E.mewさんの質問 2013年07月01日
どうも、E.mewです。
ラノベが手につかない、萌えのジャンルが好みじゃないなど、最近のライトノベルのあり方について幾らか疑問に思っていらっしゃる方も多いと思うので、質問させていただきます。
実は私も、最近はライトノベルを読みたいという考えが湧かなかったりします。これは大人になったと喜べばいいのか?? とりあえず表紙から「萌えっ!」としたものは直ぐに本棚に戻すようになりました。逆に一般小説にも手を出すようになって、益々読書の世界が 広まる思いです。
何を求めているかと言うと、やっぱり教訓かな、と思うんです。
ただ男女がイチャラブして、はだかを見て殴られて、悪役をババッと倒して終わりでは何か物足りないんです。娯楽小説として割り切ってまえばそれでいいんですが、後残りが欲しい。読んで空想に浸れて、現実にも強くなれるそんなものが欲しい。現実逃避であるならばこそと思うんです。
そういうわけで、私はラノベに教訓を求めてみたいのですが、皆様はライトノベルに何を求めておりますか?「いやいや、私はこう思うのだよ」という感じで構いません、ぜひご意見をお願いします。
●答え●
私の場合、一般文芸だとやっぱ作者との距離を感じてしまうんです。
好きな物語も多々あるんですが、ストーリー重視、心情重視だと疲れてしまう。
ばっかだなぁこの作者(実際はちがいますよ)と感想をいえる余白がラノベには有ると思います。
もちろん、緻密でストーリー重視のラノベもあるでしょうが、私の求めているものは、その余白なのだと。
『はぐれ勇者の鬼畜美学』 という作品があり、その中の伏線回収技術は目を見張るものがあるのですが、「男女がイチャラブして、はだかを 見て殴られて、悪役をババッと倒して終わり」なわけです。
なんという無駄技術とか突っ込みいれながら読んでます。
私が絶対に求めるのは「ワクワク」です。
表紙からでも、カラー絵からでも、挿絵からでも、もちろん、文章からでも。
そのワクワクはキャラクターに「萌えられるか」でもいいし、ストーリー性・世界観からわき起こるものでもいい。
そもそも「萌え」という言葉。
今は簡単な言葉になってしまいましたが、私はどうとらえているかというと、ただセクシャルでキュートな要素だけではなく、いかに私の想像力や妄想力をかきたててくれるか。いかにそのキャラクターにハッピーだったり、センチだったりする魅力を感じられるか、そのものさしが「萌え」であるととらえています。
私はその「萌え」を求めますね。
後述のストーリー性・世界観についてのワクワクですが、これは萌え要素よりも、そのときの私の頭のなかの環境によりますね。
なんだか緩んでるときはラブコメとか、深く心を抉られない内容のもの。
なんだこのやろう! って尖っているときは荒れた世界観のもの。
そんな感じです。
E.mewの意見を否定するわけではないのですが、教訓は求めていませんね。それならそれで、ラノベという媒介より、受け手に対して親切につくられたものがあると思うので。
例えば、それこそ道徳や国語の教科書。自己啓発本。伝記。
ラノベは作者の思想・強いメッセージを込めることには不向きなものと感じます。ちょっと前までは案外そうだったんだけど、今は売ることがかなり大切な目標ですよね。
あんまり読者の思想に対して挑戦的、挑発的な作品はビジネスにならないのですね。
話が脱線しかけたところで、私の意見とさせていただきます。
ありがとうございます。理解を深めるため質問を幾つか宜しいですか?
>「ワクワク」「萌え」
萌えに関しては新鮮なお話を聞かせていただきました。物語上の人物らを目で追うたびに得られる高揚感、想像を喚起する彼らのレトリックや仕草。そういった「セクシャルでキュートな要素」を含めた、より広義の意味での「萌え」ということですね。
質問ですが、こういった「ワクワク」、「萌え」に類するような、読者を物語に没入させる要素が含まれていれば、日浦さんが本を手に取られる可能性は十分にお有りであると解釈しても良いのでしょうか?
本スレの私の質問文は説明不足でしたが、個人的に質問をするに当たって補足をさせていただきますと、イソップ寓話などのように、動物を擬人化して動かし、風刺批判をするのは子供に見せる紙芝居作品として扱われております。啓発本などは若い世代よりもむしろ壮年の方がお取りになるだろうと。
そういった中で半大人である我々が、簡単に手に取れ、重い字体に抵抗無く読める、そういうものをライトノベルに見ていたのです。
あのように噛み砕かれた表現方法は、寓話と同様の教訓を含ませるに足る媒体ではないかと。
私とて書きたいのはあくまで「ライトノベル」。ボーイミーツガールに、訪れる苦難を乗り越えていく。その内に教訓めいた話ができれば、私は満足のいく話が書けるだろうと思うのです。
(質問本文には追記として改善させていただきます。)
追記です。
私が何故教訓を挙げるに至ったかと言いますと、「ライトノベル」という媒体が、風刺教訓を含ませる点では十分に素養のある媒体であると考えたからです。
イソップ寓話などは動物の擬人化によって社会を風刺していますが、あれは今では幼い子供へ見せる紙芝居物語として扱われています。
日浦ともえさんがご指摘下さいました様に、啓発本等によれば済むことなのですが、啓発本はむしろ壮年の歳を重ねた者が手に取ることが多いかと。半大人の我々では手に取るのには抵抗が有る。
逆にライトノベルは、現在は多くの若者に浸透しています。イソップ寓話のように自然な物語を維持しつつ、そこに含ませた教訓が得られることができるのではないか、という考えです。
教訓の是非は訴えません。
返信ありがとうございます。
そうですね。
私がそのラノベを購入するかしないか……。私が先ほど書かせていただいたものが、店頭でのパラ読みや、出版社の公式HPで見つけられることがあれば、買います。
教訓について。
なるほどなるほど。どこか教訓という言葉について私としては抵抗があったので、少し頭が回っていませんでした。
ラノベからそういった教訓を得る読者の蓄積されている知識・経験に依存する問題ですので、そうとあれば、今更ラノベから学ばなくとも……と教訓を得る目的では扱われないかもしれません。
例えば『アリとキリギリス』に込められている教訓をモチーフにラノベ読者向けにラノベをつくるとします。
それが評価されるのは、おおよそ、作者アレンジ力の斬新さでしょう。
教訓をほのめかしていたとしても、そこに注目する余白がラノベ読者にあるかどうか。
少なくとも、私なら、『アリとキリギリス』での教訓はからだに染み付いているため、その新作での教訓にはあまり目を向けないし、魅力を感じないだろうと思います。
ただ私が、おもしろいかも、と想像するのは、現代社会における様々な問題と寓話由来の教訓をうまくクロスオーバーさせることができれば、かなりステキなライトノベルになるのかな、ということです。
あまりやり尽くされていないかも。社会問題をほのめかす内容って。
けれど、そうなると、それは今書店でライトノベルとうたわれて販売されているものと同列に語ることができる代物か。そこですね。
何をもってライトノベルとするのか。
それはつまるところ文章の重さ、内容の重さ、それが判断材料とされている部分が大きいですね。
いかに重さを意識せず、読後、読者の感性に鋭い衝撃を与え、教訓を感じさせられるか。
それを追求していけば、E.mewのおっしゃられるような作品づくりもとても明るい道なのだとも感じました。
大分、逸れたような意見を書いたかも。
また分からない点があればお気軽にご質問ください。
私は暇人なので(笑)
質問下手で申し訳ないです(汗
アレンジ力が大事になると。
確かに普通意図されるのは娯楽小説としてのラノベなので、単に作品を描いただけでは気づかれずに埋もれることがあり得そうですよね。
斬新さの上では、既存の典型萌え小説から離れた形で、なおかつ作品自体が問題を想起できる鋭い切り口をも求められるということですね。
なかなかハードルが高いw
>何をもってライトノベルとするのか
私はずばり教訓の話を始めた根拠として申しました、若者どもが読むからライトノベル、と考えております。
灼眼のシャナなどは語彙がいくらか堅い。三人称の叙述描写は、主人公の坂井悠二を中心にしていても、誰か一方に描写が偏っていない。文体の堅さには時には難儀するほどだけれど、アニメが三期出るほどには売れた作品となった。
ラノベの一柱でもあるシャナの例があるのだから、その意味では文の柔らかさには固執する必要がないのかとも思います。
しかし初めのご回答から散見されますように、読者はやっぱり「ワクワク」を求める面が多いですよね。結局、教訓というのはただ物語の設定の根幹にしかなり得ないのかもしれません。
参考なりました。ありがとうございます。
例えば、主人公が世界を滅ぼそうとしている悪魔と戦う話(ありきたりですね^^;)があるとします。
その話には『伝えたいこと』があると思うんですよ。言わばテーマです。
上記の話だと単純に『悪いことをしてはいけない。正義は強い』的な話ですよね。
某ラノベの『妹系』はよくよく見ると現実にあるような話が紛れ込んでいまる。
主人公やらがそうなると「私なら○○」と考えたり想像したりしますよね。。そのシーンをもっと現実性のあるのにしたらいいんではないんでしょうか?
後で読んで、「あー、これこれこうゆうことろがかんがえさせられたなァ」ていうような感じで^^
創作、頑張ってください!
今晩は、トータスです。
私が求めるモノとしては、見果てぬ夢を求めますね。
私が出来ない事をしてくれる。
叶えたかった夢を叶えてくれる。
私には見れない、その先を見せて欲しいと考えてみます。
まぁ、ラブコメはラブコメで面白いし構わないが、一寸増え過ぎかと思ったり。
多過ぎてありがたみが薄れて来ているかと思えてしまいました。
笑わせるだけ、楽しませるだけなら簡単だが、それが印象に残るかであれば、余り残り辛い。
ああ、ハイハイ。またこの展開か・・・と飽きてしまったり。
似せても異なる所を見せて欲しい。
手軽でも違いを求めたい。
とまぁ、この様に考えているのでそのままに返させて頂きます。
つまりはこういうトピックですね?
では、改めて考えて見ます。
1980年代の前半からバブルが弾ける1990年代前半には、啓発本や教訓を織り込んだ漫画が大流行していました。
そりゃもう、うんざりするほど「かくあるべき」だった気がしますが、バブルが弾けるとそれまで価値のあった言葉が、意味を成さなくなり、啓発系の漫画はパタリと消えました。
それから約20年、経済もある意味安定してきているし、萌えなどのネタも食傷気味なのも事実だなので、教訓を織り込んだ物語も需要あるとおもいます。その手の話はカリスマを生みやすいし、ヒットするなら一つのカテゴリーになると思います。
とある上条ちゃんもその分類にはいるでしょう。
個人的にはもう見飽きてる感は否めないのですが、是非チャレンジしてみてください。
私がラノベに求めるものは、ラノベというジャンルのオリジナリティです。
つまりラノベにしか見られないような世界観や人物像を存分に表現した作品です。
その中で萌えというものは最高の比重を占めています。
なので安易に萌えを排除したところでラノベがよくなるとは思えませんね。
わざわざラノベを選ばなくても翻訳小説や歴史(時代)小説やノンフィクションを読めば済むもの。
こういうものはいりません。こういうものの劣化コピーになってほしくもありません。
広く一般小説に関心を持たれたことは成長だと思います。はじめまして、自己紹介をお許しいただきたい。わたしは旧蒼占い師と申します。
わたしは「ライトノベル」という分ですからやはり「軽さ」かな、と思います。あんまり重いものがないんです。つまり、重い悲しみとか重い責務とか。
気軽に読めるということですよ。
ちなみに教訓も得ます、同様に。
読者は段々このジャンルに飽きてきているのではないか、みたいな。ここの掲示板でもそうした人かなりおられると思いますし、イチャラブとか、ラブコメとか萌えだとか、必ずしも悪いなんて言いません。でももし、「それらしか魅力がない」のなら、やっぱり読者は飽きるんですよ。嫌いじゃない、ただ飽きるんです。
軽いのも一つの味ですがね、誰だってときにはあなたみたいに強く空想に浸りたいと思うときはあります。
一般小説にそれらがあるか、と言えば必ずしもありませんが……
ライトノベルでひとくくりにしてしまうと異論が出るかもしれませんがあくまで私の主観を述べさせていただきます。
私は萌える表現や中二病的表現も好きです。ギャグも好きです。
ただ今のライトノベルにもっと入れてほしい要素としては読者とは違うものを入れてほしいと思っています。
ライトノベルは中学生や高校生がすぐにでも理解・共感できるものが多い。それも一つの楽しみ方ではあるのですが、自分とは違う価値観・考えを理解できるのもまた物語の一つの楽しみ方です。
ライトノベルにそういう要素があるかというと、あまり感じられない。ほとんどが学生の価値観、それもオタクの価値観ばかりがフューチャーされているように感じます。
仮に学園を舞台として固定したとしても、親や教師、近隣住民、バンドをやっている学生、サッカーに打ち込んでいる学生、超常現象を研究している学生、起業した学生、プロとして勝負の世界に生きる学生など数え上げたらきりがないくらい様々な価値観を持った人たちがいます。
そういう読者が知らない世界のことを教えてくれる作品が少ない。
もっと「世の中にはこういう世界があってこういう考えの人間がいるんだぜ」という作品があってもいいんじゃないかなと思います。
「教訓」とも相通じるところはありますが、私の場合は違う世界を理解できて楽しめれば実生活に役立たなくてもそれで満足だというところが少し違いますかね。
萌えです!かわいい女の子!これにつきる!
こんにちは、雷です。遅ればせながら意見などを。
何を求めるか、というと、まずは娯楽性ですね。面白くて、楽しくて、笑える物語。
ただしギャグとかコメディとかじゃなくて、もっと底流にある、本質的な娯楽性です。
その次に教訓やら風刺やらが来るんですけど、もっと重視しているのは人間賛歌ですね。
人を愛すること、信じること、友情を育むこと……そうした人間の尊厳を謳いあげたものを、僕は好みます。
と言っても、そんな大層なことじゃありませんよ。
高校のクラスメイトの美少女に恋をしたり、幼稚園時代からの悪友とつるんだり、担任教師と休み時間に馬鹿話をしたり、家族との団欒を大切にしたり……。
そういうあたりまえの人間の営みを肯定し、明るく、楽しい人生を描き出してほしい。
萌えとかバトルとかファンタジーも、そうした人間性を際立たせるためのスパイスであってほしい。
たとえ主人公たちが逆境に苦しみ、障害に阻まれ、不幸に突き落とされても、その先には明るい未来が、幸福が、希望があると声高に主張してほしい。
現実の学校や社会は、つらいこと、苦しいことばかりです。
だけど主人公たちには、そういう人生も悪くないよね、と笑って前向きに生きていってほしい。
すくなくとも僕は、そういう人間賛歌やら幸福論を大切にしながら、自分の小説を書いていきたいと思っています。
その一方で、ちくりと教訓とか風刺とかも挿み込めたらいいな、とも考えています。
最初はフッツーに流し読みしてしまいそうな文章なんだけど、二度目、三度目、もしかしたら十年後に読んだときにやっと気づいてもらえるような“毒”を仕込んでみたい。
たとえば僕の愛読書『十二国記』は、それこそ人間賛歌を主なテーマにしている一方で、政治への不信、為政者への疑念を副次的なテーマとしています。
シリーズを構成する短編のひとつ「華胥の幽夢」なんかは、現代の日本政治を痛烈に批判しています。
表層は娯楽性を押し出し、内層は教訓や風刺を散りばめた、多層構造を持ったライトノベル。
子供の頃はひたすら楽しく面白く、しかし大人になってから読み返したときに、思わずニヤリとするような、そんな小説が、僕が思い描く理想の小説でもあります。
自分は、いい文章を求めます。
ライトノベル特有のゆるい世界観を、しっかりとした文章で書きだしてくれると、嬉しいです。
どうも、サイラスです。
自分は、主人公がどのように事態をうまく突破できるかを求めます。
主人公が危機的な事態をどう知恵と技で乗り越えるか?どうやって意表をついて自分よりも強いものを倒せるか?そういう過程が分かるものを凄く望みます。
そのせいか、最近のラノベはジャンルを問わず、好きでなくなった感があります。
というのも、最近のラノベって、考えるというより、キャラが可愛いかカッコいいやルックス重視なところや、パワーや特別な何かで押し切るというごり押し的なところが、すごく嫌になる時があるし、作家の構成力や、それを平然と世に出す出版社の浅はかさを疑いたくなります(かといって、それを否定する気はありませんが、頼るのはちょっと……)
私はこんなものです。では。
私がライトノベルに求めるものは、子供の視点です。
大人になると目線が高くなり、技巧を凝らした美文や、深遠なテーマに注目してしまいがちです。それらももちろん大切な要素ですが、何より着目すべきは、青春時代という人生で一番華のあるフィールドにおいて、未成熟なキャラクターたちがおりなす一瞬一瞬の躍動だと思うのです。中高生の心理を見据え続けてゆけるかどうかが、ラノベと一般小説の分かれ目ではないでしょうか。
……す、すみません。別にあてこすっているわけではないのです。
E.mewさんが求めておられる、子供の枠組みにとらわれない教訓ある作品もあってしかるべきだと思います。
一意見として聞き流していただければ幸いです。
失礼しました。
「ただ男女がイチャラブして、はだかを見て殴られて、悪役をババッと倒して終わり」のラノベ、私は大歓迎です。
また明るいハートフルな作品も大歓迎です。
馬鹿馬鹿しさ、ギャグやコメディーといった「軽さ」こそ、私がラノベに求めるものです。
私は人生訓にはまったく興味ありません。私が私小説が苦手な最大の理由は、「人間を描く」と称した辛気臭さや冷笑や高尚ぶった説教臭さにあります。
試しに、まるで酷評を聞かないあるベストセラー私小説を読んでみましたが、はっきり言ってうんざりしました。私小説の、「人間観察」を称した冷笑や高尚さには胸やけを通り越してり吐き気がします(私小説の魅力は「人間観察」でしょうけど)。
ラノベに限らず、エンターテイメントもまた立派な作品です。ラノベでなくても、例えば赤川次郎のように、文学サイドから軽んじられる売れ筋エンターテイメントはあります※。
高海さんの意見のように、エンターテイメントたるラノベが、私小説の劣化コピーに成り下がって欲しくはありません。
そもそも人生訓を求めてラノベを読む人がどれほどいるのでしょうか。
シリアスにせよギャグにせよ、読者を楽しませてこそのラノベです。
また、そもそもラノベという媒体にこだわる必要があるのでしょうか。なぜ一般文芸ではだめなのでしょうか。
一般文芸なら、人生教訓や警句を求める読者の存在が期待できます。
とはいえ、これは半分本心、半分建前で、二次元的色彩の薄い一般文芸に近いラノベも実は好みであります。
最近の例を出せなくて申し訳ないですが、
例えば、男子大生と年上の20代ヒロインが主役の『つきこい/山科千晶/電撃文庫』。
コメディーではなくイラスト付きでも青春小説で通用しそうな『恋の話を、しようか/三上康明/ガガガ文庫』。
"耳をすませば"のようにハートフルな『海をみあげて/日比生典成/電撃文庫』など、一般文芸でも通用しそうなラノベは確かにあります。
また、私の好みではないですが、
『紫色のクオリア』/うえお久光/電撃文庫
は、哲学の「認識論」好きには評判が良いようで、確かにシリアスな洞察も評価されます。
結論として、二通りの回答をします。
一つは、ラノベの中でヤングアダルト的な方向性を打ち出す。
ただし、先述のラノベの知名度が低いように、読者のニーズと合致しない可能性が高い。ラノベはまずエンターテイメントです。
もう一つはラノベに固執せず、ラノベと一般文芸の間くらいのレーベルをターゲットにする。
ラノベを卒業した人や一般文芸の読者をターゲットにしたメディアワークス文庫や、思春期の読者やヤングアダルト小説好きをターゲットにしたピュアフル文庫など。
一般文芸寄りなので、人生教訓を求める人の目にも入りやすいのではないかと思います。
最後に一つ。
ライトノベルは第一にエンターテイメントです。「最近はライトノベルを読みたいという考えが湧かなかったり」するとのことですが、ただ楽しいだけの娯楽を求める読者を軽んじて欲しくはありません。
エンターテイメントに教訓を求めるのは不毛です。
もちろん、面白ければ何をやってもいいというわけではなく、一定のモラルは必要ですが。
もし、面白さの他に求めたいものがあれば、作者の世界観を探ってみてはいかがでしょうか。
それほど難しいことではありません。
(1)何が原因で事件が起こるか
(2)登場人物が何に価値を置いているか
(3)起こる事件に一貫しているものは何か
以上のことに注目して読んでいると、作者がどのような世界に生きているか、自分の生きている世界をどこまで客観的にとらえているか分かります。
たとえば、(ライトノベル作家ではありませんが)菊地秀行氏。
『風立ちてD 』には、人物造形やプロットに、限りある少年期へのノスタルジーを読み取ることができます。
また、『夢なりしD 』と『D北海魔行』には、「短い夏は冬に取って代わられ、二度と戻って来ない」「そして秋には始まりも終わりもない」という独特の幻想が描かれています。
小説に教訓を求めたいなら、プロレタリア文学をお勧めします。(皮肉抜きに。)人は孤独ではないこと、知恵と勇気と努力をどのように働かせれば暴力と戦えるかを教えてくれます。
これも、世界観といえばそうですが。