ライトノベル作法研究所
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  4. 父と子の対立公開日:2011/12/29

父と子の対立

 ギリシャ神話における神々の王クロノスは、子供が生まれると、丸呑みにしていました。
 なぜ、こんな残酷なことをするかというと、彼は原初神からこんな予言をされていたのです。
『おまえは息子によって、天上の王位を奪われる』
 それを恐れて子供達を食い殺していたのです。
 しかし、クロノスの末子ゼウスは、母のレアーが、我が子と偽って石をクロノスに食わせたために難を逃れました。
 クレタ島で密かに育てられたゼウスは、知恵の女神メーティスと協力し、クロノス打倒を目指します。
 ゼウスは、クロノスにメーティスの作った嘔吐剤を混ぜた神酒(ネクタル)を飲ますことに成功し、兄弟たちを吐き出させます。
 そして、兄弟らと力をあわせてクロノスらティーターン神族を倒し、神々の王の位に就きます。

 ギリシャ神話には、このような父と息子の対立をテーマにした話が多く、クロノスもまた、父であるウーラノスを追放して、王位に就いています。 

 大人への生まれ変わりこそが、すべての民族に共通する欲求だと述べましたが、先に挙げた3つの過程にもう一つ追加すべき要素として、父と子の対立があります。
 息子は父という壁を乗り越えてこそ、一人前になれるのです。

 父と息子の対立は、人間の本能を刺激するらしく、これをテーマにした傑作がたくさんあります。
 父と息子が対決するという話は、非常におもしろいのですね。

 例えば、格闘漫画グラップラー刃牙の主人公、刃牙が地上最強を目指して、過酷な特訓と戦いを繰り返すのも父親を超えたいからです。彼の父、範馬勇次郎も、刃牙がやがて自分を倒してくれることを望み、幼年期には自ら格闘技を教え込んでいます。
 このマッチョイズムの極地たる漫画を貫く骨太のテーマが父と息子の対立であるとは、興味深いです。

 幼年期の刃牙は、母の愛が欲しくて、強くなろうとします。
 しかし、彼の執着は母の愛を得たことで充足され、母を失った後は、純粋に自らの意思で父を超えたいと願うようになります。

 映画『スター・ウォーズ』においても、主人公であるルーク・スカイウォーカーと、その父=ダース・ベイダーの対決がハイライトとなっています。
 ただ、ジョージ・ルーカス監督は、神話のように父殺しをルーク・スカイウォーカーにはさせず、和解させる結末を描きました。
 ギリシャ神話のように憎しみや恐れのままに父殺し、子殺しを実行してしまうような物語は、近代では、残酷だということで流行らないようです。

 父殺しを実行してしまっても、「よくやったぞ息子よ……」という感じで、父は息子の成長を喜び、わだかまり無く死別するというパターンが多いです。

 例えば、アニメ『機動武闘伝Gガンダム』に登場する東方不敗は、主人公ドモンの武術の師であり、育ての親でもあります。
 東方不敗は、主義主張の違いから、主人公たちと敵対するのですが、ドモンのピンチに最終奥義を授けるなどして、彼を影ながら育て続けます。
 「この、バカ弟子があぁ!」「だから、おまえはアホなのだぁ!」と、東方不敗はドモンをどやしまくりますが、その根底には、ドモンに対する愛情が流れています。
 そして、直接対決で成長したドモンに敗れて死ぬのですが、その際に、ようやく和解することになります。

 彼らは厳密には親子ではありませんが、ドモンを千尋の谷に突き落とし、厳しく育てることで一人前に成長させるというのは、父の息子に対する愛情そのものです。
 試練に打ち勝つことのできる強い男になってもらいたいからこそ、あえて厳しく鞭打つのですね。

 東方不敗が死んだ回、監督の今川泰宏はあまりの力の入れように、絵コンテに「機動武闘伝Gガンダム 完!」と書いてしまったというのは有名なエピソードです。つまり、ドモンは父ともいえる東方不敗を超えることで、一人前の男となり、彼の物語はここで完結したとも言えます。
 東方不敗がこの作品を代表する人気キャラクターであるのは、少年たちに、このような父親との絆を求める心があるからでしょう。

 敵対はせず、父が息子を愛情深く見守り、厳しく成長させるといったタイプの物語も人気があります。

 例えば、漫画ドラゴンボールは、主人公の孫悟空がピッコロ大魔王を倒して、幼馴染のチチと結婚することで、仮の完結をしています。
 ピッコロ編のラストで亀仙人が「まだ、終わりじゃないぞ。もうちょっとだけだけど、続くんじゃ」と語っていることから、作者が本来、ここで終わりにする予定だったことがうかがえます。
 悟空の大人への生まれ変わりの物語は、この時点で語り終えているからです。

 そのため、その後の続編では、息子の悟飯を登場させ、この子の成長、父と子のテーマにスポットを当てた作りになっています。

 悟飯は、父をサイヤ人に殺されたため、母元から引き離され、サイヤ人に対抗するための戦士として、ピッコロに育てられます。
 実は、悟飯の父は悟空だけでなく、ピッコロでもあるのです。

 ピッコロは、悟飯を大自然に放り出して厳しく育てますが、なんやかんやと手を焼き、服を用意したり、食べものをそっと運んだりと、愛情も示しています。
 こういった愛情は悟飯にも伝わり、彼はピッコロを父のように慕うようになっていきます。
 かくして、悟飯はサイヤ人に対抗するための戦士として見事に成長し、生き返った父、悟空にも褒められます。
 試練を乗り越えて戦士として認められるというのは、男の子にとって格別の意味があるのですね。

 ドラゴンボールにおいては、その後もベジータとトランクスなど父と子のテーマが繰り返し語られています。
 また、悟飯の成長物語は、悟空でも敵わなかったセルを倒し、父を超えたと認められたところで完結します。

 ご覧のように父と息子の物語には二種類ありまして、『刃牙』や『スターウォーズ』のように父と息子が対決するタイプと、『ドラゴンボール』のように父と息子が協力して巨悪に立ち向かうタイプで、どちらも人気があります。
 興味深いのは、後者においても、息子が父を超えるような描写がなされているところです。

 父は息子を育て、息子はやがて父を超えることで、物語は完結する訳です。

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