文文さんの質問 2014年10月30日
ごきげん麗しゅう。3DSのスマブラを買ったけど、持ちキャラのピカチュウが相変わらず中堅の域を出なくて悲しい文文です。強キャラになる日は来るのか。
さて今回は相談ってほどではないのですが、少し質問がありまして、こちらのほうへ書き込ませていただきます。
大学で、私の所属している文芸部は、自慢ではないですがけっこうレベルが高いです。どのくらいのレベル、と言うのは難しいですが、参考までに言いますと、部員の半分くらいは私より優れた作品を書きます。先輩としての矜持が消し飛ぶくらいに優秀な後輩が何人もいて正直辛いです。
またジャンルも様々で、私のようなラノベ畑野郎もいれば、純文学をメインに据える人、俳句や短歌をやる人もいます。最近はだいぶお堅い作品を書く人が増えてきて、私としては少し肩身が狭いです。
で、そんな中に一人、書く小説すべてにおいて、行間を開けまくる人(今後Aと呼びます)がいるのです。
Aは今年から入ってきた一年生で、それまでは『小説家になろう』というサイトで書いていたらしいです。
おそらくはその影響で行間を開けまくって書いていると思われるのですが、これに対し、おもに堅い作品を書く人たちからかなり反発の声が上がりました。
私は形式とか小説としての正しさとかはどうでもいいと思っているので、あまり気にしていませんでした。しかし、どうにも受け付けない部員も多いらしく、前期の間は批評会のたびに行間に関する指摘がなされていました。ちなみに私も、形式とか正しさとかではなく、行間を開けないことによるメリット、開けることによるデメリットについては何回か説明してみました。
しかしAは頑として譲らず、どれだけ行間を開けまくっていることを批判されても一切姿勢を変えようとしませんでした。またどういう意図でそれをやっているのかと尋ねても、ハッキリとした答えは得られませんでした。
そして、何回かその指摘を続けてきた結果、本人は指摘されると明らかにうんざりするようになり、周囲もそれを悟ったのか言ってもムダだと感じたのか、指摘することがなくなりました。
結局、彼がなぜ行間を開けまくることに固執しているのか誰にもわからず、「せっかくAは良い作品を書くのにねぇ」と皆首をかしげたまま今に至ります。
そこで質問なのですが、いわゆる小説家になろうに多くあるような、行間を開けまくった書き方をする心理とは、いったいどのようなものなのでしょうか。
ちなみに、元なろう民の友人に訊いてみたところ、「横書きで行を詰めるとやけに詰まって見えるから、頻繁に行を開けていた」という回答をもらい、その点に関してはとても納得しました。ただ、うちの文芸部は基本的に縦書きなので、じゃあ縦書きのときになぜ行間を開けまくるのか、という疑問の答えは出てきませんでした。
また、行間を開けまくることによるメリットとデメリット、行間を開けないことによるメリットとデメリットも、わかる方がいらっしゃったらぜひ教えていただきたいです。
ちなみに私は、『普段は詰めて書き、魅せたい場面で行間を開けることによって魅せたい場面をより輝かせることができる』ことが行間を開けないことのメリットだと考えました。行間を開けることのデメリットはこの逆。
ちなみに念のため言っておきますと、私は行間を開けまくる書き方も、それをする人も、批判する気は全くありません。小説として正しくなくても、美しくなくても、本人がそうしたいのならば何も問題ないと思っています。本人にそれを直してほしいとも思っていません。
ですからこの質問は、ただ単純に、Aはいったいどんな心理でそれを行っているのかが気になっただけなのです。真剣な相談とかではなく、ただの興味本位。好奇心。そういう類のものなのです。だから、仮に本人やうちの部の誰かがこれを見ていたとして、そこのところを勘違いしないでいただきたいです。いやマジで。上記の紹介文はうちの部の人が見たら普通にわかりそうなんで怖いんですはい。……気にしすぎですかね。
最後かなり私信っぽくなってしまったというか言い訳臭くなってしまったというかでお見苦しいものをすみません。よろしくお願いします。
●答え●2014/11/07
Webサイトでは、文字がぎっしり詰まって表示されると可読性が低下する、読みたくなくなるので、行間は開けたほうが良いと、Web制作の専門書に書いてあります。
Web小説投稿サイト『小説家になろう』出身の新入部員さんは、おそらくこのことに感覚的に気づいており、行間をなるべく空けるような癖が身についていたのでしょう。
小説だけでなく、ニュースサイトの記事なども、段落ごとに一行空けるなどして、文字がぎっしり詰まって表示されないように工夫がされています。
ライトノベルというジャンルを築いた創始者の一人とされるあかほりさとるは、「ページの下半分がメモ帳として使える」などと揶揄されるほど改行を多用し、ページに空白を作りました。このことは、ラノベを一般文芸より劣ったものとして批判する材料に良く使われましたが、あかほり先生の著書『オタク成金』によると、普段、本を読まない人にも手に取ってもらえることを狙った工夫だったそうです。
なにより、市販のライトノベルは、横書きのWebサイトと同じくらい行間を広く開けています。
行間を空けるメリットとは、読みやすさの向上です。
逆にデメリットは、Webサイトだとスクロールが面倒臭くなるくらいでしょうか?
ラノベやWeb小説を書くのでしたら、行間は空けるようにすることをオススメします。
こんにちはm2といいます。はじめまして。
まず、一般的(?)な空白改行のメリットを挙げてみます。
1.視点や場所の変更がある。もしくは一行空けることで時間経過を表現している。
2.一文や会話を視覚的に強調できる。
3.章の変更(この場合は数字や記号を置いてる場合が多い)
大雑把にこの3つがメリットといえますが、その他に単純に読みやすい。
読む時にの視線の移動が少ないからです。
頻繁にこの約束を破られると、読者としては、新たにその文章の法則・規則を覚えないといけなくなり、イライラするわけです。
なにが重要で、なにが読み飛ばせるのかの判断がしにくいということなので、読むのに時間がかかります。読み慣れている人ならば、とても疲れるので、敬遠する方もいらっしゃるでしょう。
掲示板などでも、「読みやすい配慮」として、一行ごとに文脈無視で改行する人もます。
なろうは年齢層も低いようなので、詰まった文章だと読まれないという傾向があるようです。
おそらくですが、Aさんは配慮からの読みやすさとなろうの読者向けに書いているので、変更しないと思われます。
ぶっちゃけ意味のない改行は、私も疲れるのでやめて欲しいなと思ってます。あと、書いてる人にはとても格好良く見えるみたいですね。
行間というものには、様々な意図が込められますよね。
プロの方が使う行間の意図は、特定のパターンで入れて、暗黙の了解を読者に意識させる為なのが多そうです。
時間の経過。何らかの区切り。行間に挟まれた文の強調など。
ただ、意味不明だと思われがちなのは(僕も気を抜くとやってしまうんですが)ズバリ『透明なパワー』を意図した場合です。これが、素人が書く携帯小説などに多い謎の行間の正体かもしれません。
行間を透明なパワーと捉えると、行間を使う事で作者の『言葉では例えようのない情熱』を表現しているのです。そのパワーは、いつ・どんなタイミングで爆発するかは分からないのです。そして本人にも。爆発させたくなったら爆発させる、それだけなんです。気まぐれなんです。法則性は……分析すれば見つかるかもしれませんが、基本ランダムです。
もっとシンプルに言うと『言葉にできない思い』です。いや小説なんだから、言葉にしろやって感じですがw
まぁ「こんな一例があるよ」と言う事で。僕なりに説明を頑張りましたが、意味不明だったらすいません。
今晩は、そこまで頻繁には行間を空けてはいないと思うトータスです。
私の場合は、主に考えを整理しやすいから。
何となく直したいけど直すのはどこだったかと、探さなくても良い様にある程度の目星が付けやすいのと、区切る事でその時点で見直しをする為に空けています。
どこまで書いて、どこまで見直すのか。長かったり短かったりはしますが、考えを繋げるのに便利だからといった事も間々ありますね。
偶に間に何かを差し込んでみたりするのにも丁度良かったり。
メリットは浮かぶのですが、デメリットは中々・・・
ああ、時々苦情がある事がデメリットと言えるのかな?
私はそうやって執筆するのが丁度良いのですが、他の人にはそうする意味が中々分かって貰えない・・・
そこが最大のデメリットかと・・・かと言って言われるがままにすると今度は自分が分からなくなるというジレンマが襲ってきます。
何時だったかは忘れてしまいましたが、アルスラ―ン戦記の著者・田中 芳樹さんも行間を空けて考える事があるそうです。
この方は最初は原稿用紙で執筆されているそうで、二行三行空けておく事があるそうです。
その行に差し込むべき言葉が出て来ないから後回しにといった理由だそうです。
後でピッタリ埋まる言葉が出て来るそうなので、そこは流石にプロだからこそと得心しました。
ふと思ったのですが、話に出て来た彼も、何かを差し込みたいが、そこに埋めるべき言葉が出来ていないのでは?
考えてはいるものの、言葉に詰まってしまい言い出せない、説明出来ない何かがあるのかと。
その場合は説明出来る様になるまで待つか、説明出来る様になったなら教えて貰える? として、気長に待つ事が出来ると良いかと。
それか、説明出来る文が出来たなら見せてと言って置くと、お互いに気楽になるかと。
催促無しのある時払いで居られるのがベストかな?
私も似た様な者なので、言葉には詰まるが文にすればツラツラと。
時間を掛ける事が出来てこそ、真価を発揮出来たりするのかも?
そう言った意味では、ここの掲示板が一番かな?
面と向かって対面すると、首を引っ込めてしまいそうになるトータスでした。
こんばんは。ものとんと申します。
行間を開けるメリット・デメリットとか、小説として正しいとか間違ってるとかは、他のかたにお任せしまして。
「Aの取る行動について、考えられることを述べよ」的に分析してみました。
と言ってもただのシロウト考えです。私も単なる興味本位。
部で行われている批評会がどういう形式なのかがわかりませんので、作品を縦書き印刷したものを回覧すると仮定すると、「横書きオンラインで人に見せることと、縦書き紙媒体で人に見せることの違いがわかっていない」=「読者を意識できない、読者への配慮ができない」。また紙の場合、行間開けすぎるのは紙のスペースを取るので「地球に優しくない人」。
PCに打ち込んだものをみんなで見るなら、エディタの書式設定の表示部分変えれば済むことなんで、わざわざ一行ずつ改行するって「錯覚による文章の水増し、短編を中編に、中編を長編に見せたい」?
「空間演出効果をなんか勘違いしている」? 不評なんですから、演出なら失敗ですよね。
心理学的には。
先輩からどれだけ言われてもやり方を変えないのは「意固地になってる、またはもともと意固地な性格」。周りから言われたらよけいに変えたくないと思ってるのだとすれば「まだ反抗期が終わってない」?
文芸部というコミュニティで摩擦を起こしてるのなら「コミュニティの中での社会性・協調性に欠ける」。
脳科学的だと「空間認識能力(広い狭い)が周りの人と違う、ズレがある」可能性アリ。
医学的だと「視力に異常」?
ある年齢になると、行間が広くないと見づらいとかあるんですけど、大学生ですよね…。
明確な理由をきちんと説明できない主義主張は、ただのわがままでしょう。
反発される方々も「異質を受け入れる柔軟さに欠ける」とも言えますが、それでも論拠はお持ちのようだし。
どちらにしろ拝見する限りのAさんには、「人に読んでもらっている」意識があんまり見えませんねえ。
一方からだけの情報なので、決めつけるわけではありませんが、こんな印象を持ちました。
「自分の考えに固執する」「人の(真っ当な)意見を聞く耳持たない」…若さゆえですかねえ(笑)。
勝手な解釈、失礼いたしました。
横書きの場合、この掲示板なんかとくにそうですけど、行間がありえないほど狭いですよね。
小説本の縦書きの場合と比べれば狭さは一目瞭然。
行間が狭いから読みにくい。だから行を開ける。そういう心理じゃないですか?
行間を開ける/開けないという二分法に意味はないと思います。
むしろレイアウトとして、何ミリ開けると読みやすいとか議論した方が、実利的だと思います。
こんばんは。ケスウ・ユジン・ヘイテと申します。
初代ARMAとOFP:CWCを、遊び倒しました。mount&bladeでは騎乗射撃で引退後の最高評価を勝ち取り、発展形のwarbandでは、駆け落ちでゲーム内の嫁を作った所です。
銃の名産地チェコと、マムルークという騎馬弓兵で知られるトルコの、それぞれの特色を生かしたリアル志向のPCゲームだと思います。
長い文章を意訳すると、マイナーなPCゲーに詳しい俺格好いい、という意味です。
最近は艦これを始め、深雪様と愉快な仲間達を、楽しく運用しております。
どちらかと言えば、ノベルゲームや二次創作のSSに近い、作風の持ち主なのでしょう。
ノベルゲームでは、絵と音楽がつく事が前提で進められていき、地の文が少なくてセリフが多くなる傾向にあります。SSと同じく、字面と読みやすさを優先して作られています。
段落の区切りや改行も、ある程度自由に行っていい雰囲気があり、空白が多い印象です。
空白改行の多用は、本人のフォーマットで、今は崩したくないのでしょう。どうせ飽きたらやめるでしょうし、飽きなかったら、それは彼の本分だったという事だと思います。
お堅い作品よりも、軽妙な娯楽作品を紡ぎたい。今は流行を押さえた、若者向けの作品の方が受けが良い。酷評は自分なりに積み上げた、キャリアを否定されるようで、面白くない。自己流のスタンスを、崩す勇気はまだ出ないから、待ってほしい。
そんな所でしょうか。
私は結構気分やノリで、自分のスタイルを作ってきたので、分からなくもないです。
自分の作品を面白いと言って欲しいから、腕を上げるつもりはある。でも、自分のスタイルを崩すと情熱とやる気を失いそうで、すごく怖い。今はまだ、そっとしておいて欲しい。ツケは自分なりに払う。
そんな感じでしょうか。
多様性の保持になるからと諦め、生暖かい目で見ながらも、部内の統率を乱させずに文文さんの腕に更に磨きをかけていくのが、最善だと思われます。
私はこの掲示板のような行間のオンラインで読んでもらうときは、空行を入れます。3~5行くらいです。特にある質問掲示板での回答はそうします。そうしないと読んでくれないのです。文文さんがお書きのような形で書くと、しばしば読む前に拒絶されます。
印刷されたものと比べて「ぎっしり詰め込むように書いてある」という感じがするからでしょうね。仮に途中まで読んでも、ちょっと内容を考えたりしたら、また読み直そうとしたとき、どの行から再開するのか分かりにくい。
3~5行ごと空行を入れるとき、できれば段落の頭には見つけやすい、注意を引きやすい言葉を選んだりもします。質問に対する回答ですから、「お考えのように」「○○(←質問文中のキーワード)では」といったものです。
書いたものが表示される媒体の特徴や、そこの読者の傾向次第では、適度に空行を入れて、読者の負担を減らす。そうしないと、読み始めてもらえない。あるいは、数行読んで放り出されてしまう。
あるいは、Aさんには別の問題が生じたかもしれません。上記とは別の外部要因です。
> ちなみに私も、形式とか正しさとかではなく、行間を開けないことによるメリット、開けることによるデメリットについては何回か説明してみました。
これです。行間を空けないことによるデメリット、空けることによるメリットはどうされましたか? 文章の流れからすると、一方的に駄目出しだけをしたように見受けられます。そういうときに最も多い反応は、
> しかしAは頑として譲らず、どれだけ行間を開けまくっていることを批判されても一切姿勢を変えようとしませんでした。
というものです。自分の意見、見方を聞いてもらえないなら、相手の言うこともそれ以上は聞かない。そうなって初めて意図を聞こうとしても遅いです。どうせまともに聞いてくれない、どうせ途中で遮って駄目出しするだけだと思っていますから、
> またどういう意図でそれをやっているのかと尋ねても、ハッキリとした答えは得られませんでした。
ということになります。おそらく最初に述べたようなことではなく、こちらの理由です。つまり文文さんがそうしたのです。他の部員と共に、ですね。とりあえず、もう遅いでしょう。どちらも、もう引っ込みがつかないですから。
頻繁に行間をあける心理は他人事なのでわかりかねますが、文文さんも仰るようにこうするのが絶対に正しい、美しいと決まっているものではないので、それぞれの属する界隈の常識や慣習がぶつかっている状況なのかなと思います。
逆に、もし自分がなろう系のもの書きたちに囲まれて、
「君さぁ、なんでこんなに行間詰めるの?」
「行間を詰めようっていう、そのメリットは何?」
「内容はいいと思うけど読みづらいんだよ」
と寄ってたかって言われたら、答えるのもばかばかしくて適当に受け流すと思います。
それは「いや、僕が書きたい小説はそうじゃないんだよ」という思いがあるからで、技術ややり方の問題とかじゃなく、好みや価値観の衝突になってくるからです。
推測でしかないですが、彼も別に具体的なメリットがあるからそうしているわけではなく、今までそれで特に問題なくやってきた慣れ親しんだスタイルだから、特に深い理由があるわけじゃないけど、別にいいじゃんか、そっちのスタイルを押し付けるな、という心境なのではないでしょうか。
明確な計算や目的があって『敢えて』そうしてるなら、言葉を濁さずにそう説明するはずですし。
個人的に、なろうの人気作品を読んでも内容や文章にはそんなに楽しめませんが、文量が軽くて、見やすく読みやすい点に関しては楽でいいと思います。
逆に、行間ぎっちりの文章は、初めから流し読み気味に読み進めることが多くなりました。
読みやすさには行間だけじゃなくフォントなどの問題もあるのでしょうけど、僕個人としては文章の中身だけでなく外見も軽くしてもらえると嬉しいですね。昔はそうでもなかったですが。
縦書きなのに行間をあける、という点は僕もよくわからないですが、日常生活ではニュース読むにしろどこかのサイト見るにしろ横書きの方が読みなれているので、彼は縦書きがデフォルトであること自体悶々としてそうな気もします。