐山が何か異論があると喚き散らしているが、その全てを無視して私は屋上を後にした。

 余談になるが。一日がループしているのなら、例え今日幾らお金を使おうと明日になったら戻っている。即ち今日奢ってもらった所で全く意味が無いはずなのだけど、どうして佐山はその事に気がつかないのか。貧乏性ゆえか、全くもって疑問である。
 ――もっとも。今日おごった所で意味が無いから、明日奢ると言っているのだけど。











 ――間幕 1――


 四度目の、六月二十三日。
 早朝、八時五分。佐山の元に、一通のメールが届いた。


〔宛先  SAYAMASUTEKI@――〕
〔差出人  TOKINO―MAJYUTUSHI@――〕
〔題名  時の魔術師〕
〔本文       〕


 本文が空白の、一通のメールが受診された。
 空白の本文を見つめ、佐山哲は考え込み。やがて満面の笑みを見せた。
 そして即座に携帯を開き、冬木有紀への短縮ダイヤルボタンを押した。



 それから、彼らの感覚で例える一週間が過ぎた。















 ――プロローグ・B――


 この時計を、お守りとして持ってなさい。
 そして毎日、この左のボタンを押しなさい。
「何でー?」
 それはね。お守りだからだよ、亜由美。
 亜由美にとって大切な人に、万が一の事があったら。きっとそのお守りが役に立つ。お婆ちゃんも昔、お爺ちゃんにそのお守りで助けてもらった事があるからね。
 ――人を信じること。忘れてはいけませんよ、亜由美。



 私が祖母から、そのお守りを貰ったのは。もう十年以上も昔の事でした。
 おそらく、ですが。当時の祖母は自分の死期が近い事を知っていたのだと思います。私がそのお守りを貰った数日後。祖母は、ふっと消えるように息を引き取ってしまったからです。
 それまでの、ほんの短い数日間。祖母は私に渡したお守りの事に何度も触れ、その度にこう教えてくれました。
 亜由美が誰かを信じていたら、このお守りは亜由美の大切な人を守ってくれるから、と。
 祖母がどうして、その台詞をくり返したのか。その話をする時に限って、どうして遠い目をしていたのか。当時、人の話を疑うという事を知らなかった私には、その理由が分かりませんでした。何故なら、祖母は私の両親以上に信じられる人だったから。そして、人を信じる事なんてごく当たり前の、普通の事だと思っていたからです。
 だから、私は平気で言ってしまいました。
 大丈夫だよー、と。
 祖母は私の言葉に、そっと微笑んで。
 そう、と告げたその二日後に、ふっと息を引き取りました。


 私の両親と、その親戚に当たる可哀想な大人達は。祖母の写真を前にして、やがて大きな喧嘩を始めました。
 当時の私には、その理由がよく分かりませんでした。人を信じる事を、決して忘れてはいけません、と。私の前で何度もくり返した祖母の、お墓の前で言い争う大人達。口々に“遺産”という言葉を投げあい、相続権だとか難しい言葉で喧嘩をしているその理由が、私には全く分かりませんでした。
 ただ一つ、分かったのは。この人達は、お婆ちゃんの話を全然聞いていなかったのだろう、という事ぐらい。
 祖母はきっと、自分が死んだらこうなる事を知っていたのだと思います。
 だから私に、丁寧に何度も同じ言葉をくり返したのだろう、と思います。

 可哀想な大人達は、そのうち可哀想な裁判を始めました。そして遺産というものの相続権が、私の親に関わった以上。その子供であった私にも、自然と可哀想な大人達の囁きが聞こえてきました。あいつが居なければいいのに。煩い。寄越せ。
 子供だった頃の私の前で、それは長い間、続きました。裁判やお金のこと。何も知らない子供の前だと侮ったのか、大人達は私の前でも平気で高慢だの死ねだの、子供よりも低レベルな会話を馬鹿の一つ覚えのように繰り返し言いました。ずっと。
 可哀想な大人達。
 今なら、ほんの少しは分かるけど。それでも可哀想な大人達。
 でも当時、まだ正しい思考を持っていなかった私は。そんな可哀想な大人達に振り回された挙句、実に遺憾ながら、その可哀想な大人たちと同じような高校生に育ってしまいました。
 祖母には申し訳なく思います。けれど、祖母という大切な人を失った私の周りには、残念ながら信頼という言葉とは程遠い生き物しか残っていなかったのです。
 それが理由であり原因だと、思います。



 その代わり、になるのか分かりませんが。もう一つの約束は今でも必ず守っています。
 毎日、お守りとしてもらった時計に付いた、左のスイッチを毎日押す。
 ほんの時々、忘れてしまう事はありましたけれど。それだけは、例え両親が血眼になって兄弟と言い争いをしていても、大人の叔父さんに、お父さん死ねと言われても。
 約束だけは、守り通そうと思ったのです。
 その意味も知らず。ただ頑なにそれだけは守ろうと、意固地になっていたのかもしれません。

 そうして私、一之瀬亜由美は。十年以上の歳月を一人で生き延び。やがて両親の見栄えがとてもいい、真面目で大人しく優秀な、マリオネットのような高校生へと育ちました。














 ――第三章――


 征路高校は私、一之瀬亜由美にとって普通の高校です。中学と左程大きな違いも無い、強いて言うなら自由度と規模が大きくなった、そんな感じのする高校。もしかしたら、公立高校の普通科とは何処もそんなものなのかもしれません。
 そんな学校の、教室の片隅。校舎の三階にある二年生の教室から、ぼんやり外を眺めていると。今日もまた雲ひとつ無い晴天日和の下、昨日と同じように校門前を人が流れてくる様子が伺えます。朝の登校が始まるまでの、ちょっとしたひととき。
 腕時計に視線を落とすと、八時十五分を示していました。あと十五秒で、八時十五分十五秒。
 私は窓の外から、窓ガラスへと視線を移しました。僅かに曇った窓に映るのは、両の髪をおさげに垂らした私の丸顔。童顔と言われるくらい幼げな顔立ちと百五十程度の身長のせいか、中学生に間違われる事が時々あります。それ以外はまあ、可愛いといった評価がぼちぼち。
 十五秒が経ちました。ガラス越しに、男子生徒の榊君が写ります。物憂げに外を見つめる私を見つけ、おや、という顔をします。
 それから、優しい榊君はこう尋ねてくるのです。『おはよう、一之瀬。どした? 朝から悲しそうな顔して』と。
 それに私は答える予定です。『ん……ちょっと、考え事』と。
「おはよう、一之瀬。……どした? 悲しそーな顔して」
「ん。ちょっと、考え事」
 まさか次の台詞を考えていた、などと榊君は夢にも思わないでしょうから、多分私なりの悩み事を抱えていると推察します。だから次の台詞は八時十五分四十秒『なんかあるなら話せよ、一之瀬』という形に行き着きます。
「なんかあるなら話せよ、一之瀬」
「ん……そだね。そうする。でも大丈夫だから」
 そう答えると、榊君はそっかとだけ答えて自分の席につきました。彼は極端なお節介焼きでなく、大雑把な性格ですがピンポイントで声をかけてくれる。そういう気遣いが出来る、優しい人です。流石に十回近く同じ台詞を聞くと多少、飽きてはきますけれども。
 私は腕時計に視線を落とし、八時二十五分十秒までぼんやり窓の外を見つめ。遅刻寸前で走ってくる生徒のうち十二人目までを確認した後、丁度教室に入ってきた先生に目を向けます。
「起立。礼!」
 委員長の挨拶と共に、お早うございますと告げ。朝のホームルームの始まりです。それが終われば、一時間目の授業が始まるまでのフリータイム。僅かな時間を縫って行われる周囲の談笑へと耳を傾けながら、私は教科書を取り出し、一時間目の授業を待ちました。
 ここはまた、榊君が声をかけてくるタイミング。中身は次の、古典の授業の宿題に関する問い合わせ。朝方に挨拶した時、一緒に聞いてくればいいと思うのですが、榊君は何故かこの合間に声をかけてきます。今日が偶然、そういう日だったのかもしれません。
「……あのさ、一之瀬。頼みがあるんだけど」
「え?」
 質問の内容は知っていても、もちろん古典の宿題をいきなり渡したりは致しません。いかにも、今しがた突然呼ばれて驚いたような素振りを見せながら振り向きます。おさげの髪を少し揺らし、眉根を上げて、どうしたのと聞き返します。
「悪いけど、今日の古典の宿題、写していいか?」
「ん……うん。いいよ。宿題、忘れたの?」
「っていうか、やる気が無いって言うか。古典って全然分かんねえし」
 素直なのは良い事だと思います。私なんかより、とてもお茶目で可愛らしい。女子に密かな人気があると噂されているのは、この辺りが理由なのかもしれません。榊君はこう、微妙に女性の保護欲を掻き立てられるといいますか。
 解答を書き込んだプリントを渡し、悪いな一之瀬と礼を言われて。解答を必死で写す榊君を横目で微笑ましく見つめながら。あとは一時間目の授業開始を、
「あ、そういえばさ一之瀬」
 予測外の台詞に、どくりと心臓が高鳴りました。
 昨日は無かった台詞。一昨日も無かった台詞。一昨昨日もありません。何を、ミスした?
 今日始めて聞くその台詞に、思考が一瞬麻痺状態に陥ります。
「そ、そんなに驚かなくてもいいだろ、一之瀬。ぼーっとしてんのか?」
「へ? え……あ、ごめん。で、何だっけ」
「これ、何か届けてくれって言われてお前宛てに来てたぞ」
 古典のプリントを右手で書き写しながら、榊君は器用にポケットから封筒を取り出しました。中には手紙らしきものが見えますが、心当たりはありません。
 封を切り、手紙を取り出します。差出人は女性なのか、妙に可愛らしいピンク色の便箋には冒頭部にこう書かれていました。

『全略、時の魔術師様』

 それだけでした。本文は空白のまま。最後に『謹白』と、笑いを効かせたつもりなのか何なのか。丁寧な文字でそう綴られていました。差出人、佐山哲。
 見事な冗談返しに、私は思わずくしゃりと手の中で手紙を握りつぶしました。同じ机の上でプリントを移す榊君が、私を見て目を丸くします。
「……やっぱ何かあったか、一之瀬」
「何でもない。ちょっと」
 答える顔が強張っている事を自覚しながら、私は一時間目の古文の授業を受ける事になりました。
 この授業中、私が当てられる事はありません。次を考える時間は、幾らでもある。
 スカートの中のポケットに手を入れて、私はお守りを強く握り締めました。

           ○

 昨日と変わりない四時間目の授業が終わり、昼休みが始まります。とはいえ、私の四時間目は体育の授業。少々遅れ気味に授業から戻り、私が制服に着替えて教室へと戻った頃。そろそろ仕掛けてくるだろうと思案していた私の前に、その予想通り。いえ、予想以上の大パフォーマンスで彼らは廊下の前に佇んでおりました。
「ハロー、エブリバディ! 一之瀬亜由美さん」
 廊下で大声を上げないでください、と忠告すべきかほんの少し迷いました。両手を挙げ、大歓迎するかの如く大仰な仕草を見せる男。周囲の視線が極端に集まるような行動は、私にとっては大の苦手です。と言ってもおそらく、聞いていただける相手では無いでしょう。佐山哲、その変質的行動は学内中に知れ渡っている事ですから。
「あ、あの……」
 そして私は、あくまで奇妙な手紙を受け取った普通の女子高生を装います。このような変態を相手にしては、いけません。私は今、突然の事態に困惑し戸惑っている。おろおろしてる。
「何か、御用でしょうか」
 佐山さんは私の言動に、ほう、と感心したように頷きました。私よりも三十センチは高い身長から見下ろしてくる視線は、不敵な自信すら伺えます。突き出た顎と、その口元には嘲笑の笑み。完全に悪役キャラですが、自覚症状があるのかどうか。
「成程、まずはしらばっくれると来たかね、時の魔術師。ま、懸命なる判断だな。最初から私が時の魔術師です、なんて名乗られてはこちらとしても面白くない。なあ、冬木?」
「……それはお前の趣向の問題だ、佐山。私を一緒にするな」
 その佐山さんの後ろに隠れるように、私よりも小柄な女子が佇んでいました。腕を組み、佐山さん以上に敵対心を露にしている女子生徒。狼のような眼光の少女、佐山哲を戒められる唯一の調教師、と言えば噂に聞く生徒会書記、冬木有紀さんだと思います。つまる所、二人揃って有名人な訳ですが。
「あの。何ですか、その時の魔術師って……変な手紙まで送って」
「それは君が一番よく知っていると思うが如何かな?」
 はいそうです、と答えるほど私が馬鹿ではない事ぐらい承知している事でしょう。でも、彼は会話自体楽しんでいる節が伺えます。調子に乗らせると、喋りまくるタイプのようです。
「と言ってもまあ、簡単に口を割るとは思えんか。ではまず、君がどうして時の魔術師であるかという決定的証拠を突きつけてから話を進めたいと思うが如何かな?」
「あの……意味がよく分からないんですけれど」
 私があくまで惚けたふりを続けていると、彼は幼い少年のように目を輝かせながら、嬉しそうに頷きました。本当に、子供みたいな人。
「ふむ。ではまあ、最初はそういう事にしておこう。実はだな一之瀬さん。我々が今現在巻き込まれている状況について、君が関係している可能性が浮上した。まあ、事情は少々複雑を極める故、是非とも暫しゆっくりお話したいのだが」
「……はぁ」
「どうだろう。まあ、こんな日もあったのかなぁ、という気分で構わない。ちょいと付き合ってくれんかね? なに、お昼をご一緒するのだと思ってくれればそれで十分だ。昼飯代は出せぬが」
「まあ……その。大丈夫、ですけど」
 おそらく了承の返事以外は拒否するだろうと思いながらも、私は頷いてみせました。
 まあ、いつかは私の方からもコンタクトを取る必要がありました。時期が少々、早くなっただけの話。
 ただ。どうして今まで縁もゆかりも無かった彼らが、私に目をつけたのか――それが少々、気になる所。

           ○

「はて、一之瀬ふん。わはひほひへはへぶっ」
「喰いながら喋るな、佐山。この前も注意したはずだが」
 掛蕎麦を啜りながら突如喋りだした佐山さんに対し、即座に冬木さんの肘鉄が入りました。蕎麦を口元まで吐き出しかけ悶絶する佐山さんの隣で、冬木さんは黙々とカレーを平らげていきます。この二人の人間関係については色々と言われていますが、今一つ分かりません。
「し、食事中にわき腹エルボーを喰らわすのもどうかと思うがな、冬木」
「行儀が悪いからだ。お前はマナーや躾がなってない」
「食事はルールに従わず、美味しく食べてこそ一番ではないのかね冬木!」
「……その意見には同意する。が、隣で食事をしている私が不愉快なのは許しがたい」
 夫婦漫才、という言葉がようやく私の頭に思い浮かんだ頃。佐山さんは気を取り直したのか、軽く喉を鳴らして私の瞳を覗きこみました。
 ――ふざけた顔をしているのに。何故か、奥深く私の心の根まで見透かしそうな視線。私の根幹を揺さぶるような瞳に一瞬、何かがぐらりと傾きます。悪寒、でしょうか。
「さて、一之瀬さん。改めてお話に入らせて頂こう。実はここだけの話なのだが、私と冬木は今しがたループ現象に巻き込まれている。一日が何度もくり返す、という不可思議な現象だな」
「……はぁ?」
「そして君も、そのループ現象に巻き込まれている。違うかね?」
「随分、唐突なお話ですね。SF映画か何かですか?」
「最初から君のまともな返事は期待していないので、今の発現はスルーする。さて、本ループ現象において、我々は既に幾つかの特徴を見出した。その特徴を今ここで列挙する事は控えるが――一つ、こんな要素がある。ループ状態に入っている我々以外は、この六月二十三日という一日を変化無く同じように過ごす、という事。それには一分、いや一秒の狂いも無い。例えば君がもし同等のループ現象に入っているのだとすれば、誰が何分何秒にどういう話を持ち出してくるか分かるだろう? そういう意味だ。原因は不明だが、この六月二十三日という世界は現在、寸分の狂いもなく同じ時刻を同じように刻んでいる。もちろん、その現象の観測者は我々二人しかいないため、我々がおかしければ前提が崩れるとも言えるが、それはこの際置いておく。そして、この一分一秒の狂いも無い状態が変化するのは、私や冬木が動いた時のみ。さて」
 と、そこで佐山さんは掛蕎麦を一気に口の中へと掻き込んで。器を大げさに置き、ふぅと満足げに息を吐きました。
「実は私と冬木はこの一週間、と言ってもループ内における一週間の事だが。その間……君は知らないだろうが、ずっと校門前を監視していた」
 私は彼に気付かれないよう、ぴんと眉を上げました。あの馬鹿げた全校放送が流れてから、全く動きが無いと思っていたら――
「まあ、正確に言えば校門前だけでなく、このお昼時の食堂、あるいは教室内、あらゆる場面において観察を続けてみた。すると、ここで一つ面白い事象が浮かび上がった。といっても気づいたのは実は冬木なのだが……校門に登校する生徒の中に一人だけ、ほんの僅かだが登校時間が毎日ずれている人がいた。――それが君だ」
 私があくまで意味の通じないフリをしていると、佐山さんは両肘を机について、行儀悪く身体を乗り出してきました。
「このループした世界において、我々が関わらない限り、世界は一秒の狂いもなく同じように動いている。その中でもし行動の変化する存在が居たとすれば、それはこのループ現象から外れている人間だという事。という事で私と冬木は校門前や至る所を監視し、やがて君の行動に違和感を抱いた。まあ、そこまで至るのに五日間もかかってしまった訳だが。……その後は君だけを徹底的にマークした。すると、だ。君は毎日同じ行動を同じように行っているにも関わらず、行動の間に僅かなタイムラグが存在している事に気がついた。その事から私は、君が何かしらの形でこの現象に関わっていると確信した。以上がまず、君がこのループに巻き込まれているという証明。その点はほぼ間違いない、と見積もっている」
 佐山さんの長い説明がはったりなのか、確信か。私には今一つ判断出来ませんでした。
 私の登校時間は、確かにループに入っている以上は微妙な誤差があったでしょう。私は機械では無いから、ループ状態を幾ら真似るにしても限界があります。しかし細心の注意は払った筈。そのたった数秒の差を、彼らは一週間の間に見抜いたのか。それとも妙な気配がするから、まだカマをかけている段階なのか。
「だがここで、私は更なる疑問にぶち当たった。まず君がループから外れている、と仮定する。しかし実際にその事に私と冬木が感付き、我々が君を注意深く観察すると、だ。君は実に、普通にループしていない人間を真似て、あたかも自分もループしていないかのように装っていた。これは我々の発見を遅くした最大の理由にして、最大の疑問」
 先ほどの答えは、前者のようです。私がループに入っていると、彼らは既に確信している。だから私の前に姿を見せた。
 数秒単位の誤差など、常人には見抜けないと思った私のミス。加えて、佐山哲という変人の常人離れした観察力と考察力が、一之瀬亜由美にたどり着いた。
 危険です。この人は馬鹿に見えて、危ない。今はまず聞きに徹するべき。佐山哲というこの男が、一体どこまで事態を把握しているのかを見極める必要がある。
「さて、一之瀬さん。顔が青いが大丈夫かね?」
 ポーカーフェイスは得意です。そんなカマには引っかかりません。表情を変えない、常に笑い続ける事ぐらいは子供の頃からやってきた事。
「とりあえず話を続けよう。ループから外れている人間が、まるでループ状態に入っているかのように振舞っている。この点に私は注目した。君のそのループ状態を装った姿勢は、では一体何のために行ったのか? 次の日になれば、みんな今日の事など忘れてしまう。対面を保つ必要は全く無い。それに本来、このような奇怪なループ現象に入れば常人なら困惑する。そりゃあもう、私も冬木も実に驚いたものだ」
「……そうなんですか?」
「うむ。それは実に驚いたものだ。なぁ、冬木?」
 問いかけるように佐山さんが隣に流し目を送ると、冬木さんが小声で一言。
「確かに。私も脳の異状認識を疑った。佐山はもとよりトチ狂っている面もあるが、正常な私まで汚染されたのでは無いかと不安に陥ったものだ」
「一言多い気がするが気のせいかね冬木」
「話を続けろ、佐山」
 佐山さんが微妙に不愉快そうなのは、私の気のせいではないと思います。案外仲がいいのか、悪いのか。
「……少々不服だが、話を続ける。さて、このループに入った常人なら、まず誰でも我が身に起こったことに驚くだろう。にも関わらず君はループ現象など本当に知らなかったかのように動いていた。事実この一週間、本当に判断に悩んだものだ。君がループから外れているのかどうか。あまりにも変化が無くてな。だがしかし、君がそういう行動に走る理由を考えれば納得できた。君は単純に、我々に自分の存在を知られたくなかった。その理由は、君が時の魔術師だから」
「……随分、凄い展開ですね。なんだか強引な気もします」
 私の言動に、佐山さんが太い眉を上げました。本性が僅かに滲んだ私の言葉の節々に反応したのだとすると、それだけで優れた洞察力だと認める他ありません。
「そして君が時の魔術師だと考えると、全ての事象が一致する。このループ現象に巻き込まれても戸惑わなかった理由。我々に気付かれないために、あえて日々同じような行動を取っていた理由。そしておそらく、密かに我々の事も観察していたのかもしれん。この辺は憶測だが」
 正解です。知られないよう、私だって動いていました。まさか、彼らに先手を取られるとは思いもしませんでしたけれど。
 さて。私はどう動けば理想的でしょうか。彼らを上手く諭す事は不可能でも、この場を切り抜ける方法ぐらいはあるはず。多弁に語る佐山さんと、その隣で私の表情を凝視している冬木さん、その二人を相手に切り抜ける方法。そう、例えば。
「ここまでで何か反論はあるかね? 時の魔術師、一之瀬さん」
「……あの」
「何だね?」
「――実は、その通りです」
「……ん?」
「私、佐山さんの言う通り、毎日同じ日をループしてるんです。今まで黙っていて、すいませんでした。でも私、その、放送で流してた時の魔術師とかいう人ではないんです。……本当は、私も困ってて……同じように毎日、同じ時間に事故にあって……それから、また朝が始まるんです」
 ループに入っていた事は、時間証明でほぼ確定されました。でも佐山さんが時の魔術師だと私を断定した根拠は、私がループに入っていた事を黙っていたから。その一点のみが証拠です。
 例え強引にでも、そこに理由付けをして、潰せれば。
「ふむ――そう来たか。では今まで何故、黙っていたのかね?」
「……誰に相談していいか、よく分からなかったんです」
「私が全校放送をしたのは聞いているだろう? それで君なら気付いたはずだ。相談する相手なら私が居たではないか」
「それは、その。佐山さんって、あの……変人だって聞いてたから、ちょっと怖くて」
 臆病な素振りを見せて答えると、隣に座る冬木さんが小声で笑いました。小さく、それは多少納得できる理由だな、と。
「ふむ。あまり納得のいく理由では無いな、それは」
「……私、凄く引っ込み思案な方なんです。だからその、佐山さんも信用していいかどうか分からなくて。最初、ループの事もうまくお話できなくて。すいませんでした」
「なるほど」
 納得したように頷く佐山さんの顔には、お前が時の魔術師に間違いないという視線が含まれていました。勿論、納得してもらえたとは思えません。
 ですが今は、私が百パーセント時の魔術師であるという事を証明できなければ構わない。例え僅かであっても、私が時の魔術師でない、という可能性が残っていれば。私がどんなにしらばくれていても、彼がそれ以上追求できる術は無い。
 そして、頭の回転が速い彼なら、無駄な追求はしてこない。出来ることなら追求してもらって、彼ら自身にボロを出して欲しいと思うのだけれど。
「よし、分かった。確かに君が時の魔術師である、という結論は早計だったな。撤回しよう。考えてみれば、君以外にも時間軸のずれた人間がいるかもしれん。或いは我々とはまた別に、時の魔術師が存在している可能性とて大いに訳だからな。……だが、一応同じループに入っている者としては今後とも是非強力をお願いしたい。その点については如何かな?」
「……それは、構いませんけれど。私に出来る事があるかどうか」
 この辺りが妥協点。そう思ったのは多分、私も佐山さんも同じだと思います。
「ま、そのあたりは追々詰めていくとしよう。昼もそろそろ、終わるようだしな」
 佐山さんが、食堂にある時計を見上げて答えました。腕時計は、十二時五十分を示しています。確かに、そろそろ終わり時。そろそろ。
 最後に一つ、重要な事を尋ねてみました。
「あの、佐山さん」
「ん? 何だね」
「佐山さんはどうして、このループに入ったのか原因が分かりますか? ……私は気がついたら、このループの中に居たので……」
「ふむ。原因か。そうだな、そもそもの発端は」
 佐山さんが思い返すように、十日ほど前の事を語ろうとした時でした。
「佐山」
 今まで黙していた冬木さんが、不意に佐山さんを呼びました。先ほどまで私の様子を事細かに見ていた視線が、今度は猫のように彼を威嚇します。
「ん? 何だね冬木――」
 佐山さんが振り返ると。その先にあるのは、冬木さんの刃のように研ぎ澄まされた視線。その彼女の瞳に、惹かれるように。ふむ、と佐山さんは呟き口を閉ざしてしまいました。まるで二人の間の意思疎通は、アイコンタクトで十分繋がるとでも言わんばかりに。
「悪いな、一之瀬さん。どうも冬木はその時の事を思い出したくないそうだ」
 嘘だ。
 言いたくないのではなく、佐山さんに言わないよう、冬木さんが無言の圧力を加えた。それは、私に知られてはならない事だと判断したから。私がその情報こそを知りたいと、一瞬の間に見抜いたから。
「……分かりました」
 内心で舌打ちをし、そう答えました。
 予鈴が響き、食堂に残っていた生徒達がいそいそと引き上げ始めました。億劫な五時間目の授業に向けて、あーあと溜息を吐く声が聞こえてきます。私も同じ気分。
「……では、私はそろそろ失礼します」
 そう応えて、私が立ち上がった時でした。
「一之瀬さん」
 佐山さんが、まるで隣の冬木さんと歩調を合わせたように同時に立ち。二人に睨まれた瞬間、私は何か恐ろしいものと対峙しているような錯覚に陥りました。
 この二人は普通の人でありながら異様で、そして私の知らない何かで結ばれているのだと。そんな気配が、したのです。
「もし時の魔術師に会ったら是非、伝えてくれたまえ。君は一体何をしたいのかね? と」
「……分かりました」
「私もそろそろ、毎日同じ朝食や夕食では飽きてしまってな。少しばかり進展が欲しいものだ。なあ、冬木?」
 佐山さんの言葉に、私は軽く眉根を上げて。少しだけ、やはりこの人も普通の人間なのだなと思いました。夕食の心配をするのは、誰だって同じ事なのだと。
「……分かりました。もし、会ったら言っておきます……分からないと、思いますけど」
 神妙な顔つきで言い返し、それ以上視線を合わせているのが辛くなって、私は二人に背を向けました。
 背後からずっと二人の視線が突き刺さっている事が、痛いほどに感じられました。

           ○

 五時間目の授業の合間、私は引き出しの中に入れた紙屑をずっと握りつぶしていました。白紙で送られた、あの手紙。送り主、佐山哲というその名前。
 ループから外れていると気付いてから、暫く観察していましたが。今日改めて思います。彼はただの変人であると同時に、聡明で。そして鋭い。相対するには危険な人物だと認識できただけ、今日は収穫があったと言うべきでしょうか。
 それに、佐山哲も一つだけボロを出した。それだけで、私には十分です。
「……一之瀬?」
 けれど、今日感じた奇妙な空気。二人揃っているからこそ、始めてそこに存在しているような。得体の知れない、無言で繋がった濃密な気配。そう。二人同時に相対するのは、極めて危険。奇怪な相乗効果があるようです。特に、佐山哲。
 あの人は多分、隣に冬木さんが居るのと居ないのとで、おそらく大きく変化する。その事に佐山さん自身が気づいているか否かは不明にしろ、私にとって二人同時に相対するのはデメリットでしかなく。今後私があの二人に接触する必要がある以上、私は――
「一之瀬。一之瀬?」
「……へ?」
 すっとんきょんな声を上げて、私は周りを見渡しました。教室の全員が、何故か私を見つめています。加えて先生が、なんだか睨むような視線で見つめてきます。
「あ、え、えっと」
 そうでした。五時間目の数学の授業は、日ごろ存在感の無いはずの私が不覚にも当てられた時間帯でした。眼鏡をかけた先生が嫌味な視線で私を見つめ、何事かをぼやいています。
 慌てて立ち上がり、最初から問題すら聞いていませんでしたが解答は知っているので答えます。
 その合間に、ぼそりと。
「……やっぱ今日の一之瀬、おかしいぞ」
 榊君が呟いたのが。とても印象的でした。
 今日という一日は、まだ午後を迎えたばかり。焦る事はありません。何故なら、このループは。私が望む限り永遠に続くのです。
 祖母のくれた、このお守りのある限り。


 でも、お婆ちゃん。一つだけ聞かせてください。
 何でこんなに使いにくいお守りを、私に託したのですか?

















 ――第四章――


 翌日。六月、二十三日。天候、晴天。時刻、昼過ぎ。
 私、冬木有紀はいつもいつも佐山と共にいる訳ではない。佐山哲と私はそういう人間関係で結ばれている訳ではなく、あくまで別途の人間である。
 周囲の人は何かしら誤解している事が多いようだが、私と佐山の両者が揃うのはこの退屈な日々にちょっとした面白味を求める事が多いからだ。勿論、佐山が持つある種の波長が合うことだけは認めてもいい。ただそれが一般的に言う『恋愛』とは趣旨が異なると考えている。私が一人で居たいと思った時はそうするし、佐山も楽しい事が別にあれば同様だ。勝手に動く。
 だから私が今日、一人で食堂に座っているのは別段珍しいことではない。最も今回の場合、佐山が居ると邪魔だというのも理由の一つにあるのだが。
「あ……冬木、さん」
 食堂の奥側で一人、椅子に腰掛けて待っていると。怯えた小鳥のような声が、細々と私の元へと聞こえてきた。よくもまあ、こういう声を出せるものだと感心する。飯に味噌汁、さば味噌と小鉢を載せた見事な和風セットを持つ一之瀬亜由美が、私を見てぱちくりと瞬きをしていた。今時珍しいおさげの髪が、背中で小さく揺れている。
 細かな演技は面倒なので、手を軽く前へと出した。
「座る?」
 私の言葉に、一之瀬は暫し悩む素振りだけを見せてから。はい、と静かに答えた。
「……最初からそうするつもりだったくせに」
 わざと聞こえるように呟いてみたが、一之瀬は軽く首を傾げただけだった。椅子を引き、私の真正面に対峙するよう座る。その仕草に何処となく自信が見え隠れするのは、私の気のせいだろうか。それとも、私の隣に佐山が居ないからか。
「今日は、佐山さんは一緒では無いんですか?」
「私はいつも佐山といる訳ではない。それは誤解だ。周囲の人間は何かしら、私をそういう目で見たいらしいが」
「……はい。そう、見えます。でも佐山さんと冬木さんって、とっても仲が良さそうに見えますけど、本当に彼氏とかでは無いんですか? なんだか凄く、二人で居るとぴたりと当てはまっている感じがしますけど……」
 七割がた不思議そうに、残り三割ほど茶化すように、一之瀬は昨日よりも積極的にお茶目な笑顔を浮かべて尋ねてくる。そう直に聞かれると、少し返答に困ってしまう私が居るのは何故だろうか。時々考えるのだが、答えはいつも曖昧なまま適当にすり抜ける。そして、いつも同じ解答を口にする。
「佐山と一種独特の波長が合うのは、認めてもいい。佐山は何かにつけて面白い事をやってくれるし、思考も私に似ている部分があるから。気が楽になる、時もある。……だが、基本的にはそれだけだ。それ以上の関係でも、それ以下の関係でもない」
「冬木さん」
「何」
「それって、その……恋愛とどう違うんですか?」
「――ん。……ん」
 抜けた声をあげた私の表情が、余程滑稽だったのか。一之瀬は箸を止め、口元を隠しくすくすと笑い始めた。
「私も、経験無いからあんまり言えないんですけど……冬木さん。その、一緒に居て楽しくて、波長が合って、気が楽になる部分があっても、恋人ではないんですか?」
 本当に楽しそうに喋る一之瀬を、眼光だけで威嚇してみる。一瞬笑いを止めたが、それがただの一時しのぎに過ぎない事をすぐに見破り、また頬を綻ばせた。反論しなければ。
「恋愛の定義なるものを私は知らないが、少なくとも私の認識上、私と佐山はそういう関係には無い。その点は佐山とて同じ判断だろう。第一、あの男を彼氏だと仮定し手を繋いで公園を散歩するなど、その光景を想像しただけで頭痛と吐き気と眩暈と自己嫌悪を呼び起こしそうだ」
「……最後の以外は絶対、そんなこと無いと思いますけど」
「第一、 私と佐山の私情など貴女には関係ない。違うか?」
「それは……はい、違います」
 一之瀬の奇妙な言い回しに、ついと視線を上げた。先ほどのように無邪気に笑う顔はなく、代わりに昨日と同じ笑顔が張り付いていた。にこにこしているけれど、趣が違う。
 彼女のトーンが、僅かに上がった。脳内に警告音が鳴る。
「それは私にとって、重要な事なんです、冬木さん」
「あまり重要なファクターだとは思えないけれど」
「いえ。冬木さんと佐山さんの仲が良いのは、私にとって大切な事なんです。……正直に言いますけれど。私は人に対する信頼とか信用だとか、そういうのがあまり理解できない人なんです。変、かもしれませんけれど。……でも、冬木さんと佐山さんがそういう関係にあるのは分かります」
「……貴女が信頼という言葉をどう捉え、何を企んでいるかは知らないけど。それが何の意味を持つの? 時の魔術師、一之瀬亜由美。今日は随分、喋るようだけど」
 挑発を交えて尋ねると、一之瀬は困ったように首を傾げて箸を置いた。
「……あの。冬木さん、ですから私は時の魔術師というのでは」
「私は佐山みたいに遠回しな言動は苦手だから、先に否定しておく。佐山もそうだが、私も貴女を九分九厘、時の魔術師だと断定している。何故なら一之瀬亜由美、貴女は私の推察する『時の魔術師』像に極めて酷似しているから」
「――昨日、佐山さんにもお聞きしましたけれど。その証明は、出来るんですか?」
 一之瀬が、僅かに余裕を含む笑みを見せ付けた。鼻先で小さく笑ってやった。
「時の魔術師である証拠を提示するのは、昨日佐山が行った通り不可能に近い。だけど貴女が九分九厘の可能性で時の魔術師である事を立証する事は、できる。そして、貴女にこのループ現象について、何かしら自白させる事が出来る自信もある」
 余裕を見せたはずの一之瀬が、手元で小さく箸を震わせた。その彼女から目線を離すことなく、淡々と相手に被せるよう言葉を繋ぐ。それが、一之瀬を陥落させるに一番早い方法。一之瀬は見た目通り、押しに弱い部分がある。勿論、そう見せかけつつ罠をかけてくる部分もあるとは思うが。
「先に言っておく。私は佐山の腰巾着では無い。もし昨日の会話で貴女が佐山を危険視し、より組みやすい相手として私を選んだのだとしたら、それは誤りだと言っておく。それを狙って今日、貴女がこの機会を逃さず私一人の所を狙ったのだとしたら。貴女はその時点で、私の罠にかかっている」
「――え?」
「何故なら私は、今日貴女が声をかけてくるのを待ってたから。だから私一人で、わざと貴女の座りやすい位置に座った。前の席を開けておいた」
 意地の悪い笑みを浮かべて、一之瀬に視線を向ける。じり、と彼女の椅子が引かれる音が僅かに聞こえた。私の席の向かい、食堂の一番奥。昼休みらしい人気はあるものの、私の前と隣だけは席が開いている。
「昨日の会話上、もし貴女が時の魔術師だとすれば必ず佐山を警戒する。佐山を恐れた貴女は、彼より相手をしやすそうな私への接触を試みる。私が単独の時に、何気なく近づいて探りを入れようとする。そして事実、今日偶然にも私一人であったが為に、貴女は私に声をかけた。或いは低確率だけど逆のパターンも考えた。貴女が、佐山一人に接触する可能性も」
 私は理由がある時は、佐山と別行動を取ることもある。
「例えるなら、佐山は自ら狩りに出る獣。……私は逆。蟻地獄みたいなものかもしれない」
「――そうですか」
 彼女の口調が、冷やかに落ちる。食堂内の雑音が、周囲からふっと消えた。
「貴女も遠慮しなくていい。私と佐山には、あまり一般常識的な事は通じない。最初に佐山に送った空メールと昨日の会話で、それは嫌という程自覚してるはず」
 私が口にした単語に、一之瀬が小さく奥歯を噛むのが見えた。おさげの髪を肩から垂らし、視線を伏せて何かを模索するように床へと向ける。見えるのは自分の靴か、それとも計略か。
「冬木さん」
「何」
「今の状況を……何処まで考えていますか?」
 一之瀬が再度、冬木の前に顔を上げた時。猫のように鋭い視線が、私の身体を僅かに引かせた。その小さく揺れた気持ちが顔に出さないよう、心の内に叱咤をかける。
 一之瀬は、押しに弱い。決して弱みを見せてはならない。彼女は必ず、そこを突いてくる。だから常に、私は自信強くそして失策を犯さないよう、配慮する必要がある。
「空メールは、貴女の明らかな失策――いえ、貴女が佐山と私の行動を読みきれなかった、というのが正しい判断だと考えている」
 そう答えて一拍、置いた。
「私達の感覚でいう一週間前。朝の八時過ぎ、佐山の携帯に着信した『時の魔術師』から届いた空メール。……佐山が全校放送で勝手に命名した、時の魔術師という名前。それと同名の宛名のメールが、翌日に来た。もちろんこの時は既に翌日へとループしているから、誰も時の魔術師という名前を覚えている者はいない。私と佐山と、その当事者を除いて」
 一之瀬は、ただ聞いている。一言も、私の失言を聞き逃すまいとするように。
「空メールがその当事者からのものである事は、私達も即座に理解できた。……でも、そこで疑問が出た。どうして、メール本文が空白なのか」
 言葉を選びながら、一之瀬亜由美を追い詰めてゆく。同時に、アドバンテージを与える言動を伏せていく。彼女が本当に聞きたい事は、一之瀬亜由美が時の魔術師であるという証明ではない。証明が成立する事は、暗に彼女も気付いている。
 狙っているのは、私の失言。
「仮に時の魔術師が自分の正体を本当に知られたくないのだとしたら、最初からメールをする必要が無い。逆に時の魔術師にとっても困っている事があるのなら、空メールではなく直接私達に協力を依頼すればいい。送信ミスならもう一回送ればいい。では、あえて空メールにした意味は何か。そこで私は、まず普通の人ならこういう状況の時どうするかを考えた」
 普通の人、という言葉に一之瀬が僅かに微笑んだ。貴女は普通の人ではないのですか、という軽い冷やかし。
「このループ現象に巻き込まれれば、誰だって焦る。昨日と今日が同じ、今日と明日が同じ不思議なループ。私や佐山とて、その点で戸惑ったのは同じ事だ」
「……あまり、そうは見えませんけれど」
「ただ見えないだけ。それに、私達は少し他の人と考え方が違うから」
 私の言葉に、一之瀬がくすりと笑う。少しだけですか、と言いたげな空気は無視した。
「常人がこの奇妙な現象に戸惑っている所に、突如謎の空メールが送られてきた。今回の場合は先に、佐山が時の魔術師というセンスの無いネーミングをつけたから、貴女はそれを利用したけれど。別に名前が無くとも、時間ループ者とでも書けば事足りる。そして、そんなメールが戸惑っている私の元に突然来たら。しかも返信用のアドレスまで書いてあったなら、普通ならどうするか? 多分、このメールの宛先へ返信するに違いない。語彙に欠け例えを上げるなら、お前は誰だ、この状況について何か知っているのか? といった所。不安を感じながら、メールを返す。そして貴女は、その返されたメールに対し巧みに返信をする。具体的に言うと、あなたはどんな状況ですか、一体どういう状況で巻き込まれたのですか――?」
 両腕を組んで、一之瀬の瞳を真正面から睨みつける。黒ずんだ瞳孔が、私の姿を捉えていた。
「つまり時の魔術師は、自分の正体や情報は一切明かしたくないけれど、私達から何か聞き出したい事はあった。それが、空メールの本当の意味。時の魔術師が存在している事を伝えることで相手の動揺を誘い、相手から必要な情報を引き出すこと――」
 そこまで話し終え、軽く水を口に運ぶ。一之瀬は無表情のまま、私の姿を見つめている。眉根をひそめて見つめる姿は、既に一介の女子高生らしさを消していた。
 真剣勝負だ、と自分に言い聞かせる。言語と理論を積み重ねていく、相手との心理戦。
「まだ、貴女には大きなアドバンテージがある。時の魔術師として、今起きているループ現象が何なのか。逆に私達はまだ、貴女が何を知りたくてメールをしたのか、それすらも正確には分からない。……けれど一つ、言える事は。私も貴女に対し、何かしらのアドバンテージを持っているという事。そして薄々、貴女が欲しい情報が何かも感づいている」
「……それは、何ですか?」
「答えられない」
 一之瀬が何となく尋ねた風に装った疑問を、一蹴する。
「推察はしてる。だけど貴女に、その答えが合ってるか否かを判別する情報は与えない」
「手厳しいですね」
「警戒してる、って言って欲しい。……さて」
 茶番はここまで。一之瀬亜由美が時の魔術師であることの証明は、この辺りで十分。
 自分の事は一切明かさないよう注意を払いつつ、相手からの情報を得ようとする。それが空メールの意図だとしたら。ループに入り込みながら、自分自身の行動をばれないようカモフラージュしていた一之瀬亜由美という人物像と、その時の魔術師の目的像はぴたりと一致する。ループ現象に入り込んだにも関わらず、最初から戸惑った様子や言動を一切伺わせなかった彼女の態度こそが、時の魔術師という証明に他ならない。
「……時の魔術師、一之瀬亜由美。ここからどうするの? 時間が経てば経つほど、私達はこの現象について考察を巡らせ、貴女より先に解答に近づく自信がある。貴女は一人。私は、佐山と合わせて二人いる。加えて、自分で言うのも何だけど、変人が二人。単純に、どちらが有利かは分かるはず。貴女は何か不思議な力を持っているけれど、人知を超えた存在ではない。その点において、私達はラッキーだった」
 両肘を軽く机に乗せ、私は一気に嘘を並べた。両手を前で組み、口元を隠して一之瀬亜由美をじろりと見上げる。彼女は真っ直ぐ、私の顔を見返してきた。
「仕掛けるなら、そろそろ頃合だと私は見てる。私は今日、貴女を罠にかけたつもり。けれど貴女にとっても、私が一人でいる珍しい機会である事には違いない」
 シーソーゲームみたいなもの、と言葉を続けた。
「どちらにとっても、リスクがある。同時にチャンスでもある。そして、時間が経てば経つほど貴女は今後、不利になる。時間が経てば経つほど、私達は貴女の事や、この現象の正体について迫っていく。そうすれば、貴女のアドバンテージは一方的に削れていく――」
 口にした言葉は、殆ど暗示を込めたプラフだった。時間が経てば経つほど、一之瀬が不利になる根拠など無い。確かに佐山と共にループ現象を突き詰めていけば、外堀を埋める事は可能だろう。だが同時に、彼女が知りたい情報を無意識のうちに与えてしまう可能性も高くなる。そして仮に、このループ現象の時間を、時の魔術師が自在に操る事が出来るのだとすれば。選択権をいつでも手にしている彼女の方が、常時有利に立っている事には違いない。
 もっとも、一之瀬にそこまでの力は無いだろう、という推察もしている。彼女一人では出来ない事があるからこそ、私や佐山のような、ループに入った者の情報を求めている。決してこのループ現象は万能ではなく。法則性や、制限がある。
 どちらにせよ彼女は動きを見せる。既に、自分の行動を隠す意味は一つもない。
「今度は貴女の番、一之瀬さん。まだ静観するか、それとも今、切り出すか」
 そう挑発をかけた直後だった。
「これを」
 彼女がポケットから取り出したのは、ロケットペンダントのような、小さな時計だった。
「……時計?」
 金色の縁の中に、アナログ表示の時計が秒針をゆっくりと動かしていた。時刻がローマ数字でTから]Uまで並んでいる。ただし時計の奥にはさらに、同じく時計のような三つの円が並んでいた。それぞれの円の中で、秒針らしきものが動いている。左の円が、反時計回りに高速で。真ん中は、時計回りに通常速度。そして右側は、時計回りに高速で。
「……綺麗な時計ね」
 私にしては珍しいとも言える、感嘆の溜息をついた。くるりくるりと回り続ける、永遠の歯車を現すようなその時計。その奥で水面のように揺れる、三つの不可思議な針。全て別方向に動いているにも関わらず、全体としては一定の調和を保っているかのように。流水のように、それはゆっくりと流れている。
 一之瀬が、時計の上に備え付けられた三つのスイッチに手をかける。ストップウォッチのように、頭についた三つのボタン。その左側を一度だけ、彼女はお守りのように優しく押した。
「これを私は、死者の時計と呼んでいます。……お守りでもありますけれど」
 そう答えた時。スイッチを押すのと同時に、反時計回りに回転していた針と円がぼんやりと緑黄色の光を浮かべ始めた。

           ○

「時の魔術師、と言いましたけれど。私には本当は、何の力もありません。全てこの時計の力です」
「……触ってもいいかしら」
 そう尋ねると、一之瀬は首を横に振った。
「私の、お守りのようなものですから……あまり、他人には触られたくありません。いつかは、冬木さんにお渡しする事になると思いますけれど」
「……渡す?」
 聞き返すと、一之瀬はゆっくりと首肯した。
 何故だろう。一之瀬が、私に時計を『いずれ渡す』と述べた理由。
「実は私も、この時計の力を知ったのはつい最近なんです。まさか、こんな事になるとは思っても無かったのですけれど……」
 瞼を頻繁に瞬かせる一之瀬の顔を見つめながら、それも演技かと観察する。だが意外に、実は本心かも知れないと考え直した。嘘くさい理由ではあるが、その嘘をつく理由が無い。むしろ重要なのは、その時計で一体何が出来るのかという事。そして一週間前に初めて触れたにしろ何にしろ、今の一之瀬がその時計の力を熟知しているのは間違いないという、その二点。
 時計の力がどういう原理で時間軸のベクトルを逆行していようが興味は無い。時間があれば調べてみたいが、今はその原理以上に優先すべき課題がある。
 このループ世界からの生還、という単純明快な目的。
「初めての割には、凄く使いこなしてるのね」
「後で遺品を捜したら、説明書がありましたので」
 一之瀬が時計を閉じた。大切そうに折りたたみ、手のひらで包み込みながらポケットにしまう。傷をつけないよう、丁寧に。
「ここから先の話は、私の話を信じるも信じないも冬木さんにお任せします。この時計の力について、ですので」
「……今まで黙ってたのに。いいの?」
「はい。これ以上はあまり隠していても、意味はないと思ったからです。それに実は、私の知りたい情報というのも、昨日の時点で佐山さんが少しだけボロを出してます。それで十分……ではないですけれど。仕方がありません」
「……あの馬鹿佐山」
 何処で零れたか、という点については考えなかった。話を聞けば、おのずと佐山のミスが分かるだろう。死者の時計の力がどういうものか、それと照合すれば、おそらく。
「死者の時計には、三つの機能があります。今、少しだけお見せしましたけれど……一つが、時間を過去に戻す力。これは冬木さんも、佐山さんもご自分で体験されたと思いますけれど。私を中心としてある程度の範囲内で……今日、亡くなってしまう運命にあった人をもう一度、今日の最初に戻す過去への力です。この説明は、必要ないと思います」
 確かに、とだけ冬木は答えた。過去への逆行、それ自体は既に冬木も体験している。異常事態であるとはいえ、今更騒ぐ事でもない。
「その影響範囲は、一度効果が発揮したら。その時計が移動しても変化する事は無い」
「はい。最初に効果が出た時点でループに入らなかった人は……二回目以降、どんなに近づいてもループ内には入れません。逆に、ループに一度入った人がどんなに離れていても、スイッチを押している限りループ現象は続くみたいです」
 つまり今日、他に死んだ人がいたとしても助ける事は出来ず。同時に彼女がそのスイッチを押すことを辞めてしまえば、このループは終焉に至る。
 だから一之瀬は、私達に頼らざるをえなかった。一度ループに入った者しか、このループ現象を知る者は居ないから。最悪の手法として考えられる、誰かを近場で殺害した後にループに紛れ込ませる、という事は不可能。もっとも、幾ら彼女とてそこまでしないとは思うが。
「念のために聞く。勿論、だけど。ループを辞めたりはしないわね」
「私だって死にたくはありません。……まだ、諦めるつもりもありません」
「なら、いい」
 吐き捨てるように答えた後、説明を続けてと小声で促した。
「二つ目が、現在の時刻を表す力。一秒寸分の狂いもなく、今という時間を私達に教えてくれる力です。昔なら重宝したのかもしれませんけれど、今となってはあまり意味の無い力です」
「原子時計レベルで合うの、それは」
「そこまでは分かりません。あまり、大した問題ではないと思っていたので……それで、三つ目ですけれど」
 僅かに一之瀬が言い淀んだ所を逃さず、私は目元を僅かに細めた。
「これが主題です。三つ目が、未来の力。時間を、飛ばせるらしいです。……そして、その間に起こった事は、例えどんな事であっても無かったことに出来る。死んでしまう、という絶対に変えられない事実であっても」
 一之瀬の口から、その言葉が紡がれた頃。食堂内に、予鈴の合図を知らせる鐘が響いていった。瞼を閉じると、食堂で戯れていた生徒達の足音が聞こえてくる。昨日と同じ、一昨日と同じリズムで響く足音。何も知らず、今日の次に明日が来る事など当然のことだと考えすらしないであろう、規則的なリズム音。
 その足音が全て消え終えた頃。
「時間を飛ばせる、その力は」
「はい」
「――全部で、何分?」
「発動してから、五分間だけ」
 一之瀬の淡々とした言葉に、小さく奥歯を噛んだ。ぎり、と細かな音が響く。
 顔を上げると、自分の顔に浮かんだ冷たい瞳が一之瀬の黒い瞳孔の中に映っていた。
「それはつまり、その飛ばした五分間の間に、私達に死という現象が訪れていたとすれば。私達は、その死という現象を飛び越え、このループから抜けられる」
 口の奥に広がる苦い味を噛み潰しながら、そう答えた。その顔つきを見て、一之瀬がほんの僅かに冷めた笑顔を浮かべてみせる。
「そして、その未来へ飛ぶ力を、自分で使えれば苦労はしない……か」
 私の呟きに、一之瀬は小さく答えた。
 そういう事です、と。
 続けて、余計なことまで口にした。
「時計を使える条件は――今日、死ぬこと。つまり自分自身が、ループに入れる状態下にあること。その条件下であれば、三つの力は如何様にでも使えます。逆に今日死ぬという命運から逃れられたら。その瞬間から、この時計を扱う資格を失います」
 今日、死を迎える人物でないと使えない。故に、死者の時計。
 ――名前の由来を、そんな風に考えた。

           ○

 一之瀬と一度別れ、私は学校の屋上から青空を眺めていた。五時間目の授業はさぼる事を決め込み、グラウンドを見下ろしてみる。体育の授業に精を出す、一年生の可愛い姿がよく見えた。梅雨時の見飽きた晴天も、屋上にいる時はありがたい。
 屋上の敷地内は相変わらず、白いコンクリートの床と鉄柵で覆われている。その手すりに両手をかけながら、ふと考えた。ここから飛び降りたとしたら、私は一体何分後に死亡するのか。頭から落ちれば即死。でも仮に、木の枝に引っかかったら。何かの拍子に足から落ちたら。たぶん、五分以上は生き延びる。そうでなくとも、足から落ちれば生き延びるかもしれない。
 一之瀬の言った五分間、という事実が本当だという証拠は無い。ただ、仮に五分間で無かったとしても。時の魔術師――一之瀬亜由美が、死という時間を迎える前に自分でそのスイッチを押せない状況下にあるのは間違いない。
 五分間のネック。
 人が何らかの理由で心配停止状態になり、脳細胞の破壊が始まるまでの時間。いわゆるゴールデンタイムと呼ばれる時間が五分間だという話を、何かのドキュメンタリーで聞いた事がある。死者の時計が示す『死』の定義が脳死を示すのか心停止を示すのか、それとも別の要素を示すのかは分からないが。誰もが認める、人が死んだという状況を。五分後に、自分自身で確かめる術は無い。
 誰かに確認してもらわない限り、自分自身の死亡時刻というのは分からない。
 死者の時計の仕組みを、全て正しいと仮定すれば――自分で自分を助ける事は、運任せに頼る以外は不可能になる。
「……くそっ」
 両腕を組んで、ふてくされるように座り込む。鏡を見なくとも、眉根を寄せている自分の姿が想像できた。神経を張り詰めて考えている時の癖。
 別れ際に言い残した、一之瀬の言葉を思い出す。
『私が、冬木さんにこのお話をした理由は二つ、あります。一つは冬木さんの死亡時刻が、私よりも遅いと思ったこと。理由は、佐山さんの昨日の発言です。何気なくでしょうが、佐山さんは昨日――毎日同じ朝食や夕食では飽きてしまうと、そう言いました。そして冬木さんにも、そう呼びかけたから。夕食の時間は人によるでしょうけれど、七時は過ぎると思います。平時に学校を終えていれば。なら少なくとも、二人の死亡時刻は私より、遅い』
 一之瀬のその言葉を聞いたとき、思わず小声で呟いた。佐山の馬鹿、と。
 それ以上に残った、もう一つの言葉。
『冬木さんは絶対に、この話を佐山さんには出来ない。佐山さんと冬木さんは、心のどこかで信頼関係を築いているから』
 言われた直後、指先が震えたのをよく覚えていた。裏をかかれたのは一之瀬亜由美か、それとも私か。その時には既に、今一つ判断が出来なくなった。
 死亡時刻。時間に関するファクターが重要ではないだろうか、という事は薄々考えていた。昨日、一之瀬が佐山の死亡に関するエピソードについて関心を示した事。ループ現象内において、佐山や私の死亡要因が変化するのは既知の事実。なら興味があるのはエピソード自体ではなく、佐山哲という人間が何時頃に死亡したか、という方が重要ではないか。同一時刻に死が訪れる、という点からも推察はしていたが――結果論になるが、その通りだった。一之瀬にとって重要な情報とは、彼女より私や佐山が先に死ぬのか、後に死ぬのか。もし両者とも先であったとしたら、一之瀬にとって死者の時計の力を話すメリットは一切無い。
「……いずれ、渡す。か」
 先ほどの言葉を反芻し、顎元に手を当てる。じっとりとした汗が、頬を伝って手のひらに落ちていく。ポケットに無造作に入れたハンカチを取り出し、零れた汗を軽く拭った。
 一之瀬亜由美の死亡時刻が早い事は、問題ない。私が一之瀬の死亡時刻を確認し、その時間に合わせて五分飛ばせば、彼女は助かる。
 問題は――佐山哲の、死亡時刻。
 最初、バス事故にあった時を思い出す。咄嗟に佐山を突き飛ばした、左手の感触。
 バスの事故に会った直後に、私の意識は途切れている。しかし意識が無いからと言っても即死したとは限らないし、佐山がどうなったのかも分からない。自分の死亡時刻は推測できても、佐山の死亡時刻までは知らないのだ。
 私が先に死んだのか。佐山が先か。或いは同時か。
 もし私が佐山より後に死亡していたら、私を未来へ飛ばしてくれる人は、自分しかいない。それは別に構わない。しかし、もし佐山の方が私よりも後に死亡していたら。私をループから外せるのは佐山しかおらず、逆に私から佐山へは一切の手出しが出来なくなる。
 佐山がもし、その事実を知れば――?
 考えるだけで腹立たしい。佐山は私を容赦なく未来へ飛ばし、笑いながらざまあ見ろとでも言いたげに中指を立てて未来へ飛ばす。何の遠慮も無く馬鹿にするように。
 その結末は実に、下らない二択へと嵌ってしまう。
 私と佐山の、どちらか一人しか助からない。
「……馬鹿馬鹿しい」
 思考が呟きに変わって、零れた。
 私も佐山哲も、自己犠牲を強いてまで相手を助けるような関係では無い。押し付けられた悲劇のヒロイン役など以ての外、逆に押し付けられる方が迷惑だ。ましてや相手は彼氏彼女ですらなく友人というレベルにすら至らない変人。助ける価値すら見当たらない、涙の一粒を零すことすら勿体無いような相手。そんな相手を。自ら助けて一体何になるというのか――
「……全く。自分への言い訳にも苦労するのだな、私は」
 自虐的に呟き、鼻先で小さく笑った。ハンカチをポケットに仕舞い、太陽の光へと手を伸ばす。指の合間から刺す光が眩しかった。
 下らない自己犠牲的精神を、相手の枷としないままに。佐山を助ける方法が一つある。
 佐山哲を欺き、あの変態が何も知らないうちに未来へ飛ばす。知られる前に、事実を全て覆い隠す。決して彼の知りえない事実として、私が墓場までもっていってしまえばそれでいい。
 佐山哲を出し抜き、何食わぬ顔で未来へ飛ばす。もし逆に佐山の死亡時刻の方が遅く、それが不可能だとしたら――まあ、黙ったまま永遠にループをぐるぐる回り続けていれば、そのうち何か出るだろう。どちらを選択するかは、佐山の死亡時刻を確かめてからでも遅くない。
 絶対に知られてならない事は、ただ一つ。佐山哲に、私を助けてざまあみろと中指を立てる事ができる、という馬鹿げた方法がある事を、佐山に知られてはならない事。
「……それも、面白いかも」
 うっすらと乾いた笑みを浮かべながら、視線を空へと戻した。
 五時間目の授業が終了する、鐘の音が鳴り響く。その音を聞きながら、じっと虚空を見つめてみた。梅雨時に珍しい、晴天の空。曇天の雨模様を見る事が出来るのは、一体どちらか。


 一つだけ、確信がある。佐山哲もこの事実を知れば、おそらく私と同じように動く。だから佐山は馬鹿なのだ。私と同じように。
 波長が合うとは、結局こういう事なのかもしれない。
 じり、と小さな足音を立てて、屋上の扉を開けた。ゆっくり一段ずつ階段を下りていく。
 彼が何も知らないうちに、事を全て始末出来ればそれでいい――


 












 ――間幕 2――


 利用できるものは、全て利用しなければなりません。
 誰を裏切ろうと、何を誤魔化そうと構いません。
 誰の言葉も信じるな。愚直に誤魔化されたふりをして、相手を謀っていきなさい。それは私、一之瀬亜由美が今まで生きてきた上で学んだ大切な手段。
 ポケットの中から時計を取り出し、見つめてみます。祖母の温かい手に包まれていた、その時計は。今も淡々と、同じリズムで針を細かに刻んでいます。
 ――敬愛していた祖母の教えと正反対の道を、私は常に歩いてきました。今でも、そうです。私はあの二人の信頼関係を利用して、私自身だけを助けてもらおうとしています。嘘をついては笑顔を振りまき、ただ穏やかな顔を浮かべて黒い思考を巡らせる。
 罪悪感が無い、とは言いません。申し訳ないとは思います。でも結果的に相手を騙しているのなら、罪悪感があっても無くても同じ事。私は人を騙し続け、自分が助かるためには容赦なく他人を切り捨て生き延びる。
 だから今回も、私はそうしなければならなのです。

 ――人を信じること。忘れてはいけません。
 この時計を見る度に、祖母の言葉が罰のように浮かびます。人を信じる事を、忘れてはいけません。
 このループに入ってから、私は祖母の言葉に込められた本当の意味を知りました。
 死者の時計は、誰かに託さなければ使えない。託す人を、信頼していなければ使えない。その事に躊躇し迷いを抱くような人間でなければ、この時計を扱う資格も、手にする資格も無いのです。
 私はまだ、その資格を手にしていない。
 私はただ、その使い方を知ってるだけ。

 佐山さんと冬木さんなら、この時計を使えるでしょう。彼らの奥底深くで繋がる形は、私にすら眩しく輝いて見えるから。本当の意味で、この死者の時計を扱える。
 でも私には私なりの、やり方があるのです。裏切ることで使う手段を。
 それ以外の方法を、私は最初から知りません。
 私には、誰も教えてくれなかったから――














 ――第五章――


 同日、四時過ぎ。六限目の授業の終了後。私は一つの事情と、一つの懸念事項を抱えていた。
 窓際の席に一人ぽつんと残り、無意味に外を眺めてみる。ホームルームも終わった教室内には、ぽつぽつと残った男子生徒がグループを作ってたむろしていた。カードゲームをしているようだが、私には中身がよく分からない。あんな紙切れにお金を使って何が楽しいのか理解できないが、どうも男子生徒はそういう遊びが好きなようだ。
 教室には放課後らしい独特の解放感と気楽さが相まって、浮ついた空気を流している。私の周囲を除いては。
 溜息をついて時計を見上げると、午後四時を回っていた。そろそろ、と思って鞄を取る。教室に残った男子生徒と挨拶を交わすことも無く廊下に出ると、時間通りに一之瀬亜由美が待っていた。教室に入らず、どうやら廊下で待っていたらしい。
「別に、教室に入ってきても良かったのに」
「……でも。他のクラスに入るって、何となく気が引けるので」
 冗談か何かかと思ったが、一之瀬は本気のようだ。引っ込み思案は半ば素の性格なのか。
「貴女を見てると不思議な感じがする。引っ込み思案で臆病かと思えば、私の前では随分はっきり物を言う。二面性が強い」
「冬木さんほど、個性的ではないと思いますけど」
「皮肉?」
「はい。少しだけ」
 答える一之瀬の口元に、小さな笑みが浮かんで消えた。正直なところ、彼女の性格が今一つ掴めていない。多分だが、二人きりになると喋りだすタイプなのかもしれない。
 廊下を二人で歩いていく。一之瀬は冬木の後ろに付くように、おずおずと。その様子を気にせず学校の玄関口まで歩いた頃、一之瀬が口を開いた。
「あの。……私のこと、嫌な女だと思ってますか?」
 不意に尋ねられた言葉に、瞼を僅かに上げた。そういう類の言葉自体が不愉快だった。ただそれでも、彼女の言いたい事は分かる。
「……私は、自分だけ助かれば、それでいいと思ってます。勿論、冬木さんや佐山さんも一緒に、が一番ですけれど。それが出来ないなら、まず自分が助かればいいと思ってます」
「そうね。私達の死亡時刻の裏を取ろうとしたり、私や佐山がそれなりの人間的善意を持っているかどうかを確かめたりする辺りは、私としては気に入らないけど」
 鞄を肩に背負い、ストレートに言葉を返した。先ほどの会話において、一之瀬にもう一つ目的があったのだと知ったのはついさっき。私と佐山の死亡時刻が一之瀬より遅いからと言って、私達が嫌がらせで一之瀬を助けない、といった低俗な人間ではない事を確かめるため。即ち私の人間性および、佐山哲との信頼関係を自分の目で見たかった。
 そういう意味も込めて、自分を嫌な女だと言ったのだろうか。
「……でも私は別に、それを嫌だとか卑劣だとは思わない。私だって、貴女の立場だったらそう動く。生き延びようと考える思考は別に、人として否定するべきものじゃない。ただ」
 背後を歩く一之瀬に、視線を流すように目を細めた。冷たい気配を感じ取ったか、一之瀬の足が止まる。
「あんまり、口に出して言う事でもない。そういうのは胸の内側にだけ仕舞っておいて。口に出してそういう事を言うのは、自分への言い訳。相手を利用するつもりなら、最初から徹底的にそうするべきだと私は思う」
「……冬木さんは、強いんですね。少し、羨ましいです」
「別に。ただ負けるのが嫌なだけ。或いは不器用なだけか。……ただ、今の自分の性格を変えたいとは思わないのと、後悔はしたくないだけ」
 視線を戻す。校舎の正門を出てすぐ、壱場坂を早足で下っていった。
 自分の性格について、悩まない訳ではない。世渡り上手、という意味でいえば間違いなく一之瀬の方が優れているし、自分が敵を作りやすい性格をしている事も承知している。損をしているかもしれないし、ある意味では不幸かもしれない。ただ、それでも。
「私はただ、今の私じゃなくなるのが嫌なだけ」
「……?」
「別に、何でもない」
 壱場坂を降りて行くと、大通りの十字路へと差し掛かる。市内へと続く東方面への通行量が多いのは、この時間帯の特徴か。大通りを抜ける二車線は、西から東へと走る車が多かった。
 左右に視線を送り、相変わらずの懸念事項を頭の片隅に抱えながら一之瀬へと振り返る。
「今、四時二十分。……そろそろ?」
「はい」
 静かに答えて、一之瀬は赤信号の光る横断歩道の前に立った。
 ――放課後、自分の死亡時刻を教えて欲しい。そう依頼されて、私は了承の返事を出した。それを拒む理由は、特にない。今後の展開が、仮に私と佐山の一対一の対決になっていくと仮定しても。彼女をループから助け出す、という点においては佐山も了承する事だろう。最も、そんな話を佐山にするつもりは最初から無いが。
 そこまで考え、もう一度だけ道路に視線を戻す。細かに左右へ、そして背後へと視線を動かし、やはり気になる人物がいない事を再確認。
「……冬木さん。何を探してるんですか?」
「佐山哲」
 私は今日一日、ずっと抱えている懸念事項を口にした。
「昼時から、まだ姿を見ていない」
「それが、何か……」
 好都合だと、一之瀬は思っているのかもしれない。けれど私は逆。好都合過ぎるのだ。
「あの男は。私と一之瀬が個人的に接触を持っている所を見逃すほど甘くない。それが私の佐山に対する認識。だけど今日一日、あいつはまだ一度も姿を見せていない。それが逆に不穏だ」
「たまたま、とか。佐山さんにも何か考えがあるとか」
「私と時の魔術師の個人的接触、それ以上に貴重な事実が今更あるとも思えない。……今日、私が単独で貴女と会うだろう事は、佐山も推察してると思うけど。でも一度も顔を出さないのは、やっぱり妙。だから今も、何処かで奴が見ているのではないかと探している。聞き耳を立てている、通行人に会話を探らせている、もしくは別の方法」
 だが一向に見つからない。建物内部から私達の事を観察するにしても、私と一之瀬の動きが完全につかめる筈も無い。尾行されていたら、学校帰りの時点で気付く。壱場坂は一本道だ。
「……さ、佐山さんも、さすがにそこまで考えてないんじゃ」
「違う。佐山はそれ以上の事を考える男だ。変態だからな。手段を問わず、絶対に何かしら仕掛けてくるか、或いは既に仕掛けてある。私と同等、いや、正直に言えばそれ以上のものをあいつは持っている。……私が今日、個人で一之瀬と会った方が有利だと考えた以上、あいつもそれを前提とした上で、何か目論見があって私の前に姿を見せないとしか考えられない――だがそれが何か、未だに分からない」
 一之瀬と冬木の接触。今日、一之瀬から聞いた話はループから脱出する手段として貴重な物だ。その瞬間を、佐山哲は本当に見逃したのか?
 直に私と一之瀬の会話を聞く事は無くとも、後で『二人で何を話していたのか』と探りを入れられるように。或いは重要な話に入ったであろうタイミングを見計らって会話に乱入するなど、佐山らしく場の空気を完全無視した強引な手法をとってくると思っていたが、それも無い。
 なら。私と彼女の接触を目視で確認しなくても、私と一之瀬から情報を引き出す方法は――
「冬木さんは、面白いですね」
 背筋に嫌な予感が走った直後、一之瀬がふと口にした。突然の言葉に理解が及ばず、オウム返しに聞き返す。
「……何が?」
「だって。佐山さんは私と同じ思考パターンだから、私と同じ事を考えない筈が無い……って、普通に言いましたけど。すごい言葉だなって思うんです。それって、佐山さんの事を知り尽くしてないと出てこない言葉だと思うから」
 一之瀬の言葉に、そんなものだろうか、と首をかしげる。近くに居れば、嫌でもあいつの毒電波は感じ取れるものだと思うのだが――
「自覚症状が無いんですよ、冬木さんはきっと」
 不可解な笑みを浮かべて、一之瀬は腕時計を右手に上げた。四時、二十五分。
「冬木さん。私はこのループから出られると思いますか?」
 私に背を向け、一之瀬が白線の延びた横断歩道を見つめながら尋ねてきた。歩行者用の赤信号が、鈍い光を放っている。
「勿論。それは、私が保証する」
「じゃあ。冬木さんと佐山さんは、一緒にループから出られると思いますか?」
 質問の意図を、測りかねた。何も考えず、端的に返事を出した。
「それは、貴女が一番知ってる事」
「はい。最初はそうかな、って思ったんですけれど。でももしかしたら、冬木さんと佐山さんなら、みんな一緒に助かっちゃう方法を見つけるんじゃないかって。ちょっと思いました」
「それは――」
 どう答えるべきか迷った時。横断歩道の信号機が、歩行者マークの青へと変わる。
「冗談です。……私は自分が助かれば、それでいいと思ってる卑劣な人ですから」
 振り向いて見せた顔は、卑劣さを滲ませた笑顔には遠いものだった。唇の端を落としながら、瞼を伏せて笑う。不器用な笑顔は、暗い影を背負っていた。
 一之瀬が、横断歩道を歩いていく。私はただ、自分の腕時計の時間を見つめていた。道路の向こうから姿を見せた大型バスが、横断歩道に突っ込んでくる。青信号にも関わらず。
 バスには見覚えがあった。最初のループのあの日、佐山と共に乗ろうと思った定期バス。私と佐山をこのループに引き込んだ張本人。運転席を睨みつけると、あの時と同じ運転士の眠りこけた顔が見えた。運命は変わらない。ループは常に、可能な限り同じように時を刻む。私達の行動が変化すれば、他のものも変化する。
 私が今日、あの定期バスに轢かれないよう行動したら。あのバスの運転手は、私の知らない所で同じように人身事故を起こすのだろう。今日はたまたま、その相手が一之瀬になっただけ。とすると、私が助かれば彼はまた別の誰かを轢き殺すのか。それとも事故は起こらないのか――
「一之瀬さん」
「また、明日」
 最後に、彼女がそう答えた時。あの時を再現するかのように、一之瀬の真横からバスが突っ込み、
「っ……!」
 無意味だとも知りつつ、咄嗟に手を出した。
 それもまた、あの時の再現のようで。やはり運命は変わらない。

           ○

 右腕が痛む。ズキズキと響く痛みを抱えながら、瞬き一つせず私は目の前の光景を見つめていた。急ブレーキの音から、一之瀬の身体が地面にどすんと落ちるまで。私の伸ばした腕が、バスに弾かれ気を失いそうになりながら。
 奇妙な方向に折れた右肘を抱えながら、救急車を呼びたい衝動と混乱を押さえ込む。何をしても助からないのは既に分かっている。今の一之瀬の姿を見れば、否が応でも理解できる。そしてループ現象内の死は、何があっても変化しない事も既に理解している。
 意識があるのか無いのか、一之瀬はぼんやり瞼を開けていた。特に感慨らしきものは見当たらない。また明日、その言葉通りだからか。足元に血溜まりが広がる中、右腕の激痛を抑えつつ左手で一之瀬の腕に触れてみた。まだ脈は残っている。それも次第に弱くなり、私は機械的に彼女の首筋に手を当てた。鼓動の感触が、完全に消えるその時まで。
「……四時三十六分、五秒」
 周囲から喧騒が聞こえてくる。私の今の姿を、ひどく奇妙だと見ただろうか。別に構わない。明日になれば皆全て忘れている。それより今は時間を正確に知り、明日へと繋げる事。それが正しい選択だ。
 そういう判断が、私には出来る。非情で、冷たいほどに。
「……佐山」
 触れる脈拍が消えた後。私はそっと、一之瀬の身体を左手で探ってみた。スカート、ポケット、そして血まみれの制服。襟の裏側に手を入れた時、細長い金属のような塊が手先に触れた。
 人差し指と中指で、それを襟の裏から引いてみる。一見してボールペンのような形をしたそれは、襟の裏に丁寧に縫いつけられていた。本体をぶちりと引き剥がし、左手で口元へと運ぶ。
「聞こえているだろう、佐山。いつこんなものを仕掛けた? さっさと出てこい!」
 返事は無い。無言でそのボールペンを放り捨てた頃、野次馬の影が周囲にゆっくりと集まりだした。救急車を呼ぶ声が聞こえてくる。
 そんな人垣の間を割るように――
「大丈夫かね、冬木?」
 佐山哲が、堂々と怪しげな受信機らしきものを片手にしたまま姿を見せた。猫のように見上げる私の視線に対し、佐山が見下すかのように私を見つめている。
「貴様に盗聴癖があったとは知らなかったな。実に気に入らない方法だ」
「うむ。確かに言う通りだ。正直、あまりスマートなやり方ではないのは認めよう!」
 本当に悪びれている気配など一切無く、野次馬の前で相変わらず堂々と佐山が答える。だが目元だけは、全く笑っていなかった。
「だがしかしな冬木。悪いが私も、この勝負には負けられんと思ったのだ。君もおそらく似たような事を考えただろうが――多少、常日頃の暗黙のルールに違反してでも君を出し抜かねばならぬと、そう感じた。……まあ、詳しい話はとりあえず病院に行ってからにしよう。さすがに冬木と言えど痛かろう、右腕骨折は」
「……骨折ぐらい、今日が終われば治る」
「脂汗をかきながらその台詞は辞めたまえ。痛々しい。幾らループすると言っても、痛いもんは痛かろうからな。君は少し、自分の事まで疎かにしすぎる悪い傾向がある」
「私を出し抜こうと今しがた明言している貴様にだけは言われたくない台詞だ、佐山」
「ふむ。それもそうだが」
 黙り込んでしまった佐山に背を向け、右腕を抱えてゆっくりと立ち上がる。ざわつく野次馬達を睨みつけ、視線をそのまま佐山哲へと向けなおした。
「先に言っておく。私は自己犠牲的精神でお前を助けようなどとは思っていない」
「勿論、分かっているとも。要は、これは真剣勝負だと銘打ちたいのだろう? 悲恋ではなく命をかけた真剣勝負、そう名付ける事で、もし私が勝っても冬木が勝っても、名目上互いに遺恨が残らないようにしたい。そういう言い訳を作りたいのだな冬木」
「……分かっているなら、口に出すな」
「ふん。全く持って、実に冬木らしい考え方だ!」
 お前が言うか、と何度も思った。
「それはお互い様だ、佐山」
「それも私の台詞だよ、冬木」
 見下ろす視線と、見上げる瞳。互いに視線を衝突させ、頬を小さく吊り上げる。
 全く。これだから馬鹿は――馬鹿共は、困るのだ。














 ――間幕 3――


 夜風が涼しい、建物の屋上での事だった。
「つまるところだな、冬木。どう理由付けをした所で私は君を助けたいと思っているし、君は私を助けたいと思っている。だが建前上、我々は不器用であるが故にそう断言できず、両者ともに同じ事を考えているにも関わらず全く正反対の行動へと走らねばならない。結論は同等にして、しかし実に矛盾した話だと思わぬかね冬木?」
 夜空を見上げながら、佐山は独り言を呟いた。いつも会話を交えるべき相手は、既に隣には立っていない。冬木を無理やり病院送りにした後、佐山は夜まで時間を潰し。繁華街の中にある建物の屋上を訪れていた。
 地上、二十一階建ての高層ビル。落ちればまず即死は確定であろう高さから、佐山は肘をついて月明かりを見上げている。
「だがな冬木。君は私との勝負と言ったが……実は一度、私は既に負けているのだ。君は知らないだろうが、死亡時刻は私の方が遅い。なぜなら私はあのバス事故の時、私は君に助けられたからだ。君は即死したが、私は辛うじて病院に送られた。もっともその後、私もまた死んだ訳だが――今考えてみれば、それもまた一種の幸運であったかな、冬木。よってこれはリベンジマッチなのだよ。だからこそ負ける訳にはいかない。二度とな」
 誰も聞いていない独り言を呟きながら、佐山は時計に目を送る。八時半。
「さて。ではそろそろ行くとしようか」
 肩の高さ程ある手すりを乗り越え、外側に足をつく。強風が佐山の身体を吹きつけ、僅かにバランスを崩しそうになった。足元では、人が小さな豆粒のように歩いていた。
 理論上、佐山がここから落ちても、眼下を歩く人にぶつかる事は無い。そして佐山が仮に死んだとしても、明日はまたループの朝から全てが始まる。
「とは分かってても怖いぞ冬木! 私は高いところがあまり好きでは無いのだよ! 全く、何が楽しくて私がこんな所から飛び降りねばならんのか!」
 ぶつぶつと居ない人物に向かって騒ぎつつ、佐山は両目を子供のようにぎゅっと瞑った。目を閉じてピーマンを食べれば苦くない、そんな顔。
「それは理論上正しいのだよ! 食事とは味覚だけでなく視覚や嗅覚も相まってその味を醸し出している訳だから、目と鼻を閉じて食べれば苦くは無い! がしかし最初から視界を開いてピーマンをピーマンだと認識してしまうとやはり苦い! よって今更目を閉じても怖いものは怖いのだよ冬木!」
 もちろん誰に話している訳では無いのだが、佐山は意味も無く独り言を続けてみる。そのうち寂しくなったのか、最後にぽつりと呟いた。
「……やはり、冬木が居ないと寂しいものだな。全く、私もいつからこうなったのやら」
 独白のように呟いて。佐山は掴まっていた鉄棒から手を放し、二十一階のビルから空の中へと舞っていった。
 そうして、また今日へと戻るのだ。一歩一歩、進みながら。













 ――第六章――


 昨日はバス事故でした。一昨日は、確か植木鉢が落ちてきました。今日は一体何なのか。あまり考えたくない予想を思い浮かべながら、私がいつものおさげを揺らして自宅の扉を開けた時。不運は早朝から、元気に私の前に現れました。
「グッドモーニング、一之瀬さん。早朝から人前の玄関で待っているのは失礼極まりないかもしれんと思ったが、私とて色々と思慮深い考えがあってだな――と、待ちたまえ! 何故ドアを閉めるのだね!」
 玄関前に変質者がいたので、扉を閉めることに致しました。多分、これは私に限らず常人でも普通の反応だと思います。あんなのが玄関にいきなり仁王立ちしていれば、誰だって変質者だと思うに違いありません。私はごく当然の反応をしたのだと思います。
 まあ、私の場合はもう一つ意味がありました。現段階で、佐山哲に関わるのは得策では無いという事。冬木さんが何らかのアクションを起こすまで、私は静観すべきだと思ったのです。勿論、そこまで咄嗟に考えた訳ではありませんが。
「話しぐらい聞いてくれぬかね! でなければドアを暫くドンドンし続けるぞ?」
 徹頭徹尾、無視しました。そうでもして追い出さないと、危険だと思います。
 冬木さんは、特有の鋭さがあるけど話は通じる。佐山哲は、本当に度を越えた危険要素を孕んでいる。それが私の現段階での判断です。例え思考レベルは同じでも、私にとっては冬木さんの方が相性はいい。そういう意味で、佐山さんは徹底的に避けるべき。おそらく冬木さんも同じ意見を言うでしょう。常識はずれ、とはまた違う何かを持っているから。
 高校に通い始めて一人暮らしをしているのが幸いしたのか、仮にドアを何度叩かれても室内には問題ありません。この状況で冬木さんに携帯で電話すれば、なお幸いか。
「……あの、佐山さん」
「何だね一之瀬さん。私はただ君と話がしたいだけなのだが」
 玄関のドア越しに、佐山さんの声が響きます。さすがにドアを叩くのは無意味だと思ったのか、途中から聞こえなくなりました。ただ、帰ってくれる様子はありません。
「そのまま居座るなら冬木さんに、うちにストーカーが来てるって電話しますよ」
「誰がストーカーだね失敬な!」
 自覚症状が無いのでしょうか。それとも常識が通じないのか。
「まあ、そのままでも別に構わん。実はだな一之瀬さん、君に聞きたい事がある」
「……何ですか?」
 聞かれても、最初から何も答える気はありません。そう告げようとすると。
「君の言う、死者の時計という奴だがな。私に渡したほうが有利だと思うぞ? 何故なら私の方が、冬木よりも死亡時刻が遅いからな」
 言葉を聞いた直後、ドアノブを掴んだ指先が硬直しました。
 ――冬木さんが、佐山さんに事情を全て話したのか。彼女なら佐山さんに話さない、と考えたのが私の思い込みだったのか。それとも、
「ああ、そういえば昨日は悪かったな一之瀬さん。勝手に盗聴器などつけて」
「……は?」
「君のクラス、四時間目に体育の授業があるだろう? 律儀に授業を受ける君の性格が幸いしてな。その間にこっそり、君の制服に盗聴器を忍ばせた。無論、私とて本来そのような姑息的手段は使いたくないのだが、昨日は勝負所だと判断してな。君と冬木が接触するその瞬間、君がそろそろ動くだろうと推察し勝手に使わせてもらった。正攻法でなかった点については先に謝罪しておく。加えて、冬木が口を滑らせた訳ではない事も伝えておく……と、冬木が謝っておけとしつこく言われたので謝っておく。レディに対する礼儀に欠ける、と散々叱りを受けてな。確かに、と納得したものだ」
「……変質者」
「うむ。残念ながら昨日限定で認めよう」
 ドア越しに聞こえた佐山の声は、本当に沈んでいるようにも感じられました。いや、私がそう感じただけであって、心底で何を考えているかは全く分かりません。やはり危険――
「話す事は、何もありません。全部知ってるなら、尚更です。私は貴方と会話をする気はありません」
「うむ。確かにそう来ると思ったのだがな。しかし私にも引くに引けぬ事情がある。それに君自身も、実は卑怯者と呼ばれるに相応しい行為をしているとは思わんかね?」
「……何の話ですか?」
 返答の言葉が僅かに擦れたのは、おそらく見透かされたと思います。
「昨日の話。君の言う死者の時計の条件だがね。一度改めて整理してみたのだが、どうにも府に落ちない箇所がある。いや、君が意図的に隠していると言うべきか」
 指先を握り締め、扉をひっかくようになぞりました。僅かにきしむ音。その背後から、追撃のように言葉が投げかけられます。
「例えば君の言う、未来への五分ルール。あれは嘘だ」
「……っ」
「もし君が本当に、自分が助かりたいと思うのなら。その点については正直に話してもらわないと、私としては困るのだがな」
 額の合間を縫うように。嫌な汗が、背筋を伝って零れていきます。落ち着け、私。
 まだ彼は何も知らない。嘘の根拠も、明確に定まってはいない筈だから――

           ○

 喫茶店、というのは私にはあまり馴染みの無い場所です。理由は簡単で、私はコーヒーが苦手だから。もちろん普通の高校生らしく、誰かとお喋りをする時には寄ります。しかしそういう機会も少ない私は、例え大手チェーン店で名高い喫茶店すら殆ど行く事がありません。
「ほう。それは勿体無いな。私と冬木は時々行くが」
「……デート?」
「脳の活動には甘いものが必須なのだよ。故に、ケーキやクレープの類を好む。喫茶店もその一環だと思ってもらえれば結構」
「それはただ甘いものが好きというだけでは……と言いますか、惚気ですか?」
「そういう意味ではない。何を誤解しとるのかね。そもそも私と冬木は恋愛関係には無いと言ったであろう。第一あの冬木と手を繋いで街中をラブラブデートなど、想像しただけで吐き気と頭痛に加えて眩暈と自己嫌悪を呼び起こしそうなものだよ一之瀬さん」
 どこかで聞いたことのある台詞を喋りながら、佐山さんはブラックで頼んだはずのコーヒーに砂糖をたっぷり入れていました。全く意味がわかりません。
 喫茶店の中は、少し薄暗い感じのレトロな空気が漂ってます。午前中という時間帯のせいか、客足も殆どありません。元から繁盛している感じも無いようで、趣味で続けている店なのでしょうが。
「ところで一之瀬さん。君は先ほどから何となくイライラしているようだが、理由は何かね。マイナスイオン不足で不快か?」
「……多分、あなたの身体からプラスイオンが出てるせいだと思いますけれど」
「むぅ。君の言動は妙に冬木と被るのだが、私の単なる気のせいかね?」
「……それも、あなたのせいだと思いますけれど」
「待ちたまえ。それは暗に私が悪いと言っているように聞こえるのだが」
 佐山の戯言を無視した頃、店員様から気遣うように出されたアイスココアに手をつけました。私に無視された事が気に入らなかったのか、佐山さんは少しばかり不機嫌そう。
「まあいい。そろそろ今日の本題に入らせてもらうが――君の教えてくれた死者の時計の条件についてだが」
「……教えた訳ではありません。勝手に盗み聞きしたと言ってください」
「結果的に私が情報を得たことに変わりは無かろう。まあその、悪いとは思っているのだが」
 歯切れが悪そうに、佐山さん。そんな事を今更蒸し返すな、と開き直りを決め込むと思っていたのですが、案外本気で謝罪をしている様子でした。非道な手段は使うけれど、本来それは彼の好みではないのかもしれません。
「さて。過去の力が、今日という日を一日戻す。現在の力が、現在の時を刻む。そして未来の力が、五分間の時を飛ばす。補足として我々の感じたループ世界の条件を付け加えるなら。過去に記憶も引き継いで戻れるのは死者に限り、過去に戻った者以外は何ら変わること無く、我々が関わらない限り一分一秒たりとずれる事無く同じ生活を送る。……死者の時計が、死者の時計と呼ばれる所以はおそらく、その日死ぬ者にしか影響を及ぼさない事を起源としているのかもしれんな」
 一気に条件を並べ上げ、佐山さんは出されたコーヒーのストローに口をつけ啜りました。行儀悪くずずずと音を立てて飲んでいます。彼の隣に突っ込み役が居ないというのは、案外この社会にとって害悪な事なのかも。
「この話を盗み聞きした時、私は幾つかこの法則に疑問を持った。何故なら君はこの時計を使うにあたり、誰かの協力が不可欠だと判断したからだ。自らの死亡時刻を正確に測る必要がある、という目的を達成するためだろう。では何故、正確にその時間を測る必要があるのか?」
「……それは死亡する五分前から死亡までの間に、正確にスイッチを押さなければいけないからです。実際の所、死亡する五分前の状況というのは中々実現できるものではありません」
「確かに、それはある意味正しかろう。が、ある意味では違う」
 予め用意した私の答えを、佐山さんは一蹴しました。
「君の言う通り、正確に五分前に死亡する状況、というものを作り出すのは困難だろう。五分間の間に確実に、死という現象を挟むのは実に困難な事だ。がしかし、それは本当に必須事項か? 例えばの話、予めその時計で過去へと戻る力を発現させておき、同時に未来へと飛ぶ力を今日発動する。五分の間に、死を免れるかどうかは運任せ――そうすれば仮に五分間の跳躍の間に死を飛び越えられずとも、君は死亡する訳だからもう一度ループに戻る。そして戻ったなら、また同様に挑戦すればいい。そうすれば例え確率は低くとも、何度でもこの実験をくり返せる。おそらく十回挑戦すれば、一度ぐらい成功するだろう」
「……言われてみれば、そうですね。気付きませんでした」
「本当にかね?」
 佐山さんの瞳がじっと、私の奥底まで見透かすように。真正面から挑んできました。どんな嘘も通じないと、口にせずとも本能的に理解させる眼光。
「君は可愛らしいおさげをした外見の割には、人を騙す度量もあるし知恵もある。この事実に気付かないはずが無い、というのが私の考えだ。仮にそう仮定すると、では君は何故そのようなローリスクな手段を選ばなかったのか? 冬木を利用して死亡時間を特定させ、スイッチを押させるという回りくどい手段を取ったのか? その疑問に一番納得のいく答えは――君がその方法に気付かなかったからではなく、気付いても実行できなかったから。では何故実行できなかったのか? それはおそらく、死者の時計の機能に制限がついていたから。それ以外に、私には君がこのハイリスクな方法を選んだ理由が思い当たらない」
「……何を根拠に、そんな事を」
「明確な根拠は無い。ただし自らの保身を第一に考え、私との会話すら危険と判断するほど安全策を好む君が、こんなにもハイリスクな――即ち他人に頼らざるをえない方法を取るからには、それなりの事情があるからだろうと判断した。では、その事情とは何か。一番簡単なルールは、未来と過去の力は同時に発現できない、という可能性。その時計には何らかのエネルギーチャージが必要なのか、それとも二十四時間に一回のサイクルがあるのかは知らんが、ルールはルールとして厳格に存在する。それが私の今の考えだが違うかね?」
 一気に騒ぎ立てる佐山さんの表情よそ目に見ながら、アイスココアに口をつけました。ゆっくりと口の中へと流します。舌の上に広がる、ココアのまろやかな甘さ。
「ココアは美味しいかね一之瀬さん。動揺や表情を押し隠すには実に上手い手段だな! では暫し、飲み終わるまで待つとするか」
 小さな音を立てて、半分ほど飲み終えたグラスを置きました。
「ん? 遠慮せず飲みたまえ一之瀬さん」
 その一々勘に触る言動こそが、佐山哲の一つの武器だということを、今の私は知っています。それでも反応せざるを得ないのは、私が反応するまでこの男が待ち続けるから。時間は幾らでもある、とでも言いたげに。
「……貴方は、嫌な人ですね」
「うむ。自分でもそう思うな。実に陰湿な方法だ。本来の佐山哲が持つポリシーすら捨てた感じが、我ながら情けない」
「自覚症状があるなら、直したほうがいいと思いますけれど……」
「うむ、といいたい所だがそうもいかん。今回ばかりは多少、卑怯な手段を使っても負けられぬ勝負だと感じたからな」
 木彫りの机に肘をかけ、口元を覆い隠すように佐山さんが手を当てました。秘め事を抱えた口元を、ほんの僅かに隠すように。
「……正直に言うと、だ。最初このループ現象というものに、私はある種の興奮を感じたものだ。平凡で退屈な日常世界からの脱却、興味深い現象の数々。実に心躍る。今でもそうだ。常日頃、毎日が退屈だと思っていた私にこんな不可思議な体験が訪れた! それは本来なら嬉々として受け入れるべき事態であっただろう。が、しかしだ」
 一呼吸を置いて、佐山さんは少し恥ずかしそうに頬を掻きました。
「あのバス事故に会った後の出来事だったからかもしれん。訪れた非日常の喜びは、冬木の安全が確保された上での話だという事も同時に知った。私一人ならともかく、冬木も関わっているとなると、この現象をワクワクドキドキのパラレルワールド大冒険、では終われなくなってしまってな。私だけの冒険なら幾らでも無茶ができるが、冬木が関わっているとなると話が変わる……と、あの事故の時に改めて感じたものだ。故に必ず、最後は勝たなければならん」
 私が佐山さんに視線を合わせると。今度は彼の方が、照れ隠しをする平凡な男子学生のように目を俯けました。凄く、似ていると思います。冬木さんと。
「……冬木さんの事が、大切なんですね。佐山さんは」
「別にそういう訳ではないのだがな。ただ冬木が隣に居てくれるという一種の奇怪な安心感が無い限り、私が心の底から日常の退屈を嫌い、楽しい非日常的な快楽を味わえない、そう感じたに過ぎないのだよ一之瀬さん」
 あえて理屈で説明しようとする佐山さんの姿は。私には、とても滑稽に見えました。
 多分、二人とも知っているのです。お互いに波長が合うという言葉や、屁理屈で誤魔化しあっている事ぐらい。そして、それを楽しんですらいる。
 この二人はいつも惚気ているのです。半分ぐらいは自覚しつつ。もう半分は、無意識で。
 だから互いに、嫌いだと言いながら相手の裏をかこうと画策してる。同時に、相手がどう動くか何となく分かっている。
「不思議に思うかね? 私と冬木の関係を」
 珍しく本気で尋ねて来た佐山さんの言葉に、私は思わず噴き出しました。
「……素直じゃない、とは思います」
「確かにな。だが、これも一種のスタイルなのかもしれん。私と冬木なりの、な」
「……凄い惚気言葉ですよ、それは」
「うむ! 確かにその通りだ、と認めない所が、私が佐山哲たる所以なのだが――」
 どこか陽気な空気を醸し出し始めた、佐山さんは。そこから、一気に波が引くように、冷めた視線を向けてきました。ざわりと総毛立つ空気。
「その私と冬木の関係を利用しようとした罪は重いぞ、一之瀬。その点は君の大いなる失敗だと心得て置くがいい」
 背筋に、蛇のように走る寒気と、汗。
 この二人は。特に、佐山哲は。冬木さんと屁理屈で遊ぶのと同時に。それを汚す相手には、容赦の一つも無い。まるでお互いが、お互いを守護する獣であるかのように。
「過去と未来は、同時に操る事は不可能。それが私の、一つの見解だ。もしそれが可能なら、君は幾らでも実験をくり返せるからな。がしかし、それでもまだ不満が残る。その未来へ飛ぶという、五分ルールの事」
「……それは、嘘ではありません。本当の事です」
「確かに五分、という制約は本当だろう。だがそれなら、もう一つ別の賭けが出来る」
「賭け?」
「その未来へと続く五分間の跳躍を、連続して施行するという荒業。君は確か、こう言ったな。その消えた五分間の間の事象は、どんな事があっても無かったことに出来る。例えそれが、死という現象でも。とすると、例えば死の直前に起きるべき予兆すらも、その力を用いれば回避する事が可能となる」
 佐山さんがテーブル脇に備えられた布巾を一枚、取り出しました。そこにポケットからボールペンを取り出します。盗聴器付きボールペンとは、もしかしたらこれの事かもしれません。
 白紙の代用として取り出した上に、佐山さんが横に線を一本引きました。
「仮に、君が四時三十分零秒、丁度に死亡が確定していたとする。その前兆が始まるのが、仮に四時二十分だとしよう」
 横軸に、時間軸。その間に括弧をつけるように、五分刻みにメモリを描いていく佐山さん。
「では四時からそのスイッチを乱打したら、一体どうなるか? 四時から四時五分、十分、十五分、二十分と飛び――その瞬間、君に向かって例えば車が突っ込んでくる。空から何かが落ちてくる。だが、その直後に君はまた未来へ飛ぶスイッチを押したとすれば? その車が突っ込んでくる、という事態すらも回避し二十五分へと飛ぶ。その頃にはおそらく、可能性として起こりうる全ての現象が、君の四時三十分死亡を確定させようと襲い掛かってくる事だろう。が、君がもう一度スイッチを押すまでの間隔、時間にしてコンマ十秒程度の間に、君が致命傷を受ける可能性はどの程度か? 私は限りなく低いだろうと推測する。第一、この方法なら五分ごとの跳躍で、四時三十分零秒に辿り着く可能性自体が極めて稀だ。数秒前か後でもセーフだと仮定すれば、未来への時間跳躍を連続で行使すれば実際に死亡する確率は一パーセントにも満たん。勿論、死という現象が起きる時間が、どれ程の幅を取っているかにもよる訳だが」
 直線上に、死亡を示す×印をつけ。その間を、かっこで飛ぶようにマークつける。
「時間とは本来隙間のない連続性を持つ。故に死という現象が途中にあれば、必ずそれにヒットするし、その前兆となる現象が起きる事で死に至る。だがこの方法なら、回避できるのでは無いかね? 例え当事者一人でも」
「……確かに。ですが、それは確実とは言えません」
「しかしこの方法なら、場合によっては全員助かることも出来るぞ。しかも、かなりの高確率で。折角ならこちらに賭けてみようと思わぬか? 一之瀬亜由美」
「悪くない案ではありますけれど。でもそんな事――」
「君がそこで躊躇う理由を、私としては聞きたいのだが」
 どう理由をつけて言い返そうか悩んだ時。背筋を這うような悪寒を感じ、顔を上げました。佐山さんの、氷のような瞳。
 違う、と直感します。彼は最初から、この方法は実現不可能だと考えている。その理由も薄々ながら、感づいている。それが不可能だという確証を、私の口から聞きたがっている。そのための、詭弁。
「如何かね、時の魔術師。荒業とはいえ、なかなか合理的な作戦だと思うが。もし否定するならその根拠を教えて欲しい。或いはこれが、不可能だと言う理由を」
「……佐山さんは、どうして私が今躊躇うのか。何となく分かっているんじゃないですか?」
 私の問いに。佐山さんはうっすらと頬を吊り上げました。
「勿論。君がこの案を根拠無く否定するのなら、私が懸念している事が確定事項になる。そして、その話を冬木に流す。逆にこの案に乗るのなら、君は何の問題も無く死亡時刻が一番遅い私に時計を渡せばいい。或いは君自身が実施した後、私も冬木も個別に実効すればいい。私が幾ら人でなしとはいえ、君を放り出すような人間でない事は百も承知のはずだろう?」
 ココアに手を伸ばすと、その手首を佐山さんが掴みました。っ、と小さく小声で反抗しても、手首を強く握られます。
「感づいているようだから率直に尋ねよう。君の言う、未来跳躍の力。本当は一日につき一度しか使えないのではないかね? いや、本来その時計の力は、一日につきどれか一つを一度だけしか使えない、という単純にして最も厄介なルールがあると考えるのが一番しっくりくる。それなら君が毎回ループを起こしている理由も、逆に未来への跳躍を全く行わない理由も理解できる。昨日、君が冬木に説明した時、時間が五分間飛ぶ『らしいです』と自分自身すら体験した事が無いのを裏付ける発言とも符号する。故にこの時間跳躍は最初から一発勝負、絶対に外す訳にはいかない――だからこそ失敗は許されない」
「離してください」
 強い口調で答えると、彼はすぐに手を放しました。手首に僅かについた痣をさすりながら、きつく睨みつけます。それでも、彼の表情に変化はありません。
「さて、こうなると話は代わってくる。君は冬木に、私と冬木のうちどちらを助けるかという選択肢を与えたように見せかけながら。実際には最も早く死亡時刻が訪れる自分自身だけを助けるために、我々の視線を逸らせた。……我々のうちどちらが君から時計を預かろうと、結果的には君だけが助かる。冬木にそう行動させるつもりだったのだろう。そして、その条件を満たすには、私も冬木も君より今現在の死亡時刻が遅い事が前提。その事を見抜いたうえで、君は冬木に接触し時計の条件を打ち明けた」
 全てを看過するように、佐山哲は瞳をサメのように輝かせ。
「感づいた時、実に容赦の無い作戦だと思ったものだよ、時の魔術師。だが、ここも君の少々読みが甘かった。私の行動を読みきれなかったこと――いや、最大の失敗要因を挙げるのなら、私と冬木が共に居た事だろう。でなければ、私もここまで躍起に食いつく事は無かった、かもしれん」
 大層な惚気話を、口にしました。
 おそらく彼は、それが信頼の証とは考えていない事でしょう。無自覚のまま、自然に答えているのです。冬木さんが居た事が、私にとっての最大の失敗だと。
 死者の時計は、大切な者がいる人にしか使えない。誰か他人を信頼する事によって、初めて効果を示すもの。その具体的な例を、突きつけるかのようでした。
 策謀には不向きなのです。この、時計は。
 最初から知っていた事でした。今の私には、扱えないと。
 昔、祖母に貰った時から。
 人を信じなさいといわれた、あの時から既に。
「……佐山さん」
 ――それでも。
 今の私は、そういう方法しか知らないのです。相手を騙し裏切り、卑劣な方法で自分自身を救う事しか。それ以外の手段を、私は知らない。
「何かね」
「……私は一言も、その力が一度しか使えないとは言っていません。ただ実際には、連続しての使用が不可能と言うのは、制限としてかかっています」
「ふむ。それはどの程度の間隔かね」
「一時間」
 だから私は、自分なりのやり方を通すしかない。
「では実際に時間を飛ばす時は、まず冬木を助け、それから一度時間を戻して君を助けるとしよう。それなら問題なかろう?」
 笑顔で当然のように答える佐山さん。もしかしたら、私は元々化かし合いの類が苦手なのでしょうか。動揺を押さえ込んでいるつもりでも、表情の何処かに零れてしまう。最初から、他人に疑いをもって考えている事すらも。
「実に不満そうな顔だな、一之瀬さん」
「貴方の言動が、気に入らないだけです」
「まあ別に、幾ら君に嫌われようと構わぬさ。それに君とて同類ではないかね? 鼻から人を信用しようとしない。生死を賭けた事態において人を信じるなど以ての外、という思考は確かに分からなくも無いが……君の場合、何と言うか最初から相手にすらしない事を前提として動いている節すらある」
 余計なお世話だと思いました。そんな事を、今更――
「私は最初から、人なんて誰も信用できないと思ってます」
「……ふむ。実に興味深い話だが、それが君の本心にして人間形成の核たる部分かね」
「私はそういう人なんです。おさげは可愛いかもしれませんけれど」
 淡々と、皮肉を交えて返事をしました。
 もう既に、会話はどうしようもないほど無意味になっています。やけっぱちと言われても構いません。佐山哲は、おそらく私がどう弁明しようと死者の時計の条件を一日一度と決め付けて実行する。何故なら私が幾ら隠そうと、その危険性を考慮しているから。私が嘘をつく可能性があるとしたら、最早そこしか無いと考えているから。
 そして、その条件が真実である以上。彼は間違いなく冬木さんを助け、私を容赦なく振り落とす。
「……あまりそういう自虐的な言い方をすると、折角の可愛らしさも台無しだと思うのだがな。冬木を見たまえ。あのぶっきらぼうで愛想の一つも無い冷徹女を。それに比べれば君は可愛らしさオーラ的にはよっぽどマシだと思うが」
「冬木さんに言いますよ」
「それは是非とも勘弁願いたい所だ」
 私は人を信用するには、あまりにも欠けた心を持ち。逆に人を騙すには、あまりにも演技が下手だった。中途半端。最初から、最後まで。
「ところで、一つ気になる事があるのだが。質問してもいいかね?」
「……これ以上、何を聞きたいのですか」
「なに。私があまり立ち入って尋ねるべき事なのかどうか、私自身も疑問に思うのだが――君はこう、全体的に不自然だな。何と言うか、君はどうも自分は人を信じてないと、自分自身に思い込ませているような感じがするのだよ。何となくだが」
「……それは中途半端という意味ですか? なら正しいと思いますが」
「そうではない。君は意識的には、我々を欺こうとしている。だが無意識の反応として、我々を助けたいとも思っている。けれど、上手くいかない。私の勝手な想像かもしれんが。今一つ納得のいかぬ事が多くてな」
 ふむ、と呟き腕を組む佐山さん。それこそ、私にとっては奇怪な発言でした。
「……私は、そうは思いませんが」
 現に私は、今でも彼を欺こうとしている。冬木さんも。
 何処まで行っても、私は心の底で大きなバリアを張っているのです。その中で一人、遠くから監視カメラのように事態をただひたすら傍観する。それが私、一之瀬亜由美たる人間。
 そんな人間を前に、本心で欺こうと考えていないなんて。そんな事。
「佐山さんも時には、見当違いな事を考えるんですね」
 自虐的な響きを込めて言い返すと、佐山さんは軽く鼻で笑いました。何がおかしい。
「今の言葉も事実、そうだ。君がもし本気で人を信用しないのならば、決してそのような事を口に出しては言わぬと思うのだ。むしろ私のように飄々としていながら本心を隠し続け、道化を演じ続ける者こそ人を欺くには適した人間なのだと思う」
「……そうかもしれません。でも私はただ、嘘が下手なだけです」
「そうかもしれんな。だが仮に芝居下手だとしても、真正面から私は人を信用しません、と言う人間はそう多くない。言葉の裏返しとでも言うべきか。深層意識として、人に対する信頼を得たいと思っている、ような気がするのだ。私としては」
「そんな事」
「無い、と断言出来るのなら言ってみたまえ」
 ――絶対にありません。
 と。頭の中だけでそう叫びました。
「……私は、貴方や冬木さんを騙してまで自分本位に自分だけ助かろうとする人です。そんな人間が、他人を信頼するような人だと私には思えません」
 実に言い訳じみていると、自分自身でも思います。不必要な発言。本気で相手を騙そうとしている人間の言葉とは、とても思えませんでした。まるで彼の言葉が正しいのだと、何処かで認めているかのように。
 ジリジリと、焦燥感だけが炎のように焦げていきます。それとも焦っているのは私だけか。
 そんな私を前にして。不意に、佐山さんの声が柔らかくなりました。
「私はな、一之瀬さん。もし君が本気で自分だけ助かろうと思っていたのなら、誰にも頼らず別の方法を考えただろうと思っている。最初の空メールを送る前に、だ。にも関わらず、君は我々が同じループに入っている事を知った途端、空メールという最大のメッセージを送った。君としては相手を利用する策の一種として行動したつもりかもしれんが――君自身の迷いも多分に含まれていたのではないかと考える。助けて欲しい、或いは助けたい、という願望」
「その話は、さすがに飛躍しすぎだと思います……私はそこまで考えていません」
「考えてないからこそ良いのだよ一之瀬さん。君が冷徹に徹しきれなかった良い証拠だ。私は正直、君にそういう部分が無ければ、我々は全員で共倒れしていたのではないかと考えている。君自身が自分ひとりで何とかしようとして、勝手に自爆していたのではないかと」
 彼の話には、根拠が全くありません。
 だから一応、理由だけでも聞いておこうと思います。
「私の話は以上だが、何か質問はあるかね? 一之瀬さん」
「……今の話の。根拠は」
「君が案外、お喋りだったこと」
「……は?」
 私が、喋りすぎたという事でしょうか。
「今の話もそうだが、君は最初から黙っていればそれで良かった。なのに親切丁寧に私や冬木の言葉に反応し、会話を弾ませ、君にとっては不利なはずの情報まで話している。君は常に、私や冬木が嘘を看過した時、それを素直に認めすぎているのだよ。極端な話、君は我々の推論に対し、それは嘘八百のでまかせですねという一言だけでずっと押し切ってしまっていれば良かったのだ。死者の時計の事など一言も触れずにな。にも関わらずわざわざ答えてくれたのは、君の性格に加えて誰かと話をしたい、という願望があったのかもと思う。或いは、私や冬木と、勝負をしたいとでも思ったか」
「……それは単純に、佐山さんの口車が上手かっただけだと思いますけれど」
「まあ、その真相は闇の中。君自身の問題だからな。もう一度考えてみたまえ。ただ――」
 何がおかしいのか。佐山さんは嬉しそうに口元を綻ばせ、満面の笑顔でくつくつと笑いながら、私の顔を見つめてきました。
「自分では思ってなくとも、もしかしたら自分がそう考えていたかもしれない、と自分への言い訳にしてみるのも面白いとは思うぞ? その方がずっと楽だと思うがな。君にとっても」
 冗談のように喋りながらも。佐山さんの声は、随分と温和な響きを持っていました。
 そう考えていたかもしれない、と自分に言う。人の感情を勝手に決め付ける、横暴な発言。
 けれど。私ももしかしたら、同じような事を自分に課していたかもしれません。私は常に人を騙し続けながら生きていた。その事実がいつの間にか、騙さなければならない事実へと、逆転していた。それが私、なのだと。
「余計なお節介だったかね? 一之瀬さん」
「……そうかもしれません」
「それは失敬。まあ、口車に乗せられたとでも思ってくれたまえ」
 本心でそう思っているのか否か。彼はやはり茶化したような顔しか見せませんでした。
「さて、一之瀬さん。実は最後にとっておきの話があってだな。私としては、先ほどの案とは別にもう一つ、その死者の時計について裏技的な用法を思いついた。先ほどの五分ルールが一日一回しか使えないということを前提としており、さらに一発勝負的な面もあるが」
 佐山さんは、私の瞳をじっと覗きこみながら。
「君が私に時計さえ渡してくれれば、上手くいけば全員助かる方法を思いついた。私も冬木も、そして君もな」
 白い歯を輝かせながら、笑いました。
「めでたくハッピーエンドへの一発勝負。こう言うと少しばかり、話を聞きたくならぬかね? 全員で助かるのなら文句は無かろう? それなら、君の奥底で冬眠している罪悪感も多少は薄まると思うのだが。さて、如何かな?」
 その笑顔はなんとも眩しく、そしてやはり道化のように冗談めいたものでした。

 そして、その提案は。
 私に、佐山哲という人間を信じよ、という選択を迫っているのと全く同じ意味を持っていました。
 ――遥か昔。私の大切な人が、そう語ってくれた時と同じように。














 ――間幕 4――


 人生とは運命という名のレールを歩く一本道の事、などと冬木は一度も考えたことが無い。運の良し悪しはあれど、道はいつも自分で切り開くものだと思っている。
 机の上に置いた紙に横軸を引きながら、シャーペンの先をとんとんと机に押し付ける。リズムよく響く木製の音が、夕刻を過ぎた教室内に流れていく。
「一足す一は、ニ。不変の事実。……今日、という一日の固定化」
 今日、佐山と一之瀬が学校に来ていない事は知っていた。どうせ佐山が押しかけ、昨日の話しについて根掘り葉掘り聞いているのだろう。死者の時計の細かなルールについて。
「固定化された中では、一分一秒たりともズレが無い。昨日と全く同じタイミング、同じ行動、同じ運命。けれどループに紛れ込んだ私達が動けば、一分一秒は変化を起こす」
 手元に書いた一足す一、の中にXを加えてみる。
「ループ当事者、変数X……Xは変更可能。ただし自分の行動出来る範囲内、そして自分が今日死ぬといった確定的事項は変更不可」
 シャーペンを離し、軽く右肘をさすってみた。昨日骨折したはずの腕には、既にその痕跡すら見当たらない。自分の右腕を見つめながら冬木は眉を潜め、瞼を閉じる。
 昨日、一之瀬を跳ねた運転手の顔には見覚えがあった。冬木がループに入る原因となった、最初のバス事故のときの運転手。彼自身がループ現象に入っていない所を見るに死こそ免れたものの、彼が事故を起こす事実は既に固定化されているのか。本来なら冬木と佐山に起きるはずだったバス事故の代替として、昨日は一之瀬が轢かれた。とすると、仮に私達全員がその候補から外れていたとしても、あのバスは何かしら別の理由で事故を起こしていると考える。
 今日、私が死ぬ事実。あの運転手が事故を起こす事実。一分一秒、ミクロ的なレベルにおける事象の変化はあっても、人生の転機となるような大きな事実は固定化されて発生する。しかしXが動けば、そのバス事故の時間だけは変化した。事故自体は回避不可能であったとしても。
 ならば。例え死という現象自体は回避不可能でも。死の時間を変更する。遅くは出来なくとも、逆に早める事は――可能?
 瞼を開けた。ポケットの中で小さく、携帯が振動した。着信、佐山哲。
『こちら佐山哲。冬木、冬木、聞こえるか? 聞こえるなら今すぐに告白せよ』
「何を?」
『佐山哲は素敵な男ですと』
「断る」
 電話を切った。再度かかってきた。仕方なく、出てやる事にする。
『……冬木。冗談を間に受けて電話を切るものではないぞ! 時々思うのだが、君はもう少し可愛らしくして愛想を振りまけば男共など沢山寄ってくると思うのだが』
「興味がない。それとも、佐山はそんな女の方が好みなのか?」
『嫌いだな。うむ。……それより冬木。今しがた一之瀬から話を聞き、また私なりに様々な思案を巡らせた結果、私は一つの結論に辿り着いた! 全員が助かるとっておきの方法だ』
「……ほう」
 それは奇遇だ。私も今しがた、思いついた所だった。死の時刻を遅くする事は不可能でも、早める事は可能なのではないかという推論を元にした方法。
「死亡時刻を揃えるつもりか? 佐山」
 一言でそう切り返すと、佐山は電話越しに息詰まった声をあげた。
「死を回避する事や、既に死亡が確定した時刻以降を生き延びる事はできなくとも。死の訪れる時間帯を早める事自体は可能かもしれない。試した訳ではないけれど……変数X、つまり一日の中で変化する事ができる私達には、それが可能かもしれない。もしそれが可能であれば――現在の一之瀬の死亡時刻、十六時三十六分に私と佐山の死亡時刻を近づけ、その全てを時間跳躍する五分以内に治める事ができれば、全員共に今日訪れる死という現象を飛び越えられる」
『流石だな冬木! 実はその話なのだが、死亡時刻を早められるかどうか今日確認する』
「今日?」
『うむ。実は昨日、冬木を病院送りにした後の話なのだが。壱場町のど真ん中にタワービルがあるだろう? 地上二十一階建ての無駄に高い建物。昨日、あそこの屋上から本来の死亡時刻より一時間以上早く飛び降り自殺を図ってみた。実に怖かったぞ冬木! そのうえで実際に今日の死亡時刻が普段より早いと認識できれば、死亡時刻が変更可能だと考えられる。結果は明日伝えよう!』
「……そう。なら、それが上手く行ったら――私と佐山は明日、十六時三十分過ぎを目処に、そのタワービルから飛び降りれば死亡時刻が揃う」
『うむ。そして最後は運任せになるのだが、その揃えた死亡時刻に合わせて死者の時計で時間跳躍を行う。上手くいけば全員成功、失敗すれば全滅だが、やってみる価値はあるだろう?』
「確かに。分かった。一之瀬さんには?」
『既に話を通してある。全てが上手く行ったなら明日、私に時計を譲ってくれるそうだ』
 そう、と頷きもう一度瞼を閉じた。
 考えろ。佐山の言葉の意味は何か。佐山哲が何を考えているか。
『異論は?』
「……無い」
『では、また明日。良き夜を、冬木』
「佐山」
『なんだね?』
「……また、明日」
『うむ。また明日。そして、また明後日だな、冬木』
「……ええ」
 素っ気無い言葉を残し、佐山からの電話が切れる。暫くの間、耳元で鳴り続ける途切れた電話音を聞きながら。私も同じように、携帯を切った。
 考えろ。佐山は一体、何を考えているのか。


 もう一度携帯を取り出し、一之瀬亜由美の番号を呼び出した。電話番号は覚えている。登録しても毎日消えてしまうため、既に番号は暗記していた。
 三コールほど続いた後、電話の接続音が鳴る。佐山の目論みは理解した。なら私は――
「一之瀬さん。佐山から話、聞いた?」
『はい。聞きました。……全員で助かろう、っていう話』
「そこに今、佐山はいる?」
『……いえ。今はもう居ませんけれど』
「そう。なら好都合。一つ頼みがある。死亡時刻を揃えて、全員で運任せに時間を飛ばす。佐山から話を聞いたなら、知ってると思うけど」
『はい』
「はっきり断言する。私が佐山だったら、そんな不確かな方法は絶対に使わない」
『……は?』
「そして私も、そんな不確かな方法には頼らない。……だから少しだけ、協力をお願いする。一之瀬さん」
『でも』
「お願い」
 電話の向こうで息詰まった声に、期待を託して最後の選択肢を突きつけた。
 彼女は。おそらく、迷っている。罪悪感と信頼の狭間に囚われて。自分が人を信じていいのか、どうなのか――
『私は、何を?』
 帰ってきた返事に。私はほんの僅かに頬を吊り上げ、瞼を再度閉じて答えた。
「……簡単な事。ただ、佐山を引っ掛けるだけ」














 ――第七章――


 六月、二十三日。天候、晴れ。


1.

 冬木有紀はその日、いつもと同じように目を覚ました。
 白地の羽毛布団を丁寧にたたみ、鳴ってもいない目覚まし時計の頭を静かに叩く。六時五十分を示した針はここ十日間、やはり一度もベルを鳴らすことなく沈黙している。折角だから鳴らしてやろうか、とも思ったが即座に辞めた。どうせ明日になれば、目覚ましに頼る日々がまた訪れる。そんな日が来ないと思うほど、冬木は感傷的な人間ではない。
 私服に着替え、自室の戸を開ける。見飽きたとばかり思っていたエプロン姿の父親も、よくよく見ると裾に汚れがついていたりと随分年季が入っていた。ウィンナーを炒める、ジューシーな音が聞こえてくる。
「おはよう、お父さん」
 冬木の丁寧な挨拶に、不審なものを感じたのか。振り返った父はフライパンを片手に、おや、と首をかしげていた。
「どうした有紀。私服着て。今日は日曜日じゃないぞ」
「分かってる。でも休む。大切な用事があるから」
「……そうか。分かった。じゃあ今日はその大事な用とやらを済ませてこい」
 そういって、やはり昨日と変化の無い朝食、ウィンナーと目玉焼きがテーブルに乗せられた。半熟気味に焼かれた目玉焼きは、食パンに乗せると意外に美味しい。黄身の部分のとろみを、父は実に上手く作り上げる。それが、美味しい。
「お父さん。一つ質問。……私が死んだら、お父さんは悲しむ?」
 朝食に似つかわしくない会話だという事ぐらい、理解していた。ただ、今のうちに一度聞いてみたいとだけ思ったのだ。念のため。
「そりゃあ勿論。有紀はお父さんとお母さんの大切な一人娘だからな。男っぽいけど」
「……そう」
「有紀。死ぬ予定でもあるのか?」
 ある意味的を射た発言に、冬木は言葉を詰まらせた。ウィンナーを一口齧ると、脂の旨味が染みてくる。
「別に。飛び降りる予定はあるけど死ぬ予定は無い」
「そうか。お父さんにはよく分からんが、多分有紀がそう言うのならそうなんだろうな」
 何だこの会話は、と思う。しんみりとした、快適な朝らしからぬ空気。冬木宅らしくない、全くもって感傷的で、情緒的で。まるで別れの挨拶のような。
「……ご馳走様」
 箸を置いて、席を立つ。自分の私服姿に違和感が無いか、軽く鏡に目をやってから靴を履いた。
「有紀」
「……なに?」
「明日は学校、行くのか?」
 父親の、その質問に。冬木有紀は勿論、こう答えた。
「大丈夫。二日も学校をサボるほど親不孝者じゃないから、私は」
「そうか。じゃあ、行ってこい」
「はい。行ってきます、お父さん」


2.

 佐山哲はその日、自宅の鏡の前で延々と唸っていた。
「しかし考えてみれば、人は自分の死の瞬間など本来知らぬ訳だからな。もし自分が死ぬとしたら、どんな服装で死にたいか……ううむ、実に悩み所だ」
 腕組みをし、自分の背丈ほどある鏡の前で唸ってみる。やはり自分らしく制服姿だろうか。それともタキシード姿で気取ってみるか。いや、タキシードで飛び降り自殺を図ったら、それこそ変態だと思われる。しかし、捨てがたい魅力的な選択肢のような気もしてならない。タキシード姿にシルクハット、ステッキを持った謎の高校生転落事故、というのも中々誘われるものがある。
「もっとも我が家にはシルクハットもステッキも、タキシードすらも見当たらない訳だが」
 結局、髪の毛だけは整えて。いつも着ているようなチェックの長袖にジーパンを選び、佐山は玄関の戸を開けた。玄関に鍵を差し込み丁寧に閉じ、その鍵をポケットに入れる。
「今までご苦労だったな、我が家よ。私のわがままに日々、付き合ってくれて助かった!」
 敬礼をするように、佐山は笑って頭に指先を揃えてみせた。
 さて、と呟き振り返る。一之瀬の自宅までは、歩いて約三十分。だがそう急ぐことも無い。何より一之瀬自身が、今日のうちにしておきたい用事があると言っていた。祖母の墓参りだけはしておきたい、と。
「……冬木の家にでも行くか」
 軽く呟き、佐山はその足取りを冬木の自宅へと向けた。


3.

 一之瀬亜由美はその日、祖母の墓参りに行く予定など無かった。けれど、本当は行こうかとも考えていた。死者の時計の、力の根源。人を信頼するという言葉の意味を、ほんの少しだけ分かったような気がします、と。伝えに行くべきかもしれない、と考えて。
 けれど結局、止めにした。代わりに明日、行こうと思った。
 早朝から私服で家を出て、壱場町のデパートを目指して歩いていた。開店時刻は十時過ぎ。その十時丁度から入店し、一之瀬は案内掲示板を見つめながら三階へと昇っていった。開店直後、ただ一人だけ早足でエスカレーターを昇る隣から元気良く「いらっしゃいませ」という店員の声が聞こえてくる。朝一番、気合が入っているのはお互い様なのかもしれない。
 三階に辿り着き、一之瀬はまだ店員しかいないフロアを一目見渡した。ガラス張りで覆われた中、眼鏡や時計といったアクセサリー類を扱う店。
 一之瀬は時計店の方へと足を運ぶ。学生の常識を超えた値札を貼られた高級時計から、腕に巻く安価な腕時計。値段の差に目を見張りながら、どうしてこういう高級時計が売れるのかとほんの少し疑問に思う。一之瀬はあまり、ブランド物の高級時計などに興味は無い。
 とはいえ、今日ばかりはそうも言っていられない事情がある。
「何をお探しでしょうか?」
 早足で真っ先に現れた一之瀬に興味を持ったのか。二十歳を過ぎた若い店員が、脇から声をかけてきた。無理やり食い込んでくる訳でもなく、けれど遠慮しすぎた空気も無い。
「時計を買いたいんです」
 と、一之瀬は当たり前の事を答えてから。人差し指と親指で、丸い円を作ってみせた。
「出来れば懐中時計みたいな奴で、時間が正確に測れるストップウォッチ機能みたいのがついてるのって、ありますか? あの、装飾はそんなに派手じゃなくて、地味でいいので……」
「プレゼント用ですか?」
 店員のありがちな言葉に、一之瀬はほんの少しだけ笑みを零した。確かに、プレゼント用ではある。正確に時刻を刻んでくれる、大切なプレゼント。
「見せてもらって、いいですか? 自分で選びたいので……」
 店員に促されながら、一之瀬は念のために財布の中身を確認した。自分の手持ちの全財産、十万で果たして足りるだろうかと思いながら。


4.

 時刻が十時を回った頃。冬木は自宅へと戻っていた。父親は既に仕事へと出かけており、もしかしたら私が何をしているか心配しているかもしれない。一見放任主義にも見える父だが、ああ見えて心配性な一面もある。一人娘に対してだからか、ある意味当然の反応だとは思うのだが。
 ――大丈夫。心配をかけるつもりは、毛頭無い。
 そう心の中で呟きながら、冬木は台所の棚を空けて父愛用の包丁を取り出した。取っ手の部分を柄、と呼んでいいのかは分からないが。手元の部分を逆手に持ち、そのまま床に力強く突き立てる。木製の床にあっさり深い切れ目が入り、よし、と頷いて刃の部分にフタをした。殺傷力は十分。銃刀法違反に該当するかもしれないが、この際見つからなければそれでいい。
 包丁をスカートの中へと忍び込ませ、これで自分も変質者の仲間入りかと嘆きながら冬木は父親の部屋へと忍び込み、引き出しをあさり始めた。すぐに、探していた銀色の腕時計が目に付いた。特別高価なものでもない、銀色のレンガをつなげたような網目状の腕時計。普段、腕時計をつける習慣の無い冬木は暫しその時計を睨みつけながら時刻の調整を行い、そのまま腕に嵌めてみた。
 父親と比べて随分と細腕の冬木には、時計は少々、というより相当ぶかぶかだった。長さを調整すればいいと思いつつ、けれど何処で合わせるのか分からない。ほんの少々、その時計を相手に苦戦していると。
 ピンポーン、とチャイムが鳴った。背筋に、悪寒が走る。
 一体今ごろ何の用だ、佐山――
「冬木。おらぬのかね。佐山だが」
 居留守を使うべきか否か、一瞬迷った。居留守を使えば、佐山は大人しく退散するかもしれない。しかし後にばれたら、自宅で何をしていたのかという話になる。第一、携帯に電話でもされれば自分の居場所について嘘をつかねばならず、そして佐山は嘘を看破するのが得意である。追求されれば厄介なのは、冬木自身が一番よく知っている。
「……何の用だ、佐山」
 台所に戻り、玄関のドア越しにそう答えてキッチンの棚を閉じる。大丈夫、他人の家の包丁一本が無くなっている事など、流石に佐山と言えど分かる筈が無い。
「うむ。いやなに、時間まで暇だから、暫し寄ってみただけだ。他に理由は無い!」
「……最後の会話とでも言いたいのか? 私にそんな趣味は無いが」
「とりあえず、家のドアを是非とも開けて欲しいのだがな! 客人のもてなしぐらいはするものだぞ冬木! というか折角だから、昼食でも奢りたまえ」
「貴様に出す食事など無い。帰れ」
 昼食、という話になると包丁が必要になる。それとも、そこまで読んだ上での計算か。それは無い。冬木はあくまで、佐山の計略に乗って順当にそれを実行するだろう、と佐山に思わせている筈だから。
「……それでは何だ。是非とも、外食にでも出かけぬかね?」
 頭の中で計算を巡らせる合間に、佐山が玄関越しに尋ねて来た。
 珍しい程に、素直な声色。その言葉で、冬木は悟る。
 どうやら勘ぐりすぎていたらしい、と。
「佐山」
「何だね」
「もしかして、弱気か? 五分間の跳躍をミスった時が怖いのか?」
「――誰が弱気だね冬木! 私は純粋に、戦前の腹ごしらえをしたいと思っただけなのだよ。飯を食わねば戦は出来ぬ。だが如何せん、一人で昼食を食べても面白くないと思ったが故に、おそらく時間まで暇であろう冬木を誘ったまでの話」
「……珍しいぐらい、分かりやすい建前だな佐山。変人にも不安があるのか」
「それはまあ、私とて所詮は高校生だからな。ミスの可能性があれば怖くなるものだ」
「それで、最後の晩餐ならぬ最後の昼食か?」
「まあ、そういう事になる訳だが――」
 珍しく語尾が細々と消えていく佐山の声に、冬木はわざと口調を上げた。
 言葉に魂と意味をしっかり込めて、答えを返す。
「馬鹿馬鹿しい。失望したぞ、佐山」
「ぬ……」
「私は最初から貴様が失敗する事など想像していない。よって最後の晩餐を感慨深く味わう必要も無ければ、この場で余計な感傷に浸って悲観的になる事など以ての外。いいか佐山。ゲン担ぎなら付き合ってもいい。だが、ただ飯を食いたければ明日喰え。それで十分だろう?」
 玄関の向こう、見えない壁の奥。佐山の体が硬直したのを、冬木は確かに見た気がした。
 不安は同じ。冬木にだって当然ある。だが今の佐山に必要なのは、不安を共有する相手ではなく。叱咤激励、相手のか細い炎にたっぷり油を注ぐ事。今までずっと、冬木と佐山がやってきたように。
「……明日の昼食は、大分前に約束した通り私が奢ってやる。それで我慢しろ」
 最後にそう付け加えたのは、冬木の与えた最後のサービスだった。ドアの向こうに、聞こえたかどうか分からない程度の小声で呟く。
 暫くの間、静寂だけがドアの前と、冬木の前を支配し。やがて壊れたような笑い声が、向こう側から響いてきた。
「全く。全く持ってその通りだな冬木! それでこそ冬木有紀が冬木有紀たる所以! 私とした事が、どうやら少々血迷っていたようだ。感謝しよう、冬木よ!」
「……どう致しまして」
「ただし明日の昼食は奢ってもらう。そう言えば、その勝負の事を忘れていたな。何時だったか、私の考えている事を当てられたら翌日の昼食を奢ると言った話――」
「……そういえば、佐山。まだあの時の答えを聞いていなかった。あの時、何を考えていた?」
「ふん。それは秘密だな、冬木。明日、聞けば十分だろう?」
「……それもそうか」
 全く、随分と明日の楽しみが増えてしまった。こちらも随分、燃えてくるものだ。
「冬木」
「何」
「また後で。また明日」
「くどい。もう帰れ。今日会うのは、十六時過ぎにタワービルで構わんだろう?」
「……全く。いつまで経っても可愛げがない。勇ましい事だな、冬木」
 最後にそう言い残して。佐山はやがて、玄関の前から離れていった。その気配だけを無言で感じながら、スカートの奥に隠した包丁を手に握る。汗がべったりとついていた。
 変数Xの、死亡時刻は変えられる。例え、それは強引にでも――
 思考を回転させながら、冬木は台所の捜索を再開する。そういえば小麦粉は何処だろうか。


5.

 お昼時を過ぎた午後一時、佐山哲は結局二人で昼食を食べていた。しかも彼にしては極めて珍しい、近場のファミレスにあるハンバーグ定食。
 その理由はもちろん、佐山の財布が潤沢であったからでも、最後の晩餐を楽しんでいる訳でもなく。元々、午後一時には一之瀬亜由美から死者の時計を預かるという約束を交わしていた。そのついでに、彼女がお昼代を出すと言ったのだ。
 その一之瀬は今、佐山の前で大人しくハンバーグを切っている。佐山と違い、肉を直にフォークで突き刺し獣のように食べたりはしていない。というか、普通はしないのだが。
「うむ! やはり君は冬木と違って心優しい。癒されるものだな、全く」
 ハンバーグを丸ごとご飯皿に載せて引き千切る佐山の姿を、一之瀬はなるだけ見ないよう心がけた。この人には教育が必要です冬木さん、と後で伝えておこうと思ったが、言うまでもない事かもしれない。この二人が後々に結ばれたとしたら、彼が冬木さんの尻に敷かれる事は何となく予想できる。その頃にはもう、マナーの一つぐらい覚えている筈だろう。多分。おそらく。段々自信が無くなってきたが。
「肉は何でも上手いな、やはり。あ、チョコレートパフェ追加で頼む」
「……人のお金だと思って……大体、生徒会長なのに奢ってもらうって……プライドとか無いんですか?」
「無い袖は振れぬ、と昔から言うだろう?」
「……それは言葉の遣い方がおかしいです。しかも威張らないでください」
「全くもって同感だな!」
 貴方の事です、と人前で怒鳴りつける勇気は流石に無かった。これが冬木さんであれば、問答無用で椅子を蹴飛ばすに違いないだろうと思う。是非ともそうして欲しい所である。
 それにしても、と一之瀬は思う。今日の佐山は普段以上にハイテンションだった。勝負前に見せる特有の状況か、それとも冬木さんに何かを言われたのかは知らないけれど。
「……まあ、いいです。それよりも、これをお願いします」
 一之瀬はポケットに手を入れ、ロケットペンダントのような小型の時計を取り出した。左、真ん中、右とそれぞれ小さなスイッチが飛び出ている。十円玉と同じ銅色のコーティングがされた時計の内側には、ローマ数字でTから]Uの文字が刻まれていた。そのさらに内側に、小さな円が三つほど並んでいる。
「あの。間違っても変なところ押さないでくださいね……」
「分かっている。押してみたいのは山々だがな。にしても、一見すると普通の時計のように見えるなこれは。私はもっとこう、神秘的な魅力やコテコテの古代装飾が施された時計をイメージしていたのだが。まさか十円玉と同じ色とは」
「そんな時計なら、私が持ってるはず無いですよ」
 と答えて、一之瀬はもう一つ時計を取り出した。こちらは正方形に角張った、特に装飾も無い地味な懐中時計。佐山の手にした時計と丁度同じ時間を刻むそれを、一之瀬はそっとテーブルの上に差し出した。
「それと、こちらの時計も、同じ時間で合わせてあります。……たぶん、一秒のずれもありません。これも目安にしてください」
「ん? この死者の時計で時間を測れば十分だと思うのだが」
「冬木さんに渡してください。タイミングを合わせるには、二人で確認した方がいいと思いますから」
「ふむ。それは冬木の提案かね?」
「冬木さんに昨日、頼まれたんです。時計を一つ買って、死者の時計と一秒もずれないように時刻を合わせておいて欲しい、って。自分も佐山さんと一緒に時計を確認して飛び降りるから、って」
 佐山が差し出された時計を確認する。確かに、一秒のずれも無く同じ秒針を刻んでいた。二つ並ぶ、同じ時計の小さな音。片方は三つのスイッチが付属した死者の時計、もう一つは四角形に角張った地味な懐中時計。脇には時刻調整用のネジがついている。
「抜け駆け禁止、という訳か。冬木め」
「……え?」
「こちらの話だ。気にしないでくれたまえ」
 そう答えて、佐山は左右のポケットに時計を仕舞いこんだ。
「ところで、一之瀬さん。本当に、我々と一緒に壱場町タワービルには来ないのかね?」
 不意に尋ねられ、一之瀬は小さく拳を握った。
 佐山さんと冬木さんが、あのタワービルで一体何を行うのか。佐山の予定通りなら、二人揃ったまま私の死亡時刻に近い時間で飛び降りると告げたけれど。本当にそうするとは限らない。冬木さんに言わせれば、そんな事は絶対ないとまで告げられた。
 本当に預けていいのか。実際には昨日一晩、悩んでいた。佐山から突きつけられた選択肢。私に――いや、私達に任せよと告げた、二人の言葉に。
 そうして悩んだ末に。一之瀬は今、佐山に時計を差し出している。
 奥歯を噛み締め黙っていると、佐山がゆっくりと口を開いた。
「……我々に任せる。君の判断を、私はそう捉えていいのかね?」
 的を射たような言葉に、一之瀬が顔を上げると。ほんの少しだけ微笑ましい笑顔を浮かべた佐山と、視線が交わった。
 それが一種の、一之瀬なりの信頼なのか。それとも相手の性格を読んだ上での計算なのか。或いは一種の賭けなのか。彼女自身、まだその違いを理解していない。結局、最後まで分からなかった。
 だから、こう答えた。
「これ以上、色々企んでも仕方が無いと思っただけです、佐山さん」
 ほんの少しだけ、意地で返した。殆ど子供のように意地を張った言葉だった。
 くすりと、佐山が小さく笑う。
「それは君の言う、信頼に値するのかね?」
 美味しそうにパフェを食べながら尋ねる佐山に。一之瀬は最後まで答えなかった。
 おそらく、佐山にはそれだけでも十分な答えとなった筈だから。


6.

 午後三時を過ぎた頃。佐山は既に、壱場町の街中にあるタワービルを訪れていた。エレベーターで二十階へ。そして、階段で二十一階へ。飲食店や企業のオフィスが雑多に入っているビルのせいか、この建物には入室制限が特に無い。屋上には非常階段で昇ればすぐ辿り着くし、監視員がいるという事も無い。今時珍しいほど警備が手薄なその建物は、佐山にとって最も都合の良い場所だった。
 梅雨時の珍しい晴天は、今日も雲ひとつ無く空を真っ青に輝かせている。両腕を組み仁王立ちをしながら、佐山はポケットから四角い懐中時計を取り出した。秒針を睨みつけ、きっかり五分計ってみる。五分は意外と長かった。
 もう片方、死者の時計と呼ばれた銅色の、不思議な時計を取り出してみる。刻む針は、やはり同じ五分間。
「冬木。君ならどう動くかね? 私の案を、素直に受け入れてくれるか否か」
 返事は無い。屋上に備えられたドアに背をもたれ、佐山は太陽から目を逸らすように瞼を閉じた。
 五分間。一之瀬が最初に考えていた通り、その五分間のうちに時計を押すのは一種の賭け、という点に代わりは無い。二十一階から飛び降りれば流石に人は即死するだろうし、その事は佐山も先日経験済みではある。ただし、一昨日と今日が同じように行くとは限らない。
 何かの拍子で木に引っかからないか。落ちる場所を計算に入れば問題ない。だが落下の最中に死者の時計を使おうとして、手元が狂って押し損ねる可能性は無くもない。人は飛び降り自殺をする瞬間、途中で意識を失うと聞いた事がある。しかし逆に怯えて押すのが早すぎれば、佐山と冬木の死亡確定前に飛んでしまう可能性もあるし、自分達が飛び降りたという事実を無効にされ、別途の要因にて死が訪れてしまう恐れもある。成功するための手順としては、飛び降りたという事実をある程度残し、死に至る確定的状況を発生させながら時間を飛ばす――つまり、飛び降りる事実と即死という事実の二つをまとめて発生させながら、その二つとも飛ばすという一見矛盾めいたタイミングを計らなければならない。
 そこは、死者の時計が持つ時間跳躍の幅と力に頼るしか、方法は無い。
「やって出来ない事は無い。が……」
 手元で時計を弄りながら、佐山は小声で呟いた。
「冬木。君ならどういう手段を取る? 私がどういう手段をとると思う?」
 言葉遊びのように繰り返し、佐山はくつくつと奇妙な笑みをくり返した。そして、背中から妙に長い金属バットを取り出した。
「少々悪趣味だな、我ながら。だが冬木。どうせ最初から、私が素直に行くとは思っていないだろう?」


7.

 ――最初から、相手の案に乗るつもりなど全く無い。それは冬木にとっても同じ事。
 午後四時二十分。冬木は大きなリュックサックを背負い、靴音に気をつけながらタワービルの二十一階へと向かっていた。階段を昇りきり、ドアの前へと立つ。非常口ランプの点灯する大き目のドアは、無言で冬木を待ち構えていた。
 一度、深呼吸を繰り返し、冬木はゆっくり左手でドアノブに手をかける。そのままリュックサックを下ろし、右手に掴んだ。
 ノブを捻り、ドアを僅かに開け。足で一気に蹴り飛ばし、リュックサックをドアの向こうへ放り投げた。直後、目の前で金属バットが唸りをあげた。叩きつけるように振り下ろされた一撃は見事リュックサックに直撃し、パン、と破裂音と白い粉塵をばら撒いた。
「ぬおっ!」
 佐山の声。その隙を逃さず冬木はドアへと近づき、半歩ほど足を踏み出す。今度は、金属バットは襲ってこなかった。もう半歩踏み出し様子を伺うと、佐山はドアの脇から後ろに下がっていた。手元に金属バットを握り締めながら、顔を半分ほど覗かせた冬木の瞳を睨んでいる。
 にたり、と互いに奇妙な笑みを浮かべていた。相手の様子を伺いつつ、冬木もまた悪役顔で口を開く。
「貴様に盗聴癖だけでなく撲殺願望もあったとは知らなかったな、佐山。しかも女性が一人の所を狙って不意打ちとは、最悪にも程がある」
「……安心したまえ冬木。私は少なくとも、その襲撃を先読みした上でリュックサックを放り投げるような女性にしか暴力を奮う予定は無い。第一、リュックサックに風船と小麦粉を入れて破裂させるなど悪質な」
「本当はスタングレネード弾の一つでも用意したかったのだがな。準備不足は致し方ない」
 足を半歩踏み出し、冬木は自分の銀時計に視線を落とした。四時二十一分。
「佐山。一之瀬さんから預かった時計を渡せ。私の時計では、死者の時計と時間のずれがある恐れがある」
「確かに。投げるぞ、冬木」
 佐山の手元から離れ、宙を舞って冬木の手元に収まった。時刻、四時二十分三十秒。冬木は手首に巻いた銀の腕時計を僅かに弄り、時刻を合わせた。銀色の腕時計は、冬木の腕にはほんの少し遊びがあった。それを少し、チャラチャラと鳴らしてみる。
「さて冬木。一之瀬の死亡時刻まであと十五分ほどある訳だが、一体何をしたいかね? デートかね? 最後の賭けの前の告白かね? それとも、相手を確実に明日へワープさせるために私と殴りあいでもするかね?」
「……私はそこまで馬鹿な真似はしない。佐山ほど暴力的ではないし、運動神経で佐山に勝てるとも思っていない。貴様が金属バットを振り回すなら、最初からこの策は無かった事にして私は逃げる」
「だろうな。まあ私も、一度見破られた策を力で押し通せるとは思っていない訳だが」
 佐山は金属バットを放り投げた。からからと冬木の足元まで、音を立てて転がってくる。
「冬木。時々思うのだが、私の思考は君とよく似ている。殆ど同じと言って差し支えない程に」
「……それは、認める。私もそう思う」
「ではここで尋ねたい。私は今、金属バットで君に襲い掛かり、その策を見抜かれた。では冬木、君は一体どういう手を使ってくる? 君も私と同じように、何か策を弄してきてるのではないかと考えている。……こんな時になんだが、私はそれが少々楽しみだ。確かに力や動体視力は私の方が上回っているかもしれんが、君は必ず隙を突いて私に何か仕掛けてくるのではないだろうか、と。そう考えている。違うかね?」
 表情の変化を伺う佐山に対し、冬木はただ淡々と返事をした。
「さっきも答えた。私はそこまで暴力的では無い。第一、女の力で撲殺するのは難しい」
「刺殺なら出来るかもしれんが、さて。今、ちょうど二十五分。あと五分間ほど、何をする?」
 佐山が挑発するように笑いかけてきた。冬木も同じように、笑いかけた。彼女は背後で手を組み、スカートの奥に仕舞った包丁の柄に手を触れる。
「……私が何をしたい、と答えたら、佐山。そこから佐山は、私が何を企んでいるか探るのだろう? だったら私の答えは単純だ。何もしない。あと五分、このままじっと待てばいい」
 まだ早い。多少見抜かれている気配はあるにしろ、佐山に隙が無い訳ではない。何故なら私達は飛び降りるとき、必ず相手に接近するから。その機会が、必ずある。
「ふむ。君という人間は。何処までいっても天邪鬼だな冬木」
「貴様にだけは言われたくないな、佐山」
 互いを罵る台詞の応酬。冬木は包丁をスカートの帯に挟み、両手を左右に掲げて見せた。相手が来るのを、ただそこで待ち構えるかのように。
「このまま、五分――それが過ぎたら」
 冬木はゆっくりと、頬の端に笑みを浮かべてみせた。
「二人で手を繋いで、この二十一階から飛び降りる」
 じり、と冬木の足を擦る音が響く。たった五分の、長い間合い。













――間幕 5――


 下らない雑談をした。
「自己言及のパラドックス、という言葉を知っているかね? 冬木」
 大した意味も無い会話の中で、五分という時間はすぐに過ぎた。
 十六時、三十分。

           ○

 一之瀬は自宅の椅子に腰掛けて、ゆっくり瞼を閉じていた。聞こえるのは、時計から聞こえる針の音。両腕を手元で組み、ゆっくり深呼吸をくり返す。
 もし明日。無事に目覚める事があったなら。彼らに一度だけ、言ってみようかとも思う。
 あの二人を信じて良かった、かもしれない、と。
 ――そうでしょう?
 お婆ちゃん。













――第八章――


 佐山哲にとって、この勝負は最初から負けられないものだと理解していた。如何に卑怯な手段を使おうと、一之瀬を、そして冬木有紀を出し抜かねばならないと。
「さて冬木。勿論の話ではあるが、君と私は同時にこの二十一階から飛び降りる必要がある。しかし我々には互いに企みがある以上、相手を突き飛ばそうとするかもしれん。そのリスクを回避するために、リボンを用意した」
 ビニール製の赤リボンを取り出し、佐山は右手を差し出した。薄い切れ目の入ったリボンが風に揺られ、垂れ幕のように流れていく。
 冬木はリボンを調べるだろうか、と佐山は疑る。薄い切れ目を入れた赤リボンは、冬木の体重が圧し掛かれば、ジリジリと簡単に破れて切れる。二人を繋ぐ結び目にはならない。最もそれは、佐山にとっても同じ事ではある。
「これを互いの手首に巻いて落ちれば、もし片方が相手を出し抜こうとしても道連れに出来ると思うが如何かね?」
「……悪くは無い」
 そう答えて、冬木は早くも佐山の隣で柵を乗り越え、建物の縁に立ってみせた。せっかちな輩めとは口に出さず、佐山もまた柵へと近づき下を見る。つい先日、夜の闇の中で飛び降りた時よりも鮮明に、眼下の様子が伺える。ちまちまと走る車と人影。
「冬木」
「何」
「君は、高いところは怖くないのかね」
「別に。……そういえば、佐山は高所が苦手だったな。珍しく、私と佐山の違う所だ」
 なるだけ下方を見ないようにしながら、佐山も柵を乗り越えた。そんな佐山の左手に立ち、颯爽とショートの髪を長引かせている、冬木の姿は。映画の美形な登場人物には程遠く無愛想で。しかし逆に、戦女神を思わせる芯の強さが佐山の心を引きつける。
「早くしろ、佐山」
 右手で手すりを掴み、冬木が左腕を差し出した。おや、と一瞬だけ疑う。
 立ち位置として、冬木の右手と佐山の左手をリボンで結ぶのが普通ではなかろうか。冬木の右手側に手すりがあるから、それが自然と言えばそうだが――
 佐山も左手で手すりに掴まり、冬木の下へと歩いていく。その距離が僅か一メートルになった頃。佐山は左手を離して半歩近づき、足を止めた。
 彼女の右腕が、手すりから離れスカート脇に触れる所まで確認した。それで、十分。
 左手を前方に突き出し、両足を広げ立っている冬木。右足だけは簡単に突き落とされないよう、手すりの足元に引っ掛けている。
「どうした、佐山」
「別に、何も」
 小さく笑みを零し、佐山が赤リボンを冬木の左腕にかける。直後、冬木の右腕が残像を残して消えた。鈍く輝く包丁が、一直線に佐山目掛けて伸びてゆく。咄嗟に屈み、佐山は左手で鉄柵を掴みながら右足でカウンター気味の足払い。ぐっ、と冬木が呻き声をあげた。
 所詮は互いに素人だと佐山は思う。右腕を動かした時点で、冬木が右手から何かを出してくる事は十分予測できた。そして冬木は、頭は良くとも武芸に秀でている訳ではない。包丁を使うのなら自然と、素人らしく直線的な突きにしかならない。
 とはいえ佐山の足払いに近い蹴りも、ただ冬木の足首を蹴ったに過ぎなかった。冬木が僅かによろめき、慌てて包丁を掴んだ右手で柵を掴む。隙を逃さず、その右腕を鉄柵ごと抑え込む。力は佐山の方が圧倒的に、強い。
「銃刀法違反かね冬木!」
「金属バット男に言われる筋合いは無い!」
 右腕を外そうと冬木がもがく。が、両手で鉄柵ごと押さえ込んだ佐山の方が断然、有利。
 冬木の左腕が動く。佐山の腰元目掛けて放たれたボディブローは、明らかに動きが遅く威力が無い。そう判断し、受け流すまでもないと軽く腹部に力を込める。予測どおり、衝撃は殆ど無かった。後は包丁を掴んだ冬木の腕ごとタワービルの外へと放り投げれば、チェック。
「冬木。君は確かに賢いが、そこで腕力に頼らざるを得ないのは愚作――」
 勝利の言葉を、佐山は途中で止めた。腹部に受けた冬木の拳に、威力が無い。いや、幾らなんでも弱すぎた。視線を咄嗟に、腹部へ下ろす。
「佐山。私が貴様に、暴力で勝てると判断した、とでも思ったのか?」
 冬木はいつの間にか、四本の指を佐山の腰元につけたベルトの隙間に通していた。左手で逆手に握り、ベルトを固定する服の隙間にまで指を絡め。さらに左手に嵌めた銀の腕時計を、いつの間にか佐山のベルトに固定していた。
 外せない。今、冬木を放り投げれば。佐山の身体ごと引きずられる――
「チェックメイトだ、佐山」
 冬木が両足で地面を蹴った。自身の全体重を力に変え、タワービルの夕暮れの中へ。
 彼女の姿が、天使のようにふわりと浮かぶ。

           ○

 間一髪だと、佐山は感じた。冬木が身体を宙へと舞わせた瞬間、佐山は咄嗟に押さえていた冬木の右手を離し、手すりを掴んだ。そうしなければ確実に、全体重をかけた冬木の投身に巻き込まれていた。
「ぬおっ!」
 両腕と両足で、佐山は鉄柵にしがみつく。その背中から、冬木の全体重が圧し掛かる。完全に、彼女の姿は背になったまま宙に煽られていた。
「冬木、君の体重がそんなに重かったとは知らなかったぞ!」
「余計なお世話だ佐山。大人しく私と共に落ちろ。貴様の出した案、五分間の運試しに付き合ってやる」
「断る! 成功率が低いのは目に見えて分かっているからな! 私はそんな賭けをするぐらいなら、君と一之瀬を確実に明日へほっぽり出しざまあ見ろと自己満足に浸っていたいのだよ! もっとも、君も先ほどまでそうするつもりだったようだがな!」
 時計を確認する暇すら無い。三十二分ぐらい、まだ間に合うと勝手な予測をつけた時、ビルの屋上に突風が吹きぬけた。小さな悲鳴が佐山の背後から聞こえたが、それでも彼女は手を離さない。
 しかし、と佐山は思う。状況的にはまだ圧倒的に有利だった。両手両足で身体を支える佐山と、左手でぶら下がる冬木との体力差。振り落とすのは、そう難しい事ではない。そして手元には、先ほど冬木が手放した包丁がある。ベルトを、或いはズボンを切れば、冬木は重力に逆らえず転落する。その隙間と落下の瞬間をしかと見極め、スイッチを押すタイミングを計れば確実に、二人を飛ばせる。
 それが最も、成功率の高い道。例え後に、冬木から幾ら苦言を言われたとしても。
「冬木。今この状況で、どちらが有利か分かるかね? そろそろ指が痛くなってきただろう?」
「分かっている。だが今のこの状況は、私の望んだ通りの展開だと答えておこうか、佐山」
「それは明らかな強がりだな、冬木! 今更そのような嘘を言った所で――」
「この状況で、私が嘘を言うと思うか?」
 僅かに語気を強めた冬木の声に、何故か佐山の背筋が震えた。ポケットへと手を入れ、銅色の装飾を施された死者の時計の時間を見る。残り、二分。
「残り二分か。そろそろタネ明かしの時間だ、佐山」
 佐山が背中越しに視線を向けると、冬木は宙に揺られながら佐山の渡した真四角の懐中時計を見つめていた。その秒針を確認して、時計を一度ポケットへと戻し。
「確かに状況は、佐山の方が有利。だけど――」
 冬木が再度右手をポケットへと入れ、金色のロケットペンダントのようなものを取り出した。佐山の持っている時計に酷似した、ローマ数字で書かれた金色の時計。上には、三つのスイッチが並んでいる。
「一之瀬が貴様に渡した死者の時計自体が、実はフェイクだと言ったらどうする?」
 ビルの屋上を吹き抜ける風が、佐山の髪を激しく揺らす。
「佐山哲。お前は一つ、大きな失策をした。佐山は今日に至るまで、死者の時計の実物を見た事が無い、という事。あくまで私と一之瀬さんの会話を盗聴し、実際に一之瀬さんと話もしてる。でも実物は今日、始めて見た。一之瀬さんにも確認してある。佐山には一度たりとも、実物を見せていないと」
 佐山の背後で冬木が右手を空に掲げ、金色の時計を掲げてみせる。夕日を反射し、ちかりと佐山の瞳に眩く輝いた。
「一之瀬さんに、昨日と今日のうちに出来る限り似たような時計が無いか探してもらった。佐山、今貴方が手にしているのが、それ」
 佐山は片手を離し、ポケットに手を入れる。直後、冬木が身体を大きくゆすった。意地でも突き落とされまいと、左肘を鉄柵に絡めて身体を固定する。何とか取り出した時計にはやはり、冬木の持つ時計と同じようなスイッチが三つ綺麗に並んでいた。
「……冬木。私の手にあるこれが本当に偽物だ、という証明は出来るのかね?」
「その証明は必要ない。何故なら既に、佐山はそれを偽物だと疑わざるを得ない状況下にある。それで、私には十分だから」
 冬木の言葉に、佐山の指先が僅かに震えた。
「佐山。貴方は常に安全策を取ってきた。今もそう。私と一之瀬さんを確実に助けるために、正確に時間を測れるよう私だけを殺害し、時間を飛ばそうとした――そこまで慎重なお前に、私は死者の時計が偽物である可能性を突きつけた。さて、佐山はそこでどうするか? 仮に私の発言が嘘であっても、佐山は疑わざるを得ない。何故なら実物を見た事が無いから、真偽の確かめようが無い。そして私が持っている死者の時計が実物である可能性がある以上、貴方はこのまま私を振り落とす事はできない。もし私が本物を持っていて、それを押したら。佐山の最大の目的である、私を助けるという事が出来なくなってしまうから。そんな暴挙を、佐山哲という男は選択できない。それは私が一番よく知っている」
「随分と自信のある発言だな冬木! だが仮に君の手にしている時計が本物だとしたら、逆に困る事があるのではないかね?」
「そんなものは、何もない」
「甘いな。もし仮に君の時計が本物であるとすれば、だ。君がこのまま落下し、死者の時計を使って未来へ行けば――言葉を返そう、私を助けるという君の最大の目的を達成できなくなってしまうぞ? そして、それを回避するためには、君の持つ死者の時計でもう一度過去の力を扱い、一度仕切りなおしにするしかない。違うかね?」
「違うな、佐山。私は今日、過去の力を使うつもりは一切無い」
「自分の命を粗末にしてはいかんぞ冬木!」
「貴様が言うな!」
 強風に煽られ、佐山の身体まで揺さぶられながら。二人で、笑った。
「いいか佐山。私はな。今日この瞬間が、このループから抜け出せる最大のチャンスだと考えている。ここで一度でも仕切りなおしにしてみろ。佐山、お前は絶対に私を出し抜く策を考える。今まで以上にな。そして正直、私にはその策を防ぎきる自信は無い。……だから絶対に、この瞬間は逃さない」
「……実に面白い。流石は冬木、と褒めるべき所かな?」
「一之瀬さん死ぬまで、残り一分。貴方の考えられる制限時間も、あと一分。佐山哲は間違っても他人を見捨てる事はしない。よってこの状況における最善の策は、今すぐ貴方が手を離し、私と佐山のどちらが本物の死者の時計を持っているか知らぬまま五分間の跳躍に賭けること。それ以外の選択肢を私は貴方に与えない。考える時間も与えない。私が手にしている死者の時計が本物であろうと、貴方の時計が本物であろうと、貴方は私と共に落ちるしかない。それ以外の選択肢を佐山が選ぶのなら――私が、本当に死ぬ可能性は高くなる。……そして」
 冬木の最後の言葉には、ほんの少しだけ躊躇があった。
「私は、自分がこのチキンレースに勝つ事も知っている。何故なら私は、佐山哲がそういう人間だという信頼を置いているから」
「こんな所で、信頼と来たかね冬木。実に卑怯極まりない表現だな!」
「――話は終わりだ。残りニ十秒」
「物理的にも心理的にも私を追い詰め、それ以外の選択肢を封殺する。その事に躊躇しないその姿勢!」
「残り十五秒」
「私以上の変人だよ、君は。全く、改めて惚れ直したくなる。だからここは冷静に話し合い、時計を一度止めようとは」
「残り十秒」
「絶対に思わぬだろうがな!」
「九」
「……冬木」
「八」
「君は結局」
「七」
「私の事を」
「六」
「どう思う?」
「五」
「最早返事も無しか」
「四」
「まあ君の事だ」
「三」
「どうせ明日聞けば」
「ニ」
「いいと言うに決まっているのだろうがな!」
「一」
 冬木の指が、するりと抜ける。
「では、また明日」
 佐山もまた、手を離す。
 二つの影が、茜色の空にふわりと舞った。
「知っているのなら、尋ねるな」
 そう呟いた、冬木の最後の声は。最後に吹きぬけた風の中へと、紛れて消えた。
 今更、言うまでもない事だとは思ったけれど。












 ――エピローグ――


 六月二十四日、金曜日。天候、雨。

 一之瀬亜由美が事の顛末を聞いたのは、次の日に冬木と昼食を共にした時のことだった。昨日の状況を説明しておく、と冬木から切り出されて話を聞いている最中。一之瀬は思わず箸を取り落としそうになった事を、よく覚えている。
「あの、冬木さん」
「何」
「……それって一歩間違えば、確実に私、死んでましたよね?」
「安心しろ。一歩どころか二歩、或いは三歩ぐらい間違っていたら全滅していた。問題ない」
「凄くあると思うんですけれど……」
 溜息混じりに一之瀬が呟く。梅雨の中休みも明けたのか、雨がしとしとと音を立てて降っていた。六月二十四日、金曜日。天候、雨。梅雨時の雨音がこんなにも心地よく聞こえるものだとは知らなかった。ただ、雨も続けばまた飽きてしまうだろうとも思う。
「それに冬木さんの話を聞くと、私が死ぬ時刻のカウントダウン、終わった後に飛び降りてるように聞こえるんですけれど……」
「問題ない。本当は死者の時計の実時刻よりも二十秒ほど早くカウントダウンを始めた。おそらくだが、佐山も気づいてはいたと思う。でなければ私が数え終わる前に手を離しているはずだからな。あのカウントダウンが、私達にとってのタイムリミットだと知っていた事は間違いない」
「……ニ十秒って」
「そのために、正確に死者の時計と秒単位で合わせた時計を用意して貰った。要は死者の時計の必要時刻となるまでの制限時間範囲内で、どちらが相手を出し抜けるか。その制限時間を決めるための正確な時刻を把握するため……どうした。不服か」
「いえ、別に。何でもないです」
 もう一度、一之瀬は頭を抱えて溜息を吐く。この二人に任せて自分が生き残ったのは、実は相当運が良かっただけではないだろうか。そんな錯覚すら感じてしまう。
「自分一人の方が、成功率は高かったかもしれない、と思っただけです」
「それは、あるかもしれない」
 冬木にしっかりと断言されたところで、一之瀬はまたも頭を抱えてしまった。重い頭を振り、昼食を終えたトレーの上に箸を下ろす。その時ふと、一之瀬は不思議なことに気がついた。
「……ところで、佐山さんは?」
「あの馬鹿か。今日は休みだ」
「休み?」
「昨日、骨折してな。病院送りになった」
「……何をしたんですか」
「全く持って馬鹿な男が馬鹿な挑戦に挑んだ、そう思って貰えればそれでいい。まあ正確に言えば、死者の時計の性能を把握しきれていなかった所に問題があったのだとは思うが」
 淡々と答え、冬木は半分ほどしか手をつけていないカレーライスに、黙々とスプーンを運んでいった。

           ○

 冬木の言う『馬鹿な男』と一之瀬が対面したのは、放課後になった後に彼の自宅を訪れた時だった。左手を包帯でぐるぐる巻きにし、右手だけで玄関のドアを開けている。痛々しいその姿に一瞬言葉を失ったが、一之瀬は思い出したように軽く一礼をした。
「……こんにちは、佐山さ――」
「相変わらず暇そうだな、変態男」
 一之瀬の挨拶を一撃で切り捨て、冬木が何の遠慮も無しにドアの中へと滑り込んだ。まるで自宅に入るかのように堂々とした態度で、彼女は台所に備えられた冷蔵庫まで歩いていく。
「何か飲む? 一之瀬さん」
「待ちたまえ冬木! 仮にも私の自宅であるにも関わらず勝手に冷蔵庫の中を漁るでない!」
 珍しく佐山が正論を述べたように、一之瀬には聞こえた。改めて考えてみると、この二人の変人ぶりは同じぐらいかもしれない。佐山さんは、ただ表向きが分かりやすいだけで。
「……と、ところで佐山さん。その左手……大丈夫ですか?」
「ん? ああ、うむ。この程度の代償なら大した事は無い。ギリギリ上手く成功した証だと思える傷跡だとも言えるしな。……ところで冬木、君も一之瀬さんを見習って少しは私に優しくしたまえ。人の自宅のオレンジジュースを勝手に飲まずに」
「――まあ確かに、仕方なく褒めてもいいだろう、佐山」
「非情に不服そうに聞こえるのは何故かね冬木」
「錯覚だ」
 互いの茶化しあいが長くなりなりそうだと感じた所で、一之瀬も失礼ながら勝手に椅子を拝借した。テーブルに備え付けられた椅子を引き、どうしたものかと思いながら座ってみる。暫くの間、二人は何かしら論理的っぽく見える屁理屈合戦を続けていた。
 それもやがて終わり、冬木が勝手に注いだオレンジジュースを飲み終えた頃。佐山はようやく椅子を引き、一之瀬の前に対峙するよう腰を下ろした。手元は痛々しいが、やはり表情とその体から溢れるエネルギッシュな空気は健在のようだ。
「ところで、一之瀬さん。昨日渡してもらった、死者の時計の事なのだが」
「はい」
「――してやってくれたな。冬木の話術と相まって見事に嵌められたとしか言いようが無い」
「……私はただ、冬木さんに言われたようにしただけですけれど……冬木さんが一昨日、と言いますか。ループを抜ける前の日に、電話で指示してきたので」
 最初は意味不明だったその内容の事を、一之瀬は今でも覚えている。
 死者の時計に銅色の、いかにも古臭く偽物っぽい塗装をしてから、佐山哲に渡して欲しい。あと、いかにも本物っぽい時計を一つ、私に貸して欲しいと。
「私にはよく、意味が分からなかったんですが……」
 正直に言えば、今でも一之瀬にはその意味が分からない。結局のところ、佐山に死者の時計を渡すことには代わりなく、わざわざ塗装をする意味も見つからなかった訳なのだが――
「それはだな一之瀬さん。冬木のとった、実にややこしい策になるのだが」
 珍しく前置きを置いて、佐山が包帯の巻かれた左腕を軽く掲げた。
「冬木の目的は、私に偽物っぽい本物を渡すという、その一点にあった。逆に言えば冬木は、私に本物っぽい偽物の時計を私に見せることで、私に自分の持っている死者の時計が本物では無いかもしれない、という疑惑を持たせる事が必要だった。その理由は、死者の時計の所持者を確定されては困るから。……もし私が本物の時計を持っていると確信すれば、私は冬木を振り落として未来跳躍を行う。それを防ぐために、冬木は私を混乱させた。そしてその狙い通り、私は結局最後まで自分が持っている時計が本物なのか、偽物なのか分からず――冬木の持っている死者の時計が本物である可能性も考えると、共に飛び降りるしか選択肢が無かった。私の持っていた方こそが本物だと知ったのは、実際に時間を跳んだ後のことになった訳だ」
「……佐山は疑り深いからな。そうした方がいいと、思った」
 冬木の返事に、やはり一之瀬には理解できずに首をかしげる。今更考え込んでも仕方ないと思い、率直に尋ねてみる事にした。
「あの。だったら私が最初から、佐山さんに偽物を渡していたら良かったんじゃないですか……? それで冬木さんがスイッチを押せば、別にそんな事はしなくても」
「それでは佐山が先に偽物に感づく恐れがある」
 冬木の言葉に、ついと佐山が視線を上げる。この女は相変わらずだな、という無言の訴えのように見えて、一之瀬は僅かに微笑む。
「佐山に最初から偽物を渡せれば、こんな回りくどい策を取る必要は全く無い。私が死者の時計という全権を握っている訳だからな。……がしかし、佐山を騙すには、少なくとも二段階以上の嘘が必要だと私は考えている。偽物っぽい偽物、或いは本物っぽい偽物を佐山に渡せば、私の予測では五割以上の確率で何かしらの嘘に感づいていた筈。何故なら偽物には、必ず偽物だと分かる嘘が紛れているから。佐山はそういう嘘を見抜くのが得意だから。だから――嘘がありそうで全く無い、偽物に見せかけた本物を佐山に渡すことで、混乱を引き起こさせた」
「……全く。確かに、違和感はあったのだよ。死者の時計、という豪勢な名前の割には見た目が妙に貧相であるし、何より古臭い銅色というのが気になった。が、時計の内側にはそれらしき三つの円やら針やらある。市販品の時計とは合致しないが、さりとて偽物と否定するにも根拠が無い。そこに、冬木から実物を見たことが無いと突きつけられた。もし冬木が偽物の死者の時計を提示してから十分ぐらいの猶予があれば、どちらが本物か見抜けた自信はあるが……その時には既に、冬木は私を引っつかんだまま宙ぶらりん状態だ。考える暇を一切与えない、それもまた冬木の思惑通り――改めて思うと包丁作戦のアクションも、私の思考時間を奪う前座に過ぎなかったとしか思えん。実に恐ろしい話だ」
「……佐山を騙すとは、そういう事だ。嘘を交えて話すより、本物の中にありもしない嘘を紛れ込ませたかのように見せる。だから、佐山はその存在しない嘘を探そうとして、罠にかかる。最初から無いものを探している時、それが無いと証明する事は極めて困難」
 冬木の言葉に、佐山がふんと鼻を鳴らす。
「それでいて結局、本物の時計のスイッチも私に押させたおかげで――これと来た」
 包帯で巻かれた左手を掲げ、不機嫌そうに佐山が呟く。
「それ……結局、どうしたんですか?」
 尋ねると、隣から冬木の補足がぶっきらぼうに入ってきた。
「佐山はな。ビルから落ちる時、左手を前に出して時計のスイッチを押した。正確に言えば、コンクリート面に未来へ飛ぶ右側のスイッチ面を下方に向けて、左手ごと押した。それにより墜落直後、かつ私と佐山が死に至る前、その丁度合間に五分跳んだ。それにより私達が落ちたという事実と、そこから派生する死という現象を一番簡潔に回避した。……押すのが早ければ、もしかしたら死が訪れる時間を越えられないかもしれない。逆に遅ければ、スイッチを押す前に死んでしまう。佐山はその合間を取った。もっとも、左手ごとスイッチを押したせいで時間跳躍の前に左手だけ瞬間的に打撃を受けたらしく、落下の事実は消えたにしろ佐山の左手はこうなってしまった訳だが。……どうやらこの死者の時計の性質は、スイッチを押した直後から五分間の間に起こる全ての事を無効化し、同時にその五分間に本来起こるべき現象を全てすり抜けるような、そんな性質があるのだと推察出来るな」
 そう言って、冬木が軽く佐山の左手に触れる。叩き落すかと思ったが、彼女らしくも無い柔らかい手触りで包帯の上を軽くさすっていた。
「あの直前でそういう発想と動体視力を発揮するのも、変人ならではという訳か」
「私が失敗すれば、冬木が死ぬからな。一之瀬さんも。私はそれを可能な限り回避しようとしたまでだ」
「……そういう所に力を使わせても、佐山は一流という訳だ。馬鹿とハサミは使いよう。覚えておくといい、一之瀬さん」
「失敬な。誰のおかげで助かったと思っているのかね冬木!」
「私のお陰だろう、佐山。お前に決断を促したのは私なのだからな」
 相変わらず罵声の連呼。その様子を見つめながら、一之瀬は口元を押さえて笑いを堪えていた。
 この二人はやはり、何かと全てが似ている。心意気も、気質も全て。
 その全てがきっと、互いに相手に向いているのかもしれない。
 一之瀬が昔に忘れた、大切なものの原型を。そのまま留めているかのように。同じように口論し、言い争い。そして同じ時を、刻んでいくのだろうと思う。
 祖母のくれたあの時計。その秒針と、同じリズムを刻みながら。

           ○

 一之瀬さんが自宅に帰った後。さて、と私は肩を鳴らして立ち上がった。彼女の佐山に対する御礼も終わった事だし、十日ぶりに訪れた今日、六月二十四日を堪能しようかとも思う。
 椅子にゆったりと腰掛け、冬木はスカートのポケットに手を入れた。
「ところで、冬木。私がこの骨折で悶絶し、病院送りになっている間に、私の持っていた死者の時計がどっかに消えてしまったのだが知らぬかね?」
「……さあ。一之瀬さんにも話はしたけど、彼女も知らないと話していた。それに、私には必要ないとも。もし見つけたら、佐山さんか冬木さんが持っててください、と」
 そう答えつつ、ポケットの中にある金属の感触を確かめる。左側のスイッチにそっと触れ、手元で軽く押してみた。かちり、と小さな感触が返ってくる。
「成程。では私が今持っていないという事は、冬木が隠し持っていると考えられる訳だ」
「……何故そうなる」
「目ざとい冬木が、あんな貴重品を無くすとは思えん。それに私に渡せば、また似たような事が起こった時に、私が今度こそ勝手に冬木だけを助けようと目論むかもしれない。それを見越した上で、隠しているのかもしれんな。おそらく」
「佐山」
「まあこればかりは、冬木が口を閉ざしてしまえば分からぬ事だが」
 追求するつもりなど、最初から無かったのか。或いはその方が良いと思ったのかは分からないが。佐山は知らぬフリをしたまま、右手で髪を弄りだした。何だかつまらん、という合図。
 日常に戻ったら、それはそれで面白味が無いと言わんばかりの挑発サイン。
「そういえば冬木。昨日の約束通り、まだ昼食を奢ってもらっていないが」
「……そういえば私も、あの時の答えを聞いていなかったな。佐山があの時、何を考えていたのか」
「ふむ。随分しつこく尋ねてくるが、そんなに答えを知りたいのかね?」
「佐山の昼食代に割り合うだけの解答かどうか。それを見極めたいだけだ」
 特に固執している、という訳でもなかった。ただ放置しておくのも気持ち悪い、その程度の感触。
 第一、佐山から出された謎の答えを知れない、という事態はストレス増殖の根源になる。佐山のボケと謎があり、それに冬木が応じる事。それが例えループの内であろうと外であろうと、日常の一幕としてそれは水分のように大切なものだから。
 勿論、佐山にそんな説明など絶対にしない訳だが。
「なに。解答は実に簡単な事だよ、冬木。私があのループに入って、まず何を考えたか。改めて尋ねるが、答えは何だと思うかね?」
「……単純明快に、謎の解明。或いはループ世界からの脱却。新しい謎に心を躍らせる佐山の様子を伺うに、本件の事象に関する全てに興味が沸いたのでは無いかと思ったのだが」
 それ以外に、一体何があるだろう。実時間の関係か、私達の身の安全か。それとも既に、佐山はあの時点で時の魔術師という発想にまで考えが及んでいたのか――
「……うむ、決めた」
「何を」
「この解答は秘密にしておく。今思えば、随分と尊い答えのように思えてきたからな。冬木が解答に辿り着くまで、私は暫し黙っていよう」
「……昼食、奢らないぞ佐山」
「それは話が違うな冬木! 私が答えるか否かに関わらず、君は昼食を奢ると昨日宣言したのではないかね?」
「前言撤回」
「男らしくないぞ冬木!」
「私は女だ馬鹿者! 第一、先に前言撤回を申請したのはお前だ佐山。なら私にも対等の権利があると考えるのが当然。違うか、佐山?」
 冬木の理論に、ふんと口元で小さく笑い。佐山は包帯でぐるぐる巻きにされた左手ごと机に乗り上げ、相変わらず眉根をきりりと上げっぱなしの冬木を睨んだ。
「その理論には、穴がある。何故なら君の提示した条件は――」

           ○

 冬木の思考をいつもの口車で別方向へと運びながら、佐山は思う。冬木が生きているかどうかが、一番気がかりだった――などと、今更口にする事でも無いだろうと。
 もし発言すれば。そんな事は、今の我々にとって既に当然の事だろうと鼻で笑われるかもしれない。当たり前にして、当然の前提。言い争う相手がいるから、言い争えるのだという屁理屈みたいな余談もつけて。
 結局。冬木も私も、全ての思考は最終的にそこに辿り着くのかもしれないと、佐山は思う。
 今更、改めて言う必要など全く無いのかもしれない。そんな事を、考えながら。


 二人の間で、時計はいつまでも同じリズムで動いていく。
 針の音を、ただ静かに刻みながら。


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●感想
locoさんの感想
 徒然に書きます。
 
 冬木さんと佐山君の頭が悪そうに見えるというのが、この作品の一番の欠点ではないでしょうか。
 もしかして二人とも論理的だけど、知能指数は高くないという人物設定なんでしょうか。
 そうだとしても小説として特に面白みや目新しさはないので失敗かもしれません。
 明らかに論理的でない文章もいくつもあるので、論理的という設定すら失敗していると思いました。

>とても高校生の会話とは思えん。
>自分の思考が極めて男性的である事を自覚している。
>変人と思われなければ良いのだが。
>たまたま、偶然、が続いていいのは三度まで。


 これらは性格設定から明らかに外れていたり、論理的ではない文章です。

 何か意図があるのかもしれませんが、二人のキャラクターというか喋り方も似すぎだと思いました。
 『論理的な人物は理屈をこねまくって喋る』という思い込みを消した方が良いかもしれません。
 と思ったら、一之瀬さんの喋り方も二人にそっくりなので、作家としての癖だと思います。
 直したほうが良いと思いました。

 章が進むごとに冬木さんの一人称の地の文が普通になっていくと思いました。
 読みやすくてとても良いのですが、それなら最初からこの口調で書いたほうが良いのではないでしょうか。

>死者の時計は、大切な者がいる人にしか使えない。
 これおかしくないですか?
 今日死ぬ運命になければ、死者の時計は使えないとあります。
 大切な人がいて、なおかつ自分とその人がともに今日死ぬという異常な日にだけ使えるということですよね。
 大切な人がいるに越したことはないですが、そうではなく今日死ぬ運命にある人を探すほうが困難だと思います。
 例えば、冬木の父は冬木の大切な人であり、冬木は父にとって大切な人ですが、死者の時計は彼にとって何の意味も持ちません。
 一之瀬の愛する祖母が今も生きていたとしても、祖母は一之瀬を救えません。

>ほぼ百パーセント完全予測できる未来、次に何が起こるか分かってしまう世界は、実に面白味に欠けていた。電車のように定められたレールの上を走っているのと同じ。いや、電車でもまだ遅刻やトラブル、車内での出会いなど〇.一パーセント未満ながら確率変動要素があるだろう。この場所にはそれすら、無い。教室内での出来事は、百パーセントの予定調和。
 思考の転換を示唆する重要な場面なのに、この文章は明らかにおかしいので、考え直したほうが良いでしょう。
 自分が違う行動をとれば周りの反応は予測できないものに変わるんですから、それほどつまらないとも思えません。

 ところどころ二がニになっているのが苛々します。

 応募作品かもしれないので一応指摘しておくと、主人公が現在大流行の長門さんをイメージしていると判断される可能性が少しですがあると思います。(名前も有希ですし)
 ついでに佐山君は一時期流行した水前寺部長の劣化コピーだと判断される可能性がこちらは非常に高いと思います。

 最後の解決が若干甘いのではないでしょうか。
 佐山の時計が本物だろうが偽物だろうが、行動は変わらない気がします。
 自分が佐山なら時計の真偽に関わらず、冬木と結んであるテープを切って時計を押します。
 このへんは論証すると長くなるので、割愛します。

 最後まで読めたし、全体としては良かったです。
 後はコピーではない部分を出すのと、変わった人物を書ききれることが重要だと思いました。


雨瀬さんの感想
 初めまして、雨瀬と申します。
 よろしくお願いいたします。
 拝読いたしましたので感想を書かせていただきたく……。

 お話としては、複雑、でした。
 私の頭が悪いのかもしれませんが、なかなか理解仕切れなかったという感じです。
 少々無駄に複雑な感じがします。
 一之瀬が複雑にさせているのですが、彼女がそこまで秘密をひた隠しにして他人を信じないといっている理由が結局最後まで書かれなかったのもちょっと残念です。
 後はちょっと偶然が気になるというところでしょうか。
 一之瀬からしてみれば、自分が死んだ日にたまたま佐山と冬木も死んだ。
 そのことをなぜ知ったのでしょうか。
 もし自分が死ぬ時間の前後五分にボタンを押せばループから助かるのなら、死ぬ時に確実にボタンを押して助かる方法を実践すると思います。
 佐山と冬木がいるから、ボタンを押すことを躊躇したのだと思うのですが……。
 また三人も同じ日に死ぬという事が、ただの偶然で済ませていいのかということでしょうか。
 最後に、二十一階のビルから落ちて激突する直前まで佐山はなぜ意識を保てたのでしょうか。
 意識を保たずに、地面でボタンを押す事は不可能な気もします。
 私がひねり出せることなんてこの程度で、大して役に立てないかもしれませんが、無いよりましぐらいの気持ちで読んでいただけたら幸いです。

 乱文失礼いたしました。


巴々佐奈さんの感想
 巴々佐奈と申します。『時の魔術師、死者の時計』拝読させていただきました。
 面白かったです。ちょっとエキセントリックは高校生男女が閉じた時間の中に閉じ込められ、どうやって脱出してゆくか。謎の提示から解決へと向かう展開はオーソドックスではありますが、引き込まれました。本作のキャラクターが二人とも理屈屋であるところには若干の違和感を感じました。作者様のいつもの読者をストーリーに引き込む文章芸がなりをひそめていたのは少し寂しく思いました。でも、コン・ゲームがやりたかったのかと思うと、膝を打つところです。
 ただ、設定がちょっと複雑だったのが残念というところでしょうか。

(ループ物の弱点)
 私自身がラノベを読み出したのは、ここ2,3年ですが、それでも結構ループ要素のある作品に出会っています。『ハルヒ』しかり、『デモンベイン』しかり、その他ゲーム系の作品にも結構出てますし、昨年ここに投稿された作品にもそのネタがあったのを覚えています。故にループに閉じ込められて脱出するスキームそのものには真新しさを感じられませんでした。
 あと、この手のループものが陥り易い弱点としては、メインキャラが死を繰り返すために、クライマックス段階での死のインパクトが極めて希薄になることです。ループへのトリガが死であるパターンはここに気をつけるべきだと思いました。

(死者の時計)
 未来に飛ぶ5分ルール。死の直前に押すべきものなのか、死んでから押すべきものなのかが、よく判らなりませんでした。死んでから5分以内に押す必要があるから一之瀬は冬木に託したのだと思ったのですが、クライマックスで結局佐山が押してみんな助かってますよね。
 未来跳躍のチャージ時間が一日なのか、一時間なのか結局本作では明かされていないように思えたのですが、それも本作の後味を悪くしているように思います。本当に一之瀬の言うとおり一時間であるなら、先に一之瀬を助けてからじっくりと時計の使い方を考えればいいし、そうでないなら一之瀬は自分だけが助かるために、冬木達にウソをついたことになります。
 そもそも、一之瀬に迷いがあるからこそ、ループの中で冬木と佐山が生き続けられるのですから。彼女に迷いがなければ、二人ともとっくに死んでいるでしょう。ここは非常に美味しい部分だと思います。終盤に至る前に一之瀬視点で一章設けて彼女の葛藤をもっともっと描きこむ必要ありそうな気がします。
(コン・ゲーム)
 本作は死者の時計をめぐって、登場人物が互いに相手を出し抜こうとするコン・ゲームの要素を多分に含んでおり、そこが作者様の魅せたかった部分だったと推察します。
 面白いコン・ゲームはルールが簡単な作品に多いと思います。デスノートの前半部分が典型ですよね。(同時に悪いコン・ゲームの見本がデス・ノートの終盤だと思います)本作においても、コン・ゲームを成立させるためにルールが複雑になっている印象を持ちました。

(キャラクター配置)
 冬木と佐山は性格が似ていてちょっと損していると思いました。大きくは冬木が男言葉を使うことに起因していると思いますが、二人の会話がどっちが話しているのかとり辛かったのはもったいなかったです。あと、二人とも第一印象のいいキャラクターというよりも、噛んで味が出てくるキャラクターですから。取り合わせに一工夫欲しかったです。
 一之瀬と祖母との関係。冬木と父との関係についてももうちょっと描きこみが欲しいですよね。死の時計事態絶対にありえない代物なのですから、祖母の人物像をもそっと描きこめば時計にリアリティを持たせることができたかもしれません。冬木は佐山の前ではあまり萌えキャラではありません。パンピーである冬木父をからめてやれば、萌えさせるシチュエーションを作りえるのではないか。作者様の過去作を読んでいるだけにそんな風に思いました。
 お話が冬木、佐山、一之瀬だけで進むので世界が狭く感じたのも気になります。

(総評)
 とりあえず、本作で私が読み取った欠点は大きく四つというところです。
 @ ありがちなシチュエーション(ループ)
 A 死の時計の複雑な設定
 B 理屈屋二人の取り合わせ(冬木に萌えが足りない)
 C 一之瀬、祖母、冬木父の描きこみが足りない。

 辻褄の合わないところをデス・ノート式にルールを増やして対応したために、作品に入り込みにくくなってます。ルール説明に最初にウソが混じっていたりするところも混乱を招いてます。難しいですが、取扱説明書にルールを書き加えるよりも、ツッコミを封じるシチュエーションを作って対応したほうが良かったかもしれません。
 設定の複雑さはあるものの、謎の提示とその解決でストーリーを引っ張り、一筋縄ではゆかない冬木と佐山の関係を描きこんでゆく構成は上手く機能していると思います。かつて、mayaさんが拙作を評して賞に残らない作品の条件として、設定描写の不足と過剰の二つをあげられたことがあったのですが、本作は後者にあたると感じました。
 少々辛口になったかもしれませんが、また、面白いお話を読ませてくださいませ。


ブラック木蓮さんの感想
 面白いっ。
 面白い面白い面白い面白いっ。
 面白いじゃないですかっっ。
 
 と、ちょっと落ちつきましょう。
 どうも、ブラック木蓮でございます。
 こんにちは、クッパ様。どこかでお会いしたことがあるような気がするのですが、初対面だったでしょうか? もしそうだとしたらはじめまして、よろしくお願いします。
 
 さて、ループものですか。
 使い古されているのは確かに事実です。
 最近の有名どころではハルヒの「エンドレスエイト」
 ゲームで言えば「P17n」「crosschannel」「ひぐらし」
 映画で言えば「恋のデジャブ」
 その「恋のデジャブ」から本格ミステリーへの転用をした西沢保彦の「七回死んだ男」(これは私の一押しのループもの)
 その他諸々、数え上げればきりがないでしょう。
 確かに私もプロローグAを読んだだけですぐにループものだということ、その脱出方法までだいたい予想がつきました。
 でも、この作品、ループものだからと言って切って捨てるほどつまらない作品ではありません。
 数多いループものの中でもそう悪くない部類にはいると感じました。。
 少なくとも昨年の九月に出版された小説「終わる世界、終わらない夏休み」よりは面白いです。
 なぜならこの小説は場面転換、構成がよく考えられているからです。
 これは構成に相当気を遣ったのではないでしょうか。 
 そもそもプロローグからしてなかなかのものです。
 ここぞという場面で、視点が変わり、そのまま続きが気になってしまいぐいぐい読ませます。
 キャラクターも悪くない。
 二人とも頭でっかちで、ひねくれてて、だからこそ相手が信頼できる。
 味があって良い設定じゃないですか。
 まあ、確かに十歩ほど譲れば佐山が「イリヤ」の水前寺部長に似てるとも言えますが、さほど気にすることでもないでしょう。この作品は別に佐山の性格が魅力というわけでもなく、二人が「信頼しあっている」という性格設定がポイントなんですから。

 さて、そう言うわけで、ストーリー構成は上出来ですし。キャラ設定もまずまず悪くないと思います。
 私はルールが複雑だとは思いませんし、その提示の仕方もさほど悪くないと思います。(まあ、ルールという点に関しては、ルールを理解できない人がいる限りそれを説明し切れていない作者にも問題があるとも言えますが……)
 それから、私はテーマ性というのをあまり重視しないのですが、この「信頼」というテーマ性も上々だと思います。
 
 では、褒め終わったところで次は欠点の方を。
 まず、冬木と佐山、二人の話し方が似ているというのは、確かに残念ながらややマイナスポイントですね。分かりにくい部分があるといえばありますし、性格が同じでも話し方ぐらいは変えても良かったと思います。

 それから、ルール設定の問題。
 ループ中の「決定事項」の扱いについて微妙に問題がありますね。
 「バスの運転手が事故を起こす」という決定事項は「人を轢き殺す」ではなくて「常に八時半事故を起こす」という決定事項であるのが自然であると思います。そしてその時起こるのは人身事故ではなくてただの事故になるでしょう。
 冬木と佐山が行動したことにより因果の変化が起こり、轢き殺す、からただの事故、と変化するわけです。
 このループの中で「運命」として「形を変えて起こり続ける」のは、ループの発動キーである「三人の死」だけであるという方が理にかなっていると思います。まあこの「理にかなっている」という言葉の意味を説明するのは難しいのですがね……。

 と、もう一つ。時を飛ばす、という言葉の定義がすごく曖昧ですね。
 ジョジョで言うキング・クリムゾンであっているのでしょうか?(この表現で通じると良いのですがね……)
 ちなみにキングクリムゾンの能力は『時を飛ばす』ではなくて『@数十秒間、自分があらゆる物に触られたり触ったり出来なくなる。 Aその間の出来事を世界中の人々の記憶から消す』というのが正しい能力で、別に時は飛ばしてません。忘れさせてるだけです。
 という感じが、ルールへのツッコミですね。

 あと最後に、時計の引っかけがイマイチでしたね。悪くはなかったのですが、さほど良いというわけでもなく。せっかくの好敵手二人の最後の対決なんですから、もう一段階予想の斜め上を行くすーごい騙し合いをして欲しかったです。

 とは言いつつも、最初から最後まで夢中になって読ませて頂きました。この作品はとても良い作品です。四十点です。
 それでは、ぜひ今後ともがんばってください。


mayaさんの感想
 こんにちは、お久しぶり。mayaです。
 すでに公募を終えた作品ということで、亀さんがこちらに投稿なさったということは、本当の意味で「忌憚のない意見」が欲しいということなのだと思います。
 亀さんの実力はすでに存じ上げておりますし、今さら亀さん好きモードで感想を書く必要もないでしょうから(笑)、選考を駆け上がっていく中で何が足りなかったのか、わたしなりに考えたことをいくつか指摘させていただきます――


(キャラクターについて――どっちつかずの距離感)
 冒頭がやや複雑です。というか、わたしでも分かりづらかったです……自己言及のパラドクスの説明(笑)。同様に、その後の二人の会話も、内容を把握するのに読み返さなくてはいけない箇所がありました(もっとも、とても頭のいい佐山くんと冬木さんの間で交わされる会話ということなので、読者に分かりやすく説明する必要はないのでしょうが)。
 でも、そう考えると、『デスノート』でキラの脇にルークが配されたというのは、とても上手い演出なのだなと思いつきます。ちょっとお馬鹿に見えるルークに分かりやすく説明するというのは、名探偵に迷警部補を配するのと同じパターンなわけですね。
 さて、と。ここまでお話すれば亀さんならお気づきでしょうが、本作における大きな欠点はキャラクター配置にあります。読者の目線に下りてきてくれるキャラがいないんですね。だから、佐山くんや冬木さんが不思議な現象をすぐに納得してしまうのに対し、わたしも含めて読者は時おり、作品に置いてきぼりにされたように感じます。
 それが西尾維新さんや清涼院涼水さんぐらいにぶっ飛んでいればいいのかもしれませんが、本作はそこまでは振り切れてはいません。そのどっちつかずのバランスの悪さが、本作をどこかよそよそしいものにしているように思います。
 ライトノベルに求められるものは、まずはキャラクターです。特に中高生が感情移入できるキャラならば最善である――という基本的な法則から考えれば、佐山くんも冬木さんも、やや一面的でとっつきづらいキャラだったのではと考えます。
 下読みの一次選考では、評点を落とすぐらいで済むでしょうが、編集者が見る二次選考以降では、こうした部分は作品を消極的に評価する原因となったと推測できます。編集者というものは、ずいぶんと即物的な生き物ですから(苦笑)。
 そういう意味で亀さんの作品にしてみれば、珍しくこの点でぶれていたと思います。
(ちなみに、佐山くんが水前寺部長に似ているというのは、わたしも感じました。そういえば『有川』にも出てきましたが、亀さんはこのタイプ、好きですね)

(文体について――まだ慣れていなのかなあ)
 あれ、おかしいな。亀さんの文章、退化した……?
 個人的にすごく気になったのは、前半部の文章が『有川』の頃とあまり変わっていないということです。あれから約二年、まなみさんたちと対決して(笑)、そのときに亀さんが書いた掌編には、文体でもっと挑戦していた箇所が散見できたのに。
 邪推ですが、もしかしたら安定感を求めたのでしょうか。あるいは、こういう作風に合わせて、文体を固くしようとしたのかな。いずれにしても、亀さんには悪いのですが、それらの意図は逆効果だったように思います(おそらく、論文のようなロジカルな文章を書くことに慣れていないのが遠因だと思います。キャラの台詞も、単なる詭弁だと思える箇所がいくつかありました)。
 ちなみに、プロローグB以降は、桜庭一樹さんの影響がよく見てとれます(笑)……誠に遺憾ながら。というか、いくら何でもそのまま使っちゃダメですよ、亀さん。

(構成について――あえて複雑にすることの意味とは?)
 さすがに上手いと思いました。「という、夢を見た」ではじまる前半部分。佐山くんの呼びかけで答えが来る、「幕間」。ここまでは素直に感嘆しました。
 そして、一之瀬さんが出て、およ? と思いました。モザイクノベルにするのかあ、亀さんはよく視点をいじるしなあ。はじめのうちは、そう感じたぐらいだったのですが、十行ぐらい読んでみて、ストーリーテリングがずいぶん変化していることに戸惑いました。
 実際に、視点人物と共に文体を変えるのは高等テクニックですが、第四章まで読んでみても、その変更に必然性を感じませんでした(トリックがあるわけでもないですしね)。これならすべて三人称で書けばいい、そしてもっとシンプルに物語を語ればいい、素直にそう思いますし、読みやすさ(リーダビリティ)という配慮が欠けているように感じます。

(設定について)
 これについてはすでにみなさんから詳細なツッコミが出ているので、省きます(笑)
 巴々さんが『デスノート』に例えていましたが、とても上手い指摘だと思います。うん、確かに辻褄の合わないところを、ルールを増やして対応していますね。いわゆる、後出しジャンケンをされたときのような、うそーんという感じがあります。
 そういえば『魔法使い』以降、ガジェットの弱さが、亀さんの最大の弱点だとわたしは思っています。本作では、書いていく途中で作品が変化しはじめ、そこで改めて設定を付け足していったのでしょうか? それとも、この設定は最初から変わらなかったのでしょうか?
 もし、後者だとしたら、プロット段階での設定考証にミスがあったのだと思います。また、前者だとしたら、物語に整合性を与える論理的な捉え方がまだ不足していたのだと思います。

(戦略について――二次選考以降に求められるもの)
 ちょっとばかし亀さんに嫌な顔をされると分かっていて、あえて言います――
 好きな作品、あるいは話題作の後追いをよくしていませんか? ループといえば、他の方々が上げた作品以外に、昨年度の夏は『時をかける少女』のスマッシュヒットがありました。当然のことながら、亀さんが無意識であったとしても、編集者が昨秋に選考をする過程で、本作をそのフォロワーとして見なしたことは容易に想像できます。
 なお、このことは本作以外の亀さんの作品にも、いくつか共通することではあります。その時々の市場でのヒット作、あるいは好きになった作家の作品をパッチワークのようにつないでしまう悪癖があるわけです(こんな辛辣な言い方でごめんなさい)。
 逆に言ってしまえば、それは商業作家を目指す者として、マーケティングをする能力が欠けているとも指摘できます。どんな作品が飽和しているのか、あるいは新鮮に感じてもらえるのか。そのポジショニング感覚がなくては、プロではやっていけません(特にエンタテイメント系では)。
 なお、二次選考等で足踏みする作者さんに共通するのは、こうしたマーケティング能力の欠如と、基本的な読書量の多寡にあります。これらの点については、もっと自覚的であってもいいかなと、少しばかり苦言を呈させていただきます。ご容赦下さいな。

―――――

(総評)
 すでに巴々佐奈さんから的確な指摘が出ていますね。これ以上、何を言えというのだろうか……。巴々さんのそれは本作の評価として、最も適当なものだと思います(でも、わたし、あんなカッコつけたこと言ったかな)。
 評点は20点。「キャラクターにおける欠点、ワンアイデアとギミック。これらの要素でそれぞれ足りないものがあり、さらに昨年度の話題作と一致してしまったことにより、ずいぶんと評価を落としたものだと推測します」といったところです。
 本作を改稿して新たに公募に出すわけではないようなので、詳細なコメントは避け、やや抽象的にはなりますが、大きな論点のみを感想として取り上げました。その点はご了承くださいな。
 ちなみに、あえて「忌憚のない意見」を言うのなら、今回の結果は妥当だったと考えられます。わたしだったら、本作に対して選評しうる立場にいたら(もちろんそんな力はありませんが(苦笑))、下記のようなコメントをつけたと思います――

1)キャラクターについて
→読者の視点に下りてくるキャラがいないため、感情移入しづらい。また、人気作品と類似したキャラを造形してしまっている。
2)文体について
→中盤以降は安定するが、前半は詭弁を並べているように見えるため、キャラの言動が説得力に欠ける要因となっている。
3)構成について
→物語の構成という点ではとても秀でており、よく物語を転がすことに長けている。
4)設定について
→コンゲームとしては後づけが多く、これも説得力が足りない。


 なお、以下のことはすべて蛇足にすぎませんが。
 別にここで告白することもなく、わたしは亀さんが好きデス(笑)。これまで発表なさった作品はすべて読んでいますし(古いサイトの二次創作は除く)、今後も日記も含めて秘かに読んでいきます(ストーカーだ、これじゃ)。
 個人的な印象を言わせてもらいますと、二年前に『ノンフロン』や『有川』等を読ませていただいたときは、すぐにプロになるだろうと思っていました。好きな作家さんや話題作の後追いをしている部分はあるけれど、亀さんにはそれを補って余りある魅力を感じたからです。
 だから、正直なところ、『魔法使い』以降、亀さんが足踏みをしているかのように見えるのは、わたしにとっては意外です(わたしから見れば、現在の亀さんはゆっくりと醸成しているとも思えますし、その一方で自家中毒に陥っているようにも思えます)。
 ですから、はっきりと言わせてもらいますが――「女の子が脆さを抱えつつ、それでもまっすぐに乗り越えていこうとする」、そんなキャラクターを描く亀さんが好きです。それを優しい文体で綴る亀さんが好きです。そこに友情や家族といったテーマが入ったら、なおさら大好きになります。
 ですから、もし、よろしければ。こんなぞっこんでアホな一読者のために、そんなささやかな一篇をいつか再び書いていただけないでしょうか? わたしはその日まで、亀さんの作品をずっと追い続けますから。
 亀さんはプロになる筆力を十分に持っています。わたしが言うのですから(苦笑)、太鼓判を押されたものだと思ってください。あとは、ただ基本的なことに立ち返り、亀さんご自身の武器をきちんと整理して、弱点も見すえ、その上でずっと書きたいと思っていたテーマに取り組む。ただ、それだけなのだと思います。
 ゴール……いや、それは新たなスタートラインに過ぎないのですが、いずれにしても、それはほんの目の前ですよ。それでは♪


結城一さんの感想
 どうも、時の魔術師、死者の時計、拝読させて頂きました。では早速感想の方を、

まずはキャラクター>
 主人公とヒロインのキャラが似ているという指摘がありましたが、私はそれで特にマイナスというイメージはありませんでした。ただ、主人公の性格、設定が、イリヤの空の水前寺部長を彷彿とさせる点はマイナスだと思います。別に佐山のキャラが悪いというわけではありませんが、イリヤを知っている人間はどうしても水前寺部長と比べてしまい、水前寺に比べると何か設定的に隙の多いキャラクターに見えてしまうのです。冬木さんに関しては特にマイナス要素はありません。デレ具合もこれくらいのほうが私にはちょうどいいです。一之瀬さんに関しても、特にこれといっては。

ストーリーについて>
 これは素直に良かったと思います。状況の原因を人為的なものとして仮定するまでの思考も筋道が立ってますし、時の魔術師を見つける手段も合理的、佐山に時計を二つ渡すというのも考えたなと思います。状況の把握も一気にではなく、徐々に行っていったのも良かったと思います。ただ、強いて言うのであれば、オチ(みんな一緒に死ぬ)というのが読んでる途中で分かってしまうのが難点です。もっとも、そのオチに至るまでの過程が面白いですので、それほどのマイナス要因ではありませんが。あと、時の魔術師というネーミングがちょっと微妙かと。確かに分かりやすくはありますが。

設定について>
 これはちょっと分かりにくかったです。理解しようと思えば出来るのですが、正直少し疲れました。また、時計の効力が引っかかります。大切な人がいて、なおかつ自分とその人がともに今日死ぬ。そういうときにだけ使える時計という設定は、ストーリー上仕方なくそういう設定にした、という感が否めません。しかも大規模な事故が起きたというのならともかく、一日に同じ学校の人間が三人(佐山と冬木は同じ事故にあったということで別に不自然ではありませんが)死ぬというのはどうも腑に落ちません。これらの部分が、このお話の最大のネックだと思います。

会話について>
 主に佐山と冬木の会話ですが、テンポが良くて面白いのですが、どうにもこう、粗のようなものが見えます。何というか、論理的な会話なのに微妙に説得力に欠けるところがあります。

加えて>
 ループという設定。これで物語を書くのはかなり難しいと思います。というのも、この設定、微妙にありふれている上に、結構インパクトの強い設定ですので、読む人に「またか」という印象を与えてしまいます。たとえば剣と魔法のファンタジーというのは、ありふれすぎているが故に、そしてあまりインパクトのない設定が故に、あまりそういう目で見られることはありません。ですがループものというのは、先にも述べた通り、微妙にありふれており、かつインパクトも強く、その上終わり方というのがどうしても似通ってしまう傾向にあるため、読者としては二番ぜんじな感じがしてしまいます。

長々と、しかも下手な批評になってしまましたが、総評>
 いくつか改善点はありますが、やはりストーリーが良かったため、全体的に面白かったです。拙い批評ではありましたが、今後の創作の礎になれたなら幸いです。


なっしさんの感想
 クッパ様、はじめまして。
 『時の魔術師、死者の時計』を読ませていただきました。
 なっしと言います。宜しくお願いします。
 では、感想を。

 とても面白かったです。
 スラスラ読めてしまったため、日曜日の夜中だと言うのに夜更かしをしてしまいました(^^;
 みなさんのようなコメントはできませんが(私に技術がないため)、気になったところが一つあります。
 一人称と三人称が混ざってしまっているところがいくつかあったように思えました。
 読んでいて、その部分でつまづいてしまったのが少し心残りに感じました。
 それ以外は良かったと思われますので、この点を付けさせていただきます。

 次回も楽しみに待っていますで、がんばってください。


ゆきさんの感想
 拝読しました。ゆきと申します。

 面白かったです。下で挙げている方もいらっしゃいますが、私も「デスノート」のような印象を覚えました。中盤まではどう展開していくんだろうとわくわくして読んでいました。
 ですが終盤にかけて、死者の時計の第三の力が明かされていくくだりが難解に思えました。それまでいい速度で読まされていたので、逆に躓いてしまったのです。

 構成の話です。
 視点に関してバランスが悪いかな、と思いました。
 最初の一之瀬さん視点が案外すぐに終わってしまって違和感を覚えました。

 この物語には主要人物が三人しかいません。そして三人の重要度は同じというわけではなくて「冬木:佐山:一之瀬=4:4:2」ぐらいだと思われます。確かに文章の量はそれに合致していますが、一之瀬さんの登場シーンが中盤以降に偏っている気がします。

 群像劇というわけでもないのですから、メインとなる視点はなるべく早めに出してしまったほうがいいと思います。

 あー、でもループものは考えるのが面白そうですね。
 私も書きたくなってきました(という自己語り。すみません)

 これからもがんばってください。


マイマイさんの感想
 素直でない癖に信頼しあっている二人と人を信じたい一人の物語。
 全員が主人公でそのそれぞれに明確な目的と意思と意地がある。本当の意味で『人』を描けた作品だと思います。
 やはりクッパ氏の真骨頂であるテンポの良いギャグは健在で、そこにもニヤリとさせられました。
 さて、晴れて両者共生き残った訳ですが、素直になれる日は来るのでしょうか?
 ちょっとばかし格好つけすぎだろって感じの口調が鼻に付きましたが、とても良い作品でした。


うーたさんの感想
 拝読させていただきました。

 もう、なんというか最高です!
 でも、ずいぶん投稿されてから時間がたってますので、感想遅いですよね、すいません。
 キャラの書き方とか色々な場面で勉強になりました。

 素敵な時間をありがとうございました。


一言コメント
 ・謎かけ的要素が読んでいて面白かったです。
 ・二人の掛け合いが楽しかったです。ストーリもとても興味深かったし、中々楽しめました!
 ・心理戦や地の文の使い分けがすごかったですw心理戦にはハラハラさせられました。
 ・時計のルールや心理戦がよかった。
 ・読みやすくはなかったけど心理戦が結構楽しめた。
 ・最初は題名にひかれて。だけど、読んだらどんどんひきこまれました! 
 ・題材が凄く好みでキャラクターも個性的で面白い。ただ理屈っぽい語りの場面が多すぎる。
  変人じみた語りキャラと対になるマシっぽい変人キャラは結構ツボ。

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