管理人のコラム 2012年09月26日
こんにちは。また、ちょっとラノベの歴史について調べたり、考えたりしています。
ライトノベルはファンタジー+SF、学園+ファンタジー+ラブコメ、ミステリー+ラブコメなど、ジャンル複合的な作品が多く、何でも有りだと言われています。
ジャンル複合のメリットとして、それぞれのジャンルの良いところ取りができるというのがあると考えられます。おもしろさを追究すると結果としてジャンルを越境すると言うことです。
過去の大衆小説は、ミステリーならミステリー、SFならSFと、ジャンルが固定されており、ちょっとでもこの境界を踏み越えると、これはSFではないなどと、叩かれたそうです。
ジャンル複合の源流となった作品はなにかというと、イギリスの小説家ジェイムズ・P.ホーガンが1977年に発表したハードSF小説『星を継ぐもの』 (Inherit the Stars)ではないかと思われます。
1970年代はSFブームの絶頂期で、1977年にはジョージ・ルーカス監督の映画『スター・ウォーズ』がアメリカで公開されています。この作品は、ヒロイックファンタジーを宇宙を舞台に展開したものであるという見方をされており、1977年にジャンル複合作品の萌芽があったのではないかと考えられます。
『星を継ぐもの』は1980年に日本語に翻訳されて、創元SF文庫より刊行されています。私が図書館で借りた本作は、創元推理文庫からの刊行と表示されていたので、どうやら後年、創元推理文庫から再版されたようです。
ハードSFなのにミステリーを扱う創元推理文庫からも出されているというのがミソで、この作品はアメリカのミステリー小説専門誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)』にもレビューが載ったそうです。
内容は、月面で真紅の宇宙服を着た死体が発見された。チャーリーと名付けられたその死体は、人類誕生以前の五万年前のものだったことが判明。一体、彼は何者でどこから来たのか? という謎解きものです。
一つの謎を解くと、さらなる大きな謎が襲ってくる、というミステリーの王道を踏まえています。ヒロインとのラブコメや、宇宙人との戦争、地球を救うといった要素は何も無く、謎解きに終始して終わります。
物理学、生物学、言語学、数学、地質学、機械工学などといったそれぞれの権威の科学者が、まったく別のアプローチからチャーリーの謎を解明しようとし、それぞれから導き出された結論が矛盾するなどといった、ハードな科学考証の上に成り立っています。
ミステリーとSFの良いところ取りをした新しい作風であり、現在読んでも新鮮に感じられます。
本作は2011年に漫画化(著・星野之宣)されており、真相が非常に空想的でもあることから、ライトノベルではないかと、揶揄的に評価する人もいます。
また、1979年には栗本薫がヒロイックファンタジー+SF+ボーイズラブというジャンル複合作品、『グイン・サーガ』 を発表しています(当初、BL要素はほとんどなかったが、栗本薫は結末まで完全に構想して本作を執筆しており、BL要素が中盤以降、ストーリーの根幹に関わってくることから、ライトBL作品だと言うことができます)。
この頃は、ファンタジーはまだ日本でぜんぜん浸透しておらず、ボーイズラブも1978年10月に初のBL専門誌『COMIC JUN』が出されたばかりという先進的なジャンルでした。
『グイン・サーガ』は、主人公以外の主要男性陣(ほぼ全員結婚するが……)が全員ホモになっていくという超展開で、魔法が存在する戦国時代的世界を舞台にしながら、そこに物質転送装置や宇宙船といったSF要素が絡んできます。
これもすべてヤーンの織りなす複雑怪奇な運命の糸というか、著者の煩悩を全開にしていながら破綻無く続けられ、全世界で3000万部も売り上げたという希有な作品です。
『グイン・サーガ』はライトノベルか否か、という論争がライトノベルを研究した本などで取り上げられていますが、私的にはジャンル複合要素が強いので、ライトノベルに分類して良いかと思います。
その後、1983年に菊地秀行のヒット作『吸血鬼ハンター"D"』がソノラマ文庫より刊行されました。
未来を舞台にした吸血鬼物で、超科学と超能力、魔物が混在する世界観が特徴です。ファンタジー+SFのジャンル複合作品だと言えます。
このように黎明期のライトノベル(またはこれに類する作品)では、ジャンル複合的作品がチラホラと見受けられます。
その後、1986年に家庭用ゲーム機で『ドラゴンクエスト』が発売されると、日本にファンタジーブームが到来します。
ファンタジーブームはライトノベルに強い影響を与え、『ロードス島戦記』『スレイヤーズ』といった大ヒット作が生まれます。その影でSFが衰退していったため、しばらくラノベ界はファンタジー一色という状態となり、ジャンル複合作品は生まれにくくなります。
その後、1996年にオカルトとSFが融合した古橋秀之の『ブラックロッド』が刊行されます。
これを機にライトノベルは黎明期と同じように、ジャンル複合的作品が数多く作られるようになり、何でも有りと言われるようになっていきます。おそらく、この現象はファンタジーブームの終演とリンクしていると思われます。
お尋ねしたいのは、『星を継ぐもの』より先に、小説でジャンル複合作品がなかったかということと、このラノベ歴史観についてどのように思われるか、意見などいただければと思います。
●答え●
そもそも、ジャンル複合ってそこまで注目すべきでもないんじゃないか、と思ったりしますね。
竹取物語にてからが、当時で言えばラブコメ+ファンタジー+SFみたいな感じで、なんかもう越境しまくってますし。
とはいえ、ライトノベルは雑多なジャンルを内包し、ただただライトノベルであることだけを条件にしている分、垣根を作り最初から当該ジャンルで公募をかけている他ジャンルよりも、ジャンル複合に抵抗がないのではないかとも思えます。
ちなみに、竹取物語で納得がいかないなら、より近いところで戦国自衛隊(初出1971年)なんかでもいいかも知れません。SF+軍事+時代劇とか、どうみても越境してますし。
グイン・サーガのBLは、吟遊詩人の設定は歴史通りとして、後半目立ってきたものですし二次作品をのぞけば、あくまでもプラトニックというか作者の好みの範囲内ってことだと思います。
>魔法が存在する戦国時代的世界を舞台にしながら、そこに物質転送装置や宇宙船といったSF要素
設定はかなり分かっているので、ランドックとアウラが判明しているので、荒唐無稽ではありません。
Wikipediaにでているので書いても良いのかなぁ……
でも読んでいただいたほうが面白いですよね。
いろんな考えがあると思いますが、ラノベは表現方法なのではないかと思います。
必ずしも東浩紀氏に全面的賛成ではありませんが、成書なので参照させていただけば……
xy平面にジャンルの区別があるとすれば、今までのSFがz=z(0)平面にあるとするなら、ラノベ的SFはz=z(n)にあるという感じです。
参考・東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』p68 図1.2
日本の場合、ジャンルというより村っていう感じがします。
SF村とかミステリー村とかいうのがあって、なんか仲間内でしか通じない方言で会話して、「これが分からない人はダメなんだよね~」って言うんですね。けっこう不愉快ですw
これって日本民族の国民性とも思いますが、小説の場合、日本の近代小説ってやつがたかだか百数十年前にヨーロッパからムリヤリ移植されたことにも原因があるのかなと思っています。
それまでの日本の大衆文芸って講談・チャンバラの世界だったわけで。だから時代小説・歴史小説・剣豪小説はスムーズに成立したものの、現代を舞台にしたミステリーとかSFってどうしたらいいか分からなかったんだと思うんですね。
ミステリーについては、真っ先に高いレベルで成立したのが捕物帳。その後、江戸川乱歩が一世を風靡しますが、乱歩の小説ってミステリーなんでしょうか? どう見てもあれは怪奇小説・幻想小説に近く、その後、夢野久作のドグラ・マグラなどにも繋がって、そういうのを当時は「変格探偵小説」なんて呼びました。
すみません、何が言いたいかと言いますと。
欧米文学から性急にエンタメ小説を持ち込んだものの、入れる箱がよく分からなくて、ミステリーっていう箱にムリヤリ放り込んだんですね。
なにせ、エドガー・アラン・ポーはミステリーもSFも、怪奇小説も、ドタバタギャグも、一人でこなしてるエンタメ文学の百貨店。そのポーが『モルグ街の殺人』で「探偵小説の父」と呼ばれている。そうかヨーロッパのエンタメ小説の真髄はきっと探偵小説なんだってなもんです。それでポーをもじって江戸川乱歩なんですね。今でも人気のあるテレビ・ドラマってミステリー系がかなり多いんじゃないですか?
その後日本のミステリーはかなり洗練してきましたが、次に流行したのがSF。歴史は繰り返すで、何でもかんでもSFっていう箱に放り込む時代がありました。
だいたい筒井康隆がどうしてSF作家? あれはドタバタコメディとブラックユーモアの名手(余技でジョブナイルも書いてる。あれが一番SF的)。
>この頃は、ファンタジーはまだ日本でぜんぜん浸透しておらず、
そういう時代がありました。その頃ファンタジーを書きたい書き手はどうしていたかと言うと、SFに潜り込んだんです。コアなSFマニアの「あれは本当のSFではない」という侮蔑の視線に堪えながら。
結局。なんらかのレッテルが無いと、ものごとって認知されないんですね。
書き手はただ単に「面白い物語」が書きたいだけなのに、「これってSFですか? ミステリーですか? ファンタジーですか? ポルノですか? ラブコメですか? BLですか? 時代小説ですか? 伝奇小説ですか? 純文学ですか? 二次創作ですか?」って質問されてしまうんです。
ホーガンの『星を継ぐもの』は若い頃読みました。ガチガチのハードSF。萌えの欠片もありません。でも名作だと思います。
個人的にあれがSFとミステリーの複合作品だと思ったことはありません。あれこそがSFの王道だと言う人もいます。謎を提示するのはむしろ小説本来の手法でしょう。
いくつかの要素が融合しているのが小説の本来のあり方であって、そこにレッテルを張ることの方に無理があるのだと思います。
個人的な考え方はそれはそれとして。むしろ細分化しすぎているとも思える現代の日本の小説状況の中で、ラノベが群を抜いてジャンル横断的なのは事実だと思います。そこに魅力も感じます。アニメやマンガならとっくに実現していることだと思いますが、小説の世界では確かにラノベだけかもしれませんね。
どうしてそういうことがラノベでは成立したのか?
その答えは分かりませんが、個人的な想像として、ややシニカルな見解かもしれませんが、ラノベそのものが一つのジャンル・レッテルだからではないでしょうか?
人間はレッテルがなければ安心できません。しかし、この世界ではラノベそのものがすべてを覆うレッテルとしてすでに存在しているので、その中での細分化は必要とされないのではないでしょうか?
だからラノベって、外から眺めると小さなコップの中でなんかやってるな~という感じに見えてしまいます。でも中に入ってみると、バラエティに富んで融通無碍。なかなか面白いんですね。
ラノベ前史的なジャンル複合作品ですか。
上に書いたような理由で、複合とは少しニュアンスが違う気はしますが、江戸川乱歩はそうだったかもしれません。他に、思いつくままに。飛車丸様が『戦国自衛隊』をあげていらっしゃいますが、半村良は伝奇小説とSFの融合でも面白い仕事してますね。
そして伝奇と言えば山田風太郎。『魔界転生』は時代劇+ファンタジーの傑作だと思います。
取敢えず、思った事を・・・
私は、ライトノベルと言うジャンルは、拘りや括りからはみ出したものの様に思えます。
どれが面白いか、それぞれに面白いのだから、それを合わせても面白いから、そうなっただけの様にも・・・
ジャンル複合したと思われるモノでも、根本としては私は物語りとしてしか見る事が出来ないので、何とも言えません。
それが既に、私の中で当たり前で有ったので・・・
ミステリーやファンタジーは其々でも面白いし、混ざっても根本は物語りとしてしか見ていないし、見る事しか出来ない。
今は、また変わりつつあるのだろうという節目に差し掛かっているのではないかと思われます。
参考にはならないと思われますが、思った事を挙げさせていただきました。
ジャンルの排他性は戦後のSFが特殊だっただけで、ミステリーは別に閉鎖的ではないような。
昔はジャンルの観念が存在していなかったというわけではなく、時の移り変わりで当時の共通認識や社会常識が失われたために、現代人がかつてのジャンルについて正確に理解できなくなっただけというのが実態に近い気がします。今では時代物として一括りにされている小説群も、昔は軍記物・仇討ち・お家騒動・怪異譚と、それぞれ全く異なるジャンルとして認識されていましたからね。
今では「SFの祖」と呼ばれているジュール・ヴェルヌの作品にしても、紀行文学・冒険小説・幻想小説・政治小説といった従来からあるジャンルを融合させた上で、独自に博物学的な(「科学的な」ではない)知識を添加したものですし、推理小説の完成者として有名なコナン・ドイルも、本来は体制派の政治評論家であり歴史小説や科学小説の作家であって、決して推理小説の枠内で物事を考えていたわけではありませんから。
そのことから考えると、今では自由なジャンルと考えられているライトノベルも、近い将来、ジャンルの枠が不可逆的に硬直化していくのかもしれませんね。あまくささんのいうジャンル村の弊害に対して、ライトノベルは決して自由な存在ではないと思います。