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  4. ラノベ新人賞各レーベルごとの内情と傾向公開日:2014/04/22

ラノベ新人賞各レーベルごとの内情と傾向

 ラノベ作家・狼男さんのコラム 2014年04月19日

 ライトノベルの執筆、公募で、ひょっとしたら役に立つかもしれない、各出版社で聞いたアドバイスその他のまとめ(年代と、個人的に入れた注釈が若干あり)取捨選択葉はご自由に。すべてが役に立つとは言わないが、一個か二個は使えるものがあると思われ。これ以外の、基本的な執筆の作法や公募については、市販のハウツー本や、ネット「ライトノベル作法研究所」「下読みの鉄人」等に頼ること(それにも良し悪しあるが)。
 注・ここに書いてあることの反証も、当然ながら世のなかには存在する。なんにでも例外はあると思っておくこと。

●富士見ファンタジア文庫(1988年~2004年前後。複数回にわたって聞いた話)
 「公募の受賞作って、基本的に売れないんですよ。何故かと言うと、王道ではない、ちょっと変わった話が受賞するからです。もちろん、既存のプロが売り込みにきて書いてもらう場合は売れ線を書いてもらわないと話になりませんが」
 注・つまり、少なくても富士見ファンタジア文庫の場合は、王道よりも珍味がひっかかりやすいということ。「スレイヤーズ!」は(いまでこそ王道で古典なものの)当時は珍味として受賞して爆発的に売れたが、あれは特殊なケースだったらしい(さっそくで申し訳ないが、なんにでも例外はあるものである)。

「読んでるだけでおもしろい文章というのがあるんです。たとえば『スレイヤーズ!』。もちろん、そうでない文章を書く人もいます。そうでない人は、文章をおもしろくするのではなく、状況をおもしろくするんです」
 注・とくになし。

「うちに応募してくる人にも勘違いしてる人がいっぱいいて、変な奴だせばいいんだろうって思ってるみたいなんですけど、小説の基本はストーリーです」
「世のなかには、奇抜な設定とストーリー展開のおもしろさで読ませる話も存在しますが、うちではやってませんので」
 注・この二文は、一見すると少し矛盾している印象もあるが、とにかく両方とも言われた。考えるに
「ライトノベルの土台は、あくまでもストーリー。しかし、ストーリーに凝りすぎても意味がない。基本的なストーリーができたら、それに魅力的なキャラを乗せて全体を装飾する。食べ物でたとえるなら、ストーリーが土台のスポンジケーキで、キャラがクリームやイチゴの、デコレーションケーキをつくるイメージで。それがライトノベルなんです」
 という意味だと思われ。

●雑誌「スニーカー」コラム(年代不明)
「ライトノベルとはキャラクター小説である」
 注・これと同じことはあちこちで言われた。つまり、キャラの魅力がものを言うということ。それ以外は、メインではなくてサブである。ストーリーも舞台設定も、叙述トリックや伏線等の技術もサブに該当する。先のたとえ話で言うと
「デコレーションケーキ(ライトノベル)の形を支えているのは土台のスポンジケーキ(ストーリー)だが、俺たちが楽しみたいのはクリームやイチゴ(キャラ)なんだ」
 ということらしい。

●電撃文庫ホームページWEBラジオ(いつでも聞ける)
「おもしろければいいんです」
 注・とくになし。

●MF文庫J(2007年)
「多面性のあるキャラクターがいいんですよ。たとえば、普段は主人公にツンツンしているヒロインが、あるとき、デレッとなるとか。そういうのがいいんです」
 注・とりあえず編集部にお邪魔したら言われたので書いておく。俺はよっぽどもの知らずに見えたらしい。

「SFはとにかく売れません。『星界の紋章』は売れてますが、あれはSFだからではなく、キャラクターの魅力で売れているんです」
 注・この場合のSFとは、スペースオペラのことを指していたらしい。ハルヒのようなSFは無問題かと思われ。

「最近の読者は、定期的に本がでないと話を忘れてしまうんですよ。だから、三ヶ月に一冊のペースで本をださなければならない。で、こういう場合、うちでは二週間に一本のペースで話を書いてもらうことになります。どんなに長くても三週間です」
 注・俺はマックスで、三週間で長編を一本書けるが、あれは遅い部類に入るらしい。

「いまの(ライトノベル)読者は設定を読むのを嫌がるんですよ。『西暦三〇〇〇年、人類は地球を離れて』この時点でもう駄目。読者が読みたいのは、設定じゃなくてキャラクターなんです。ただ、設定の存在しない話は存在しない。だから読者が『いま、自分は設定を読まされているんだな』と意識しないように設定を説明しなければならない。その点、『スレイヤーズ!』の先生(ボケとツッコミ漫才形式)はうまかった」
 注・この話を聞いた時点で、まだメディアファクトリーはKADОKAWAの傘下に入っていなかった。つまり、MF文庫J編集部はライバル会社の作品をほめていたことになる。「スレイヤーズ!」は相当すごかったらしい。

 ちなみに「小説家になろう」サイトからの拾いあげ作品は設定の説明が多くても売れているが、あれは一般的なライトノベルの常識とは異なる(もっと言うなら『三巻からおもしろくなります』なんていう、正反対な理屈の)「なろう」流儀にのっとって書かれたもので、しかも信者の多い、最初から売れるとわかっている話を書籍化したものである。基本的なスタートラインの違う別物だと考えること(強調するが、なんにでも例外はある)。
 さらに余談だが、「なろう」で人気になる(拾いあげられる)コツは
・異世界トリップものを書く。
・俺ツエーものを書く。
・設定の説明を長々と(普通なら嫌がられるはずなんだが、なぜか『なろう』では喜ばれる)。
・小まめでいいから、毎日のように更新する。
 以上である(これは個人的な想像だが、読者は小説を読んでいるのではなく、ブログを楽しんでいる感覚なのかもしれない)。

●GA文庫ホームページブログ(年代不明)
「(公募作を読み終わって)当分『――(ダッシュ)』は見たくない」
 注・公募には「……(三点リーダー)」や「――」を多用する人間がいるらしい。で、そういう場合、効果を狙っているのではなく、書いている人間が自分に酔っているだけの危険がある。
 「……」や「――」は意識的に減らして書くのが良策の可能性あり。そもそも「……」や「――」が多くても少なくても、公募で飽き飽きしてる編集部はともかく、一般的な読者は気にしない。事実「狼男と人魚姫(エンターブレインKCG文庫)」と「魔王のおもりを仰せつかりました。(主婦の友社ヒーロー文庫)」は「……」を一切使用していないが(俺が嫌いなの
で入れなかった)、気づいて指摘した読者はひとりもいなかった。

●講談社ラノベ文庫(2012年)
「うちは『バカとテストと召喚獣』に代表されるようなラブコメ路線で行こうと思っていますので」
 注・路線変更はあって当然なので、いま現在どうなのかは保証できない。

●スーパーダッシュ文庫(2011年)
「『出だしに詰まったらセリフからはじめろ』と教えてます」
 注・「あの男を捕まえてー!」とか「火事だー!」なんて感じではじめれば、とりあえず人目を惹くから、その手で行けということらしい。

「『作者プロフィールには生年月日を書くな』と言っています」
 注・俺はデビュー時に書いてしまった。大失敗である。

「若い読者を集めて話を聞いたら『いまのライトノベルは地の文章が五行を超えてはいけない』なんて言ってましたよ。信じられないでしょ?」
 注・これはアドバイスではなく、ただの世間話で聞いただけなので、まったく参考にする必要なし。「こういうことを言う読者もいるのか」という参考程度に受けとること。ただ、俺は逆にこだわって「魔王のおもりを仰せつかりました。」を、地の文章を五行以下で書いてみた。
 編集部の加工で、六行以上になってしまった個所も残念ながら存在するが(ノベルチェッカーにかけたらセリフと地の文章の割合は54対46だった)。その気になったら地の文章を五行以下で書くことは可能である。

「10冊以上も本をだしている人なら、プロットなしでも基本的に話は書けるんでしょうけど、普通はプロットを書けって言ってます。『家一軒建てるのに設計図を書かない奴がどこにいる』てことですよ」
 注・とくになし。

「『紅』は『電波的な彼女』のスピンオフ作品だけど、『電波的な彼女』よりも売れた。なぜかと言うと、美少女がでてくるから。ロリはそれだけで一定の需要がある」
 注・女性には申し訳ない話だが、男はそういう生き物なんだと思ってほしい。

●亡き朝日ソノラマ(2000年ごろ)
「ダーティペア・コンセプトと言われている考えがあります。ボーイッシュな女の子と大和撫子な女の子の両方をだせば、どちらかにはファンがつくはず。うまくすれば2倍売れるというものです」
 注・いまとなっては常識だが、それだけに効果は高い。おそらく、アニメ「プリキュア」第一弾も、そういう狙いが存在したはず(何しろプリキュア=プリティキュアだから、タイトルの時点でダーティペアのオマージュっぽい)。アニメ「宇宙戦艦ヤマト」も、リメイク版は綺麗どころがグンと増えた。
 ちなみに「僕は友達が少ない」は、妹からロリからボケから金髪から不愛想からやりたい放題である。未読の人は読むと参考になる可能性あり。

●某編集部(さすがにヤバい気がするので、どこで聞いた話かは伏せる)
「あなた、このままライトノベル市場で勝負したら惨敗するよ。一般に行く気ないか? 実力はある。そうじゃなかったら路線変更。ペンネームを変えると、ガラッと路線変更できることがある」
 注・一般というのは、センスの古くなったライトノベル作家が行きつく場所ではないと思うのだが、とにかく言われた。

「(ある人を指さして)あの人は三回ペンネームを変えてやっと売れた」
 注・一冊切りかと思ったら面倒見のいい出版社だった。

●伝聞だが、あるライターさんの話(年代不明)
「何年か前、下読みをしたことがある。で、とにかく吸血鬼とオッドアイ。しかも二行と読めない」
 注・ほかでも聞いた話だが、とりあえず吸血鬼とオッドアイは、書き手の好きな課題らしい。それだけに競争率はすさまじく高くなると思われ。

●ネットで見た下読みさんの言葉(年代不明)
「公募作を読むと、一冊600円くらいで売っているその辺の本が、実はすごい技術で書かれていることがわかる」
 注・普通に応募したら一次落ちばっかりの立場で言うのも申し訳ないが、相当ひどいのが送られてくるらしい。

●「空のキャンバス」(1986年~一1987年連載)
「本番は70%の力で挑め。本番では緊張して、意識してなくても30%くらい、どこかに無駄な力が入っている。そこで100%の力を発揮しようとすると、合計で130%の力をだすことになる。でるはずのないパワーをだそうとすると空回りをして失敗する。70%の力と、無意識に入っている30%の力で普段の100%だ」
 注・文章に関して言うなら、自分も過去にこの失敗をやった。魅力的で凝った文章を書こうとして力を入れすぎると「ルシフェルの再来のような気高さ」「三千世界の重箱の隅をつつくような雷鳴」等、おかしなことになる(この二文はGA文庫のブログで『本人は気持ちよく書いてるんだろうけど、読んでて訳のわからない文』ということでやり玉に挙がった、ダメな文章の典型である)。
 ライトノベルの文章は読みやすくて内容がわかればいいんだから、適切に力を抜いておくこと(誤解のないように断わっておくが、無茶苦茶な文章でもいいと言っている訳ではない)。

●「バクマン。」(2008年~2012年連載)
「連載を勝ちとるには、努力、うぬぼれ、運。連載を勝ち獲ってからは、体力、精神力、最後は根性」
 注・とりあえず、最初は「自分はできる」という暗示をかけて、あとは、読んで吸収して、書いて技術を磨いて、感想をもらって自分の欠点に気づいて、公募して、とにかく努力しまくるしかないらしい。後半の、精神力と根性がどう違うのか? は不明。

●極真会館大山倍達総裁(年代不明)
「ただし、運とは、日々の努力がもたらすものではありますが」
 注・つまり、努力していれば、少しは運もめぐってくるらしい。

●「まんがの書き方全百科」(一九七九年)および「サルでも描けるまんが教室」(1989年)
「『そこまで読者にこだわる必要があるの? 読者のことは考えず、本当に自分が書きたいものを書いてこそ、真の芸術になるのでは』何が芸術だ! そんな考えは一切捨てろ!」
 注・「もちろん、書きたいことを書いているだけの本も一般には存在するが、ライトノベルはそうではない。ライトノベルはエンターテイメント(娯楽)である。エンターテイメントである以上、読者の求める話、あるいは、それ以上の話を提供しなければならない。自分の主義主張は100%殺してエンターテイメントに打ち込むこと」
 という考えもあるが、これはプロデビューしたあとの理屈である。ライトノベル新人賞では、少し変わった話がひっかかるという事実が存在する。そのため、公募に限って言うなら
「王道のエンターテイメントを全体の70~90%くらいにして、残りは書きたいことを書いて、意識的に、王道でありながら、少し変わった話を書く」
 という手も考えられる(後述の作家Dさんも似たようなことを言っている。ただし、これは融合の仕方が難しい)。
 ちなみに、漫画「ラーメン発見伝」「らーめん才遊記」には、作り手の追求したいものと消費者の要求するもののズレをテーマに話をつくっている回や、わざと少しだけアンバランスなものをつくって、小綺麗にまとまっているものより後味をひくなんて回がある。「書きたいものが受け入れられない」等、悩んでいる人は、読むと勉強になる可能性がある。

 ●ひきつづき「サルでも描けるまんが教室」
「話づくりとは、日常のなかの非日常である」
 注・たとえば一般家庭に少年忍者が居候するとか、怪物ランドの王子様が近所に引っ越してくるとか、何かしら事件を起こすのが基本ということらしい。

「エスパー漫画は『イヤボーンの法則』で動いている」
 注・エスパーヒロイン「(ピンチになって)イヤアァァ!」眠っていた力が目覚めて「(敵の頭が)ボーンと爆発!」のこと。
 類義語に「スーパーサイヤ人化現象」がある。ただ「またこのパターンか」と言われる危険が高いので、異能バトル物で使用する場合は見せ方に工夫が必要(『新世紀エヴァンゲリオン』、『NARUTO』、『BLEACH』、『マクロスF』、等、イヤボーンそのものだったり、うまくアレンジしていたり、魅力的に見せている話は点在する)。

「少年漫画につきものなのはパンチラだー! パンツをだせパンツを! お色気が足りーん!」
 注・「バクマン。」でも、ここまで極端ではないが、「ヒロインをかわいく描かなければならない。ご指導お願いします」なんてエピソードがあった(もちろん、例外的にパンチラゼロの少年漫画もあるが、お色気はあって損をするものではない)。ライトノベルにも萌えヒロインとラッキースケベはお約束である。アクセント程度に添えるかメインに据えるかは各人の判断で。女性には申し訳ない話だが、男はそういう生き物なんだと思ってほしい。
 ちなみに、日本で一番売れているパンチラ少年漫画は「ドラえもん」である。

●ある作家Aさんの意見(作家さんの名前、年代ともに不明)
「最初の五ページと最後の五ページとあとがきは死ぬほどおもしろく書け」
 注・最初のインパクトで「つかみはOK」最後の痛快さ、大団円で「終わりよければすべてよし。あーおもしろかった」で絞めろと言うことだと思われ(それ以外はつまらなくてもいいと言っているわけではないので。念のため)。

●ある作家Bさんの意見(作家さんの名前、年代ともに不明)
「推理小説なら一ページ目から死体を転がしておけ」
 注・これは「最初からエンジン全開フルスロットルで行け。『途中からおもしろくなりますよ』なんて話は、そこまで行く前に読者が投げ捨てるぞ」という教訓と思われ。
 ちなみに、たとえば序章で全裸の美少女三人に主人公が半殺しにされるシーンだけ書いて、一章で「そもそもの事の起こりは一週間前の神社の願掛けが原因であった」なんて感じではじめると、少なくても一ページ目から事件が起きてることは起きてるので注目を集めやすい。昔から存在する手法で、時系列が入れ替わるから若干わかりにくくなるという欠点もあるが、効果的である。
 さらに余談だが、赤川次郎先生は本当に一ページ目から死体を転がしたことがある。

●ある作家Cさんの意見(作家さんの名前、年代ともに不明)
「『これは伏線なんですよ。これは伏線なんですよ。大事なことなので二度言いました』これくらいやってくれって担当さんに言われた。それじゃ伏線じゃないだろうってデビュー当時は思ったけど、いまはよくわかる」
 注・そういう技術が存在すること自体は認めるが、個人的には、それは伏線ではなくて、布石とか前振りと読んで区別するべきだと思う。

●ある作家Dさんの意見(2013年。作家さんの名前は知っているのだが、本人の要望により伏せる)
「プロ作家が書いて本になる話と、公募で受賞する話は違う。公募でひっかかりたかったら、王道から少しはずして珍味を混ぜろ。たとえば王道ラブコメなはずなのに、SFチックな量子理論が混ざっているとか。自分はこれでデビューできた」
 注・これは、俺が話していて「D先生は、たぶんこういうことを言っているのだろう」という憶測で要約したものだが、本人に確認したら「だいたい合ってます。ただ、無理にやろうとはしないこと。できる技量のある人がやればいいんです」だそうだ(無理にやると、ただチグハグなだけのものができるらしい)。

「話を書く上で、まず『この話で自分は何を書きたいのか?』漠然と意識するのではなく、自分自身と向き合って、はっきり自覚すること。たとえば『格好いい男が書きたい』等、短くてシンプルでいい。
 長くて複雑なのは、あれもこれもなので、却ってよくない。で、『この話で書きたい格好よさとは何か? ダークヒーローか? 正義の味方か? 正義の味方なら、名推理で犯人を特定するのか? バトル系か? バトル系なら、肉体が強くて格好いいのか? 超能力が強くて格好いいのか? 動機は、恋人を守るためか? 死んだ友人との約束を律儀に守っているのか?』等、ひたすら掘り下げて、最終的に『自分はこういう格好いい男を書きたいんだ』と、自分で明確に把握してから、それを引き立たせるように話を組み立てる(書く)。そうしないと、何をもって読者を喜ばせたいのかという焦点がぼやけてしまう」
 注・これも「たぶんこういうことを言っているのだろう」という憶測で要約したものだが、本人に確認したら「ですね。問題ないです」だそうだ。

「(ライトノベル新人賞の)下読みしたことあるんだけど、『文章になっていれば一次は通る』は過去の話。あと、私小説がごろごろあった」
 注・文章になってなければ一次落ちは当然だが、レベルが高くても落ちるときは落ちるらしい。それはいいけど私小説なんてライトノベル新人賞に送るな。

「電撃だけは何が受賞するのか傾向がつかめない」
 注・電撃は王者レーベルで、流行の後追いではなくて流行をつくる立場なので、過去のデータから今後の方針が読めないのだと思われ。「少し変わった話がひっかかる」作戦も通用しないらしい。

●ある作家Eさんの体験(作家さんの名前、年代ともに不明)
「俺なんか某賞で一次落ちしたやつ適当に使いまわしたら受賞したぞ」
 注・一次落ちでもめげずに使いまわすと、たまにはこういう奇跡が起こるらしい。下読みさんは「また送ってきたよ」で大迷惑だと思うが。

●庄司卓先生の意見(1996年。『倒凶十将伝 巻之五』あとがきより)
「とにかく最後まで書きましょう」
 注・馬鹿にしてはいけない。基本であり極意である。

●西尾維新先生の意見(二〇〇八年。『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』クリエイターの十戒より。念のために言うが、大元に注釈はない。注釈は俺が勝手につけた)

1、己の創造物を作品と言ってはならない(思い上がりもはなはだしい)。
 注・俺は自分の書いた話を「自分の書いた話」と言っている。「作品」は気恥ずかしい。

2、他者の創造物を批判してはならない(同右。転じて、自己批判を怠ってはならない)。
 注・とくになし。

3、創造に時間をかけてはならない(時間よりも値打ちのある創造物などない)。
 注・とくになし。

4、己の創造物を解説してはならない(説明が必要なものは未完成である)。
 注・そもそも自画自賛はみっともない。書きたいものは全部本編に書くこと。

5、自分のほうが先に考えていた、と言ってはならない(むしろ先に考えておきながら後塵を拝した不明を恥じよ)。
 注・確かに言い訳は見苦しい。

6、昔から温めていた発想を使用してはならない(発想は常に新鮮に。熟すとは、腐るという意味だ)。
 注・とくになし。

7、失敗の言い訳をしてはならない(失敗に言い訳の余地はない)。
 注・確かに言い訳は見苦しい。「自分のほうが先に考えていた、と言ってはならない(五)」と同じ。

8、受け手を批判してはならない(批判はされるものであってするものではない)。
 注・常識だが、うっかり忘れがちになるので要注意。話を書く人間は悪口を言われる側の人間である。世のなかには読者の感想に「そんなつもりで書いたんじゃない!」と反論する人間もいるそうだが、それはおかしい。書きたいものが相手に伝わらない失敗は、書いた人間の腕が悪かったからである。反論じゃなくて反省するべし。「失敗の言い訳をしてはならない(7)」と同じ。

9、受け手を選んではならない(選ばれるのは常に自分)。
 注・常識だが、うっかり忘れがちになるので要注意。「受け手を批判してはならない(8)」と同じ。

10、創造主を名乗ってはならない(それは呼称であるべきで自称するべきではない)。
 注・とくになし。

●日日日先生の意見(年代不明)
「受賞するかどうかは若いかどうかです」
 注・これが、実年齢のことなのか? 内容が若々しいということなのか? は不明。気にする人は気にすればいい程度のことだと思われ。

●浅井ラボ先生の体験(2002年)
「応募作が既定枚数を超えてしまったので、一章は規定通りの文字数×行数で印刷。二章以降から、一行、一文字をプラスして印刷。ばれないように水増しして受賞した」
 注・個人的には勧めない。

●山本弘先生の意見(2009年、2012年)
「読者は、最初の5ページから10ページでおもしろくないと思ったら読むのをやめる。言いかえれば、『竜頭蛇尾はOK!』である。(竜頭蛇尾な小説なんか書いたら、一発で読者に見捨てられるぞー)」(2009年)
 注・これはハウツー本「すべてのオタクは小説家になれる!」の書評で山本弘先生が言ったもの。ただし、「ライトノベル作法研究所」でも「竜頭蛇尾はいい」と言っている(本当に竜頭蛇尾を推奨しているのではなく、『竜頭蛇尾になってもいいくらいの意気込みで、ものすごく冒頭をおもしろくしましょう』という意味らしいが、とにかく言っている)。どちらを正しいと思うかは各人の判断にお任せ。
 ただ、個人的には、ラストバトルで全然盛り上がらない、尻切れトンボな『スレイヤーズ!』なんて読みたくないし、そもそも公募でも受賞しないと思うが。

「ライトノベルには『遠慮』がない。普通、『半径2メートル以内のパンツを消す能力』なんて、思いついても小説に書こうとは思わない(笑)。それを書いちゃうのがライトノベルだ。アイデアだけじゃない。
 『こんな変なキャラクターを出したらバカにされるんじゃないか』とか『こんな荒唐無稽な設定を受け入れてもらうには、日常に密着したリアルな部分をみっちり書かないといけないんじゃないか』とか『こんなに会話ばっかりでストーリーが進まない小説なんて許されるのか』といった遠慮をしないのである」
(2012年10月28日ブログより)

 注・要するに「おもしろければなんでもいい」ということらしい。電撃文庫「おもしろければいいんです」と同じ。

●賀東招二先生の意見(年代不明)
「(プロ作家を目指すのなんて)やめとけ。こんなこと言ったって、どうせ聞かないと思うけど、やめとけ」
 注・こんなこと言われてもやるんだから不退転の決意で挑むこと。

●小松左京先生の意見(年代不明)
「リアリティの追求について。フィクションを書きながら、読者に『これって本当の話なんじゃないか』と思わせるには、90%の真実と10%の大嘘である。たとえば吸血鬼が存在するという嘘を書いた場合、それ以外の宗教的見地、歴史的事実、生命工学、進化論等、すべて本当のことを書いて、しかもつじつまを合わせる。これをやると、あるはずのないものが、いかにも実在するように見える」
 注・「さよならジュピター」や「日本沈没」がこの手法で書かれたらしい。いま現在、ライトノベルでリアリティを追及する人間がいるかどうかは疑問だが、とりあえず参考までに。

●一般論(いつの時代も)
「『こいつは俺より下手だな』と思ったら、そいつはお前と大体同じぐらい。『こいつは俺と同じぐらいだな』と思ったら、そいつはお前よりも上。『こいつは俺よりうまいな』と思ったら、そいつはお前の遥か先を行っている 」
 注・誰でもそうだろうが、自分のことは客観的に見られない、判断が甘くなるという教訓。もちろん俺も同じなので注意が必要だが。
 具体的な話になるが、「ゼロから始める魔法の書」作者はインタビューで
「とにかくおもしろさを優先させて、常にお話が動いているようにしました。必要な設定はその隙間にパチパチと。 後、出した設定は全部何かにリンクさせること」
 なんて言っていたが、世間の評価は
「平坦、100ページ過ぎても話が動かないぐらいのろい、魔法に関しての説明が多い」
 だった。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
「受賞したら(あるいは、一次選考を突破でもなんでいい)運が良かったと思え(言え)。はじかれたら、実力がなかったと思え(言え)」
 注・謙遜が日本の文化。日日日先生のように、複数の賞で受賞したら、まぐれが続くとは考えにくいので実力があると認める。

「ライトノベル専門学校はやめておけ。卒業するまでに一作でも書き上げられたら、そいつは優秀な部類だ」
 注・通ってる人には申し訳ないが、とにかくいい噂を聞いたことが一回もない。

「プロデビューしたらゴールではない。プロデビューしたらスタートである」
 注・常識なんだけど、ほとんどの人間が勘違いをする。浮かれて舞い上がってしまうというのもあるとは思うが、いままでおとなしくしていた人間が、急に偉そうな態度で創作論を語りだしたりするから見てて痛々しい(こんなこと偉そうに語っている時点で俺も痛々しい訳だが)。
 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」胸にとどめておくこと。常識だが、うっかり忘れがちになるので、意識的に胸にとどめておくべき。漫画家のあさりよしとお先生は雑誌のコラムで「教訓とは、いつまでたっても活用されないから教訓でいつづけられるのである」とまで言った。

 もちろんパフォーマンスで馬鹿を演じる分には何も問題ない。たとえば夢枕獏先生は、あとがきで「この物語は、絶対におもしろい」などと大口を叩いている。

●俺の意見、および体験談(いま現在)
「公募だと、『あらすじは、ネタバレになってもいいから最後まで書いてください』とある。『ネタバレになってもいいから』? つまり(揚げ足をとるようだが)ネタバレにならないように最後まで書けるなら、そういう書き方でいいということだ」
 注・具体的に言うと「そこで主人公が名推理を働かせて犯人を特定しました」「主人公が敵と戦って勝ちました。めでたしめでたし」こんな感じでOK。俺だってネタバレは不愉快である。と言うか、そもそも、こういう書き方をしないと既定文字数以内で最後まで書けない。

「ライトノベルを書く上で、メインに押すのは魅力的なキャラクター、サブで書かなくてはいけないのが内容を把握させるための設定である。その二点を『魅力的なキャラのかけあいやラブコメやアクション=ページが進むので青信号』『内容を把握させるための最低限の設定やウンチク=ページが止まり気味になるので赤信号』とイメージする。
 で、何も考えずに話を書くと、前半が赤信号、後半が青信号のツートンカラーになる。すると読者は前半で投げ捨ててしまう。そこで、大昔のパソコンのドット絵のように『青青青赤青青青青赤』の手法で、遠目で全体が青紫に見える話を書く。純粋な青に近ければ近いほどいい。で、読者に
『楽しいかけあいや、ニヤニヤできるラブコメや、手に汗にぎるアクションだけを読んでいたはずなのに、いつの間にか設定やウンチクも頭に入っていた』
 と思わせればOKである」
 注・これはMF文庫J編集部で「いまの(ライトノベル)読者は設定を読むのを嫌がるんですよ」という話を聞いて、俺が考えた持論。ただ、実践はすさまじく難しいので、そのつもりでいること。

「速筆の手。担当さんか、なるべく立場が上の人に『長編一本、三週間くらいで書けますよ』大口を叩くこと。これやると、もう引っ込みつかないから根性で嘘を本当にするしかなくなる」
 注・俺は過去に3回これをやったが、とにかく効果抜群だった。ただ、事前に「自分のペースだと、マックスで一日6DP。三週間で126DPだな。よし行ける」くらいの計算はしておくこと。考えなしに啖呵を切るのではなく、計算してから啖呵を切る。でないと本当にあぶない。

「出版経験者なら、富士見ファンタジア文庫には売り込みが効く。『出版経験者も御社の新人賞に応募しなければいけないのでしょうか?』なんて感じで電話すればわかる。ただし、新人賞受賞者は、三冊までチャンスがある。外部から売り込みにきたプロは、一冊だして再版されなかったら即切りだから、そのつもりでいること」
 注・これ、かなり古い情報なので、いまは違う可能性がある。

「同じ理屈で、主婦の友社ヒーロー文庫にも売り込みが効く」
 注・とくになし。

「さらに同じ理屈で、MF文庫Jにも売り込みが効く。もっと言うと、プロ作家の持ち込み原稿を受け付ける窓口も存在する。確認すればわかる」
 注・とくになし。

「1990年代、小学館にスーパークエスト文庫というレーベルが存在した。ガガガ文庫の前世だと思ってくれたら大体OK。で、ここが、公募もしなければ原稿募集もしてなかった。そこに電話して『持ち込みいいですか?』許可をもらって、5、6本、印刷して郵送してたら連絡がきた。で、そのとき言われたのが『いま、うちに持ち込んでる人、16、7人いるんだけど、あなたが一番だから』俺はとんでもない低競争率でプロデビューした」
 注・いま現在、これに近いことをできるのがPHPスマッシュ文庫。公募ではなく、随時持ち込みOKなので(あまりメジャーなレーベルでないことは認めるが、それだけに競争率も低いと思われ)。もちろん、デビューさせてもらった以上は死ぬまでスマッシュ文庫で書き続ける義務も生じるが、それ以上に、出版経験者という肩書がつく。つまり、前述の手で、富士見ファンタジア文庫、主婦の友社ヒーロー文庫、MF文庫Jには売り込みができるということ。そういう手もある。

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