ダン・シーネンさんのコラム 2014年09月14日
機動戦士ガンダムなどから借用して、有人戦闘の必要性について、考察します。優れた同作品シリーズの初期から、あるいは後からファンが考案した緻密な設定と外れる部分がありますが、月まで程度の地球近傍での緊急性のある事件についての考察のことと、ご容赦をお願いします。
初作において、スペースコロニーは地球と月によるラグランジュポイントに配置されている。ラグランジュポイントはいくつかあるが、どれも地球からほぼ月と同じくらいの距離と考えてよい。そこで、月との間で戦闘行為を行うものとして考察を進めてみる。
現代戦は、テロあるいはゲリラ的な局地戦を除けば、レーダーを含む情報通信が多大な枠割を持っている。情報通信系がダウンすれば戦闘不能に、少なくとも組織立って敵に対して有効な戦術を以て当たることができなくなり、勝敗はその時点で決する。
現代の戦争技術は無人化を取り入れつつある。無人偵察機は既に実用レベルであり、速度が大幅にアップした航空戦では目視だけでは不足となり、コンピュータを含む各種電子機器の補助なしには成り立たなくなりつつある。一部、全自動戦闘機もあるようだ。
さらには、超遠方から戦争を行う技術の開発も進められている。極端な言い方としては「自宅の居間から敵国を焦土と化す」といった感じである。人道性云々ではなく、兵士の損耗を避ける余り、かえって冷酷無情な現実が訪れつつあるということである。
しかし、戦地との距離が地球-月間ともなると、別の面から遠隔操作が望まれるのもやむを得まい。現時点においても万全を期して準備しても、有人月探査は未だに命がけのミッションと言ってよい。もし事故が起きても救助に行くことはできない。
そんな状況で、事故どころか損害は必至の過酷な戦闘行為を行えばどうなるか。心を鬼にして数字だけで判断するとしても、多大な時間と手間をかけて育成した宇宙飛行士級の兵士が次々と戦死する事態となるわけである。負傷兵の救助もままならず多くは死亡する。
それならば、直接の戦闘行為は機械化すべきである。ただ人工知能開発の困難さを鑑みるに、完全な自立・自律型戦闘機械の開発は近未来でもあり得ないと思われる。かなりの部分は人間の遠隔操作が必要となるが、これなら兵士の損耗は皆無に等しいはずだ。
だが、本当にそうだろうか? 直接の戦闘を行う無人兵器の弱点は遠隔操縦兵なのである。完全自動化が無理だからこそ、最前線のすぐ後方で無人兵器を指揮・操作するわけである。敵を無力化するなら、遠隔操縦兵を攻撃すべきことは明らかであろう。
それは戦闘する双方が理解するはずである。宇宙には隠れるべき地形はない。よく「防御は攻撃より有利」と言われるが、それは地形や人工物を利用できるからであって、無防備同然の宇宙戦闘では通用しない。無人兵器の航続距離外から操作する必要がある。
しかし、そこは宇宙なのである。空気抵抗もない。地面との摩擦もない。放ったボールはどこまでも飛んでいく。航続距離など多少の技術開発により容易に伸ばせるであろう。そうすると、遠隔操縦兵はどんどん最前線から離れなければならなくなる。
そういう競争が起きて、ついには片方は地球、もう一方は月に籠ることになる。そこから遠隔操縦するわけである。さすがに本拠地以上に退くことはあり得ないだろう。そんなことをすれば、頼るべき最後の拠点を易々と占拠されてしまう。こうして遠隔操縦戦争は成立する。
だが、本当にそうだろうか? 現在の地球上での無人・遠隔操縦戦闘モデルを宇宙規模の距離にあてはめていいものだろうか? 戦争は当事国以外にも大規模な損害を伴い、当事国双方を含む世界の将来にとって重大な結果をもたらす。判断は慎重であるべきだ。
仮に地球側が優勢となり、月近くまで攻め込んだとしよう。月側拠点の直上、月の最後の防衛ラインでの決戦となる。地球側基地では遠隔操縦兵が無人兵器のカメラが映す月面をモニタで睨んでいる。敵機が迫る。最初はレーダー反応、続いてモニタで目視可能に。
地球側遠隔操縦兵は迎撃操作をしようとする。しかし突如、無人兵器からの通信は途絶。味方遠隔操縦兵も次々に無人兵器を失う。攻撃も防御も、反撃すら不能の一方的敗北。いったい何が起こったのだろうか?兵器のメンテナンスは万全を期したはずなのに。
地球と月は384,400km離れている。一方、光速度は毎秒300,000kmである。可視光だけでなく、通信に使われる電波や赤外線も電磁波であり、速度は光速度である。通信は片道で1.28秒を要する。即座に返信しても、往復で2.56秒。リアルタイムとは言い難い。
地球側の遠隔操縦兵が見ていたものはレーダー含めて1.28秒遅れなのである。仮に敵機の存在をキャッチできても、攻撃司令の伝達にはさらに1.28秒を要する。合計2.56秒、最低でも遅れてしまう。一方、直上の近距離である月側にはこの不利はない。
月側にすれば楽勝である。敵機を発見しても、そいつは3秒くらいは一切手出ししてこないのだ。撃墜し放題、もはや射撃訓練である。これで分かった。あまりに遠くから戦おうとしてはいけないのである。先ほどとは逆にどんどん最前線へ近づいて行く。
しかし最前線のすぐ後ろで遠隔操縦して戦うべきだろうか?思い出すべきは、敵の主要目標は遠隔操縦兵だということである。ならば、遠隔操縦兵は重武装すべきである。待てよ。その戦場で最高に重武装なものはなかったか?あるぞ! 無人兵器があるじゃないか!
したがって、遠隔操縦兵は重武装の無人兵器の中から遠隔操縦すべきなのである。ま、待て。それって遠隔操縦の意味があるのか? リモコンなんか使わず、直接操縦したほうが早いではないか。ようやく分かったように思う。宇宙でリモコンの戦争なんかできないのだ。
ガンダムに限らず、宇宙で戦うのに生身の人間が危険を冒してでも戦闘機械に直接搭乗するのには理由があったのである。いっときではあれ「ロボット、リモコンで動かせばいいじゃん」と思った我が身が情けない。深く宇宙の戦士にお詫び申し上げたい。~まだまだ続く
しかし、敢えて言おう。ゴミであると。地球上なら派手にドンパチしても地面がゴミだらけになるだけである。それがマズくないわけではないが、宇宙ではもっと深刻な事態を招く。宇宙では、小さな破片でも大きな脅威のスペースデブリになってしまうのだ。
戦争なんかのレベルで派手に弾丸や破片をまき散らしたら、エライことになる。それらの成れの果てのスペースデブリが大量破壊破壊兵器と化してしまうのだ。一定以上にデブリが溜まると、もう宇宙ロケットを打ち上げても必ずデブリで破壊される。
宇宙から地球に降りようとしても同様である。宇宙と地球は互いに行き来できなくなる。永遠に。それは『ケスラー・シンドローム』と呼ばれている事態である。
結論:宇宙で争いは厳禁、「髪の毛一本、宇宙(そら)には残さぬ!」の覚悟で臨むべし。(終)
○上記記事は、ダン・シーネンさんが、
http://togetter.com/li/518800
にまとめられた記事を当サイトの交流用掲示場に投稿した物を転載したものです。
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ガンダムでは、有人機による戦闘の理由として、ミノフスキー粒子という通信を阻害する架空の物質を作っていましたね。ミノフスキー粒子がある空間では通信障害が発生し、通信やレーダーが機能しなくなるため、有人機による目視での近接戦闘が主流になったという設定です。
ガンダムの生みの親である富野由悠季監督は、科学考証にだいぶ力を入れており、このリアリティがガンダムを他のロボットアニメとは一線を課した傑作に仕上げていると思います。
例えば、ガンダムの名セリフに「あんな(足)の飾りです。偉い人にはそれが分からんのですよ」というのがあります。宇宙空間ではロボットが人型である必要はなく、足が付いていなくても十分に機能することをジオンの整備兵が指摘しているのです。
ロボットがなぜ人型である必要があるのか?
その一番の理由は、ロボットとは自分の肉体の延長であるからです。
まだ未熟な少年が、ガンダムなどの強力なロボットに乗ることで、強大な敵と戦う力を手に入れ、仲間や大人たちから一目置かれる存在になる。これは少年たちが密かに胸に抱いている願望です。
男性というのは、外敵から群れを守るために作り出された存在であり、自分の子孫を残さなければならないため、本能的に強さへの憧れを持ち、群れでの序列向上を目指す性質があります。
強くなければ、弱い女子供を外敵から守れず、群れでの地位が低ければ、女性を獲得できるチャンスも減るからです。
この願望に応えるのが、ロボットのような超兵器です。
自分専用の特別なロボットとは、弱い自分に超パワーを与えてくれる存在なのです。
これが人型をしているのは、自分の肉体の延長としてイメージしやすいためであると、考えられます。
もしロボットが、ボールのような球形をしていたりしたら、宇宙空間での運用には向いているからも知れませんが、自分の肉体の延長、拡大バージョンとしてはイメージしにくく、自分が強くなったようには感じにくいのがネックです。
また、アニメなどではカッコ良さというのが、リアリティよりはるかに重要です。
武装した人型ロボットというのは、武装したカッコイイ男性をイメージしやすいので、少年が憧れを抱きやすいのです。
(人型戦闘用ロボットというのは、男性をイメージした存在であり、女性型ロボットというのは、わざわざオッパイを付けたりして女性らしさを強調しないと、女性と認識してもらえません)
人型ロボットが地上ではいかに不便で役に立たない存在であるかは、空想科学読本やネット上の科学考証で繰り返し指摘されています。
大ヒットライトノベルである『フルメタル・パニック』では、このツッコミにも対応した科学考証がされていますが(ロボットの腕をいかに簡単に操作するかといったこと)、これも完全ではありません。二足歩行による振動をいかに軽減するか? といったことには触れられていないのです。
二足歩行する10メートルの大きさのロボットは、歩くごとにすさまじい振動にさらされ、内部機構やパイロットに致命的な打撃を与える自殺兵器であり、この問題を解消する方法は、今のところ発見されいません。
ロボット兵器というのは、科学に裏打ちされた存在というより、超能力や魔法のような人間に超パワーを授けてくれる、空想ロマンとしての意味合いが強いと言えるでしょう。
ガンダム(1st)では、最初の設定の作り込みとともに、ファンが後付ながら、共同して設定を付加、強化したと聞いています。ミノフスキー粒子が詳しく考察され、ミノフスキー物理学となり、宇宙空間のロボット戦闘では、サーベルやアックスを振り回しても大丈夫な姿勢制御として、スラスターを使わない慣性姿勢制御としてAMBACを生みだしたり。それが本編に採用されたりもしたと聞いています。ファンの愛、恐るべしです。
> ロボットがなぜ人型である必要があるのか?
> その一番の理由は、ロボットとは自分の肉体の延長であるからです。
仰る通りだと思います。ロボットだけでなく、身近に実際によくあるのは、例えば車でしょうか。速い、強い、大きいといったことを実現していますし、習熟するほどに人馬一体の境地というのでしょうか、車を運転しているというよりは、車となって走っている感覚が生じることもあるようです。
車は形態として人体と似てはいませんが、正面から見ると人の顔に似ているようにも思えます。これは人間がいろいろなものを人の顔と認識しやすい性質のせいではあるんでしょうけれど(顔文字も、それのお蔭だそうですし)、全くの人外でもないように思えます。
下手をすると、「ハンドルを握ると人格が変わる」みたいに、車の力を横暴、無謀な形で弾きだしたりもしてしまいます。そうなると、車に操られている状態なのかなと思います。
> 自分専用の特別なロボットとは、弱い自分に超パワーを与えてくれる存在なのです。
道具はおおむねそういうところがあるような気がします。他人、ことに敵に勝つという面を強調したのが武具ということになるでしょうか。弓矢や銃などの飛び道具などでも、的に当たれば「手応え」があるんだそうです。やっていない身としては、どういう手応えなのか、サッパリです。
それはともかく、自分の形状のまま、強くなるのなら、自分の力としてイメージしやすいのでしょうね。サイボーグ、パワードアシスト、パワードスーツ、さらに巨大化して巨大ロボットと、イメージとしては途切れずにつながりそうです。
> 人型ロボットが地上ではいかに不便で役に立たない存在であるかは、空想科学読本やネット上の科学考証で繰り返し指摘されています。
その通りなんですけれども、真面目に実用性を考えている研究者もいます。等身大なら、人間の道具が使えるといったことはありますが、巨大でも実用性はあるのか、と思いましたが、あるようにすることも可能だそうです。
というのは、人間は身体能力として、何かに特化した動物には敵いませんが、あらゆる状況に対応するのは、たとえ素手であっても非常に優れているのだそうです。専用機と汎用機の相違といったことです。人間は二足歩行以外は特に身体的な進化がなく、単に脳が大きくなっただけらしい。
優れた脳と機能的に未分化の身体、しかも手が使えるだけ、そこそこやるだけなら工夫次第で何でもやれるところが強みなのだそうです。他には、立った状態では非常に縦長なのが便利なのだそうです。同程度の他の四足動物に比べ、狭い足場でよかったり、上下差の大きい作業に適したり、(どうでもいいような気がしましたが)乗り物に乗れる人数も多い。
> 二足歩行する10メートルの大きさのロボットは、歩くごとにすさまじい振動にさらされ、内部機構やパイロットに致命的な打撃を与える自殺兵器であり、この問題を解消する方法は、今のところ発見されいません。
柳田理科雄さんの「空想科学読本」(第一巻)ではマジンガーZの走行で、上下動を幾何学的に大きくしてしまい、振動の加速度が過大な間違った考察になっていると、山本弘さんが「こんなにヘンだよ空想科学読本」で指摘していました。落下するのはサイズに関わらず、加速度9.8m/s^2だろうと。まさにその通りで、柳田さんはその後、同じような現象が関わる考察では、注意するようになったようです。
それでも、身長10mであっても、ちょっと乗りたくない、乗れない振動になるのでしょうね。ガンダム1stでドムが地上ではホバリングを併用していましたが、もしかすると振動が問題になったのかも。宇宙なら仰るように「足は飾り」、せいぜいが補助でコロニー内の移動くらいなのでしょうけれど。
それでも巨大ロボットが二本足で疾駆するのは、巨大化して強くなった自分なんだからでしょう。全力疾走って、熱血系ドラマの演出ではよくあったりします(過去形で、しました、かも)。目一杯やっていることがよく感じられるのかもしれません、二本足で全力疾走という行為は。