ライトノベル作法研究所
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  4. 最強無敵主人公はタブー?公開日:2009/05/10

最強無敵主人公はタブー?

 電気羊さんの質問 2009年05月10日

 皆様こんにちは。
 他の方の立てたスレッドの話題で、別スレッドを立てるのはおこがましいかと思ったのですが、
 「面白くない要素」という話題で、特に多かったのが「無敵主人公は面白くない」というご意見です。
 そこで思ったのですが、確かにライトノベルでは無敵主人公はあまり見かけません。
 ですが漫画作品ならば割と多いように見受けられます。
 
 例を挙げると
「BASTARD!」のダークシュナイダー
「HELLSING」のアーカード
 もっとも有名な作品では「ドラゴンボール」の悟空なんかが無敵主人公の最たる者だと思うのです。 
 これは小説と漫画の媒体の違いでしょうか?
 漫画の場合だと、迫力のある絵で格好良い画面さえ描ければ読者に受けるのかも知れません。

 ちょっと変わったところでは「アカギ」の赤木も最強無敵の天才雀士として描かれていますが、
 これの人気が出たのは赤木をちゃんと天才として描ききったからだと思います。
 ついでに言うと「アカギ」はタブーの一つである「回想話」もやっています。
 「アカギ」は一作品すべて回想の話です。
 何故なら、アカギは50歳まで生き、最期はアルツハイマーになる事が別作品で語られています。
 ちょっと話がそれましたが、つまり最強無敵主人公だろうと書き切ってしまえば、
 それはそれで名作なると思うのですが、皆様はどう思うでしょうか?


●答え●

ゆーぢさんからの意見
 アカギの例にある通り、書ききることが大事だと思います。
 
 ただ、アカギにしてもダーシュにしても孫悟空にしても、
 人間として欠ける所が大きく、それがドラマを生み出していますよね。

 得意なことは強いけど、それしか目に入らない、他のことは並み以下、むしろ迷惑な人の領域(笑)

 また、これらの作品は「魅力的なライバル」がいるので話が盛り上がっているようです。

 そいつらがピンチを演出してくれれば、一概に「無敵」とは言えないでしょう。
 悟空だってたくさん負けてますからね。


適広当樹さんからの意見
 こんばんは、適広当樹と申します。
 個人的見解ですが……

 名作を書き切ってしまえば、それは名作ですから(って、変な言い方……)
 主人公が最強であろうがなかろうが、何ら問題はないと思います。


 そもそもですね、

 初めて筆をとり執筆をする方に対する『警鐘』の意味として、
 最強主人公はダメ、という話があるのではないでしょうか。


  ***

 あまり物語について深く考えていない初心者の頃は、主人公が最強になりがちです。
 これは安易さの表れなのですね。
 ある程度執筆に慣れてくると、
 逆に最強の主人公で話を面白く展開することの困難さに気づくのが普通です。

 初心者が最強主人公を書きがちな理由は、
 小説、漫画、アニメ、映画の快楽を得る部分が、敵を撃破する場面だからだと思います。

 
 物語中では主人公の葛藤や苦悩、ピンチがあるわけですが、
 そこを書きたいと思って筆を握る人は『あまりおらず』、
 自分が快楽を感じた部分を書きたいと思って筆を握る。
 
 そこしか見えていない。書きたいものを書いているだけだから、
 おもしろさの源泉である主人公の葛藤やピンチが頭になく、書きたいところだけを描く。


 そして、主人公は結果として最強になる。
  
 ***

 というわけで、

 『最強主人公はダメだよ』、というのは、
 イコール、
 『安易に何も考えずに小説を書くなよ』、ということではないか、と私は思うわけです。


 自分が安易に何も考えずに思いついたことだけを並べて小説書いてたことがあったので、
 その経験から推測しています。

 ちゃんと小説としての体裁を考えて、お話を書いた場合、
 山場あり、危機あり、etcetc――で物語を書こうとするわけで、その瞬間、
 最強主人公でこれらを描くことがどれだけ困難であるかがわかりますし、
 逆に、それを描くための工夫だって生まれるのだと思います。
 
 つまり、自分が書こうとしている、爽快な場面を作る主人公が、
 如何にして、それ以前に危機に陥ったりするのだろーか、と……


 たとえば、危機を作る場合、
 リミッターをつけるというのが一番ありがちな方法でしょうか。強さの枷ですね。
 とある魔術のインデックスのアクセラレータ、fateのセイバー、などなど。
 まぁ、彼らは正確には主人公じゃないけれど。
(適切な例が他に思い浮かばなかった。まぁ、物語の主軸という意味では主人公格ではあると思う)。

 弱点があるというのも良くありますね。
 ウルトラマンの三分間、
 アンパンマンにとっての水、などなど。


   ***

 さらに蛇足ですが、
 作者志望からの、作者的な目からの意見は、話半分にした方がいいのではないかと私は思います。
 これは別に、完全無欠型主人公に関してだけの話じゃありません。
 時々、ネット上のラノベ批評とかを読んでいるとよく思うことなのだけれど、

 作者の目(あるいは、肥え過ぎた読者の目)と、
 読者の目って違うんじゃないかな、と。


 「最強主人公=安易」という方式が出来上がってしまっているために、
 そうでない作品を読んでも、先入観で
 「あ、これは面白くない」と思ってしまうところもあるのではないか、と。

 『知識があるから作品の深い意図までわかって面白い』のならいいけれど、
 『知識が作品鑑賞の邪魔をして面白くない』のなら、そんなものはただの害悪ではないですか?

 勿論、物語を作るつもりのない単なる読者なら、それでいいと思います。
 自分の楽しみを自分で減らしているんだから、勝手にすれば良いでしょう。
 けれど、私たちは作家志望なわけで……

 売れている(売っている、じゃないですよ)作品は面白いです。基本的に。だって、売れているんだから。
 これは前提とすべきものだと思います。

 それを読んで、面白くないとしたら、
 それは、好みではない可能性がひとつ(こっちは別に構わない。自覚さえあれば)、

 もう一つの可能性として、純粋な読者の目を失っていることを疑った方がいい、と私は思います。


   ***

 最後にどうでもいいというか、わざわざ言うまでもないかもしれない話。
 戦闘が主軸ではない(葛藤も危機も戦闘にはない)話なら、
 最強主人公でも何の問題もないと思います。
 当然かもしれないけれど、これをごっちゃに話を進めても意味がない。

 ではでは。


あにまウさんからの意見
 初めまして。あにまウと申します。
 私が思うには「最強」なんてありえないと思うのですが、どうでしょう?

 例えば、自分が一生懸命努力して超難関校に受かったとします。
 でもその難関校で友達になった子が「最強」だった。
 勉強はできる、スポーツはできる、容姿も悪くない。
 難関校にトップの成績で受かったくせに、
 「え、受験前そんなに勉強しててこの順位なの? 俺、全然勉強してなくてトップなのに?」と言う。
 
 むかつきませんか?

 自分は一生懸命努力してやっと受かったのに、全然勉強してないその子に負けているんです。
 確かにその子は優しくて、一緒にいて楽しいです。でも、それでもなんだかその子にむかつきます。
 あげくの果てに気になっていた女の子がその子とつきあい始めて。
 
 確かに自分はその子よりも頭が悪いです。かっこよくないです。スポーツもうまくないです。
 だけど、努力してがんばっているんです。きっとその子よりは努力しているはずです。
 でも、勝てない。
 その子と話す度、表には出さないけどむかつく。

 ここでは「最強=かっこいい、優しい、スポーツできる、成績よし」
 という少女漫画に出てきそうな男の子を題材にしてみました。
 そんな子は異性からは最強に見えても、同性からは嫌悪の存在にしかなりません。
 異性からも、同性からも「最強」と言われるのはほとんどないと思います。
 
 最強は誰から、嫌われている存在なのです。

 読者の中に主人公に対してそんな感想をもつ人が出てくるのです。
 他にも、物語の落ちが読めるのがつまらないというのもあると思います。
 戦っていて、負けそうになっても「どうせ、勝てるんでしょ」と読者が感じてしまうのです。
 だからたとえ愛と真実の為に戦い、勝ったとしても「やっぱりね」となり、「つまらなかった」と思うのです。
 
 もし、最強無敵キャラをかきたいならば、
 逆の立場から書く方がいままでにない面白い作品ができると思いますよ。
 こんなに長々と語りましたが、これは私が勝手に思っているだけなんで参考になるかわかりません。
 無駄話ですみません。


MIKIOさんからの意見
 眠れない。丸二日布団に入ってないのになぜか眠れない。

 というわけで眠たくなるまでパソコンでもいじってようかと思いついたMIKIOです。
 確かによく言われているタブー(というより好まれない小説設定でしょうか)ですが、
 それについての考察はあまりされてはいません。
 私もその系統の話を書いて、友人にボロクソに言われたことがあります。
 電気羊様の言の通り、媒体の違いもあるはずです。
 その上で考えてみたので、拙いながらも意見を述べさせていただきます。では。

 同じ『最強』でも、おそらくタブーとされているのは『魅力のない最強』ではないかと思います。

 例えば電気羊様も仰っているアーカード。私も大好きです。漫画全巻持ってます。
 しかし大好きなのは『最強だから』だけではありません。
 彼の生きてきた(吸血鬼なので表現としては語弊があるかもしれませんが)道。
 彼の口から語られる壮絶な戦闘法律。
 その他でバトル、絵、セリフ諸々すべてが合わさって私は「かっこいい」と感じるのです。
 
 小説にせよ漫画にせよ、魅力の表し方は人それぞれ。加えて魅力の感じ方も人それぞれです。
 卑怯なほど無敵であってもその基盤、小説ならば描写・台詞・設定ほか多数が出来ていて、
 その上で読んでいて「かっこいい」と感じられる主人公ならばOKだと私は思います。

 逆に「かっこいい」と全く感じられない主人公について。
 いくつか要素があるでしょうが、その中で共通しているのが、
 『読んでいて不快になり、読みたくなくなる』ことです。

 事実、私の書いた最強主人公の小説も、半分もいかずに友人は投げ出しました。
 「くだらなさ過ぎて無理」だそうです。
 いくら書ききっても、読者が読みきらなければ意味はありません。
 そのための工夫をする必要があります。

 ほかの登場人物然り、世界観然り、他の要素を蔑ろにしないよう、
 かつ中心である主人公を空気にしてはいけない。
 その工夫をしてこそ、最後まで読んでもらえる小説を作れるのではないでしょうか。

 微妙に長ったらしくなりました。理解できない点があれば申し訳ありません。
 三十分ほど頭を使っていたら眠くなってきましたので、このあたりでお暇します。失礼しました。


ぽろろさんからの意見
 ちわっす、ぽろろです。
 とりあえず、その主人公が戦闘面で最強無敵だとして。

 最強無敵主人公の欠点は、「とにかくそいつが出てきたら勝つ」部分だと思います。
 最強な上に無敵なので、主人公の気に入らない物は全て消されます、全て主人公の思うがままです。
 敵が主人公と戦う時は戦闘になりません。
 敵がどれだけ善戦しても、どれだけ戦いが長引いても、誰もが主人公が勝つことを分かっています。
 
 つまり、バトル物小説の見所であるべき戦闘に、ドラマやカタルシスが生まれる事が無くなる訳です。
 当たり前ですが、そんな小説を書ききったところで名作になるはずがありません。


 いわゆる普通のバトル物小説だと、主人公VS敵の戦闘シーンでは、
 ギリギリのやり取りが為されていて、そして最終的には主人公が勝つのが面白い訳です。
 しかし、最高無敵主人公だと、上記の理由で戦闘が面白くありません。
 その時点で、普通のバトル物小説のような面白さがありません。

 普通のバトル物小説のような面白さが書けない以上、「最強無敵主人公の出る小説」というのは、
 「普通のバトル物小説」とは全くの別ジャンルになっているんです。

 そこを理解せずに同じノリで書こうとする人間が多いから、
 最強無敵主人公は「タブー」とされているのではないでしょうか。
 最強無敵主人公を出すのはいいですが、
 見所や面白い部分は、戦闘以外に持ってくるべきだと思います。

 そんな感じで。


流離の転校生さんからの意見
 一概にそうとは言えないと思います。

 ライトノベル(小説)でも、最強無敵主人公で大ヒットしている作品は、しばしば見かけます。

 私の好きな菊地秀行先生の作品は、そういう主人公が多いです。
 秋せつらにDrメフィスト、八頭大、みな最強無敵主人公です。
 このタイプの主人公の魅力、有利な点は「魔王伝の一巻」後書きで、
 菊地先生が解説しておられるので、参考になると思います。

 ただこの手の主人公は比較的高年齢層に支持される傾向があるようです。

 大塚英志先生が「物語の体操」でおっしゃっていました。
 ライトノベルは基本的に少年少女の夢や希望、葛藤と成長を描く小説です。
 最強無敵主人公の場合「成長」はありません(なにせ既に最強なんですから!)。
 夢や希望も描きにくいでしょう。
 これらにともなうカタルシスに欠けるので、低年齢層には人気がでにくいです。
(そのかわり圧倒的な強さのもたらす「喪快感」はありますが)

 私の意見としては、電気羊さんによほどの力量がない限り、対象年齢の低い作品では、
 最強無敵主人公は避けた方がいいと思います。
 高年齢向けの作品なら有利になるかもしれません。


帝人さんからの意見
 こんにちは、電気羊さん。
 
 タブーというわけではないのですが、
 読み手からしたら「面白くねぇな」と思われやすい設定だとは思います。

 主人公が最高最強だとそれ故に「成長」だったり、「苦労して敵を倒す」演出がしづらいと思います。
 
 映画などなら最強で無敵の主人公でも、「画」があるので大丈夫かもしれませんが、
 小説はやはり「文章」だけなので難しいものがあると思います。
 
 でもけして駄目なわけではなくてあえて挑戦するのもありだと思います。
 結局 面白けりゃなんでもいいんです。


K.Kさんからの意見
 やっぱり最強無敵というポジションは、エンディングならともかく、
 ストーリー途上では正統派主人公の目標であって、実現してしまってはいけないものだからでしょう。
 
 頂点を目指す人間には魅力を感じますが(そこに物語がある)、
 到達してしまった人間を眺めていても面白くもなんともないように思います(そこには物語がない)。


 それでも最強無敵にするなら、主人公は何らかの苦悩を抱いているとかしないと、
 ストーリーが維持できないでしょうね。北斗の拳においてシンを倒すまでのケンシロウがそうです。
 その後、ストーリーを維持するためには、より強いラオウが必要になりました。
 ということは、(一見)最強無敵というのはライバル・敵役のものなんでしょうね。
 主人公が乗り越える壁としては良いものではないかと。
 
 主人公でもアンチヒーローになると最強無敵も許されるかもしれません。
 それがどう突き崩されるか、とかが期待できますから。


ぴりおどさんからの意見
 おはようございます。熱でふらふらしながらも書かせていただきます。

 無敵主人公が面白くない、というのは人間性がないからです。

 面白くない無敵主人公と言えば、
 悪を憎んで人を憎まない。正に聖人君子のような人で、誰からも尊敬されて慕われる。
 常に必勝で負けることはない。人生に悩みはない。

 こんな奴に感情移入できますか? 私は全然できません。

 誰だって他人が憎いことがあります。誰かに嫌われたりします。
 いつもいつも勝ち続けたりできません。人生の悩みなんて一ヶ月に最低一つはあるでしょう。
 つまり、そういうことです。
 誰だって欠点はありますし、物事がいつも上手く行くはずありません。
 人間ってそういうもんじゃないでしょうか?

 辛いことがあるから幸せなことがある。
 それすらない、そんなロボットみたいな人間じゃ感情移入がしづらい。
 だから皆面白くないと思うのだと思います。


安眠妨害禁止地区在住の猫さんからの意見
 レスを見る限り、完全無欠と最強無敵をはき違えている方がいるような気がしてならんのです。
 完全無欠はつまらんので買う気はしないですけど、
 最強無敵の主人公というレッテルを張っている小説は幾らでもあります。

 
 そもそも主人公補正で大抵の主人公は現実のような惨めは失敗はせんので、
 無敵属性は殆どのキャラクターが持っています。
 しかしそれでいいんです。現実的な惨めな最後なんて誰も望んじゃいません。

 最強無敵、だけど記憶がない。
 最強無敵、だけど幼馴染の尻に敷かれている。
 こういうのは幾らでもありますし、それは普通に面白いわけです。


 最強無敵と名高い魔王の妻は人間だった。
 そしてその妻は裏切り者として人間に殺されてしまう。
 復讐を決意した魔王は――。
 なんて筋書きでも私は「ほうほう」と興味をそそられます。
 勇者を瞬殺して、国を百個崩壊させる強さでも別に面白いものは書けますよ。

 戦闘メインのバトル物であれば、あちゃーと思う設定も、
 例えば国を百個崩壊させても魔王の心は癒えず――
 と心理的な部分を主軸とすれば幾らでも面白いものは描けるでしょう。

 じゃあ魔王はその後、どうなったの?と疑問を感じさせれば勝ちなのですから。
 世界を三回破壊した神はものすごい恋愛音痴で、
 三人の女神に騙されて世界を滅ぼしたという物語でも書き方次第では十分面白いと思いますよ。
 その上、現れた四人目の女神は「男の娘」で――と今時を入れる余地だって十分あります。

 よくも悪くも面白さ=書き手の実力次第です。
 タブーと見るか、逆に受けると見るかは貴方次第。面白く出来れば勝ちです。


浮世ノ時雨さんからの意見
 こんにちは、浮世ノ時雨です。以後よしなに。
 
 最強無敵、それが本当に面白いか?答えはNOです。
 しかも突然最強になられた日には目も宛てられません。

 例としてドラえもんの映画、宇宙開拓史をあげてみます。
 あれもある理由によってのびたが最強になりまりますが、
 そこから冷めてしまった人が多く、一部のファンには駄作と言われた事がありました。
 対象年齢の低い子供がみるならまだ納得出来るでしょう。
 しかし、大人からの評価は大変低いものでした。
 それを踏まえて次の作品、大魔境では全く無力というキャラの状況を作りました。
 これを見てもわかる通り、最強なんてのは幻想と同じで構わないのです。
 
 強さとは憧れであり、最強とはそれを凌駕した存在。
 因みにドラクエとかの魔王も最強だと思うんですけど、
 いつの間にか強くなった勇者にサクッとやられるのは何ともよく出来ていると思えますよ。
 
 最強の意味を履き違えれば駄作です。
 強さと弱さは長所と短所です。どちらが欠けても意味がないと言って話を終わります。
 それでは、また。


setukaさんからの意見
 はじめまして電気羊さん、setukaと言います。

 私が思ったことを簡単に申しますと、
 「最強」な主人公が出てきたら悪いと言う訳ではありません。
 現に「最強」の称号を持っている主人公たちは数多く存在し、素晴らしい感動を与えて下さいました、
 事実、私もドラゴンボールはかなり大好きです。

 まず最初に私が思ったことは、
 人の心を動かす「最強」に安易な「最強」はありません。
 その称号や実力を得るまでには、ちゃんとした理由や経緯がある。
 まずそこがきちんと設定してあるかどうかだと思います


 展開と場に困った為、ただ「この人は強いから勝てる」と言う理由だけで、
 結論付けたと言うような「最強」の使い方をされると言うのが、
 私にとって一番倦厭してしまう「最強主人公」です。

 そして「最強」と今まで言ってきましたが
 それは人間、キャラクターである以上「有能」のカテゴリーに含まれるランクの一つでしかないということ。
(カードゲームで「最強カード」と言うカードがありますが、そんなカードでも倒される事があります
 最強カードは「有能」なカード、ただそれだけだと言う事です)

 どうしようもない時や状況は、キャラクターである以上必ず起こりえます。
 むしろそのようなピンチが無いキャラクターは、作者の庇護を受けている、
 言わば「生まれる前の赤ん坊」の状態ではないでしょうか?

 私の感覚では作者は親でキャラクターは子です。
 小説の書き手である親の庇護を一身に受け、
 周囲の環境を捻じ曲げ、周りの人の優劣を調節した状態で作り上げられた赤ん坊の活躍劇。
 そんな「親馬鹿」が全面に出てしまった作品は倦厭されると思います。


光る灰さんからの意見
 僕の場合、最強主人公を嫌忌しているのは、そういう主人公には人間の内面が描かれず、
 最強や万能そうな設定を付与して外見ばかりをとことん豪華にしてしまう傾向が強いからです。


 人間、外見がいいとか、「ツンデレ」とか一言二言で済ませられるほど、単純ではないと思って居ます。
 最強にも強さを得たのにも代償が理由があるはずですし、強さを得る苦悩もあったかもしれません。
 問題はそれが感じられないことです。

 それに成長がない最強主人公で物語を描くのはとてつもなく難しく、
 力のないキャラが段階を経て強くなっていく方が描きやすいんですよ。


 人間の内面が描かれていない外見だけの主人公が多い、これが僕が最強主人公を嫌う理由です。

 逆に言えば、内面を描けるのであれば最強主人公であっても
 人間的魅力に溢れたキャラは描けるということです。


因幡の白兎さんからの意見
 どうも、同じ動物名前として共感せざるおえない因幡の白兎です。
 皆さんのレスを読んで実に興味深い内容だったので、自分も少々ご意見を。

 まずこの手の○○はタブーに対して、最初に言っておきたい意見として決まっているのが、
 ラノベにタブーはない、ということです。

 適広当樹さんが言ってらっしゃる通り、ここや他の創作の場で言われている、
 ○○は駄目、というのは、安易に絶対に駄目だと言っているのではなく、
 とりあえず難しく書きにくく現しにくく、受け入れられづらいから、
 自信が無いなら避けたほうが無難と警告しているたけであって。
 もしそれでも本当に書きたかったら、なんであろうと書いてよいのです。
 それが小説と、兎自身は捕えております。

 「これは、タブーなんだ」ということで、わざわざ創作視野を狭くすることはあまりオススメしません。


 で、本題に軸を戻しまして、最強無敵主人公。
(ここでは、なんの欠点も無い、典型的な無敵主人公とさせてもらいます)

 まあこの手の主人公が避けるべき理由は上げればきりがないのですが、

 現実にはまずいないから、読者が感情移入しくい。
 現実にはまずいないから、完全無欠主人公本人ではない書き手では完璧には現しにくく、
 もし本当に完全無欠最強無敵を全面に押し出しているのなら、中途半端なキャラになり、
 反感を買う、見ててものすごくかっこ悪くなる、寒くなる。
 現実にはまずいないから、なにやっても結果的に上手く行ってるのが露骨に浮き出るため、
 見てて腹が立つ、飽きる、ワクワクしない。
(そりゃあもう完全無欠ですから、逆にそうならなければ上記の通り半端なキャラになってしまいます)
 現実にはまずいないから、悪い意味で現実に引き戻される&これは創作なんだと冷めてしまう。

 思いついただけでもこれだけありますでしょうか。

 とりあえず、あまり利点はないと言っておきましょう。

 では、これだけ利点が無くとも、何故他の作品には最強無敵な主人公がたくさんいて、
 受け入れられているのか。

 ずばり、それは完璧超人なんて本当はどこにもおらず、
 どの作品にもそんなもの存在していないからです。

 一見意味不明ですが、つまりは羊さんが見ていて最強無敵だと思っている主人公およびキャラは、
 どのキャラも最強無敵なんかじゃないんですね。少なくとも読者が見てとらえている視点では。

 悟空はたしかに強いですが、強くなったのは最終的な話でして作品全体では負けまくってますし、
 社会の眼で見れば、ろくでなしに近いです。
 アーカードは正直言えば、殺人者で、頭が……イッチャテマス。
 これらの要素は、お話だからこそ、キャラの色として受けいれられるだけであって、
 現実の我々の感覚からすれば、大きな欠点でしかありません。
 つまり、我々は意識せずとも直感的に、彼らが完璧超人ではなく、
 総合的に見れば欠陥人間であることを知っているのです。

 なんというか、タブーと呼ばれている無敵主人公というのは、彼らのような人たちではなく、
 作品、世界、周囲のキャラ、そのすべてが、
 主人公をマンセーするために存在しているような物語の主役だと思います。


 主人公の行く手に、目的を妨げる障害も、苦難もない、
 鼻歌交じりに敵をなぎ倒し、すべての人から愛され賞賛されてしまう。
 そんな物語がおもしろいと思えますか?

 物語とは、葛藤と成長でできている、と誰かが言いました。
 結論的に言えば、障害が存在しない物語を歩いている主人公が、
 タブーといわれている完璧主人公の典型的なパターンなのではないでしょうか?


 まあ、少なくとも、羊さんが例としてあげている主人公は、タブーな主人公じゃないよと。


ひすいさんからの意見
 どうも、ひすいと申します。

 書ききってしまえば云々と考えるまえに、
 電気羊さんは「どうして完璧な主人公がタブーと言われているのか」について考えましたか?
 赤信号で渡っちゃ駄目、交通事故に遭う危険性があるから。
 自分勝手な振る舞いをしちゃ駄目、他人に迷惑をかけてしまうから。
 みたいに、この世で禁止、あるいは制限されていることには、
 なにかしら相応の理由があるはずなんです。

 この場合はほかの方々のご指摘にあるように、「内面を描きにくい」だとか「人間らしくない」だとか、
 そんな様々な理由があるからこそ原則としてタブーとされているのです。
 
 原則が存在すれば例外が存在しますが、
 その例外はいずれもその原則が存在する理由をクリアーしているから存在します。


 つまり、「完璧な主人公はこういう欠点があるから駄目なんだ、
 だったらその欠点を上手い具合に克服して、面白い作品を作れないかな?」と考え、
 上手く克服できた作品を作れたならば、それは例外として認められます。
 
 逆に言ってしまえば、例え作品を書ききったとしても、
 その欠点が全く克服できていないのならば単なる駄作にしかなりません。

 
 このスレッドの返信しているかたは、
 きちんとどうして完璧な主人公がタブーとされているのかという理由を説明してくださっているはずです。
 もしもそんな主人公を出して作品を作りたいなら、
 それらを参考にして欠点とされている部分をなくすよう書いていくことが必要だと思います。

 では。


Yさんからの意見
 僕のお気に入りの漫画の一つに週刊少年ジャンプで連載中の「銀魂」という漫画があります。
 この漫画の主人公である坂田銀時は最強無敵とまではいかなくても、
 鋼鉄並みの強度を誇るワイヤーを素手で引きちぎったり、
 そのワイヤーで空中のヘリコプターを地面に引きづり降ろすなど
 「どう見ても地球人にできる芸当じゃねーよ!」と言いたくなるような事をやってのけます。

 しかし、この漫画は何年もアニメが続いているほどの人気作品です。
 なぜかというと銀さんよりもっとすごい天人(宇宙人)が出てきたりするというのもあるでしょうが、
 
 最も大きな要因としては「銀魂」自体が時々バトル漫画的な話があるとはいえ、
 基本的にギャク漫画であり、その辺りの書き分けをしっかりとしている点であるのではないかと思います。


 つまり、主人公が何らかの分野で「無敵」だったとしても、
 その分野とはずれた部分にストーリーのピントを合わせれば、問題ないかもしれません。


カイトさんからの意見
 はじめまして、あるいは久しぶり、カイトです。

 「とある魔術の禁書目録」のアクセラレータの台詞を読めば、「最強」への考え方が変わると思います。
 劇中で彼が述べてる通り、結局最強は「最強止まり」出しかありません。
 要するに、最強≒完璧だということです。
 前にも指摘があったように、皆さんそこを履き違えている気がしてなりません。

 まず作品内で、主人公が“どの分野において最強無敵”なのかという事です。
 

 全ての分野において最強なら、衆知の通り当然面白くありません。私でも嫌悪感を覚えます。
 まず、最強である分野を決めるべきです。
 そして他の分野を平均程度、あるいは以下に設定すれば良いでしょう。
 
 「他はダメだけどこれだけは負けない」的な背景付きの最強ならばなお受け入れ安いでしょう。
 
 どうして最強なのか、と言う説明も重要です。
 これがしっかりしていれば、少なくとも初対面で嫌悪されることはないはず。
 才能・努力・呪いなど、考えればいくらでも設定できます。

 また、最強ゆえにどんな悩みを抱えているのかも考慮せねばなりません。
 例えば戦闘能力に特化し、コミュニケーション能力が低い場合、
 周囲から距離を置かれたり、常に監視が付いたりするかもしれません。
 味方なら良いが、敵だとかなり厄介とはよく言ったものです。
 精神面も鬱屈し、アーカードのようなも狂人じみてしまうかもしれません。
 
 偉そうに書き連ねましたが、あくまで私の考える最強キャラ像に過ぎません。
 他にも主人公の台詞回しや心理面、または周りのキャラの構成によってもっと輝けるはずです。
 ですので、参考程度に留めて置いてください。助力となりえたのなら幸いです。
 
 ついでですが、「書き切ってしまえば名作」ということは、決してありえません。
 名作となり得ない作品は、「打ち切り」の名の下に強制的に「書き切らされて」しまいますから。


雪夢さんからの意見
 初めまして、雪夢と申します。

 主人公が最強である、それ自体はタブーと言う訳ではないと私は考えます。
 レスにも多々あげられている事ですが、
 つまりは「何に置いて最強であるか」「どこに主軸を置くか」それが大切なのではないでしょうか。
 私はアクション系…というか、戦闘ものの小説はそれほど多く読まないのですが、
(少なくとも肉弾戦をしてるものは、あまり持っていません)
 それでもその数少ないアクションシーンがある小説の主人公は、
 最強という部類にカテゴリされると思います。

 元々伝奇ものなのでそこは深く突っ込んではいけない気もしますが、
 ローラースケートで高速道路を走る車に追い付いてみせたり、
 ビリヤードテーブルを片手で持ちあげてみたり、
 コーラの瓶でヘリコプターを墜落させてみたり、
 タンクジャック(と作中では表現されている。戦車の占領)してみたり、
 挙句総理大臣を誘拐して国外逃走、
 超能力者相手に危なげなくドンパチやらかした主人公たちです。
 
 ここまで列挙すると全然正義の味方らしくないですね。
 実際本当に主人公のうち一人が「極悪非道のドラゴン」と、自分の事を称していたくらいです。
 ここまでメチャクチャで、最強なのに、この小説を(少なくとも私が)面白いと感じるのは、
 あくまで戦闘シーンがメインじゃないからです。
 確かにアクション過多な部分もありますが、それを軽やかに表現して、サクサク終わらせる、
 下っ端を下っ端らしく表現していることだと思います。
 黒幕は巨大で、全く手の届くところにいません。
 一巻一巻、中ボス(らしき者)はいるのですが、それだけです。
 
 下っ端と立ちまわって、自分達のルーツを探って、あくまでバトルをメインに持ってこないこと。

 後、主人公の性格、というのも関係しているでしょう。
 少なくとも彼らは完璧人間ではありません。
 長男は若くして、職場をクビになり無職。三男は血の気が多くて多飯ぐらい、
 弟にお金を借りるだらし無い人。二男は毒舌家で、末っ子はどこかピントがずれています。
 つまり何の欠点もないお兄様型ではないのです。

 自分で打ってて意味わからなくなってきたので、別の例を使ってみましょう。

 小説を書く上で、私も時々最強主人公を使います。
 その中の一人、ある娘なのですが、戦闘面においてはほぼ最強です。
 例外的に彼女より強いキャラは存在しますが…決して敵キャラではありません。
 この設定では、彼女の戦闘技術における成長を書いて行くのは難しいです。
 では、どうするか。

 彼女に短所――マイナス面をもたします。現在の設定では、その力(この辺は血筋と言うか、
 隔世遺伝に近い力だったので)故に周囲の人間から、疎まれ、妬まれ、恐れられて育ったため、
 愛情と言う物がわからず、それを向けられどう対応していいのか分からない。
 あまりの扱いのひどさに、無表情になった。自分のその力を厭うている、等、
 (感情移入しづらい設定ではありますが)人として不完全なものに仕上げています。
 また、戦闘面で最強設定なので自然とアクションシーンは入ってきますが、
 話の主軸は彼女の心の成長と移り変わりです。
 
 このようにすれば、書きにくさについては改善されるでしょう
 。面白くなるかは書き手の力量次第ですが……。
(少なくとも私はそれほど巧くないので、精進するために書いてる様な状態ですが)

 不必要に長々と書きましたが、まとめてしまえば、

 「最強でも構わないが、人間として不完全である事」
 「その優れた能力とはまた別の所に話の軸を持ってくること」

 この二つが大切なのではないでしょうか。

(本当に長々とすいませんでしたぁっ!!)


サシスさんからの意見 2013/12/10
 どうも初めまして。サシスと申します。早速ですが最強無敵主人公はつまらないという意見についてですが、私が思うにその最強主人公が登場する作品の傾向として、その主人公を褒め称えて賛美だけするしかないからだと思います。

 更に主人公を立てるために、敵対人物が無能化したり愚劣な俗物にされたりと、明らかに主人公のかませ犬や引き立て役にされたりします。ただ、主人公の天才さを宣伝するために、登場させたのかと思えてきます。

 他人を見下して持ち上げる主人公なんて、全然応援したくありません。「主人公は優遇して、気に入らないキャラはやっつける、それ以外のキャラは主人公に都合の良い駒にする」という作者の私情が見え見えすぎるストーリーは、描いてる本人は楽しいかもしれませんが、読者的には全く好感も沸かず、嫌悪感すら感じます。

 話が変わりますが作中で最強主人公が周囲から嫌悪されるという、珍しい作品もあります。中島望の『十四歳、ルシフェル』(2001年10月刊行)では暴走族の同級生に殺された、ひ弱な14歳の中学生、源正義が数奇な運命から超テクノロジーで作られた無敵のサイボーグとして復活し、彼は文字通り最強無敵でマッハで走れるスピードに、巨大な岩石を叩き割るパワーに、銃で撃たれても素手で掴み取って投げ返したり、一瞬で相手の身体から心臓を抜き取る荒業を持っています。
 サイボーグとして復活した、彼は自分を殺した暴走族のメンバーや、生前に両想いであった少女に害を成そうとする暴力団の面々を圧倒的パワーで皆殺しにします。ところが彼は段々と暴走を始め、暴走族に無罪になるように擁護した弁護士の家族や、たまたま目についた少年犯罪者でも容赦ない殺戮を繰り返すようになりました。当然、彼をサイボーグに改造した研究者たちから非難されますが、彼は正義を執行したまでだと開き直り、研究者からは急激に最強の力を身に着けた故に、狂い始めたのだと指摘されます。

 この作品を見て思ったことですが、例え世界最強クラスの力を持とうとも、自分本位な奴は決して誰からも好かれないのだと思います。長々と語りましたがこれで失礼します。

バイツァ・ダストさんからの意見 2014/01/29
 「最強主人公の是非」というのは難しい議題です。何故なら、最強主人公を扱うことによる難点を解決しないまま売れている作品も多いからです。恐らくそれらの作品は、その他の要素によって売れているのでしょうが、この議題においてはそれには敢えて触れず、僕の主観での「基本的に批判されない最強主人公」と「一般的に批判の対象となりやすい最強主人公」との違いだけを説明していきたいと思います。

 まず前者、ネットで人気が高い最強主人公の代表格は、「ヘルシング」のアーカード、「ジョジョの奇妙な冒険」の空条承太郎などでしょう。
 一方後者、よくネットで批判を見かけるのが「とある魔術の禁書目録」の上条当麻や、「ソードアート・オンライン」のキリトです。禁書とSAO、どちらの作品も売れていますから、客層に受ける作品であることは間違いないのですが、では何故一部の人の反感を買うのでしょうか。

 突き詰めていくと、「ずるい」と思われるキャラか、「コイツならしょうがねぇや」と思われるキャラなのかの違いであると、僕は思います。

 これら二種類の最強キャラの一番の違いは、外見や普段のふるまい方です。明らかにラスボスな風貌と禍々しい雰囲気のアーカードや、日本人離れした(実際半分外国人の血ですが)体格で、常に堂々と立ち振る舞う承太郎は、明らかに強そうなオーラを醸し出しています。これらと比べ、普通のやせ体型、或いはもやしの上条当麻やキリトが、外見的に強くなさそうに見えるのは必然的です。

 ここで反論が入ります。そもそも創作というのは、「本来弱い相手」が「本来強い相手」を倒すギャップを見て楽しむ物なのではないか、と。
 大男が少女を倒す話など誰も見たくない。少女が大男を倒す話が面白いのだ――これは昔からの物語の鉄則です。そして実際その通りです。
 では、何がいけないのでしょう。

 恐らく、禁書やSAOを批判する人々は「あまりにもギャップが開き過ぎて説得力がない」と考える人たちなのではないでしょうか。売れている作品ですらこの理由で批判されているのですから、初心者が最強キャラを作ろうとしたらさらに酷いことになるのは目に見えています。

 実は冷静に考えると、アーカードや承太郎のやっていることは、上条当麻やキリトと何ら変わらないのです。確かに上条当麻は右手だけでどんな最強の敵も倒せます。キリトは一万人に一人の最強スキルを保有しています。しかしそれで言えば、世界最強の吸血鬼であるアーカードは文字通り不老不死の存在です。かたや承太郎は世界最強のスタンド「スタープラチナ」を持ち、ラッシュを叩き込んで倒せない相手はいません。むしろ彼らの方が強いでしょう。
 ですから問題は「説得力」なのです。

 それともう一つ……完全に話が変わりますが。仮に「外見通り」の最強キャラを書く場合、気を付けておくべき物がありますので一応アドバイス。それは、その活躍の前に溜めを作り、その強さと、存在の必然性を強調することです。

 アーカードがしょっぱな無双することはありません。必ずその前に一度、物凄い銃弾の嵐によってズタズタに引き裂かれ、ただの肉塊になってしまいます。そしてその状態から能力で再生し、カッチョいい台詞を吐きながら周りの雑魚敵らを容赦なく瞬殺していくわけです。
 また、実に大胆なことに、彼は5巻の中盤に敵の作戦で足止めを食らい、2巻半もの間一切登場しませんでした(主人公にも拘わらず、です)。その間主人公勢力はひたすら劣勢。ですから8巻の冒頭で彼が再登場した時、読者は皆心の底から安堵すると同時に、アーカードの大切さを再認識しました。

 或いは承太郎にしても、実はいざジョジョを読んでみると、戦いの初めから承太郎が戦っていることが少ないことに気づくでしょう。大体ポルナレフあたりが敵の存在に最初に気づき、承太郎に伝えようとするが、承太郎は何らかの理由でいなかったり、今動けなかったりする。皆が追い詰められ、もう駄目だ、と思った瞬間、束縛を解かれ颯爽と現れる承太郎。そしてオラオラッシュを叩きこまれ容赦なく粉砕される敵。
 この爽快感が、彼の人気の根底にあります。(似たような展開で、ドラゴンボールの名シーンとして、「仲間の救援に駆けつける悟空」がよく挙げられますよね。同じことです。)

 ヒーローは遅れて登場する、という有名な言葉があります。最近の創作物における主人公の多くは、本来の「ヒーロー」、即ち「必ず敵に勝利する正義の味方」ではなくなってきています。葛藤したり、負けたりします。最強では無い以上、最初からその場にいても問題はありません。しかし最強キャラは、定義を見れば分かる通り、本来の昔の意味での「ヒーロー」なのです(アーカードは決して正義の味方ではないですが……)。よって、登場の前に「早く来てくれ○○、お前がいないとどうにもならないんだ!!」という間を作り、そこから「お前ならやってくれると信じていたよ!! ありがとう!!」と読者が叫びたくなるような爽快な展開に持っていくと、非常に素晴らしい流れが完成するわけです。

 無意味に長くなってしまいました。すいません。では、また……

兵藤晴佳さんからの意見 2014/01/31
 はじめまして。兵藤と申します。

 私が思うに、最強無敵は表現の目的ではなく、手段にすぎません。
 主人公の最強無敵によって描かれるものが肝心なのです。

 最強無敵の主人公が闘う相手は、同じくらい強い巨悪でなければなりません。描かれるのは、主人公の正義なのです。

 相手が格下ばかりならば、たとえば次のようなものが描かれるべきでしょう。

1、歪んだ性癖。(例)弱いものいじめが大好きなダークシュナイダー。
2、作者の美学。(例)最強無敵能力を使いたがらない超人ロック。
3、凡人の喜怒哀楽。(例)播磨灘に挑んで敗れる力士。

 読者が見たいのは、主人公の勝利ではありません。勝利によって起こる出来事なのです。

jkiTさんからの意見 2014/05/09
 基本的にバトル漫画の主人公は最強が多いです。勝った回数が多くいからですね。無敵の主人公は少ないですが。
 みんなから嫌われる最強は、「虫けらを踏み潰すような最強」ですね。他の人がおっしゃるように駆け引きが少なく面白く無いからです。弱い者いじめにも見えます。
 おそらく人気な最強主人公は「強大な敵を策略を練って倒す、絶望的な状況を打破して勝つ最強」でしょう。
 ジョジョやキン肉マンなどには、自分より強いはずの敵を頭を使って倒すというものがあります。カーズや悪魔将軍などはジョセフやキン肉マンより圧倒的に強い敵の一人です。
 そんな化け物を色々作戦を考えて倒す。意外性の高い戦いはとても面白いですし、主人公は明らかに苦労してます。
 どんなに相手のほうが強大だろうが最終的には主人公が勝てばその主人公は最強といえるでしょう。

 それとひとつ、最強物に限らないのですが、バトル作品では主人公がありきたりにならないように注意しましょう。
 悪魔や死神の力が使えるだの、邪眼があるだのはもうマンネリで、そんな古くから使いまわされた主人公は面白くも何ともありません。
 その主人公しか持ってないような個性を与えましょう。

 後、人気の主人公は最強以外にとりえがないわけではありません。
 もともとギャグ漫画だったからか、キン肉マンはとてもコミカルで面白いキャラです。
 ジョジョのキャラも独特の台詞を放ち個性が際立っています。
 本当に人気のある主人公は日常生活などのギャグシーンや、ラブロマンス、味方の戦いを見守るシーンなど、バトルシーン以外でも魅力的に活躍できます。
 ラノベでも漫画でも、面白い作品はバトルシーン以外でも面白いです。

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