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なぜこの小説は人気があるのか?

ネタバレ注意! このレビューにはネタバレが含まれています。

十二国記

 
「あなたは私の主(あるじ)、お迎えにまいりました」学校にケイキと名のる男が突然、現われて、陽子を連れ去った。海に映る月の光をくぐりぬけ、辿(たど)りついたところは、地図にない国。そして、ここで陽子を待ちうけていたのは、のどかな風景とは裏腹に、闇から躍りでる異形(いぎょう)の獣たちとの戦いだった。「なぜ、あたしをここへ連れてきたの?」陽子を異界へ喚(よ)んだのは誰なのか?帰るあてもない陽子の孤独な旅が、いま始まる!

■ 作品の書評                            

 十二国記は異世界召喚ファンタジーです。
 ああっ、この辛い現実から抜け出して、もっと素晴らしい世界、
 ココじゃないどこかに行きたいなぁ……と思ったことありませんでしょうか?
 世界に蔓延している理不尽に押しつぶされそうになったとき、
 お兄さん、もう引きこもっちゃいたいよ〜、と果てしなくネガティブな気分になることがあります。
 
 異世界召喚ファンタジーは、このような「違う世界に行ってまったく違う自分に成りたい」、
 という願望を叶えてくれるモノです。


 代表選手としては、同じく第六研究室で紹介している「ゼロの使い魔」もそうですね。
 「ゼロの使い魔」は異世界に召喚された主人公が特別な能力を与えられて大活躍し、
 女の子にもモテモテになって、それなりに苦労するけれど毎日楽しいなぁという、
 まさに我らの願望を満たしてくれるすばらしい作品です(笑)。

 ただ、十二国記は違います。
 十二国記は、異世界を冒険する楽しさや、
 そこで活躍して認められモテモテになるような快感を追求したものではありません。
 十二国記のストーリーは、現実に即した過酷な試練の連続であり、
 そこを乗り越えてようやく幸せを掴むというものです。
 主人公の中島陽子には特別な力が与えられはするのですが、
 それは自分の身を守るために必要な最低限のものであり、
 正義のために振るっている余裕などありません。

 右も左のわからない未知の異境にたった一人放り込まれた少女が、
 その過酷な環境の中でサバイバルする様子が描かれています。
 しかも、それは妖魔などの怪物との戦いのみならず、悪意ある人間や飢えとの戦いです。

 「おいらは陽子に信じてもらいたかった。
  だから信じてもらえりゃ嬉しいし、信じてもらえなかったら寂しい。
  それはおいらの問題。
  おいらを信じるのも信じないのも陽子の勝手だ。
  おいらを信じて陽子は得をするかもしれねえし、損をするかもしれねえ。
  けどそれは陽子の問題だな」

 これは「月の影 影の海(下巻)」で、陽子を助けてくれた楽俊の言葉なのですが、
 この作品のテーマを良く表しています。

 人間は人とどう関わって生きていったら良いのか、深く考えさせてくれる作品です。

 人を信じて裏切られ続けると、いかに根が善良な人でも、他人を信用できなくなり、
 逆に相手を利用して自分だけ生き延びようとするような利己的な性根を持つようになります。
 陽子を取り巻く環境は、現実でも異世界でも欺瞞と不信と裏切りに満ちており、
 彼女は信じた相手に何度も裏切られます。
 他人に裏切られるたびに、陽子から甘さが消えていき、より強くたくましくなっていくのですが、
 その一方で、彼女は心に不信と敵意といった暗黒物質を溜め込むようになり、
 元の臆病で善良な性格が徐々に変わっていきます。

「臆病で活動力を欠いている善は、自己を他に伝達することに向いていない。
 善よりはるかに熱心な悪は、自己を伝達せんと欲し、そして伝達することができる。
 それというのも、悪には、
 他を魅惑すると同時に他に感染するという二重の特権があるからである」
 (シオラン「悪しき造物主」より引用)

 この世に悪がはびこるのは、悪が病魔のように人々の心に感染して増殖していくからです。
 陽子もこの悪のウィルスに屈服しそうになり、
 自分を助けてくれた楽俊を裏切って生き延びようとします。

 現実には悪人だけでなく、正しくあろうと生き足掻いている人もいます。
 しかし、あまりにも劣悪な環境で人生を過ごすと、
 出会う人間全てが悪人であるかのように邪推してしまうのです。
 他人から褒められれば褒め殺しかと疑い、親切にされれば裏があるのではないかと勘ぐり、
 善行を成している人を見れば偽善者と決めつける……
 いったん他人に不信感を持つと、正しくあろうとしている人たちまで、
 悪と見なして排除するようになってしまう危険性があります。
 それは自分にとって物理的な不利益をもたらすだけでなく、
 ますますこの世のは悪ばかりといった認識を強め、心の汚染を拡大させます。

 陽子は苦しんだ末に楽俊と巡り会い、彼を信じることでようやく救われる訳ですが、
 もし楽俊と出会わずにいたら、自殺していたかもしれないし、大悪人になっていたかもしれません。
 そういった怖さを感じさせる内容です。
 
 自分を苦しめるのも他人、そして救ってくれるのも他人ならば、
 他人を信じて生きた方が良い。


 というのが、この作品のテーマとしての結論なのですが、これを成すのがいかに難しいか、
 ともすれば悪に汚染されやすい、悪に傾きやすい人の心の弱さがまざまざと描かれています。
 

■ 冒頭での日常シーンについて                  

 小説で一番大事なのは、冒頭の展開です。
 ここで読者を引っ張り込まないと、その先を読んでもらえません。


 十二国記では、どうなっているかというと、
 陽子が異形の獣たちから襲われそうになる悪夢を見ているところから始まります。
 その悪夢は一ヶ月以上前から続いており、
 最初はたんに闇の中に光が浮かんでいるだけの内容だったのが、
 日が経つに連れて光の名から獣の群れが現れるようになります。
 しかも、獣たちは日を追うごとに、徐々に陽子に襲いかかろうと近づいてくるのです。
 なかなか怖い内容ですが、これだけ見れば陳腐な始まり方ですね。
 しかし、その後の日常シーンが圧巻です。

 陽子は女子校に通っているのですが、そこでの環境は欺瞞に満ちており、
 欝になるような鉛色の日常が描かれています。
 おお、これが秘密の花園女子校か! 
 と、男性にとっては妄想の果てにしか存在し得ない、
 未知の聖域に踏み込む知的興奮に酔いしれている暇などありません。
 彼女たちは笑顔で握手を交わしながら、暗黙のルールに沿ってお互いを監視し合い、
 ちょっとでも自分たちの基準から外れると、オブラートに包んだ言葉のナイフで相手を刺します。
 そこはちょっとでも空気を読むのに失敗すると、ちょっとでも足を踏み外すと、
 奈落の底に真っ逆様の息が詰まるような空間です。
 ある少女をみんなで無視する遊びが、ここ半年くらい流行っているという下りには慄然としました。

「中島さんって、やさしーい」
 ふがいない、と暗に責めている声だ。陽子は無意識のうちに身をひそめた。
 別の生徒がそれに同意する。
「中島さん、ピシャッと言えばいいのに」
「そうそう、あんたなんかに、声をかけられるの、迷惑だって」
「世の中にはハッキリ言わないとわからないバカっているからさ」
 陽子は返答に困る。周囲の期待を裏切る勇気は持てないけれど、同時にまた、
 隣の席でうつむいているクラスメイトにあえてひどい言葉を投げつける勇気も持てなかった。

 (十二国記─月の影 影の海・上巻より引用)
 
 小説を書いていて一番難しいのが、なんでもない日常シーンです。

 異世界召喚ファンタジーの場合、まず現実世界での日常シーンを経て、
 異世界へと召喚されるパターンが一般的です。
 ところが、この日常シーンというのがことの他やっかいです。
 というのも読み手は非日常のドキドキ感を求めてライトノベルを手にするわけですから、 
 その入り口となる冒頭が、どこにでもあるような退屈な日常だったりすると苦痛なのですね。
 早く本題に入れ! と、例え物語の流れ上必要だったとしても叫びたくなります。

 そこで日常シーンには、ギャグやユーモアを入れたり、恋愛要素を入れたりして、
 なんとか退屈にならないように工夫するわけです。
 日常シーンがうまく描ける作家さんは、実力があると言えます。

 十二国記では、このようなひどい環境の内容を克明に描写し、
 そのネガティブさで読者を惹きつけています。


 おそらく誰もが一度は経験し、心の中で恐れている状況であるからこそ、
 このシーンでは陽子に感情移入できます。
 

■ 世界観の説明について                    

 十二国記は、かなり細かい設定と、考え抜かれた世界観を持った小説です。

 地の文で世界観を一気に説明するような愚は犯していないので、
 最初は、なにがどうなっているのか、まさに陽子と同じように戸惑うことになります。

 主人公と同じ視点で物語を追いかけ、
 徐々に異世界の仕組みや価値観がわかってくるようになっているのです。


 アマチュアの場合は、苦労して作り上げた設定を披露したくて、
 必要もないのに地の文でくどくど書いてしまう場合が多いのですが、ここはさすがにプロですね。
 その設定にもオリジナリティがあって、なかなか読み応えがあります。

 人や動物が、すべて木から生まれるという世界の仕組みにはかなり驚きました。
 この世界では、母の胎内から子が生まれるのではなく、子が欲しいと願うと、
 天帝がその願いを受け入れ、里木という木に子供の入った卵果を実らすのです。
 親子は当然、似ておらず、人間の女の息子がネズミの姿をした半獣であったりします。

「草や木や、動物も木になるの?」
 楽俊はうなずく。
「当たり前だろうが。木にならずにどうやって生えるのだ」

 (十二国記─月の影 影の海・下巻より引用)

 まさにカルチャーショック!
 こういう異文化との接するのも、異世界召喚ファンタジーの醍醐味ですね。
 

■ この作品の欠点、残念なところ                

 第一作にあたる「月の影、影の海」上巻が、とことこんネガティブに終わっています。
 一切容赦のない、過酷な状況に陽子を追い落としての幕切れ。ちょっと読後感が悪いです。


 下巻に入ると、運命が一気に好転してくるのですが、
 そこにたどり着くまでがツライですね。
 それ故に、快感もひとしおです。

 また、昨今の萌え重視の軽薄なライトノベルとは、対極を成すかのようなシリアスな作品です。

 第一作である「月の影 影の海」では、女子高生が主人公なのに、恋愛要素がほとんどなく、
 エロいサービスシーンなどまったくありません。
 萌え的なお約束や、萌え属性を持ったキャラも一切いません。古き良き作品になっています。
(陽子の制服がボロボロになったりしますが、エロさを感じさせない描写です)
 なので、そういったモノを求めている方には合わないでしょう。
 NHK教育テレビでアニメ化されたくらいですからね(汗)。

 下巻まで読み終わると、この先、
 陽子と景麒がどんな国を作っていくのか激しく気になるようになっています。
 そこで終わらすのかぁ! と、心憎い終わり方に思わず地団駄。
 この作品のシリーズが漫画版と合わせて50冊以上もリリースされているのが頷けます。
 
 異世界召喚ファンタジーを書くなら、一度は参考に読んでみると良いでしょう。


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