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麻さんからの質問 2009年11月
 あらゆる痛みのない誰もが幸せな世界
 
 こんな時間にこんばんは、麻と申します。
 久しぶりに中々本格的なファンタジー設定が頭の中に降ってきたので、練り回してる最中でございます。
 今回皆さんにお聞きしたいのは、題名の通り「あらゆる痛みのない、誰もが幸せな世界」についてです。

 もし、神様があなたに「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、
 等しく幸福になれる、永遠に約束された安寧の世界」が、
 あなたの選択如何で実現できると言われたら、どう答えますか?

 物語の終盤でこう問われた主人公は、そんな世界はいらないと答えます。
 例えば、ピカピカに磨かれた窓ガラスを見たら、「きれいだ」と思うでしょう。
 でもそれは、以前に指紋や泥がべたべた付いた「きたない」窓ガラスを見たことがあるからです。
 生まれてからずっとピカピカの窓ガラスしか見たことがない人にとって、
 磨き上げられたそれは「きれい」であると同時に「きたない」のです。
 誰もが幸せになれる世界なんて本当にあるのなら、確かに素晴らしいかもしれない。
 でもそれはきっと、誰もが不幸であるのと同義です。
 人は不完全だからこそ、完全を求めて前へ向かって生きていける。
 永遠に約束された安寧など、生きながらにして死するのと同じだと思います。
 だから自分は、不完全で理不尽な世界で、苦しみ傷付きながらでも良いから、
 自分の足で自分の「幸せ」を実現させてみせる。

 ・・・というのが、そのキャラ(つーか私)が出した結論なわけなのですが。うーんなんという理想論。
 超絶長くなりそうだったのではしょったらえらい跳躍してますね^^
 皆さんはどう思われるでしょうか?
 一応これが私の意見ですが、何分まだまだ人生経験の薄い小娘なもんで、
 他の方の考えも参考にしたくて。

 なにが正解か、とかはきっと人それぞれだと思うので、
 見識を広げるという意味でも、様々なご意見お待ちしております。

 ・・・・あ、もちろん、「なんだこのメチャクチャで意味不明な青臭い理論は!」
 というツッコミもお待ちしております。


●答え●

招き狐さんからの意見

 ……「なんだこのメチャクチャで意味不明な青臭い理(想)論は!」
 失礼、挨拶が思い浮かばなかったのでツッコミからはじめてみました。でも結局挨拶をする狐です。
 というわけでこんばんは。招き狐です。眠いのになんで起きてるんだろう……。

 えっと……「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、等しく幸福になれる、
 永遠に約束された安寧の世界」という世界が僕の選択次第で手に入る?
 即効YESですよそんなの。元手は神様がやってくれるから考える必要ないのでしょうし、
 それが呆れるほど矛盾した世界でも、「そう成る」というごっどぱぅわーがあれば問題なし!

 たとえば。

 あるところに、危険な嗜虐嗜好を持つ人間が居ましたとさ。
 もちろんそいつはどうしようもない人種なのですが、
 ある日突然「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、
 等しく幸福になれる、永遠に約束された安寧の世界」がプレゼントされます。
 
 すると、危険な嗜虐嗜好のある人は「ワタクシ、とある爬虫類をぶん殴りたいのですわ、すわすわ」
 とか言ったらサア大変。ちなみにこの人に言う爬虫類は人です。
 対象の人間はごっとぱぅわーのせいで殴られますが、同時にごっとぱぅわーの力で殴られません。
 ごっとぱぅわーは相殺されてしまいます。ですが、それでは嗜虐嗜好の望みは叶いません。
 あとは数行戻って繰り返し。
 
 これではいけないと、ごっとぱぅわーで人間の姿をした生命体を作りますが、
 そいつも「生物」として平和に生きることを「望み」ます。やっぱりこれも駄目。
 すると、殴られることに至上の喜びを感じる某砂○さんがその役目に当てはまります。
 「ああ! もっと……!」と彼はとても喜んでしまいます。
 これで神様は一安心、と思いきや「この人、あの爬虫類ではありませんよ。
 ワタクシ、彼じゃないと駄目なのです。ぞっこんらぶですわ、ぞわぞわ」と駄々をこねられます。
 そらま、特定の人間に興味を持つのは仕方のないことなので、これも仕方の無いことです。

 人形を殴らせてみたり、意識体でぶん殴らせたりするも、本物が良いといわれればどうしようもない。
 それが○江さんの望みですから。

 まあ何が言いたいのかといえば、

 万人の望みは、同時には叶わないものです。

 誰かの望みが叶うことは、すなわち同じことを望む人を蹴り落とすこと。
 受験でも、恋愛でも、会社でも。我が家では晩飯のおかずすらその対象です。
 もしその連鎖から抜け出せるとすれば、それは死以外ではありえません。

 ですが、神は思いついてしまうのです。
 「おー。一番望みのうるさいニンゲンは、記憶を消してしまえばいいんじゃない?」
 とゆーわけで脳ミソ全部リセット!
 これで何がしたかったのかもサッパリクリア!
 おめでとう神様! おめでとう俺たち! 
 ビバ「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、等しく幸福になれる、
 永遠に約束された安寧の世界」!

 と。僕のアンチ設定神様ががなり立てた結末です。僕は神様が嫌いです。
 肝心なときに助けてくれないので。
 で、「まぁなんという結末でしょう。おお、恐ろしい……」と僕は思います。
 でもそんな心配はそれこそ無用。
 心配しないように、きっと神様は人間を作り変えてくれるでしょうから……。


 と、まぁ。
 こんなカンジで、人類、という形は滅亡するだろうけど、
 一個の人間として幸福を感じるのなら、それでもいんじゃないですかね。
 それでこそ神。それでこそ人間。自らの理想へひたすら後ろ向きに前進する、これこそ生命でしょう。

 なんだか設定崩壊させそうなこの話ですが、物語の主人公さんはこの道を選んでないようで。
 よかったよかった。
 ではこれにて。


ひなげしさんからの意見

 こんにちは、では早速。

 こういう世界の選択を扱った作品はいくつかありますね。
 エヴァンゲリオンの人類保管計画や漫画夢使いなどの中にもあるような、
 いわゆる同化エンドがその究極系でしょうか。

 青臭い理想論じたいは悪いものではありません。そういう熱血な展開が好きな人だって一杯います。
 今回の理想論についても突っ込みどころはあります。
 たとえば、主人公は否定したが今現在不幸に生きているものにははっきりとした救いになる、とか、
 そもそもそんなことを主人公の独断で決めようなんて傲慢だ、とか。
 
 でも、じゃあここで主人公がその世界を肯定すれば突っ込みどころはなくなるのか、
 と言えばそんなことはありません。
 そもそもの選択肢が想像上のものでしかない以上、かならず反対の意見は出てくるでしょう。
 全てが満たされればあとは衰退していくだけだ、とか。
 主人公一人で勝手に決めんな、というのは共通の突っ込みになりえますしね。

 結局は麻さんの言うとおり、人それぞれ。
 ですので、大事なのはその結論にいたるまでの過程のほうだと思います。
 物語の中で、読者を主人公に共感させ、
 結論に至るまでの心の動きを追わせるような努力をしていくのが最善です。
 この主人公がだした結論なら、納得はできなくても許容は出来る、
 と思わせることが出来れば大成功といえるでしょう。

 だから、この理論をどう思うか、については、確かに青くさい理想論だけれど、
 それ自体はどうでもいい、ですね。

 ではでは。


伊吹沙羅さんからの意見

 こんにちは、伊吹沙羅です。

> もし、神様があなたに「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、等しく幸福になれる、永遠に約束された安寧の世界」が、あなたの選択如何で実現できると言われたら、どう答えますか?

 個人的にはNoです。
 このような世界が要る、要らない以前に、そもそもこのような世界が創れるのでしょうか?

・「世界中の誰もが望みを叶えられ」
 例えば、AさんがBさんを憎んでいたとしましょう。
 Aさんは、Bさんに死んでほしい。
 Bさんは、生きたい。
 このような場合、同時に二人の願いを叶える事は出来ません。


・「飢えず傷つかず満たされ」
 選択次第で不可能ではないものだとは思います。
 ですが、それを実現するのは難しいと思います。


・「等しく幸福になれる」
 そもそも幸福とはなんでしょうか?
 等しい幸福とは、なんでしょうか?
 それがわかっていないと、不可能です。


・「永遠に約束された安寧の世界」
 永遠は難しいです。
 選択次第で不可能でもない内容かもしれませんが。
 確率はいたって低いでしょう。


 私からすれば、そういう世界を創ることさえ不可能ではないかと思います。
 なにせ、世界を創造することは、いわば「神をも畏れぬ行為」なのです。
(以前、哲学の本で読みました)
 そして、主人公は人間ですよね。
 しかし、人間とは知恵の浅いものです。
 勿論、サルやその他の動物よりは知恵が発達していますが、
 今のこの社会を見ていて、人間に完璧な知恵が身についてるとは思えますか?
 そして、その人間が、最初に書いてあるような世界を創造できるでしょうか?

 ですから、作中で、一度こういう世界が実現してしまうシーンがあるのであれば、
 麻さんは考えをより深めなければならないと思います。
 麻さん自身が神となって、最初に書いてあるような世界を創造するよう、
 作中の世界を操らなければならないのですから。
 勿論、そんなシーンは必要ないかもしれませんが、

 どちらにせよ、良作に仕上げるには、
 理想論とともに現実論も多少は持ち合わせていないと、難しいのではないのでしょうか。



 ちなみに、麻さんの理想論は、確かに青臭い理論かもしれませんが、私はその青臭い理論に賛成です。

 だらだらと長い文を書いてしまいましたが、
 要は、この題材だとかなり考えを深めなければならないと思う、ということです。
 もちろん、これらは私論ですが、気分を害される方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。


 参考として、ダ・カーポをおすすめします。
 ダ・カーポは、ノベルゲームが原作らしいです。
 私はアニメ版しか見ていないのですが、アニメ版ダ・カーポの二期に、
 麻さんが作ろうとしている作品と似ているところがあります。

 私も一応小娘なのに、読み返してみると、かなり上から目線って感じでしたね。
 申し訳ございません。
 長文、失礼しました。


上倉コウさんからの意見
 横から失礼いたします。上倉です。

 第一期の「D.C.」はほとんど原作と同じ内容です。ただしクライマックス辺りは原作と少し違います。
 
 で、肝心の第二期「D.C.S.S.」はアニメオリジナルのストーリーです。
 世界観や舞台は原作と同じですが、ストーリーは始めから終わりまで全てです。
 一応、第二期の間接的な続編に当たる「D.C.U.P.C(18禁ノベルゲーム)」がありますが。
 第二期アニメ後の、第二期アニメオリジナルのヒロインを攻略できるという……。
 「D.C.U」はPS2版もありますので、年齢制限等に引っかかるのであればこちらでもいかと。
(ただし上記の理由から第二期アニメのネタバレになるので、
 プレイするなら第一期第二期を全部見てからやったほうがいいです)
 ちなみにアニメは第一期第二期共に26話(2クール)です。


 それと最後に一言。
 正直、これから発言する内容は伊吹沙羅さんにもの凄いケチをつけるような発言になります。
 ですが、某大手レビューサイト等で下記のような批評が出ているのも事実なので、
 それを知らずに参考にするのは(伊吹沙羅さんとしても麻さんとしても)
 創作者としてマズイのではないかと思いますので。
 ではいきます。↓



 D.C.シリーズはアニメ化したほどの人気の作品なのですが、
 この作品がそうなった理由は「キャラクター」であって「世界観」や「(舞台)設定」ではないんですよ。

 あと高評価なのはOP・EDテーマくらい。
 それどころか、D.C.シリーズは「ご都合主義」ということで評価が芳しくないです。
 (特に「D.C.U」は)ほぼ全てのヒロインのルートでの展開や、その後日談に
 「いや、ちょっと待てよ」なご都合主義が使われています。無論、メインヒロインのルートにも、です。
 でもキャラクター(ヒロイン)が「魅力的(萌える)」要は
 「人間くさい(掘り下げられた)キャラクター」としてずば抜けていたから人気が出たわけでして。
 
 ですから「キャラクター」の参考にはなるかと思いますが、
 それ以外を参考にするのは正直どうかなあ、と。
 今回伊吹沙羅さんがD.C.をお勧めするのは「世界観」の部分をですよね?
 ストーリーがご都合主義になったのも、
 開発スタッフがあの理想すぎる世界観に追いつけなかったせいなんじゃないかとも思いますし。
 ハッピーエンドにこだわって、無理やり「理想論」を詰め込んだ結果かと(これは私の自論)


 横槍で余計なお節介の上、いちゃもんをつけてしまい誠に申し訳ありませんでした。
 D.C.には思いいれがあるので、正直黙っていられなかった次第です。(言い訳ですが)
 気に障ったのであれば流してください。


このえさんからの意見

「この世界に溢れかえる怨嗟と果てしない苦しみを少しでも除くことができたのなら、
 なぜ今の今までそれをしようとしなかった。このサディストが。
 そもそも幸せだとか不幸だとか、そんな物差しで世界をはかろうとする姿勢が気にくわない。
 飢えや傷や涙を切り捨てて、私が美しいと信じる世界の均衡を否定するようなお前の物差しなんて、
 今すぐここで叩き壊してやる。それは必死で生きた生命への許されない侮辱だ。
 あなたへ捧げられてきた切なく尊く美しい祈りへ唾を吐き捨てる問いかけだ。
 何より恐ろしいのは、お前にお前の理想を実現するだけの力が宿っていることだ。
 その危険な思想ごとこの場で切り伏せてやる」

 ……とまぁ、そんな青臭さはともかく。


 導き出した結論が読者に納得してもらえるか?
 というのは、ひとえにキャラクターの魅力にかかっています。


 キャラクターの信念や考え方が、読者にとって好意的、
 あるいは魅力的であれば、キャラクターの選択もまた肯定的に受け取られるでしょう。
 言っていること自体の正しさよりも「この人ならこう言うだろうな」と読者に思わせられる、
 筆の進め方が大事だと思います。

 前向きで芯の強い主人公、がんばって書き進めてください。


実央さんからの意見
 ……難しいですね。
 他の方もおっしゃられていましたが、
 自己中な私にとっての幸せがほかの方にも幸せなわけないですからね。
 何よりそのような重いものを問いかけられると、プレッシャーで押しつぶされそうです(苦笑)。

 というわけで私だったらその問いに
 「私には答えられないからもっとふさわしい方に訊いて」と答えるかと思います(笑)。

 と、ふと思ったのですが、この問いは主人公のみに問われるものなのでしょうか?
 もし敵役が、自分の仲間が、また見知らぬ誰かが同じ問いを受けたらなんと返すのか。
 それを入れてみるのも面白いんじゃないでしょうか?

 ちなみに青臭い理論は理想論として大事にもっておいたらいいと思いますよ。
 あたしも心に留めておきます。


agapeさんからの意見

 初めまして。普段は、99%読んでいるだけのagapeと申します。
 今回、質問の内容が興味深かったので、回答させていただこうと思います。

 さて、本題に入らせて頂きますが、私だったら、Yesです。
 誰もが幸せに暮らせる世界。……欲しい。欲しい。欲しいetc。
 すいません。少し自重します。

 麻さんの理論ですが、個人的に大好きですし、素敵だと思いますし、
 小説内ではこれが一番適切な答えではないかと思います。
 ただ、現実問題として、自ら幸せを捨てるのか? とも、思いました。

 神様の力の程も分からないので、少し答えがずれるかもしれませんが、ご容赦ください。
 例えば麻さんは、汚い物があるから美しいと感じるとおっしゃられてます。
 しかし、誰もが望みを叶えられる=汚い物を望めば得られる。と言うことになるかと思われます。
 不幸が欲しければ不幸を欲する。そう言うことになるのではないでしょうか? 

 さて、質問の内容が神様云々なのでややこしいように感じます。
 ここを、幸せ→お金。不幸→貧乏。に変えて考えてみればどうでしょうか?
 主人公は、極貧の環境で過ごし、けれどそのために、掛け替えのない友達を手に入れた。
 ある時、お前ら(友達含む)に好きなだけ金を与えよう。そう言った方がいるとします。
 ここでの主人公の状況は、麻さんの状況に類似していると思いますが、どうでしょうか?
 ここで主人公は、この幸せは、不幸だから手に入った。
 お金が手に入れば、一つのパンに幸福を感じることもない。だから、金なんていらない。
 こう答えるとします。しかし人間が、そこまで欲を持たずにいられるか? と、私は思ってしまいます。
 私が捻くれてるからかもしれませんが(汗)

 とはいえ、小説で、幸せな世界にしてくれ。
 なんて言うのは、物語が破綻しかねませんし、やはり、麻さんの選択というか、答えが一番だと思います。

 ここまで、若輩者の戯れ言にお付き合い頂きありがとうございました。
 執筆頑張って下さい。
 ではでは。


沖忠さんからの意見

 こんにちは、沖忠です。

 沖忠も前に似たような世界があったらどうなるかを考えたことがあります。

 それで、人間は究極的に幸せな環境って何だろうな、と思ったら、
 結論は欲望そのままに生きる世界という結論に達しました。

 食欲、睡眠欲、性欲etc……人間のあらゆる欲望が何の拘束もなく実行できる、
 逆に与えられる世界があると、人間は幸せだなと思いました。

 しかし、その世界に住んでいる人間は人間ではないでしょう。理性が無くなり、本能のままに生きる。
 果たして、それは人間から見て幸せなこと何だろうか?

 もしも、そんな世界をくれるって言ったって、沖忠は怖くて「NO」と言うでしょうね。

 欲望こそが最大の望み。というのが、沖忠の意見です。
 そう言った意味では麻さんの言う世界にも当てはまると思います。少しでも参考になれば、幸いです。

 それでは。


トーストさんからの意見

 『あらゆる痛みのない、誰もが幸せの世界』ですか僕の個人的な、
 思想的な意見としては言い換えて見れば『全ての苦しみから逃れられる世界』ってことですかね。
 人は生きる過程で必ず様々な喜び、悲しみを感じて生きていきます。
 人は喜びという癒しがあって初めて悲しみという痛みを感じ取れます。
 
 逆もまたしかりです。
 痛みの無い世界はつまり、
 『人をやめたヒトの世界』まぁ意味がわかりませんねすいません。
 ここまででわかるのは
 つまりこの世界では幸せが感じ取れません。
 なぜなら不幸という反対の対象がないから。
 ヒトはそれが幸せだとわかりません。
 『光があれば影がある』
 光がなければ影もない。
 ってことですかね。
 駄文・長文失礼。


上倉コウさんからの意見

 こんばんわ? でしょうか。上倉です。今度は回答者として書き込ませていただきます。
 
 「くだらない理想論なんてほざくな、クソッタレ!!」ですね。
 と言うのも神だろうとなんだろうと、そんなことするということは
 「人間をこの世から抹殺する」のと同義です。極論ですがね。
 
 だってそんな世界だったら人間は存在できないじゃないですか。
 人間は汚らわしい事が本分なんですから。
 
 自暴自棄気味な考えですが、結局人間は自己中心的な生き物なんですよ。
 例を挙げれば「正義」だって、裏を返せば「【他者を助けたい】という自分の欲求を満たす」事です。
 命を救っただけで「ああよかった」と満足して終わり。まだその先があるのにね。

 確かに麻さんの仰っている事は理想論ですね、それも究極の。
 ギャルゲーの「夜明け前より瑠璃色な」でも最後に主人公とメインヒロインが
 「究極の理想論」をほざいていましたが、それに対しても「クソッタレ!」という感想が出ました。
 
 ぶっちゃけた話、私は昔の経験からも「現実」に目が行くタイプなので、
 「理想論」を堂々とくっちゃべる人間は嫌いです。
 いえ、念のため言っておきますが、全ての嫌いなわけではないですよ? 
 ただ単に「社会という【現実】を知らない奴が語る理想論」が嫌いなだけです。
 
 麻さんは自分の言っていることが相当の理想論だと言うことが解ってらっしゃるようなのでOKですが、
 創作では結構そうじゃないやつがいるんですよね。
 もしくは「【現実】という壁があるのは解っちゃいるけどそれを舐めている」なタイプか。

 でもまあ、若いのであればとりあえずはほざいておいた方がいいのかもしれませんね、理想論は。
 社会人になって4、50歳にもなればそんなものが夢物語だってのを、
 いやと言うほど刻み込まれているでしょうし。(ネガティブにするような書き込みで申し訳ない)

 まあ要は「理想論をほざくなら、その理想論の壁になる全ての【現実】への対処法も考えろ。
 ネバーランドを語るのはその後だ」と。最後キザッぼいな……。

 「青い」は「青い」なりに行動があるのでは? 21歳大学生青二才の発言でした。それでは。


ドラキーさんからの意見

 こんばんは。

 いらない。そう答えます。面白くない世界になる、と思います。
 今、私はテスト勉強をしていますが、正直面倒くさい。
 ですが、それを乗り越えた後のゲームは面白い。

 また意味不明のこと書いた。気にしないでください。


れんちるーとさんからの意見

 こんばんはです。

 その「神の提案」自体がうさん臭い……と思ってしまう俗人であります。
 許されるならそんな怪しいコトを言う神とやらを質問攻めにしたいところです。

 理由は先の皆様がそれぞれ突っ込まれているのと同じように
 「幸せのカタチは人それぞれ違うのだから、
 他者の力で主観的&客観的に等しく『幸せ』を作り出すことは不可能」
 としておきます。
 それを踏まえた上で理想の実現を目指すのもステキなことだと思います。

 ただその提案を聞かされる前にものっすごい苦しみを体験していたら、
 タイミングによっては目先の欲望のままイエスと答えてしまいそうですね?


 ご質問の主旨に沿えているか少々不安ですが、参考になれば幸いです。


ジャンクションさんからの意見

 どうもジャンクションと申します。

 面白い内容だったので書き込みを……
 でも正直この内容とはまったく関係ない書き込みになるので失礼します。
 不愉快に感じた場合はご容赦ください。

 えーまず私はその質問の返答より、まずこう質問をするでしょう。
 「あなたは自分が持ち上げることのできない大岩をつくれますか?」
 有名な全能の逆説の一つです。
 屁理屈なように思えますが、世界を上記のようにできるならわけないだろうと私ならふっかけます。
 私は無神論者とまではいかなくとも、神様はそう簡単に願いを叶えてしまっていいのか?
 と思ってしまうのです。
 それに私は神様が仮にそれができたとしても、きっとNOと答えるでしょう。

 想像だと偉そうなすらすら言えちゃいますね。

 要するに私は天邪鬼なようです。


 ……ほとんど質問と関係ない内容となってしまいました。
 本当に申し訳ございません。

 このような意見ですが10000分の1でも参考になったら幸いです。
 駄文乱文ですが失礼します。


世羅 悠一郎さんからの意見

 世羅 悠一郎です。
 そういえば、最近はとみに、こうした「世界を変える」系のテーマを掲げる物が多いように感じます。
 主人公側にしろ、敵役にしろ。
 流行なんでしょうかね。

 さて、回答ですが。
 「そんなものは有り得ない。あるのならば、何故始めからそうしなかった?」ですね。
 その後、納得の行く回答が無ければ無視します。
 無視が出来ないならば神を糾弾します。
 或いは、神である事を疑います。

 ヒトは、綺麗な部分も汚い部分も持っています。
 そして、綺麗なものばかりを望むヒトだけがいるとは限りません。
 例え神が可能であっても、ヒトはそう出来るように出来ていないのです。
 綺麗なものだけで過ごせるように出来ていないのです。
 別にそれっぽいセカイ系の思考過程は必要ありません。
 あらゆる方向で無理なのです。

 科学的にいえば、心地よい感覚も刺激……痛みです。
 安寧とは、どうやって得られるものでしょうか?
 哲学的ですね。

 ……と、語り癖が出来ているのはいけませんね。
 そうですね、似ているようで違いますが、「ヨブ記」について調べてみると良いかもしれません。
 Wikipedia程度では無理ですけれど。
 ここでも、万能の神は糾弾されています。

 それでは。


結城 ゆうきさんからの意見

 私は肯定すると思います。
 理由は、窓がきれいか否かなんてどうでもいい。
 そういった環境で生きる、もしくは死んでいく人が自分の知らない所にいるからです。
 生まれてからずっと苦しい痛い思いをしてきて、そのまま死んでいく人間だっているんです。
 個人の感情だけで「そんなのは人間らしくない。何も面白くもない、つまらない」
 などと言ってしまうのはなあと。
 これは、生まれついての盲人をして「あの人は不幸だ」と指差すようなもんなのではないかなと。
 考えるわけです。

 盲人で思い出したけど、先天的に目の見えない人はどういう夢を見るのだろうか、と。
 私は目が見えるし、色や形を知っている。それがどんななのか、絶対に知ることができない。
 これはある意味で不幸なこと、と言えるかも知れません。

 では。


風月堂さんからの意見

 ひょんなことから万能の神の力(ただし人の心は変えらえない)を手に入れてしまうも、
 全人類の願望を相手にするのが面倒になってすべての願望にYesと答え、
 世界が混乱してしまうというシーンのある映画「ブルース・オールマイティ」を思い出しました。

 たしかに定まった正解はなく、自分の思うところを述べます。

 「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、
 等しく幸福になれる、永遠に約束された安寧の世界」が、
 人工的な管理ならば、(エヴァンゲリオンの人類補完計画は分かりませんが)
 確かに映画「1984」のように大変にグロテスクに感じます。

 そうではなく、人工的な管理でなく神の如く「全人類の幸福」を実現できるならば、
 加えて「同時に全員の望みは叶えられない」という矛盾が生じない何か
(憎悪を忘れさせ、その原因たる行為を無意識のうちに止めさせるといったような)
 があれば、印象が変わります。
 換言すれば、人工的・技術的な"人為的な管理"でなく、
 神がそれをやってくれるかそれに相当する能力があるならば、私の場合、結論はすぐに決まります。

 私なら「YES」と答えます。
 人間だれだって自分の不幸は引き受けたくないはずです。
 それでも「人間が生きるということは不幸を引き受けることなんだ」というのは、
 私から見れば偽善に思えてなりません。

 "フコウ"という"抽象的なコトバ"であるが故に
 「不幸を引き受ける」と言うことがとても格好よく聞こえるのです。
 しかし、これを「人間が生きるということは、病気怪我や悪口陰口などによる心身の苦痛、
 人間関係上の軋轢、失職や貧困などの生活上の苦難などの不幸を引き受けることなんだ」
 と具体的に言い換えれば、それでも「"フコウ"を引き受けることが生きるということだ」と言えるのか。

 あるいは、自分自身が、失職して野宿して周囲から煙たがられ、
 情報や心的な支援もなく望んでもない孤独になって、怪我や病気でも病院へ行くこともできず、
 なんら娯楽も得られない…… といったような状況に陥っても、
 「人間が生きるということは"フコウ"を引き受けることなんだ」と心の底から思えるのか。
 それができるなら、もはや聖人というべきでしょう。
 むろん人間とは面倒な生き物で、ある種の料理でスパイスがなければ味気なくなるように、
 一つの苦痛もないのではかえって満足できない生き物でもあります。
 しかし、さりとて、普通のサイズの料理にコショウ一瓶丸ごと入れるとスパイスが多すぎて、
 味がきつくなるのと同様に、(上記のような)有り余る不幸はやはり不幸でしかないと私は思います。

 私は欲深い人間なので、物的な充足はもちろん、
 人間関係などの心的な充足も欲しいし他人に嫌われたくもないです。
 また、物事の関心が主として形而下にあるので、私は個人的に、
 不幸=不完全というよりは不幸=心身の苦痛という見方を重視してしまいます。
 そういうわけで私は現実的な不幸を真っ先に考えてしまい、
 それゆえ「心身の苦痛を引き受けることが人生だ」と言うことは偽善に思えてなりません。

 多少の不幸は人生のスパイスになるとはいえ、
 誰にとっても有り余る不幸はやはり不幸でしかないと思います。
 "最大多数の最大幸福"ではありませんが、人類の誰もが幸せならば、
 それは大変に幸福なことだと思います。
 「誰もが幸せならそれは最大の最高の幸福」だと言ってしまうのも、
 確かに少々の引っかかりを感じまうので、そこまではできません。
 ですが、人類にとってベストではないにせよ(少なくとも)
 最もベター(マシ)ではないかと私は思ってしまいます。


 以上が私の個人的な意見です。

 創作にあっては考えは自由であり、また見栄えのよさもありますから、
 そういうキャラクターでも、うまくやればサマになるのではないかと思います。
 テレビドラマや映画やアニメやマンガをみると、それは良くわかると思います。
 また、自分の信ずるところなれば気迫も出しやすいと思います。
 そういう意味では、このえさんの

>導き出した結論が読者に納得してもらえるか?
 というのは、ひとえにキャラクターの魅力にかかっています。

 
 という指摘は重要だと思います。


 また、理想論なんて非現実的だ、という言われ方がしばしばなされますが、
 人間誰しもが何らかの理想を持っています。
 理想を一つも持たない人間は、身近な他者の幸福も多くは望まず(人間には限界があるため)、
 利益のためなら仕事を選ばず、原則を曲げて妥協してでも利益を最大化し、
 人間関係も現実的利益でしか考えないような、非情な人間でしかないでしょう。
(事業や取引をするためには、他人からの信頼や共感や協力が必要なので)
 あるいは、どんなに理不尽で非道徳的であっても、
 「現実だから仕方ない」「必要悪だ」と肯定することでもあります。

 そうでありたくないというならば、換言すれば、
 「他者と絆を持ちつつ道徳的感情的理念を持たず仕事を選ばぬ現実主義でありたい」
 ということは、それこそ非現実的であり多分に理想的な願望であるように思えます。
 いろいろとしがらみを持ってしまい、どこかで道徳的な理想を夢見てしまう人間という生き物が、
 「一切のしがらみや道徳を否定してどこまでも現実的でありたい」
 と憧れるのは、それこそ「理想論」といえるでしょう。

 また、現実主義とて、理念通りにいかないから現実的手段を重視して、
 多少の悪を許容してでも「マシにしていくことを目指す」という考え方なのであって、
 「現状肯定主義」とは必ずしも「=」ではありません。
 夢を見ない、理想を持たない、一切の現状も必要悪として肯定する、
 それを心の底から本当にできる人間がどれほどいるのでしょうか。
 それが、なかなかできないからこそ「現実主義でありたい」と憧れるのではないでしょうか。
 「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉もあるように、
 人間は夢を見がちな生き物だと、個人的には思います。


 魅力的なキャラクターはもちろんですが、
 理想論を言っても「サマになる場面」というのもあるのではないかと思います。
 現実にも、政治などでも「キレイゴト」が使われることがあります。
 たとえば、国際政治的にも合意のあるユネスコ憲章前文では、
 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」
 という文言があります。これはたしかにキレイゴトですが、しかしキレイゴトたればこそ、
 文化財保存や教育文化活動など個々の活動の「究極的な動機」となるとなるのです。

 そういう、「キレイゴトがサマになる場面」というのはあるのです。
 現実的に言っても、キレイゴトは時に、人を束ね動かす道具になる……
 露骨にいえば「反対意見を出しにくくする道具」にさえなるのです。
 他の例として、戦争禁止を定めたパリ不戦条約と、宣戦布告の関係を挙げます。
 不戦条約締結において、各国は自衛戦争は保留し、
 政策としての積極的な開戦だけを否定するとしたものの、
 「戦争を禁止する」というキレイゴトには合意がなされ、発効しました。
 また、同条約は宣戦布告を国際法上の戦争の開始としたため、宣戦布告=侵略国家=悪い政府、
 という観念ができ、どの国も侵略国家といわれたくないがために、
 次第に事前の宣戦布告はなされなくなりました。

 「(究極的には)戦争の悲惨さなくそう」というキレイゴトが理念となっており、
 そこにキレイゴトとしての説得力があるからこそ、(裏の根回しはあるにしても)
 「表向きの」合意がしやすいのです。
 また、残虐な兵器を禁じるという国際人道法は、戦争にもルールが必要という現実論でもあり、
 戦争でもやってはいけないことがあって、
 最低限禁止しなければならないことがあるはずだという(部分的な)理想論でもあります。

 こういったように、現実を見ると、本音と建前というのは日本人に限った話ではなく、
 そこからもわかるように、必ずしもキレイゴトだから「現実では意味がない」とは限りません。


 そういったことから、場面を選べば、必ずしも理想論=非現実的で空虚で無価値とならないと思います。

 創作に即して言えば、魅力的なキャラクターと、サマになる場面づくりがあれば、
 キャラクターに理想論を語らせても絵になるのではないでしょうか。

 それでは長文失礼しました。


ひすいさんからの意見

 どうも、ひすいと申します。

 スレタイを見た時、まず思い浮かんだのは「幸せとはなにか?」という疑問でした。
 たとえば、人間は常に「自由」を求める生き物です。
 多くのひとは自由な世界で自由に暮らすことを望んでいます。
 しかしながら、ほんとうに完全なる自由、要するになにからも拘束・束縛されない、
 どんなことでも許される世界があった場合、それはほんとうに多くのひとが望む「自由」と同じでしょうか?

 善行ばかりか、悪行ですらいくらでも許される世界。
 そんな世界をひとびとは望んでいるわけではありません。
 だからこそひとびとは法などというものを制定し、自らの行動を束縛している。
 「自由は束縛から生まれる」という言葉。
 一見矛盾のようにも見えますが、実際に現在の世界を形成している「自由」、
 つまり、人々の言う「自由」とは、この言葉のとおり、
 束縛・制限された世界のなかでの「自由」であるのです。

 では、「幸せ」とはなんなのでしょう?
 多くのひとびと。思想や信条などもさまざまです。全員が善行を好んでいるわけではありません。
 それら全てが叶うのならば、おそらくその世界は一切の束縛を排除した自由な世界同様、
 無秩序で荒廃した世界になってしまうでしょう。それがほんとうに「幸せ」と呼べるのでしょうか?

 で、なにが言いたいかって言うと、
 「そんな理想論をこねる前に、もっと考えるべきことがあるんじゃないか」と。
 これは麻さん自身にも言えることですし、また主人公にも言えることです。
 もしも主人公が考えに考え、且つ私や他のかたが挙げたような物理的な問題などを
 一切通過することなく最終的に麻さんの挙げられた理想論に達してしまったのであれば、
 その主人公は現実的な視点から問題を考えることのできない、
 極端すぎる理想論者ということになってしまうでしょう。
 理想論自体は私自身、悪くないと思うのです……というかむしろ好きなんですが、
 そこまで考えておきながら、もっと現実的な面の問題にはまったく疑問を抱かない。
 それは流石に極端すぎるのではないでしょうか。

 もしもそんな主人公の作品を私が読んだら、その理想論以前に主人公の性格に疑問を持ちます。
 そういった理想論を最終的な答えとして持って来るにしても、
 その過程ではしっかりと現実的な問題を通っておかなければならないかと。
 いくら現実主義なひとでも理想が皆無なことはほとんどあり得ないように、
 いくら理想主義なひとでも現実的な視点からものごとを見ることが、
 まったくできないというのはおかしいように思えます。

 それからもうひとつ。
 補足では、その神は世界のリセットを繰り返していると書いてありましたが、
 これはつまり「再び世界をリセットして、幸福な世界を作り上げようとしている」ということなのでしょうか?
 もしそうだとしたら、これはこれで「リセット」という言葉に嫌悪感を持ってもおかしくないような気がします。
 まあ、具体的には「リセットしてまでそんな世界になってほしくない」みたいな感じに。

 確かにガラスのたとえなど、おもしろい話ではあると思うのですが、
 やっぱり矛盾というか疑問というか、そういったものは生まれてしまいますね。
 「幸せな世界」と、「世界をリセットする神」。このふたつをはじめとする様々な要素を、
 もっと別の角度から見つめてみては如何でしょうか。

 では。


TOMさんからの意見

 どうも、TOMと申します。

 「世界中の誰もが望みを叶えられ、飢えず傷付かず満たされ、
 等しく幸福になれる、永遠に約束された安寧の世界」ですが、究極の理想であると同時に、
 常識を根底から覆す神様の力が無い限り、どうやっても矛盾が生じる世界です。
 
 もし現実にそんな話があったら「不可能」と一蹴するだけなのですが、
 これは物語であるなら、そんな事を言うのは無粋なだけなのでしょう。
 ですが、あんまりに無理が見える話は物語だと分かっていても、
 読み手にとって胡散臭くて、飲み込みにくいです。
 物語なら実際に、餓えだの幸せだの安寧だの具体例を出さずに、
 一言「幸せな世界」で十分に思います。
 って、説明用にはしょってるだけなら、見当違いのお節介ですが、参考程度に。

 この主人公の述べている理想論が、背筋の痒くなる理想論に感じるのは、
 主人公が自分本位な狭い幸せだからではないでしょうか?
 この世界になれば、幾千幾万、億をも超える数の人々、難民や戦争被害者、
 本格ファンタジーならいる事でしょう。
 苦しみ傷付いて、でも不条理なまま自分の足で立ち上がる事すら叶わずに死んでいく人々の事を、
 考えていないから、何も知らない青臭さがあるのではないでしょうか。
 主人公がそうやって苦しんで死ぬ人々と関わって、葛藤する描写があるのなら、
 それでも打ち立てた理想論には幾分青臭さが抜けているのかもしれません。

 閑話休題。本題の「どう答えるか?」ですが、
 答えはNO
 主人公のように立派な考えじゃ無く、しんどい事や面倒な事もあるものの、
 今の世界で十分に楽しいから、無理に変化を起こさないでいい。
 むしろ惰性で生きてきた自分には、世界が変わるなんて急激な大変化は全力で御免被りたいです。
 飢餓だの不幸だのな知り合いはいないんで、そんなの知ったこっちゃ……性根が腐ってますね。

 なんだか自己嫌悪に陥ってきたので、この辺で失礼します。


矢田部 長さんからの意見

 「痛いものは痛い」
 この頃、手首の骨にヒビがはいりましてね、字が書けなくってイライラしているんですが。
 それでいいと思います。
 痛みもなく、皆が皆幸せになるって、人間にはできないことです。
 そんな願い、実現してしまったら、俺はそこに「人は居ない」のだと思うのです。

 痛みを感じる生き物ですから、差別も無くせない生き物ですから、数が増えすぎた生き物ですから。

 しかたないのです。神様はきっと、「実現してください」と言われた瞬間、人間を消してしまいます。
 「こころ」を、「痛み」を消してしまいますでしょう。

 そして、誰もが魚になった……。

 魚類に痛点なんてないですからね。
 しかも泳いでパクパクしていりゃプランクトンで腹いっぱいになるんですよ。幸せですね。

 もちろん、魚になんてなりたくないです。
 人間のままでいいです、痛くていいです、腹へっていいんです、幸せじゃなくていいです。
 だって、人間だけじゃないですか、「幸せってなんだろう?」と考えられるのは。

 人間の幸せは一つじゃない、それって魅力的じゃないですか。
 わざわざ「等しく幸福」になって、魚になんてならんでもいいのです。


緋剣 凍也さんからの意見

 どうも、緋剣 凍也です。
 神にそんな都合の良い世界を提示されたら、個人的には「いらない」と胸を張っていいます。
 この意見は親しい相手の亡骸を前にしても同じ事をいうでしょう。
 むしろ、リセットを繰り返しているなら「逆に何故、初めからそういう世界を創造しなかった」
 と聞きたくなりますが……それは措いておいて。
 この世界は、完全に見えて不完全な世界だと感じました。
 そもそも、完全ってものはないと思いますよ。
 人って陰陽が均衡を保っているから人なんだと思います。
 勿論、善人、悪人という概念にとらわれずにね。
 それを失くすというのは、人を辞めろと言っているのですから。
 それ以前に人間って定義が曖昧過ぎると思うのは私だけだったり?

 スレタイに掠りもしていないかもしれませんが、これにて失礼します。ではでは。


萩鵜あきさんからの意見

 こんばんわ、萩鵜あきです。
 早速ですが、突っ込ませて頂きます。

 もし、Aさんの望みはBさんが死ぬことで、Bさんの望みは生きることであった場合、
 Aさんの望みが叶えばBさんの望みは叶わなかったことになり、
 Bさんの望みが叶えばAさんの望みが叶わなかったことになる。
 よって『世界中の誰もが望みを叶えられ』という部分は矛盾していることになる。

>>傷付かず満たされ

 AさんはBさんを傷つけたい性的願望を持ち合わせていた場合(以下略)。

>>等しく幸福になれる

 Aさんよりも幸せになってやる! と願ったBさんがいたとしたら(以下略)

>>あなたの選択如何で実現できると言われたら、どう答えますか?

 全てが矛盾してしまいますね。
 こんな事をいう神様は、『お金は一切受け取っておりません』
 と口にするボランティアの人くらい嘘つきでしょう。
 答えは『そんな世界いりません』。



>>物語の終盤でこう問われた主人公は(中略)苦しみ傷付きながらでも良いから、自分の足で自分の「幸せ」を実現させてみせる。

 上記で間違いはありません。人間は絶対的な認識は有せず、相対的にしか物事を判断できません。
 『普通に生きて、普通に家族をつくって』の普通という言葉が、その良い例でしょう。
 絶対的評価ではあり得ない、大変分かりにくい流動的な言葉ですね。


 とある主人公に例えるなら、その世界が欲しいと言い、願いを叶えてもらう。
 そして、新しい世界で首を捻るわけです。
「なんだ、何も変わってないじゃないか?」
「君の言っていた通りの世界に、今なっている。何か一つ願えば、それがわかる」と神が言う。
「そう言うけど、じゃあどうして俺の願いが叶ってないんだ?」
 神は首を捻り「何を、願ったのだ?」と言う。

「お前がこの世界から完全に消えることをだよ!!!」

 名付けて現実壊し(リアルクラッシャー)。と、熱くて中二っぽいストーリーの出来上がり。


 冗談はさておき、現実ではあり得ない、素晴らしい世界を創作する場合は、
 まず矛盾点を洗い出したほうがいいと思います。

 あらゆる制約が持ち上がって説明が冗長的になるならば、
 素晴らしい世界の前提を少し削ってみるとうまくいくかもしれません。

 『適度に痛みがなく、誰もがそれなりに幸せな世界』とか(ぇ


 『世界中の誰もが一定レベルの望みを叶えられ、そこそこ飢えず傷付かず満たされ、
 水平線よりは等しく幸福になれる、おおよそ永遠に約束されるであろう、安寧の世界(ユートピア)』

 上記の、一見して現実と代わり映えのない世界を、
 この上ないくらい素晴らしいものだと説明する情けない神様というお話も面白そうです。
(余談ですが……)

>>なんだこのメチャクチャで意味不明な青臭い理論は!

 いえ、こういう妄想を突き詰めてゆくことこそが、
 ライトノベル、または小説や創作物の神髄だと思いますよ?

 以上、萩鵜の突っ込みでした。


瘡蓋さんからの意見

 「今すぐ実現させろ!!」
 即答します。


 太郎くんと花子さんが居るとします。
 太郎くんは、花子ちゃんと結婚したい。
 でも花子ちゃんは太郎くんが大嫌いで、海に沈めたいと思っている。

 この二人の望みは叶えられないようにも見えますが、
 次元を歪ませれば、双方の願いは叶います。
 世の中の全てを「夢」とすれば、どうでしょう?


 どういう事かと言いますと…例えばです。
 神様パワーで人間たちの意識・五感・思想をコントロールします。
 神様パワーで、太郎くんの意識を操作し、
 花子ちゃんと結婚したように「思い込ませる」。
 神様パワーで、花子ちゃんの意識を操作し、
 太郎くんを沈めたように「思い込ませる」。
 こうすれば、太郎くんも花子ちゃんも、自分の願いが叶ったと認識するはずです。
 つまり、当人の望む通りの世界を、神様パワーで認識させる。

 「それって夢から覚めて現実に戻れば、叶った事にはならなくないか?」
 という突っ込みもあるでしょう。
 はい、「夢」から目覚めさせなければいいんです。
 ずっと目が覚めなければ、今見たものが「夢だった」と気付かないでしょう?

 意識や五感が満たされていれば、それが現実だと思い込む。
 所詮、人間なんてそんなものじゃないですか?

 こんな感じで、全ての人間(あるいは森羅万象)に、催眠をかければ、
 個々の願いは絶対に叶います。
 もちろん、全ての事物が洗脳されているから、
 誰も錯覚に気付かないし、これを不幸だとも思わない。
 いやむしろ、神様パワーで、「不幸だ」という気持ちを感じさせないようにする。
(ここで、小説の世界とは別世界で生きている私たちの感じ方は話に含まない)

 肉体を捨てた観念から見れば、「あらゆる痛みのない、誰もが幸せな世界」は
 可能だと思います。

 神様パワーです。神様は何でもできるんです。
 長々と失敬。


和算さんからの意見

 ども、和算です^^
 僕なりにコメントさせて頂きます。
 
>誰もが幸せな世界
 それは最早、ユートピアではなくて、デストピア?だと思います。
 
 何故なら、『1人残らず同じ価値観でもなければ、必ず矛盾する願いが出てくる』と思うからです。
 また、『何らかの個人差が有れば、満たされない部分が出てくる』とも思います。
 
 つまり、『全ての人の願いが叶う世界』とは、『全ての人が、精神的にも、肉体的にも、環境的にも、
 完全に同一で有る世界。尚且つ、多様性を誰も望まない世界』だと思います。


  ……とてもでは無いですが、『人間としての幸せ』なんて、元素一個分も有りませんね^^;
 
 また、『永遠』など、どこにも無いと思います。
 『会うは別れの始まり』というように、始まりが有る以上、終わりも必ず有ります。
 終わるまで続いていくだけです。
 一兆年掛かろうが、一兆の一兆乗年掛かろうが、一兆の一兆乗の一兆乗年掛かろうが、
 いつか必ず『終わりの時・全てが完全な無に帰る時』がやってきます。
 
 言ってみれば、世界とは、ある種の夢みたいなモノなのです。
 僕たちは、海のあぶくみたいな存在なのです。
 世界の創造主だって、精々がクジラ程度なのです。
 
 消え往く事が決まっている存在に、全能など考えられません。
 よって、神が『何でも願いを叶えてやろう』等と言うのは、その相手を試しているという事です。
 神=その世界の絶対的な強者ですから、約束を反故にしたって、誰も文句を言えない訳です。
 つまり、『YES!』と答えていたとしても、叶えられる事は無いでしょう。
 最悪、人類を見捨てて、人類を滅ぼしてしまう可能性も考えられます。
 なので、YES・NOの二択なら、『NO!』が正解だと思います。
 
 長文駄文、スミマセン^^;
 参考になるかは分かりませんが、少しでも参考になったなら幸いです^^
 それでは、この辺りで失礼致します。


九月さんからの意見
 はじめまして、九月です。この質問は結構深いと思うので参加させてください。

 ここで言う、あらゆる痛みのない誰もが幸せな世界の問題点は、
 万人の願いは矛盾なく叶えることができないというのではなく、
 幸福と今のままの人間としての性質を引き換えにしてもいいのかということではないでしょうか。

 神を全能ではないにしても、世界を作れるくらいの万能だと考えるなら、
 誰の願いも矛盾なく叶えられる状態、つまり願いのほうを変えてしまうでしょう。
 
 例えば、人間にすべての人間と同調し合い、
 それを幸福に感じるという性質を与えるなどを神が行えば願いの矛盾は起きません。
 
 そもそもの人間を変えてしまえばいいのです。
 
 しかし、人間を変質させるということは良いのか? 人間のままで居られるのか?
 と言う問題が引っかかります。

 マクロな視点で見れば人間は絶えず変化し続けているが、
 急速な変化や他人から与えられる変化を受け入れることに抵抗があることもあると思います。
 人間がそのままの人間で居たいなら「NO」と答えるべきでしょう。
 
 でも、それは個人レベルの問題であって、
 現在、貧困や病気、虐待で苦しんでいる人が居ることを考えるなら
 「YES」と答えてしまうのではないかと思います。

 みんな違ってみんないいってのは、困窮して不幸でいる人の思考ではないような気がします。

 心理学で言う自己実現とかの段階での悩みなのかなと言う印象です。
 富める人の思考です。贅沢な悩みですね。
 故、伊藤計劃さん著の『ハーモニー』でも似たような、
 と言うかほぼ同質のテーマが書かれているので参考になると思います。


ひろっさんさんの意見 2012/06/29
 あらゆる痛みがない世界ってどんなものかという質問ですね。
 結論から言うと、話になりません。
 物語になりません。

 だって、そういう世界では人間や他の生物は進化しないでしょうから。
 人間は猿のまま進化せず、ゆえに知性を得ることはできません。
 動物や植物は、痛みを伴った淘汰があるからこそ知恵を働かせるのです。

 もしも、今から世界中で痛みや苦しみが消えてしまったらどうでしょう?
 多分、誰も働かなくなるのではないでしょうか。
 幸せな世界ということは、その状態がずっと続き、あるいは誰も死ななくなってしまうことでしょうから。
 それに気付いた人類が、一体なぜ働こうと思うのでしょうか。
 幸せな気分のまま、生涯、あるいは永遠に、自分から動くことは決してなく、過ごすことになるでしょう。
 こちらは、言ってしまえばバッドエンドです。

 極論になってしまっていますが、必要なものが存在しない世界がどうなるのか、少しでも感じていただければ幸いです。

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