第4研究室 創作に関するQ&A 303P | トップへ戻る |
みらくさんからの質問
 一作品の質を上げるべきか、それとも多数の作品を作るべきか。
 
 初めてお目にかかります。みらくです。
 いきなりですが、質問を。

 作品を投げ出すくらいなら、駄作だと自分の中で理解していても書ききるべきですか?
 それとも、自分が納得できる作品を作り上げるべきなんでしょうか?
 どちらがより自分のためになると皆さんはお考えなのでしょうか?

 確かに、すべての作品に持てる力を余すことなく注ぎ込むのが理想です。
 ですが、それでは自分が作れる作品の量がおのずと少なくなってしまうと思うのです。

 私は現在、一つの作品のクオリティーを徹底的にあげる手段をとっています。
 そのせいか、余計に一つの作品が完成するまで時間がかかり、
 途中で投げ出してしまった作品も少なくはありません。
(むしろ、投げ出した作品のほうが圧倒的に多いです)

 ですが、自分の納得できない作品を人に見せるのは、
 それこそ読んでくれる人に対しても失礼なことになるのではないでしょうか。
(それこそ、こんなくだらないことを考えているヒマがあれば、作品作れよ!!って感じですが)

 一つの作品のクオリティーをあげるべきか、それとも多数の作品を作るべきか。
 皆さんは、どちらの方がより自分のためになると思いますか?
 ご意見をお待ちしております。


●答え●

峰しずくさんからの意見
 上達するためには、「書き始めたらとにかく途中で投げ出さず、最後まで書きあげること」
 というアドバイスは、私もこれまで何度も目にしたことがありますし、人様にもおすすめしています。


 ただ、補足しますと、これは「苦しくなって」とか「どうも気分がのらなくて」筆がとまってしまい、
 それよりフレッシュなアイディアの別の作品に取り掛かるほうがラクだ、
 というような場合には当てはまります。

 しかし、「書き始めてみたけれど、どうにも駄作だ」と、作者本人が判断した場合は、
 書き続けてみても仕方が無いと思います。


 ひとつの作品のクオリティーを徹底的にあげることに重点をおき、
 いくつかは投げ出してしまった作品もあるが、そうして書き上げた作品もあるのなら、
 今のあなたのやり方で間違ってはいないと思います。

 もしアドバイスできることがあるとすれば、「駄作」だと投げ出してしまった作品の、
 何が「駄作」だったのかを振り返ることだと思います。


 テーマがそもそもつまらなかったのか、テーマの掘り下げが甘くて、
 いざ書いてみたら作品として成立しないことに気がついたのか。

 そのほかにも色々と理由があるでしょうけれども、文章のクオリティーについては、
 何度も書き直して、あげることができますから、なるべくなら投げ出さないで欲しいです。、
 新たな作品に取り組んでも、文章の技量というのは作者本人の持っているものですから、
 投げ出せば投げ出すほど、クオリティーの上昇は望めない、と思います。
 しかし、「テーマがダメだった」というのであれば、投げ出すよりしょうがないようにも思います。


でぶっちょさんからの意見
 こんばんわ!
 初めまして、でぶっちょと申すものです。

> 作品を投げ出すくらいなら、駄作だと自分の中で理解していても書ききるべきですか?
> それとも、自分が納得できる作品を作り上げるべきなんでしょうか?

 まず、これは私は勘違いだと思いますね。
 作品の出来を決めるのは「作者」ではなくて「読者」です。
 作者がどんなに

 『つまんねぇ〜』と思っても
 金出して(ここが重要!)呼んでくれた方が
 『最高たぜぇぇぇ!!』
 と言ってたら、あなたにとっての駄作とという事。

 『つまらない』『おもしろい』
 は出来上がった時に出てくるときの言葉なので、

 途中で放り出したものは、「駄作」でも「良作」でもなく、ただの『時間の無駄』ですぜ。

> 確かに、すべての作品に持てる力を余すことなく注ぎ込むのが理想です。
> ですが、それでは自分が作れる作品の量がおのずと少なくなってしまうと思うのです。


 少くない無いと思える数だけ作ればいいだけですよぉ〜。
 『全身全霊!』
 『一発入魂』
 常に本気でぶつかりましょう!!

> ですが、自分の納得できない作品を人に見せるのは、
 それこそ読んでくれる人に対しても失礼なことになるのではないでしょうか


 作者の納得なんて、自分で自分を慰める行為と一緒です。
 人間は成功よりも、失敗したときの方が多く学べる生き物ですよ。


 失敗もしらなけりゃ成功知りえません。
 一つの作品すら仕上げることができないなら、そのどちらでもありません。

 今日作ったものより、
 明日作ったもの、
 明日作ったものより、
 明後日作ったものを良くし、
 技量と時間ができたら、
 一昨日作ったものを良い物に作り直します。

 私はこんな感じです。
 参考になりましたでしょうか?


黒尻尾の堕猫さんからの意見
 通りすがりの野良猫です。
 オイラ自身の事も踏まえて意見を残します^^;

> 作品を投げ出すくらいなら、駄作だと自分の中で理解していても書ききるべきですか?

 書ききるべきですよ! 書ききれるのなら……;;
 ご自身の納得がいかないにせよ、最後まで書けるのなら、
 仕上げた方が何かと後々の作品にその経験は生かされます。

 オイラもスランプでガンガン書きかけを量産しては捨て、
 1000枚上は軽く無為に掛けかけ文章に費やしましたよ;;

 それでも、書き上げられるなら書いた方が良いです;;

 さもないと、書き上げられなくなるんすよ;;
 もう、日々悶々ですよ;;

 頑張って、書き上げてください;;
                          ではでは。


結城 ゆうきさんからの意見
 こんばんは、結城 ゆうきです。

 すべての作品を全力で当たるべきだと思います。
 すべてというのは満遍なく書くってわけじゃないですよ。一つ一つ確実に潰していくんです。


 全力というのは始点から終点までを繋ぐ作業のことです。ネタは考えますが、メモ程度です。
 決して「超オリジナルなネタを考え、矛盾点のない超緻密な設定を構築する大作業」のことじゃないです。
 それなら仲間集めてゲーム作ったほうが、小説を書くよりも合理的です。売れるかは兎も角として。

 クオリティ云々は読者によるので、あまり考えないほうがいいです。
 それでは。


しゃんテンさんからの意見
 しゃんテンと申します。
 私自身の姿勢を語らせていただきます。
 
 ひとつの作品をまず書き終わるまではスピード重視。まず、仕上げる。
 そこから、しばらく寝かせる。一二週間、他の小説を書くなりして、書き上げた作品のことは忘れる。
 一二週間たってから、寝かせた作品を推敲する。
 構成の荒が見つかるなど、場合によっては一からプロットを組んで書き直す。
 推敲や書き直しが終わってから、また一二週間他の事をして、推敲とか書き直し。で、真の完成に近づく。

 なぜ、このようなことを書いたかというと、一度書き終えてからでもクオリティをあげる方法はある。
 まず、とにかく完成させてから寝かせて、推敲する……
 という方法をとれば、途中で投げ出すよりも有意義では、と思ったものですから。

 創作の方法は人それぞれですから、多作も寡作も自分のペースで行えば良いと思います。
 私が言ったのはこういう方法もあるということですが、人によっては向いていないかもしれません。


神瀬一晃さんからの意見
 どうも携帯からすみません。
 最近活字中毒気味な神瀬です。

 まず、一番始めにしなければいけないことは、
 自分で駄作だと思っても「最後まで書き上げる」ことが最初の一歩だと思います。

 
 例えば、どんなに素敵な物語りを思い付いても、
 どれだけたくさんの作品を手掛けようとも、完成しなければそれらは無に帰してしまいます。
 まずは1つの作品を書き上げてみてください。例え自分がどれだけ下らないと思ってもです。
 
 そして、書き上げた後に考えてみて下さい。この作品は何故面白くないと感じるのか、を。
 その答えが自分で見つけられないのなら、
 親しい友人やこのサイトの人達に読んで貰って、批評や感想を貰って下さい。
 その後に推敲して書き直すことを繰り返すことで、自ずと作品のクオリティは高まります。

 そんなことをしていたら、書く作品の量が減りますが、それでいいと思います。
 たくさんの作品を作る必要があるのはプロの作家です。プロの方たちはそれでお金を稼ぐわけですから。

 なので、私たちのようなアマチュアは一つ一つの作品へ全力を注ぐべきだと思います。

 長くなってすみません。
 蛇足もあったと思いますが、私の個人的な意見は以上です。
 参考になれば幸いです。


咲さんからの意見
 初心者にありがちな欠点として、
 物語を最期まで書き切る能力のなさがよく挙げられます。

 作品は完成していなければ評価対象にならないのです。
 書きかけの作品のクオリティを上げても、完成にこぎつけなければ意味はありません。

(いや、まあ文章力なんかは上昇しますが)

 同時進行で多数の作品を書くことは、特に問題はありません。
 ですが、やはり大切なことはそれらの作品を書き切ること。始まりから終わりまでを仕上げることです。
 物語を完走するための持久力を鍛えることが一番大事だと思います……僕は。

 それと、おそらくみらくさんが仰っている《クオリティ》というのは、単純な文章力のことではなく、
 物語の中の《伏線の張り方》やら《設定の合理性》、
 そして《物語の自然な流れ》のことを指しているのだと思うのですが、
 それらの問題は物語を書き始める前にプロットを練りこめばある程度防止できます。
 
 途中まで書いた作品を書き直すという作業ほどモチベーションを下げることはないですから、
 プロットは大事です。
 
 見当違いなこと言っていたら申し訳ないです。
 以上、咲(さく)でした。
 では創作頑張ってください。


mayaさんからの意見
 どちらとも自分のためにはなる――

 としかお答えできないようにも思います。はじめまして、はぐれメタルまやと申します。

 みらくさんがどの程度のキャリアを持った作者さんなのか分かりかねますので、
 あまくで一般論について話しますと、

 作品を途中で投げ出す場合には、その作品を完成させる力量がまだないか、
 もしくは集中力・継続力が足りないか、その二つに分類できます。


 完成させる力量がない場合、無理に作ることは勧めません。

 アメリカのノーベル賞作家のトニ・モリソンの言葉を引用しますと――
「(受賞作について)これを書き始めたとき、私は途中で止めてしまった。
 まだこの作品を書き上げるための実力が足りなかったのだと思う。
 数年後、ふと書きたくなり、今度は脱稿することができた。
 不思議と作品の声が聞こえてくるようになっていた」。
 
 わたしの曖昧な記憶での引用なので正確ではありませんが、彼女はこのように語っています。
 作品が具体的な形を伴って、作家の前に現れないのなら、それは仕方がありません。
 時には、身を引くのもひとつの方法です。
 
 もしかしたら数年が経って、彼女のように、
 ふたたび作者と作品が共感することもあるかもしれません。
 そのとき、きちんと作品を捉えて、完成させればいいだけなのだと思います。
 
 ただし、それが若書きのときにありがちな、集中力・持続力の欠落によるものでしたら、
 書き続ける苦労をした方がベターです。


 大雑把な言い方になりますが、みらくさんがもし中・長編を五つ以上書いていないのなら、
 あるいは三年以上のキャリアがあるのに、選考に残ったことがないなら、
 書き続けたほうが適当だと考えます。

 ちなみに、わたしは書き散らすタイプの作者ですので、いくつも平行して創作しています。
 そのため、一年間ほど、ひとつの作品を寝かせることもままあります。
 作家のタイプによっても、答えは変わってきますので、
 みらくさんにとって十分に納得できる答えを探してみてください。それでは♪


鳥ノ木さんからの意見
>自分の納得できない作品を人に見せるのは、
 それこそ読んでくれる人に対しても失礼なことになるのではないでしょうか


 そんなことはないでしょう。ある程度ハッキリしているのだったら他に意見を求めるのは良いのでは?
 制作活動(書く)→鑑賞活動(観る)→制作活動(推敲)→鑑賞活動→……→……
 美学の授業でやったんですが、小説及びその他芸術作品ってこの流れで完成するものですよね。
 この鑑賞のところをどうしても主観でしか観ることができないのなら、
 読んでもらっても良いのではと思います。

> 一つの作品のクオリティーをあげるべきか、それとも多数の作品を作るべきか。
> 皆さんは、どちらの方がより自分のためになると思いますか?


 どちらも何も、デビューして認められなければ意味がない気がするので、いくら作品を書いても無駄。
 ……ではなく、完成した彫刻を誰にも見せずに部屋に飾る彫刻家とか、
 作った音楽の譜面を人目につかぬように引き出しにしまっちゃう作曲家とかと同じです。

 認められていないので、それは作者以外の人にとって認められていない、
 つまり作者以外の人にとって小説ではない、イコールそれは何でもないものとなってしまいます。
 ネタを書き溜めるのもいいかもしれませんが、そのネタがネタのまま終わる可能性がある……
 と言うことでしょうか。練習にはなるかもしれないけれど、作品としては認められていない。

 纏まりませんですみません。
 とりあえずはまあ、頑張って一つ、これが私だお思えるものを作ってみては如何でしょうか? 
 私も私を製作中です。
 それでは、なんとなく内容が他の方と被っている気がしないでもないですが、失礼します。
 お互い頑張りましょう。
 

南さんからの意見
 はじめまして、南です。

> 確かに、すべての作品に持てる力を余すことなく注ぎ込むのが理想です。
> ですが、それでは自分が作れる作品の量がおのずと少なくなってしまうと思うのです。


 作品の量はそんなに重要ですか?
 確かに経験は非常に重要だと思いますが,駄作をいくつも書き上げるより、
 徹底的に作り込んだ作品を一作完成させる方がよりいい経験になると思います。

 投げ出すと言う事は自分が納得のいく作品にならなかったと言う事です。
 だとしたら、書き上げるかどうかは勝手だと思います。
 投げ出したいと思った時点で,その作品を徹底的に仕上げる必要は無いと思います。

> ですが、自分の納得できない作品を人に見せるのは、
 それこそ読んでくれる人に対しても失礼なことになるのではないでしょうか。

 納得のいかない作品を見せなければいいではありませんか。
 むしろ南は恥ずかしくてみせる事ができません。

> 一つの作品のクオリティーをあげるべきか、それとも多数の作品を作るべきか。

 結局,自分の書きたい作品を納得いくまで書くべきだと思います。
 粗悪品を乱発したところで腕が上がるとは思いませんし、
 どうして作品を書いているのか分からなくなります。


名無し@十把ひとからげさんからの意見
 場合により、ぶっちゃけ投げたっていいと思うのです。

 テクニカル・スキルの修練という意味合いであれば、駄作でも書くべきです。
例えば
 ・自分の文章は一読して意味が取れない
 ・俺の日本語はヘタすぎる
  という自覚があるのであれば、駄作でも書くべきです。

ですけれども
 ・他人に読ませても、過半数の人間は意味を取れると思う
  という自覚があって
 ・筋立てが面白くない
  というのであれば、投げたほうがいいです。

 そういう場合、何かにしくじっているはずです。
 例えば、シーンとシーンのつながりが凄くよろしくないのだけど、解決法がわからないとか。
 数ヶ月〜数年脳内に置いておけばひとつくらい解決法も見えるでしょう。
 それから書き直せばよろしいかと。


 一発でうまくいくのは、あらかじめ全部何もかもわかってるときだけです。
 
 そうじゃあないのなら、ハナっから捨てるつもり(最悪、この作品は放棄しないとダメかもという覚悟)で、
 書くといいです。
 どうせ何度かやらないとうまくいかないので。

 「前金貰ってるからどんなクソでも上げなきゃダメ」ってんなら話は別ですけど。
 そんなんでいいなら、程ほどを粗製濫造すりゃいいだけです。


AREXさんからの意見
 あー、これは典型的な勘違いですね。

 ある統計のお話なのですが、どこぞの調査機関が
「多産な作家は駄作ばかり量産するのだろうか? 
 その反対に、少数しか書かない作家はベストセラーを多く出しているのか?」
 ということを調べたんだそうです。

 で結果は、多産な作家のほうが、そうでない作家よりも遥かに多くのベストセラーをものにして、
 稼ぎもずっと上だったそうです。


 つまり簡単に言えば、「数をこなせない物書きは、しょうもないものしか書けない」ってことです。

 多産とクオリティは等価交換ではなく、比例の関係にあるということですね。

 今言えることは、「悩んでる暇があったらなるべく多く原稿を書きましょう」ってことです。
 悩むのなんて書いた後でできますし、なによりやってみないと得られないものが沢山ありますので。


火野 竜児さんからの意見
 もしかするとと思ったのですが、長編小説を書こうとして、手詰まりになっていませんかね?

 一つの作品のクオリティを上げることは当たり前の話ですが、
 それが原因で作品を書き上げられないというのなら、本末転倒もいいところでしょう。
 完成した作品がなければ、批評はされません。
 そして読者の批評なくしては、作家の卵としての成長もありえないのです。

 どんなにクオリティが高かろうが、完成しない小説は無意味です。

 もっと言うならば、途中で投げだした時点で、
 それは時間の浪費以外の何ものでもないとう自覚を持ちましょう。
 このままの状態では、ただ単に未完成の作品ばかりが増えていくだけのような気がしてなりません。

 まずは30〜50枚の短編を目標に書いてみてください。
 短編は短いがゆえに長編よりも書きやすく、書いた本人も内容を把握しやすいという利点があります。
 また文章一つ一つにこだわったとしても、それほど労力とはならないはず。
 そして、書いた作品を人に見せて、どんどん批評をもらいましょう。

 勝手な憶測から答えているので、もしかすると的外れなことを言っているかもしれません。
 そのときは御容赦を。

 では、執筆活動がんばってください。


刀火さんからの意見
 ふらふら立ち寄らせていただいています、刀火です。こんばんは。

> 一つの作品のクオリティーをあげるべきか、それとも多数の作品を作るべきか。

 私の答えは「どちらとも」。
 これは多数の作品に全力を出せとか、目指すものによって違うんだ、とかいう話ではなく……、
 プロットの段階では多数の作品を同時に組み上げ、
 そして実際に書く段になった場合、一つの作品に全力で取り組む。という手段をとっています。
 
 その理由は、プロット段階での不備がある場合、
 クォリティを上げようと試行錯誤するうちに、設定から物語が破綻するパターンが多いからです。


 「いいアイデアが思いついた!」
  ↓
 「これを機能させるため、こっちを弄ろう」
  ↓
 「む、じゃあこっちも弄らないとな」
  ↓
 「……あれ、主人公のテーマが一貫しなくなった――どころか間逆に!?」

  ……という経験を何度もしたからです。
 こうなった場合、私は三年は置かないと、錯綜したネタが頭にチラつくため、手直しさえできなくなります。
 プロット段階でならいくらでもやり直しが効く。
 ほかの作品に手をつけているウチに、最初の作品のネタが思い浮かぶということもあるでしょう。
 私の意見はこんなところです。それでは。

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