第4研究室 創作に関するQ&A 23P | トップへ戻る |
聖治鏡介さんからの質問  
 例え嫌でも純文学を読むべきか?

 こんばんは。聖冶です。
 掲示板での皆様の意見を読ませて頂いているときに、気になることがありました。
 それはラノベばかりでなく、純文学も読んだほうがいいというものでした。
 しかし、私はラノベは大好きですが、純文学は大嫌いです。
 しかし、それでも純文学を読んだほうがいいのでしょうか。
 ちなみに、私が純文学を嫌っているわけですが、どうも敷居が高いのです。
 見ているだけでなんとなく圧迫感を受けてしまいます。
 その点、ラノベは気楽に読めて普通に手に出来るのですけど……
 どうしてもそうはいかないのです。


●答え●

 ラノベは好きだけど、純文学は嫌いというのは私も同じです(笑)。
 そんなわけでして、純文学は学校の国語の授業くらいでしか読んだことがありません。
 
 というのも、自分の好きでもない本を読んだところで、
 それは知識として吸収されないからです。


 例え好きな本でも、読後数日経つと、内容の概略くらいしか覚えていません(汗)。
 これが義務で読まされるような本になるとどうなるか?
 学校の宿題として提出した読書感想文などの本のことを考えてみると、 
 よくわかると思いますが、綺麗サッパリ記憶から失せます。
 なので、嫌いな本を無理に読むのは、時間的にも精神的にも損失だと思われます。
 
 ただ、もしかすると、食わず嫌いになっているだけかも知れませんし、
 ライトノベルや漫画のみに読書傾向が偏っていると、視野と見識が狭くなり、
 底の浅い作品しか作れなくなります。

 少しずつ、本の興味の範囲を広げ、なるべくいろんな分野の本に手を出した方が、
 作家としての資質を養うことができるのは言うまでもありません。
 
 私も高校生くらいまでは、漫画一本槍で、ライトノベルにさえ興味がなかったのですが、
 ライトノベルに出会ってから、本を読むおもしろさに気づいて、
 それ以後、小説に限らずいろんな本を読むようになりました。
 純文学とは異なりますが、
 山田 詠美さんや、北方謙三さんなどの一般小説・時代小説なども読んでいます。
 直木賞受賞作家の山田詠美さんの著書などは、
 ライトノベルとはまたひと味違ったおもしろさがあって良いですよ。
 人間に対する洞察力、人物描写などが秀逸で、
 どうしても作り物めいてしまうライトノベルのキャラクターとは、一線を課した人物たちが登場します。
 オススメは『ぼくは勉強ができない』。古い作品ですが、学園ドラマなので、
 ライトノベルから小説に入った方にも受け入れやすいかと思います。

 純文学に敷居の高さを感じるのであれば、こういった一般小説などを通して、
 読書の範囲を広げていってはいかがでしょうか? 
 また夏目漱石や、森鴎外などの作品を収録した文学作品CDというのもあるので、
 こういったものを聞いてみるのも良いかもしれません。


オジンさんからの意見 
 こんばんは、聖治鏡介さん。オジンと申します。

 何を読むかは、どんな作家になりたいかに左右されるのではないでしょうか?
 「坊ちゃん」なんて読んだことないとか、
 「出家とその弟子」なんて知らないという作家がいてもいいと私は思います。
 しかし、そういう作家さんはそれなりで終わるだろうな〜という気もします。
 何を読むことを自分に課すかは、自分のなりたいもの次第じゃないでしょうか?
 
>ちなみに、私が純文学を嫌っているわけですが、どうも敷居が高いのです。
>見ているだけでなんとなく圧迫感を受けてしまいます。


 敷居が高いなんて思う必要はないと思いますよ。
 別に試験を受けてるわけではないし、書いてることが分からないと悩む必要もないと思います。
 言葉がわからなければ調べればいいわけだし、
 その作家が人間のある状態の心理や行動をどのように描いているかを見れば、
 いいのではないかと思います。
 そういうものの受け取り方は人それぞれですから、
 他人と違った感慨を持ってもいいわけです。

 私自身は、純文学はストーリーが退屈なんであまり読みません。
 ぶっ飛んだ設定で、きちんと人間を描いている作品が大好きです。
 このところ、耽溺しているのは『十二国記』です。
 自分の好きなものを、主に読んでかまわないと思いますが、
 純文学に敷居の高さを感じたままでいるのはお勧めできません。
 純文学はそれほど特別な小説というわけではありません。
 退屈なストーリーが多いのですが、
 そんなに特別な人たちが書いているわけではありませんから、
 好き嫌いは別にして妙な苦手意識をなくす程度には読んでみられたらいかかでしょうか。
 

みかんさんからの意見 
 不祥ながら、私がコメントさせて頂きます。
 結論から言うと、聖冶さんは「今」純文学を読むべきではありません。
 聖冶さんが必要だと思った時に、自分の書いてる分野の本を読むぐらいで十分だと思いますよ。

 わざわざ読みたくない時に、読みたくない物を読む必要はないですし、たぶん効果もないです。

 結局、新しい何かを創ろうとしている以上、なんでもありだと思いますよ。
 何かを書くのに必要なのは紙とペンだけです。(今は違いますがね)


国下 夏草さんからの意見 
 こんばんは、国下と申します。

 そうですね……私も一時期文章の勉強をしよう
 (そうじゃなくても文系の学生としての常識と聞いて)と、
 昔の戦前の大御所達の作品を手に取りましたが、
 正直面白くない上にだらだらと続くのが嫌で読むのを止めてしまいました。

 大体、嫌々する行為が基本的に本人の為になるはずがありませんね

 私は結局、夏目漱石の『こころ』を手にとった時、生っ粋の夏目ファンになってしまったのですが、
 初めは誰でも取っつきにくい事があるものだと思います。
 純文学……といっても範囲はとんでもなく広いです、古典文学は正直退屈気味です。
 現代の、特に若い人が書いた本なんかは比較的『半分ライト』みたいな状態ですので、
 読みやすいかも知れません。
 段々慣らして行くのも、手段としては常套かも知れませんね。

 主旨は外れますが『戯言シリーズ』(個人的にオススメ)なんかの講談社新書や、
 NONノベルスなんかが若者に向けた『半ラノベ』作品としてオススメです。
 すみませんすごく曖昧で。
 告白すると、私にはラノベの定義が分からないように純文学の定義も分かりません。
 なので、明確な判断が出来ないからはっきりしたことが言えないっていうのが現状ですね。
 まあ、「個人の定義があってはじめてそこに現象が存在する」……という論点から考えてみれば、
 自分で判断すれば良いことなんですけどね。

 どうでもいいことをつらつらと述べましたが
『嫌なことは為にはならない、少しずつでも慣らしていければそれはあなたの力となるでしょう』
 好きこそ物の上手なれってことです。
 嫌なことを無理矢理する必要はありませんよ、
 けれど純文学も面白いですよっていう布教活動でした。


雪野銀月さんからの意見 
 なんのために勉強するのかというのが問題なのではないのか、と思う銀月です。
 巧い文章を書きたい、と思って勉強するのでしたら、
 なにも純文学に限らず、文章が巧い作家を見つけて勉強すれば良いだけのこと。
 また、構成などをしっかりとしたいなら――とまあ以下同文です。
 文章表現を磨くため、しいては小説をうまく書くための読書ですから、
 その作品がおもしろいかおもしろくないか、というのはあまり関係ないように思われます。
 絶対につまらん、と思うような小説でも、巧い、のならば詠む必要があるでしょうし、
 多少拙くても、おもしろいならおもしろいで何か得る物がある。
 つまり、勉強のために読む。
 この意識を強く持ち、楽しむ読書、ではなく学ぶ読書をすればいいのではないでしょうか。
(奇書のたぐいなども、そういう意味ではおもしろいですね)


緑葉さんからの意見

>しかし、私はラノベは大好きですが、純文学は大嫌いです。
>しかし、それでも純文学を読んだほうがいいのでしょうか。


 良い悪い以前に、「嫌いなものを読んで勉強になるか」を考えてみてください。
 二秒程で結論が出ませんか? 
 それでダメなら多くの人が嫌っている(であろう)物の代名詞、
 国語の教科書をここでも思い浮かべてみてください。
 中身、覚えてますか? どんな話が取り上げられていたか、だけでもいいです。
 国語の教科書とは読んで字の如く「勉強するための本(教科書)」ですが、
 果たして「勉強」できましたか?
 できるようなら純文学からも学べるものは少なくないでしょう。
 ただし、私から言わせていただくとそれは徒労以外の何ものでもありません。
 同じ量、大好きと仰るラノベを読んだほうが、
 数十倍有意義な時間をすごせるでしょう(あらゆる意味で)。

 また「純文学」ですが。
 聖冶さんは「純文学小説家」になりたいのでしょうか、
 それとも「ライトノベル作家」になりたいのでしょうか、
 或いはまだそこまで決まってはいないのでしょうか。

 (前置き:以下は100%個人思想による独断・偏見・持論の類です。ご了承ください)

 私は、純文学を読んでもラノベが書けるようにはならないと思います。
 むしろ書けなくなる可能性を多分に秘めていると思っています。
 なぜって堅苦しすぎる(偏見です)。
 ラノベの売りはその名の通り「軽さ」を含むはず。
 ガチガチに固められた日本語で綴られた文章から学び取れるものでは無い、と考えています。
 極論してしまえば「小説」というジャンル以外、ほぼ別ものだとさえ思っています。
 ターゲット(読者層)が違う。故にストーリー構成(全部、とは言いませんがほとんど)、
 キャラクター設定、背景描写云々、語彙語法から理念までが様々な意味で、形で、方法で「違う」。
 そんな強い偏見を持っている私ですから、当然純文学に興味はまるでありません。
 故にお勧めする事も出来ません。

 何が言いたいのかというと、やはり最終的な結論はご自身で出されるのが一番ではないかと。
 好みは人それぞれです。勉強方法も千差万別です。
 「やる」か「やらないか」さえ自由だと思います。
 私はしょっちゅう「自分で考えるべきだ」なんて偉そうな事をのたまってますが、
 それが一番自身のためになる事をある程度解っている(つもり)だからです。
 自分を信じられない人は普通居ません。その自分が導き出した答えです。
 疑いを持つのは所詮他人であって自分ではありません。
 疑念がなければそれだけ集中できると思います。
 集中力がいかに大切かは説明するまでもないと思います。
 そしてある種の進展なり、成果なりの「結果」を手にした時。
 自分で決めた事を貫いた時だと、それ以外の時よりもはるかに自信がつくと思います。
 何せ自分の考えが認められたともとれるわけですから。
 参考書を読んでも、誰かと知恵を出し合っても、
 この自信の量には遠く及ばない、と私は考えます。
 (前二つを完全に否定する程頑固じゃありませんよ、念のため)

 好きなら読む。嫌なら読まない。私はそれでいい。
 聖冶さんは?


峰しずくさんからの意見
 嫌なら読む必要はありません。
 ……と、私は思います。

 ただラノベを書くからといって、ラノベだけを読む、というのは、やはりなにかと不利でしょう。
 だって、ラノベしか知らない人の書いたラノベと、
 他の分野を知ってラノベを書く人とでは、当然違いますからねえ。


 例えば、音楽。とくにバイオリンなどはクラシックから入る人が多いと思ったりするのですが、
 クラシックを学んだあとは、ソリストとして活躍するか、ポップス系へ進むか、
 オーケストラでコンマスを目指すか、まあ色々とあると思います。
 最近では読み聞かせのBGM奏者なんてのもあるようですよ。
 このように、古典からは色々な道に進めますが、逆は相当しんどいと思うのです。
 文学でいう古典とはここでは古典文学のことではなく、純文学をさしてると解釈してください。

 純文学といえるかどうかわかりませんが、入り口としてなら、
 富島健夫さんのようにラノベも書かれている方がいいかもしれません。
 ただし、官能小説も書かれているので、お嫌いでしたら、それではないものを選びましょう。(笑)

 純文学ではありませんが、山浦弘靖さんの大人向けミステリーと、
 ラノベ(コバルトから出ている星子一人旅シリーズ)を比較すると、
 びっくりするほど文章が違うので、これも参考になさるといいでしょう。
 さすがにここまで違う人はそうそういないと思います。

 あと、個人的には林芙美子の「放浪記」などが好きですね。
 これも純文学の入り口としていいかもしれません。

 また、川端康成の「雪国」は、冒頭部分だけでいいので、立ち読みしてください。
 「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」でしたでしょうか。
 ここには難しい単語は一切出てきませんし、本当に短いフレーズですが、
 僕にはこの情景が目の前にパ〜と広がってくるのを感じさせてくれました。
 ああ、これが上手な文章というものだ、と思い知らされた次第です。
 もちろん、読者に知識やセンスは要求しています。
 国境というのは、ドイツとフランスの国境などではなく、
 地方を隔てる「くにざかい」の山脈を貫くトンネルである、
 ということを読者が常識として知っているという前提のもとに書かれていますし、
 冬の雪国の景色をイメージするセンスと、
 雪国とはこういうものだという知識が要求されているわけです。

 そのあとには、信号所だったか信号場だったかの単語が出てきますが、
 これはいまや鉄道マニアに属する知識が必要です。
 ようするに、単線区間で列車がすれ違うために設けられた駅ではない鉄道施設で、
 すれ違う列車の少なくとも一方(両方の場合もあり)は、駅でもないのに停車してしまいます。
 (信楽高原鉄道の正面衝突事故は、ここで列車がすれ違わなかったために起こったものでしたね)
 また稀に地元民の便宜を図るために駅のように乗降を認めている場所もある……。
 てなところでしょうか。

 このように、確かにラノベに比べて知識は要求されますが、しかし、
 思ったほど退屈なものでもないですから、今は読まなくてもいいですが、
 いずれその時がきたら、「ああ、もしかして食わず嫌いだったのかな」
 とでも思うのだろうなとか思いながら、機会を待つことにしませんか?


リンチェさんからの意見
 こんばんは。夏目漱石の「坊っちゃん」はライトノベルだと思っているリンチェです。

 別に世の中の小説にはラノベと純文学しかない訳ではありません。
 児童文学、ライトノベル、大衆文学、純文学、古典文学……
 それぞれを厳密に定義することは不可能だし、境界も曖昧なものですが、どれも同じ「小説」です。
 私も高校生の頃はラノベばかり読んでいました。
 図書館に置いてあるラノベは片っ端から借りて読みましたし、
 本屋で面白そうなラノベを見付けたら、躊躇せずに買っていました。
 でも、数を読んでいるうちに、「目が肥えてくる」んですよね。
 ありきたりなラノベでは楽しめなくなるのです。
 すると、面白い小説を求めて、さまざまなジャンルに手を伸ばしてみたくなります。
 そうなってから純文学や大衆文学に手を出しても遅くはないかと思います。

 さて、以上は「読み手」としての視点に近いものでしたが、
 「書き手」としても同じことが言えると思います。
 技術面については述べませんが、

 ラノベを読んだだけではやはり「ライトな」発想しかできないと思います。

 以前この掲示板でどなたかが発言されていたかと思いますが、
 (申し訳ありません。どなただかは失念しました)
 アウトプットはどうしてもインプットより薄くなってしまうので、
 自分の書きたいものより濃いものを読む必要があるのだそうです。
 もちろん、一般的に純文学に分類されている小説が、
 必ずしも内容の濃いものとは限らないのですが……
 むしろ一般向けの娯楽作品の方が濃いかもしれません。

 さて、聖冶さんは「純文学は敷居が高い」とおっしゃっていましたが、
 確かにそれは純文学に手を出す際の最大の障壁です。
 そうそう気張らず、純文学もライトノベルと同じ小説のひとつだと思って読めば、
 圧迫感も感じないのではないでしょうか。

 別に名作だからといって誰もが感動しなければならない訳ではないのです。
 くだらないと思ったっていいのです。


 いや、むしろ1人の物書きとしては、作品に対する世間の評価などは気にせず、
 純粋な気持ちで本を手に取ってみるべきではないでしょうか。
 大切なのは、作品を読んで、どこが面白かったか、どこがつまらなかったか、
 自分ならどう書くかを考えることだと思います。

 まあ、最近新規開拓を怠って、
 読む小説の数が減り気味の私が偉そうに言えたものでもないのでしょうが……。
 それではこれにて失礼します。


ムニャさんからの意見
 私は純文学は苦手でしたが、勉強の為に読んでいるうちに、
 ああ、こういうのもアリかなと思えるようになりました。
 昔の純文は、確かに敷居が高いです。
 私も興味なかったし、そもそも「文学」なんて学問顔してるのが気に食わなかった。
 自分には関係無いと思って、読もうともしませんでした。
 
 その私が最初に面白い!と思ったのが夏目漱石の「こころ」です。
 正直、最初の方は退屈ですが、最後の「先生と遺書」は面白かった。
 先生とKの、一人の女性を巡る感情というのがすごく生々しくて。
 で、私が思ったのは…純文学というのは、心理描写に重点を置いたジャンルなんじゃないかと。
 心理描写というのは、全ての小説においてなくてはならない存在です。
 いくら画期的なアイデアであっても、登場人物に感情移入出来ないと、
 読者は最終的に「つまらない」と判断してしまうと思います。
 だから、そういう作品を読むのはいいのかな、と。
 最近の純文は、その傾向が特に強くて、敷居の高さなんて全然感じません。
 ファンタジー要素の入っていない、普通の小説です。
 個人的には、セカチュー(古い?)も純文系のような気がするし。
 綿谷りさの作品なんか読んでも、ああ、こんなものなんだ、て感じです。
 この辺から読んでみると、入りやすいと思います。

 えー、結論が遅くなりましたが……
 やっぱり、ラノベ以外の小説も読んだ方が良い、と私は思います。
 引き出しは多いに、こした事はありません。


 ちなみに私、「我輩は猫である」にはめちゃくちゃ苦労しました……。
 読めない漢字多いし、1ヶ月くらいかかりましたね(放置期間含)。
 これは十二分に敷居の高い作品、であると思います。
 (同じ作家でも、ここまで違うものなんですねー)


通りすがりeさんからの意見
 どうも。はじめてライトノベルを買うときにかなり緊張していた通りすがりです。

 敷居が高いと思うのは、当然でしょうね。
 でも、ちゃんと中身を読みましたか?
 読む前から、決めるのは早計ではないでしょうか。
 上にも書いたように、私はライトノベルを買うのに躊躇していました。
 はじめて推理小説を買おうとしたときもそうだったのですが、それが原因だったのでしょうね。
 正直、推理小説しか読んでいなかったときは、
 ライトノベルなんて一生読むことがないものだと思っていました。
 それなのに、どういうわけかライトノベルを読んでいるという不思議な現象がおきています。
 考えてみても、理由というものが思い当たりません。
 必要なのは、買おうと思う勇気(とお金)です。
 それさえあれば、(よほど肌に合わない限り)慣れることができるでしょう。

 そうそう、日本の純文学は私小説が多いので、自伝でもいいと思います。
 日本の私小説は、外国では自伝となっておりますので。


化野 幽さんからの意見
 嫌々読むくらいなら止めたほうがいいでしょう。
 何か盗んでやろうという貪欲 さが無ければ、なかなか楽しめる内容ではありません。
 そもそも純文学というのは、読み手に媚びずに芸術性のみを追求した代物ですから、
 共感できなければただ苦しいだけです。

 しかし食わず嫌いはいけません。
 「敷居が高い」の一括りに目をそむけるのは、あんまりです。
 こういう質問をするぐらいですから、どこかで読まなければと思ってらっしゃるのでしょう。
 ラノベだけでは補えないと感じるのであれば、読むべきか否かを問うより前に、
 何を読めばよいか、そこを訊いたほうがきっとためになるでしょう。

 とりあえず皆さんが例に挙げられている本を読んでみてはどうでしょう。
 おもしろいと思いますよ。


mayaさんからの意見
 こんにちは、mayaです。
 よく議論されてきたことですね。
 個人的には、どっちだっていいじゃん、とお答えしたいのですが(笑)、
 みなさんが真剣ですのでしっかりお答えいたします。

 偏食はあまりお勧めできません。

 それでも、「純文学は大嫌い」という気持ちはとてもよく共感できます。
 わたしも十代のころは、固い作品を読むだけで眩暈がしたものです(笑)。
 それが変化したのが、村上春樹さんの作品との出会いでした。
 そこから、村上さんが翻訳されていた、
 レイモンド・カーヴァーやジョン・アーヴィングの作品にはまり、
 村上さんと親交のある柴田元幸さんの訳出された本を漁り……
 いつしか気がついたら、欧米の文芸シーンにどっぷり漬かっていたわけです(笑)。

 その過程で、日本の純文学の作家も読むようになりました。
 欧米の作品を読むとよく見かけるのですが、
 川端康成さんや三島由紀夫さんへの敬意というのが意外に明示されているんですね。
 そこから、その二人の作品、同時代の作家を読み……
 といったふうに、わたしは読み続けていった記憶があります。

 いずれにしても個人的な体験で恐縮ですが、エンタテイメントとは違って、
 いわゆる文芸作品はテーマに共感できないと、作品が把握できないということがよくあります。
 そして、テーマを掴むのに人生経験が必要なこともままあります……やっかいですね(笑)。
 だからこそ、聖治さんにとって大切なのは、共感できる文芸作品との出会いなのだと思います。
 こればかりは縁でしょうから、聖治さんご自身から扉を閉ざさずに、
 積極的にいくつかの作品を手に取るのもいいかと思いますよ。
 とても世俗的なことを言うなら、大嫌いだった人が、ふとしたきっかけで、
 なんだいいやつだったんだと思うことってよくありますよね(笑)。

 まったく興味がないよりは、「純文学は大嫌い」くらいの方が、
 いい作品と巡り会えたときの感動は大きいと思います。実際に、わたしがそうでしたから。

 読書の秋ですね――聖治さんがいい作品を手に取れることをお祈り申し上げます♪


北野卵さんからの意見
 嫌なら読む必要はないと思います。
 嫌々読んだ所で、その作品の悪い所ばかりが目に付いてしまって、
 結局は損をしてしまうと思います。
 ただ、別に敷居は高くないと思います。
 純文学の中にもおもしろい物はたくさんあります
 ――ただし、面白いの定義はライトノベルと異なりますが
 一応、私が良いと思った作品をいくつか書いておきますので、暇だったらどうぞ。

 『パイロットフィッシュ』 大崎 善生
 『ノルウェイの森』 村上春樹
 『人間失格』 太宰治
 『ぼくは勉強ができない』 山田詠美
 『ライ麦畑でつかまえて』 J.D.サリンジャー
 『本当の戦争の話をしよう』 ティム・オブライエン

 一番入りやすいのは、『パイロットフィッシュ』と『僕は勉強ができない』だと思います。
 『ライ麦畑でつかまえて』は少し読む人を選ぶかもしれません。


DoZunさんからの意見
 えー、掲示板で純文学を読むことをお勧めしたDoZunです。
 書き方が少々悪かったようで。誤解させてしまったかもしれませんね。

 文章力の向上などのために純文学を読むべき、というのは僕の持論です。
 事実、純文学から得た知識なんかもありますし。


 ですが、ひたすら純文学を読めばいい、というわけではありません。
 読むでも、つまらなければ読む意味はありませんから。
 小説を書ける時期と書けない時期があるように、読書にも読める時期と読めない時期があります。
 僕自身、少し前までは純文学を読みたいと思うことはあまりありませんでした。
 読むようになったのは、偶然家にあった村山由佳さんの作品を読んだり、
 学校の授業で漱石の「こころ」や鴎外の「舞姫」なんかを読んだ時です。
 一応断っておきますが、授業の際に読んだと言っても、授業のために読んだのではなく、
 単純に読んでみたいと思ったからです。
 読みたい、と聖治さんが思えないのであれば、読む必要はありません。
 ですが、いつかそれでは限界が訪れるでしょう。
 その時、あるいはその時までに、ふとした切っ掛けで読んでみたい、
 と思うことがあれば、それが好機だと思います。

 また、純文学は敷居が高い、と感じるのは自然なことだと思います。
 先入観などもありますし、明治〜大正あたりの本は、
 読者の対象がそもそも一般人をメインに据えていませんし。
 今は一口に純文学と言っても、ライトノベル寄り、あるいはライトノベル調な作品も増えています。
 数多くの文芸作品がドラマ化される昨今、その原作なんかだと読みやすいかもしれません。

 聖治さんがどういったジャンルを読むかは、聖治さんの自由です。
 ラノベにも文章の上手い作家さん、構成の上手い作家さん、
 引き出しの多い作家さんなどは大勢いますし、ただ何かの賞を取ったから、
 と持て囃されているだけの純文学作家よりも数段上の作家さんもいらっしゃいます。
 
 一番重要なのは、まずインプットの量を増やすこと。

 食べ物だって、嫌いな物は少ししか食べられなくても、好きな物は沢山食べられます。
 自分が読んでいて楽しいと思える物から読みましょう。
 そして、その過程でふとした弾みで純文学作品を読んでみることがあるでしょう。
 ラノベだけを読み続けていても、きっといつかは限界が訪れます。
 もしかしたら、その時が純文学に触れる時かもしれません。
 勿論、純文学を読み続けていれば小説が上手くなる、というわけではありません。
 むしろ、純文学だけだったら、ラノベは書けなくなります。要は、バランスです。
 ラノベだけではなく、純文学も読む。けれどメインはラノベでも大丈夫でしょう。

 ……またしても、内容が支離滅裂になってしまっている気がしますが。
 取り敢えず、今は無理して読む必要はない、けれどいつか読むべき時が来ますよ、ということで。

 お目汚し失礼しました。
 でわでわ、少しでもお助けになれば幸いです。


栗田 隆喬さんからの意見
 こんにちは。
 読む気が起きないなら、読まなければ良いと思います。

 とは言うものの、僕はどうせだったら読んどけば良いのに、と思っちゃうんですよね。
 最近のいわゆる「純文学」については、僕も読まないので全く分からないのですが、
 古典、名作と呼ばれている作品は、大なり小なりそれだけの意味があります。
 その時代に出てきたものの中でも突出したものがふるいにかけられて残ってきたわけですから。
 だから、そういう作品を全く読まないという事は、なんかしらの意味あるものに、
 一切触れることが出来ずに人生を終える可能性があるわけです。
 それを損失と思うかどうか。僕にとってはそこが古典や名作などを読み始めたきっかけでした。

 あと、周りの友達が読んでいて「あれはやっぱり凄いよ」とか言ってるのを聞いて、
 何がどう凄いのか、読んでないと分からないじゃないですか。
 それも古典や名作なんかを読んだきっかけです。
 (ちなみに友達が読んでいたのに引きずられたのは『罪と罰』とか、
 『カラマーゾフの兄弟』とか。とっつきにくいけれど、はまると凄いですよ)

 宝探しだと思って、自分が面白いと思える作品を探すと良いんじゃないですか?
 古典でも、名作と呼ばれるものでも、その中でも玉石混合なのは確かです。
 時代の移り変わりで共感できない部分が出てきたりするのもありますしね。
 自分がつまらないと思ったら、それはつまらないんです。
 書き手と読み手のレベルが一致しないと、どんなによいものでも伝わらないこともありますし。
 でも、自分の人生経験のなさが原因の場合は、時間が経つと面白く感じられるようになるはず。
 年齢とともに読み方が変わってくる作品もあります。

 せっかく興味をちょっとでも持たれたんだったら、個人的には乱読をお勧めしたいです。
 面白そうでも、つまらなそうでも、とにかく読んでみる。我慢の限界に来たら放り出す。
 我慢できる範囲だったら、読み続ける。
 好きなジャンルとかで、えり好みしない。
 他の人が面白いと言っていたら、趣味じゃないと思ってもとりあえず読んでみる。
 世界名作全集を適当に片っ端から読んでいく、などなど。
 そんな読み方をしてからライトノベルを読んでみると、新たな発見がたくさんあると思いますよ。


神沢さんからの意見
 聖治鏡介さん、初めまして。

 まず、純文学を読むべきか否かという質問に対して、
 私が直接的な意見を言うつもりはありません。
 ただ、読む本をライトノベルに限定するのはやめたほうがいいと思います。

 結論から言わせてもらうと、読むものをライトノベルに限定すると、
 ネタがすべてライトノベル系しか出てこなくなるからです。


 たしかに、ここはライトノベルを書きたい人が集まっているわけですから、
 それでも構わないかもしれません。
 しかし、話を作る上でいつか限界が来るというのは間違いないと思います。
 それだけではなく、文章力や構成力もいつか成長しなくなります。
 少なくとも、私はそうでした。
 以前は私自身もライトノベルや漫画しか読まなかったのですが、
 別のジャンルを読むようになってからというもの、
 今までには浮かばなかったネタや構成を思いつくようになりました。

 もし、聖治鏡介さんが上達を望むのであれば、他のジャンルを読むことをお薦めします。
 もちろん、純文学にこだわる必要はありません。
 ホラー、SF、ミステリー、恋愛、ジャンルはたくさんありますから。
 それによって、新たなジャンルや自分が知らなかった新たな世界が開けるようになると思います。
 それに、意外とライトノベル以外にも自分の肌に合うものと出会う確率が高いので、
 読書の楽しみも増えますよ。

 若干質問内容にかみ合っていない答えかもしれませんが、参考にしてみてください。


村上梟さんからの意見
 自分は現在高校二年生ですが、最近はまったくライトノベルを読んでいないですね。
 高校一年生の半ばまではライトノベルしか読んでいなかったのですが、
 知り合いの方から村上春樹を薦められ『風の歌を聴け』を読んだのがきっかけで、
 純文学に手を出すようになりました。
 まあ確かに純文学というと少し踏み出し辛い感じがあるのですが、
 一歩踏み出せば新境地へと連れて行ってくれます。

 私は春樹から入ったのでおそらく(というかきっと?)春樹の影響を受けていると思います。
 いわゆる、春樹チルドレンですかね。
 しかしそれでも昔の私からしたら村上春樹はとても新鮮な作家だったのです。

 純文学というのは一発で読んだ人間を虜にする魅力があると思います。
 文章的にも心構え的にも純文学を読んだ方がいいかも知れませんね。


 ライトノベルにも純文学に憧れていた人間(昔の上遠野とか)がいますがやはり諦めたのか、
 ライトノベル作家としていってますし。
 いきなり純文学から入るのはきつい、と感じるかも知れません。
 たまに地獄のように読みにくい作品を書く笠井潔とかいますし。
 「メフィスト賞」を受賞した作家から入るのもいいかも知れませんね。
 例えば森博嗣とか舞城王太郎とか佐藤友哉とか。
 西尾はライトノベル作家と認知されているのであえて挙げません。
 純文学っぽいライトノベルは、
 滝本竜彦の『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』 とか、
 上遠野公平の『ブギーポップは笑わない』があります。
 ライトノベルで純文学っぽくしたいなら、読んでおいた方がいいですね。

 結論はライトノベルという枠をぶっ壊して純文学からもどんどん吸収しろってことですね。


白々々々々々さんからの意見
 こんにちは。白々々々々々です。
 私は、例え嫌でも純文学を読むべきだと思います。
 だって聖冶 鏡介さんは作家になりたいのですよね? 
 ならば枠を作らずに、様々な分野に手を出すべきだと思います。

 小説家も芸術家だと私は思います。ならば色んなことを知り、感性を磨くべきだと思います。

 と、色々と語りましたが、偏った作品を書きたいのなら別にかまわないことですね。
 自分の好きなように作品を書いて、それが世に受けてヒットすることだってあります。
 プロ意識なんてなくてもプロになれるかもしれません。
 私は本多孝好さんや村上春樹さんの作品から純文学の道へ入ってきました。
 二人は淡々とした文章で読みやすいと思います。個人的なお勧め。
 ……以上です。参考になれば幸いです。


緑森リンさんからの意見
 初めまして。最近、こちらのサイトにお世話になり始めた緑森といいます。
 私としては「読んだ方がいい」寄りの意見ですね。
 少なくとも言えるのは「読んで損になることはない」ということ。

 確かに「純文学は手を出しづらい」という聖治さんのお気持ちはわかります。
 私もそうでしたから。
 ……いや、それどころか私はラノベに対してすら
 「オタクの読むもの」というトンデモな偏見を持っており、
 つまり……ジャンル問わず、「小説」というもの自体、私は大っ嫌いでした。
 読んでいた本と言えば、漫画かサブカル本ぐらいのもの。
 
 ところがある日、友人にとんでもない駄作アニメを観させられまして、
 「なんじゃこりゃあ」と私は唖然とさせられました。
 で、なんでもそのアニメには原作……小説があるのだという。

「こんなにつまんないアニメの原作……。よし。どれぐらいヒドいのか確かめてやろうじゃないか」

 そんな高慢ちきな態度で、私はお金の無駄遣い的に原作を買い、
 読了語に大笑いしてやるつもりでその小説を読み始めました。
 ところが。
 これが面白いのなんので。
 読み終わって……そのときになってようやく、
 「本って面白いもんなんだなあ!」と私は気づかされました。
 それ以降、私はジャンル問わず、本屋で小説と名の付くものは片っ端から読むようになりました。
 そしてそのうちに「いつか自分も小説を書いてみたい!」と思うようになり……現在へ。

 少し長くなりましたが要するに。
 私がそうだったように、
 実は聖治さんの「純文学はちょっと……」が食わず嫌いである可能性もあります。

 でもやはりつまらないと思った場合は、
 少なくともそれが聖治さんが小説を書く際の「参考」や「経験」にはなるはずです。
 (たとえば「あの作品のような轍を、自分は絶対、踏まないぞ」みたいな)
 だから純文学が嫌いだからといって、読んで損になるということはないはずです。

 ちなみに現在、私は西尾維新の「クビキリサイクル」と太宰治の「人間失格」を読んでいます。
 両者とも、読んでいて「無駄」だとは思っていません。
 参考になれば、と思います。ではでは。

※例の駄作アニメ&原作のタイトルは、敢えて申しません。歳がバレそうなので(笑)


垂れ坊さんからの意見
 どうも、垂れ坊というものです。
 僕も小説を書いている身として、失礼ながら意見を書かせていただきます。
 僕の場合、「面白そうな純文学に手を出す」という手段を使っております。
 とはいえ「面白そうな」といってもよくわからないと思いますので、
 ドラマ化や映画化などされた作品から読んでみてはいかがでしょうか?
 少なくとも万人から「面白い」と思われているので無駄ではないと思います。
 それでなくとも純文学は構成力などを学ぶ点において純文学は結構役に立ちます。
 こんな意見が参考になれば幸いです。それでは、失礼いたします。


蒼い人さんからの意見
 私は「純文学を読むべき」という意見に一票入れます。

 名作家とされている方々の作品は、絶好の研究対象だと思えるからです。

 名詞や漢字の利用などは現代と差がありますが、
 その表現技法(特にモノローグ)を見ていると感嘆させられました。

 もちろん修行のためには、戦前の古典作品だけでなく、
 現代の純文学及びライトノベルも読むべきです。
 が、「売り上げ部数=良い」という構造はあまり信用すべきではないと思います。

 何故なら、現在ではマーケティングによる宣伝の手法が確立されているので、
 売れていてもつまらない物である可能性が高まっているようですから。


 とは言え、私も芥川龍之介の作品に手を出そうとしたのですが、
 やや足踏みしている状態です。実際にページを捲る内でも多少の驚きがあったのですが、
 精読までには至っていません。やはり格調がやや高めに感じられるのもあります。
 そして何より、私が三人称で書こうと思っているのに、
 見てきた芥川作品の大半が一人称で書かれていました。
 確かに研究材料になるかもしれない、が、その前に期待が挫かれてやる気が萎えています……

 古い物でも、最近の物でも、やはり選択し、確認する事が必要でしょう。
 加えて、読んで考察を出す時間も確保しなければなりません。
 私は大学に行って哲学をしていますが、
 演習で扱うテキストだけ読んでも理解が難しい事があります。
 そこを先生の話や他の本で補う事にしています。
 一つの教材だけでは、理解も不十分になりがちになる……というのが持論です。
 
 私が言いたいのは、これまで残っている古典作品には「玉石混合」でも「玉」
 を掴める可能性が高いかもしれないという事。

 そして研究には最初に決めた材料だけでなく、他にも手を出す必要が出てくる事。
 更に、深く研究する為にも時間の確保も必要になる、というのが主要な三点でしょうか。

 ただ、小説の表現力を高める際に「どの作品を研究すべきか」は個人によって異なるでしょうから、
 それを探す為にも時間を割かなければならないでしょう。
 自分の目的に合致し、尚且つ読んでいて楽しめる物を探すのは大変です。
 しかしながら、参考の為に純文学を手に取るというのなら、
 敷居の高さは避けては通れない道だと思います。何故なら、それらは「参考書」ではないから。
 高校までの「参考書」は、その内容をなぞっていれば十分でしょうが、
 研究の為に使うのは「参考文献」です。
 しかも研究する為のマニュアルなど用意されている筈もなく、
 暗中模索となるのは十分ありえる事です。
 ましてや、それが小説(=レトリックが多用された文章)となれば、
 哲学書とは別の難解さがあると思います。


AI EASYさんからの意見
 初めまして、AI EASYと言います。
 純文学、僕も嫌いですw
 芥川龍之介 夏目漱石 言葉がわからんっすw

 読むべきはどうか……
 今後も物を書くのであれば、読むべきだと思いますし、
 私も読んでいます。
 と言うか、食指は広く持つべきだと思います。
 文学、ホラー、ミステリー、アクション、歴史、ハードボイルド、エロ……
 好き嫌いではなく、物書きとしてお勉強の一環です。
 物事の運び方、世界観作り方、情景描写の方法、
 皆さんプロですので、素人の私にはとても勉強になります。
 (そんなこと管理人様も書いてらっしゃいましたよね)

 私だってすべてが読めている訳では無いですが、
 少しづつ食指を延ばすようにしています。
 本屋の端にある、小さいカラフルな表紙の文庫コーナばかりに閉じこもらず、
 広い本屋を探索されることおすすめします

 エロだってプロはすごいっすよw
 肌の重なりをあんなに濃密には書けんです。
 ただいま、高橋三千綱先生を愛読中のAIEASYでした。


岩倉珪衣さんからの意見
 初めまして、岩倉と申します。
 皆さんの意見と反しますが、
 私は、純文学を下手に読んでしまうとライトノベルが書けなくなるだろうと思っています。

 「純文学」という括りは、私的解釈だと
 「先鋭的な概念を追求した芸術」に与えられるものという感じです。

 つまり、純文学と一口に言っても、その内実は時代や作家によって非常に多様だということです。

 皆さんが挙げている小説は明治時代〜戦後しばらくくらいの日本小説が多いですが、
 確かにその辺りの小説ならばいいかもしれません。
 何故なら、その辺りの小説では論理的構造が非常に〜ある程度重視されているからです。

 ライトノベルは、現代小説の中でも特に論理を重視するジャンルです。
(注:非現実的=非論理的ではありません)


 だから、そういう小説は参考になるのです。
 太宰治の『走れメロス』や三島由紀夫の『潮騒』辺りはなかなか参考になると思います。
 しかし、それ以降の小説では、既存の小説を成り立たせていた論理が疑われ
 解体されているものが現れてきます。
 私見では高橋源一郎や中原昌也、
 海外ではジョイスやプルーストやオースターなどがそういう書き手です。
 
 こういう小説では、特殊な設定(例えば人間の顔を銃で撃っても死なないなど)が、
 何の説明もなしに現れますし、文章もはっきり言って意味が分からないしと、
 論理的に見れば下手糞であることが多いです。

 それと、ライトノベルは受難→克服を経てカタルシス(解放感)を感じさせることを
 重視するジャンルだと思いますが、純文学ではそれが全然ない作品が多いです。
 カフカ、安部公房、小島信夫、保坂和志など挙げればきりがありません。


 眠いしこれ以上思いつかないのでやめますが、
 とにかく、下手に純文学を読むとライトノベルが書けなくなります。
 
 読むにしても、近代くらいの実験的でない古典だけにしておくべきです。

 大衆小説は文字通りであることがほとんどなので、読んでも全く問題ないと思います。
 むしろこちらのほうが役に立つでしょう。

 それとは別に、私は新書を読むことをお勧めします。
 新書は基本的に論理を重視した読み物ですし、
 そんなに厚くも難しくもなくそれなりの知識や知的快感を得られます。
(無論当たり外れはありますが)
 もしくは高校までの教科書を引っ張り出して読むというのも効果的でしょう。
 もちろん、読めるのなら高度な専門書を読むというのもいいと思います。
 ハードSFなどでは量子論や相対性理論など、
 歴史(時代)小説ではアンデス山脈辺りの歴史や地理なんかが出てきたりしますし。

 まあ大体そんな感じですが、やっぱり、月並みですが、自分の興味に合ったり、
 書きたいと思う小説に関連したりという本を読むのがいいんじゃないかと思います。

 SFに興味がないし書きたくもないのにコンピュータのハードウェアの仕組みの本とか
 読んでもしょうがない、というかその時間に好きな本読めって話です。



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ドックさんからの質問  
 主人公が「悪」なのはアリなのでしょうか?

 主人公のキャラ設定の事で相談なのですが、主人公が「悪」なのはアリなのでしょうか。
 主人公は「小説の顔」という話を耳にした事が有ります。
 「小説の顔」が悪では、読者に読みすてられてしまうのでは……
 と、主人公のキャラ設定にとても迷っています。
 果たして「己の野望の為になら、方法は選ばない!」といった悪主人公はOKなのでしょうか?
 御解答をよろしくお願いいたします。


●答え●

 主人公が悪というのも、アリです。現にそういった作品はたくさんあります。
 有名どころではモーリス・ルブランが描いた推理小説シリーズの主人公、
 アルセーヌ・ルパンなんていますよね。怪盗の代名詞とも言うべき大泥棒です。
 ただ、悪にも二種類ありまして、
 性根の腐った本当にどうしようもない悪人と、
 自分のポリシーを持った魅力ある悪人がいます。

 小説の主人公として、後者は合格ですが前者は失格です。

 例えば、自分が楽しむためだけに罪を重ねる快楽殺人者、強姦魔なんていうのには、
 誰も共感しないでしょう。
 強者にはへつらい、弱い者はいじめるなんて性根の人間も、どう考えてもダメですよね。
 そういった人物には、人間的な魅力が無いからです。

 そういった意味では、悪人より正義漢を主人公にした方が、共感を呼びやすいです。 

 ルパンなどは、怪盗紳士というくらいで、盗みに美学を持っており、
 厳重に警備されたターゲットを華麗に盗み出して、無闇に人を傷つけたりはしませんでした。
 だから、女性にもかなりモテたみたいですね(笑)。
 彼の孫のルパン三世も大泥棒ですが、情に厚くて、泥棒しながらも人助けしています。
 こういった部分が悪でありながらも人を惹きつける魅力になっているのだと思います。
 魅力ある人物を創造できれば、
 それが社会的に見て悪に属するキャラクターでも共感を呼ぶことができます。


中上 喜志さんからの意見 
 ピカレスク・ロマンと言う奴ですね。
 昔から大薮 春彦先生とか書かれてますよね。
 『蘇える金狼』とか有名じゃないかな? って、年がばれる。
 良く例に挙げる豪屋 大介先生の『デビル17』などは、
 酷すぎるくらい主人公は人を殺しますが、主人公が 魅力的なので何ら問題なく読めます。

 つまり、悪かろうが善かろうが、魅力的な主人公は魅力的であると言うことだと思います。

 例えば戦国武将の武田信玄は卑怯なことを山ほどしていますが、映画になるほどの人気者。
 何が人気かと言えば、私なりに分析すると、義理堅い。
 身内には優しい。そして、なにより強かった。
 誰もが忌避する行為も、誰もが好む側面を持っていれば、魅力なると思います。
 いわゆる、あばたもえくぼと言う奴ですね。
 
 読者の反感を買うことを恐れてキャラクターを歪めてしまうのはどうでしょう?
 と逆に聞き返すのは反則かな。
 例えば、『フルメタル・パニック』で相良 宗介は戦場で多くの人を葬っているはず。
 そうしなければ仲間を窮地に追い込むことになりますから。
 宗介が人を殺すことを正しいとか間違っていると思う以前に、
 もし殺さない人間だと設定すると無茶なことになります。
 相良 宗介がキャラクター人気投票で上位に食い込んでいることを考えると、
 彼の行為が読者に受け入れられているという証拠になると思います。
 もちろん、新兵がいざとなったらし損じる。引き金を引く勇気がないというのは良くあることですが、
 シビアな世界に生きる工作員が、逆に命は大事だから殺すなという方が不自然でしょう。


但馬晴さんからの意見
 『007』などスパイものでよく言われることですが、
 「汚い仕事だからこそ、紳士でなければ務まらない」というのが答えかもしれません。

 実際のスパイはもっと地味だし、危険な任務が多いのに基本的に給料が安いから、
 現在の先進国に限って言えば人気がなく、進んでやろうとする人間は稀有のようですが……


栗田 隆喬さんからの意見
 こんにちは。
 僕はありだと思います。
 その悪の主人公が出てくることで作品で何が描きたいかがはっきりしており、
 それが描ききれるのであれば全く問題ないでしょう。
 これは別に悪の主人公に限った話ではないと思いますが。

 ご質問のところに出てきた「己の野望の為になら、方法は選ばない!」という主人公なら、
 その主人公の思想、行動を通して、何が表現できるかがポイントになると思います。
 例えば、普段は方法を選ばない主人公が、なんらかしらの要因でそこに疑問を持った、
 という話であれば、その時点で既にドラマチックになってきます。
 また、野望がそもそも何かが明らかになったときに、
 主人公が悪に走らざるを得なかった過去が明かされるという話もドラマチックです。
 読者が読んで、納得できる設定であれば、善であろうと悪であろうと、
 問題ではないというのが僕の考えです。


仁ノ河一城さんからの意見
 どうも、仁ノ河です。

 結論を先に言えば、何も悩む必要はないですね。
 どれだけ凶暴性を秘めた人物が主人公であろうと、
 話の筋がきちんと通っているのならなんら問題ないでしょう。
 そもそも、自らの道や矜持をしっかり持っているのならどんな性格でも主人公足りえるはずです。
 善悪で考えたら悪に分類されるような主人公なんて小説全般を見渡せば珍しくもないですしね。
 ただ、単なる快楽の為に悪を遂行するような主人公じゃ面白い話は望めそうにもありませんけど。
 最後に、自分の好きな漫画からちょっと台詞を引用してみます。

「善でも! 悪でも! 最後まで貫き通せた信念に偽りなどは何一つない!」

 この台詞を言った人物の『信念』が「一人でも多くの人を救うこと」で、
 そのためなら悪になることも仲間を殺めることも辞さない事実を併せて考えると、
 なかなか言える台詞じゃないような気がしてくるフレーズです。


あやめさんからの意見
 所長さんの言葉を引用させてもらいます。面白ければ官軍。その通りです。
 もちろん程度はありますが、ある意味面白ければ作者さんは何を書いてもいいと思います。
 たとえ主人公が悪だろうとしてもです。

 しかし完全な「悪」というものはこの世に存在しません。
 物語の中では「悪」の名を冠していても見方を変えれば「正義」になりえます。


 たとえば童話の「桃太郎」なんかいくら鬼が村人に悪行を働いているからといって、
 鬼が島まで出向き、鬼を退治した上宝物まで奪っていくわけですから、
 「桃太郎」は強奪しているのとなんら変わりありません。
 もしかしたら鬼が村人に悪行を働くことに動機があったのかもしれない。
 村人の方に非があるのかもしれない。
 そういった部分は語られていませんが、
 動機付けや設定によって「悪」か「正義」かなんていう部分はいくらでも変えることができます。
 
 ただ信念もなく、単に道徳的に反したことを主人公がやっていては、
 読み手は物語に感情移入しにくいかもしれませんね。


 人を殺すだとか金品を奪うだとかは普通経験しませんし、
 考えもしないわけですから主人公に共感できにくくなります。
 その辺の配慮がしっかりしていれば、別にいいんじゃないでしょうか。


繁さんからの意見
 どうも、歪んだ性格のキャラクターばかり好きになる繁です。
 
 私の個人的な嗜好は置いといて。
 皆様がおっしゃっている通り、信念のようなものは持っていないと駄目かなと。
 ただその信念が共感できるものでなくてはいけないかといえば、そうではないと思います。
 
 例えば、『デスノート』という漫画の主人公・ライト。
 彼は「いい人だけの世界をつくり、その世界の神になるんだ」とか
 正直頭オカシイとしか思えない(少なくとも私はそう思いました)動機で、
 人を虫けらのように殺し、利用し、裏切ります。
 彼に共感なんてできたもんじゃありません。
 しかし彼の驚異的な頭脳による犯罪は見ていて爽快であり、
 「そうくるか!」といい意味で期待を裏切ってくれます。

 しかし、主人公が人間らしさのカケラもなくなってしまうと話は別。
 ライトは頭脳明晰・容姿端麗・運動神経バツグンと三拍子揃った嫌味な奴(笑)ですが、
 どこか感情の一部を欠落しているような人間です。
 完璧な人間ではない、ということが重要。
 それに平気で人を殺している彼ですが、
 最初のうちは眠れないくらい人を殺すことへの恐怖や罪悪感を感じていました。
 また物凄く負けず嫌いですし、感情的になりやすいです。(それを抑制してますが)
 そういう人間らしさが読者を引きつける魅力になっているのかなと。

 長々と書き連ねてすみません。まとめると、
・歪んだ性格でも何か一貫した信念が必要
・共感できないキャラクターでも主人公として成り立つ
・人間味のないキャラクターはNG

 ということです。
 ただ、ダークヒーローは一歩踏み外すとただの変人です。
 一般的な主人公と比べると、取り扱い注意の札を貼りたくなるほど扱いにくいかもしれません。

 でもまぁ、あれこれ考えるよりも自分の書きたい性格の主人公で、
 作品を書いてしまわれてはいかがでしょうか。
 それに対する批判からご自身で判断なされるのが一番いいんじゃないかなと。
 私はキャラクターは物語の材料にすぎないと考えているので、
 物語の方向性に合った主人公ならどんな奴でもいいんじゃないでしょうか。

 長々と偉そうに書き連ねてしまい申し訳ありません。では。


彩葉さんからの意見
 ライトノベルを読む人が純文学が嫌いなのは当たり前じゃないかと思います。
 ライトノベルを普段読む人は、純文学の言い回しや長ったらしい前置きに苛々するのではないかと。
 また純文学を普段読む人は、ライトノベルのマンガのような設定や台詞に、
 なんじゃこりゃといいたくなるでしょう。
 とまぁ、これはどちらも読むワタクシの意見です。

 純文学が嫌ならば無理して読む必要はないと思いますが、
 やはりライトノベルを読んでばかりだと“浅い”作品になってしまうことがあります。

 純文学とは、マクベスなどの戯曲や昭和辺りの日本文学を指すらしいです。
 時代が時代なので、海外作品だと特に読みにくいです。訳した人にもよりますが。
 最初はやはり、普通の小説を読んでみてはいかがでしょうか。
 個人的なおすすめは森絵都さんですね。
 絵國香織さんのもよい作品ですが男性にはあまり好まれない傾向にあります。

 あとは
 「梨木アリエ」プラネタリウム・プラネタリウムのあとで
 「早見 裕司」満ち潮の夜、彼女は
 などが最近読んだ中で面白かった小説です。
 「西加奈子」さくら
 もいいですけど、個人の好き嫌いで差が出ます。

 最初に「ライ麦畑でつかまえて」なんて読んでしまうと、
 挫折してしまいそうになるのでやめたほうがいいです。
 私は村上春樹さん訳の新書を読みましたが、
 話があっちこっち飛ぶので一気に読まないとわけが分からなくなります。

 ライトノベルとは萌の最先端をいっていると私は勝手に思ってますが、
 必ずしも“萌”な作品が流行るとは考えにくいです。
 

 最近のオタク(そもそも私はライトノベルはオタクの読み物だと思っている)は、
 癒しを求めてるらしいですよw
 鍋ねことか。

 追加です。
 読みやすい純文学についての資料
 「http://www.junbungaku.net/

萌え・美少女・美形・BLについて
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世界観・リアリティ・設定についての悩み
タイトル・ネーミングについての悩み
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