佐々さんの質問 2013年05月13日
何かと話題のガールズ&パンツァーというアニメをつい最近観ました。
で、よく出来てるなー面白いなーと概ね好意的な感想を抱いたんです。
そこで、ネット上の他の人の感想を覗いてみたのですが、
これぞ王道!
王道ストーリーの素晴らしさに感動しました!
みたいなの王道アゲが多くてなんか違和感を覚えたんですよね。
というのも、あれ作品自体はよくできてますけど、ストーリー自体は別に特筆するとこないじゃんと。
まあ、王道だよねとは言っても、そこまで手放しに誉めるほどのものはないというか。
王道と言えば王道でも、私には無難とか大してひねりがないとかベタベタとか、そういうまあまあな評価のとしての王道に思えました。
子供向けアニメ的なちょっと安いまっすぐさみたいな。
でも、そうじゃない方も多いみたいで。
“神”レベルの王道ストーリーぐらいの評価を与えてるのも見かけたりします。
今時のクリエーターはこれを見習うべきとか言ってる方もいますし。
で、ちょっと心配になってきて意見を求めたいのですが、これって、私の感覚が錆びてるんですかね?
つくりは非常に丁寧でしたからガルパンという作品の出来の良さはわかります。
だけど、あれはストーリーだけでも電撃大賞で楽々受賞できちゃう神クラスの素晴らしい脚本なのでしょうか?
それとも作品全体を誉める際の勢いにつられてストーリーも誉められてるだけ?
1視聴者としては別にどうでもいいのですが、クリエーター側としてはなんかすっきりしないものがあります。
何よりも、王道とはそれほどまでに良い物なのでしょうか?
●答え●
ガールズ&パンツァー知らないのですが、ただ見て楽しむ人と作品をより理解して楽しもうとする人と、作品を分析する人っていますよね。
楽しもうとする人がすごく楽しめたのなら、神レベルになりますよ。そんな娯楽にいちいち文句つける必要ありませんもん。今まで出会った作品の中で一位とか上位になっているなら神レベルに判断されます。
けど、批評家などの分析する人は違います。良いところと悪いところを見つけて、評価します。
佐々様はそういう類なのでしょう。いや、ここの人はほぼそうかもしれません。
分析されつくした評価が簡単に見られることはありません。
ふと思ったのは「今時のクリエーターはこれを見習うべき」というのは作りの丁重さでは?
あれはストーリーだけでも電撃大賞で楽々受賞できちゃう神クラスの素晴らしい脚本なのでしょうか? というのですが、ストーリーだけで受賞できたらここの人たち苦労してないと思いますよ。
つまり、ストーリーだけでみたら、どんなものでも楽々受賞で出来ない、と私は思います。ストーリーがどんなによくても作りが丁重でなければだめですし、設定がいかしきれてなくてもだめです。
つまり、そういうことです。
参考になれば。
ガルパン、夕方のニュースに取り上げられていましたね。
個人的に、朝や夕方などの子供向けアニメがそうなるならいいのですが、萌えアニメがああいった扱いになるのはあまり好みません。
地域活性化といっても、なんだか複雑……。
地元がそうなったら、私は嫌ですね(笑)
さて。
クリエイターとしては、なんにでも疑ってかかる姿勢は大切だと思います。
因みに、私は社会現象になったといわれるまどマギの良さが全く解りません。
王道、……というか、人気が出る要素が詰め込まれているのはわかりますが、それだけだと感じています。
王道がなんの疑いもなく受け入れられれば、視聴者《読者》としても、クリエイターとしても無難な人生は送れると思います。
ただ、本当にそれでいいのか?
一書き手である私はそこを追究していきたいですね。
ガルパン……個人的には久しぶりに貢いでも良いと思えるアニメです。
ブルーレイ全巻予約済みだったりします。
同じ要領で「戦闘機道」とかやってくれたら死ぬほど喜ぶんですけどね。
>何よりも、王道とはそれほどまでに良い物なのでしょうか
王道最高!というわけではなく、ただ単に最近変化球な作品が多いので、その対比として評価されているだけと思いますよ。
なのでまぁスポーツ系の王道ストーリーが評価されているというより、作品全体の質が良いのと、最近変則的な作品が多い事が相まって「捻りの無い王道も良いじゃないか」と評価されているに過ぎないと考えます。
>ストーリーだけでも電撃大賞で楽々受賞できちゃう神クラスの素晴らしい脚本なのでしょうか?
ぶっちゃけ「ストーリー・脚本」の魅力だけでは電撃大賞は取れないと思いますよ。
むしろ「キャラ性」とか「演出」や「描写力(文なら文章力、アニメなら作画力)」を考慮せず、ストーリーだけで受賞できるレベルなのかを問うのが若干無理がある気もしますけどね。
あとどんな作品にも賛否あるので、同じ作品でも他人と自分はでは評価が正反対になる事もあります。
なので「自分がズレてる」「他人がズレてる」なんて気にする事は無いですよ。
娯楽作品の判断基準なんて「面白いか、面白くないか」で十分ではないですか。
まぁ今後の作品作りの為に細かく分析したいなら話は別ですけど。
では、駄文乱文失礼しました。
ガルパンは知りませんが、王道はそれほどまでに良い物だから、「王道」と言われるわけです。
ただ、ネットでは若年層が多いため、何でもかんでも「神レベル」になりますね。
クリエイターの目で見るならば、むしろ、こうした受け手の感性に目を向ける方が有意義かも知れませんね。
●追記
なんというのでしょう。
一番ひっかかっているのが、「なかなか良い」レベルだと思ったストーリーが、「神の領域」レベルの評価をされていたことのギャップなんですよね。
「ハンバーガーおいしいよねー」って云ってたら「これは食のレボリューションだ!」ぐらいのリアクションに戸惑ってしまうような。
結局は、造る側の視点と受け取る側の視点の違いで、純粋に見るだけの人がストーリーって言った時はキャラからガジェットから構成から設定まで全部含めてストーリーって言ってることが多いだけかもしれませんけど。
(゚⊿゚)王道ツマンネ
って評価も空しいですが、あんまし王道サイコーと評価されてるのもなんか違和感がありまして。
ガルパンかなり当たりなアニメでした。総集編が挟まれたのは少々残念でしたが、3ヵ月ほどお預けを喰らってからの11、12話は最高でしたね。映画化も決まったし嬉しい限りです。
本題に入ります。
ネットの意見なんてほとんどあてにならないので気にしない方がいいと思いますよ。
神アニメと呼ばれる物なんて毎期ごとにかなりの数が出てきますし。
だからネット上の意見なんて「ふーん、そんな意見もあるんだ」位に留めておけば十分です。
他人との意見の相違や価値観の違いなんて気にする必要はないです。
>何よりも、王道とはそれほどまでに良い物なのでしょうか
王道が良い物だからこそ王道と呼ばれるストーリーの骨組みが出来たんだと思いますよ。
王道が良いのはまずは『解りやすさ』です。
基本王道系は『単純だが作り込まれている』物が多いですね。
後、『やってくれる感』です。悪く言えばありきたり、よく言うと『読者に答えてくれる』事だと思います。ご都合主義ですね(笑)
私はあまり大賞とかそういうものはよくわからないですが、ストーリーだけでは無く、キャラクターや、世界観などにまでしっかり目の行き届いている作品はきっと人から評価されるでしょう。
ガルパンがなぜ王道と高評価されるかでありますが、それは王道とはかけ離れた日陰ネタを使って王道を貫いたからです。
主人公メカが第二次世界大戦中の戦車というところですでに王道を外れています。
しかも、主人公が乗っているのは、タイガーやパンサーなどの花形戦車ではなく、支援戦車として作られた四号戦車です。
ガンダムなら、ガンダムやザクではなく、ガンタンクやマゼラアタックに乗っているようなものです。
ファンタジーで言えば、勇者、戦士、魔法使い、僧侶のパーティで魔王を倒すのが王道パーティなら、羊飼い、遊び人、シーフ、詩人のパーティで魔王を倒すのがガルパンです。
もう、王道を行く余地はありません。
非王道メカを駆り、王道のストーリーを全うするのです。
大道具に王道の余地がないのに、ストーリーで王道を決める。
だから、神がかった王道と評価されるのでしょう。
非王道の設定が、より王道ストーリーを際立たせているため、その部分が輝いて見えるのです。
こんにちは。苦いネギと申しますm(__)m
そうですか。ガルパンは私も見ていましたよ。
非常に良い作品だったと思いますね。
作画、演出、声優の演技、脚本。総集編が挟まれたとはいえ、ここ最近ではかなりのアタリではないかと。
そもそもですね、「王道」っていうのは、すごいから「王道」なんです。奇をてらう作品が多い中で、むしろ王道を行く方が珍しかったのかもしれません。そう思った視聴者が多かった、というだけの事です。それ以上でもそれ以下でもありません。
手放しに誉めるかどうかは別にして、面白いか面白くないかは人それぞれでしょうから、
「私には無難とか大してひねりがないとかベタベタとか、そういうまあまあな評価のとしての王道に思えました」
と思うのであれば、
「あっ、そうですか」としか返せませんね。
無論、挑発をしているわけではなく、単純に人がどう思ったかにすぎない問題なのでこれ以上の反応ができない、というだけですので。
私は、非常にわかりやすく、かつ一本芯のある作品だな、と思ってみていました。
あんまりミリ物としては見なかったですね。もちろんそっち方面のファンの人も大勢いたでしょうが…
まあ、そんな余計な話はさて置きですね、ここからの質問の意味が全く分からないんですが…
> で、ちょっと心配になってきて意見を求めたいのですが、
> これって、私の感覚が錆びてるんですかね?
別段そんなことはないと思いますよ。
感性を絶対視するほど馬鹿ではありませんが、嗜好なんてものは十人十色。千差万別です。
錆びる錆ないはあまり関係ないのでは?
せいぜい年齢差などに起因するジェネレーションギャップがあるくらいでしょうし、別段感覚が錆びている(あるいはひねくれている)事はないと思います。
> つくりは非常に丁寧でしたからガルパンという作品の出来の良さはわかります
> だけど、あれはストーリーだけでも電撃大賞で楽々受賞できちゃう神クラスの素晴らしい脚本なのでしょうか?
これがさっぱり意味が分からない。
なんで電撃大賞基準なんですかね?
そもそもこれはラノベじゃないし、オリジナルアニメーションですよ?
小説の執筆と脚本には天と地ほどの差がありますし、比較対象にならないと思うんですが。
よしんば比較できたとしても、なんで電撃大賞が基準なのかがさっぱりです。
何をおっしゃりたいのかが全く理解できないです。
アニメと小説は全くの別物です。
映像と文字では表現方法から伝達できる情報量まで、何もかもが違います。そこをどう比較しろというのか…
アニメで素晴らしいストーリーであった、という事と、じゃあそれが電撃大賞のような小説大賞で通用するようなものであるか、というのは全く何の関係もないことです。
まあ、ラノベ原作のアニメが多い昨今ではそういう風に思う人もひょっとしたらいるのかもしれませんが…
もしそういう話であるのならナンセンスもいいところだな、という気がしますが…(私の理解力不足の所為もあります。ごめんなさいm(__)m)
> それとも作品全体を誉める際の勢いにつられてストーリーも誉められてるだけ?
> 1視聴者としては別にどうでもいいのですが、クリエーター側としてはなんかすっきりしないものがあります
クリエーター側としてすっきりしないって…
ひょっとして、佐々様はプロの人?
ここにいる人は基本的に「一読者」あるいは「一視聴者」もっと広い範囲で言えば「受け手側」の人間でしょう?
そこから「作り手側」に行こうとして研鑽を積む人たちがいるだけで、私たちここにいる人間は皆、どこまでいってもアマチュアな存在です。クリエーター(創作者)と威張れるほどの人がいるとは思えないですが…(私も含めて、です)
すっきりしないのは別に結構ですが、だからと言ってどうしたいのでしょう?
そう思うのであれば、ご自分で作品を執筆なさって、反応を見てみればいいのでは? 鍛錬投稿室や添削掲示板などもあることですし、活用しない手はないかと。
(アニメ関連で、脚本などに興味があるのでしたら撮影までで一区切りでしょうかね)
> 何よりも、王道とはそれほどまでに良い物なのでしょうか
そりゃもちろん。
「それほどまでに良いもの」だという評価を受けてきたからこそ、「王道」と呼ばれるようになっているのです。
もちろんそれがすべてではありませんが、王道を知らずに(型を知らずに)破天荒な(型破りな)作品を作ることは不可能です。
これは、某NHKの番組で出ていた名言ですね。
歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが、師匠に言われた言葉だそうです。
【型破りな演技は、型を知らずにはできない。型を知らずにやるのは、型なしというのだ】
全くこの通りだと思いますね。
長文失礼しましたm(__)m
はじめまして。美雪と申します。
私は『ガールズ&パンツァー』は未視聴なので、作品自体については意見できませんが……
> だけど、あれはストーリーだけでも電撃大賞で楽々受賞できちゃう神クラスの素晴らしい脚本なのでしょうか?
> それとも作品全体を誉める際の勢いにつられてストーリーも誉められてるだけ?
に対して意見を書かせていただきます。
ストーリーとは『プロット(本質)』と『テリング(表現)』に分けて考えられます。
全く同じプロットであっても、テリング次第で一作品として良くもなれば悪くもなります。
某書では、『ある俳優は、舞台の後の会食の席で、「今の芝居が良かったのはシナリオが良かったからだよ」という批評を聞き、すかさず手近なメニューをつかむと、料理名の朗読を始め、その素晴らしい語りに、当の批評家も涙を流した』とあります。
これはプロットの内容に関わらず、テリングによって良き物を生み出した例です。
(まぁ、プロット・テリングともに素晴らしい物が本当のエンターテインメント作品ですが)
ここで本題に戻りますと、『ガールズ&パンツァー』がどのようなプロットかは知りませんが、ライトノベルという舞台において必要とされる良いテリングによって完成された小説を応募したのであれば、電撃大賞を受賞することができる(可能性が高い)と思いますし、もちろんその反対もありえると思います。
『アニメーション作品として良い作品』と『小説(ライトノベル)として良い作品』、または『漫画として良い作品』は『良い作品』とは言っても全く意味が違うと思います。
テリング次第です。
よって、電撃大賞を受賞できるか否かの論議をすることは困難だと思い、意見をさせてもらいました。
あくまでも私の一意見です。
メカ好きのSF☆パンクと申します。
このスレが立ってから、検索して、それっぽいブログを読んでみましたが、私の印象では、王道好きの人たちが「やっぱり、王道って良いよね」と言い合っている感じでした。
確かに、王道は満足感のある終わり方を出来ます。
その反面、王道の人間劇は、新鮮味がないのも確かです。
私個人の感想を言わしてもらうと、1話めの冒頭2分間で、身体に電撃が走りました。
メカのことを分かっている人と、そうでない人とでは、あからさまにカメラワークが違いますからね。
最近では、フラクタルの冒頭の描写で絶句した記憶が鮮明に残っています。
王道の新鮮味のなさを、メカ描写の詳細さで補っていると私は感じました。
例えば、Ⅲ号突撃砲をうまく活躍させているところとか、IV号戦車や38(t)戦車がバージョンアップしていくところとか。
メカに詳しくない人でも、少なくとも、その辺りの基本的な描写ぐらいは、理解できたはずです。
そういう、「おおっ、これはすごい!」とうならせてくれる描写が、この作品のスパイスになっているのだと思います。
その「メカ描写のスパイス」が王道の新鮮味のなさを補ったことで、ヒットしたんじゃないでしょうか。
●補足
よくよく考えたら、「味付け」を変えることで王道ものに新鮮味を与えるということなら、スターウォーズが30年前にやっていましたね。
スターウォーズは、剣を持った勇者が、魔王の城に囚われたお姫様を助けに行くという王道ファンタジーをSF調に味付けした作品でした。
スターウォーズやガルパンの手法は、結構、有効そうですね。
アニメとライトノベルを同じ土俵で比べるのは無理があるという意見が出ていますが、これはラノベのアニメ化や、ラノベとアニメの同時進行(最初からメディアミックス)が必ずしも上手く行かない事からも察する事が出来ます。
ストーリー(脚本、プロット)というのがそれ単独で価値のあるものなら、人気のある原作小説をアニメ化すれば必ず売れる筈です。しかし現実にはそうなっていません。
これは人気ゲームのアニメ化や、漫画のアニメ化等、メディアミックス作品の宿命といっても良いでしょう。
なので、ある作品が話題になったからと言って、普遍的に価値のある事を担保しないのは自明の理です。
「名作」の定義とは何かという話には深く突っ込みませんが、インターネットの意見や感想は、声の大きさが総合評価とほぼ比例する(故に工作員と呼ばれるサクラの存在意義がある)ので、「神作品!」と騒がれる機会が多ければ名作だし、「駄作!」と騒がれれば駄作だし、全く話題にもならなければ「オワコン」や「黒歴史」です。
アニメ掲示板等で目にする評価と、世間一般的な評価と、芸術的な評価は必ずしも一致しませんし、個々人の内面を問えば常に一致する方がおかしいでしょう。
「神」とか「覇権」とかの定型句は「全米が泣いた」とか「全米で大ヒット」とか、その程度の価値だと思ってまず間違いないです。
視聴率(動画サイトなら再生回数やマイリス数、コメント数)やビデオディスクの売上に関して言えば全くあてになりません(企業の業績としては評価出来ても、作品の善し悪しとは別の評価軸になる)。
創作者としては、自分の得意を曲げてまで無理に王道を目指す必要は無いと思いますが、「こんな作品でも評価される事があるのか」と気に留めるのも、何故評価されているのか分析しようと試みるのも、受け手の目線を意識する上では無意味ではないと思います。
「無難とか大してひねりがないとかベタベタ」とか「子供向けアニメ的なちょっと安いまっすぐさ」というのは、王道として評価されている分にはプラスポイントです。
『ガールズ&パンツァー』は「女子高生が戦車に乗って試合する」という点を除けば王道スポ根ものとしての変化球は特に無く、良く言えば視聴者の想定通りで安心して見られる、悪く言えば予定調和なストーリーです。
戦車などの設定的に重箱の隅をつつけば幾らでもつつけますし、初心者が2~3ヶ月練習に励んだくらいで名門校に対抗出来てしまう程度のレベルが全国大会なの? という見方も可能ですし、そういうご都合主義に興醒めする人も居るでしょう。
「王道だから」という点だけで評価されているのではなく、あらゆる創作において「王道を貫き通すのは難しいという中、最後まで王道を貫き通した」という点が評価されているように感じます。
例えば勇者と魔王の関わる話として、手を取り合って丘の向こうを目指すでもなく、異世界でフリーター生活をするでもなく、仲間と一緒に冒険して悪の魔王を倒して終わるというドラクエ的な王道作品を、王道が敬遠され変化球が求められる最近のサブカル市場でやってのけた事。
王道は王道故、受け手の多くが雛型や類型を知っており、作品に求められるクオリティの目標値が高くなります。
ちょうど、西住流の王道を貫き通す為には黒森峰のような圧倒的な陣容が必要なように。
繊細な心理描写もあり、そこは小説でも描ける部分だと思いますが、他に評価されている部分として「戦車の挙動(CGモデルの完成度の高さ、実際に動く場合の質感や重量感など)と砲撃音、駆動音などのSE、往年の戦争映画のようなマーチングバンド風BGM」というアニメならではの点がかなり大きいので、同じ事を小説原作でやっても評価されたかどうか微妙だと思います。
映像作品ならではの迫力を追及した、記録フィルムにも戦争映画にも無い「純粋にカッコイイ戦車の動きやカメラワーク」も、この作品の評価ポイントだと思われますので、単に王道というだけで評価されたのではなく「王道+α」の部分が重要という見方をしています。
ネットだと4話の市街地戦から急に評価が高まったような印象ですが、1話切りした人にとってはその程度の作品で、おそらく4話まで見ても10話まで見ても「つまんない」と感じるような内容ではないでしょうか。
突然ヒットした『魔法少女まどか☆マギカ』と共通する点として、小説や漫画原作ではなくアニメオリジナル企画であったという点があります。
小説や漫画のアニメ化、あるいは過去にヒットしたアニメの続編が多い中、アニメオリジナル企画だから作品の内容について冒険が出来たと感じます。
また、まどマギにしてもガルパンにしても比較的高い年齢層に受けているようなので、一人あたりの使う金額が多く、故に潜在的なファンの数に比べて「市場規模が大きく売れているように見える」という錯覚はあると感じます。
王道な王道はつまんないけど、邪道な王道や王道な邪道は面白い。
という旨をバクマン。が言ってた。
王道が凄いのでは無く、「凄い」王道だったと言うのがニュアンスとして適切かと。
上にも有ったけど、変化球と言う表現でフォークボールやカーブと言う球種自体が凄いのでなく「凄い」カーブだ!とか「凄い」フォークだ!との並びで「凄い」ストレートだ!と言うのがこの作品に評された王道の意味合いかと。
ストーリーや何やかんやが陳腐だとか言っても、それを「凄い」レベルで完成させてしまえばそれだけで魅力的であるでしょう。
あと、これらって個人の好みレベルの話ですので、野球に置き換えれば
「野球ってのはストレートが速くてストライクを打ち取らないとダメだ」
見たいなこと言うオヤジとなんら変わりませんがな。
だからまあ、そう言った変なこという人が居ても、それはその人の好みだと割り切って見るのがいいでしょうし、それに対しイヤこうだと反論するなら、それは全く同レベルの話なわけで、好みの主張はどちらが上という物では無いかと。