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タイトル:とある映画監督の感情グラフについての返信の返信の返信の返信の返信 投稿者: サタン

うーん……
この返信を頂いて感じたのは、スレ主さんは何らかの作品を読んで(ないし思い出して)4つの状態に照らし合わせて作品分析をしている、つまり、スレ主さんは「読者」の立場で作品分析をしている、ということです。
なぜ私がそこを気にしたかというと、

例えば、スレ主さんが大好きな作品を読んでみてください。それはもうあっという間とまでは言わんけど時間を忘れて読めると思う。
けど、じゃあ、学生なら歴史の教科書でも取り出して、1p目から読んでみてください。同じように時間を忘れて読めるでしょうか。まあ読めるとしたら歴史じゃなく数学の教科書でもいいや。
>「苦痛」の状態を読んでいると、時間の流れが遅くなった気がするんです。逆に、「興奮」の状態は時間の流れが速くなった気がします。
では、読むのに時間をかけてしまった教科書のほうは、「苦痛」の状態が書かれていたでしょうか。
物語と教科書じゃ違うだろって思うかもしれませんが、私が言いたいのは、「苦痛」が書かれているのではなく「苦痛」を感じているのは読者だってことなんです。
物語において「時間の流れが遅くなった気がする」と感じてるのは「読者」であって、「そこに書かれている内容」ではないんです。

つまり、「読者の立場から分析している」ということで、書き手であれば「書き手の立場から分析しなければならないのではないだろうか?」ということです。
「読者」だから感じることと、「作者」として作り上げるものをごっちゃにして分析してないかな、と思いました。

だから、ちょっと意地悪なことを言ってしまうと、
> バトル→緊張
> 負けそう→苦しい
> というように解釈できるので、「緊迫」です。
これら例題は、まあ、スレ主さんがそう思ってるだけ、と言えてしまいます。
もちろん創作は一人でするものですから、創作論を共有する必要はありませんし、別に「自分がそう思ってるだけ」で何も問題ないです。
ただ、「作者」と「読者」は別の人物なので、必ずしも同じように感じたりしません。ということは「緊迫と解釈できる」とは限らず、作者の独りよがりになってしまう可能性が捨てきれないと思います。

でも状況を限定すれば自ずと解釈も限定されていくので、スレ主さんがよく書くジャンルでスレ主さんの作風の中でのみ成立する論として、間違いだと指摘することはできないかなと感じます。
例えば最初に私が指摘した「ハートフルな日常ものだと通用しないよね」って言に対し、「いや俺それ書かないし」ってなればスレ主さんの中では別に何も問題ないですから。

>この差を、「読速度の上昇」と「読速度の低下」と解釈するというのはどうでしょうか。
読者が「苦痛(文字通りの意味じゃなく時間を感じるような精神状態になってるという意味)」と感じてるだけ、って書いたけど、
そう感じたシーンを思い浮かべてみると、おそらく、端的に言って「ゆっくりしてるシーン」と「激しく動きのあるシーン」の違いがあるんじゃないかと思う。
これは、よくあるというか無意識にというか、状況で自然とそうなるっていう小技で、
「ゆっくりしてるシーン」は単純に文字量が多いんですよ。キャラの心情とかを長めに書いたりするし。
「激しく動きのあるシーン」は、改行も多くスピード感を出すため短い文章の割合も多くなる。
そうするとページを捲る速さが違う、そのため読書速度が上がったように感じられるかもしれないし、実際テンション上がって早く読んでるかもしれないけど、本当に単純な話で1pあたりの文字量が違うってだけだと思う。

>これにより、例えば物語での「苦痛」の比率を減らしたり、「興奮」の比率を増やしたりして、「苦しさ:楽しさ」や「緊張:緩和」を調整するというのはどうでしょうか。
うーん……
結局、「苦しさ」あっての「楽しさ」なんだよね。
楽しさしかなさそうなコメディ作品にしても「緊張」と「緩和」が大事だし、シリアスな話のカタルシスにしても「抑圧」と「解放」の関係が大事になる。
作品の中で印象的で一番面白い場面を最大限に書こうとして、単純に「楽しさ」を増やして「苦しさ」を減らすってすると、たぶん面白くなくなる。
何故かっていうと、「楽しさ」の部分を面白いと感じるための前振りが「苦しさ」になるから、この「苦しさ」を十分に読者に伝えていないと面白くならないから。
では、その比率はどんなものか、どんな黄金比があるのかっていうと、
ぶっちゃけ作品によってテーマによって違う。
「苦しさ」と「楽しさ」が「9:1」で名作って言われてる作品もある。
というか、そこまで逆張りで極端に作れるから名作になるんだけど、うーん……

>「苦しさ:楽しさ」や「緊張:緩和」を調整する
中略
>「1:1」にしたり「1:3」などにして
「苦しさ」「緊張」をどっちも「1」に、つまり最小限にしようとしてる、と読みとれる。
カタルシスを勉強しはじめた初心者とかは「抑圧」と「解放」の「抑圧」を深く書こうとするって事があるんだけど、
つまり「いじめられっ子」が「強くなってクラスメイトを見返す」みたいなシナリオで、「いじめられてる様子」をねっとり長々と書いたりしちゃうんよ。
これは大きな間違いで、読者はそもそも「主人公が虐められて精神的に追い詰められてる様子」を長々と読みたくないし、「クラスメイトを見返す」のが面白いと思う読者は、追い詰められる様子なんか読んでも面白くない。
では、スレ主さんのように「抑圧」を「1」にしてしまえばいい、と判断した場合は、
今度は「抑圧」つまり「虐められてるから相手を見返したとき読者はスカッとする」のに、その前提の「虐め」が薄すぎて「見返した」ときにスカッとしないというか、主人公やりすぎじゃねえの、って思われかねない。
前述したとおり、かえって面白くなくなる。
じゃあ、どうすべきなのかっていうと、
そもそも考え方が間違っていて、「抑圧」を「つまらなく書いている」から問題なんだよね。
「主人公が虐められてるシーン」を面白く書けばいいだけなんよ。
そんな事が可能なのかって思う人もいるかもしれんけど、例えば「虐められてる途中で学園のアイドルがやさしく助けてくれる」とか「学校の外では超凄い人に気に入られてるけど、虐めについては相談できない」とか、読者の年齢を考えて、読者が羨ましいと思える要素を「虐め」に絡めて展開させる。
そうすると「抑圧」ではあるけど「読みたくないもの」ではなくなる。
こういう「つまらないもの」を「面白く書く」って意識が足りないから、「抑圧」や「緊張」や「苦痛」なんかを「1」としてしまってるのではないかなと思った。

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