ライトノベル作法研究所
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  4. ラノベ歴史年表公開日:2012/05/12

 ラノベに連なる文学 年表1800~1899年

1801年 江戸時代

・ドイツの詩人シラーがジャンヌ・ダルクを題材にした戯曲『オルレアンの乙女』を発表する。
 百年戦争(1337~1453年)の英雄である少女ジャンヌは、神から力を与えられる代わりに恋愛をすることを禁じられた。彼女は軍を率いて戦う中、敵国イギリスの士官に恋をしてしまう。恋に囚われたジャンルは神の加護を失って劣勢に追い込まれ、魔女と罵られるようになる。ジャンヌは使命と恋の間で引き裂かれて苦悩するが、使命を選んで純潔のまま戦場で散っていく。
 史実を無視した恋愛ドラマを描いてしまい、文学者からは通俗の極みとして批判された。しかし、大衆には受けて、ドイツで大ヒットした。正調のジャンヌ伝より人気が出てしまったらしい。
 ジャンヌは幼年期は、大天使の声が聞こえる魔法少女、電波少女。成長した後は、男装の麗人、戦う女の子。イギリス軍に囚われた後は、囚われのお姫様、魔女。死んでからは聖女で、しかも永遠の処女という、萌え属性の総合デパートのような実在の人間。歴史的資料が少ないことから、様々な憶測を生み、彼女を題材にした多くの文学作品が作られた。
 1803年、フランス皇帝を目指したナポレオンは「フランスの独立が脅かされる時、優れた英雄が現れて必ず奇跡をもたらしてくれることを、あの有名なジャンヌ・ダルクは証明している」と、ライトノベルのような設定を引っ張り出して、己の地位を正当化した。

1813年

・イギリスの女流作家ジェーン・オースティンが『高慢と偏見』を出版する(執筆されたのは1796年~1797年)。
 ライトノベル『“文学少女”シリーズ』のヒロイン天野遠子によると、ラブコメの元祖であるという(二巻参照)。
 17~18世紀のイギリスの片田舎を舞台にした婚活ドラマ。誤解と偏見から、お互いを嫌い合っていた男女が、徐々に惹かれ合っていく様を描く。女性向けの作品のため、男性の方から歩み寄って誤解を解く。
 お金持ちのイケメンで、本当は誠実な性格であるが、プライドが高くて鼻持ちならない男と誤解されているダーシーのキャラは、現代の少女漫画のヒーローに通じている。

1818年

・イギリスの作家、メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を出版する。
 世界で最初のSF小説である。
 科学者志望のフランケンシュタインが、生命の謎を解き明かし、『理想の人間』を創造しようとしたところ、怪物が誕生してしまった。怪物は、優れた力と知能、人間の心を持っていたが、外見が恐ろしかったことから、フランケンシュタインは怖くなって逃げ出してしまう。怪物は、人間たちと仲良くしようとするも、そのおぞましい姿ゆえに迫害を受けて、この世に生まれて来たことを呪う。怪物はフランケンシュタインを追いかけ、自分の恋人を作ってくれるように頼むが、彼が途中でこれを放棄してしまったことから、創造主への復讐を開始する。
 フランケンシュタインの怪物は、「吸血鬼」「狼男」と並ぶ世界三大怪物の一つ。魔法ではなく科学が怪物を生み出す物語がリアリティを持ち始めた。
 後のSF小説、サブカル作品に大きな影響を与えた。

1844年

・フランスの作家アレクサンドル・デュマ・ペールが『三銃士』を発表する。新聞『世紀』の連載作品。
 17世紀のフランスを舞台にした物語。田舎貴族ダルタニャンが銃士になることを目指してパリにやってくる。
 彼は有名な剣士であるポルトス、アラミス、アトスの三銃士と意地の張り合いで、決闘をすることになる。そこを枢機卿リシュリューの親衛隊に襲われ、四人は協力してこれを撃退する。その後、主人公と三銃士は、固い友情を結び、枢機卿リシュリューの陰謀から王妃を守るために戦っていくことになる。
 史実を元にして作られており、主人公のダルタニャン、枢機卿リシュリューは実在の人物である。
 ヤマグチノボルのヒット作『ゼロの使い魔』は、この三銃士をヒントに作られた物。スピンオフ作品である『烈風の騎士姫』は、もろに三銃士である。
 ダルタニャンは登場した当初は「18歳のドン・キホーテ」と地の文で例えられていた。英雄と愚者とは紙一重で、彼は冒険に成功していなければ、ドン・キホーテになっていたかもしれない。

1858年

・スコットランドの幻想作家ジョージ・マクドナルドがファンタジー小説『ファンタステス』を発表する。
 英国近代ファンタジーの源流と言われる傑作。
 青年アドニスが、妖精の国に行き、いくたの冒険の末、成長して戻ってくるという王道的な物語。マクドナルドは1860年代半ばから、『王女とゴブリン』などのファンタジー児童文学を執筆するようになる。彼はファンタジー児童文学の先駆者として有名。

1866年 幕末、明治元年の二年前

・ロシアの文豪ドストエフスキーが『罪と罰』を出版する。
 新城カズマの書籍『ライトノベル「超」入門』では、『罪と罰』を、キャラ萌えを重視して作られた「ライトノベル」だとして、萌えを一般人に解説している。
 内容は、ダメ人間の主人公ラスコーリニコフが、よくわからない理由で金貸し老婆を殺害して、自業自得で酷い目に会うというもの。彼は、家族のために身を売る少女ソーニャと出会って、彼女の心根の美しさに感動し、「実は老婆を殺した」「理由はナポレオンになりたかったからだ!」と告白したところ、ソーニャはラスコーリニコフの罪を許し、しかも彼のことを愛してくれた。
 ダメな主人公が美少女に出会って、なぜか彼女に愛されるというのは、ライトノベルや漫画の王道。ソーニャは萌え美少女の原型である。
 また、この作品は、ドストエフスキーが借金まみれで追い詰められた時に書いたもの。死刑囚の永山則夫が獄中で傑作を書いた例もあるように、人間は苦境に立たされると、火事場の馬鹿力で才能が開花することがある。
 漫画の神様『手塚治虫』がこの作品のファンで、1953年に漫画化というメディアミックス展開がされている。

1886年 明治時代

・フランスの作家のヴィリエ・ド・リラダンが『未来のイヴ』を出版する。
 アンドロイドという言葉が最初に使われた作品。漫画『ローゼンメイデン』『まほろまてぃっく』などの人形萌え、ロボット美少女萌えの先駆け。
 外見は美しいのに心は醜い歌姫に恋をした青年貴族が、彼女に絶望し、彼女そっくりの人造人間を博士に作ってもらうというもの。後のSF作品に大きな影響を与えたが、時代を先取りしすぎていて、当時の文壇では相手にされなかった。

1893年

・ライトノベルの祖は俳聖とも讃えられる正岡子規だと考えられる(個人的に)。
 この年、正岡子規が新聞『日本』で「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」を連載し、俳句の革新運動を開始する。
 江戸時代までの日本語の文章は、難解な言葉が好まれ、作者の意志を伝えるというよりも、言葉の美しさ、重厚さなどに重点が置かれていた。子規は、これとは正反対の、わかりやすい文章こそ理想だと考え、新聞記者となって、それまでの旧弊とした俳句界や、日本の文学界を改革した。
 正岡子規は、小説家との関係も深く、五千円札の肖像にも選ばれた女性作家、樋口一葉のことを、次のように褒めている。
「西鶴から学び佶屈(きんくつ)に失せず、平易なる言語を以てこの緊密の文を為すもの、未だ其の比を見ず」
 現代語に訳すと「わかりやすい言葉を使っているのに、このような緊張感がある文章を書ける人は、他にはいない」という意味。
 正岡子規の弟子で、その後継者としてホトトギ派を率い、大正、昭和の俳句界に君臨した高浜虚子は、新聞のコラムで、世界、社会、家庭、人、言葉、文学、俳句と列挙して、それらすべてについて「平明は好き晦渋(難解)は嫌い」と語った。要するに、「わかりやすいのは好き、難しいのは嫌い」という意味。
 難しい言葉を使わず、簡単でわかりやすく、それでいて緊張感や余韻があるライトノベルの作風は、正岡子規や高浜虚子の理想とした物であり、彼らの功績が後にライトノベルとして結実したのだと言える。

1895年

・「SFの父」と呼ばれるイギリスの作家ハーバート・ジョージ・ウェルズが『タイムマシン』を出版する。
 タイムマシンが初めて登場したのは1887年の『時間遡行者』の作中とされているが、ウェルズの発表した『タイムマシン』により、概念として世に広く知られるようになった。
 タイムマシンを作った主人公がテストのために80万年後の未来に飛ぶと、そこは子供のように穏やかな性格をした単一種族が暮らす理想郷となっていた。どこからか食料が出現してきて、彼らは飢えからも労働からも完全に解放されている。しかし、実は彼らは凶暴な種族に食用の家畜として飼われていたことが判明する。
 ユートピアとディストピアを対比させ、資本主義の行く末を風刺した作品。 

1897年

・アイルランド人の作家ブラム・ストーカーが怪奇小説『ドラキュラ』を出版する。
 イギリスにやってきた吸血鬼ドラキュラ伯爵と、ヴァン・ヘルシング教授たちとの戦いを描く。
 ドラキュラとは、15世紀に「串刺し公」と呼ばれたルーマニアのワラキア公ヴラド3世の『竜(悪魔)の息子』を意味するニックネーム。あまりにも作品が大ヒットしすぎて、ドラキュラは日本では吸血鬼の代名詞となった。ヘルシングは吸血鬼ハンターの代名詞となる。
 ドラキュラは貴族であり、夜会の服を着て、美女相手に優雅な礼儀作法をこなしてみせるところから、イケメン、貴公子のイメージがついた。
 この怪物は、ワラキア公をモデルにしていると言われていたが、近年の研究では、著者が舞台俳優ヘンリー・アーヴィングのマネージャーとして、こき使われ、虐められていたため、アーヴィングの傲慢でわがままな性格をドラキュラに投影していたという説が有力になっている。
 著者は劇団で働いていたため、すぐに演劇化されて原作の売り上げも伸びたという、メディアミックス戦略を当てた最初の作品でもある。
 ドラキュラが後世の作品に与えた影響は絶大で、『吸血鬼ハンター"D"』、漫画『HELLSING(ヘルシング)』は、この作品を元にしている。

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