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タイトル:バトルを売りにした小説において、ラスボスとの戦闘シーンには派手さが絶対必要か否か。の返信 投稿者: サタン

うーん……
例えば、もっとショボくして「ラスボスは戦闘力ほぼ0で戦う力さえない相手」と考えてみると、そんなラスボスはアリか? 
これは実は前例がないわけではありません。
ラスボスというか黒幕的な扱いですが、パッと思いつくのは幽遊白書の戸愚呂兄弟を雇ってた闇ブローカーですね。
「力」ではなく「悪」を表現した黒幕なので、戦闘力の有無はさして関係なく、力担当の戸愚呂弟が実質的なラスボスとして成立していました。

絶対的強者というラスボス観は、これは単純に「力」をテーマに正義の正当性を書いてるわけですから、「強者」の有り方の問題です。
なので、例えばマジンガーZとかああいう単純に力と力のぶつかり合い的な内容においては「ラスボスはデカくて強い」というのは王道というか「こうあるべきもの」というか、「ヒネっちゃいけない部分」という気がします。
というのも、単純にデカいと強さを連想しますからね。あからさまに強そうな相手のほうが良いに決まってます。
しかし、一方で同じ戦闘がテーマでも「強さ」にはいろいろな種類があります。
例えば財力やカリスマ、アニメ「C」では財力が力でしたから、ラスボスはイケメンで有能で「才能ある若い御曹司」の象徴みたいな存在でした。
例えば「強さ」を強く印象付けるために、対照的な弱い外見で「意外に」というギャップを利用したものも多くあります。
例えば「悪」など性質の問題とすると、先ほどは幽遊白書で例えましたが、近年のタイトルで言えばFateの言峰神父でしょう。キャラクターを並べれば下から3番目か4番目かってくらい弱いキャラで、ですがラスボスでした(セイバールートのラスボス)。まあ言峰は善悪を超越してる気がするけども。

「直接的なバトルが売り」とあるので、主人公は降りかかる苦難をバトルを介して乗り越えていく内容なのだと思います。
すると、単純に言葉の通りに考えれば、「その苦難が最高潮に達するクライマックスで、対する苦難がショボい」というのはいかがなものか? と感じます。
しかし、繰り返しますが、これは「強者の有り方」の問題です。
ブルースクリーンさんの意見とも繋がりますが、それをどう表現していくか、という話です。

創作的には、「ラスボスがショボい」のは何も問題ありません。
それで盛り上がる人気作という前例は多くあります。
ただ、ラスボスの有り方が「悪」であれば、戦闘力や能力はともかく「悪」においてはキャラクターの中で随一の飛び抜けたラスボス感があるキャラクターでなければ当然ながらラスボスっぽくなくてショボさが浮き彫りになってしまうでしょう。
故に、「能力」をテーマにした能力バトルものはラスボスの有り方が「能力」なので、「攻略不能に見えるほどヤバい相手」というのがラスボスになりやすいわけです。
……これを地で行くと「全ての能力を使える」というのがわかりやすいラスボス像なので、よくギャグマンガとかでネタにされますよね。
要するに、何度か書いてるけども「有り方」の問題です。
ショボくても問題ありませんし、派手である必要はありませんが、そういうラスボス像を作り上げることに成功しているかどうか。
これが成否を決めることになるでしょう。

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