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タイトル:ラノベの一般読者層の知性レベルは、テレビの想定視聴者くらいを想定すべきか?の返信の返信 投稿者: 手塚満

(No: 11:スレ主さんへの返信です)

竜騎士07さんの「うみねこのなく頃に」1作についてのみ、しかも謎解きの1人に対する多数からの批判の1例のみというのは、傾向を語るには統計学、論理学的にいささか不足ではないかと思います。傾向について説明するための代表的な具体例だとしても、「うみねこのなく頃に」は情報提示が不規則であるなどの、ミスディレクションの不手際があるようであり、説明のための参考事例とするには、あまり適切とはいえないように思われます。
(作者が想定したものと、描いたものの間にしばしば生じる齟齬等、いろいろ要因、原因ありますが、作品批評が目的ではありませんので割愛します。)

読者グループの集合知が体系化されるか否かですが、作品全体の好き嫌い、感動ポイント等の主観的な部分については体系化はされません。賢愚の基準でもありませんよね。

問題としているのは、仰るような謎解き等の客観基準があるものについてです。これは、70年代以降に多発した事例(ニューエイジ運動などでもよく見られたもの)から、各個人がコミュニケーション可能な集団が問題解決に優れた能力を見せたことなどを参考に申し上げてみました。

今でもそうですが、昔から会社組織は問題解決に優れた手腕を発揮することは周知の事実だと思います。指揮系統、役割分担等がはっきりした(後述する雑多な集団と比べてですが)少数精鋭の組織です。

ところが、70年代以降、無関係な人々が何らかの問題をきっかけに一時的に集まり、一気に問題を解決してしまう現象が見られるようになりました。日常的に見られるほどだったので、いちいち事例として記録はされていません(まだネットもなかったことですし)。会社組織が取り組みをためらったようなものも含まれます。

どう問題解決しているか、傾向を調べてみると、問題を熟知している1人(ないしは少数)が他の大勢に指示を出している(会社組織では普通のやり方)ではなかった。ある種の分散型システムで、解きたい問題の一部を知っている人がそこだけ解決する、すると他の部分についても同様にする人が出て来て、次第に全体が解決されていくというプロセスだったとのことです。
(こういうことが何度も起こって、例えば非営利組織などになっていったりもする。つまり、有用なものは組織化される傾向がみられるのは興味深いですが、これも今の話から逸れますので割愛。)

もう少し枠を広げた言い方をしますと、整然としたカオス、といったことになります。そういう集合知です。何らかの目的が生じると、突如として整然と動き出す。これが成立するようになったのは理由があります。

整然としたカオスが成立、機能する条件は「個々の成員が一定以上に賢いこと」なんです。教育の普及から高度化と無縁ではありません。日本では昔から初等教育は広く施されていましたが、高校(ないしは専門学校等)以降となると70年代以降に顕著になったものですね。これがあるため、カオスから専門的にも正しい知見、成果も生じるわけです。専門的な事項とて、学際的なものは多くあり(巨大プロジェクト等)、同様な現象が生じます。学生が主要な役割を担うことも少なくありません。

集合知について、他に注意すべき点があります。今は作者1人対読者多数を考えているわけですよね。集団的に出されてきた結論を、1人が批判し切れるのかどうか。多数の知恵が集まったんだから1人より賢い、とは別問題です。現在の学習型AIにも通じる問題で、例えば結論ははっきり出て来ているけれど、結論に至るプロセスが解析できないということがしばしば起こります。こうなるからそうなるといった決定論的ではなく、いわば確率論的なんです。

簡潔に言えば、集合知はしばしばアカウンタブルではない、といったことになります。あたかも1人が考えて結論を出したように考えて扱うと間違うことが多くなります。集合知への批判に際しては充分に留意すべきです。

気になりましたので一応の説明は致しましたが、読者は実は賢い、単に頭を使ってないことがあるだけ、ということを踏まえてお出でなら、そうそう心配はないように思います。

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