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小説という娯楽媒体にしか無い魅力とは?

 白鷺さんからの質問 2011年10月04日

 こんばんは。初めまして。最近、ある小説に感銘を受け、自分も小説を書き始めてみたいなあ…と考えている者です。よろしくお願いいたします。

 タイトル通りの質問なのですが、漫画やアニメ、映画にはない『小説ならではの魅力』というものはあるのでしょうか?

 ドキドキハラハラを求めるならば、活字だけの表現である小説は、音や映像のあるアニメや映画に負けてしまう……そうすると、小説で人は感動させ られないのではないか……と考えてしまい、なかなか第一歩が踏み出せずにいます。
 本来、こういうものは自分で考えて答えを出すものとは承知していますが、それよりも先輩でベテランの方々に質問した方が、より的確な答えをいただけると思い、こうして投稿させていただいた次第です。

 皆様の考える『小説にしかない魅力』とはなんですか?
 妙な質問で恐縮ですが、なにとぞよろしくお願いします。

●答え●

カズトさんの意見

 はじめまして。白鷲さん。

 小説の魅力は、まず詳細な心理描写を描けること。
 次に金銭的/法律的な制約が少ないこと。

  列車事故、ジャンボ機の墜落、大型旅客船の沈没まで作者の思いのまま。
 あらゆるシチュエーションを使ってダイナミズムを表現できます。

 最後に映像作品よりも少ない人数で完成できることです。

 これは良い面と悪い面が表裏一体ですが。
 作者自身の才能がダイレクトに反映される一方、才能ある者たちのアンサンブルは割と期待できません。

飛車丸さんの意見

 エンターテイメントには、大きく分けて二つの種類があります。

 一つは漫画やテレビのように、受動的な思考をしていればいいもの。
 一つは小説やバレエのように、能動的な思考をしなければならないもの。

 要するに、読者が作品世界を脳内で再構築する必要があるわけです。

 これはつまるところ、音や映像を持つメディアが「AはA」と決めてしまっている部分を、小説では「Aは∞」として描けるということ。漫画の登場人物の声を読者が脳内で想像するように、ありとあらゆるファクションを読者が脳内で想像するからこそ、成り立つわけですね。

 ただまあ、今のラノベはどんどん受動的で構わないようになってますから、今後どうなるか分かりませんけどね。

達馬さんの意見

 こんにちは。

 「音や映像のある」アニメや映画と違い「音や映像がない」からこそ作者の表現力と読者の想像力が及ぶ限りはいくらでもドキドキハラハラを得ることが出来る……これが小説の魅力の一つではないですか?

 実際にアニメ化や映画化された小説が原作とはほど遠いしょぼいものになってしまったという経験はよくあることだと思いますが。

 例えば「一万人の軍勢」と言葉では一言ですがそれを視覚でその迫力を表現することは難しいですし、言葉であれば描写により更に迫力を出させることも可能です。

 もちろんだからといってアニメや映画が小説に劣るものということではなく、要はそれぞれの表現形式にはそれぞれの魅力があり、それを最大限引き出すようにすれば何であれ人を感動させることは出来るということでしょう。

ナイトハルトさんの意見

 小説で感動させる方法の具体的な体験談があります

 過去に書いた心の傷をえぐる処女作があったんですが、それにはナイトハルト自身の苦い人生経験をもとに主役キャラに行動や心情を投射して作ったんです。

 そうして何年かして今のようにラ研に来るようになり処女作を読み返して見ましたが、ツボに入りすぎて号泣しました
 書いた話は展開こそリアリティはありませんでしたが、キャラの心情はリアルに描写できていたのが古傷にグサッと行ったんでしょうね。
 だから読み手の体験した古傷をえぐる話は絶対に泣かせることができますよ。

二階堂さんの意見

 小説にしかないこと……

 安価で手軽だっていうのは無視できないでしょうね。

 マンガは400円かけて1冊を10分で読み終わりますが、小説は600円で1冊を2時間ほどかけて楽しめます。
 物語を楽しむ上でもっとも安い媒体なんですよね。これが安価の要素。

 それに映画は一人じゃ作れません、カメラやら役者やらが必要で大掛かりになります。
 アニメ作るなら1000人規模です。
 でも、小説は紙とペンにさえあれば一人でできます。これが手軽の要素。

 マンガが書けるならマンガを描けばいいのです。映画を作れるなら映画を作ればいいのです。
 でも一般人にはそれってできませんよね。なら小説を書くしかないのでは?

 小説のほうが勝っているんだ、と思っているのは大体、小説家くらいのものです。
 そりゃ多くの観客はまんがや映画をより好みますよ。
 そんなことは出版業界の廃れっぷりを見れば明らかです。

団子屋さんの意見

 あります。マンガやゲームや映画があるのに、何故文字しか書かれない小説を読んだり書いたりするかは、人それぞれの違いもあるでしょうけれども、きっとあります。
 私は何かを見て楽しむのにもう飽きたというのもありますけど、それ以上に自分で文字を書くことが楽しいから小説を書いています。

 読むのも書くのも、自分だけの世界を感じられる。私にはそんな感じがするのです。

 文字を一つ一つ読んでいくのも楽しいですね。
 これは何とも言葉に表現できないのですが、マンガやゲームや映画にはない苦労があります。

>ドキドキハラハラを求めるならば、活字だけの表現である小説は、音や映像のあるアニメや映画に負けてしまう…そうすると、小説で人は感動させられないのではないか…と考えてしまい、なかなか第一歩が踏み出せずにいます。

 まだ若いと思うので、このようなことを考えると多分小説なんて無駄に感じてしまうかもしれませんね。
 実際に世の中では出版不況と呼ばれるように文字を読む人が少なくなっています。
(ラノベは逆に増えているようです)

 悩んだら色々なことをやるのもその一つです。
 ある程度小説を書いてみて面白くなかったら、他の分野に移っても良いと思います。
 人を感動させるものは他にも沢山あるのですから。

 大切なのは小説を書きたい!という思います。
 頑張ってください。

ひすいさんの意見

 「ある小説に感銘を受けた」のであれば、もう小説の魅力なんてわかってるんじゃないんですかね?

 とまぁ、これは置いておいて。ライトノベルではありませんが、「ドグラ・マグラ」 という作品があります。
 戦前に書かれた作品で、日本三大奇書などとも呼ばれている作品ですが、これを小説で読んだとき、多くの読者がおそらく一回目はほとんど意味がわからずに再読を余儀なくされるでしょう。
 そうして何度も何度も読み返していくうちに、読者は思い思いの解釈を形成していく。

 つまり、「ひとつの作品でいくつもの解釈をすることができる」のです。

 しかしこの「ドグラマグラ」は「漫画で読破」シリーズでコミカライズされているのですが、こちらはどうしてもひとつの解釈しかできない。これは漫画版のページ数があまりにも少ないことや、構成的に小説版でなされている解釈のひとつを強調したものになっていることも理由としてあげられますが、

 私はそれ以上に「漫画にしたことで、どうしても多義解釈をしにくくなってしまった」ことが最大の理由であると考えています。

 これはつまり、飛車丸さんも仰っている「小説が能動的思考を求められる媒体」であるからで、「文字だけ」という情報の少なさゆえのことです。
 漫画のように絵がない(あっても挿絵程度)、アニメ・映画のように加えて音がないということは、読者の能動的解釈という協力を必要としなければ成り立たない反面、それらを補ってもらうことで無限ともいえる可能性を秘めている、ということでもあります。

あざらしさんの意見

 こんにちは、あざらしと申します。
 執筆はしないのですが、出版されている小説とは違う楽しさを求めて、投稿室の作品を拝読させて頂いています。
 ただの読書好き、映画好き、アニメは友人・知人に勧められた作品だけですがちょくちょく観ます。
 いわば、『物語』と名がつくもの全般が好きです。
 書き込みを拝見して、そういう立場からパッと思いついたことを書かせて頂きます。

>音や映像のあるアニメや映画に負けてしまう

 ストーリーラインをなぞるだけなら、そうだと思います。
 音楽や効果音、迫力ある映像、これらは確かに魅力です。

 ですが、同じ効果を持つのが文章、特に地の文です。
(つまりは作家さんの文章力にかかってきます)
 端的に言えば、これが魅力のひとつです。

 アニメや映画が絶対的に弱いのは、音と映像で表現できないことではないでしょうか。
 全般的に、直接的すぎて抽象表現に弱い、というのがあります。
(それをやるのが演出や監督、役者さん、声優さんの腕なんですが)

 例えば、『マンゴスチン』という果物がありますよね。

 最近メジャーになってきましたが、手軽に入手できる時期が限られていますし『日本人なら誰でも知ってるか?』という意味では微妙なところかと思います。
 これをアニメや映画で出したとしましょう。
 簡単です。
 映画なら実際に映せばいいですし、アニメならば描けば済みます。

 さて、ここで問題が出ます。
 映像や絵でマンゴスチンを見て、なじみのない人に、それがマンゴスチンだと解るかどうかという問題です。
 視聴者に、マンゴスチンという存在を知らない人がいたとします。
 ただアップでマンゴスチンを映し出したとすると、解るのは『植物』だけで、それが『食物』だと伝わるかどうか不明です。
 期待できるのは、なんとなく食べ物っぽい、でしょうか。

 では、味は? ということで、次にそれを食べるシーンを出したとします。
 伝わるのは、『何やら食べ物らしい』です。
 あとは『なんとなく野菜ではなく果物?』ぐらいまでで、ただマンゴスチンの映像で出しただけでは、その味までは伝わりません。
 果物だということを手っ取り早く伝えるなら、冷蔵庫から取り出すと、食べ物までは絞り込めます。
 八百屋の店頭でイチゴの隣にある絵をだせば果物だと解ります。
 POPに『マンゴスチン』と表記すれば名前も解りますが、それでも味は伝わりませんよね。

 では、映画やアニメで、『果物であり、その味を伝える』にはどうするか?
 役者やキャラクターの演技で伝える、というのがあります。
 アニメは表情筋の微細表現に性質上乏しくなりますので、少々ハードルが上がります。
 この段階では咀嚼音やSEの活躍の場です。
 映画の場合も、当然ながら大根役者じゃ無理です。なにも伝わりません。

 詳細に伝えるにはどうすればいいかというと、台詞に頼ることになります。
「甘くてトロリとして繊維質があるところはバナナに似てるけど、味はライチとかに近くてもっと甘い、酸味もあるよ!」
 ……どんな台詞や^^;
  マンゴスチンが物語り上、よっぽど重要でなければ、脚本家だってこんなバカな台詞書かないでしょう。

 モノローグなり、複数人物の会話としてなら解決できるでしょうが、映画もアニメも映像作品には時間制約がついて回ります。
 何より、説明台詞というのは掛け合いであろうと、出てくる時点でシラケさせられる原因です。
 普通はもっとなじみのある果物、桃なり梨に差し替えるはずです。
(ただし映像の場合、『何やら不明だけれども、スッゴイ美味しそう』は可能です。
 ジブリの食事シーンが良い例です)

 では、小説は?
 視点人物が食べるならば、何の不具合もありませんよね。
 地の文が活躍する場です。

 マンゴスチンを食べることで異国情緒を演出することもできますし、それを食べたときの感覚質を伝えることも可能です。主人公が空腹で倒れそうなとき、手に入れたのが一粒のマンゴスチンなら味という感覚を伝えて欲しいところです。
 こういった、小さな積み重ねが読後感に影響を与えます。

 映像にも音楽にも頼らないからこそ、表現できることがある。
 それが小説の魅力だと思います。

 ただ、これも堂々巡りになりますが、表裏一体です。
 言語を利用する限り、ある程度、言語に対する共通認識が必要になります。
 要するに読者に伝わるかどうか、説明が必要か、という見極めも作家さんのお仕事かと思います。
(小説じゃありませんが、感覚質問題を煮詰めた本としてお勧め書籍を『デイヴィッド・チャーマーズ著:意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』 ちょっと高い本ですが、もしもSFを書かれるなら読んで損はないと思います)

 味を例にしましたが、感覚質、クオリアと呼ばれること全般に通じます。
 読者が体験したことのない感覚質を伝えるのは、CGを多用した映画にも流行の3Dにも出来ません。
 ニオイだって、手で触った感触だって、痛みだって映像よりもより具体的に、視点人物の体験として書けるはずです。
 それを体験している視点人物と同じように疑似体験できますから、架空の果物の味だって表現できます。

 こういったことを積み重ね、感覚として物語を楽しめるのが小説の良いところの、ひとつかと思います。
(細かい描写をしない小説ももありますし、想像を喚起させる文体もありますが、ぶっちゃけどっちも好きです)

 読むだけ、観るだけ、という消費者からすれば、同時にアニメにしかない、映画にしかない、加えて漫画にしかない、という魅力だってありますので『負ける』というのではなく、それぞれの違いです。
 少なくとも私はそうやって楽しんでます。

 最後に、質問の内容からズレるのを承知で。
 時間がかかりません。
 例えば『とある魔術の禁書目録』のアニメ。
 ググったところ一期が24話、内容は6巻までとあります。

 読む速度によりますが、圧倒的に小説の方が短時間です。

 速読、という大げさな話じゃなく、一冊一時間ぐらいなら普通に読める方が大勢いらっしゃるはずですが、アニメだとそうは行きませんよね。24分は誰にとっても24分です。
(まさか、倍速で楽しむ方はいない、と思うのですが。世の中広いしいるのかな?)

 限られたプライベートタイム。
 比較としては、映像化された作品という条件がついて回りますので後付けの理由になりますが、短時間で楽しめる分、他の作品が読めますので、これも『小説ならではの魅力』です。

 あとは、映像化されない小説の方が圧倒的に多い、というのも物語好きとしては重要です。
 勝ち負け関係なく、単純ですが小説を楽しむ一番の理由です。

野獣後輩さんの意見

 一話一話が長いこと
 作り手の財布に優しいこと。

トータスさんの意見

 こんばんは。
 小説ならではの魅力、ですか、説明するのは、私には一寸難しいですね。
 人それぞれ、色々有りますが、私には、小説にしかない魅力は何時も感じています。

 それは、固定されていない、と言う感覚としか言えないのですが、映像も音楽も無い世界に、自分だけの設定を描ける、と言う事でしょうかね?
 疑似体験する感覚といえばいいのか、私は小説を読んでいる時は、頭の中が映画館になっています、と言う感じです。
 後は、客観か主観かの違いが大きいと感じています。

 映画、ドラマ、漫画、アニメ、全て客観的なイメージと感じます。
 小説は、疑似体験できるため、主観的だと感じます。

 ある物語に出てくるモノで当て嵌まるのは、自分の脳内(イメージ)の映像を映画として他の人にみてもらう事が出来る、と言った物です。
 人件費も制作費も要りませんから、自分だけの物が作れると言った話です。
 その人物は、人を感動させる物を作る事のみ追及して、それ無しではいられない者まで出てきてしまったという話しでした。

 実際、読んだり書いたりすると、キャラクターが一人歩きしています。
 頭の中で、自分が、そのキャラクターの視点で行動していたりする事もあり、客観か主観かの違いが大きいと感じています。

 後は、読み手の力によるものではないでしょうか?
 読む事の意味、それは物語に潜り込む事が出来る、そしてあたかも自分が感じる事が出来るモノでは?
 頭の中で、自分が成りきる事が出来る人は、読み手としてかなり強いのでは?
 そんな風に考えています。

 答えにはならないかも知れませんが、これが私なりの答えです。

追記
 また考えたのですが、では、ラジオの魅力とは?
 アレは音声だけですが、それだけで味があるモノです。

 雑誌や新聞は?
 文と画像だけですが、それでも、それなりのモノはあります。

 ではTVと映画は?
 目と耳ですが他の感覚は使いません。

 小説は?
 文だけの力、ですが、多種多様な表現が出来る、万能では?
 連想する事、酸っぱいリンゴと書いてあって、それをイメージする事が出来る。
 テレビでは、リンゴの映像があっても、甘いのか、酸っぱいのかは判らないが、書かれれば判る。

 欠けた情報、それが魅力になる。
 自分でそれを埋め様とする事が出来る、如何様にも変化させる事が出来る、それが、魅力なのではないだろうか?

酔っ払いの戯言ですが、これも答えの一つではないでしょうか?

加藤さんの意見

 難しいことを考えずともライトノベルや小説原作のアニメを見ればいかに小説という媒体がありがたいのか思い知らされることは多いですよ。
 単に視覚的なアクションに徹するのなら漫画や映像の方がわかりやすいでしょう。

 しかし例えば舞台や世界の説明をする時に漫画やアニメだと、長々とモノローグやキャラクターの説明台詞が続きますが、小説ならば地の文数行の説明でついてしまいます。

 感情や論理思考、設定説明などの行動や台詞だけでは分からない部分を自由に描写できるのは小説の特権ですね。
 これをアニメ化の際に全てカットしてしまって意味不明な展開になってしまった作品は数知れないでしょう。

底辺 従助さんの意見

 こんにちは、底辺 従助です。

 まず言葉をいくつも組み合わせることにより、美しく趣のある感動的な文章を作れる、ということでしょうか。
 言葉の持つリズムや語感の良さが味わえる、と言えます。

 ただ、これは詩や戯曲、音楽でも可能ですね。

 もう一つは情報量を詰め込めることです。
 絵や図で見た方が分かりやすい場合もありますが、知識を語る上で言葉や文字を抜きにすることは難しく、少ないページで多くを語ることが出来ます。

 じゃあ朗読ではいけないのかというと、自分のペースで読むことができ、少しめくれば気になったページをもう一度味わうことができる小説は便利です。
 また想像力をかきたてるような長所もあります。

 人間は物事を説明する時、何を使うでしょう?
 地図やグラフなどもありますが、ほとんどは言葉か文字だと思います。
 位置関係や売上表などにしても、詳しく文字を書き連ねれば、何とか理解させることができるはずです。

 更に言葉さえ知っていれば多くのものを描写できるので、創作に費やす労力はローコストで済みますし、絵や風景などが主に描かれたものにくらべ、資料の求めやすさや値段の点で利便性が高いと考えます。

 まとめると、情報量が多く細かい部分の描写が得意、美しい言葉の組み合わせが味わえる、説明に秀でている、書くにも読むにもコストパフォーマンスに優れている、といった感じでしょうか。

 アニメや映画よりも、まずノベライズや原作小説を読むような派閥の人間なので、つい熱くなってしまいました。
 でも漫画やアニメも、映画やドラマも、詩も戯曲も小説も、どれかがどれかに完全に勝っているということはないと思います。

 でも、小説は売上的には落ちているらしいんですよね。
 オフゲがオンゲに負けてたまるか、若者だが活字離れなんてワナビの俺には関係ないぜ、という旧日本兵のような僕も、いよいよ投降すべきかもしれません。

 長文乱文失礼しました。

サイラスさんの意見

 個人的には、読者、つまり見る側の想像を受け入れられる懐の深さだと思います。

 小説というのは、文字以外情報がないため、読者がいかようにも想像できます。
 声、動きの早さ、容姿等、結構、色々と想像(妄想)できます。
 映像や音が入るとこの部分が決まってしまっているため、見る側は、そのイメージを受け入れざる得ないため、人によっては、不満な要素になってしまいやすいです。

 また、これは、アニメや漫画を作る側からも結構有益で、ある程度のツボ(製作時にはずしてはいけないポイント)を外さなきゃ、作る側の自由が認められるため、一から作るより低労力かつ人気もある程度保障されるので、作りやすいと思います。

 ただ、この自由度は、裏を返せば、脆さを意味しており、見る側によっては、評価が割れやすいうえに、アニメ等にすると、原作の持ち味を壊す原因にもなりますので、安易に頼るのはどうかと思います。

 では。

鳳翼天翔さんの意見

 当たり前の話としては、論理的に、あるいは心情を明快に書けることでございますな。
 今一つは、映像は移っているものが全て目に入ってしまいまするが、文章なら大事なところだけ見せることができまするな。

 映像では全てを見せられる代わりに、見てもらいたいところを見逃されてしまうこともございますな。
 文章なら、見せたいところだけを書けば、どなた様にも見せたいところを見て頂けますな。 

 あるいは、隠す魅力ですな。

まあ世の中、見えそうで見えないところが、そそそることもありましてな。おやおや、これ以上は書くと叱られそうでございます。
 これにて筆を置くと致しましょうかな。

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