ライトノベル作法研究所
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ライトノベル歴史年表1970~1979年

1970年

レーベルの創刊

・8月に早川書房がハヤカワSF文庫を(現ハヤカワ文庫SF)創刊。
 主に海外のSF小説を訳して出版していた。
 以降、「ハヤカワ文庫XX」という名称(例外あり)で、いくつかのサブレーベルを創刊していく。統一名称としてハヤカワ文庫と呼ばれる。
 ハヤカワ文庫は、SFや推理小説がメインのレーベルだが、エッセイや漫画、女性向けロマンスなども取り扱う。
 ライトノベルに分類される作品も一部刊行していくことになる。

1971年

代表作品

・平井和正の『超革命的中学生集団』がサンヤング(朝日ソノラマ)より刊行される。
 表紙イラストは、人気漫画家の永井豪が担当した。6人の男子中学生が宇宙人に誘拐されて超能力を授けられ、その力を世界平和のために使うことを命じられる。6人は内輪もめをしながらも地球を救うべく奮闘するドタバタ喜劇。永井豪はこの時期、PTAから問題視された人気漫画『ハレンチ学園』を少年ジャンプで連載しており、本作中では、ハレンチ学園を意識したと思われる男子中学生が喜ぶサービスシーンなども盛り込まれている。
 以上のことから2004年に刊行された大森望の書籍『ライトノベル・めった斬り!』では、本作をライトノベル第一号としている。
超革命的中学生集団

・平井和正の『ウルフガイ』シリーズ・「狼の紋章」がハヤカワSF文庫より刊行される。
 満月が近づくと不死の力を発揮する人狼の中学生、犬神明を主人公とする物語。その力を各国の諜報機関が狙ってきて、強化人間を生み出すといった、少年漫画的な内容。
 元々は同じく平井和正が原作を担当した漫画であり、漫画雑誌『週刊ぼくらマガジン』(講談社)の1970年43号から1971年23号まで連載されていた。初の漫画ノベライズと言える。
 平井和正は、漫画『8マン』(週刊少年マガジンに1963年5月から連載)の原作者であり、テレビアニメ版の脚本も担当してる。このことから、漫画、アニメの感覚で小説を書くことができた最初の作家であり、ライトノベル作家の源流と考えられる。

1972年 ファンタジー小説の到来

代表作品

・イギリスのJ・R・R・トールキン作のハイ・ファンタジー小説『指輪物語』が瀬田貞二によって訳され、日本語版が1972年から19775年にかけて評論社より出版される。全6巻。(原語版1954年)
 指輪物語は、異世界ファンタジー小説の元祖とされ、後の作品に絶大な影響を与えた。ファンタジーブームの火付け役。
 この物語は、言語学、宗教、おとぎ話、北欧神話、ケルト神話を探求した結果、生まれたとされる。

アニメ業界の動向

・12月3日、主人公が乗り込んで操縦するタイプの元祖スーパーロボットアニメ『マジンガーZ』が放送される。
 後続の作品に多大な影響を与え、ロボットアニメブームを巻き起こす。
 原作は、同年の10月より週刊少年ジャンプに連載された永井豪の漫画であり、玩具メーカーとも連帯して、メディアミックスによる成功を収めた。
 ロボットアニメは、地球を守ると主人公サイドの組織が言いながらも、組織の構成員は日本人オンリーであり、敵は、なぜか主人公のいる街ばかり襲ってくるため、第二次大戦で実現しなかった本土決戦のメタファーではないか、という解釈がある。批評家の東浩紀は、これをアメリカの文化侵略に対する日本のアイデンティティの再構築としている。

「萌え」の誕生

・4月、手塚治虫の漫画原作のアニメ『海のトリトン』が放送される。
 このアニメの女性ファンたちが、自主的にファンクラブ「TRITON」を結成し、会報を発行したり、定例会を開いたするなどの活動を行なった。アニメファンがファンクラグを結成するのは、歴史上初めて。主人公の美少年トリトンは、女性ファン達にとってアイドルと成った。一部の女性ファンはトリトン役の声優のおっかけまで行なった。
 この瞬間、アニメの登場人物に芸能人やアイドル同様に惚れ込み、その言動に熱狂する『萌える』という現象が誕生した。
 萌えは、女性達が漫画、アニメの「美少年」「美形」に惚れ込む形で誕生し、80年代のラブコメブームによって男性側にも広がっていった。

漫画雑誌にアイドル写真が初めて使われる

・漫画雑誌『少年マガジン』が表紙にアイドル・南沙織の顔写真を使う。
 これによって売り上げ部数が伸びてしまったため、各漫画雑誌は、内容とは関係のない女性アイドルの写真を表紙に使うようになり、やがて水着ギャルが表紙を飾ることがスタンダードになった。
 漫画の質ではなく、表紙が水着の女の子かどうかが売り上げを大きく左右してしまうという事実は、漫画編集者にとって大変な衝撃だった。
 少年向けライトノベルの表紙は、アニメ絵の女の子が大きく描かれているが、その先駆けであると言える。ただの顔写真から水着へとの変化していく過程は、2000年代初頭から、ラノベの表紙の萌え度がドンドン過激化していったのと重なる。

1973年 中高生向け文庫小説の誕生

レーベルの創刊

秋元書房より、初の中高生向け娯楽小説、秋元文庫が創刊される。(~1986年)
 当時、文庫本ブームで、ハードカバーより安価な文庫本が人気を博していた。このような背景もあって、中高生向けの小説媒体として、彼らがお小遣いで買えるような安い文庫本が選ばれた。
 1955年頃から発行された、秋元ジュニアシリーズがこの文庫の母体となっており、ユーモアや青春などを取り扱った少女向けの小説がメインだった。

漫画業界の動向

・手塚治虫の漫画、『ブラック・ジャック』が『週刊少年チャンピオン』で連載される(~1978年)。
 手塚は、宝塚歌劇団のある宝塚市で育ち、母が宝塚の大ファンであったことから、幼い頃から宝塚の演劇に何度も連れて行かれ、自身もファンとなっていた。このことから、キャラクターを役者のようなものだと考え、過去の作品の登場人物を別の作品に登場させるスターシステムを考案した。
 ブラックジャックは、スターシステムの集大成となっており、『鉄腕アトム』のアトム、『リボンの騎士』のサファイヤ、『ふしぎなメルモ』のメルモなどがゲストキャラとして登場した。コミケに代表される二次創作では、原作のキャラクターが別の世界観、別のストーリーで活躍する話が描かれるが、こういったキャラクターの物語からの自立性、独立性を確立したのは、手塚治虫だったと言える。
 ライトノベルはキャラクター小説とも呼ばれ、ストーリーよりもキャラクターが印象に残るように作られているが、この原点は手塚のスターシステムにあると考えられる。

1974年 TRPGの誕生

ゲーム業界の動向

TRPG(テーブルトーク・アールピージー)が誕生。
 TRPGとは、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて、ジャッジ役のGM(ゲームマスター)の司会進行の元、プレイヤー同士が会話をしながらルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲーム(RPG)。ゲーム機を使わない「ごっこ遊び」とも言われる。
 一番最初に生まれたのは、アメリカのゲイリー・ガイギャックスが作った『Dungeons and Dragons』(ダンジョン&ドラゴンズ)、略称『D&D』。『指輪物語』の影響を受けて考案されたもので、魔物が潜む迷宮を戦士や魔法使いたちがパーティを組んで探索し、財宝を手に入れるというもの。
 これによって、RPGと言えば、中世ヨーロッパ風のファンタジーというイメージが定着する。
 『Dungeons and Dragons』は1985年に日本語版が発売された。

1975年 コミケ誕生

レーベルの創刊

・朝日ソラノマが『ソノラマ文庫』を創刊(~2007年9月末)
 当初はSF的な内容の作品が多かった。
 記念すべき発売第1巻目は11月10日に刊行された『宇宙戦艦ヤマト』(前年にTVアニメで放送)。初のアニメのノベライズである。
 宇宙戦艦ヤマトは日本的アイデンティティの集大成で、映画版アニメ第二作に登場する白色彗星帝国はアメリカの負の部分をモチーフにしており、ヤマトはラストで白色彗星帝国の超巨大戦艦に神風特攻を仕掛ける。
 ソノラマ文庫は、その後、アニメ『伝説巨神イデオン』 (1980年5月放送)、『宇宙戦士バルディオス』(1980年6月放送)、『科学忍者隊ガッチャマン』(1994年発表のOVAノベライズ)といったアニメ作品のノベライズを手がけ、当時、アニメの小説版と言えば、ソノラマ文庫だった。

同人業界の動向

・12月21日、第1回コミックマーケット(コミケ)が東京・虎の門の日本消防会館会議室において参加サークル32、参加者約700名で開催された。オタク文化が芽生え始める。

コスプレ文化の誕生

・SF大会や同人誌即売会で漫画、アニメのキャラの格好を扮するコスプレが一般化しだす。アメリカの『SFコンベンション』で行われていたアニメや漫画のキャラに扮して原作の一場面を再現する寸劇『仮装舞踏会(マスカレード)』が日本に紹介されたのが切っ掛けで、広まった。
 コスプレはオタク文化ながら、コスプレイヤーの大半は女性である。これは女性の持つ「変身願望」と関係していると思われる。1978年発表の漫画『うる星やつら』、1979年のアニメ『機動戦士ガンダム』のヒットにより、大きく広がっていった。
 しかし、『うる星やつら』のヒロイン、ラムのビキニ姿が近隣住民からの苦情の対象になる、手作りの刀剣がトラブルを招くなど、コスプレはトラブルの元になりやすく、コスプレ文化を守るためのマナーとルール整備の歴史が続くことになる。

アニメ業界の動向

・4月4日、富野喜幸、長浜忠夫監督のロボットアニメ『勇者ライディーン』が放送される。
 『マジンガーZを越える』べく作られたこの作品で、美形悪役の元祖シャーキンが登場した。眉目秀麗な悪の王子様であるシャーキンは多くの女子ファンを獲得し、参加資格が女子中高生のみで男子禁制の「ライディーンファンクラブ・ムートロン」など作られ、会員数は最盛期に1000人を越えた。

1976年 少女向けレーベルの誕生

レーベルの創刊

・1976年5月、集英社が少女向けレーベル、『コバルト文庫』を創刊。
 若い読者層向けの雑誌『小説ジュニア』に掲載された作品を文庫化したのが始まり。
 以来、少女向けライトノベルレーベルの最大手として、他の追随を許さない人気を誇る。
 コバルト文庫は一般文芸よりのレーベルで、唯川恵、山本文緒、須賀しのぶ、島村洋子、といったコバルトでデビューして一般文芸に移っていった作家が多数存在する。
 逆に少年向けレーベルは、一般文芸より、漫画、アニメ、ゲームと親和性が高い。

代表作品

・アーシュラ・K・ル=グウィン作、『ゲド戦記』の日本語翻訳版が清水真砂子の訳により、岩波書店より出版される。(原語版1968年)
 異世界ファンタジー小説のブームが徐々に始まりだす。

1977年 まんが・アニメ的リアリズムの誕生

代表作品

・高千穂遙作のSF小説『クラッシャージョウ』が11月にソノラマ文庫より刊行される。
 イラストは後に『機動戦士ガンダム』の制作にも携わったアニメーターの安彦良和氏が担当し、初めてアニメ的なイラストが表紙に使われた。著者である高千穂遙氏が、安彦良和氏の制作したロボットアニメ『勇者ライディーン』を見て、直接イラストの制作を依頼したと言われる。
 後に、漫画化(1979年)、アニメ化(劇場版1983年)、といったメディアミックス展開がなされた。これによって、1980年代前半の日本のスペースオペラを代表する作品となる。
 主人公のジョウは19歳という若さでありながら、特Aクラスのクラッシャーでありチームリーダーという、これまでのリアリティ重視(自然主義的リアリズム)のSF小説にはいないタイプ。読者層と同じ10代の少年を主人公にした点が画期的だった。

ライトノベルの文体の元祖

・高校二年生の新井素子(あらいもとこ)が『あたしの中の……』で、第一回奇想天外SF新人賞の佳作を受賞し、SF作家デビューする。同時代の話し言葉を積極的に取り入れた砕けた文体を使い、「新口語体」と呼ばれた。彼女は、デビュー直後の『毎日新聞』インタビューで「マンガ『ルパン三世』の活字版を書きたかったんです」と語った。
 作家の大塚英志は、新井素子の文体を『まんが・アニメ的リアリズム』という概念を取り入れた最初のものだとしている。それまで小説と言えば、現実を写生するものだったが、漫画やアニメの世界を写生する文体が初めて生まれたというもの。
 批評家の東浩紀は、ポストモダンのオタクはキャラクターのデータベースの中を生きており、ラノベ作家はこれを前提にしてキャラクターを描いた方が、読者との意思疎通がうまくいくために、『まんが・アニメ的リアリズム』が発達したと述べている。漫画の神様、手塚治虫がデビューして約30年が経ち、漫画やアニメを当たり前として育った世代に新しいコミュニケーションツールとしての共同幻想が生まれたのだと言える。
 また、新井素子は、コバルト文庫から『いつか猫になる日まで』を刊行するなど、ラノベ作家としても活躍している。

ライトノベルの基礎を築いた作家

・大学生の氷室冴子(ひむろ さえこ)が『さようならアルルカン』で、小説ジュニア(現・コバルト)第10回青春小説新人賞佳作を受賞し、小説家デビューする。後に宮廷貴族社会を舞台にしたラブコメ『なんて素敵にジャパネスク』シリーズ(『Cobalt』の前身『小説ジュニア』の1981年4月号で連載開始、累計発行部数720万部以上)で一躍コバルト文庫の看板作家としての地位を確立し、1980年代から1990年代にかけての同レーベルを代表する作家となる。少女小説ブームの立役者。

1978年 SFブーム到来

SF業界の動向

・ ジョージ・ルーカスのSF映画『スター・ウォーズ』が日本で公開される。
 これによってSF人気が爆発的に高まり、SFブームが到来する。それまでSFと言えば、一部のマニアが楽しむ物だった。
 この作品は、『機動戦士ガンダム』にも影響を与えたとされる。

漫画業界の動向

・高橋留美子の漫画『うる星やつら』が週刊少年サンデーで掲載される。
 女好きの高校生、諸星あたると、彼を愛する不思議な力を持った美少女宇宙人・ラムを中心に繰り広げられるドタバタラブコメディ。落ちもの系の元祖にして、現代まで続くハーレム物、ドタバタラブコメディの雛型となった作品。あだち充の『タッチ』(1981年)と共に80年代を代表するラブコメ漫画となった屈指の人気作。
 『タッチ』がジュナイブル的な青春物であったのと対照的に『うる星やつら』は、極端な個性を持った登場人物たちが繰り広げる萌え的な要素を持った作品。ヒロイン・ラムは「~だっちゃ」という語尾、角が生えている、電撃を放つ超能力、「虎縞模様」のビキニ姿の女の子という、萌え要素を持ったヒロインの元祖と言える。その作風は、2000年代以降の学園物ライトノベルに絶大な影響を与えている。

1979年 ゲーム的リアリズムの誕生

アニメ業界の動向

・テレビアニメ『機動戦士ガンダム』が放送される。
 同時にテレビシリーズの総監督・富野由悠季の手により、ソノラマ文庫より、小説版『機動戦士ガンダム』が出版される。小説版はテレビシーリーズと違い、主人公のアムロか戦死するなど、まったく違った展開を見せ、全3巻で50万部を超えるヒットとなった(ゲーム的リアリズム)。
 また、今作は、アメリカでも発売され、全3巻で7万5000部の売上を記録した。
 ガンダムシリーズは、その後も角川スニーカー文庫などでノベライズ版が多数刊行され、ラノベ界に隠然たる勢力を誇っている。
 また、同人誌界の通説では、ボーイズラブの元祖は機動戦士ガンダムに登場する「シャア・アズナブル×ガルマ・ザビ」であると言われる。

代表作品

・栗本薫の『グイン・サーガ』第一巻「豹頭の仮面」がハヤカワ文庫JAより刊行される。
 著者が死亡したため2009年に未完で終わったが、正伝が130巻、外伝が21巻という世界一長い大河ファンタジー小説。世界各国で翻訳され、累計3000万部以上の大ヒットとなる。
 魔術が存在する中世的な世界観だが、神々を上回る超越種族の存在や、彼らの遺物である宇宙船、物質転送装置といったSF的な要素も、巻を追うごとに登場していった。
 また、栗本薫はボーイズラブの源流的な作品を作った女性でもあり、このジャンルの創設者に数えられる。
 そのためか、グイン・サーガでは、同性愛的な要素がたびたび登場し、作者の好みを投影しすぎていると、物議を醸すことになった。

漫画記号論と「まんが・アニメ的リアリズム」

・手塚治虫が月刊誌『ぱふ』のインタビューで、「漫画とは記号とそのパターンの組み合わせだ」とする、漫画記号論を語る。
 作家の大塚英治は、この論については考え続け、2000年代には、漫画やライトノベルは、記号的なキャラクターを用いながらも、自然主義的なリアルな人間の身体や感情を描いているとし、そこに新しい文学の可能性を見出した。
 例えば、手塚治虫の医療漫画『ブラック・ジャック』は、記号的なキャラクターを用いながらも、人間の死や出産、医療の限界、親子の絆といった題材を描いている。作中で描かれる心臓などの臓器はリアルそのもの。本作は医療知識の間違いなどをについて批判されているが、裏を返せば、それだけ現実に近い内容だったということである。これを『まんが・アニメ的リアリズム』という。

ゲーム的リアリズムの誕生

・批評家の東浩紀は、2007年にライトノベルは『ゲーム的リアリズム』という概念を用いて作られている、(あるいは影響を受けている)という論を発表した(書籍『ゲーム的リアリズムの誕生』)。これはゲームプレイヤーの選択によってストーリーが変るIFの概念や、時間のループ構造などによって無限に異なった世界を生きる(リセットしてやり直す)、といったゲーム的メタ物語世界観を小説の形式の中に落とし込んでいるというもの。
 東浩紀は、その起源を1988年刊行の『ロードス島戦記』や手塚治虫の初期の作品に求めている。
 しかし、もう一つの起源として、富野監督のアニメ『機動戦士ガンダム』とそのノベライズ版が挙げられる。ノベライズ版は、主人公のアムロが戦死するという異なった展開(デットエンド)が描かれる。まだ家庭用ゲーム機が発売されておらず、アドベンチャー型美少女ゲームも無かった時代であるが、もしかすると、異なった展開や結末となったもう一つの物語が有ったかも知れない、というゲーム的リアリズムがすでに現れているのである。
 また、初のアニメノベライズ原作となった『宇宙戦艦ヤマト』は、1978年公開の劇場用アニメ第二弾で、敵との戦闘で乗組員のほとんどが戦死し、ヤマトも敵艦に特攻して消滅したのにも関わらず、この作品が人気となってしまったため、彼らを生き返らせて続編を作ってしまう、という展開を見せた。また、特攻して終わるという結末に監督が不満を覚え、同年に劇場版をリライトしたテレビアニメ版が作られた。これによってストーリーや結末が変更され、劇場版はパラレルワールド化した。このことから、ライトノベルは発生の段階から、ゲーム的リアリズムの影響下にあったものと考えられる。
 さらに遡れば、1967年に刊行された筒井康隆の小説『時をかける少女』にも、友達が交通事故に遭うことをタイムスリップで知って、ヒロインがこれを回避するために動くといった、ゲームのリセット的なエピソードがあり、SF小説にゲーム的リアリズムの萌芽があるのではないかと考えられる。
 大塚英治は、ゲーム的リアリズムでは自然主義的なリアルの死が描けないとして、この形式に否定的だったが、東浩紀はゲーム的リアリズムのライトノベルは、その形式を利用して、生命の重要性を逆に強調しているとしている。
 ゲーム的リアリズムを採用してヒットしたライトノベルとして、『凉宮ハルヒ・シリーズ』(2003年刊行)が挙げられる。

1970年代の総括

・日本は高度経済成長のまっただ中で、工業化が進み、科学技術がすばらしい未来に導いてくれるという夢があった時代です。このような背景から、『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』といったSFアニメ、ロボットアニメが作られ、人気を博していました。
 この時代は、『戦後』という言葉に象徴されるように、第二次世界大戦の記憶をサブカルチャーは色濃く反映しており、『宇宙戦艦ヤマト』は第二次世界大戦で日本が勝利する物語だとされます。『機動戦士ガンダム』に登場するジオン公国はナチスドイツをモデルにしています。
 初期のラノベは、少年少女にも手にとってもらえるような文庫本を媒体として、SF小説、あるいはSFアニメのノベライズという形でスタートしました。
 また、『指輪物語』『ゲド戦記』といった海外から輸入されたファンタジー小説がヒットし、後のファンタジーブームに繋がっていきます。

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