第4研究室 創作に関するQ&A 462P | トップへ戻る |
木津谷さんからの質問
 なぜ「後日談」は必要なのか?
   
 こんにちは。木津谷と申します。

 まず最初に前置きとして断っておきますが、「後日談」のようなものがない小説も確かに存在します。
 ですが、事実として多くの小説が「後日談」にあたる部分を持っている、
 という前提のもとで質問をしたいと思います。

 それでは本題。
 中編から長編での話なのですが、僕が小説を読み書きする際に思うこととして、
 クライマックスの感動の余韻を残したまま終わりたい、というものがあります。
 歌で言うなら、サビの部分を聞いているときの爽快感を残したまま終わりたい、とでも言いましょうか。
 ですが大抵の歌は(音楽には詳しくないんですけど)、サビの後に伴奏が続いて、
 静かに終わってるんじゃないかと思います。
 小説も「後日談」や、あるいは、それに近いものを置いて、やはり静かに終わるものが多いです。

 僕が書いた小説を知人に見せた時に、「途中までは良かったけど終わり方が急」
 みたいなことを言われたりします。
 まぁ、僕の実力不足が理由の九割以上を占めるんだろうけど、
 やはり、クライマックスで終わるために「転」「結」の部分を一つにして書いていることも、
 原因の一端になっているのではないか? と思うんです。

 そこで疑問なのですが、いわゆる「結」の部分。
 「後日談」にあたる存在には、どんな役割があるのでしょうか。
 なぜ、そういうシーンを入れることが必要なのでしょうか。

 僕の疑問に答えていただければ幸いです。
 それでは失礼致しました。


●答え●

影夢さんからの意見

 後日談イコールエピローグだと思ってますが、違うのでしょうか?


世羅 悠一郎さんからの意見

 世羅 悠一郎です。

 そうですね、少し勘違いがあるのかも知れません。
 別に、静かに終わったからといって、余韻が楽しめない訳ではない、という事です。
 静かに終わっても、或いは静かに終わったからこそ余韻を味わえるという事も、
 念頭に置かれた方がよろしいかと思います。
 それと、後日談はエピローグであり、結の一部分ではありますが、それだけが結でない、とだけ。

 「結」の部分の役割。
 それは、読んで時の如く、結びとして終わりにするという事にありますね。
 つまり、区切りです。けじめでもいいですが。
 この話はここで落ちるよ、これで終わりだよと示すのが、大抵の役割ではないでしょうか。
 「転」でひっくり返った後の「結果」を示すものでもあります。

 私の主観からすると。
 大抵、後日談が無く終わるものというのは
 「そこで区切っても、同じ事が続くもの」に多いように見えています。
 「例え一つの話が終わっても、同じ事が繰り返される」とか
 「これは終わりにはならない」ものが多いかなぁ、と。

 例えば、「半分の月がのぼる空」なんかは、
 ここ数年私が読んだ中では後日談が無く終わったものの一つなのですが。
 あれは、「後日談に意味がないもの」だったから、ああやって終わって良かったのです。
 里香がそのまま無事に過ごして寿命で死のうが、もっと大きい確率の病死で終わろうが、
 それを描く事に意味がないから、あの終わり方で良かったのです。
 死ぬまで同じ事が続く、それに変わりはないから。だからあれは良かったのです。

 音楽に限らず、もっと適当な漫才や小噺でも、「結」のあるものと無いものはあります。
 それは、投げっぱなしギャグであったり、そんなものが無くてもオチたものが多いです。
 投げっぱなしのギャグはちょっと微妙なんで難しいやり方とだけ申しておきますが、
 小噺についてはオチが付いた時点で終わっても良いから終わるものです。
 その後の反応なんて、意味の無いものだから。
 だから終わっています。

 ですから、終わり方が急だと言われたりしたのだとしたら、
 それはオチてないよという意味で言われたのではないかと推測します。


 私は木津谷さんの作品を読んだ事がないので本当にそうかは判断しかねますが。

 ともあれ、お話の形態にも、後日談で締めずにその現状で締めてしまって良いものと悪いものがあります。
 落とさずに終わらせて良いかは、お話のそれまでの流れが関わります。
 話の流れから、そういう明確な締めが必要のない話なら後日談なんて要りませんが、
 一つの区切りとして締めが必要な場合は、きちっとしめて終わりを表明しないと
 面白く終われないのではないかと。

 また、後日談を書いたら余韻が失われたという場合は、それこそ実力不足かと存じます。


 やはり、それまでの話の流れによりますが、
 締めずに終わるのは締めて余韻を残すよりも高等テクニックであると思いますし。

 例えにあった音楽にも、何度も同じフレーズの歌詞を繰り返しながらフェードアウトして終わりという、
 締めの無い曲も存在しますし。

 結論としては、まずきちんと終わらせてみて、
 そこから余韻を長持ちさせる方法を模索しては如何でしょうか?
 もちろん、今のままで後日談を書かずに終われる話の流れや、
 文章の締め方を研究するのもアリだと思いますが。

 参考までに取り上げておきますと。
 後日談が無く終わる作品群は、ライトノベルには少なく、一般文芸に多いように思います。
 そちらを読んで、どういう終わり方なら自分のスタンスを保てるか研究するのもアリかと思います。


きいずみさんからの意見

 こんにちは、こんばんは。
 きいずみと言います。

 後日談はまさしく「余韻を残すため」にあるのだと思います。
 柔道の型でいう残心みたいなものですかね。

 
 例えば主人公がクライマックスで魔王を倒し、
 そのまま終わってしまったら何となく「ぶっつり切られた感」というものを(少なくとも私は)感じます。
 それより平和になった世界なんかの描写があれば、
 「ああ、この話も終わったんだな」みたいな感動と寂しさを味わうことができるので、
 後日談のようなものはあった方がいいと思います。

 もちろん何を面白いと感じるかは千差万別、十人十色なので、
 それがなくても面白いと感じる人はいると思います。
 ただ、後日談のある物語が多いということは、
 それをいいと思う人も多いということなのではないかな、と思います。

 ……また「思います」ばかりになってしまいました。私の悪い癖ですね。

 個人的な主観ばかりでしたが、参考になれば幸いです。
 ではでは、執筆がんばってください。


事実従事さんからの意見

 こんにちは。事実従事と申します。

 終わり方については、木津谷さんもわかりやすく表現されているように、
 確かに楽曲のそれでも同じようなことがいえますね。しっかりと終わるかフェードアウトか。
 個人的趣味でいえば前者ですが、小説だと……

 おそらく私見になります。後日談というものは、

《その作品を読み終え、登場人物たちに好感を抱いて感情移入し、
 物語が終わった後(目的達成の後)、彼らがどうなったか知りたいという欲求を満たすもの》

 
 ではないかと思っています。
 登場人物に好感を抱かなければ、最後にどうなろうとあまり気になりませんし、
 そこで後日談を出されるとそれは蛇足になります。

 大きな問題が解決したのち、その後主人公たちがどうなったか。
 ある意味、続編という存在はこれに近いところがあります。
 後日談に必要性があるかどうかは、作品全体の質で決まるものではないでしょうか。
 出来のいいものなら、なくても問題はないはずです(伏線を残すような終わり方なら別ですが)。

 以上です。それでは。


(´ω`) さんからの意見
 たいやきはね、本当は尻尾にあんこは入っていないのよ。
 その理由が"口直し"さね。あんこで甘くなった口ん中をさっぱりさせる意図がある。
 小説の後日談や曲の伴奏も、同じ意図があるのではないだろうか?


帝人さんからの意見
 こんにちは木津谷さん。
 
 後日談ではないのですが「時計じかけのオレンジ」という映画があります。
 この映画の主人公は暴力と性など欲望の限りをつくします。
 この主人公はクラシックが好きで、劇中でもクラシックがBGMとして多く使われています。
 このクラシックがあるからこそ、暴力などの過激さがさらに際立っている気がします。
 
 後日談もこれと同じで静かで平和的な後日談を書くことで、本編の「動き」や「戦い」がより強調され、
 読者にも「ああ、終わったんだ」と思ってもらえる気がします。


冬さんからの意見
 この物語はここでおしまい。だけど登場人物たちはこれからも物語の中で暮らしていくよ。
 彼らが今後どうしていくのか、それは読者の想像しだいだよ。
 だけど何の手がかりもなくちゃ、想像なんて出来ないからね。大まかな方向だけは示してあげる。
 彼らが歩いた道筋の、ほんの頼りない足跡だけを。

 ……ってなことが、昔読んだ本のエピローグのはじまりに書かれていました。

 要約すると『その後消息不明じゃあ後味が悪いだろうから、
 その後を想像するために後日談をつけてやったよ』ということだと思います。


 後日談が物語に及ぼす影響と言うのは、後日談がある物語から、
 それを取り除いたところを想像してみるとわかると思います。
 後日談があるものとないもの、どちらがよりよい余韻を残してくれるか、
 それはご自身で考えてみるべきだと思います。

 ちなみに、夢も希望もない冬本人の意見としては、後日談いわゆるエピローグには
 『人気が出たときのことを考え、続編あるいはシリーズ化のために曖昧なのりしろを広げておく』
 という意味があるのではないかと思います。



サイ・アキラさんからの意見
 自分が後日談が良かった作品として知っているのは「仮面ライダークウガ」ですね。
 ・・・・・・すいません、特撮ドラマなんて(汗)。

 実はこの作品、最終回の一回前にラスボスとの決着は付くんです。
 じゃあ最終回は何するの? 特撮なんだからバトルがメインだろ?・・・・・・ところが違うんです。

 この作品の主人公は『人々の笑顔を守る』という目的の元、戦います。
 そして最終回では無事守られた人々の今を見せてくれるんです。


 そして主人公はラストに登場します。彼は海外の子供達を大道芸で笑わせているシーンです。
 そこで視聴者は「ああ、彼は今も人々の笑顔を守るために戦っているのか。これからも戦い続けるのか」
 と納得出来るわけです。

 このように後日談は、それまで繰り広げられた様々な人間の物語を締める役割があると思います。
 作品内での様々な出来事を終着させ、物語を終わらせる・・・・・・そんな役割があると思いますね。

 最後に遅レスすみませんでしたm(__)m。


安倍辰麿さんからの意見
 後日談、大好きです。辰麿です。
 作品の内容によりますが、後日談は必要です。

 小生の場合、どうしても回収できなかった伏線を補完するために書いてます。
 後日談がない作品は、結で全ての伏線回収に成功しているから。
 戦隊モノがその際たるものです。
 悪党に勝った ⇒ 事件解決、そういえばその後どうなった?
 このような流れにすることで、戦闘に勝ったということに意味が生まれます。
 「ああ、結局このために主人公は頑張ってたんだものね」と、読者も納得しやすくなります。

 あと、他の方々も書いてますが、クライマックス(最高潮)で終わってしまうと、
 話がブツ切りになってしまいます。
 これは読者を突き放す形になり、シビアな読者には“読者を蔑ろにしている”と白い目で見られます。
 それを防ぐための後日談です。

 余談ですが、ここは改善すべき。

>やはり、クライマックスで終わるために「転」「結」の部分を一つにして書いていることも、
>原因の一端になっているのではないか? と思うんです。

 構成が団子状態だと、読者は話についていけませんぞ。
 鶏が卵を産んでひよこが孵る事例で見てみましょう。

 朝になる(起)、卵を産む(承)、卵を抱いて温める(転)、孵化(結)、ひよこが立派に育つ(後日談)

 木津谷さんの上記の内容では、卵を産んだ直後にロクに温めもしないで卵が孵る超常現象が起きます。
 違和感を感じ得ないのは当然でしょう。

 小生独自の考えですが、作品は起承転結末と構成してます。
(もっと作りこむ場合は、起承展転結末。展は伏線導入部で、末で最終的に全部拾います)
 末は後日談と考え下さい。ひよこの例の成長の部分ですね。
 こうすることによって、話の広がりがかなり違います。
 
 ああ、立派に育ってよかった、と読者に安堵を与えられます。
 料理でいうなら隠し味、あるとさらに美味しくなります。

 打算的なことを言えば、読者を最後のページまで誘導させる手法ともいえましょう。

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