第4研究室 創作に関するQ&A 411P | トップへ戻る |
KMさんからの質問 2008年
 テーマと刺激について
 
 初めましてKMと申します。
 最近のアニメやゲームに限らず「物語」があるもの全般に関して、
 本来のテーマやストーリーからさほど関係ない「けれんみ(刺激)」の部分ばかりが注目を集めて、
 一番伝えるべきモノが伝わっていないという状況が多発している気がします。
 
 例えば、「スクールデイズ」で言えば猟奇的シーンが注目を集め、
 肝心の主人公の性格や行動が若者のメタであることが一向に伝わっていないことや、
 「ひぐらしのなく頃に」も同じく猟奇的シーンが注目を集め、
 テーマの一つである小規模社会における日本独特の閉鎖的環境の問題点が
 全く理解されていないことなどです。

 「今の人は『刺激』を求めている」と語った映画監督もいましたが、
 『刺激』が強すぎると例のようになってしまうと思います。
 そこで質問なのですが、皆様はこういった状況に対して、
 読者(受け手)と作者(作り手)のどちらに非があるとお考えになりますか?


●答え●

ヴィルアスさんからの意見
 どうも、はじめまして。

 私は、どちらに非があるというわけでもないと思いますが、
 あえて言うならば書き手に非があると思います。
 貴方が仰っている通り、「今の人は『刺激』を求めている」のだとしたら、
 当然書き手もそれを意識しないといけないわけで。

 刺激を求めてそういう作品を読んでいる読者に、
 如何にしてそれ以外のテーマやらなんやらを伝えるか。
 本当に伝えたいことを伝えるか。

 テーマと、面白さを同時に伝えること。
 それが書き手の腕の見せ所なのではないでしょうか。

 

遊美心さんからの意見
 最近暑くなったり、寒くなったり大変ですね。遊美心です。
 とても難しい事を考えていますね。

 私の解答としては、今の状態はさほど悪く無いと思います。

 テーマというのは基本的に受け入れがたい、見ないふりをしたいものです。
 そのため、刺激(面白み)によって包み隠し、テーマを押し出し過ぎない事が重要だと思います。

 メディアや批評などでは刺激の部分に視点が当てられていたとしても、
 KMさんのようにテーマについて薄々感づいている方はいると私は信じています。

 
パップラドンカルメさんからの意見
 昨今、情報の量やアクセス範囲が飛躍的に増大していく中、
 生存競争を勝ち抜くために刺激を強める事は自然なあり方だと思います。
 ここを直せばよくなるとか、誰かが悪いとか、そういう単純な話ではないでしょう。

 しかしながら、事の善悪は別として、
 本質が刺激物の中に埋没してしまう事自体には問題意識を持っています。
 僕は作品と批評は一体であり、批評が作品に様々な視点を与え、
 また命を吹き込むものだと思っています。

 50年、100年前の思想、文学が現代において再解釈され、
 新たな価値を生むということはざらですよね。


 しかしながら、人類の保有する物語の全体量に対して、
 批評の対象となっている物語の量はごくわずかであり、
 ほとんどの作品は束の間、人々の間で話題になり、そのまま消えていきます。
 物理的に可能かという問題もありますが、
 ことアニメ、ゲーム、ラノベなど割と新しいジャンルは、
 文壇や有識者といった権威層の前では、門前払いなのが現状です。
 
 それは残念な事ではあるのですが、逆に批評が現代に追いついてくれば、
 まずざっと楽しみ、少し時間がたってから、
 深く内実を吟味するというあり方も可能になってくるのではないかと思います。


河田友二郎さんからの意見
 はじめまして、河田と申す者です。

 わたしは、万人に分かるような薄っぺらいテーマなど、逆にいらないと思ってます。
 テーマはサブリミナルとして物語にそっと、しかし根幹を作る要素として息づいている。
 これでよいんじゃないかなと。

 あと……是はそれ自体が非を持ってるし、非も是を持ってると思います……。
 「読者に伝わらないテーマを書く作者も悪いし、作者のテーマを読み取れない読者も悪い。
 これは両方が正しい意見であり、間違った意見でもある」
 是非は常に両者を具有してると思います……。

 それの中で人気を集める作品が、本物だと思います……。
 まぁだいたい……『支持:批判=7:3』くらいで人気作です。

 
 批判があるから、支持する層も、再び作品を深く考察して良い所を発見できます。
 つまり批判する層の存在も、作品の人気に繋がっているというオチです。

 だから一概にどちらに非があるかは判断できないと、わたしは思います。

 では、乱文失礼します……。


ひすいさんからの意見
 どうも、ひすいと申します。
 
 先ず、本当にKMさんの仰った二つの例を、
 制作者側は「読者に伝えたいテーマ」と意識して作ったのかどうか、という疑問が湧きました。

 私は制作者のコメントなどを見たことも聞いたこともないため、
 本当に制作者がそれを伝えたいこととして意識しているのか知りませんが、
 もしも本当に意識しながら作ったのであれば、
 それは制作者、消費者(読者)両方とも非がある可能性がある、と考えます。

 先ず、KMさんは「注目を集めている」と仰いました。
 もしも制作者はテーマを伝えられるような作品を作ったはずなのに、
 一要素として取り込んだ「猟奇シーン」が世間の注目を集めてしまい、
 その所為で本来伝えたかった部分が伝わらなくなった、
 という場合は明らかに消費者側の非となります。

 ですが、制作者があまりに猟奇シーンに力を入れてしまい、
 本来伝えたかった部分がおろそかになってしまった結果、
 KMさんの仰る現状となってしまったのであれば、制作者側の力不足、ということになります。

 おそらく、両方が圧倒的に悪い、というわけでもないと思いますので、
 多少差はあるにしても二元論で表すのは難しいです。

 というわけで、一概に「どちらが悪い」とは言えない、と私は思います。

 ですが、忘れてはならないのは
 「本当に制作者は読者に伝えたいテーマとして意識したのか」ということです。
 要するに、KMさんの指摘なさった部分について、作者は敢えてあまり深く触れなかった。
 ということも考えられます。

 当然、読者は何種類もの考え方の人たちがいるわけですから、とらえ方は様々です。
 すると、制作者側が意図した部分とは違った部分を重要視する人も出てくるわけで。


 たとえば、KMさんの例に挙がっていた「ひぐらしのなく頃に」。
 本当に「日本独特の閉鎖的環境の問題点」を
 読者に伝えたいテーマとして意識しながら作ったのでしょうか。

 もしかしたら、作者はそれを単に物語への恐怖を駆り立てる布石の一つとか、
 ただの世界観の一つとだけしか考えていないかも知れません。
 その作品で出てくる社会問題とかの全てが、
 その作品の「伝えたいこと」として使われているわけではありません。
 元々楽しませることを目的とされた娯楽作品ならばなおさらです。

 「私はこの作品を通してこういったことを伝えたいんですよ〜」と作者が公言しているのならともかく、
 そうでもない限りは「これはこういったことを伝えたいのか」と自分一人で勝手に解釈しているだけ、
 ということもあり得ます。


 では。


ねくろさんからの意見
 先に河田さんが書かれていることと同意見なので、私からは特にありません。
 
 売れてることだし、作者と読者の間に大きな問題が起こっている訳でもない。
 両者がハッピーでいいんじゃないでしょうか。

 
 そんなことを言えば何しに寄ったのか分からなくなるので、せめて何か書きます。

>皆様はこういった状況に対して読者(受け手)と作者(作り手)のどちらに
 一旦刺激を求める、または求められてという次元から離れて考えます。
 その上で、どうしてもどちらかに絞れと言われれば、書き手です。

>スクールデイズで言えば猟奇的シーンが注目を集め
 一応商品として書いたのは作者ですし、それを売り出したのは出版社です。
 なんだかんだ言って、最終的に刺激を書き加えるのは作者ですから。
 スクールデイズだって作者が書いたものです。
 
 読み手はあくまで買って読み、想像するだけですよね。
 もちろん、人間ですから、読中・読後に妄想をするのは当然です。
 そこで本来のテーマが伝わっていないのは、作者が作品に想像の余地を残しているのか。
 はたまた安易な書き方だからだと考えてます。

 逆に読み手の読解力が問題という意見には賛同しかねます。

 書き手は一人でも、読み手は不特定多数なんですよ。
 全員が作品の意図を読み取れるかと言えば、そんなことありません。
 かといって分からないなら読むなとも言えません。

 捻くれた見方をすれば、こんな意見もあると思ってください。


石野 叡洸さんからの意見
 はじめまして、叡洸と書いてアキヒロといいます。以後お見知りおきを。

> 「けれんみ(刺激)」の部分ばかりが注目を集めて、一番伝えるべきモノが伝わっていない

 ふと、どこの感想を見てそう感じたのかが気になりました。

 確かにマスg……マスコミはひぐらし等を猟奇的としか報道していませんが、
 だからと言ってその捉え方が一般的だというわけでは勿論ないはずです。

 現に、2chなどでそれらに対する意見が書き込まれたときは
「スクイズの主人公はむかつくほどヘタレだけど、だからこそ名作なんだよ」
「ひぐらしをただの猟奇ゲーと言ってる奴はどうかしてる」
 のように、比較的マトモな意見も普通に見かけます。なので、

> 読者(受け手)と作者(作り手)のどちらに非があるとお考えになりますか?

 回答は、一部、一箇所の捉え方を全体の意見と勘違いしたKMさんにあるのでは、と言った所でしょうか。

 加えて言えば、刺激的要素を多く取り入れれば、その部分に注目が集まるのはある意味当然のため、
 そのせいで物語の真意が伝わり辛くなるのは作者に非があると言えるでしょう。

 それでは以上、アキヒロでした。


KMさんからの返信(質問者)
 貴重なご意見をありがとうございます。
 ひすいさんのご指摘なさった「私の独自解釈でテーマだと思っているのでは?」という点ですが
 
 スクールデイズについては情報のソースを具体的に憶えてはいませんが、
 ひぐらしは月間誌での製作者インタビューがソースです。
 私の記憶を疑われたら元も子もありませんが、そのインタビューに書かれていたこと、
 すなわち先ほど私が書いたテーマと呼ばれているものは、
 私がインタビューを読んだ後にひぐらしをプレイし、
 その意図がストーリーに反映されていることを確認しましたんで確かなことだと思います。
 
 蛇足ですがネットで読めるインタビューや雑誌インタビューを読む限り、
 竜騎士07氏は猟奇性を重視して書かれたのではないと公言なさっています。
 詳しくは「ひぐらしのなく頃に テーマ」でググってください。


みつきさんからの意見
 KMさま、はじめまして。

>読者(受け手)と作者(作り手)のどちらに非があるとお考えになりますか?

 作り手側ですね、完璧に。
 もし『本当に伝えたいテーマ』とやらがあったとして、
 それがテーマを引き立たせるためにあえて入れたはずの猟奇シーンに負けて、
 そちらのほうばかりが注目されてしまった、なんてことになるのは、
 完璧に作り手側の匙加減の失敗でしか有り得ません。

 ところで。
 私見ですが、スクールデイズやひぐらしや、その他の猟奇シーンを扱った漫画やアニメを見ていると、
 おそらく作り手達は、あの猟奇シーンを描き出したいがために作品をつくっているんだろうな、
 と思えることがしばしばです。
 
 だって、猟奇ってそれだけで絵になりますし、訴える力も強いですもんね。
 猟奇シーンを描くことで、多作品より頭一個分、ぬきんでて注目されてー! 
 って言う作り手側の心の声、もううるさいくらいに聞こえまくりなんですが、どうでしょうか(笑)。
 
 そうなればもう、猟奇シーンは最大のテーマだと言えちゃうな、ってのが正直なところで、
 大多数の受け取り手は、作り手側の真意をちゃんと受け取ってますよね、という気がします。


 で、すいません、追記です。
 それと、原作者がそう言っていた、作り手側がそう言っていた、といっても、
 大人というものは自分の立場を守るためにならいくらだって嘘をつくもんだと、
 そう思って話半分で聞いておくほうがいいですよ。
 
 批判されているのを承知で、『あれは猟奇シーンを描きたかったので作りました』
 なんて正直なことを公の場で言う人は、普通はあんまりいないものなので。
 

 それとか、答えるのが難しかったり、いくら言を費やしても他人には伝わらないだろうな、
 ってことは適当に端折って、分かり易くてなんとなくウケの良さそうな、
 それらしいことをさらっと答えておいたりもするもんだったりするんですよね、インタビューとかでは。
 
 「本人がそう言っているのだから」と、鵜呑みにしないほうがいいってものも結構あったり。

 と、一応書いておきます。
 それではこれにて。


ひすいさんからの意見
 どうも、ひすいと申します。

 ご指摘なされた部分、確認致しました。私の知識不足です。
 ただ、やはりそれでも私は一概にどちらに非があるとは言えない、と考えます。
 先程申しましたとおり、人の捉え方、というのは様々です。

 当然作者の意図した部分をきちんと汲み取れる人もいれば、
 汲み取れない人もいるのは当たり前なわけで。
 作者側からしてみても、読者達全員に自分の伝えたい部分を、
 きちんと伝えられるような作品なんて作れるわけがありません。

 
 KMさんの仰るように猟奇的シーンに注目してしまって、
 本来の意図が分からなかったという人もいれば、
 そこではなくここが言いたい所だろ、ときちんと理解する人もいます。

 そもそも本来の意図を理解したいが為にその作品に触れる人もいますし、
 単に猟奇シーンを味わいたいから、という理由でその作品を手に取る人もいます。

 読解能力などだけでなく、その作品に触れようとしたきっかけ、理由なども人によってまちまちです

 結果的に後者が多くなれば「この作品は猟奇的シーンが凄い!」という面で話題になりますし、
 「ああ、この作品は本当はコレを言いたいんだ」と理解出来た人が沢山いれば、
 その面で話題になることもあります。
 そのどちらが良くてどちらが悪いなんて当然言えませんし、
 かといって単に作者の技術の問題のみのせいにも出来ません。

 ですので、やはり一概にどちらに非があるか、というのは言えないのではないか、
 というのが私の意見です。
 では。


南さんからの意見
 初めまして、南と申します。

 個人的に、どこに非があるとは断言しかねるところです。
 というのも、必要のない刺激によって大切なテーマが隠れてしまっている、
 と考えれば作り手の責任でしょうが、
 見かけだけの刺激に満足している受け手が悪いといえばそれも一理ありかな、と。

 ただ、思うに媒体としてアニメやゲームを選択した時点で、高い娯楽性が要求されているのも事実です。

 ライトノベルの新人賞で『目新しさ』『個性』などが高らかに求められている事からも分かります。
 もし、スクールデイズやひぐらしに猟奇性がなかったと考えると、ここまでヒットしたでしょうか。
 あるいは、媒体として別のものを選択していたら、ここまでヒットしていたでしょうか。
 業界というものはニーズに合わせるのが常で、
 というよりもニーズに合わせて業界が生まれるのだと思います。

 ですから作り手がニーズに迎合するか、
 我を貫くかは作り手のスタンスであって責任ではないと思います。


 おそらく、KMさんの求めているものとは異なってしまいますが、
 南としての意見は他の人が表面的な面で満足しているのを横目に、
 自分はここまで分かっているぞ、ってのがかっこいいと思います。


サイラスさんからの意見
 どうも、サイラスです。
> 最近のアニメやゲームに限らず「物語」があるもの全般に関して、
 本来のテーマやストーリーからさほど関係ない「けれんみ(刺激)」の部分ばかりが注目を集めて、
 一番伝えるべきモノが伝わっていないという状況が多発している気がします。

 確かにそう感じます。
 ただ、僕は一概にどちらが悪いとは言いません。
 何故なら、そのような刺激を読者が求め、作者がそれに答えたからです。

 次に、読者、作家側がなんでそうなるか(想像ながら)書いてみます。

(読者側)
 僕もそうでしたが、基本的に面白かったら、なんでも読みます。
 エロかろうが、グロかろうが、それくらい読者(特に中高生)は、
 日常生活にはない刺激を求めてしまうものなのだろうと思うし、
 また、そうなってしまうような生活をしているのかと思います。

 また、伝えたいといった説教くさいことよりも、
 刺激といった楽しいことを求めてしまうのは人間の性(さが)なので、仕方ない側面もあります。


 ただ、刺激に安易に流されて、あの作品がいい、悪いと品評されるのは、
 あまりいい気分にはなりませんがね。
 (きちんとした品評ができるのは、(実生活を含めた)経験が必要です)。

(作家側)

 作者としては、伝えたいことを伝えるということも大切ですが、
 やはり、大なり小なり生活ができなければなりません(マズローの理論です)。
 そこで、お金を得るため、売れるための手段として「刺激」を加えたり、強くしたりします。
 これ自体に問題はないのですが、これだけに頼ったり、
 読者なんてこっちの伝えたいことなんて理解できない、
 むしろ刺激的にしてれば、(ある程度)少ない労力で売れるからいいやと、
 読者を意識しなくなるのはまずいかと思うし、それで、ラノベが量産されるのもどうかと思います。

 なんか、ゴタゴタしましたが、「刺激(けれんみ)」というのは、
 読者にも作者にも諸刃の剣で、効果が大きいのですが、
 考えたり、想像すると言った努力を失わせるものなのかも知れません。(まるで、麻薬みたいだな)

 そうならないためにも、作者も、読者も努力や経験が必要なのかもしれません。

 では。


へべれけさんからの意見
 はじめまして。へべれけと申します。

 とどのつまり大衆娯楽だからね。
 説教くさいテーマなんざ感じさせないくらい面白ければ、製作サイドの完全なる勝利ですよ。


 また、テーマが伝わらないからと言って、
 それをお客さん(読者、視聴者等)のせいにするようなクリエイターは死んだ方がいいw


長門有希さんからの意見
 批評家や書評家ならばともかく、受け手に介入する事は作り手にとってタブーといってもいい。
 むしろ、テーマや意図などは作り手が述べる事柄ではない。


飛車丸さんからの意見
 外連味・けれんみ=はったりやごまかし、わざとらしい誇張。
 と、まずは「けれんみ」を刺激と勘違いする人が出ないよう、軽い注釈をいれてから本題。

 娯楽なんてのは俗物の筆頭ですしね。
 こういった部分で耳目を集めようが、物語の本筋で心を打とうが、その価値に大した差はありません。
 売れれば勝ちです。

 でもって。
 KMさんが言ってるのはどれもこれも『副題』や『小題』であり、
 これは必ずしも理解される必要のないものです。
 
 『主題』はしっかりと伝えねば意味がありませんが、
 ひぐらしの友情やスクールデイズの愛憎はちゃんと視聴者に伝わっていますので問題無し。
 一番伝えるべきものは伝わってます。

 まあなんというか、そもそも、えっと、うん。
 テーマだなんだは、頭で理解してなくても心に残るもんです。
 スクールデイズの「誠、死ね」はその典型でしょう。
 若者のメタだなんだは理解できなくても、その行動や性格が視聴者に不快感を与えて、
 そういった言葉を出させる。そして自分はそうならないようにと、無意識に自分を戒める。 
 それで十分『伝わっている』わけです。

 最後に。
 むしろ私には、KMさんこそがけれんみに振り回されているようにすら感じられます。


結城 ゆうきさんからの意見
 どちらかに非があるという考え方はナンセンスかと。
 穿った目で見ればどちらにも非があるし、そうでないとも言えます。
 制作側の非は、すでに言われてる通りですね。
 ユーザーの非は、目先の事にばかり囚われて大切なものを見極める力に欠如していることですね。
 明確に提示してくれないと何も分からない、自分の頭を使おうとしない。
 これらが非でないのなら、いったい何を非とするのかと訊きたくなります。

 まあ伝えるというのは考えさせる事なので、
 考える余地を与えない作品であれば(テーマが伝わらないのは)制作側の非でしょう。
 そうでなければユーザーの非というか、レベルが低すぎるってことになるのではないでしょうか。
 作品を吟味するレベルに達していない。
 にも拘らず、テーマが分かり辛いと批判するような。いや批判はしてないか。

 それそうと過激な発言をしてる方へ。
 こうした話題は何もクリエーターとユーザーの関係のみで語るものではないと思います。
 たしかにクリエーターやユーザーの立場で言えば、ユーザーのせいにするのは問題です。
 しかし第三者的な立場でみるとそうとも言い切れません。

 少し上でも述べたように、吟味するレベルに達していない。
 そのような人が「この作品は面白くない」と言うのは正当な評価とはいえないでしょう。
 クリエーターとかユーザーだとか関係なしに、異議を申し立てたくなるというものです。
 「いや、それは君のレベルが低すぎるんだよ」と。
 「それでは娯楽と言えないのではないか?」と思われそうだが、
 娯楽にだって楽しむだけの能力を必要です。
 娯楽だからって無条件に楽しみが得られると思ったら大間違いだ、とあえて言ってやります。

 それでは、結城 ゆうきでした。


砂時計さんからの意見
 どうも、砂時計と申すものです。

 あらかた答えが出てしまっているような気がしないでもないですが、私の考えを述べさせて頂きます。

 さて、作品のテーマやストーリーとは直接関係のない「刺激」――
 言い換えれば作中の一部、あるいは全体を通してなされる「演出」についてという事ですね。

 で、本題に入りますと、この問題というのはどっちがどうであるとか、
 非がどうのという問題ではないと思うんですよ。

 まず作り手がテーマを考えて作品を作り、
 そして表現の手段として特定の「演出」を盛り込みますよね。

 そしてその「演出」がセンセーショナルであったりする場合、
 受け手はそれに目が行って作品の本筋や本題が見えなくなる、と。

 作り手が伝えたい・見て欲しい所が見向きされず、
 センセーショナルゆえに本筋や本題に直接関係ない「演出」に受け手が食いついたりする。

 これってどちらが善い悪いかではなく、
 単純に「食い違っている」あるいは「すれ違っている」だけなんです。


 よく「難解だと受け入れられないか」だとか
 「テーマは表面にハッキリ出すべきか」のような話があったりしますが、この話はそれらと似ています。

 作り手の感性全開な作品だって、テーマを含蓄ある形で込めた作品だって、
 作り手と同じレベルのリテラシーや似た感性を持った受け手であれば受け入れられます。


 言いまとめると、この問題は単に「作り手と受け手、双方のリテラシーや感性・着眼点に齟齬が生じてる」
 だけで、どちらに非があるかないかという話ではないのだと思います。



悠.A.A.間宮さんからの意見
 例に挙げたスクールデイズやひぐらしのなく頃にですが、
 確かに報道では猟奇的シーンが大々的に取り上げられましたね。
 でも、少々いじめられっ子の気分になってみましょう。
 
 あれは、マスコミが視聴率獲得のために決めつけたものだと。

 世間でオタクと呼ばれる人間たちに、異常な嗜好を持っていて非道徳的かつ変態で気持ち悪い、
 といった、とにかく大衆の毒素的存在に仕立て上げているのだと。
 
 それを卑下し、愚かだと駆逐することで、
 ちっぽけな正義感を満たし自らの普遍性を主張する種にしているのだと。

 話がそれましたね、すいません。
 ですがKMさんはじめ、そのテーマに気付いている人たちだっているのです。
 だったら、自分たちも主張すればいいんじゃないですか?
 その埋もれたテーマを、理解したユーザーが主張して表舞台に挙げればいいじゃないですか。

 そうすれば、前述したマスコミに貶められた人間性も回復できるのではないかと私は考えます。
 まず友人に「ひぐらしって、閉鎖的な集落とかのしきたりとかみたいな?
 そういうものの危険性っていうか、閉ざされた世界の恐ろしさをさ、
 伝えようとしてるんじゃないかって思うんだよねぇ」と囁き、
 「冷静に落ち着いて、グロじゃなくてその原因について考えながらプレイするなりしてみ?」
 とくさびを打ってください。

 スクイズも「お前も誠みたいにヘタレになるとズタズタにされちゃうぜ?
 最近の若者って優柔不断で軽い人多いからさ、きっと誠を反面教師にしなさいって教訓じゃねぇかなぁ」
 と言いつつ「三角関係の原因は何か、考えながら観るなりプレイするなりしてくれよ」
 とやっちゃってください。
 
 これを有識者がみんなやり始めれば、多分世論は覆ると思うのです。
 
 私は、ビル・ゲイツの言葉を信じています。
 「今オタクを馬鹿にしている者は将来後悔するだろう。
 なぜならあなたたちは将来オタクのもとで働くことになるだろうから」


 最後に回答。

 どちらにも非はありません。

 今のところ、マイノリティには風当たりが強いのが通例ですから。
 かつての多くの偉人達に対する当時の社会のように。
 十年後、二十年後には、きっと普遍的な娯楽として存在しているでしょう。
 そしてまた、次代の最先端を馬鹿にしているでしょう日本人は。
 ここに来ている方々には、そうなって欲しくないと願います。
 
 私は、常からマイノリティや突飛な意見を笑わず、真剣に受け止めるようにしています。
 そこから斬新なアイデア、最先端の文化や技術が生まれる可能性が高そうですから。

 自慢げかつめちゃくちゃ、論点ブレまくりですが、そろそろ締めさせてもらいます。
 美しい地球に、乾杯。(違


杏花さんからの意見
 初めまして。杏花と申します。

 結論から申しますと、どちらに非がある訳でもないと思います。

 『ひぐらしのなく頃に』を例に挙げてみます。
 仲間が協力し合って猟奇事件に立ち向かう、感動な話。私はこの作品を名作だと思っております。
 一方で、この作品を問題作だと思う人達もいます。
 グロテスクで暴力に満ちた駄作。そう思う人達だっています。

 これは読み手の価値観の違いから生まれる現象です。
 同様のことが、書き手と読み手の間にも必然的に起こり得ます。
 
 書き手と読み手の価値観は必ずしもイコールではないからです。

 重要なのは、書き手がどのくらい読み手の解釈のズレを容認するか。
 どのくらい多くの読み手に正しく解釈してもらうのが狙いか、ということだと思います。

 斬新な表現、新しい構成(ここでは『刺激』)を使うことは、正しく解釈できる人を減らすことを意味します。
 しかし、100%誰にでも伝わるわかりやすい話を書くならば、
 シンプルでありきたりなストーリーにしなければなりません。
 でも、それでは面白くないですよね?

 という訳で、書き手はどの程度のラインで満足するか悩むわけですw
 刺激を入れれば魅力的な話になる、しかし、正しく理解する人も減る。
 その辺のサジ加減は、書き手がよく考えるべきだと思います。

 もちろん、刺激を入れつつも、
 作品を正しく理解してもらうための努力(表現の工夫とか)は必要だと思います。
 作品は書き手の意図が伝わってナンボのものだと思いますのでw

 結局の所、書き手の意図が読み手に伝わらないのは仕方無い。価値観は十人十色だから。
 それでも、読み手に伝えるために最大限の努力をするのが、書き手の務めだと思います。

 素人が偉そうにすみませんw
 長文、読んでくださったのならありがとうです。

 最後に補足。書き手が書いたものは、多少なりとも社会に影響を与えます。
 ですので、あまりにも刺激だらけという作品はアウトになっても仕方ないと思います。
 社会全体の価値観を考えながら書くことも必要ですねw


太鼓持ちさんからの意見 2013/02/02
 そもそも刺激に目が行ってしまうのがいけないこととは思いません。作者がどうしてもテーマを伝えたいなら過度な表現を削るのでなく、テーマに触れる機会を増やして刺激部分をコンパクトに纏めるなどなどすればいいだけですし。
 問題になってると感じるのはそういった表現が使われると作品自体をみていなくとも話題として上ることが多く、それだけしかないと世間に思われているからではないでしょうか?

 最近のアニメは萌えが多いだけで中身がないと言っているくせに、実際に作品に触れようともしないひとが多いのと一緒かと。

 映画のソウも残酷な描写が世間で話題になりましたが、見た人の多くは残酷な描写よりも内容について語りたがる節が見受けられたようにおもいます。質問者さんのように最後まで見た人の心の中には内容やテーマがしっかり残っていると思いますよ。

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