カナさんからの質問 2011年12月15日
はじめまして。
早速質問です。
一人称と三人称を混ぜるのはありでしょうか?
例えば、一章の中でその二つを混ぜるのは良いのでしょうか?
同じ場面で混ぜるのではなく、ここの場面は一人称で、場面が移ってここは三人称みたいな感じです
最初のプロローグで三人称で、本編は一人称、みたいなのは見たときあるのですが、上記のようなものは見たことないのでやっぱ駄目なんですかね……
私は一人称が得意で三人称は苦手なのですが、三人称で書いたほうが良いところってどうしても出てしまいませんか?
という訳で、一人称と三人称を一章のうちに混ぜて良いのか駄目なのか。
回答よろしくお願いします。
●答え●
一章の中で、一人称と三人称を混ぜると、誰の視点で物語が進んでいるのかわからなくなり、読者は混乱することになります。
このため、やめた方が良いです。
ご自分でも理解されているようですが、そういった書き方をしている小説をプロの作品で見かけたことがあるでしょうか? プロが採用していない、ということは、そこには確実なデメリットがあるのです。
小説は言葉だけで、作者の脳内世界を読者に伝える娯楽です。
これを作るのは非常に難しく、実際にやってみると、その難易度の高さに愕然とするものです。
この難しい作業に常に挑戦していくのが小説書きの宿命であり、そこから逃げていては良質な作品は決して生まれません。
安易な方法に頼ってしまっては、小説書きとして成長するチャンスをフイにしてしまうとも言えるでしょう。
なにか新しい手法や風変わりな方法を試す場合は、それが作品の質を上げることに繋がるか、読者のためになるのか? 考えてみると良いです。
その目的が作者が楽をしたいため、だったとするならば、読者は馬鹿ではないので、その安易な考えは見透かされることになります。
> という訳で、一人称と三人称を一章のうちに混ぜて良いのか駄目なのか
この手法自体のアリ/ナシを問われれば、アリとしか答えられない。
相応のリスクを承知し、メリットとデメリットの天秤を冷静に見極められるのであれば、だが。
ただし――
> 私は一人称が得意で三人称は苦手なのですが、三人称で書いたほうが良いところってどうしても出てしまいませんか?
理由がこんなのでは、そんなものは単なる「甘え」。
演出上の意図も、作品的な必然もない、ただ「作者の都合」でこの手段を選ぶのなら――ただの安易な方法に逃げただけであるのなら、それは「読者のための手法」じゃあない。
ありと思いますが、必ず段落は変えてくださいね。
でないと、読者はまず間違いなく気づきません。
変えた直後の文章は、すぐに三人称であることが分かるようにもすべきですね。
> 私は一人称が得意で三人称は苦手なのですが、三人称で書いたほうが良いところってどうしても出てしまいませんか?
そういう場合は最初から三人称にすべきかと思います。
ただでさえ苦手なものを、イレギュラーな使い方をすることになるので、なおさら危険度は増すのではないでしょうか。
一人の人物にずっと感情移入しながら読み進めるので、三人称になると読者はいったん頭をリセットさせられます。
なんにせよ、リスクの方が高い手法であることに変わりありません。
初めまして、高橋です。微力ながらもお力添え出来れば、と思います。
とどのつまりは、アリかナシかではなくて、その作品を読んだ読者が理解出来るか、または読者にとって必要な要素なのか、だと思います。
私は専ら三人称なら三人称で書き続けますし、一人称なら一人称で書きます。
何故なら私が想い描く世界観などをそのまま読者に伝えられれば、と思うからですね。
難解になればなるほど、伝えたい事が伝わらなくなってしまうので。
そういった無用なものは排他してます。
出来れば、具体的な例を出していただけると、答え易いかと思います。
有りか無しかであれば、お好きなようにとしか、応えることしか出来ません。
後は、あなたがどう思うか。
それで意味が十分伝わると思えば、有りなのでしょう。
それで訳が判らなくなるのであれば、無しなのでは?
それを、上手く伝える事が出来るだけの自信が有れば、どうぞ頑張って下さい。
見た事がないのであれば、それはアナタのチャンスに変わるかもしれないのでは?
そんな事しか言えませんが、参考になればと思います。
読む側からすればナシです。論外だと思います。
人称が代わるのはただでさえ混乱するものです。つまり読者が苦労をします。
仮にその人称変化に、苦労に見合うだけの「演出意図」なり「価値」なりが含まれているならば読者は我慢できるでしょう。
しかし苦労させられた理由が、筆者が楽をするため……ときたらどうでしょうか。論外だと思いませんか。
苦手でも苦手なりに書くべきだと思います。避けていたら10年経っても苦手なままですよ。
見分けがつくのであれば混ぜても大丈夫だと思います。
ただ、読む側からすると頻繁に変わると読みづらくなりますね。
こんにちは、あざらしと申します。
ただの本好きですので、私が読んでどうかに絞らせて頂きます。
なにをやって頂いても結構です。
ですが、
> 一人称と三人称を混ぜるのはありでしょうか?
こちらの一文から、カナさんが『それはマズイかな?』『普通の書き方ではない』これは重々承知でらっしゃると読みました。
読者としても、この通りなのです。
異質であることを読者に感じさせず、スラスラと読み進めることが出来る。
ひと言でいえば、『読書の楽しみを阻害しないならば』何をやって頂いても結構です。
結論をいうと、これは超絶テクニックをお持ちの作者さんの仕事で、遊び心と、読者を楽しませるための仕掛けかと思います。
不協和音を『聞かせるための手法』として使うテクニックで、失敗するぐらいなら『やらない方がいい』という話です。
ただ、これを超越するのは『めちゃくちゃ面白い物語』です。
「ヘッタクソな文章……」と苦笑しながらでも、めちゃくちゃ面白いならば脳内で補正して楽しんで読みます。
要するに普通に面白い程度ならば、読書の阻害にしかならず、引き算の勝利で、どんどん『面白くない小説』に舵取りされます。
ちなみに一人称を基本としているのに、別人物の視点になったり三人称になるのは往々にして失敗しています。
一人称の最大の利点は、視点人物との同調、感情移入だと思うのですが、視点変化と同時にリセットされてしまいます。
たった三〇〇ページほどの文章の中で、せっかく積み重ねてきた読者の感情をリセットする。
もったいない話ではないでしょうか?
タイトルは出しませんが、某ヒット作ライトノベルで、一人称主人公が知り得ない情報を読者に伝えるための仕掛けを上手にギリギリラインで続けてきた作品が、○巻でついに別視点に切り替わったときは『やっちゃったw』と項垂れました。
個人的に、その某小説が以前よりパワーダウンしたと感じたのは、ちょうどその巻からで、皮肉なことにメディアミックスが決定したのもその巻発売の少し前、ほぼ執筆されていたのと同時期です。
未だ新巻が出れば買ってますが、惰性と注文のついでとなり果てました。
あくまで私個人の感想に過ぎませんが、この現象は何でしょう。
なんとなくですが『逃げちゃダメだ!』という話じゃーないでしょうか。
正直なところ、やらない方が良いと思います。
ではでは。
三人称が苦手なのは三人称の鍛錬が足りていないから。
三人称で書いたほうが良い部分が出てきてしまうのは、カナさんが一人称を使いこなせていないから。
つまりはそういうことです。
万が一章内での人称変更が可能であったとしても、それは両方がしっかりと使いこなせるようになり、読者を混乱させずに、かつなにかしらの意図が含まれていなければならない。
とりあえずは、三人称をしっかりと使いこなせるようになるために、たとえ苦手でも三人称で書くことをオススメします。
私は全然ありだと思います。
一つの同じ場面でやられたら流石にアウトですが、ちゃんと記号なんかで場面を区切って人称変化を行うならば特に混乱を誘うことはないかと。
あ、でも、物語の終盤で唐突に人称変化がおきたら戸惑いますね。
そういうことがしたいなら序盤からやっておくべきだと思います。
例えば、プロローグが三人称で始まって、その後、一人称で第一章が始まるようにすれば、読者は「あ、この小説はそういう手法なんだな」と理解してくれると思います。
こんにちは、クマ太郎と申します。
はっきり申し上げておきますと、「やってはいけません」
ちなみに、三人称でも視点をコロコロ変えるのはタブーです。読者が間違いなく混乱します。
書きにくい、やりにくいとマイナス部分ばかり考えるのではなく、
「それぞれの描き方を楽しむ」ことを考えてください。
一人称は一人称の、三人称は三人称の面白みがあります。
せっかくですから、二種類書いてみては如何でしょう。
キャラクターの新たな魅力に気づくかもしれません。
三人称で書いたほうが伝わる場面もあるとお悩みのようですが、無理に伝えなくてもいいのです。
読者に想像させるというのも、一つの手ですから
それは小説にしかなしえない事であると私は考えています。映像では絶対に不可能ですよね?
では、楽しんでください。
支離滅裂な意見であいすみません。ご参考になれば幸いです。
私は別に大丈夫だと思います。
ただ読者が混乱しなければいいと思います。
三人称と一人称を使い混ぜるとたまに混乱してしまう事もありますので、使う場合は読者に注意しながら書いたほうがいいと思いますね。