ライトノベル作法研究所
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  4. 流行と奇抜のジレンマ公開日:2013/09/10

ラノベ新人賞二次選考の壁。流行と奇抜のジレンマ

  翔拙さんの質問 2013年08月11日

 ラノベ新人賞に投稿するようになってもう3年になりました。
 12作品を書き上げて最高で三次止まりですが、近頃思うことがあります。

 奇をてらうのは良いことなのか、悪いことなのか。
 経験上、奇をてらうと一次で落ちます。(主人公死亡END、ヒロイン死亡、超特殊な文体など)
 しかし萌えやら異能設定やらを入れて今風にしても2~3次で落ちます。

 奇をてらった作品は評価シートをもらえる領域まで行きませんが、二次三次のレベルの評価シートは
「ありふれている」
「あなたにしか書けないものがほしい」
 こればかりです。

 毎度毎度、こういうシートを貰うたびにラノベの枠にとらわれない作品を書くのですが……、
 どうにも巧くいきません。

 奇をてらう → 一次落ち → 流行狙い → 二次落ち

 これの繰り返しになってきました。
 今回の電撃も二次落ちです……。
 何が必要で何が必要じゃないのかもうわかりません。

 奇をてらうべきなのか、それとも流行に合わせるべきなのか。
 皆様の意見を伺いたく思います。おねがいします。

●答え●

ゆーき。さんの意見2013/08/13

 誰の話なのか忘れたのですが。(たぶんどこかの編集者かと)

「オリジナリティはほしいんですけど。実は、ただ奇抜なだけの作品はいらないんですよ。
 奇抜と普通の中間地点にある、ちょうどいいところを刺してくるーーエキセントリックな作品がほしいんです」

 という話を聞いたことがあって、「へー!」と納得した覚えがあります。
 僕も「手が四本あるヒロイン(!?)」とか「トランポリンで跳ねながら挨拶してくる幼馴染(!?)」とか、奇抜なキャラクターを書くのが好きだったのですが。
 最近は王道から少し離れたくらいの設定を念頭に書くようにしてます。

 「オリジナリティ=奇抜」ではなくて、「オリジナリティ=ちょっと奇抜」と考えるとわかりやすいかな。
 うーむ、うまくまとめられないのですが。何か理解の助けになれれば幸いです。

雷さんの意見2013/08/11

> 奇をてらうのは良いことなのか、悪いことなのか。

 悪いことではないと思います。
 ただ、翔拙さんの目指している方向性がずれているように僕は感じますね。

> 経験上、奇をてらうと一次で落ちます。(主人公死亡END、ヒロイン死亡、超特殊な文体など)

 主人公ENDやヒロイン死亡はもちろん、超特殊な文体とやらも、奇をてらおうとしたときに誰もがまっさきに思いつくアイデアでしょう。
 つまり、誰にでも書けるありふれたものといえます。
 おもしろみがないんですね。

> 萌えやら異能設定やらを入れて今風にしても2~3次で落ちます。

 主人公ENDやヒロイン死亡のような、ありふれた、きまりきったバッドエンドではなく、翔拙さんにしか書けない萌えを、翔拙さんにしか思いつかない異能を描き出せってことじゃないでしょうか。
 いや、たぶん萌えとか異能とかに限った話ではないと思いますけどね。

小麦粉こうじさんの意見2013/08/11

 こんばんは。
 そして初めまして。
 小麦粉こうじと申します。
 奇をてらう事は悪い事ではありません。むしろいい事だと思います。
 しかしながら、主人公死亡エンドやヒロイン死亡などは誰もが思いつくものです。
 奇をてらうというのは、もっとこう、他の作品とは考え方が違うんだと小生は思います。

E.mewさんの意見2013/08/11

 こんばんは。私のような若輩めが三次まで行ける方に物申すというのもなかなか不遜なことです。ですが参考にでも。

 今風と奇をてらうこと、これは対立項なのでしょうか?
 オリジナリティーで自分らしさを出すことが奇だというのならば、市場の大筋ではない点で確かにそうです。でも奇というのはオリジナリティーの一部に過ぎないのではないかとも思えます。
 今風と奇をてらうこと、これは対立項のように扱っているのならば、単に「流行でないものを求めよう」という意識に囚われて迷走したに過ぎないとも見えます。強いていえば、「流行」という括りそのものに縛られている、と言ったところでしょうか。

 ここからは自分の創作の手法の一例で精神論みたいなものですが、

> 「あなたにしか書けないものがほしい」

 人の意見は十人十色といいます。もしあなたが自分らしさを最大限に出したとすれば、このようなことは言われようがありません。
 しかし、自分らしさとは何を示すのでしょうか?
 人間、生活する社会に縛られて生きていると言います。そして同じ社会である以上は考え方も似通ってしまう。
 その縛りを、自分の頭の中だけでは取っ払ってみたらどうでしょう? 

 他人の意見なんて、それこそどうでもいいことではありませんか? どうせ私自身のことを完璧に理解できるはずもないし、理解したといって私を救ってくれるとも思えません。私だって、翔拙さんのことをどこまで分かっているか分かりません。みんな自己中なんです。だったらあなたも自分を中心にして考えるくらい、罰は当たらないんじゃないでしょうか?

 流行に囚われない、他人の意見に縛られない。人の意見なんて関係ありません。自分で考えつくしたところにきっと答えはあるはずです。

クウロさんの意見2013/08/11

 書きたいことを書けばいいです。それだけです。

蛇の目さんの意見2013/08/11

 どうもこんばんわ、はじめまして、蛇の目です。
 電撃二次落ちですか、残念です。私も二次落ちでした。
 さて、奇をてらうことの是非でしたね。

 新人賞は才能を発掘するための場であり、よくある形の作品の劣化コピーは求められていないのだと私は思います。
 劣化コピーを書くことは悪いことではありません。既存の型を学ぶことによって地力をつける、という意味では。
 ただし、それを越えられない作品を応募しても「売り物」にならないことは確かですね。

 スレ主様の「奇をてらう」バッドエンドや投げっぱなしエンド、等はいわゆる型を外した行為になり、それを納得いく形で読者に見せるのは非常に難易度の高いことです。賞を取るならば、それなりに瑕疵のない状態でまとめなければなりません。
 突っ込み所を極限まで無くす、ということですね。

 あと考えられることは設定、キャラ、構成などになりますが、これらもどこからか間借りしたようなものではいけないと思います。言うのは簡単ですが、約六千人のライバルを蹴落としてゆくのはそれだけの個性が必要なのでしょう。

 私も二次落ちはショックでしたが、自分の作品を見直して「これは突っ込み所の全くない傑作だ!」というには少し、いやだいぶ足りません。
 「玉稿」という言葉があります。プロの作品原稿を指すものですが、やはり私の作品やスレ主様の作品はその玉稿には及ばなかったのでしょう。

 いま私は応募作の欠点を自分で洗い出し、改稿に励んでいます。自分の作品のアラ探しは正直苦痛ですが、再起を志すのならば必要なことだと思います。

 趣味で書くのならば書きたいことを書けばいいのですが、公募は人に見せるものです。
 まずは自分で落選の原因を考え、次に評価シート。そして改稿後、ラ研に晒して反応を見て、そして再投稿。
 落選したと気を落とす暇はありません。あなたにはやらなければいけないことがこれだけあるのです。

へっぽこさんの意見2013/08/12

 奇をてらう、それ自体はむしろ良いことだと思います。言い換えれば、それは他の作品にない、自分独自の武器になりますから。
 ただ、奇をてらった結末を描くなら、そこに至る部分、設定やストーリーがしっかりしていないと、ただ意表を突こうとした小手先の技術で終わってしまうでしょう。
 例えるなら、目立たせるため屋根に鯱だけつけるのと、その鯱がより目立つために家そのものに充分な細工するのでは、完成度が違います。奇をてらった内容をしっかり支えるだけの根幹がないと、むしろマイナスの要因となると考えます。

 結末より、奇をてらうなら、設定の方が良いでしょう。実際にそういう作品の方が多いですし。
 奇をてらう理由、それが肝要でしょうし、それが作中の根幹とならなければいけないはずです。

文長さんの意見2013/08/12

 自分にしか書けないものと奇をてらったものは必ずしも一致しないと思うんです。
 個性的な作品が欲しい=ラノベの枠にとらわれない作品が欲しい、というのも違うと僕は思います。

 それこそラノベとしての売れ線とか流行の話になってしまうのかもしれませんが、一読者としては、「これまでと違ったラノベが読みたい」と言っても、別に主人公やヒロインが亡くなったり、変な文体の作品が読みたいわけではありません。
 いくら「おもしろければそれもアリ」とは言え、そんなにおもしろく書ける筆力があるとすれば、バッドエンドや特殊な文体じゃなく、どうしてハッピーエンドにできなかったのか、どうしてもっと正統な部分に力を配分できなかったのだろうかと僕なら思います。

 なんかこう、「萌えとか異能設定を入れたら今風」とか、死だの血だの暗黒な設定が云々とか、王道や売れ筋が云々とか、そういうのだけじゃなくて、もっと奥深い部分で自分のこだわりや譲れないところってないものでしょうか。
 書きたいテーマ、込めたいメッセージ、憧れの作品や作者、描きたい感情や精神性などなど……。
 ガツンとしたわかりやすいポリシーや信念ではないかもしれませんが、そういう「ラノベの書き手として」の素養、個性、バックボーンなんかが一定あって、書き手としての根っこがある程度しっかりしていれば、後は日光がたっぷり当たるように幹や枝や葉っぱを伸ばしていくのに過ぎないと思います。

 文面から感じた範囲に過ぎませんが、失礼ながら、主さんの「個性がないって言うから奇をてらったのに」、「奇をてらったら評価しないくせに」、「もうどうしたらいいのかわからない」という書き方から、僕は主さんの根っこはまだまだ定まってないのだろうなと印象を受けました。

 流行に迎合するか逆らうかの二択じゃなくて、多くの作品を読んだり読み返したりして、自分の“好み”をもっとはっきりさせてみてはどうですか?

飛車丸さんの意見2013/08/12

 是か否かでいうなら、否です。
 奇を衒った上で洗練すれば斬新にも奇抜にもなりますが、奇を衒うだけではただの愚行です。
 おそらく思考の袋小路に入って、物事の表面ばかりなぞるようになっていますから、一度、原点に戻って突き詰めてみるのもいいかと思いますよ。

Rainさんの意見2013/08/12

 どうも、Rainです。他人に意見できるほど偉くはないですが、しゃしゃり出てきましたよっと。
 三次止まり……一応三次選考は突破したのですよね? ということは最終落ちですか。最終選考の拾い上げ作品もあるので、充分デビューの可能性はあると思うんですよね。すごいじゃないですか。

> 奇をてらうのは良いことなのか、悪いことなのか。
> 経験上、奇をてらうと一次で落ちます。(主人公死亡END、ヒロイン死亡、超特殊な文体など)
> しかし萌えやら異能設定やらを入れて今風にしても2~3次で落ちます。

 ……その中間狙ったらいいんじゃね?

> 毎度毎度、こういうシートを貰うたびにラノベの枠にとらわれない作品を書くのですが……、
> どうにも巧くいきません。

 一応「枠にとらわれない」といっても限度はあります。主人公死亡END、ヒロイン死亡、超特殊な文体とか、読者が納得すると思います?(一部例外ありますが)
 受け入れられる範囲が存在するのですよ。
 今のあなたに必要なモノ……それは

「こんな作品が書きたいぃぃぃぃぃいいいいいいい!!! 王道? うるせぇそんなもん知るか! 俺が得する! やってやるぜオラァぁあぁあああああぁああああ!!!!!」
 ……というぐらいの「熱いハート」です。

 正直言って、作者自身が楽しくないと、品質が下がります。嫌々やるのと楽しくやるの、どっちが捗るかなど考えるまでもありません。
 「ありきたりって言われたから奇を衒ってみた」とか「流行りに乗って、萌えとか異能とか入れてみた」じゃダメなんです。全然楽しそうじゃないです。そんな作業的に作られた、作っていて「これは面白いぜ!」と思えない作品など、もはや読む気も起りません。

 「エロ本だと言われようと俺は女の子が好きだから萌え萌えで行くぜ!」とか「エロゲにエロは要らないって正田卿が証明したからバトル一本! ヒロイン? 後でいいよね」とか「主人公もヒロインも全員死ぬ。でも面白い。それは保証する。遠慮するな、いいから読め。読めって言ってんだろうがゴルアァァァァァァアアアアアア!!」っていうくらいの情熱が無いと、面白い作品なんかできやしないんですよ。作品の特徴ってそういう所に出るんだと思います。
 虚淵さんは大抵ヒロインとか殺しちゃうけど、あれは「書いてたらそうなった」のであって、別に奇を衒った訳ではないんですよ。

 要するに「書きたい物を追求して書くと良い」……かも? という話です。

沢渡まゆさんの意見2013/08/12

 安易に奇をてらうべきではありません。
 王道を行きましょう。
 王道は流行に左右されません。

 流行は王道の中に取り入れる程度で良いでしょう。
 そして、奇をてらいたければ、王道を崩さないように取り入れましょう。これは高等テクニックで所謂、奇才と呼ばれる人たちのものです。

 そして、あなたしか書けないこだわりを書ききれば良いのです。
 これは奇をてらうのではなく、質実剛健に、あなたが他の人より詳しい分野を多いに利用するのです。
 それがあなたにしか書けないモノになるでしょう。

サイラスさんの意見2013/08/12

 こんばんは、サイラスです。

 まず、翔拙さんは、受賞したいのだか、自分の作品を書きたいのかをはっきりさせないといけないと思います。

 文章を読んで感じるのは、書きたいという作品を書きたいのか、受賞したいのか、迷っているように感じます。
 書きたい作品があるなら、応募だけでなく、Web上に挙げるという手もあります。そこでの反応を楽しめばいいです。
 そうでないなら、まず、流行をもう一度、見直して、自分だったら、こういう展開に持っていく、あるいは、流行の突っ込みどころということを考えてください。ただ、それらが多すぎると、奇を当てらうという事態になってしまい、少なすぎると、劣化コピーになるので、気をつけてください。

 まずは、あなたがどうしたいか、見直すべきです。それを定めないから、あなたの作品は、衝動だけで書いた訳のわからないものになる気がします。
 では。

村逸さんの意見2013/08/12

 「奇を衒う」で調べると、「わざと普通と違っていることをして人の注意を引こうとする」とでます。
 さらに「わざと」で調べると、「意識して、また、意図的に何かをするさま」とでてきます。
(他にもいくつか意味があるようですが、本件には関係なさそうなので省略します)

 「わざと」っていうと物凄く悪いことをしてるように思えますが、たとえば「依頼心の強いLに自立を促すため、Bはわざと嫌われることを言った」とあったらどうでしょう。
 なんかBのLに対する熱い愛を感じますよね。
 BLが良いかはともかく、悪くないと思えるんじゃないかと思います。
 つまり「わざと」というのは、直接的な行為とは別に意図があって為されることなんですよ。

 それで「奇を衒う」ということは、人の関心を集めるということなんですね。
 人の関心を集めたのには、それ以上の意図を含んでるはずですから。
 それが理解できるものなら納得します。
 しかし人の関心を集める以上の意味がなければしらけます。

 「人と同じことをして目立つ」のは優れた成績を残した結果です。
 ですが、「目立つこと」を先にやってしまうとそれ以上の結果を求められてしまいます。
 もはや成績が優れているぐらいでは納得されません。
 つまり「奇を衒う」ということは、飛び越えるべきハードルの高さを上げる行為なんですよ。

 己の能力に自信があるのなら挑戦することは良い経験になるでしょう。
 しかし身の丈に合わない挑戦は無謀です。悪癖を作る原因になります。

バカモンさんの意見2013/08/12

 結局は「奇をてらった結果、面白くなっているか?」どうかかと。その作品が落ちたのは面白さに繋がっていなかったのでしょう。
 あと主人公やヒロインが死ぬのは別にそんな珍しくはないかと。超特殊な文体とやらは実物を見てみないと解りませんが。

たこやきさんの意見2013/08/13

 携帯電話の歴史を見ると分かるように。
 でっかい携帯→ポケベル→分厚い携帯→薄型携帯→スマホ→???
 進化や変化は少しずつ起きていきます。
 スマホの次は電子携帯かもしれませんし、紙かも。
 もし未来人がタイムトラベルして、でっかい携帯時代の人に、スマホを見せても「これは一体?」と思うはずです。

 最初は王道から始まり、物語りが進むにつれて徐々に着地点をずらしていくぐらいでいいのでは、と僕は思います。
 そもそも読みきり(前提)では提示できる世界観に限界があり、バックボーンを作りきれないので、大きな変化を描くのはかなり難しい気がしますし。新人賞で求められる採点項目は、総合力が重要ということも大切に思えます。

 主人公死亡END、ヒロイン死亡は難易度が跳ね上がるはずです。
 近代の漫画や映画でこのような作品が大ヒットした話は聞かないですし。
 プロの世界でも厳しい題材ではないでしょうか。

 超特殊な文体はあくまで、○○さんの進化系みたいな感じで呼ばれるぐらいにとどめ、プロになってから挑戦すればよいのではと思います。あまり変えすぎると、新人賞の読みきりでは不利になると僕は思います。

ラノベの王女様さんの意見2013/08/13

 二次や三次で落ちるってことは、まだなにか足りない部分があるってことよ。
 実際の作品を見せてもらえれば、あたしもアドバイスができるんだけどね。

大蔵里想奈さんの意見2013/08/13

 ども、二次落ち仲間がいると聞いて。
 こんばんは、妹ですよ。

 妹は難しいことは苦手で、もちろん流行や技術というのは勉強してちゃんと書くんですけど、そういうので書いたのに限って評価されないんですよね。
 コピペみたいなラブコメだと評価されたり。

 だから、思い切って好きな作品を書くか、すんげーパクリみたいな作品を書くかどっちかだと思います。
 継続は力なりです。妹みたいに才能がない人間は、速さだけを取り柄にするしか無いです。

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