ライトノベル作法研究所
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他人の批判を続けていると思考力が落ちる!?

 匿名希望さんからの質問 2011年5月31日

 どうも、匿名希望です。
 実は少し相談がありまして、どなたか回答いただけたらと思い、書き込みさせていただきました。

 自分という人間の最低さについてです。
 自分は今、無職の26歳です。大学を卒業して一度は中小企業に就職しましたが、職場の人間関係のトラブルで精神を病んでしまい、一年で辞めてしまいました。辞めてからは実家で療養しています。

 実は高校生あたりからライトノベル作家を目指しており、大学在学中にデビューを目指していました。
 しかし結局大学時代には三作ほどしか投稿できず、デビューはかないませんでした。

 現在は自宅で療養しながら作家を目指しています。しかし、これはあくまで建前です。
 と言いますのも、会社を辞めて親のスネをかじり始めてから三年近く経ちますが、ほとんど執筆しておらず、一作も完成させられないでいます。
 では何をしていたかというと、ネット上の作品を扱き下ろしていたのです。

 あらゆるウェブ小説を読みあさっては、粗を探して「うえwwクソつまんねぇww絶対才能ねぇなコイツwww」などと扱き下ろしまくっています。自分は書いてすらいないのに、です。

 みっともない話ですが、自分に自信がなくて、他の人(の作品)を貶すことで自尊心を保とうとしている事に最近うすうす気づき始めてきました。

 両親に作家を目指す事を言うと、「何にでも挑戦するのは良い事だ」と、表面上は背中を押してくれています。
 しかし、これは僕の精神状態を考慮しての発言であり、本心は、そんな事より早くまともな職に就いてほしいと思っているのは、態度で分かります。

 僕としては早く社会復帰をしたいのですが、前の職場のトラブルが頭から離れず、物おじしてしまいます。
 それから、職場に復帰したら作品を書く時間がなくなって、夢が叶わなくなってしまうとも思ってしまいます(書いてないのに)。

 恥ずかしながら、僕は自分に才能があると思っており、いつか自分の作品が、今アニメ化やゲーム化している一流の先生方の作品と並んで世に出るのだという考えを抱き続けています。
 が、現実には行動せず、前述したように親に寄りかかりながら、ネット上の作品を叩きまくる毎日です。

 最近、親が探してきてくれた作家の講演会という物に出てきたのですが、そこでの先生の発言を聞いて大変なショックを受けました。先生がおっしゃっていた事は

「ネットが社会に浸透してから、一度世に出た小説作品(作家)は、必ずどこかで叩かれている。
 作家に必要なのは、技術や才能もそうだが、こういった批判に簡単にめげないこと。
 それからもうひとつ、作家志望が叩く側の人間を長くやっていると、作家としての思考力がどんどん落ちていく。
 純粋に作品を読んでの批判ならまだマシだが、叩きというのは次第にストレス発散の手段となり下がっていき、最後には叩く理由を探す事さえ面倒臭くなって、ただの誹謗中傷へとなり下がる。
 そうすると、叩きに使う言葉も限定的になっていき、「馬鹿、クソ、クズ」等に類する単語しか使わなくなり、最終的には思考力そのものが失われていく、「脳味噌が溶ける」と言っても良いかもしれない」
 との事でした。

 先生はこの発言の後に「まぁ叩かれた人物からのささやかな反撃という事で」と、開場を笑わせましたが、僕はあまりにも身につまされる事が多くて、笑えませんでした。
 確かに僕も作品を扱き下ろす際、中身をほとんど読まずにどうでもいい事を攻撃の的にしてしまっていました。

 そして、ボキャブラリーが減るということについてもその通りで、僕が作品を貶す際に使っていた言葉はまさに先生がおっしゃられていた「馬鹿、クズ、クソ、(才能ない)」等に類する物ばかりで、まったく具体性も中身がないものでした。

 まるで作り話のようですが、この講演から帰ってからさらに衝撃的な事がありました。
 就職して一人暮らしをしていた弟が、家に遊びに来ていたのです。
 そして、どうやってか僕の膨大な扱き下ろし書き込みを読んでいて、帰ってきた僕に「お前、病気だよ……」と言いました。
 あの時の異常者を見るような眼は今でも忘れる事ができません(弟は人当たりの良い性格で、普段は僕を貶したりしない人間です)よっぽど衝撃的だったのだと思います。

 長くなりましたが、以上のような性格から脱却したいのです。就職する事よりも作家を目指すことよりも何よりも先に、他人を見下すことでしか自尊心を保てず、ひたすら毎日毎日誰か(の作品)を貶すというこの異常性癖とも言うべき物を内包した最低な人間性(そのくせプライドだけは高い)を変えたいのです。何かしら助言を頂けないでしょうか。
 だらだら長くなって本当にすみません。どうか助けてください。

●答え●

 まず、他人の批判や悪口を言うのは止めましょう。
 これは自分の行動コストを上げる行為です。

 他人を悪く言うと、
「こんな風に他人を批判するオレは、頭が良い。あいつら(批判対象)よりスゴイ!」
 という優越感が湧き出ます。
 多くの人は、この優越感・自己肯定が欲しくて批判をしてしまいます。

 しかし、そうなると、
「あいつらより凄くて、頭が良いのだから、当然、すごい作品を作らなくちゃいけない……」
 という事実に直面します。能力とは発揮して、初めて客観的に認められる物だからです。

 しかし、実際に傑作を作るのは、大変困難なことです。
 才能と経験に恵まれたプロでさえ、日々悩み、苦しみながら、創作に向き合っているのが現実です。
 いったん、創作活動を始めてしまうと、本当は口で言うほど自分に実力がないことが、わかってしまいます。
 これは、非常に恐ろしいことです。

 なぜなら、他人に向けて発していた罵倒がそのまま自分に降りかかってくることになるからです。
「うえwwクソつまんねぇww絶対才能ねぇなコイツwww」
 脳内で響くこの言葉は、欲しくてたまらなかった優越感・自己肯定感とは逆の感情、劣等感、自己否定感を呼び起こし、足をすくませます。

 そこから逃げ、束の間の自己肯定感を得るために、さらに他人への罵倒中傷を繰り返し、結果、行動コストを際限なく引き上げていくという悪循環が発生します。
 他人に向けて発していた罵倒が、自分の身動きを封じる鎖となるのです。

 これは、創作活動の妨げになっているだけでなく、社会復帰の妨げにもなっていると言えます。
 ただ、匿名希望さんは、すでに自分の弱さを認める、という最大の難所を越えているので、まずは批判や悪口を言うのを全力で止め、その後は、バイトでも良いので仕事に就くことで解決できると思います。

 創作活動の時間が減ることは気にしなくて良いです。
 本当に小説を書くのが好きで才能があるのなら、無理に時間を作ってでも小説を書くものです。
 ライトノベル作家は超売れっ子以外は、兼業作家であることが当たり前なので、これができなければプロになることはあきらめた方が良いでしょう。

 誹謗中傷の開始は、職を失ってからなので、自分の能力を生かせる職場に入れば無縁になる可能性が高いです。匿名希望さんの陥っている状況は、本来、建設的な方向に向かうはずのエネルギーが行き場を失って暴走している状態のように感じられます。
 つまり、誹謗中傷を繰り返すのは性格によるものというより、環境的な要因が強いと考えられます。

 不況による就職難で、再就職するのは厳しいかも知れませんが、とりあえずバイトや派遣で働いてみて、誹謗中傷に注ぎ込むエネルギーと時間をそちらに向けてみてはいかがでしょうか?

アフさんの意見

 どうも。
 このサイトに来るのはかなり久しぶりです。
 匿名希望さんと私は同じものを感じました。

 私自身もも、いわゆるネットで荒らしをしていた時期があり、その時は精神的にも荒れていました。
 私はゲームが好きなのですが、掲示板に有名ゲーム会社の社員を名指しで批判したり、社長や大型タイトルを抱えたプロデューサーを殺す、とかも書き込んだことがあります。
 ま、「殺す」と書き込んでおいて、逮捕とかまでいかなかったのは今となっては運が良かったというかなんというか。

 しかし、内実を言えば、私はゲームが大好きだからこそ、そうした行いをしていたんだな、と今振り返ってみて思います。

 なので、匿名希望さんも本当は小説や読書、そして書くという創作がなにより大好きなんだろうな、と思います。
 他人の作品を扱き下ろすという、現在やってることは低俗なことに成り下がっているのかもしれませんが、そもそものきっかけは小説が大好きだからではないのですか。 

 本当に好きでもなかったら、わざわざ他人の作品を読もうとすら思わないでしょう。。

 匿名希望さんは小説そのものが嫌いで嫌いで、だから他人の作品を貶しているのですか。
 そうじゃないでしょう。
 それについては匿名希望さん自身が一番分かっているのではないのですか。

 これは私の勝手な想像ですが、匿名希望さんは現在の自分が小説を書けない状態に苛立ちを覚え、他人の作品を叩くことで、小説が書けないことを誰かの所為にしようとしているのでは、と思います。

 もちろん、それは良くないことですが、自分で自分のやってることの愚かさに気づいた今の匿名希望さんを責める権利は私にはありません。
 どこかで道を間違えたけど、「好き」というスタート地点にはいつでも戻れます。
 匿名希望さんに必要なのは小説、並びに創作というものが本当に好きなのか、ということを真剣に考えることなのではないか、と思います。

 考えて、考えて、考え抜いて、そこから導き出された"本当に欲しいと思うもの"をちゃんと口にすることです。

 出てきた答えは小説かもしれないし、そうではないかもしれない。
 口にする相手は家族でもいいし、友達でもいい。

 努力とか、頑張る、とかそんなことよりも大事なことは、根底の自分が本当は何を望んでいるのか、を考えることです。

 因みに、ここにいる人たちも匿名希望さんと同じように、他人を貶して優越感や全能感に浸りたいと思っている人も大勢いますよ。
 この手のお悩み相談めいた書き込みを見ると、必ずといっていいほどいる、上から目線でいい加減なことや言いたいこと、そしてしょうもない精神論を振りかざして、殴り書きのように書き込んで去る人とかです。
 少なくとも、そういう人たちよりは、自分の性格を客観的に見つめることに自分で気づいた匿名希望さんの方が上だと思います。

 ただし、一つだけ忠告を。
 もし、身内から「おかしい」と思われていて、他人の作品を貶すことから、やがてエスカレートしていき、現実の人や自分自身に危害を加えそうな場合、直ちに精神科の医者にかかることをお勧めします。
 冒頭で精神を病んだ、とありましたが、現在は精神科には行かれているのでしょうか。
 病院に行く必要があるのなら、きちんと医者にかかることが大事です。

ナイトハルトさんの意見

 まぁ人間なんだから辛くてそういう間違ったことしちゃうこともあるよ。
 それをいちいち真面目に悩むな。
 誰だって有りうることなんだからさ。

 職場の人間関係が辛いなら警備員が一番いいぞ。
 一日立ってれば終わりだし他人と関わらなくてすむ。

 それに小説もしがみつくってことは好きな気持ちが根底にあるんだろ?
 だったら趣味として好きにやったらいいさ。

 とりあえず柔道とかの格闘技で段とりして、からだ鍛えていけばなんとかなるよ、

TNGさんの意見

 始めまして、3作どころが1作も書けないTNGって人です。
 人生上においてたびたび自己嫌悪に陥っては、頭を抱えながら七転六起を繰り返してる駄目人間です。
 私は人の心理についてなんら知識を持ち合わせていない素人以下ですし、主観ダダ混じりの的を射ることを忘れた意見しか述べられないかもしれませんが、温かい目で見守っていただけると幸いです……。

 まずは三人称一視点に関してです。
 語り手が幽霊のように憑依すると説明する方も確かにいます。そしてそれは正しいです。
 しかし、視点人物の主観を客観的に描くという説明もあるのです。

 私も、外面では良心を持った常識人ぶりながら、内面では人の失敗をほくそえんでる、なんて時期がありました。
 というか誰にでも一度はあるんじゃないでしょうかね?
 そういうことを経験するのも作家を目指すうえで必要な経験なのではないでしょうか?

 歴史上の偉人しかり、聖職者しかり、人間である以上はある程度の下心があって当然だと思います。
 そして、その経験を用いれば、小説の中にリアルな人間を作ることも容易になってくるかもしれません。
 作家を目指すうえで、やってはいけない経験なんてありませんよ? どんな経験もどんな失敗もどんな苦労も、それ一つ一つがあなたさまの文章表現に深みを増してくれるのだと思います。はい。

 いっそのことバカで駄目人間でクズだぜっひやあほっほううううううううううううううううううって言いながら深夜に部屋で踊るのもいいです、私もたまにやってます。こう、開き直りっていいですね。爽快です。

 閑話休題。
 精神論はこの辺にして、もっと建設的な話題を……。

 私は、日常生活に嫌気がさしたときは、今自分が一番熱中していること(文章執筆は例外ですが)を止めました。 例えばゲーム、例えばネット。

 まあ最初でも述べた通り、私は駄目人間なので完璧止めることはできませんでしたが……。
 こういうのって駄目だとわかっていてもついついやってしまうんですよね……。
 こうすることで、一日が終わるとき「今日の俺は有意義に過ごしたぞ! ひゃっほう!」ってテンションが上がります。
 ぶっちゃけ止める必要はないですかね。 15分減らすだけでも効果的なはずです。

 それと一端、作家になるぞ! という夢を忘れてみるのもいいかもしれません。 
 私はただ趣味で物書いてるだけー、執筆なんて気楽にやんべー、って感じになるとストレスやプレッシャーが減って書きやすくなるはずです。

 先ほど申し上げた方法で空いた15分ほどの時間で、一度ゆっくりネット作品を読んでみるのもいいかもしれません。掌編一作程度なら読み切れるのではないでしょうか。
 もし、これは下手だ、と思いそうになったら「この人は変わった文章を書くだけだ」と自分に言い聞かせるのも良いかもしれません。

 自己暗示するのも効果的です。
 「俺は敏腕評論家……他の人が目もくれない作品からきらびやきな砂金を見つけ出す、着眼点の鋭い天才だぜ」なんて。そうするとこう、RPGの主人公みたいな気分になれます。実際、敏腕評論家は、凡作から良点を見つけ出すのが上手ですし。

 たとえ、一段落目でこの作品は駄目そうだなあ、と感じても最後まで読んで、一つでもいいので良い点をあげてみてください。
 そうすることで、「自分は、人を褒めることができたぞ! なあんだ全然俺性根腐ってないぜwwwwうへえww今まで何悩んでたんだww朝飯にかつ丼食ってくるwww」みたいに自分の士気が上がります。

 話がずれますが、講演会に出てきた御先生は、この中に自分が否定しているような人間がいるはずだと想定していたはずです。そしてその人間にこの話をすることでその人を変えようと思ったのではないでしょうか?
 本当に偉大な人は、駄目な人を駄目だと言って終わるのではなく、駄目な人を普通のラインまで上げるのに長けています。ようは金八先生みたいなものですかね。
 決して、人の小説を頭ごなしに否定する人が嫌いなのではなく、そうすると失敗するから考えを変えてみなさい、と暗に言ってるのではないかと思います。

 弟方についても、「あんた病気だよ」、つまり平常ではない、つまりあなたの平常がもっとちゃんとしていることを知っているようです。
 どんなセリフからも、その人の真理を取りだすことができれば、世の中そこまで厳しくないと気づけるはずです。

 長くなりましたが、色々書き連ねてしまって申し訳ありませんでした。私はまだ学生の身分ですがあつかましく意見を述べさせて頂きました……。
 それではこの意見が、あなたさまのトラブルを一つでも多く良い方へ導けることを祈って……。

アーモンドさんの意見

 貴方の書き込みが事実かどうかは私には判断できないのですが、何とも言い難いリアリティと重みがあり、読んでいて思わず惹きつけられました。
 ノンフィクションものとして、職場でのいざこざあたりから文章化すればかなり面白いと思います。

 真剣に悩んでいる貴方からすればふざけた書き込みにしか見えないかもしれませんが、茶化したりするつもりは一切ありません。
 貴方の告白が事実だとすれば、とにかく行動することが第一だと思うので、内にためこんだものを吐き出すつもりで、これまでの経緯を文章化してみてはいかがでしょうか?

 作家というのは突き詰めれば自分の思考と経験を切り売りする職業ですので、自身の人生をネタにするくらいの図太さも必要だと思います。

 あとは、いろいろリハビリも兼ねて。
 というかそうして貴方が書いた作品を、私はわりと読んでみたいです。

 無神経な提案失礼しました。
 まあ何にせよ、とにかく行動することですね。他人から言われて「はい、そうですか」と実行に移せるほど、簡単ではないとは理解できますが……。
 たぶん今のままでは、ご両親がお亡くなりになるまでは何も変わらないでしょう。最悪ご両親が亡くなった後も、何も変わらないかもしれません。
 それから、

>他人を見下すことでしか自尊心を保てず、ひたすら毎日毎日誰か(の作品)を貶すというこの異常性癖とも言うべき物を内包した最低な人間性(そのくせプライドだけは高い)を変えたいのです。

 貴方の仰るこの性質は、私は異常性癖だとも最低な人間性だとも思いません。
 他人を貶してある種の快感を覚えたり、見下すことで自尊心を保ったりするのは、人間ならばある程度は当然のことです。普通の人が普通に行っている、いたって普通の行為です。最低でも特別でもありません。
 ご自身の現状に「僕は、最低だ……!」と酔うのも、ほどほどにしておいた方がいいでしょう。

 しかし貴方がそれを「変えたい」と仰るのであれば、諸悪の根源から断ち切ってみてはいかがでしょうか。
 ようするにネット回線を切れば話は早いです。
 扱き下ろす対象がいなくなれば、自然とエネルギーは外向きになると思いますし。

 ご自身の意志だけでは難しいと思うので、ご両親や弟さんにも協力してもらいましょう。
 「ネットが繋がってないといろいろ不便だし、小説も書けない」とか、そんな言い訳はゴミ箱にでも捨ててください。
 ネットがあろうがなかろうが、書けるときは書けますし、書けないときは書けません。

 というか問題は、周りに扱き下ろす対象「しか」いない(もしくは見えていない)ことだと思うんですよね。
 他人を見下す一方で、他人を尊敬できるのもまた人間です。他人っていうのは現在の自分を映す鏡なので、自分の心身が充実してくれば、周囲に尊敬できる対象も増えてくると思います。

 好き勝手なことばかり喋ってしまい、まことに申し訳ありません。
 勝手ながら匿名希望様の自伝に期待します。弟さんに異常者を見るような眼で見られたというご経験は、執筆者として得難い衝撃であると思います。活かさないのは勿体ないですよ。皮肉ではなくて。

 長くなりましたが、多少なりとも何かの参考になれば幸いです。

コンさんの意見

 はじめまして。通りすがりの者ですが、どうやら切実なお悩みを抱えていらっしゃるようなので及ばずながら多少のアドバイスめいたものを残させていただきます。
 ちょっと現実味のない話ですので、釣りかなぁとも思いましたが、まあそれでもいいです。うまい釣りに出会ってしまったと思って諦めます。

 人間性を変えたい、とのことですが、はっきり言ってそれは難しいと思います。

 別にあなたに限った事ではなく誰だってそうです。変わりたいと思って変われるのなら、世界は良い人だらけになっているはずです。少なくともそれは根性論や精神論で解決するものではないでしょう。もしそうだとしたらあなたは自分一人の力でとっくに変われているはずです。
 なので、私は具体的な行動についてアドバイスさせていただきたいと思います。

 まず、WEB上の小説を扱き下ろす書き込みをやめるべきです。

 他人を見下して自尊心を保つ、と言うこと自体は、私は別に悪いことではないと思っています。
 勿論褒められたことではありませんが、これは人間としてある意味当たり前の感情で、そういう性質を持っていない人はほとんどいないと思いますし、感情の問題は自分の努力でどうこうできるものでもないと思うからです。 

 ただ、それを表に出すかどうかは別問題です。
 要するに、扱き下ろすなら心の中でだけにした方がいい、ということです。
 表にさえ出さなければ別に、その感情は誰を傷つけるものでもありません。 

 極端な話ですが、どんな異常性癖があったとしても、それを自分で制御し、人に迷惑を掛けないように出来るのであれば、その人は真っ当な人間です。
 人間性を変えるのは難しくても、それをどのように制御するかを考えることはまだ簡単なことだと思います。
 変わりたいと思ってらっしゃるのならば、まずは表面の行動から変えるべきだと私は思います。

 それから、扱き下ろすにしても、なぜそれが駄目なのかをよく考えてから扱き下ろすようにすると良いと思います。
 その講演会の先生が仰っていたように、「純粋に作品を読んでの批判ならまだマシ」です。
 扱き下ろすことで快感を得ているのならば、扱き下ろすことに対しても努力をすべきです。

 そこから発展して、「この作品はなぜ駄目なのか」「ではどうすれば面白くできるのか」「自分ならばどうするか」と言ったことを考えられればそれは立派な創作活動の一環になるのではないでしょうか。
 更に、逆に「どのような点が褒められるか」と言うことも考えてみると良いと思います。

 あと、これは人間性に関して、というよりも作家になるために、と言う点でのアドバイスですが、下手な作品ばかり読んでいても絶対にうまくはなれませんよ。

 世の中で評価されている作品を読んで、どこが素晴らしいのかと言うことを捜し、それを素直に受け入れられなければ上達はしないと思います。

 あと、自分の作品は書き上げるべきだと思います。

 何故あなた自身の執筆が進まないのか、その理由は色々あると思いますが、私が予想するに「自分の書いたものが傑作にならないことが怖い」のではないでしょうか? 違っていたらごめんなさい。読み流してください。

 他人の作品を貶めることで、逆に「それだけ言う自分は凄い物が書けるはずだ」とどんどん自分で心理的なハードルを上げてしまっているのかな、と感じました。

 もしそうなら、それは完全に錯覚だと思います。他人を扱き下ろす人間が必ず凄いものを書けなくてはならない、という決まりは有りませんし、実際にその二つは全く別の問題です。
 書かずに停滞しているよりは、何かを書き上げた方が絶対に良いです。
 たとえ出来がどんなものだろうと、何もしないよりはよほどマシです。
 作品を書く勇気や叩かれる側に回る勇気がないようでは絶対に作家にはなれませんよ。

 長くなってしまいましたが、要は私が言いたいのは、「具体的な行動から変えるべきだ」ということです。

 人が人を評価するのは、その人の行動、或いは行動によって生まれた結果です。
 言葉は悪いですが、「就職する事よりも作家を目指すことよりも何よりも先に人間性を変えたい」という願いからしてそもそも私には甘えているように思えます。
 就職をする努力や作家を目指す努力など、何らかの行動の方からまず先に起こすべきです。
 もしも人間性を変えることが出来るとしたら、それはそういうものが変わった後のことでしょう。

 最後に。これを言ってしまうと身も蓋もないのですが、私はここに、自分の発言に対して責任が出ないという前提のもとに書きこんでいます。
 もちろん私なりに真摯なアドバイスをさせていただいたつもりですが、あなたの書きこみが本当に切実な悩みなのかただの釣りなのかこちらに判断できないように、あなたにも私の言っていることが本当に善意で書かれているものなのかどうかを判断することはできないでしょう。
 ネットとはそういう場所で、ネットでアドバイスを求めると言うことはそういうことだと思います。

 ですから、情報はきちんと自分の頭で考えて取捨選択なさってください。
 これは私だけではなく他の方のアドバイスについても言えることです。
 わかっているのでしたら、くどくど説教めいたことを言ってすみません。
 そして、お節介ですがもし本当に深刻に悩んでいらっしゃるのでしたら、ここではなく、しかるべきところにご相談なされるべきだと思います。
 それでは、頑張って下さい。失礼いたします。

底辺 従助さんの意見

 こんにちは、底辺 従助です。
 うーむ、ろくな人生を送っていない冷や飯喰らいとしては、すごく身につまされる話ですね。それはさておき。

 本当に本質から異常な人間というのは、大抵どこか矛盾していたり、いくら説得しても通じないものです。
 これはあくまで仮の話ですが、極端な話を言うと法律によって守られているのに法律は守らなくていい、という意見を持っている、とか。

 あなたは自分を恥じる気持ちを持っているし、冷静に自己分析できます。
 そして少なくとも大学卒業から就職にこぎつける所までは、ある程度うまくいっているはずです。
 まだ二十代で五年目を超えないという時点で、少なくとも立ち直れないレベルではありません。
 多分きっかけ次第では立ち直れます。

 まず、批評がネックになっているようなので、辛いでしょうが基本的にネットの小説を読まないようにする、とかどうでしょう?

 小説が好きなら、その時間を執筆や読書にあてれば有意義な時間をすごせるはずです。
 また、外に出て図書館に行って本を読むのも日課にするといいかもしれません。
 そして身近な人に、話せる範囲でいいから話をして、心を落ち着けるといいのではないかと思います。

 あと、今はNEETや引きこもりなどの青年に対しては、様々な支援活動が成されています。
 それに乗っかってみるのはどうでしょう?
 フリースペースなどに通って同じ境遇の若者とコミュニケーションを取り、団体行動、各種ボランティアなどを通じて社会勉強をし、立ち直ってきたらアルバイトなどを経験する、とか。
 集団行動できる協調性さえあれば、たぶん合間の暇な時間に本などを読んでいても構わないはずです。

 何年で社会復帰したいか計画を立てて、毎日その為に目標を立てて努力し、出来たらご褒美として読書や執筆の時間を多く取る、なんて如何です? 運動や家事の手伝いは、手ごろで充足感を与えてくれると思います。
 気持ちを落ち着けて楽になれる方法や場所を見つけ、ゆっくり自己肯定できるような時間を過ごせれば、少しずつ立ち直れるのではないでしょうか。

 ただし、基本的に自分を助けられるのは自分だけです。いざという時に頼りになるのも自分だけでしょう。
 これは個人主義に走れという話ではなく、基本的に他者が救いを与えてくれる可能性を探すより、自分で立ち直った方が早いと思うからです。
 自分をしっかり持って見失わなければ、いざという時に他者を助けることもできるでしょう。

 自責の念や自虐の心を持っている方なので、やりがいのある何かを見つけ、楽しい気分になれる何かがあれば変われるのではないか、と楽観的な見方をしました。
 大丈夫、石川啄木も太宰治も駄目駄目な僕らの味方です(ナニ
 一応これでも社会復帰の方を優先して書きましたが、小説を書くのに時間を注ぎ込んで納得の行く作品を作る、なんてロックで青春なひと時を送るのも面白いかもしれません。
 期限を決めて計画を立てられればなおよしです。

 もう実践していることだけだったらすいません。
 一応、相談者さまが幸運で良い人生を送れるのを祈ってます。
 長文乱文失礼しました。それでは。

サイラスさんの意見

 どうも、サイラスです。よろしくお願いします。

 私も似たような境遇あり、よく他人の行動や言動を心の中で冷笑していることがあります。
 リハビリのために、ラノベを買ったのですが、やはり純粋に楽しめません。
 ただ、最近は、冷笑することをやめました。

 理由は、他人(の言動や行動)を冷笑している時は、自分を雑に扱っていたり、自分がひどく弱っている。
 つまり、自分を大切にできていないということに気づいたからです。

 人が他人を見下したりする場合、その人が酷く追い詰められていたり、ヤケクソになっていることがよくあります。40,50代の僕らを育てた親でもそうです。
 そんな時、人間は自分を守るために威嚇するサルになります。
 そこに賢しい知恵が付くため、見苦しさが倍増します。 

 私としては、まず仕事につくのもいいですが、体を動かすことがいいと思います。
 ネットという仮面越しの世界より、リアルな風を感じれば、自分の視野の狭さから解放されます。

 あと、ちょっと贅沢できるなら、マッサージとかを受けてみてはどうでしょう。
 マッサージ師は結構話相手としては悪くないし、人と話をするだけで、結構、教養の他人は一杯いることを実感できるといいと思います。
 そうすれば、他人を扱き下ろしたことが、出来の悪いラノベ作品やそのキャラと同レベルだとわかり、そこから抜け出そうとあなた自身が、他人の作品を受け入れる努力をするはずです。
 ありもしないフィクションにリアルのあなたが負けないでください。では。 

●補足
 遅まきながら、失礼します。サイラスです。
 前回の投稿時に、「自分を大切に出来ていない」ことがダメな理由を書いてないことに気づき、投稿しました。

 その理由は、自分の醜い本性や攻撃性が、作品や文章に出るからです。
 自分を大切に出来ていない時は、発想が短絡的になります。

 その時は、本来出てこないはずの、醜い本性や攻撃性が出てきます。
 こんなの同種の大人以外、絶対見たくないです。ましてや、ラノベのメイン層である、中高生は、余計で、下手したら、大人を信用しなくなります。
 そんなこと、外に作品をだす作家がやってはいけないことです。
 そうならないためにも、ご自分を大切にしてください。では。

道化童子さんの意見

 とりあえず、外に出ましょう。
 刺激がないと物は書けないと思います。

 私も不景気で10カ月ほど仕事がなかった時がありましたが、その時に書いた作品は2作でした。
 時間は死ぬほどあったのに書けなかったんですよね。
 で、その後仕事を始めて、家から一時間半かかるし、非正規雇用なのに管理職押し付けられるし(IT業界ではよくあります)一日の大半を仕事で使っていますが、半年で6作書き上げました。

 経験もですが、刺激というのも大事ですし、おそらくストレスの発散場所としても執筆活動が出て来るのではと思います。

 仕事でなくてもいいですが、仕事は結構いい経験になるとは思います。
 その時に「仕事をしている」と思うのではなく「作家になるための経験をしている」と思えば少しは気持ちも変わって来るのではと思います。
 人間関係も、仕事で追い詰められても、それはそれとして作家としては一つの財産になりますし。

 で、書いた作品は投稿するか、そこまでの自信がなければどこかに公開するといいですよ。
 批判される側に回りましょう。
 そこで感じる気持ちも作家の財産です。
 そうすると他者への批判も変わって来ると思います。

 妬みってのも必要な感情ですが、それは「自分と同じ奴がこれだけ頑張っている」という悔しさも重要だと思います。
 そうすれば少なくとも批判する言葉が中傷に変わる事はあまりなくなると思います。

あざらしさんの意見

 こんばんは、ただの読み手のあざらしと申します。
 徹夜休憩中ですので、荒い文章になったらすみません。

 まずは大切なことですが、

>職場の人間関係のトラブルで精神を病んでしまい、一年で辞めてしまいました。辞めてからは実家で療養しています。

 文面から通院されていたのだろうと想像いたしましたが、そちらの方は現在いかがなぐあいですか?
 病院の先生は、なんと仰っていますか?
 その病院の先生とはコミュニケーションがとれていますか?
 この件は相談されましたでしょうか?

 医者は『完治しました』なんて、そう簡単に口にしないでしょうがまずはそちらが気になりました。
 文面を拝見する限り客観的な視点もあるようですし、弟さんの指摘も病状の好転が根底にある発言かと思いますが『まずは病状がどうなのか』です。

 感情としての心配を周囲の方がされるのは、これは当然ですが、ご本人が回復しているという自覚があり、医師からもそう言われているのならば必要に応じて再度書き込みいたします。

 昔の友人のことを風の便りで聞く中で、『もう少し時間が必要だったのだろう』と思うことがございます。
 周囲が、もちろん本人が一番ですが、行動が空回りして気ばかりが焦ってしまう中で、自分を責めるということそのものに意味を見出すという状況ならば、これは決して良い傾向とは思えません。
 なぜそこまで自分を貶められるのですか?

 とにもかくにも、一点だけ。

>他人を見下すことでしか自尊心を保てず、ひたすら毎日毎日誰か(の作品)を貶すというこの異常性癖とも言うべき物を内包した最低な人間性

 まず、この点ですが持ちすぎているのではないでしょうか。
 自分が満ち足りていることに気がついていない、といっても良いかもしれません。

 衣食住に不便せず、また他人もそうであるのがほぼ日本人のスタンダードです。
 『親のスネを囓った』という三年前に遡れば、大方として標準の状態です。
 加えて程度の差こそあれ、生活の中には娯楽すらも存在している状態でもあったはずです。
 親御さんと同居ならば、この傾向は強いものではないでしょうか。

 これら満ち足りたものは、他人が持ち、また自分も持っている。
 これがスタンダードであり、特に秀でたものがなければ自分も他人も80点です。
 衣食住が足りていることを幸せとして満点とするならばそれこそ他人との差は無くなります。

 書かれている行動を総括すると、『自分も他人も満点ならば、自分を他人より見栄え良くするために他人を減点させよう』という単純思考を発端にしたものにすぎません。

 けれども、このスパイラルからの脱却、その第一歩だけは踏み出されているはずです。
 第一歩とは単純なことです。
 自分は特別でも何でもなかった、ということに気がつかれているはずです。
 それすらも存在しなければ、この文章を書かないでしょう?

 他人より優れた点を知らしめるには、それに相応しい自分になるしか方法はありません。
 古くさいと笑われるかもしれませんが、凡人がそれを成し遂げるには、努力と根性しかないんですよ。
 私は読み手でしかありませんが、ものを産み出す仕事は生活の全てを捧げる覚悟で望まなければ話になりません。
 精神的柔軟さと強靱さを併せ持たないと、ポッキリと心が折れます。

 とにかく、努力を積み重ねて、それを実らせるには心身の健康が下地です。
 そこにまず安心感を持てるようになっているのかが先決です。

 病院の先生は、現在の病状をどう捉えていますか?
 医師と話ができる信頼関係が築けてますか?
 病院だって数多くあります。
 精神を病んでいるなら、精神状態を話せる相手の方がいいのではないですか?

 ちゃんとコミュニケーションがとれているのならば、まずは主治医と話し合うのが先です。
 ここに書いたことは、まず医師と相談するべきかと思います。

文長さんの意見

 とてもシンプルな話です。

 自覚してるなら直せよ。ただそれだけです。
 知識がないなら勉強しろ。人付き合いが苦手なら訓練しろ。小説書いてないならさっさと書け。

 そこそこしっかりした人ならみんなそう言うでしょう。
 身内の人間だってきっと内心そう思ってます。
 口では頑張れとか、悩んでもいいよとか俺もそうだけどとかいいつつ。

 僕も普段はそう言われる側の人間ですし、言われる度に「こいつ偉そうに」と思いますけど、詰まるところ、悪いと思ってるなら直そうとしろ、直そうとしてないから直らないんだってことです。
 程度の差はあれ、自分の一長一短には誰だって悩んでます。
 あなたにだけできないのでもなければ、周りだけができるわけでもないんです。
 やらなきゃいけない場面に来たとき、ちょっとやってみようか、と思えるかどうかです。

 あなたより下の人間も世の中いるでしょうけど、あなたよりずっと立派で優しく素敵な人も世の中ごまんといます。
 他者への優しさとリスペクトだけは常に忘れないようにしましょう。

あみん・ばらっどさんの意見

 お久しぶりです。本日は別ハンドルから。

 批判は公正・客観的であるべきかと。悪い面だけでなく、良い面もちゃんと分析してこそ、はじめて「批判」と言うに値するのではないでしょうか? 悪い点だけを指摘して喜ぶのは、単なる「誹謗」というものです。

 もちろん世の中、嫌なものだらけではあります。悪口や愚痴を言いたくなるのは自然な心情です。
 けれども、そんなネガティブなことをやっていたら、自分の精神を損なってしまうのも道理でしょう。

 私自身の例として。
 たとえばギャルゲーライターの竜騎士07に個人的なすごい恨みがあります。
 ゲーム(ひぐらし)のサンプルも面倒で途中で投げてしまいましたし、好きになれません。
(ノベルゲームにあまりなじみがないため、アニメは良かったです)

 しかしそこで考えたわけですよ。
 「奴が本当に屑なだけなら、どうしてこうまでヒットしたのか」と。
 それでよくよく考察してみると、優れている点も目に入ってきたわけです。

(1)オカルトと推理の融合
 オカルトと推理小説の関係は新しいようで古い。
 エドガー・アラン・ポーは両者の創始者と言われ、双子のようなジャンルです。
 オカルトとミステリの境界の傑作として、ルルーの『オペラ座の怪人』が挙げられます。
 最近の日本でも『リング』なんてミステリック・ホラーがありましたし。
 ……だとすれば。ただエキセントリックとウケたというのでなく、ちゃんと古典的な系譜、正統な前例をふまえていることになります。

(2)量について
 わたしはダラダラした長すぎる物語が嫌いです。
 「中身スカスカなんじゃないのか?」とか思うわけですよ(ノベルゲーム蔑視の最大の理由)。
 でもそんな「ダラダラを楽しませる」ことも、才能と言えば才能なんでしょう。
 「長編と短編では、別のセンスが必要」とも言われます。
 ボリュームの利点を活用するのも、ひとつの能力なんでしょう。
 それに純文学でも、「量を質に転化した」似たような事例があります。デュマとか。
 ドストとかも、ある意味そうなのかもしれません。
 好き嫌いは別として、ちゃんとした技法や作風ではあるのです。

(3)少女や生活描写
 ギャルゲーを軽蔑しつつ。しかし連中、一面では描写は巧かったりします。
 そればっかりひたすら書いてるんだから、当然ですよね。
 回転寿司職人が、実は高級店の板前より握りがうまかったなんて話もあります。
 どんな分野でも努力していれる人間なら、長所の一つ二つはあるものです。
 それに日常を描こうとすれば、こまごました「くだらないこと」を「ちゃんと把握」していなければなりません。
 それは自分が一番見落としていた点でした。高尚なことだけが全てではないのだと。

 だから結論としまして。

 誹謗中傷は精神を損なうが、冷静な批判(批評・分析)はかえって思考力を養うと思うのです。

通りすがりです(笑)さんの意見2012/03/04

 やはり小説好きらしい解釈が並んでいますが、ほとんどすべて「コジツケ」です。
 最もらしく聞こえる理由の殆どは、間違っていたりします。
 人間が何故?誹謗・中傷を繰り返すのかですが、自尊心や自己肯定がどうのこうのと言うのは、実は単なるコジツケで、科学の世界では別の解釈が成り立ち、生物学的に証拠を出すことも叶います。というより大量に論文が出ています。

 最も単純な理由は「暇」というだけです(笑)暇だと刺激が欲しいですよね。
 人間にとって性的な快楽は別として、通常の快楽よりも、不快のほうが2倍ほど強い刺激なのです。

 暇でオ●ニーしているのは、猿の世界も同じです。このほうが健全かもしれません。
 しかし実際には、誹謗・中傷から得られる刺激のほうが強く、鬱屈した暇な状態から抜け出せるってだけなのですね。神経レベルの観測データでも、きちんと裏付けられます。

 小説の世界と現実の世界は違いますからね。
 最もらしく語ってみたところで「間違いは間違い」なので、小説の世界では良いのですが、事実と混同してはいけません。

 貴方は「単純に暇なだけ」なのです(笑)引きこもっていたら、新しい経験が大幅に減るわけですからね。
 誹謗・中傷を繰り返しても作家として問題無いでしょ?
 作家で他人のことを誹謗・中傷するのが大好きなんて、いくらでもいるでしょ?。

 ネットで誹謗中傷しているのは「単に暇だから」です。
 貴方が他者の小説をこき下ろすのは、単に小説に深い知識や理解があるからで、刺激を得られるからですね。

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