紙飛行機さんの質問 2013年04月13日
こんばんは、紙飛行機です。
最近になってロボットアニメが深夜帯ですが増えてきましたよね。ですが、小説作品においては時々「ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い」と言われます。
ですが、それって本当なのでしょうか?
僕的には小説作品に巨大ロボットを出す利点はあると思うのです。皆様はどうでしょうか?
個人的な意見としては、まず一つ目に、人体欠損のようなグロテスクな表現、イメージを読者に植え付けさせずに、なおかつ右腕左腕など部位の欠損におけるダメージ表現を行える点にあると思います。
ガンダムなんかがその典型ですよね。毎回ガンダムでは主人公機が腕なくなったり、メインカメラなくなったりしていますよね? さすがに人体欠損の描写を今の日曜五時にやれませんが、ロボットであれば、グロテスクなイメージを抱かせずにそういった描写で物語を盛り上げることができるのです。
その他にも、巨大な物質の破壊描写についても、身長二メートルにも満たないの生身の人間が行うよりも、全長十七mのロボットが行うほうがイメージしやすいような気がするのです(個人的ですよね、すみません)。
●答え●
私個人の意見として受け取ってください。
「未知のエネルギー」というのはきいただけでわくわくしませんかね?
ゲッター線や光子力、螺旋力など、はっきりしないけれど、人の想いなどに反応して力が増幅されるエネルギーは、私が小さいころからみていて、大好きでした。
また、「パワーアップ」が容易なことですね。
例えば、試験用のロボットで戦っている間に戦闘特化のロボット、武器を作成して敵を倒す。
人間みたいに修行とかいらないんです。
ガンダムのようなビーム兵器、実弾兵器だけではなく、ビックオーのように拳を叩きつけてから衝撃をうわのせするサドンインパクト。マジンガーをはじめとしたロケットパンチなど、ありえない攻撃方法ができるのも魅力的かと。
飛行機などの乗り物に変形も生物じゃないからこそできる業だと想います。
まあ、これらは小説に限った話ではないですが、小説ではこれらの魅力を迫力以外の細かなところまで書くことができるので、おもしろいかと思います。
小説ならもったいぶってから武装を紹介するのもいいですね。
人型のロボットだと人間と同じことしかできないイメージわいたりしますから。ガンダムみたいに武装で戦うと思ったら……みたいに。
参考になれば、いいです。では。
あなたの挙げたメリットに小説ならではのものが一つもないどころか、どれもこれも文章より映像で生きるものですし、何よりいくらアニメでロボットが盛り上がろうと、小説で盛り上がっていない以上は、机上の空論の域を脱しないと思われます。
たしかにロボットなら、思い切りぶち壊せるかもしれませんね。 なるほど。
飛車丸さんはああ言ってますけど、別に小説ではやれない、という反論としては不十分だと思います。机上の空論? ではない気がします。
でも僕の信じるところだと、小説の場合、利点があるからロボットを出すというよりは、作者がロボットものが好きすぎて出す、という感じなのだと思います。
『イコノクラスト!』 や『デュアル・イレイザー』 などそんな気がしました。ロボットものは、ただロボットものというだけで食いつく層がいる(僕もそうかも)ので、そこへ向けて書くということ自体がすでにメリットなのかもしれません。
誤字脱字に定評のあるちきです。
確かにそうですよね~。最近、ロボット物が多いですよね~。エヴァの影響かな?
私もロボット物やSFが大好きなん人間なんで、ロボット物のネタを複数持っています! 現在、初期案考え中!!
文章でロボットを表現するのは非常に難しいです。「ファーストガンダムの外見を文章で表現して。出来るだけ細かく」と言ったら、いやになりませんか? 外見も難しいに戦闘描写はさらに表現が難しいです。
かの『フルメタルパニック!』の作者、賀東招二先生ですら「空戦は難しいからASは陸上兵器にした」そうです。
戦闘シーンは細かく書いても、伝わらないので抽象的な表現になりがちです。
ちなみに、ロボットの戦闘描写よりも難しいものが戦闘機同士の空中戦です。あれを文章化するのは骨が折れます……。
動画サイトで「曲芸飛行」と検索してみてください。それをそっくりそのまま文章化してみてください。泣きたくなりますよ。いや、本当に……(ちなみにちなみに、その上行くのが宇宙空間です)。
ロボットにオリジナルティさをだすために兵器システムも必要です。「このロボットの運用方法は、これこれこういった感じ」といった具合です。
兵器システムと言っても難しく考える必要はありません。『マクロス』シリーズのバルキリーは可変するロボット。『ガンダム』シリーズのMSは陸上と宇宙を戦うロボット。『フルメタルパニック!』 のASは陸上最強の兵器。と言った感じのオリジナルティです。
あと、ロボットはヒト型。脚があるのに空中戦ばかりしていては、意味がありません(この穴にはまりました……)
ごく最近、ヒト型なのに空中戦ばかりしている作品を見ました。「戦闘機でいいじゃん」と思わず突っ込んでしまいしたが「ラノベだったら戦闘機よりロボットだよね」と数秒で開き直りましたが(笑)
以上の事を踏まえると、ロボット物は文章力が非常に必要なジャンルです。
でも、思ったことがあります。小説利点は、心理描写。なら、ロボットの戦闘描写はあまり書かずに、その中のパイロットの心理描写や過酷な戦闘をするパイロットたち決死さを中心に描けばいいんじゃないか、と。
たとえば「ロボットの動力がパイロットの生命力でロボットに生命力を吸われながら戦うパイロットの心理。敵に倒されるのが先か、ロボットに生命を吸われるが先か……」どっちみち死ぬのだけが見えている。
ものすごく絶望的で心理描写のオンパレード!
これと類似しているものが戦闘機パイロットですかね。空中戦はGという加速度の中で戦います。このGでパイロットは血が頭に回らなくなって失神してしまうこともあるそうです。失神=死が待っています。パイロットたちは体を鍛えて、必死にGに耐えて敵機と戦います。
実際の話を聞いたわけではありませんが、空中戦ではほんの僅かなんミスが、死に直結するそうです。
あと、背負っているのものを馬鹿デカくしてみるとか。たとえば、「主人公が戦わないと、世界が滅ぶ。主人公は本当が戦いたくないが、世界とヒロインを守るためにロボットに乗る」とか。
いろいろ難題があるロボットものですけど、私がこのジャンルを書く理由は物凄く簡単です。好きだから!! です。だってかっこいいじゃん!!
長文、失礼しました( ̄^ ̄ゞ ケイレイ!! !
いい作品ができるといいですね お互い頑張りましょう!
>人体欠損のようなグロテスクな表現、イメージを読者に植え付けさせずに、なおかつ右腕左腕など部位の欠損におけるダメージ表現を行える点にある
それが理由で、少し前はラノベ界にて不死者が流行りました。
作家の間ではなく編集の間で。
死者には人権がないから基本的に何してもOKというのが理由だそうです。
コミカルに書けばグロテスクにもならないし、死者だから血も出ないしね。
>巨大な物質の破壊描写について
その「巨大」さを描写するのが難しいんです。17メートルと言われて17メートルを想像できますか。
だいたい6階建てマンションと同じくらいです。かなりデカいですよ。
そして市街地の場合、そんな巨大なものが動いた後の街の惨状を想像できますか。
なにより、文字表現だけで見るとあえて描写しにくい「巨大ロボット」を扱う理由が特に思いつかない。
戦闘においては、表現が変わるだけでやってること・できることは変わらない。むしろロボとパイロットの書き分けが必要になって面倒が増える。
話題については、ロボの場合は搭乗という動作が増える。おかげで偶発的に街中で敵と戦闘が始まるなんて展開が無理になる。
逆に「ロボがないから戦えない」というもどかしさを書けますが、それはロボじゃなく人であっても「武器がないから」と置換可能な事が多い。
百歩譲ってロボを肯定しても、巨大である必要性がない。そして現実性もない。
また、軍隊や特殊な環境などにおいてロボを扱う組織の話とすると主人公の年齢が上がってしまう(これは良し悪し)。
そうした組織の話などをメインとして、要素の一つとして巨大ロボがいるというなら面白そうな話が書けそうな気もします。
しかしながら、少なくとも私としては「あえて扱うほどの魅力はロボにはないな」という答えです。
いや、書きたいなとは思うですけれどね。ネタの優先度はどうしても低くなっちゃう。ゲームシナリオなら書きますが、小説だと今ひとつ執筆には足らないかなぁ、と。
●追記
自分のレスを読み返してみたら否定意見しか書いていなかったので、少し追記します。
まず「巨大さ」ですが前途の通り、これを描写するのは難しいです。
雷さんが補足してくださいましたが、市街地において「6階建てマンション」という描写ならともかく、荒野や海上では比較対象がないため、巨大さを描写することができません。
ですが、発想を変えて「じゃあアニメはどうだ」と考えてみましょう。ガンダムが宇宙空間で作業しているシーンは、ガンダムの巨大さを視聴者に伝えることができているでしょうか。
絵でも映像でも、結局は「比較対象」がなければ、その巨大さを描くことが難しいんです。
つまり、ガンダムだろうと勇者王だろうと、「巨大さ」というサイズはぶっちゃけどうでもいいんですよね。
ちなみにグレンラガンは「だんだん大きくなる」=「相対的に小さくなる敵」を描くことで巨大さをアピールしていました。 銀河を投げたりするあたりはもうインフレでしたけど。あのあたりはノリだね。
サイズはどうでもいいため、多くのラノベ作者は、まず最初にロボである必要性を疑う。
私もそうです。私はロボの戦闘と能力者の戦闘とは、見た目が違うだけで世界観の問題という認識ですから。
ですが、最初に戻って、「巨大さ」を描写するのは難しいです。しかしながら、文章は映像とは違って、「比較対象がなければ大きさを伝えられない」というわけではない。
例えば、読者が「元から大きい」という先入観を持っている物体を扱う。
「都庁ビルがロボに変形した」どうでしょう。この一文だけで巨大さは伝わりませんか?
「東京タワーを槍のように振り回す」どうでしょう。大きさがイメージできるかなと思うのですが。
まあ、どっちも市街地なうえ比較対象ありますね。
読者は「東京タワー」が建ってる状態でしか知らないため、これを荒野で振り回す巨大ロボの姿は相対的に巨大なイメージを持つのではないかと考えます。
絵や映像だと「東京タワーを持ってる姿」が見えちゃうので、逆にデカさが伝わらないと思う。
ぶっちゃけ私見ですが、描写しにくい「巨大さ」を、むしろ武器にして執筆するのであれば、きっとそれは小説でしか成し得ない作品になると思います。
いやまあ、17メートルじゃ東京タワーは振り回せないけどさw
なぜ利点だけを取り上げるのかがよくわからないです。僕もあなたの意見には基本的には賛同です。利点は確かにあると思います。
ただし先の見解は利点と欠点(難点)など多角的に分析した結果だと思います。利点があるとかないとかが論点ではなくて。つまり利点だけをあげても意味がない。
もし先の見解を否定したいのなら、ロボットものを文章で表現する必要性を訴えなくてはいけないでしょう。映像よりも文章で表現する必要性が高いことを皆に説明しなくてはただの妄想です。
> まず一つ目に、人体欠損のようなグロテスクな表現、イメージを読者に植え付けさせずに、なおかつ右腕左腕など部位の欠損におけるダメージ表現を行える点にあると思います。
> その他にも、巨大な物質の破壊描写についても、身長二メートルにも満たないの生身の人間が行うよりも、全長十七mのロボットが行うほうがイメージしやすいような気がするのです(個人的ですよね、すみません)
この意見だけでしたら僕は「ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い」の見解の方を支持します。
その理由ですが、
一つ目は、ロボットものにおいてグロテスクな表現の必要性がそもそも感じないです。
二つ目の破壊描写についてはロボット云々以前のお話で、そもそも文章よりも映像で伝えられるほうが視覚的(感覚的)にイメージしやすいです。
・部位欠損によるダメージ描写に関して
部位欠損は確かにグロテスクですが、少年漫画でもやってる例は挙げられます。
ロボットだからという言い訳がなければ決して日の当たるところ出せないってほどの禁忌では無いと思われます。
つまり、ロボットである必要性が薄い。
さらに、そもそも何故部位欠損というダメージ描写が必要になるのかを考えます。
その理由は、あざや出血(ロボットなら装甲凹みやオイル漏れ?)といった小ダメージより上のダメージを描写したいからだと思います。
しかしながら、文字は視覚より、ダメージ表現の幅に関しては優位にあります。
「肋骨が折れて内臓に突き刺さる」などのダメージは、漫画であっても文字で表現される事がその証拠でしょう。
こうした目には見えにくいダメージ描写を扱い易い小説にとって、部位欠損というダメージ表現自体の必要性が薄いと言えます。
・巨大物質の破壊描写に関して
個人的には同じサイズの物を壊すなら小兵が行う方がより燃えますが、それはともかくとして。
巨大物質も視覚的な面の強い要素ですから、やはり文章で扱う必要が薄くなります。
破壊を困難にするだけなら、材質や構造等の視覚では説明しがたい面で補えてしまうので。
以上の事から、紙飛行機様の主張する『小説作品に巨大ロボットを出す利点』は、『ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い』とする意見を覆すには足りないと私には思われます。
が、必要性の薄い事をしてはいけないと言うつもりはありません。
こうした壁を乗り越えられるだけの愛のこもった作品を期待します。
>小説作品においては時々「ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い」と言われます
>僕的には小説作品に巨大ロボットを出す利点はあると思うのです。皆様はどうでしょうか?
前半と後半が繋がらないと思うのですが。
「ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い」は、漫画・アニメ・小説などの各媒体で比較して、表現しやすさでいうと漫画・アニメ>>>>>>>>小説という意味ですよね、たぶん。
それが嘘か本当かという話と、後半の利点の話がどう繋がるのですか?無関係ですよね。
>まず一つ目に、人体欠損のようなグロテスクな表現、イメージを読者に植え付けさせずに、なおかつ右腕左腕など部位の欠損におけるダメージ表現を行える点にあると思います>
>その他にも、巨大な物質の破壊描写についても、身長二メートルにも満たないの生身の人間が行うよりも、全長十七mのロボットが行うほうがイメージしやすいような気がするのです(個人的ですよね、すみません)
視覚的なイメージしやすさは完全に個人差なんじゃないでしょうか。
ロボット物を沢山見ている人でなければ、機体よりもキャラが動いているほうがイメージしやすいと思いますけどね。
あと、ロボット物を小説で表現することのデメリットはなぜ考慮しないのですか? ビジュアルが最大の難点だと思いますけど、小説でエヴァやガンダムなどを一から表現しようとすると、ビジュアル以外にも難点が生じる気がします。
私はロボット物はあまり好きではないので、ロボット物を見る・読む人のことはよくわからないんですが…。
機体はかっこいいと思うんですけど、「少年少女のパイロットが出てきて、偉いおっさんたちがぐだくだ話し合ってて、戦ったり休息したりしてたらいつのまにか最終回、微妙に暗いラスト」という印象で、あまり爽快感が得られないので…。
ガンダムシードは人気でしたけど、敵を倒す爽快感がない設定なので、私は見ませんでした。何が面白いのかさっぱりです。
エヴァはロボット物というより暗くてイタイ厨二病系青春物として見てました。
話が脱線しましたが、利点よりも、「ロボット物はロボット物が好きな人が読んだり見たりする、好きじゃない人はあまり読まない」ことを念頭に置くべきかと。
「毎回腕なくなってるけど、話の都合上、なんかかやして助かるんだろうな」と思ってしまって、戦闘にあまり力点を置かない人もいますので。
「ロボットものはビジュアルの要素が強く、文章で表現する必要性が薄い」というデメリットについて、私なりの解釈というか、理解の仕方を書かせていただきます。
例えば、小説作品での数少ない成功例といえる、『フルメタルパニック!』です。
これは私も愛読しているのですけれど、正直、ASという兵器のビジュアルイメージが、表紙絵になっているアーバレスト以外は掴みにくかったなという印象があります。
M9〈ガーンズバック〉はもちろん、Rk-92〈サベージ〉やM6〈ブッシュネル〉などは、物語に色を添える名量産機であると思うのですけれど、どれだけ細密に描写されようとも、アニメや模型を目にするまでビジュアルイメージが全く持てませんでした。
一応、サベージに関しては『直立したカエル』という、言い得て妙な比喩がありますけれど、それにしても各種商品展開によるビジュアルを目にした後で、ようやく納得できたところです。
何が言いたいかというと、やはり、ロボットものでビジュアルが掴みにくいのは、ロボットものである(=ロボットが出てくる)という最大のセールスポイントにおいては、明らかなマイナスなのですよね。
百聞は一見にしかずと言いますけれど、その通り、私の場合はアニメや模型を見て初めて、ASという兵器の体系を理解できたぐらいです。
アニメ未視聴のときに、作者があとがきなどで「コダールの放熱索が~」だの「M9の構造の~」だのと書いているのを見ても、話がいまいち理解できなかった覚えがあります。
ただ、それは、ビジュアルを掴んでからは理解が進むということでもあります。
ライトノベルの場合、挿絵があるのは基本ですから、その使い方を間違えなければ、実のところ欠点はだいぶカバー出来たりします。
先に例に挙げた『フルメタル・パニック!』の場合、第9巻の『つどうメイク・マイ・デイ』以降は登場するASの情報を巻末や扉絵に挿入することで、ロボットものとしての魅力を引き上げることに成功しているといえるでしょう。
純粋に人物の心象描写だけを読み解く上では、蛇足以外のなにものでもないですけれど、本当にロボットものとして魅力的な文章を書けているのであれば、そうした視覚情報のプラスは物語の深みや厚みをぐっと引き立ててくれるものです。
そういう意味で、それらの要素を充実させた『フルメタル・パニック! アナザー』 は、別作者の書いた続編とはいえ、成功しているのかと。
もちろん、新人賞に応募する場合は、挿絵なんてつきませんから、そういう意味ではロボットものをロボット推しで書くことは大きなデメリットです。
かくいう私も、一応はロボットもの(詳細に言うならメカ少女というマイナージャンルであり、巨大ロボットでもないのですけれど)で挑戦しましたけれど、評価シートを見る限りではロボットものとしては評価されていなかったのかなという印象でした。
他の点での至らなさがあるにしても、やはり、ロボットもので新人賞に立ち向かうには、それ以外の面で魅せないと難しいですし、なによりもロボットものである最大の利点を発揮できないというのが大きなデメリットだと思われます。
また、もしネット小説などで書くのだとしても、魅力のあるロボットを描ける絵師さんを引き込むなどしないと思い通りに見せることは難しいかもしれませんし、同じことはプロの作家にも言えるのでしょう。
私は、一応、件の新人賞で落ちた作品を公開していますけれど、作品の魅力を最大に引き出すためには良い絵師さ んが不可欠だなぁと思っていたりします。
……気休め程度に自分で絵も描いていますけれど、下手なイラストはかえって、マイナスのような気がしてならないですしね。
質問の動機がよくわかりませんが。
ロボットものの小説を面白くする演出法を教えてほしいというわけでも、皆さんはロボットものが好きですかというマーケティングリサーチでもないようだし。
質問者の中で話が自己完結していて、これじゃいくら議論しても発展性がないんじゃないですかね。
ロボットものの小説が一般に受け入れられるはずだと言うなら、まずは自分で試作を発表してジャンル素人の目で公正に判断してもらったり、似たようなジャンルの成功作を引き合いに出して「この演出を転用すればロボットものを面白くできるはず」ということを例証すべきじゃないんですか?
それができないから所詮は机上の空論と一蹴されるんじゃないかと。
「ロボットを出す必要性が薄い」のではなく、「ロボットを書くのが難しい」、もしくは「ロボットを書くだけの知識が書き手にない」のが実情だと思います。
アニメやマンガなら物理や工学を学んでいなくてもロボット書けますし動かせます。絵で大体分かりますからね。
しかし小説になるとロボットの外見を書くのも難しいですし、ロボットが動く機構も説明しなくてはなりません。これはかなり難しいです。
一度自分で書いてみたら分かります。少なくとも「ガンダムのようなロボット」とは書いては笑われますよ(^^;
>ただ最初のやつは、小説〝ならでは〟というわけではありませんが、小説でも当てはまる利点なのではないでしょうか?
当てはまりません。いえむしろ、小説では映像が無いという利点を生かして、「グロテスクな場面でビジュアルのあるメディアよりグロテスクさを感じさせない」ということが可能なため、真逆ですらあります。
こういうものが、小説ならではの利点の一つです。
他にも、小説ならではの利点は少しどころかいくらでもあります。
そして、ロボットものの小説が少ないから机上の空論っぽくなる、なんて酷く失礼な物言いはやめましょう。
ロボットものの作品を世に送り出している人、中でもノベライズ以外でそれをやり遂げた人は、机上の空論で終わらせることがなかったからこそ、それだけの作品を作り上げることが出来たんです。
数は少なくとも、吸収出来る事は山のようにあるはずです。
まあ、仕方ないで終わるならそこまでですが。
こんにちは、雷です。
興味深い話題だったので、遅ればせながら意見などを。
他の方々も言及されていますが、どれほどグロテスクな描写でも“ぼかした”表現が容易にできるのが、小説の利点の一つです。肝心なところを読者の“想像”にゆだねることができますからね。
漫画やアニメは、そうはいきません。
これらは視覚に直接訴える媒体であるために、モザイクをかけるか、見切れさせるか、いっそ開き直って包み隠さず描いて見せるしかありませんから。
紙飛行機さんの理論では、そうした漫画やアニメに課せられたハンディキャップが、ロボットものなら解消されるわけです。
ついでにいうと、これは「巨大ロボット」だけの利点ではなく、等身大のアンドロイドやサイボーグでも同じことがいえるはずですが、本筋ではないので割愛します。
>他にも、巨大な物質の破壊描写についても、身長二メートルにも満たないの生身の人間が行うよりも、全長十七mのロボットが行うほうがイメージしやすいような気がするのです
これも、はたして「全長十七mのロボット」を読者が正確にイメージできるかが疑問です。
すくなくとも僕は、「十七m」が具体的にどれぐらいの高さか分かりません。
たとえばsmanさんの「6階建てのビルと同じ高さ」という表現は、市街戦なら有効でしょうが、山林などでの野外戦や、海戦、空中戦などでは、かえって臨場感を阻害するかもしれません。
ですが漫画やアニメでは直接、絵で表現できるので、これらの問題があっさり解決します。
むしろ巨大ロボットものは、漫画やアニメに向いたジャンルといえるのではないでしょうか。
しかし、だからといって、僕は小説で巨大ロボットを扱うことを否定したりはしません。
ぜひ、文字だけで表現するというハンデを克服して、面白いロボットものを書いてください。
すこしでも参考にしていただければ幸いです。
どうも、サイラスといいます。
なんか、質問の意図が分かりにくい質問ですね。ロボットを小説に出すメリットということでなら、いいならお話します。
結論から言うと、シンボルとしては分かりやすい点ぐらいかなと思います。
巨大ロボットを作るとか、古びたロボットを再起動させるといった物語のシンボルとしてはわかりやすいかなと思います。
ただ、戦闘が絡むと多くの方が書いたように、難易度が上がります。読者に分かるようにロボットの特徴や動きや戦闘の流れを説明しないといけなくなるため、書き手の技量がかなり問われます。
また、ロボットものというのは、日本だと、漫画やアニメといったビジュアル面から入り、その後、ノベライズ(小説化)したという歴史を辿った関係上、まだ、ロボット=ビジュアル重視という側面が強いです。
以上かな。では。
どうもこんばんは、夜霧です。
面白そうな話題だったので、少し意見でも。
巨大ロボ系のジャンルは一定の需要が見込めるので、そのジャンル自体は否定しませんが、わざわざ出す利点があるかと聞かれると否定的な感じですね。
個人的には『グロテスクな表現、イメージを読者に植え付けさせずに部位の欠損におけるダメージ表現を行える点』や『巨大な物質の破壊描写についても、身長二メートルにも満たないの生身の人間が行うよりも、全長十七mのロボットが行うほうがイメージしやすいような気がするのです』といった利点?の為にわざわざ巨大ロボを出す必要はない気もします。
ロボ物自体は否定しません、それ自体が魅力的なジャンルですので。
しかし『小説作品に巨大ロボットを出す利点』を得る為にロボを出すのはコストリターンが悪すぎるので、肯定できないのが私の意見ですね。