初めまして。僭越ながら返信させていただきます。
>>序盤は登場させられる人物も少なく主人公がとれる手段も行動範囲も限られ
もしかすると、その時の主人公は『受け身』で動いてはいませんか? 主人公は自らの意思で率先して行動させましょう。『能動的』な主人公なら取れる手段もありますし行動範囲も広がります。
また、本編における主要人物(メインキャラクター)は冒頭でしっかりと紹介させましょう。物語冒頭は、映画においても小説においても重要なセクションです。誰が主人公で、誰のための物語で、誰が密接に関わってきて、どういう世界観(設定)で、どういう目的を持ち、どのような行動をするのか。冒頭で書かなければならないことはたくさんあります。
>>ストーリーがかなりコンパクトなものにまとまってしまいます。
恐らく『葛藤』が足りないのかと。主人公の果たしたい目的が、大した障害や苦労もなく達成されてはいませんか? また、主要人物の掘り下げも気になります。物語を構成する『場面(シーン)』は、ストーリーを前に進ませるか、登場人物の情報を明らかにするためのものです。魅力あるキャラクターを物語を通して伝えられているでしょうか。
>>思いついたイベントが後に続いていかない
基本的に『本編の中のイベント』というものは長く続きませんし、長くしてはいけません。『イベント=シーン』と解釈もできるのですが、そういったものは終わったらすぐにまた新しいイベントに変わるだけです。前提にするのはイベントではなく、それらを構成する一つの物語であり、どのようなイベントにするのではなく、どのような物語にするかですね。どういうイベントにするかではなく、どういう物語にするかを考えてはいかがでしょうか。
>>単純に中間部分がただの通過地点になってしまい盛り上がりに欠ける時はどういった考え方を行えば中だるみせずボリュームある展開を創れるでしょうか。
その中間部分、厳密にはストーリー全体の中央か、中央の一つ後ろに『一つ目のクライマックス』を置いてください。付け加えて言うと、終盤に待ち受けるクライマックスをそこに持ってくるのではありません。その作品の一つ目のクライマックスを物語の中央か、その一つ後ろに置いてください。
これは自分も実践(というか真似)しているのですが、ハリウッド映画の脚本では『クライマックスが二つ設置』され、一つ目のクライマックスは前述した位置に、二つ目のクライマックスは『ラストの一つ手前』に置かれるとのことです。それらの場所や二つ設置する詳しい意義は(映画脚本の話になってしまうので)省きますが、そうすることで物語の起伏がよりはっきりします。
一つ目のクライマックスでは、これを境にそれまで進んでいた物語の方向性が逆転します。たとえば敵を追い詰めていたはずが追い詰められたり、敵に追い詰められていたはずが敵を追い詰めたり。そうすることである種の『極限状態』を作り出すのです。しかしそこで物語を終わらせるわけにもいかないので、命からがらに、もしくはあと一歩のところで物語は終盤に向けて進むのです。
自分などの意見が少しでも参考になれば幸いです。失礼しました。