ドラコンさん一押し!
遙か異境で、大軍勢を撃破! その智略にインドが震え懼(おそ)れた。
知られざる唐(とう)の英雄・王玄策(おうげんさく)!
世界史に燦然(さんぜん)とかがやく偉業。
驚異的史実にもとづく超娯楽エンターテインメント。
天竺(てんじく)の名君・戒日王(かいじつおう)が急逝(きゅうせい)!? 玄奘三蔵法師(げんじょうさんぞうほうし)は不吉な夢を見た。折しも、大宗(たいそう)皇帝の命を受け、文官・王玄策(おうげんさく)率(ひき)いる使節団が天竺へ向け出発した。行く手には天空にそそり立つヒマラヤ!
難路悪路を踏破し、目的地マカダ国にたどり着く一行。
だがそこは、悪政を敷く新しい王によって支配されていた。
三蔵法師の夢は正夢(まさゆめ)だったのだ。
簒奪王(さんだつおう)を倒すべく、王玄策は囚(とら)われていた牢獄を脱獄。
しかし頼るべき兵もなく、いかに強大な敵に立ち向かうのか!?
空前絶後の奇功をなした男の痛快冒険行!
唐代、3度も天竺(インド)へ向かい、しかも無事帰って来た使節・王玄策の、2度目の天竺行きの物語です。
ひと言で言うと、良くも悪くも「ウソのような“ホント”の話」です。
以下、“ネタばれ”があります。ご注意ください。
私が、常々興味がある地域、中国、チベット、ネパール、インドが舞台になっていること。
研究者間は別として、一般になじみのない人物(王玄策)を取り上げている。
しかし、すぐ作品世界に入ることができた。
天竺到着時に、唐の使節一行は簒奪者(阿祖那〈アルジュナ〉)によって捕えられる。
が、正使・副使が脱獄し、ネパール・吐蕃(チベット)兵を借り、牢に残った仲間を助け出した。
大唐帝国の威光があるあるとはいえ、外国の兵で、それも100倍とは言わぬが、30倍〜70倍の敵に対して勝った。しかも、味方の被害は僅少である。
阿祖那の馬鹿さ加減も「本当か?」と驚くほど。
「我らは天竺のくわしい事情も知らず、遠くからのこのこやって来たのだぞ。
やつは戒日王(引用注・前王)の正統の後継者面して、表面だけ我らを歓待しておけば、それですんだのだ」
「我らの手から聖上よりの国書を受けとれば、やつの地位は大唐の天子からも認められたことになる。
後はゆっくり国内の反対派を粛清していけばよい。それは天竺の内政問題であって、我らは手も口も出せる立場ではないのだ」
(王玄策、86ページのセリフ)
「ですます調」の地の文に親しみを持ちやすい。
「カレー」「チャパティー」「ナン」の語を用いずに、見事に描写した以下の文は、中華風ファンタジー小説の執筆を考えている者として大変参考になった。
「米の飯に、香辛料のきいた汁をかけた食事がふるまわれます」
(63ページ、地の文)
「天竺風の餅(パン)と、褐色をしたどろどろした羹(あつもの)が大きな鉢ごと置かれました」
(86ページ、地の文)
お気に入りのキャラはいますか? どんなところが好きですか?
十代半ばと推定される女の子・ヤスミナが気に入りました。
賢い・強い・かわいいと三拍子そろっています。
この作品の欠点、残念なところはどこですか?
作品自体の欠点としては、「ライトノベル」を十代半ば以降の少年・少女が活躍するアニメ調の挿絵付き読み物、と定義すると、違和感があることでしょう。
主人公は35歳ぐらいの成人男性です。
また、一応十代半ばぐらいの女の子が登場しますが、「ヒロイン」とまで言えるかどうかは微妙なところです。
全1巻という手軽なことと表裏一体ですが、「往路」に比べて、「復路」の記述が少ないことが残念です。
ここから先は、『天竺熱風録』そのものではなく、「田中芳樹」という作家に対する私見です。
また、田中氏並びにファンの方をご不快にさせてしまうことを、あらかじめお詫び申し上げます。
実は、田中氏の作品は「絶対に読まない」とまで言い切れませんが、「よほど好み・関心に合うものでなければ、読まない」と決めています。その理由は以下の3点です。
1、田中氏が他の作家の著書に書いた解説で、『三国志』を見下したように、受け取れてならないものがあった。
好きな作品・分野を見下されると、どうしても気分が悲しくなってしまう。
田中氏が、自身の著作で書くぶんにはまだ許容できる。しかし、他人の作品で書かれると違和感が強くなる。
せっかく、面白い小説を読んだのに、巻末で見下されたり叱られたりすると、どうしても読後感が悪くなる。
料理でいえば、前菜・メインがすばらしくとも、デザートがマズいため、コース全体の評価が下がったようなものだ。田中氏には、解説の仕方を考えられたほうが良い、と進言する。
「『三国志』ファンを敵に回すのではないか?」と懸念を抱いた。
2、前項と関連するが、田中氏の解説には「意見の押し付け」が感じられてならない。
「田中さんは、いままで日本に紹介されなかった人物に注目し、精力的に小説にしている。その裏には、日本と中国のギャップを埋めたい、という真摯な思いがある」
(加藤徹氏による『天竺熱風録』の解説)。
この気持ちが空回りしているのではないか。
中華風時代小説・ファンタジー好きの一読者として言わせてもらえば、「中国人好み」は関係ない。
自分の好みに合う、楽しめる小説に出合えればそれで良い。
私も、漠然としたものならが「中華風ファンタジーを書いてみたい」と考えている。
中華風世界は、和風・西洋風世界に比べて、調べにくく苦労する。
よって、田中氏が日本に知られていない人物・時代を取り上げた著者を称賛しようとする気持ちは、十分理解できる。
3、題名は失念したが、田中氏の著作中には戦場での残虐な場面があり、それで気分を害したことがあった。
『三国志』ゲームをよくプレイする者として、矛盾していることは承知だが、やはり後味が良くない。