目指すところがエンタメ系の創作であるとしたら、こだわらなくてはいけないのはリアリティではなく面白いかどうかです。
リアリティも作品の読み応えを支える一つの要素だとは思いますが、そこにこだわっても物語は面白くはなりません。かと言って、リアリティを捨てて闇雲にはっちゃければ面白くなるというものでもないんですね。
そもそも面白さを作るというのはかなり難しい技術で、そう簡単にできないから皆苦労しているわけです。そこにもう少し目を向けてほしいかなという気はします。
なんか、ご相談の趣旨とずれたことを言っているようで恐縮ですが、個人的な実感として、どうしたら面白いストーリーを作れるかに頭を悩ましていると、リアリティなんて気にしている暇はないですよ。
面白さを作るためにプロットを工夫し、どうすれば読者に惹かれるキャラを作れるか考え、もっと斬新なアイデアは盛り込めないかと模索した上で、「これならある程度いけるかな?」という手応えが得られてきたところで、はじめてリアリティについて考えはじめる感じです。
そんな過程で考えたプロットに、例えば、
>・女子供しか動かせない兵器
みたいな要素が入っていたら、「それは、ちょっと無理があるかな?」と考えたりはするかもしれませんね。
でも、無理があると思ったらその要素を外せるものなら外してしまうし、根幹にかかわる重要な要素なら、他の方も仰っていますが「女子供しか動かせない」理由付けを考えてみてもよいのではないでしょうか?
>話も設定もどうにも進まないし、湧いたアイデアもつぶしてばかりです。
少し辛辣になってしまいますが、つぶしてもいいアイデアなら最初から大したアイデアではなかったということでしょう。
>・因果応報、理由付け
> あった方が物語としてすわりがいいのはよくわかるけれど、実際には何かが起こってもほぼ偶然の産物でさしたる原因はないと言っていい(人間の脳には勝手に因果関係を作ろうとする性質があるため、実際にはありもしない原因を見つけ出そうとする)
むしろ、それは創作の秘密そのものです。
小説でも映画でも、(ノンフィクションは別として)読者や観客は作り話だと知りながら作品に接します。それでも感動したり、怖がったり、登場人物に同情したりするのはなぜでしょう? 考えてみたら不思議なことだと思いませんか?
クリエイターは、ユーザーのそういう心理(人間の脳の性質)を利用して作品を作っているんです。まあ、多くの作者はそんなこと意識しないでやっているかもしれないですけど。