ライトノベルは一般小説より劣る物という認識が一般的であり、ライトノベルを書こうとする人は、この点で悩むことが多いようです。
このような悩みからモチベーションダウンに繋がってしまうこともあるので、これを解消する記事を用意したいと思います。
結論から申しますと、ライトノベルは文化に属する物であり、
文化の目的とは、人々の交流の仲立ちをすると共に、「飢え」「貧困」を克服した後に立ちはだかる人類の難敵「退屈」を撃退することです。
別の言葉で言えば、「遊び」であり、この点で言えば無用の長物です。
例えば、明治時代を代表する俳人・正岡子規は「天下有用の学は僕の知らざるところ」と言いました。
彼は俳句の革新を成し遂げた人物であるだけでなく、夏目漱石などとも交流を持ち、刊行した俳句雑誌「ホトトギス」で、小説『吾輩は猫である』『坊っちゃん』が発表されるなど、近代文学に大きな影響を及ぼしました。
正岡子規の弟子である高浜虚子は、これを受けて「俳句は天下無用の閑事業としておくのが一番間違ない」(虚子句集序文)と述べています。
つまり、日本文化を代表するハイカルチャー「俳句」であっても、その本質は「遊び」であるのです。
そもそも俳句はいまでこそハイカルチャーとされていますが、元々は貴族の文化である連歌を、庶民たちが滑稽でバカバカしい物に改良して楽しんだ「俳諧の連歌」から生まれたものです。俳諧とは「滑稽」「戯れ」という意味です。
このため、明治時代にいたるまで、「俳諧(俳句)」は短歌より一段低い物と見られていました。
松尾芭蕉の考えをまとめた服部土芳の『三冊子』には、以下のような芭蕉の言葉が載っています。
俳諧を嫌ひ、俳諧をいやしむ人あり。
ひとかたあるものの上にも、道をしらざる事には、かかる過ちもある事なり。
三冊子
現代語に解釈すると、「俳句を嫌い、俳句をいやしいものとして見下す人がいる。短歌などに親しんでいて一通りのことをわかっている人でも、その道を深く理解していないと、このような過ちをすることがある」という意味です。
松尾芭蕉の生まれた江戸時代初期には、俳句は卑しいものとして見下されるサブカルチャーに過ぎなかったのです。
その後、明治政府が俳諧師(俳句の先生)を教導職に登用することによって、俳句は権威を認められるようになりました。
言ってみれば明治時代まで、「短歌」がいわゆる一般小説で「俳諧(俳句)」がライトノベルという立場だったのです。
かつてのサブカルチャーが時代の経過と共に権威化し、ハイカルチャーになっていったのです。
このような視点に立てば、一般小説とライトノベル、どちらが上か下か、という議論はあんまり意味がないものだということがわかります。時代の経過によって、そのような認識は少しずつ変っていくからです。
また、一般小説だろうと、その本質は「無駄」「遊び」「他人との交流」であり、ライトノベルとまったく変わりません。
もし、ラノベを書くのは恥ずかしいこと、ライトノベルは一般小説より劣る物という気持ちが湧き出てきたり、他人からそのように指摘されたら、
「天下有用の学は僕の知らざるところ」
(世の中の役に立つ学問・知識など、僕は知りません)
「ラノベは天下無用の閑事業としておくのが一番間違ない」
(ラノベは世の中の役に立たない暇つぶしとしておくのが一番間違いありません)
と言っておきましょう。
このように言うと、自虐のように感じられてしまうでしょうが、「無駄」「遊び」「他人との交流」こそが文化の本質であり、これこそが食料の次に人々が求める物なのです。
ローマ帝国では、支配者は市民たちに「パンとサーカス(娯楽)」を提供することを責務としていました。
これさえあれば、人間は楽しく幸福に暮らしていけるからです。
もし、文化(俳句、小説、漫画、サーカス、野球、オシャレなど)が無用の長物だからといって、これらをなくしてしまったら、退屈で死にそうになります。
ラノベを書くというのは、人々を襲う恐怖の大魔王「退屈」と戦うための武器を人々に提供しているということです。
ただ、それを誇ることなく、正岡子規の言うとおり、天下無用の物だと謙虚な態度を取っておくのが、文芸を志す者として理想的と言えます。
そのようにしておけば、何か言われてもダメージを受けず、また他者との無用なトラブルも回避できるからです。
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