> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
永久に消えないし、消す必要もないわ。
なぜなら承認欲求もまた、自分を形作る一要素なのだから。
無理に自分を否定する必要はないのよ。
あたしだってラ研で「うざい」だの「かまってちゃん」だのこっぴどく批判されてるけど、それでもこの性格を改める気はないもの。そんなのはただの別人だわ。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
成功体験がないから。これに尽きるわ。
今までの人生の中で、他人から認めてもらった経験がない。二番手や三番手どころかラノベのモブキャラレベルで、周囲から尊敬の眼差しを得ることができなかった。自分の能力にコンプレックスを抱き続けることしかできなかった。
惨めな人生から脱却したい。それが承認欲求の正体なんじゃないかしら。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
個性だと思ってるわ。
美少女で、高圧的で、上から目線で、エリートを自負してて、掲示板に書き込みまくって、ラ研住人から批判されまくって、プロを目指すほど承認欲求が強くて……
それらをひっくるめて「ラノベの王女様」でしょ?
私は、自分の小説を見せなくなって久しいので(調子に乗ると失敗するタイプ)最近はほとんど感じませんが、まあ、それでも「認められたい」という感情は少なからずあります。
1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
創作を止めたら消える。
2、そもそも、何故生じるものなのか。
それが原動力の一つだから。
ひょっとすると根源かもしれない。
>私には自己承認要求が、巨大化していく化け物みたいに感じることがあります。自分を食い破ってしまいそうです。
創作をしてるから他者からあるいは自分から「認められたい」と思うようになったわけじゃない。
その気持がもともとあったから、いまキミは創作をしているんだよ。
その巨大化していく化け物って、ひょっとしたら万年筆を握ってやいないかい?
そいつを抑えこもうだなんて、キミはずいぶん謙虚なんだな。
3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
あって当然のもの。なけりゃ創作なんてしてない。
>どこまで行ったら満足して消えると思いますか?
考えても見てくれ。
自分の作品に対して、完璧に「満足」してしまったら。
キミ、そこから次の作品をつくろうって思えるの?
創作者が、表現者が、承認欲求に対して「満足」なんてありえんよ。
嫉妬するような玄人の作品にだって、書いた本人には不満の一つや二つあらァな。
よし、次は別の方向性で表現してみよう、そう思うから次の作品があるんでしょ。
1に関しては、どうしようもありません。一生ついて回ります。
戦い続けるしかないでしょう。人間が社会的生き物である限り、これは宿命です。
2に関しては、人間だからとしか、僕には言えません。上で述べたとおりです。
3に関しては、もう僕はとっくに食われています。cold rainというバンドのNo escapeという曲がありますが、その歌詞と同じです。僕は自滅への道をひた走っています。分かっていても、立ち止まることができないんです。そして、僕はそれでいいと思っています。
こんにちは。文芸部仲間たちにどんどん先を越されて嫉妬に狂っている文文です。いろいろ身に覚えがある話でしたので、少しだけ。
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
私は元来の内向きな性格のせいか、小学生の頃から『みんなの中心に立ってチヤホヤされたい』という欲求がありました。そのせいでくだらないことや兄弟の事でも自慢したがるうざい子供でした。そしてそういう傾向は中学時代にも十分発揮されていました。
高校生の時、いろいろあって、意図せずして実際に中心、とまでは言わないにしても、かなり中心に近いところに立ちました。そしてそこで、私の『みんなの中心に立ってチヤホヤされたい』という欲求はほぼなくなりました。
みんなの中心に立ち、それを維持するための手間と、それによって得られる快感が釣り合っていなかったからです。
これは私の面倒くさがりな性格や、根本的な向き不向きがあったとは思うのですが、凛さんの場合にも当てはめることができると思います。
つまり、承認欲求を満たすための手間と得た後の快楽を比べて、「面倒くさいな」と思うようになれば、承認欲求は消えるんじゃないでしょうか。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
人間は生物界の頂点に立ち、ただ生きることに余裕が出来ました。
そこで、よりよく生きる、ということを目指すようになったのです。
『より楽しく生きる』『より美味しいものを食べる』『より楽に生活する』などの欲求と同じ次元に、承認欲求があるのではないかな、と思います。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
私の『集団における中心に立ちたい』という承認欲求は、高校の経験でほぼ消え、大学に入って完全に消えました。ただ、その代わりなのか、大学に入ってからは『文芸部で一番になりたい』『プロになって自慢したい』『圧倒的に面白い小説を書いてみんなからチヤホヤされたい』という欲求が顔を上げてきました。なんも成長してないとか言わない。
つまり、承認欲求自体は消えない。ただ、承認してもらえるなら、それはどういうジャンルでもいいんじゃないか、と思うのです。
小説で認めてもらえなさそうなら、別の、スポーツでも勉学でも、自分が一番認めてもらえそうなものに鞍替えする、という選択肢もアリなんじゃないでしょうか。
小説以外に選択肢がない私みたいな人の場合。
私も大概承認欲求が強く、面白い作品を読んで悔し泣きする程度には嫉妬心の強い人間です。
ひどい嫉妬に駆られた時、私は走ります。別にそんな長い距離は走らないですが、自分の走りたいペース、距離、場所をただ走ります。それだけで、自分の中にドロドロうねうねと溜まった真っ黒なものが、少しずつ吐き出されていくような感覚になります。それから少しすっきりした頭で、嫉妬に駆られた作品の良いところを探し、分析することができるようになります。
ちなみに叫びたくなることも多いですし実際よくやるのですが、叫ぶ、という行為は、意外と溜まったものを吐き出すのに役に立ちません。叫んだあと、イライラが頭の中をぐるぐる回り続けます。
具体的な理由は分かりませんが、やはり全身運動というのはストレスの発散に非常に効果的だ、ということなのだと思います。
というあれで、長文乱文失礼しました。お互い承認欲求と嫉妬に苦しむ身ですが、頑張りましょう。
どうも、持論は「何もかもがおためごかし」のRainです。本当にしたくない事って出来ないもんなんだと思います。
> 皆さん(多分)多少なりとも小説で認められたいという願望があるんじゃないかと思っています。
> 好きで描いている、という人だって、認められたほうがいいですよね?
無いよりは、ある方がいい、胸以外(渾身の一句)
> 1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
消えない。そもそも欲望というものは無限であり(略)
とはいえ、やはり個人差はあると思います。この場合は「どうやったら満たされたと感じるか」というべきですかね。明確な目標がある人は特に、それが達成されると満足すると思います。逆に、ただ漠然と「認められたい」と思っている人はかなり際限ないでしょうね。
> 2、そもそも、何故生じるものなのか。
祈りとは嘆きであり、願いとは諦めである(キリッ)
……つまり何が言いたいかというとですね、「こうであって欲しいと思うのはそうでないからである」という事です。要するに「今認められてないからじゃね?」というだけ。
> 3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
……欲求、かな?
別にどうやってもこうやってもない。そうしたいと思うならそうすれば良い。今日も妄想バリバリだっゼ!
実につまらない話になってしまって申し訳ないです。
どうも、サイラスといいます。
1、自己承認要求は何処で消えるものなのか。
私は、消えるというよりは、「認められたい」から、「読者に楽しんでもらいたい、元気を与えてたい」という欲求に変わるようというような気がします。
承認欲求のまずいところは、読者と作家(自分)をちゃんと見ないところです。
どうすれば、読者に受け入れらるか?今の自分の力量は?といったことを考えない、あるいは、傷つきたくないから考えないというのは、何かを表現する人間としては、底が浅く、つまらないような気がします。
2、そもそも、何故生じるものなのか。
単純に、それが好きだからじゃないでしょうか?
だから、それ(ここでは、ラノベ)を好きであること認めてもらいたい。大好きなそれを作ることを認めてもらいたい。それで、ご飯を食べさせてくれることを認めてもらいたい。そんな気がします。
3、皆さんはどうやってこの要求と付き合っているか。
今は、背を向けています。好きなものに手間をかけてあげられるほど、生活力がないからです。本当なら、投稿なり、発表なりして、自分がラノベに対して、どういう思いがあるのか見極めたいのですが、生活がいっぱいいっぱいで、向き合えていません。
作品の反応次第で考え見たいというのが実情です。
以上です。では。
1・自己承認要求はどこで消えるものなのか?
「ありのままの自分」を自分で受け止めると、どうでもよくなることだと思いますよ。
2・そもそも、なぜ生じるものなのか?
自分で自分のことを認められないけれど、心の奥底では認めたいから、外に「自分を認めてくれる何か」を探していくんだと思います。
3・皆さんはどうやってこの要求と付き合っているのか。
昔はとても悩んだのですが、今は結構そういう要求は薄くなったと思います。
多分、他人と比べることに意味がないことに肌感覚で気づいたのが自分が変わることができたきっかけだと思います。
たとえばゴリラがシャケと水泳で勝負して負けて落ち込む意味なんて一切ないように、他人と自分は全く違う生き物で、『自分の持つ個性や強みを、自分が生きるに困らない範囲で活かしていけるようになっていけばいい』と考えることが大切なんだと思います。