第4研究室 創作に関するQ&A 546P | トップへ戻る |
スナフキンさんからの質問 2010年4月
 作家になるには才能は必要でしょうか?

 度々の投稿ですみません。スナフキンです。
 現在、僕は9月の新人賞に向けて小説を執筆中です。
 最近、明らかに僕より才能がある人が自分には才能が無いからという事で、
 小説家になる事を諦めた事を知りました。

 僕には才能なんて欠片も無いんですが『書くことが好き』や『物語を作る事が好き』や
 『ライトノベル作家になりたい』という思いで書いています。
 そこで皆さんに質問なのですが小説家になるには才能は必要でしょうか?
 才能が無くても書くことが好きという気持ちと努力だけで小説家にはなれるのでしょうか?

 プロ作家でも才能は必要と仰っている方もいれば、
 やるかやらないかだけと仰っている方もいるようです。
 僕には才能が無いなあと書く度に思っています。

 稚拙な文章ですが、良ければ皆さんの意見を教えてくださいね。
 では失礼します。


●答え●

ヤミミンさんからの意見
 こんにちは。通りすがりの作家です。
 いちおう商業で仕事をしております。(人さまに自慢できるような売れっ子ではございません)
 良きアドバイスになるかどうかはわかりませんが、

 まずは「才能が無い」なんて、思わない方がいいですよ。
 冗談のようですが、自己暗示は大切ですし、自尊心を持つことも大切です。
 「物語を作ることが好き」「書くことが好き」この2点は十分な才能です。
 そしてプロになってから最も必要な事です。


 小説家を挫折してしまったご友人は、単純に、書くことが好きではなかったのでしょう。
 好きなことなら誰に止められようと続けられるはずです。

 スナフキンさんが、自分に才能が無いと思うのはどうしてですか?
 ご自身が書いた作品がつまらないということですか?

 まずは自分が自分の一番のファンになってあげてください。
 書いた本人が面白いと思ってない作品を、読み手が面白いと思うのは難しいかと思われます。


 あまり悩まず、ご自身のファンになれるような作品作りを目指してください。
 客観性が養われるとともに、自信もついてくると思います。
 気持がポジティブになると、良いアイディアも浮かんできますよ。
 余計なおせっかいに聞こえたら申し訳ないですが、
 
 「作家になる」というのは結果ですので、今は目的にしない方がいいです。
 目的はあくまで、あなたと読者を楽しませる「物語を作る」ことです。


 読者も出版社も心躍る物語を求めています。
 あなたにしか書けない物語があるはずです。
 どうか頑張ってくださいね。

 変な青春ものみたいなまとめになってしまいました。
 すみません…、失礼いたします。


地底人Tさんからの意見
 こちらのサイトさんでよく勉強させてもらってます。
 だからたまには書き込みを(半分くらい玉砕の腹いせですが)。

 自分の場合、かなりのブランクがあってから、本格的に作家を目指す気になりました。
 で、一回一次落ちして次の回で最終選考までいけました。
 この二回の間の差、理由を考えてみるに。
 昔から文芸に興味はあったものの、趣味や気晴らし位にしか考えていませんでした。

 だからそれまで、ろくに意識的な訓練をしてこなかったんです。
 でも「これでは駄目だ」と感じ、表現や構成の勉強をしました。


 方向性や強みを分析する目的で、あえて長編を書かずに短編ばかり大量に書いたり。
(で、そのあとテコ入れに、この年明けから三ヶ月、集中的に色々五十冊ばかり読んでみたんです。
 甲斐あって自分が何を書いたらいいのかがやっと判りました。
 最近ようやく本命の長編にとりかかったところです)

 「才能=経験や訓練で昇華された天分」ではないかと。

 「才能の有無」なんて言われると一見はもっともらしく聞こえる。
 でもそれはしょせん言葉、表層的な概念に過ぎないように感じます。
 まったく天分がないという人は逆に珍しい。

 むしろ自分の強みを理解したり、うまく使いこなしたりできるかどうかが問題なんだと私は思うのです。

 考えてもみてください。
 どんなに運動神経がよくても、訓練なしでプロのスポーツ選手になれるでしょうか? 
 短距離走が得意でも、野球で必ず盗塁王になれるでしょうか?
 同じ陸上競技でも、高飛びと砲丸投げでは、必要な適性も練習も違うはずです。

 逆に考えれば運動神経全般が突出していなくても、自分にあった種目で研鑽をつめば、
 成果は出せると思うのです(お相撲さんじゃないですけど)。


 その気になればペーパーナイフでも人を殺せます。
 リンカーン大統領を暗殺したのは二発しか撃てないデリンジャーでしたし、
 超難解で旧日本軍をかく乱した暗号のナバホ・コードはインディアン・ナバホ族の日常言語でした。
 世の中そんなもんです(笑)。


マカロニさんからの意見
 う〜ん、分かんないっすね。別に自分はプロじゃないんで。
 努力をすればなれるなんてのは才能がある奴の無難な綺麗事だとも思いますけど、
 やっぱり心のどっかでそれを信じてる、信じたいのかもしれないっすね。
 まぁ、そう信じるしかないでしょうよ。
 
 思い通りにならないって言ってる人間が思い通りになっていないのは、
 そいつがそう信じてたからで、ある意味思い通りになってる。
 なんて話を聞いたことがありますけど、自分は意外と当たってるような気がしますよ。


 まぁ、人間ってのは大なり小なりネガティブな生きもんですから、
 心の底から自分を信じて疑わないなんて滅多に出来るもんじゃないですけどね。
 そういう人間が本当の成功ってのを掴むんじゃないかと調子に乗ったこと考えてる今日このごろです。


飛車丸さんからの意見
 必要です。
 が、才能なんて人それぞれ。

 文章を書く、アイデアを出す、時勢を読む、構成を組む、キャラを描く、などなど……

 作家になるための才能って色々あるもので、殆どの人は、何か一つくらい持ってます。
 それを活かすことが出来るか否か、というだけに過ぎませんよ。

 といっても、気持ちと努力だけではなれませんけどね。
 世の中、そこまで甘っちょろくは出来てませんから。


世羅 悠一郎さんからの意見
 世羅 悠一郎です。

 んー……?
 始めに思ったのが、「その人の言う才能ってなんだったんだろう?」でした。
 スナフキンさんの仰り方だと、自分よりは上手く文章を書けると見てた、と。
 だったら、文章を書く事をお金にする気持ちなのか、それとも文章を書く事に対する愛着なのか。
 一般論で済みませんが、才能って、本当に色々です。

 自分より、妬むほど上手い事やっている人でも「自分には才能が無い」というヒトはたまに見かけます。

 だから多分、それは純粋な技量以外の事だったのでしょうね。
 他人から与えられたもので書ける能力であったり、どこまでも延々と作業を続けられる気持ちだったり。
 そういう事なんじゃないかなと思います。

 成功者或いは失敗者の言う事には、多かれ少なかれ、自分の経験がものを言います。
 それら全ては単純に正解や不正解で分けられるものではありません。
 答えに辿り着く道は幾つもあって、それによって必要とするものも違ってきます。

 スナフキンさんが、これからずっと書く事を続けられるなら、それも一種の才能ではないかと思いますよ。
 積み重ねのために時間を取れる事もまた、才能ですから。
 何でもこなせるヒトでも、それに対するやる気がない場合は、才能がないと判断する事も多いですし。

 要点を言えば。
 「才能がないと思う事や指摘される事が、あなたが書く事を止める理由になるのですか?」
 この一点に尽きます。
 モチベーションは大事ですよ。
 下手に気落ちしながらやっても、良い評価を得られる作品なんて書けないです。

 それでは、良い執筆を。


しんのすけさんからの意見
 ある程度の実力と運があれば、作家になれる(=新人賞を受賞できる)可能性はあると思います。
 ですが、そこからプロとして生き残るためには才能が必要だと愚考します。


夜霧さんからの意見
 才能はいらないと思いますよ。

 ただ「プロになるまで書き続ける諦めの悪さ」は必要ですけどね。

 どんなに優れた才能があっても、諦めればそこで試合終了ですので。
 まぁ才能の有る無しなんて明確に分かるモノでもないですし、論じても仕方ないとは思いますけどね。


MIDOさんからの意見
 こんにちは、MIDOです。

 わたしは自分に才能があると思ったことは一度もないです。
 わたしが作家になれるなら世の中のすべての人間は作家になれると普通に思っていますね。

 ただ世の中には「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。
 自分の好きなものをひとは自然と探求していくから、
 気づいたら上手くなっていたり詳しくなっていたりする。


 それが実を結んで、その道の専門家やプロやらになれるのだと思っています。
 この理屈で言うなら、「書くことが好き」「作家になりたい」という思いが実を結ぶことができたら、
 作家にもなれるんじゃないかな、と個人的に思っています。
 加えて、こういう表現もあります。「努力ができるという才能」・「努力の天才」。
 努力するということ、それ自体が才能だという解釈ですね。考えてみればそうですよね。
 ひとつのことにひたすら打ち込んでいくって、
 それなりの精神力とか希望とかがないとできないことですもん。
 そういう気持ちを持ち続けられるって、ある意味才能あるってことかもしれません。
(わたしはただ好きなだけでやっているのでこの才能もないかもしれないけれどもorz)

 でも経験として、「好きだから」という理由だけで小説を書き続けていたら、
 そこそこの評価を得ることができるようになりました。
 大切なのは続けること。ひとつのことをし続けること・思い続けることも才能になるのなら、
 好きだというその気持ちを一番に大切にしていただきたいと思います。

 コメントは以上です。


 追記。応募作、頑張ってください! 
 完成してから投稿するまで時間があるようなら、
 こちらの鍛錬室に投稿して見てもらうのもお薦めですよ。矛盾点とか徹底的に暴かれます(笑)
 わたしも六月の公募向けて執筆中ですので、お互い頑張りましょうね。それでは。


天羽深雪さんからの意見
 これには、色々なものがあると思います。

 大事を成すためには、たくさんのものが必要です。
 例え作家になったとしても、氷山の一角であるため大体は埋もれていきます。
 有名になるには、人の縁というのがとても大きいでしょう。

 就職でもそうですが、学歴なんか今の時代関係ないのです。
 その会社のひとが、自分を気に入るかどうかなんです。

 有能であっても、協調性ややる気の無い人なんかは上の人はいりませんよね。
 そのように、人との出会いが自分を導いてくれるのだと思います。

 そして、今この時代を考えた、人々が求めている作品であるかどうかじゃないでしょうか?

 新聞で見たのですが、今のこの時代人々が求めているものは、救いだそうです。
 人のためにならない作品は、例え世に出たとしても消える運命です。
 人がそれを求めませんから。
 あなたの作品を見て、気に入ってくれる審査員であることを祈ります。


808さんからの意見
 以前もこちらで同じようなことを書いたのですが、

 才能がある人は自分の才能を見抜けるし、
 才能がない人は自分に才能がないことを見抜けません。

 自分に才能がないと思っている人は、
 自分の書くものが他人が書くものよりも劣っていると自覚できているわけで、
 つまりそれは小説を読む能力があるということです。
 あとは、他人が書く小説と遜色ない、
 あるいはそれよりも優越した小説を書くための訓練をすればいいだけです。

 まずは読む能力をつけること。
 自分の書くものは他人が書くものと比べてどこが劣っているのかを認識できれば、
 あとはそこを改善すればいいわけです。


ぴりおどさんからの意見
 才能という言葉は、運命という言葉と同じようにただの逃げ口上です。
 成功者に才能があり自分にないという考え方は成功者の努力を踏みにじる言葉です。


 誰しも大なり小なり努力なりしているわけで、やり方に適性不適性があるだけです。
 才能の有無は何度も倒れるくらい努力して、初めて語れる言葉です。


ホエールさんからの意見
 こんにちは、こんばんわ、一応おはようございます。
 ホエールと申します。
 自分が気に入っている言葉を貴方様にも贈りたいと思います。

「努力が実るとは限らない。でも成功者は皆努力している」

 当たり前かもしれませんが、上の言葉は自分にとって衝撃を受けた言葉でした。
 それ以来才能なんていちいちすべて気にしていたら先に進めないと考えています。
 確かに才能は必要かもしれません。

 でも、個人的な考えかもしれませんが『プロ作家になる才能』なんて、
 都合がいいものがあるようには思えません。
 すべて行動する人次第だと思いますよ
 
 それではスナフキンさん、9月の新人賞目指してがんばってください。これで失礼いたします。


夕月さんからの意見
 才能なんて、人によって意味合いが違ってくると思います。
 文章力だったり、構成力だったり、オリジナリティだったり。
 作品のジャンルでも変わってきます。

 あなたが自分には才能がないからという理由で、
 例で挙げた人のように書くことを止めない限り可能性はあると思います。
 そもそも、小説を書いていること自体が才能と呼べるのではないでしょうか。
 文章力にしろ、経験を積めば身に付けることができます。
 あとはあきらめずに書く、それが一番大事だと思います。
 プロになれるだけの総合力と運、応募先の傾向などにあっていれば小説家になれると思います。


ELEVENさんからの意見
 才能ではなく、その人の限界値と根気だと思います。
 そもそも、才能という二文字の単語は、類に元から自分の持つ能力だと思います。
 自分が努力して書き続けることによって、得られないことはないでしょうし、
 それによって能力のステータスも上がり、自信にも繋がり、モチベーションも上がります。
 無論、多少の才能も必須ですが、新人賞に投稿するその気持ちと、
 諦めずに書き続けたならそれは勿論凄いことだと思います。

 RPG風に言うと、どれだけ初期能力の弱いキャラでも、
 99レベに達すれば、強力な技を覚えるといったところです。
 なので、スナフキンさんは自覚がないだけで、実はとても作家に向いているかもしれませんよ。

 追記
 新人賞頑張って下さい。
 此処でいい結果を出せれば、それがあなたの強力な技になってくるはずです。


饂飩粉さんからの意見
 書くことが好きという気持ちだけで今までやってきています饂飩粉です。
 かの有名なゲッコーステイトのリーダーは言いました。彼の師匠からの言葉だそうです。

 ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん。
 
 と。
 失礼極まりないのですが、スナフキンさんは誰かに励ましてほしいのでしょうか? 
 少なくとも文面からそういう風に捉えてしまいました。
 励ましもねだってはいけないのです。励ましだって勝ち取らなければならないのです。
 さすれば与えられるのです。
 
 スナフキンさんが励ましをもらえるくらいのことをすればいいのです。暗にねだったりする以外の方法で。
 作家になることだって同じことです。ねだってはいけないのです。
 勝ち取るものなのです。自分やスナフキンさんを含むアマチュアの方々も、
 新人賞を勝ち取って作家になれるのです。
 新人賞が欲しいよぅ、じゃ駄目なんです。
 
 才能だって勝ち取るものです。
 才能ねぇなあ、とか欲しいなあ、とかでは一生そんなもの芽生えないし、
 持っていたとしても気づきません。

>最近、明らかに僕より才能がある人が自分には才能が無いからという事で、
 小説家になる事を諦めた事を知りました。

 
 これを「自分よりも才能のある人が諦めるような夢を自分なんかが叶えられるだろうか」と考えるか
 「自分よりも才能のある人が諦めたということは自分がその夢に一歩近づいた」と考えるか
 「そんなの関係ねぇ」と踊るかはスナフキンさん次第です。

>現在、僕は9月の新人賞に向けて小説を執筆中です。
 勝ち取りましょう。
 饂飩粉も勝ち取るつもりで執筆します。

 以上、全て受け売りを曲解させていただきました。


けさみさんからの意見
 才能っていう言葉はろくに努力もしない人間が言い訳や卑屈の際に使うもんだと思っています。

 ここで「自分には才能がないから〜」とアピールしてどうするんです?
 小説を投稿したときに批判されない為の予防線か何かですか?


 自分には才能がないと思って書くのが嫌になったらどうぞいつでもやめて下さい。
 あなたが相当な売れっ子でもない限り、誰も止めません。

 きつく言いましたが、やはり好きこそものの上手なれと言いますように、
 「書くことが好きだ」と思えることこそが言うなれば才能だと思います。
 その気持ちが努力の原動力となるわけですし。


ニックニクさんからの意見
 才能はありますよね。
 私、小学生の頃、将棋のプロになりたかったのですが、
 地方の大会で優勝できるレベルであったにもかかわらず、ある日、
 小学二年生にボロ負けして挫折したことがあります。
 その子は翌年、プロから声をかけられて弟子入りしていきました。
 小説でもきっと、才能のある人は特急コースで入賞し、ヒットメーカーになるのでしょうな。
 ワンピースやハガレンの作者みたいに。

 しかし下積みを重ねてプロになり、大成した作家もいますし、
 夢を捨てず、地道にコツコツという生き方もあると思いますよ。

 言い方悪いかもしれませんが、スポーツ選手のように年齢制限もなければ、蹴落としあいもなく、
 個人だけを評価してくれる世界ですし、お金もさほどかかりません。
 時間を有効に使うだけでチャンスが与えられているというのは、
 思ったより恵まれた世界だと思いますよ。

 あと気になったのが、プロ作家で才能が必要とおっしゃっている方がいるとのことですが、
 これはどうかなあと。
 本音ではそう思っていても、プロならそこは控えめでいてほしいものです。
 聞きようによっては、かなり自惚れが強いように聞こえて、
 その人の作品は読みたくなくなるな・・・・・・と。


ハイドさんからの意見
 才能ですか……

 はっきり言うと必要です。努力という才能が!!
 小説というものは出す前に沢山知識を入れておけばいろんなものが勝手に出てきます。
 あとはそれを並べておもしろい作品に仕上げるだけです。
 執筆頑張ってください。


mi-coさんからの意見
 mi-coです。
 風の唸り声が怖いですね。自然ってすごいですね。どうでもいいですけど。

 趣味で書くだけなら、才能はいらないんじゃないのかな、と思います。
 自分の趣味に文句は言われたくないと思うからです。
 まあ、他人に迷惑をかけているのであれば、話は別ですけどね。

 例えば、そうですね。休みの日にもかかわらず、一人机に向かってしまい、家族を省みず、
 結果的には家庭を犠牲にしている――とかね。
 または、素人である自分の小説を読んでくれたのにもかかわらず、
 あまつさえその人は感想までくれたのに、その感想の内容に不満を抱いてしまい、
 結果的には相手に不快感を与えている――とかね。
 
 まあ、色々ありますよね。色々あるけど、他人に迷惑をかけなければいいんじゃないかな、と思います。
 才能がどうこうのお話ではないと思います。

 ところで、小説家ってなんでしょうね。小説で飯を食っている人のことを指すのでしょうか。
 もしそういう意味なのだとしたら、小説家はその道の才能があると思いますよ。
 特に専業でやっている人なんかは、特に才能が秀でているかもしれませんね。
 だけど、もしそういう人が飯を食えなくなったら……。

 残念ですけど、本当はその道の才能がなかった――。ということになりますよね。
 私が思うに、作家は、プロになってからが勝負と思っていますから。
 プロにもなれないのであれば、その道の才能がどうこうというお話ですらないかもしれません。
 少し厳しいかもしれませんけど、これは自分への戒めでもありますから、ご了承下さい。


まんごーさんからの意見
 自分に無い物全てが才能に見えるんですね、分かります。
 そうやって他人の才能を量産している内は何やっても駄目なんじゃないでしょうか。


沙羅 芥さんからの意見
 若輩者ですが答えさせていただきます。

 「才能なんて必要ない。必要なのは努力だ」
 なんて直接言うと、負け惜しみに聞こえるので敢えて言いません。

 作家になりたいという志は僕も同じです。
 しかし、書いていると、時折「俺って才能ねーなー」と呟くことが多々あります。
 でも、書き続けます。僕が小説を書いていると告げてある友人には、
 「俺は才能に溢れている」と頻繁に大言を吐いています。

 僕はそれでいいと思います。
 大手の出版社の編集者に「君には才能の欠片もない」と断言されたとしたら、多聞凹みます。
 しかし、諦め切れずに、書き続けるだろうと思います
 
 才能って何でしょうか? そんな不確かなものに、自分の希望を潰されたくはないです。
 
 スナフキンさんもそうではありませんか?

 「努力し続けることや諦めないことも才能のうち」
 
 どこで聞いた言葉かは忘れました
 ただ、才能という作家としての何らかの資質があっても、
 諦めればその人は作家には100%なれません。
 しかし、一般に才能がないといわれても、諦めなければ可能性が少しでも残るのではないでしょうか。

 駄文ですが、何かお役に立てれば幸いです。


サイラスさんからの意見
 お久しぶりです。サイラスです。携帯から失礼します。
 私は、才能というより、以下のものが必要と考えています。
 
 1・自分の好きなことに正直なこと。
 
 これは、社会人になって実感したのですが、
 自分の好きなことに対して正直に努力や困難を惜しまないこと、見栄を張らないこと、
 そうし ないと、時間が経てば経つほど、現在とのギャップに苦しみ、夢の実現どころか、
 生きていることすら辛くなります。

 2・小説家になるための計画やプランを立てて、実行できる。

 これも、社会人になって実感したものです。
 自分の夢を叶えるためには、自分でそうなれるように行動しないと、
 簡単に日常に追われて何にもできなくなりますし、モチベーションや感性もなくなっていきます。 
 特に、社会人になる前の学生は、これに注意しないと、日常という魔物に夢を喰われます。
 夢を持って生きていくのは、普通の人が歩まない茨の道を歩むということを意味することを覚えて、
 行動してください。

 3・仲間 一人だと人間挫けますが、仲間がいると、頑張っていけます。

 初の携帯で、文章が汚くなりましたが、以上です。


なすさんからの意見
 才能だけじゃ足りないよ。
 これは、ローレンス・ブロック(アメリカの小説家)の言葉です。

 才能って、本当にあるの?
 わからない。
 でも、やっぱり、才能は持っていたほうがいいよね。
 じゃあ、どういう人が才能を持っているのかな?
 わからないよ。
 ひとついえるのは、たとえ才能があっても、『炎』がなければ、作家にはなれない。
 まあ、あたりまえだよね。
 『小説家』の才能があっても、その人が『農業の仕事に就きたい』のなら、駄目だ。宝の持ち腐れ。
 逆に、才能がなくても、必死に書き続けた人。
 この人は、小説家になれる。
 あなたの周囲にいませんか? 
 勉強でも仕事でもいいから、「いつからあんなに凄くなったのかな」って人。
 それって、どう考えても、『才能があるから』じゃなくて『努力したから』でしょ。
 うん。

 この意見は本当に正しいのだろうか?
 わからないって。
 もしかしたら、ただ自分を励ましたいだけかもね。
 結局は、自分を信じるしかないと思いますよ、はい。


愛戦史さんからの意見
 才能は関係ないんじゃないですか、仮に才能が必要だったとしても自分だったらあきらめきれませんよ。
 努力一本で俺はやりとげてみせるって考え方が一番大事だと思います。


でんさんからの意見
 当然です。才能なしに作家になろうなんて、夢物語もいいところです。

 ただし、一概に才能と言っても、生まれ持った素質と捉えるのか、
 単純に能力として捉えるのかで話は変わります。
 この場合は前者を指していると思うので、それを踏まえて。

 才能とは、何かを成し遂げるための力です。
 小説を書く才能がないということは、作家になれないと同義です。
 生まれつき小説を書く才能を持っている人間がいるなら見てみたいですが、
 どう考えても小説を書く能力とは後天的なもので、先天的なものではありません。
 ひいては、自分の置いてきた環境、生きてきた過程に起因します。

 本を一冊も読まず、映画の一遍も鑑賞せず、
 物語に全く触れてこなかった人間が作家になれるとは思いません。
 恋愛を一度も経験せず、スポーツや芸術に勤しまず、
 友達もいないような人間が面白い話を書けるはずがありません。中には例外はあると思いますが。

 要するに、これまでの人生でどれだけ小説の引き出しを得ているかが勝負になります。
 それを下地に小説を書き上げるのが、才能だと思います。


 まぁ、有名な作家さんが「才能がない」と言うのは、結局のところポーズみたいなもんです。
 それを鵜呑みにして、意味を履き違えてしまう人もいるとは思いますけど。

 才能がある=何もしなくても書ける、ではなく、
 才能がない=まだ何もしていないから書けない、


 ということだと思います。


れんさんからの意見 2012/12/28
 そもそも才能というモノの在り方こそが漠然とし過ぎておりまして、故に僕たちは滑稽にも、そいつに躍らされる羽目になっているのです。
 かげろうを指でなぞる様に無為で不思議な話ではありますが、あえて、作家にとり才能が必要か否かを語るとするならば、才能とは必要不可欠なモノであります。

 何故ならば、小説における才能とは、生きることであるから。
 死人に書ける小説があるでしょうか?
 存在しないから空前絶後と云うのです。
 
 逆に、生きてさえいれば面白い小説が書けるのか?
 それは勿論、書けるのです。
 例えば、才能が無いと嘆く人がいるならば、その人にしか描き得ない世界があるはずなのです。
 苦悩しない人が、どうして嘆きを描けましょうか。
 書き手自身のあらゆる森羅万象は、全て小説の材料となるのです。
 つまり、この世に生きてペンを握れば誰もが、才能溢れる作家へ変幻するのであります。

 まぁ、あくまで霞の様な話であります。

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