ライトノベル作法研究所
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  4. 源流五選公開日:2012/06/29

お勧めライトノベル 源流からの五選

 あみん・ばらっどさんの投稿 2012年06月29日

 新しいライトノベル作品の紹介は既に多数の報告が提出されている。
 だが不思議なことに、そのさらに源流、名を連ねて然るべき古い作品が全く上がっていない。いわゆる「灯台下暗し」ではないけれども、きっと我々コミュニティ参加者の「あえて今さら指摘するまでもない」という意識のせいなのだろう。
 そうはいいつつも、タイトルすら上がっていないという現状は少し寂しい気がするので、「これは絶対に確実」と思われる作品を五つだけ挙げてみることにする。過半は十九世紀の作品であるが、新たな翻訳のたびに表現上の古さは払拭される。それゆえに「常に新しい」作品でもある。
 何よりも「内容の豊富さ」や「質の高さ」がこれらの作品をそれぞれ「オリジナル」と呼ぶに値する名作にしたわけだ。だからライトノベルの模範としての不朽の価値があると思われる。
(できれば古い作品についても、「ラノベ研」コミュニティ参加者のコメントコーナーを設けることを提案します)

1.「ドラキュラ」(ブラム・ストーカー、イギリス)

 十九世紀後半の作品で吸血鬼ものの原点とされるが、実際には先行する作品がある。十九世紀前半にはゴーチエ(フランス)の耽美的な幻想短編小説「死霊の恋」が出ている(岩波文庫やネットの青空文庫で読める)。
 また吸血鬼が血を吸うのは、「命は血」だからという。この「命は血液に宿る」という考え方は、旧約聖書にまで遡る(「レビ記」や「申命記」などの古代ユダヤ教の律法、「血は命であり神のもの」だから「家畜の屠殺の際に血は土に返す」べきであり「肉を血のままに食べてはならない」)。
 イギリスには冒険小説の伝統があるようで、その系譜を色濃く引いている。根底にあるメンタリティと発想は、ピューリタン(清教徒)文化による「自分達こそは正しいのだ」「神は自分達の味方だから、絶対に最後には勝つはずだ」という強固な自信を反映するものである(信念は歴史的にも北アメリカ大陸の征服につながった)。「ドラキュラ」でも、プラグマティックな思考様式(経験・実践を重視)が随所に見られる。
 吸血鬼を描いただけの怪異小説ではなく、ポジティブな冒険小説でもある二重性が本作を名作にしたのだろう。

2.「フランケンシュタイン」(メアリ・シェリー、イギリス)

 人造人間の代名詞。電気で生命を与えるという考え方は、当時の科学思想の影響らしい。ただし「人造人間」というアイデアそのものは、古い時代にもある(ゴーレムやホムンクルスなど)。また「バラバラの屍を組み立てなおして復活させる」というシーンは、旧約聖書中の「エゼキエル書」(原文は未読)を連想させる(ユダヤの国家再生を預言する比喩・幻覚のシーン)。
 作者が女性であるせいか、怪物の「人間的な心の苦しみ」が見事に描かれている。「ヨブ記」(これも旧約聖書)の「ああ神さま、どうしてわたしをわざわざ土から造ったりなどしたのですか?」という絶望の文句が、悲惨な怪物の歎きと苦悩を象徴するように冒頭で引用されている。概して一冊の小説としての完成度が高い。そのためにロマン主義の作品とする分類もある(そもそも詩人バイロンの文学サロン仲間で競作・起稿された)。
 本作は「科学的な人造人間(新しい発想)」+「内面心理描写(古典的手法)」というコラボレーションがミソだったと考えられる。斬新な組み合わせがいかに有意義であるかを示す実例。

3.「オペラ座の怪人」(ガルトン・ルルー、フランス)

 ロマンチックなミュージカルで有名だが、原作はより恐怖や猟奇の色が強く出ており、これぞ「悪の怪人」の原型(勝手に「秘密基地」まで作っている)。スリルとサスペンスに満ちている。さらに外面からの描写が巧みである(これも仏文学の遺伝子のせいか?)。
 この怪人エリックは人間の天才奇術師で犯罪者。フランスの作家にありがちな通俗趣味と現実主義が基調になっており、その点で「ドラキュラ」(犯人が吸血鬼という、現実にはありえない設定)とは対照的。同じ怪奇もののようであっても、なるだけ「合理的」な説明がなされるあたりにお国柄の違いを感じさせる。歴史上フランスは比較的早い段階で国家統一が成され、宗教の権威は没落している(宗教より国家が主導権)。さらに中世の時点でイスラーム文明圏(レコンキスタ前のイベリア半島)の科学思想からの影響があった(12世紀ルネサンス期のシャルトル学派などが有名。ついでに「方法序説」を書いた合理論哲学の祖デカルトもフランス人)。
 もっともルルーは推理小説も書いた人物なので、そんな作者の個性も大きく影響しているのだろう(ただし「オペラ座の怪人」では推理にはさほど重きを置いていない)。
 秀逸なのは舞台設定(オペラ座、ガルニエ宮)。「ありふれた社会」の要素の中に「非日常」要素を混ぜ込んだところが上手い(舞台の華麗さと起きる事件の不可解さ・不気味さの対比で、お互いが引き立てあう)。「社会」(そして恋愛)を描くことは文豪バルザック以来、仏文学伝統の十八番でもある。

4.「海底二万里」(ヴェルヌ、フランス)

 十九世紀のSF。ヴェルヌは「十五少年漂流記」の著者でもある。
 潜水艦ノーチラス号とネモ艦長。どうでもよいが、ネモ艦長のかっこよさは異常。第二部の最後の方で海戦指揮するところとか(「ま、まさかあの軍艦と戦って撃沈するんですか?」という緊張感)。話の終わりの別れのシーン、こっそり船から逃げようとする主人公達(海難救助されて以来機密保持のため、「客」として監禁されていた)を、ピアノを弾きながらわざと見逃したりとか。あと第一部のラストでの、珊瑚の海に眠る同志・戦友の墓のシーンとかもかなり良かった。
 角川文庫訳のあとがきで「もし続編が書かれるとするならば、作中で語られなかった船員達の物語(戦いや人生)だろう」とあった。このアイデアを庵野監督(「エヴァ」)がそのまま実行している(昔のNHKアニメ「ナディア」)。本作にはそれくらい強烈なインパクトがある(同じインパクトでも昨今の安易な破壊・破滅の衝撃系ではなく、荘重で清々しい感動に近い)。
 海のことについてかなり調べて書かれており、アロナクス教授(主人公)の助手コンセーユが魚の分類について喋りまくる。さらに海流についての記述もある。読むのに少々まどろっこしい反面、それもまた作品の魅力だったりする。
 類似する作品にメルヴィルの「白鯨」がある(公表の時期は「海底二万里」よりやや早かったようだ)。こちらは「捕鯨」にテーマで、純文学に分類されるのは哲学色が強いせいなのだろう。それでも冒険小説であることに変わりはない。

5.「狂気の山脈」「時間からの影」などクトゥルー神話作品群(ラヴクラフト、アメリカ)

 割合に新しいけれども、コアなファンからは熱烈な支持を受けており、多くの作品の元ネタになっている。ラヴクラフトの作品テーマは一貫して「宇宙的恐怖」。古代の宇宙生物や知的生命体を数知れず提案した(創元社から文庫で全集が出ている)。
 一つ一つの作品は短いのだけれども、「内容・バラエティの豊富さ」が圧倒的。それだけでなく「独特の語り口」、むやみやたらと深刻な筆致も面白みの理由である(これ重要)。「シリーズ的な人気」なのだと考えられる(あまり目立った主人公キャラクターがいないが、ランドルフ・カーターの連作などはかなりライトノベル的だろう)。
 教え子が「コナン」(キンメリア人)のシリーズを書いている。有史文明以前の世界で蛮人が冒険するヒロイックファンタジー。かつてシュワルツネッガーの主演で映画化された(子どもの時分に見た記憶がある)。こっちの方が一般受けはすると思われる。

●結論

 時代の変化による作品需要の変化は避けられない。新しい作品が次々に生まれてくるものだし、古い作品は埋もれていく。それに古いやり方にのみ囚われて、新しい発想を加えられないならば二番煎じにしかならない。もっともな話だ。
 けれども時代を超えて残る名作は存在する。そういう内容豊富な、あるいは質の高い作品を読みなおして起源を探ることは、新しい作品を作る上でも絶対にプラスになると思う。

●備考

 日本のライトノベルでの「キャラクター性」や「萌え」もまた、「新しさ」を得るための工夫なのだと考えられる。けれどもそれらの要素もまた、別に源流は探りうるだろう。古代の叙事詩以来幾多のヒーローが造形されたのだし、近代ロマン主義の小説(恋愛主題)などでも「魅力的なヒロイン」を造ることは大きな課題だったのだから。

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