ライトノベル作法研究所
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  4. 弱者の戦略「数」と「時間」公開日:2013/11/20

弱者の戦略「数」と「時間」

 才能が無い人間がプロになろうとしたら、「数」と「時間」で勝負することです。
 10の作品を書いてもプロになれなかったら、100の作品を書いてみましょう。
 1年かけてもプロになれなかったら、10年かけてみましょう。

 例えば、第6回GA文庫大賞前期(2013年)において奨励賞を受賞した広岡威吹さんは、100本以上の新人賞に落選しても諦めなかった結果、プロ作家への切符を掴みとりました。

 才能のない僕でも作家デビューできるのですね。
 今でも信じられません。夢じゃないかと思ってます。
《中略)
  才能のなさにかけては落選百本は伊達じゃないです。 でもようやく及第点に至ったようです。
引用・広岡威吹のブログ 2013年09月30日「第6回GA文庫大賞前期において奨励賞を受賞しました!」

 これは根性論ではなく、確率論です。
 ラノベ新人賞も1000通の応募作があったら、その中の3、4つくらいは、使い物になる作品があるのじゃない? という確率論で運営されています。
 一人の人間が100作品を書いたら、どれほど才能が無くてもその過程で成長しない方がおかしいので、ヒットする可能性が向上していき、1つくらいは確実に商業レベルの作品が書けるでしょう。

 ここでは「才能が無い人」=「1~3年ほどの短期間でプロになるほど『成長』できない人」「1~3年ほどの短期間で新人賞受賞という『実績』を作れない人」という前提の元で、お話します。
 あなたに才能が無かった場合、小説を書きたいという「欲求」で補う以外に目的を達成する方法はありません。
 一度、新人賞に応募して落選したら、自分には才能がないものだとあきらめて、とっとと、この「弱者の戦略」に切り替えましょう。

 自分には才能が無いと認めることは、恥ずかしいことではありません。ましてや、あなたの人間的価値を貶めるものでもありません。
 才能が無いのに才能があるフリをする方が、惨めで滑稽な上、目的を達成する上での妨げになります。才能があるなどど自惚れていたり、変な完璧主義に囚われていると「数」が撃てないからです。

 私の知人にソーシャルゲーム業界で働いているゲームプランナーがいるのですが、彼の話によると「20個ゲームの企画を考えて、1個ヒットしたら良い方」だそうです。
 この話をたまたま知り合いになった起業家に話したら「そんなのは才能がある強打者の話だ。アイディアは100個考えたうちの2、3個が使い物なれば良い方だ」と言われました。

 ライトノベル業界でトップシェアを誇っている(2013年段階)電撃文庫の戦略も「数を撃つこと」です。

 電撃文庫は70人を越える作家を常に抱え、月の刊行点数が10点を超えるほどの大量の作品を市場に放出し続けています。
 さらには、『キノの旅』(2000年刊行)のような一般文芸と童話の中間のような作品や、『撲殺天使ドクロちゃん』(2003年)のような破壊的ギャグの問題作、『魔法科高校の劣等生』(2011年)のような膨大な設定を書き連ねたオンライン小説まで取り上げて市場に放り込み、その中で勝ち残った作品を育てています。以上の作品はすべて、時代の流行から外れた、出版する際には冒険的だったにも関わらずヒットを飛ばした作品です。

 業界第2位の『MF文庫J』(2002年創刊)が「萌え」と「ラブコメ」という、流行を読んだ売れ筋路線に特化して成功したのとは対照的に、電撃文庫は「数」と「多様性」「失敗を恐れぬチャレンジ精神」で、躍進を遂げいます。

 もちろん、成功作の裏には大量の失敗作が死屍累々と横たわっており、書籍『ライトノベル研究序説』(2009年4月)によると、1993年6月に創刊された電撃文庫が2008年までに出版したラノベの入手可能率は55%ほどしかなく、短い期間で絶版状態なったものが、半数以上を占めていることが指摘されています。売れないと判断された作品は、すぐに書店の棚から消え、入手困難になるのです。

 Amazonのレビューなどを見ていると、「ラノベ作家はテンプレート通りの萌え話ばかり作っている」「妄想垂れ流しの質の低い小説を、イラストで売りつけている」といった批判を目にしますが、作家は常に全力投球で勝負しています。
 「売れなかったら使ってもらえなくなる」という危機感と、「もしかしてヒットして時代の寵児になれるかも!」という野心は常に頭の片隅にあるものです。
 新人賞を受賞するような才能がある人間が、全力で勝負してもなかなか勝てない、読者をなかなか満足させられずに失敗を繰り返すのが商業出版の世界です。
 だから、プロになった後でも失敗にめげずに書き続ける、出版社に原稿を持ち込み続けることが生き残る上で必須になってきます。
 あきらめずに数を撃っていれば、いつかはヒット作が生み出せるかもしれないからです。

 「10の作品を書いてもプロになれなかったら、100の作品を書いてみましょう」
 というのは、一人で電撃文庫と同じ戦略を取るということです。

 これだけ数を撃っていれば、どれかはヒットするでしょうし、試行錯誤が繰り替えされることでノウハウが蓄積され、的に当てるための射撃制度も、どんどん向上していきます。そうやって地道に実力を積み上げてデビューすれば、ろくに修行せずセンスだけで受賞した人よりも息が長い作家になれるでしょう。

 しかし、ここで問題なのが、100作品も書けネーよ。ということです。

 めんどくさいし、そもそもそんなに努力したところで、プロになれる保証などあるのか? と言いたくなるでしょう。
 月に一本長編小説を仕上げても年間に12本しか作れませんから、100本を書こうとしたら10年はかかる計算になります。
 ただ、ここで、もし小説を書き続けるのが無意味だと考えるのなら、それは「本当は好きではない」ということです。

 物語を作りたいという強い「欲求」を持っている人間は、どんな逆境においても、例え報われる可能性が低くても、楽しみながら作り続けることができます。要するに、それが「本物の才能」ということです。

 漫画の神様と呼ばれる手塚治虫は、終戦直後の1946年、18歳の頃に『マァチャンの日記帳』で漫画家デビューするまでに、3000枚にも及ぶ漫画原稿を描いています。戦時中、彼は大阪にある工場で働かされていましたが、工場の片隅に隠れて漫画を描いていたそうです。
 第二次世界大戦の開戦が迫ると、漫画はふまじめな物として規制され、『のらくろ』のような人気漫画までもが開戦前に消える中、その流れに逆らって描き続けたのです。軍国主義時代の言論統制がいかに厳しかったか考えると、これは正気の沙汰ではありません。

 たまに、「私は小説を書きたいという欲求だけなら誰にも負けません!」という人がいるのですが、聞いてみると一作も書き上げていなかったりします。
 好きにも程度があって、本物になれる人の情熱、欲求の強さは手塚治虫のように「キ●ガイ」「アホちゃうか?」というレベルなのです。

 ライトノベル作家で漫画原作者の西尾維新は、原作担当の少年ジャンプの漫画『めだかボックス』(2009年~ 2013年)の143話で、安心院なじみというキャラクターに600ものスキルを使用させ、その名前を誌面の背景に所狭しと書き込みました。
 これだけの数のアイディアを週刊連載という短期間に考えて、使い捨てにする、というのは尋常ではありません。一日は24時間しかありませんから、おそらく他のいろいろな物を犠牲にして、これらのスキルを考えたのでしょう。
 これが「アホちゃうか?」の情熱レベルです。

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