ライトノベル作法研究所
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  5. 死骸か水か糞公開日:2013年03月04日

死骸か水か糞

特効人形ジェニーさん著作

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 いじめなんていうものは、根本的に不恰好なものです。
 その日は雨が降っていました。湿ったトイレのひんやりとしたタイルの上に、わたしは両手を付いて頭を床にこすり付けた姿勢で這い蹲っていました。目の前には腕組みをした三人の女生徒がいて、楽しそうにわたしの情けない姿を拝み、満足げな表情を見せています。
 しばらくそうしていると、背中を蹴りつけられました。数ある暴力の中でも、丸まった状態で蹴りつけられる背中の傷むこと、わたしはこの半年ほどで知り抜いていました。しかし、殴る、蹴るの暴行はわたしを苦しめる手段として非常に効果的ですが、やる方が大きく疲れてしまうのが難点ですから、そこまで長く続けられる心配はありません。
 しばらく丸めた背中を蹴りつけられ、それでも土下座の態勢を維持していると、頭からちょろちょろとホースで水をまかれました。わたしは突然浴びせられた水の冷たさに、ひっ、と声を出して顔を上げますが、そこにすかさず上履きの裏側が到来します。「ちゃんと丸まってろ」唇を切りつけたらしく、口内に錆のような味が広がりました。
 今年の六月ごろにわたしに対するいじめが始まってから六ヶ月ほど。わたしが連れて行かれ、虐げを受ける場所としてすっかり定着したこの三階の女子トイレですが、十二月ともなるとすっかり寒くなってまいりました。数分ほど水を注がれて、すっかり冷え込んだわたしは思わずがたがたと震え始めました。三人は驚喜したようにかたかたと笑い、こちらを指差してなにやらささやいています。
 そんな行為がもう毎日のように続いていました。わたしはそんな苦しみの日々を耐え忍ぶ意欲を失っていて、受けいれ諦めるだけの余力も使い果たしていて、引きちぎれそうな苦痛をだけを全身に感じていました。
 本当の意味でわたしは追い詰められていたのでしょう。この苦しみに満ちた毎日から逃れられるのなら、何を失っても良い、何をしでかしても良い、そんな破れかぶれな気持ちになっていたのだと思います。
 「なめてみな」
 そう言われ、差し出されたのはトイレの便座を磨く際などに使われる、棒きれの付いた便所たわしでした。女生徒の足元にそっと差し出されたそれに、わたしは迷わず四つんばいで移動していきます。哄笑があがります。
 わたしはたわしを持った女生徒……首謀者のその少女の足下まで移動したわたしは、少しだけ吹っ切れた、暗い開放感に満ちた気持ちになって……たわしではなく女生徒のスリッパの方に手をかけました。 
 「なに? 靴でもなめんの? キモいんだけど……」
 わたしは少女のソックスに包まれた足を両手で掴んで、そのままのそりと起き上がり……自分でも驚くほど敏捷な動きで飛び掛りました。
 「てめぇ……っ!」
 無我夢中の時間が過ぎて……わたしは全身に打撲を負い口から血を流しましたが、少女の足にしがみ付いていました。少女はその場で横転し、スカートの中をむき出しにしながらわたしの頭を激しく蹴りつけました。ですがわたしは離しませんでした。わたしはスリッパから露出した少女の親指をへし折り、引きちぎることだけに集中しました。強く捻ると、指は中の骨がきしむのを思わせる、ごきゃごきゃという音が響かせます。わたしはその場を起き上がり、暴れる女生徒の足を押さえ込んで、それからすべての体重を少女の親指に乗せました。
 何かがへし折れる、ごきゃりという音が響きました。
 いじめは止んで、わたしは今のわたしに変わりました。それは足の親指とは違って、時間の力だけではそう簡単には元に戻らないものなんだと、そう思っています。

 1

 春になり。わたしは二年生になり。漠然とした日々を送る内に中間テストも終わって、わたしは十四歳になりました。
 ここまでは本当にあっという間に過ぎ去りました。特にこれといった事件もイベントもなく、何に苦しむことも何をがんばることもない淡白極まる時間が、わたしには心地良くもありました。
 中学二年生。これはわたしたちが本当に子供でいられる最後の年齢じゃないのかと思っています。来年は高校受験もありますし、それが終われば高校生です。高校という場所は中学と違ってドロップ・アウトという概念もありますから、何も考えず無軌道に落ちぶれるまま、という訳にはいかなくなります。子供でいられる最後の一年を、わたしは退屈と安寧と自由の中で、それなりに幸せに過ごすはずでした。

 その日は台風がわたしの住む町に訪れていました。木々はしなり悲鳴をあげるようにごうごうと音を立て、狂ったように吹き荒れる風がわたしの持っている傘をふっとばしました。
 ずぶ濡れになりながら、湿った灰色の校舎にたどり着いたわたしを迎えたのは、いつもとは少し違う教室の匂いでした。自分自身に付着したものを含めて、教室には雨の匂いが漂っています。
 誰に声をかけられることも目をあわすこともしないまま、窓際の最後尾の席に腰を落ち着けます。席替えの時、誰が誰とどのような位置関係になるべきかという話を始めるクラスメイトたちに、真っ先に申請してこの席に落ち着けたのです。
 孤独とは、自由であると同時に退屈で、そしてやはり孤独でした。激しい嵐の空に対する感慨を、わたしは誰にも漏らすこともできません。楽しそうに会話をするクラスメイトたちの声を感じながら、わたしはぼんやりと窓の方ばかり見詰めていました。
 嵐の日は、何かが起こりそうな気がしてなりません。
 チビのわたしなら簡単に吹き飛ばしてしまいそうな狂った暴風だとか、悪魔が降りてきそうなほど混沌とした空だとか、世界を塗りつぶすほど激しく降り注ぐ雨の音だとか。そうした異常な情景の一つ一つが、神様がわたしたちに施した一種の演出のように思えてしまうのでした。 
 だから。その日転校生がやってくるという知らせを聞いて、わたしは興奮を伴った納得を感じました。少し愉快でさえ、あったと思います。
 その転校生を最初見た時、わたしはとても素敵な人だと感じました。
 わたしたち他の中学二年生と比較して、高い背丈と整った体つきをしていました。小学一年生の時から七年間チビと言われ続けたわたしなどには、溜息すら出ないほどです。やや緊張こそしていますが、綺麗な顔立ちは、きっと男子生徒に喜ばれるのだろうなと、凡庸で平和なことをわたしに考えさせました。
 「葦原アイです」
 良く通る声で、若干しどろもどろになりながらそう言って、ちょっと難しい漢字を葦原アイは黒板に書きました。それから、少しだけためらうそぶりを見せてから……自分自身のとっておきの素敵な秘密を、胸を張って打ち明けるような口調で、アイはこんなことを言ってのけたのです。
 「家は数千年前から続く吸血鬼の家系で、もちろんわたしも吸血鬼です。皆さんはクラスメイトなので襲ったり血を吸ったりしませんので、安心してください。あたしを激しく不快にさせるようなことがなければ……おっと、今のは忘れてください」
 さて。そこで教室のみんなはどうしたでしょうかね?
 周囲の生徒たちと顔を見合わせ、排除すべき異物の出現を確認しあうように、聞こえよがしなささやき声が交わされます。それからわたしからもっとも離れた廊下側の後方二番目に座る園山祝が、くすりと笑って吸血鬼の方を指差しました。

 当初の印象とたがわず葦原アイは軽率ながら腰がひけていて、自分の世界に閉じこもりきりといったタイプのようでした。与えられた席に着いてからもずっときょろきょろと周りを気にして、周囲でささやかれる何やらの噂話が気になりつつも、声をかけることもできずに不安そうな顔を浮かべるだけといった体たらくでした。
 さりとて葦原さんに話しかける人はあまりいませんでした。最初、園山祝が皆の前で吸血鬼を嘲笑して見せたことで、クラスはその異形の化け物を排除すべき対象として確認しあったようです。小手調べは無視と陰口、園山に影響された女子は徹底して声をかけずに傍でなにやらささやくのみです。時々優しい人……学級委員の樋口英子さんなんかが声をかける様子を見ましたが、しかし葦原は話しかけられたのを喜ぶ様子を見せながらも
 「なんのよう人間? あたしはすべての異形の頂点に立つ吸血鬼よ」
 などと返事をしておりましたからもうどうしようもありません。
 わたしはその日の午前中ずっと自分の席に頬杖を着いた状態で過ごしていましたが、授業中も平気で交わされる生徒たちのやり取りのお陰で、葦原アイにまつわるあれこれをある程度把握していました。
 曰く、彼女はちょっと遠くの方の私立進学校から流れてきたこと。
 曰く、転校の理由として、葦原アイは向こうの学校でいじめにあっていたこと。
 そしてその進学校の生徒を友人に持つクラスメイトによって、葦原アイの経歴はすべて暴露される流れとなりました。彼女が受け取ったメール曰く、中学一年生の夏ごろに吸血鬼がどうのと言い出すようになり、最初こそおもしろがられていましたが途中で完全にのめりこんでしまい、そして二学期の開始と同時にいじめが始まったとのこと。
 そのメールの最後には『そっちの学校でもかわいがってやって(笑)』などとかかれていたらしく。クラスのいじめっ子長である園山は吸血鬼退治を引きつくことに決めたようです。それらの決定を葦原アイは転校初日に一人イスに座った状態で思いっきり聞かされて蒼白。いじめから逃げてきた先で一日にして包囲網が敷かれてしまったという、かなりむごい状態に陥ってしまった訳です。
 「こっちならウケるとでも思ったの、その吸血鬼?」
 昼休み。雨の音止まぬ教室でそんな文言と共に始まったいじめは……まぁ気の毒なものでした。吸血鬼にまつわるあれこれを寝掘り歯掘り聞かれ……「何千年も続くっていったい何年?」「たくさんの眷属を従えてるって本当? 見せて?」「昔カッコいい男の血を吸って永遠の愛を誓ったってのは?」「本当な七百歳くらい生きてるならなんで中学になんて通ってるの?」
 「ドラキュラなら歯を見せて? 口あけて……もっとっ! よく見えないっ! ちゃんとあけろよ……苦しい? じゃあこれでもつめとけば? きゃははっ、見てみて? こいつ筆箱食ってる……」「傷がすぐに治るって本当? カッター持ってきたから実験しよ? 怖いの? 吸血鬼なのに? ちょっと切るだけだよ、ちょっとだけだって、切るよ、うん? なんで顔って? ダメなの? 治るからよくね? じゃあ腕にする? いいね? 切るよ? あははは痛い訳ないでしょ……ってすっごい血」
 わいのわいのみんなのおもちゃにされる葦原アイを見て、わたしは一人なるだけ目立たないように席を立ちました。まるで空気か何かのように、そっと席を立つつもりだったのですが、そこでたまたま園山さんと目が合いました。
 園山さんの視線に伴って、ドラキュラを取り囲んでいた女生徒たちとも目が合います。その視線のいくつかにはいぶかしむようなもの、あからさまに恐怖するもの、おびえて顔を見合すものなどがいました。わたしは黙って目を伏せました。同じタイミングで、園山が強引にこちらから目をそらして、葦原アイの方に視線を向けました。
 「なぁ吸血鬼。ちょっと校舎を案内してやるよ」
 「ふぇ?」
 アイはおびえたように首を傾げます。頬から出血、口に筆箱の状態ですのでせっかくの美人が台無しというところ。
 「良い遊び場があるんだよ。アタシらが良く使う……そこに案内してやるから付いて来なって」
 「……え、でもそれは……」
 アイは筆箱を吐き出して言いました。吸血鬼でなくとも連れ込まれた先で何をされるかはだいたい察しがつくというものでしょう。
 いじめなんかやってる連中は……それをやり続けなければ、死んでしまうような心のつくりになっています。ですから新しい獲物に園山は驚喜したのでしょう。このまま行けばアイはみんなのおもちゃにされてしまいます。
 それは分かっていました。分かっていましたが、わたしは知らんぷりするしかありませんでした。
 怖かったのです。首を突っ込むのが。自分が傷つくのはイヤでした。

 学校という場所は戦わねば駆逐されるだけの修羅であり、わたしたちはそこに生き付く小さな子鬼です。弱いものは毎日毎日引きちぎられ叩きのめされ潰されて笑われるだけです。
 わたしにとってここはそういう地獄めいた空間でしたし、ですから自分が生き抜くことに、誰よりも敏感になっていると思います。それに背くような行動は絶対に取らない、高利的で冷徹なプレイヤーであることを、わたしは臆病な自分自身に課していました。心を潰されないように。
 ですから。放課後職員室に呼ばれている間に鞄を掃除道具入れに隠されて、おろおろと教室中を探し回っている彼女に助け舟を出してあげたのも、自分には一切の害がないことを確認したゆえの行動でした。決して彼女を哀れんだ訳ではありません。わたしが場所を知っているものをアイが探し回るのが、とてつもなく気持ち悪かった、それだけです。
 「ありがとうっ!」
 アイは泣きべそをかきながらわたしにそういいました。整った容貌ですが、良く見たら少し子供っぽい……。
 「あたし。このあたりに住む怪魔とかそういうのにも顔が利くから……あなたがそういうのに困ってたら助けてあげるねっ!」
 「はぁ。そんな訳の分からない心配をするくらいなら、まず自分の身のことを考えた方が良いのでは?」
 ついそんなことが口をつきました。
 「ふん。あの程度の愚民のちょっかいなんて、あたしには大したことないよ。あたしは不死身の吸血鬼なんだから……いざとなったあんな連中……」
 虚勢を張るように言うアイは、すごく痛ましく見えました。
 「それは結構ですが。……その、一つ確認しておきますが。勘違いしないでくださいね」
 「勘違い?」
 「あなたに感謝される筋合いはなってことですよ。わたしは確かにあなたに助け舟を出した形ですけど、そんなの指をちょいちょいと振って掃除道具入れを指さしただけです。今は園山さんたちがいませんから、わたしが眼を付けられることはないことももちろん計算済みです。明日以降あなたが本格的に困っている時にわたしが手を差し伸べられるとは限りません。それは理解しておいてください」
 「は……はぁ。あの……」
 アイはやや困ったような顔で首を傾げて
 「なんで敬語、ですか?」
 「口調とかそういうのって、誰にでも通した方が楽じゃないですか。あなたみたいなアンポンタンが相手でも、区別するのは不自然に感じてしまいます」
 「あ……アンポンタン」
 わたしはクラスメイトとの距離の計り方がよく分からないもので、用がある時はしばしば敬語で話しかけてしまいます。『あのぉ。そ、その、ちょっと用があ、あるんですけど、よ、よろしいですかぁ?』といった具合です。
 そんなのが続くうち、ついつい誰とでも敬語で話すようになってしまって、どの程度親密になればそれを廃して良いのか分からなくなり。色々と混乱した挙句全部敬語で通す事に決めたのです。
 「もっとも、あなたに対してどもったりきょどったりへりくだったりする気にはなりませんけどね。いやはや気が楽なものです、あなたみたいな昼行灯が相手だと」
 「ひ……酷い。あたしは高貴な……」
 「しょーがないでしょ? 分かるんですよ、あなたは何があってもわたしに害を与えてこないって。それになんていうんですか、わたしそんなに性格の良い方じゃないものですから、自分より立場が弱いと見える人間にはちょっと強気に出られちゃうんです」
 「露骨にバカにしたでしょ今のは……」
 「バカにしましたよ。わかったでしょう? わたしはあなたを見下す一辺倒とまったく同じです。それを理解しておいてください。念を押しましたよ? 間違ってもわたしを面倒事に巻き込んだりしないでくださいね?」
 「あ……あい」
 分かれば良いのです。そう言って、わたしはアイに背を向けて教室を出ます。それから一階に下りて、校舎の外に出たところで、今この時間までアイと一緒に残っていた理由を思い出しました。
 雨が、すごいのです。
 警報こそ降りなかったものの、台風は一向にわたしたちの町から過ぎ去る様子を見せません。よわっちぃ傘しか持っていなかったわたしは、登校中にそれを飛ばされて傘がないのです。それで学校から帰れずにいたのですが……これは風邪を引くことを覚悟しなければならないかも。
 「あの……」
 そう言って背後からアイに声をかけられました。
 「あたし傘持ってるから家まで送っていこうか? その……嫌じゃなければ、だけど」
 それから遠慮がちに傘を差し出されたものだから、わたしはいっそびっくりしてしまいました。あれだけ酷いことを言ったのに……と。
 しかし同時に悟らされるものもありました。
 彼女は転校初日にして学校に一人も味方がいない状態にあります。ですので、たまたま優しくしてくれたわたしを、なんとしても自分の元に引き止めておきたいのでしょう。この雨の中傘をさして帰れるというのを餌に……うぅむ。
 断るのは簡単ではないように思いました。それはすさまじく疲れることに違いありません。アイは今わたしが考えたような打算的な思考を一切感じさせない優しい顔で、わたしに傘を差し出してきます。
 模範解答はこのまま逃げ出すこと。逃げ出して、アイにとっての『自分の傍から逃げていった奴』になっておくこと。
 それは分かっていましたし実行しましたが、アイは平気でそれに追いついてきました。「待ってよ、あなた、お名前は?」まとわり着くようにわたしを傘に入れようとしてきます。
 わたしは溜息を吐いて、おとなしくアイの傘の中に納まりました。
 アイは満足そうににっこりと微笑んで、「家、どこ?」とわたしに尋ねました。

 そこでまぁ。アイに対して僅かでも好意を抱いてしまったのは、わたしの敗北だったといえるのではないでしょうか。
 「ねぇ吸血鬼さん。わたしと友達になりませんか?」
 と、別にここまでは、実のところ、彼女が転校してきたところから考えなくもなかった台詞でした。まさか、実際に発言することになるとは思いませんでしたが。
 アイの表情がちょっとだけ良い子に見えてしまったとか、妙にとっつきやすく感じたとか……理由は色々あったんですが。
 「へ?」
 「いえ。もちろんそれはあなたのことを今の状況から助ける手助けをすることと、一切繋がりませんよ? そもそも友情なんで幻想です、蜃気楼です、アンリアルな単語でしかありません。わたしが言っているのはお互いの利益の為にお互いを利用しないかという、これからの学校生活を円滑に送るための極めてビジネスライクな取引のことです」
 「は……はぁ」
 吸血鬼は困ったように口を閉ざしました。
 「つまり……どういうこと?」
 「このクラスの女子の人数を知っていますか? 元は十八人で偶数だったのがあなたが来たことで、十九人っ! 奇数になってしまうんですよ。あなたのようなぼっちにならこれが意味するところを知るでしょう……ええそうですっ! 二人組を作る時に一人あぶれてしまうじゃないですかっ。このままだとわたしは先生が『よーし二人組み作れー』というたびに、恐怖してついあたりをきょろきょろ見回しながら、きょどった声で『あ……あの、わたしと、組に……』と声をかけにいかなければならないのです。自分があぶれないために、分の悪い賭けをするためにね。しかしこれを回避する方法が一つだけ、極めて合理的で互いの利益に一致する方法が、一つ確実にあるんです」
 「……あ、あたしと組むってこと?」
 「そうです。そういうことになります。あなたのようなられっこならどうせ誰も組んではくれないでしょうから、これは決しておかしな取り決めではないでしょう? そういった仲間が必要になる状況で互いの力を貸す関係のことを、世間では友達というそうです。わたしはあなたとこれになることを望みます。というかあなたくらいしかアテがないです。どうですか?」
 「えっと……あなた、お名前は?」
 尋ねられ、わたしは無表情で答えます。
 「榊原です。榊原硝子。がらすと書いてさこと読ませるんです」
 「そう。硝子ちゃんて……ちょっと変わってるよね?」
 吸血鬼にそんなことを言われました。びっくりです。
 「ずっと黙ってるから、無口な子なのかなと思ったら。話したらなんかすごくて……あたしも人に話し聞いてもらえないこと、多いから、ちょっと調子に乗ることあるんだけど。硝子ちゃんはそれ以上だね。わたしの十倍くらい喋ってない?」
 「口に気をつけなさいエセドラキュラ風情が。CですかDでうすか? その豊満なものをもぎますよ」
 「何をもぐのっ? っていうかあたしエセじゃないし、本物だしっ! 由緒正しい吸血鬼の家系だしっ!」
 「では吸血鬼さん? どうですか? わたしとお友達に……なってくれますか?」
 別に断られてもかまいませんが、おそらくしぶしぶ了承されるでしょうとにらんでいました。わたしの性格とかスタンスについてのあれこれは、既にもう全部話してあるはずですから、この昼行灯がこのことでわたしに付きまとってくるような事態もおそらくは避けられますしね。そこは冷徹にいかなくてはならないところです、自分のため。
 「うんっ! じゃあ、あたしが硝子ちゃんのことを、吸血鬼の力でまもったげるっ!」
 と、アイはうれしそうにそう言ってわたしの手を取りました。
 「お友達だねっ」
 「あなたは人の話を聞くということをしないのでしょうか……」
 「聞いてるよ。だから、硝子ちゃんがいじめられたりとか、そういうことがないようにあのくだらない連中から守ったげるって言ってるの。大丈夫。硝子ちゃん、あんな連中あたしならイチコロだよっ!」
 「やめておいてください。万一彼女らがわたしに何かしてこようとしたら、何もしなくていいです」
 アイは首を傾げました。
 「なんで?」
 「悪化するからです。友達であるわたしを守ろうとする、あなたの反応がおもしろくてね。あなたに分かるかどうかは分かりませんが……」
 「なるほど……」
 どこか神妙な顔で、アイはうなずきました。どうやら理解してくれたようです。
 「硝子ちゃん……教室で誰にも声かけられないから、無視されてるのかと思ってたんだけど……」
 「無視ですか……。だとしてもあなたに心配されることじゃないです。あ……家が見えてきましたね」
 と、わたしは目の前の我が家を指差しました。
 「ここまで送っていただいてありがとうございます。傘があると言っても良く考えたらこの風雨で傘なんかどれほど役に立つという話だし実際帰ったらすぐお風呂に入るつもりですが多少はマシになったといえなくもないので一応の感謝を述べておきます」
 「う……うん。どういたしまして……。あの、これってあたし、お礼言ってもらってるんだよね?」
 そう言ってわたしが傘の外に出た瞬間、ちょうど良いタイミングで突風が吹き荒れました。
 「あ……」
 わたしの方に気をとられていたアイは、おそらく油断していたのでしょう。「おっとっと……」傘と一緒に体を流されそうになり、一瞬だけ宙に浮きそうになってから思わず傘を取り落としました。
 アイの透明傘はそのまま風に乗ってぐちゃぐちゃに変形しながら飛び去り、混沌の空へと消えていったのでした。
 「……」
 「……」
 いやそんな目で見られても。
 あー。こら。うちの玄関前に来ないでください。雨宿りしないでください不法侵入で訴えますよ。
 「……ねぇ。硝子ちゃぁん」
 と、アイは世にも弱った表情で
 「あたし、吸血鬼だから雨に弱いの」
 その因果関係について答えて欲しいのですが。
 「ちょっとその……良かったら、中に……」
 「しょうがないですね」
 わたしは溜息を吐きそうになりました。
 「勘違いしないでくださいね。これはあくまでお義理です。ここまで送っていただいた手前、中で休ませて傘を貸してあげるくらいのことをするのが一応の礼儀ですから。相手が吸血鬼だろうとそれは変わりません。親切心とかそういうのはこれっぽっちもないですが、家の中にいったんあげたげますよ。……あ。お風呂はすぐ沸きますから」
 「……硝子ちゃんて、もしかしてツンデレ?」
 なんですかそれはどこの神話生物ですか。

 わたしたち学生がこんな日でも登校したように、責任ある社会人たるわたしの両親も同じく出社しなければなりません。ですので午後四時過ぎなんて言う時間に家にいるのは本来わたし一人だけ、アイを連れてきても二人だけでした。
 「硝子ちゃんのお母さん、家にいないんだね」
 「共働きで、小学生の頃から鍵っ子でした。まぁどうでも良いですけど。お風呂沸かしてきますからタオルの上で待っててください。寒ければヒーター出します」
 「いえ、その。お構いなく……その、ごめんね」
 「ですからお義理だと言っているでしょう。さっさと風呂に入ってその下品な体を流してきてください」
 「なにが下品な体だっ!」
 アイは流石に怒った様子でした。
 お風呂を沸かすのに時間はかかりませんでした。アイに先に入るように薦めると、アイはとんでもないことを言い出しました。
 「硝子ちゃん、待ってる間寒いでしょ? 一緒にはいろ?」
 わたしは面喰らってしまいました。
 「女同士だし……お友達なんだから別にいいでしょ?」
 「そこまで親密になろうとは一言も言っていませんが」
 「あたしは……硝子ちゃんと、入りたいな」
 アイは少しだけ寂しそうな声で言いました。
 「だって……お友達だし」
 ……どうしてこの子の頼み方はいちいち断りにくいものばっかりなんでしょうかね。こういうなんというか、やたら擦り寄って媚びるところも、もしかしたら彼女が嫌われる理由の一つなのかもしれない。わたしはそんな風にも思いました。
 わたしはそんなに嫌じゃないですけど。著しく面倒くさいというだけで。

 結局わたしたちは共に入浴する羽目になってしまいました。会って一日、初対面のこの女と。
 「あなた。ドラキュラよりサキュバス名乗るのが適当なんじゃないですか?」
 わたしは葦原アイの『下品』な体つきを見て、思わずそういいました。アイは「ささ……さきゅばすって……っ!」とウブな少女のごとき反応を見せてくれます。実際にウブな少女なんでしょうから別に不自然はありませんね。
 「何の話よ? 硝子ちゃん」
 「いいえ……アタマに行くはずのものがそこにいったのかと考えると、不憫で……」
 「そこってどこよっ! あとあたしのアタマは悪くないもんっ! 成績優秀だもん……もう怒ったっ!」
 言って、アイはわたしの顔に水をかけてきます。「うわっつ」わたしは思わず目を瞑ります。
 「あ……暴れないでくださいよ。二人で入るには浴槽ちっちゃいんですから」
 「それは硝子ちゃんが……。でも、それもいいかもね。なんか……じっくり近くで話ができて」
 気持ち悪いんですよ……。
 「というか一緒に浴槽入ることなかったじゃないですか。わたしもう上がりますよ?」
 体を洗わずに浴槽に入って、雨に濡れたアイの出汁を取ってしまうのが嫌だったので、先に体を洗うようにわたしは厳命しました。すると、わたしの方も同じく、自分の出汁を取ってしまう訳にはいかなかったので一緒に体を洗うことになり……その後こうなったという訳です。
 「もうちょっと一緒にいようよー。まだ温まってないでしょ?」
 「まぁそうですけど」
 言って、わたしは浴槽に体をつけます。そして自分の肢体とアイのものを見てから、思わず溜息を吐きました。
 「どうしたの?」
 「いえ……世の中の不公平というか。そういうものをですね」
 「……?」
 「なんでもないです」
 わたしは遠い目になりました。
 「しかし硝子ちゃんすごい痩せてるねぇ……。ごはん食べてる?」
 「うっさいですよ」
 大丈夫、乳のでかい女はアタマが悪いとお父さんも言ってました。だからお母さんの体質を受け継いだわたしは、きっと将来はインテリジェンスになれるはずです。
 かぽーんと、目の前でわたしの場所をとるまいと体育座りをするやたら発育の良い同級生を眺めながら、わたしはそれなりにリラックスした気持ちでいました。よくよく考えたら人と一緒にお風呂に入るなんて、もう何年もやっていないのではないでしょうか。
 「急に喋らなくなったね、硝子ちゃん」
 アイがぼんやりとそういいました。
 「わたしはもともと無口な性質ですよ。教室で用向きの発言をすれば『うわっ、喋ったっ』と驚かれるほどです」
 「……それ酷いね。でも硝子ちゃん、ホントは喋るの好きでしょ?」
 見透かしたように言うアイに、わたしは眉を顰めて見せました。
 「普段喋りませんからね。あなたを相手に去年一年分くらいの発言量は取り戻しました」
 「……そ。そう」
 「ホント。普段何か言いたいことがあっても、言う相手がいないんですよ……。ああ、だからあなたを相手に喋り倒すのは、楽しくはあるんですよ。これはホントにね」
 わたしがそういうと、アイは思わずと言った風に目を大きく開けました。
 「硝子ちゃんが……デレた」
 「なんですかその新手の動詞は。国語学力テストの点数が九十ポイントのわたしですが、ちょっと分かりませんね」
 「国語って前回の奴? 全国一斉の奴だよね? あれってかなり簡単だったけど、硝子ちゃん満点いかなかったんだ。どこ間違えたの?」
 「Dですか、Eですか? しまいにゃもぎますよ」
 「だから何をっ!」
 そういえばこの子、結構いいとこの私立から流れて来たんでしたっけ……。アタマの良さと学習能力は違うということなのでしょうか。
 「ところで硝子ちゃん……不思議に思わないの?」
 と、アイが唐突にしたり顔でそんなことをつぶやきました。
 「何がですか?」
 「あたしが吸血鬼なのに、どうしてこうやって裸になってもその特徴が現れないのか。ここまで完全な擬態は珍しいから、硝子ちゃんも驚くかと思ってね。どうやって隠してると思う?」
 「いえ。それは大丈夫です。その疑問はちゃんと解消しましたから。あなたがただの人間だということで」
 「……ふふ。そう思ってしまうのも、しょうがないってことね。まぁいいわ。たいていの人はどれだけあたしは特殊だって警告しても、信じることはできないのよ。あの人もそれであんな事に巻き込んでしまって……」
 風呂場でリラックスしたためか、人が聞き流しているのも知らずに吸血鬼談義をおっぱじめました。なんか中学生が書いた恋愛ファンタジー小説のあらすじみたいなこと語りだしましたよこの子。
 まったくどうしてこんなことになったんでしょう。転校生がやたらイタくて、気がつけばそいつと一緒に成り行きで風呂になんか入ってる。
 アイは本当に楽しそうにわたしに吸血鬼の話をします。この子の中では、自分は本当に強くて誇り高くて絶対に死なない吸血鬼になっているんでしょう。そういうことにしておかないと、この子の乾いた自尊心が潤わないから。この子はこんな妄想にすがりつかなければ生きていけなくて、そんな妄想を口に出すばかりにまた傷付けられるんでしょう。
 「吸血鬼さん」
 わたしは声をかけました。
 「なぁに? 硝子ちゃん。これからわたしが十七人目の眷属を手に入れた時の話を……」
 「それは後でいいです。その、今からいう三つのもののうち、どれか一つでも口にしたことがありますか? 答えてください」
 「なにそれ……」
 「じゃあ言いますよ」
 わたしは湯船に顎まで浸かり、アイの下品で豊満な、瑞々しく綺麗な体を……内出血の後が数箇所ほど刻まれた、それでもまだまだ綺麗な体を見て言いました。
 「虫の死骸。便所の水。動物の糞」
 「へ?」
 「虫の死骸。便所の水。動物の糞。どれか一つでも、ありますか?」
 「あ……あたしは……」
 アイは息を飲んで、答えました。
 「全部……ない」
 「そうですか」
 わたしは軽く微笑んで言いました。
 「ちなみにわたしは全部あります」
 アイの視線は、わたしの痩せっぱちの貧相な身体に向けられていました。いまだ消え入らぬ蚯蚓腫れと内出血とが大量に……白いところが見付からない程びっしりと刻まれたわたしの身体を見て……アイは最初わたしの身体を見た時と、まったく同じ反応をしました。
 「……硝子ちゃん……わたし、本当は」
 ぞっとしたようにそういうアイに、わたしは眉を顰めて
 「その恐怖を忘れないで……。わたしから言えるのはそれだけです。……ごめんなさい」

 2

 翌日。午前中の授業を受け終えて、わたしは葦原アイと机を並べて給食を食べる羽目になっていました。
 昨日の一件でアイはわたしと友情を育んだ気になっているのか、休み時間のたびにニコニコ笑顔でわたしに向かって吸血鬼談義をやり始めました。しまいにゃ給食の時に決して近くない位置から机を寄せてくる始末です。この様子では、はたから見てもこいつと友達だと思われてもしょうがないのではないでしょうか。
 「いいじゃない。あたしたち、友達なんだから」
 アイはニコニコと笑顔で言いました。
 「あたしと友達になればいいことあると思うよ。なんたって吸血鬼なんだから」
 何かにつけて『吸血鬼』なアイですが、彼女のそれはもちろんファンタジー好きの想像力過多でもあるんですが、それ以上にただの強がりといったものが原因であることが分かりました。ようは見栄を張りたい、そうやって自分を大きく主張する行動なんですね。そうでもしないと、こんなアタマの悪い子、誰もかまってくれそうにありませんから。
 さて。給食の時間中、食事を終えた担任の先生が、何かの用事のためかいったん席を立ちました。若い女の先生はまずはアイの方に視線を向けて、次に大勢と机をくっ付けあって食事を取る園山祝の方に目を向けて、「これ以上何もしないでよ」と念を押すように言ってから去っていきました。
 「吸血鬼、うっぜ」
 園山祝はそう言ってアイの方をにらみ、舌打ちをしてから仲間たちと食事に戻ります。アイはそれに傷ついたような……しかし安堵したような表情を浮かべていました。
 端的に言って、葦原アイに対するいじめがあれ以上悪化することはありませんでした。
 相変わらずクラスの鼻摘みもので、陰口やからかいなどの行為は続いてはいるものの、理不尽な暴力やもの隠しなどは影を潜めました。それもこれも、いじめにあって流れてきた問題児葦原アイに対する学校側の気構えがあってのことでしょう。
 「……あの。硝子ちゃん」
 アイはわたしに向かって小さく耳打ちしました。
 「ありがとね」
 そう言って微笑みます。この子の笑顔とか、お礼の言葉とかは、純粋すぎて変にずるいです。
 担任の先生にアイのことを相談したのはわたしです。学校で起きる様々な問題のたいていは先生に相談することで片付きますからね。増して葦原アイが面倒な転校生であることは学校側にも知れていたでしょうし、自己紹介でやらかしてもいますから、対処は迅速なものでした。
 「わたしじゃなくて先生に感謝してください。……自分でやらかしたことの尻拭いを大人がしてくれるのは、せいぜい今年までですよ」
 「……別にあたしはやらかしてないし。あいつらが勝手にちょっかいを……」
 「その考えが甘いんです。大甘です。できる範囲で自分の身を守る努力はしてください。られっこというのは敗北者であって、被害者ではないというのを決してお忘れなきよう」
 あたしがそういうと、アイは少しだけ堪えたように顔を伏せました。
 「分かったなら吸血鬼云々はわたしだけにしてください。できたらわたしにもしないでくれると助かるんですけどね……。それと」
 「それと……なに?」
 「勘違いしないでくださいね」
 言うと、アイは「硝子ちゃん……それ多いね」と少し笑いました。
 わたしは咳払いして続けます。
 「今回わたしが先生に告げ口を行ったのは、それをしたところで自分に害がないことが分かっていたからです。先生は告げ口したのがわたしでないことは伏せると約束してくださいましたし、クラスメイトもまさかわたしがそんな積極的なことをするとは思わないでしょうから」
 「でも……それでも硝子ちゃんはあたしの為に……」
 「自分のためです。いいですか、昨日話したように、わたしとあなたはこれからの学校生活を協力して営む友人となりました。このように一緒に食事を取っているのも、さっきの体育の時間で一緒に柔軟体操を営んだのも、昨日の契約のため……。そうやって友達として二人で何かする時、嫌いあっていたり後ろ暗いところがあると、気まずいじゃないですか。つまりわたしは、あなたに恩を着せるためにちゃちな告げ口をしただけなんですね。いわば賄賂です」
 「……うん。分かった。あの、……硝子ちゃんって……ものすごく正直だよね」
 「正直? この捻くれの王道を極めたこのわたしが正直? アタマ腐ってんじゃないですかこの色情狂」
 「今まで言われた悪口の中でも特に酷いよそれっ! なんで硝子ちゃんはあたしのことを性にみだらな人間にしたがるの?」
 「吸血鬼なんですから魅了はお手の物でしょう? さっさとそんな妄想卒業して、その自慢のウシ乳で彼氏でも作ってまともな学校生活を送ってください。そうすればいじめも止まりますしわたしの負担も減るというものですよ」
 「今デレたよねっ、硝子ちゃん今デレたっ! でも分かりにくいっ!」
 「だからなんですかそのデレたとかいうのは……。うっとうしいですね」
 そして二人でちゅーちゅーとストローから牛乳を吸い、パンをかじり、シチューをすすって給食を食べ終えました。
 給食の配膳・片付け当番である園山が役目をアイに押し付けようと、にじり寄ってくるのが見えました。どうやら本当の意味で懲りているようではなさそうです。
 「ねぇ吸血鬼さん。アタシちょっとね……今朝先生に呼び出されて貴重な時間を無駄にしたの」
 だからなんだ。とばかりにアイは園山の前に立ち上がります。これはいけませんね。
 「あのね。そのことでアタシ今すっごくぶち切れそうな気分なんだけど……だけどまた呼び出されるのは正直面倒臭いから、あなたのことを許してあげようと思って。でね……その代わりといったらなんだけど。アタシが今朝時間を失った埋め合わせに、アタシの給食当番を代わってはもらえないかしら。これからずっと……永久にね」
 「え……でもどうしてあたしがそんなことを」
 アイはぼそぼそと抵抗しました。よくないですね、抵抗するならちゃんと大声で、はっきりと意思表示をしなければ、逆効果です。
 「嫌よずっとなんて……。なんであたし、あなたにそんな指図をされなくちゃいけないの?」
 「自分の立場が分かっていないようね。先生に守ってもらっていい気分? だけどね、アタシら本来、そんなんで引き下がるようなタマじゃないの。あなたが告げ口したんなら、二度と告げ口なんてさせないように叩きのめすだけだし……他の誰かがしたんなら、そいつを見つけ出して同じことをするだけよ」
 そう言った時、アイはあからさまに心配げにわたしを見詰めました。わたしは内心で舌打ちをします。
 「あ……あたしは無敵の吸血鬼なのよ? これ以上なめたことをするようなら……こ、こわいわよっ」
 「あら確かにそれは怖いわね吸血鬼さん。できるものならやってみろよこの精神患者。アタマおかしいんじゃねぇの? 発展途上国じゃ精神疾患者は町のみんなに奴隷として扱われるんだってね……あなたも同じようにみんなの小間使いになってりゃ良いの」
 「な……な……」
 アイは顔を真っ青にして後退ります。かなり酷いことを言われたということと、園山の強い剣幕によって。園山が背後の取りまきに視線をやると、彼女らは口々にアイに向かって「そうだよキチガイ」「チクるとかマジうっぜー」「吸血鬼は学校くんな」などと言い立てます。
 一人きりの自分に対し、自分の敵の方に多く味方がいるという恐怖感は、味わったものにしか分からないでしょう。アイのよわっちぃ心で耐え切れるものでは……当然ありません。今にも泣き出しそうな表情をするアイに、園山は鼻を鳴らして「早くしろよ、キチガイ奴隷」とバカにしたように言いました。
 「あ……あたしは……あんたの言うことなんか……」
 「あ……その……葦原、さん」
 わたしはそこで、おずおずびくびくとしながら……蒼白になるアイと脅しをかける園山さんの間に割って入りました。
 唐突に割り込んできた異物に対する排除の視線が、わたしの全身に突き刺さります。一挙一動監視される恐怖感は、わたしから冷静さを大きく奪います。今にも吐き出しそうな、心臓が破裂してしまいそうな……そんな気持ち。
 「わたしも手伝いますから……片付けを、やりましょう。そ、園山さんの分も……」
 唐突に間に入ってきたわたしに対し、園山さんは面食らったような視線を向けました。
 わたしは園山さんの方をなるだけ何を考えているのか気取らせないよな、透明な無表情で一瞥してから、黙って園山さんの担当する食器の方に向かいました。
 「……そんな……硝子ちゃん?」
 アイはわたしの方に駆け寄って、消え入るような小さな声で言いました。
 「することないよ……あんな一方的な……」
 「……敗北主義は、悪いことばかりじゃありません。大丈夫、エックスのいないワイじゃせいぜいあなたをパシりにするくらいしかしないはずです。それも嫌だというのならどうぞご自由に反抗してください。わたしは何も味方しませんけどね」
 アイにだけ聞こえるようにそう言って、わたしは黙って食器に手を付けて教室から運び出します。アイが何か言おうとしますが、その上から園山がかき消すようにこういいました。
 「榊原……あんた。いつからそこの吸血鬼と仲良くなったの?」
 わたしは足を止めて、何も答えずにただ園山に向き直りました。
 ただそれだけで……園山は表情を引きつらせてなにやら言いよどみます。わたしが何も言わずにじっと園山を見ていると、園山は吐き捨てるように
 「ぼっちはぼっち同士仲良くしてろっ」
 そう口汚なく言って、仲間を伴って教室の外に出て行きました。

 「余計なことをして申し訳ありません」
 二人で食器籠の取っ手を一つずつ持って給食室に運びながら、わたしはそう言ってアイに謝罪しました。
 「気に入らないのなら改めて謝罪しますし……今後はこのようなことは絶対にしません」
 アイの身の振り方はアイが決めるべきであって、わたしがしたのはそれをあまりにも舐めた行為……アイの必死の抵抗心に対する冒涜でしかなかったでしょう。わたしはアイに謝罪する義務があり、アイはわたしに対して怒る権利がある。
 「うん……。だけど硝子ちゃん、どうしてあんなことしたの?」
 「何度も言いますが勘違いしないで欲しい……はもうあまり通じないとして。とにかくあのままだと教室でリンチが始まっていたと思いますから。……あなたがあのまま彼女に対して抵抗を貫けるのなら、本当に余計な真似としか言いようがないんですが」
 「抵抗を貫く……。はじめからあたしは、あいつの配膳を変わってやる気なんて……」
 「ある一定の考え方を持つ人間にとって、言うことは聞いてもらうものじゃなくて聞かせるものなんです。あなたの意思や権利とはまったくもって無関係。『ワイ』はよく言えば奔放でマイペース、悪く言えばわがままで激情家ですからね。あくまで従わないつもりなら、あなたは彼女とその取巻きを相手に喧嘩するしかなかったんですよ。……そしたら吸血鬼の力なんて頼れません」
 わたしが言うと、アイがなんだか酷く情けない表情で俯きました。それからいっそ泣き出しそうな、打ちひしがれた様子で、食器籠を掴む手の力を強めました。
 彼女の悲しさとか、屈辱とか……そういったものが分からないわたしでは、もちろんありません。本当のことを言えば、わたしはこの子のことが他人だとは思えないのです。
 それから二人で片づけを行いながら、悲しみに浸る時間を過ごしました。足取りは気持ち重く、時折溜息だとか、嗚咽だとかが混ざります。
 どうにも陰気で嫌な感じですが……これがいじめられっこのスタンダートでしょう。中途半端に反抗して、でも結局は傷が深くならないように程ほどで負けておいて、それからうじうじと下を向いて怨嗟と自己憐憫に耽る。世にも情けないその姿を、誰もかもが、後ろから笑って指差し見ている……。
 「……やっぱり。あそこはちゃんと抵抗しておくべきだったと思う」
 片づけを終えて、アイはわたしに向かってそう切り出しました。
 「硝子ちゃんの所為にするつもりはないの。硝子ちゃんがあたしのことを心配してくれてたのは分かるから。でも最終的なことは、あたしが自分で決めるべきだった。硝子ちゃんが何を言っても、あたしはあくまで抵抗するべきだった……」
 ……わたしは何も言えません。
 一度譲ってしまうと、相手によっては何歩でも何歩でも踏み込んできます。一度給食の配膳を代わってしまうと、二度目三度目も当然相手は要求してきますし、そのうちに違ったパシリ要求も出てくるはずです。
 それらを受け入れたくないのなら、最初の一回目できちんと断ってしまうしかありません。アイの判断はとても正しいですが……もちろん簡単なことではないでしょう。
 というか……アイにきちんとそれができるのなら……私立でいじめられてこんな公立に流れてくることなんて、なかったはずなんですけどね。
 わたしはそうは言わずに、ただ決意を固めるアイのことを見て、少しだけまぶしいような、……怖いような。そんな気がしていたのです。
 「あれ?」
 と、そこで、わたしはその声にぞっとして振り向きました。
 そこにはわたしたちのクラス委員長である樋口英子さんが、食器籠を運ぶわたしとアイを不思議そうな目で見ていました。
 「ひでこちゃん?」
 樋口さんの姿を確認して、アイの表情が少しだけ緩むのを、わたしが確認しました。樋口さんは学級委員としては責任の強い方ですから、孤立しがちな転校生のことも気にかけていました。アイが樋口さんに懐いて、名前で呼ぶようになったのは自然な流れでしょう。
 「食器の係りは祝ちゃんだったと思うんだけど……もしかして、押し付けられた?」
 流石に察しの良い人です。
 「その……あたしは抵抗したんだけど……」
 押し付けられたこと、それを断れなかったことを情けなく思っているのか、アイがしどろもどろになりながらそう弁明します。樋口さんはやや困ったような顔でいますが、目ではこう言っています。『結局やらされているじゃない』
 「……わたしがしゃしゃり出たんです。従った方がいいよって」
 必ずしもアイが一人で屈した訳ではないことを示すためにわたしがそう口ぞえします。樋口さんはすると、わたしの方につまらなさそうな視線を向けてから「ふーん」と興味なさげな風に装ってそう口にして
 「あまり酷いようなら私の方から祝ちゃんに言っておくけど……」
 ここで、教師などを介するのではなく、自分の口で『ワイ』こと園山祝に意見できるのが、樋口英子が本当に優秀な学級委員たる所以でしょう。ただ先生受けがいいだけの優等生ではなく、本当の意味でクラスの中心に立てるだけのスペックを、彼女は有しているのです。
 それから樋口さんはアイではなく『しゃしゃり出た』わたしの方に視線を向けて、互いを直視しているわたしにしか分からないくらいに唇を歪ませました。
 「ただね……葦原さん。私から一つ言わせてもらうなら。理不尽に用事を押し付けられて困ったのなら、『抵抗する』のも『従う』」のも……結局は受け身な態度でしかないのよね。この場合は『無視してその場を立ち去る』っていうのが正解。もうあなたのことは相手しませんよ……って感じかな?」
 樋口さんはおそらく、アイだけでなくわたしにも同じことを伝えていたのでしょう。それぞれ、まったく違う意味合いを込めて。樋口さんは僅かに唇を歪めてから、去り際にわたしに対してそっとこう言い残しました。
 「良かったわね。榊原さん。……お友達ができて」

 られっこが昼休みに過ごす場所といったらどこでしょう?
 トイレの個室、使われない教室、人気のない校舎の影などがあげられますが。いずれにしても、決して暖かかったり清潔だったりする場所で過ごすことはできません。下手な物陰に隠れているとタバコを吸いに来たいじめっ子と遭遇することもありますし、かといって教室に戻ったら問答無用でおもちゃにされてしまいます。ゴミはゴミ箱に。わたしたちはいつだって汚物のスキマに身を隠してやり過ごすのでした。
 「……ここ。穴場なんだね」
 わたしがアイを招待したのは、校区の隅にある倉庫室でした。入り口はシャッターですが鍵は開いていますし、壊れたイスや机が突っ込まれているのでそれらを利用してリラックスできます。わたしのお気に入りの場所です。
 こういう場所はしばしば不良の溜まり場なんかに使われるものですが……今まで遭遇したことはありません。何年も続けて掃除されていない埃っぽさ、湿ったダンボールの朽ちた臭い、互いの顔が見えないほど暗いなどという理由で、敬遠されがちなのでしょう。単純に穴場として見付けにくいというのももちろん、あるのでしょうが。
 「ちょっと変な臭いしない? 暗いし、……ちょっとつめたい」
 「夏場は涼しいですよ? 風もないから冬場はあったかいですし。わたしは去年一年の昼休みを、春夏秋冬にわたってここでやり過ごしてきたと言っても過言ではありません」
 「硝子ちゃんて……寂しい人だよね」
 「そうかもしれません。でももう寂しくないですよ。昼行灯の妄想癖メンヘラ色情狂でも、話し相手さえいれば少しは気が紛れるものです。枯木も山のなんとやら?」
 「今のはデレたの? ツンなの? あたし色々悪口言われてきたけど、最近は硝子ちゃんのが一番酷いっ!」
 「……あの。あなた時々ツンとかデレとか変なこと言いますけど、どういう意味なんですか?」
 「知らないの? 硝子ちゃん、漫画とかあんま読まない?」
 「あまり読む機会はありませんね……好きではあるんですけど。そもそも去年一年間は、自分で買い物をしませんでしたから」
 「え? どうして?」
 「お金がないとものは買えません」
 「お小遣いもらってないの?」
 「いただいてますよ。両親はどちらかというとわたしのことを甘やかしてくれますからね。特にお父さんが。一般的な女子中学生のものより、少し多いくらいなのではないしょうか?」
 「だったらなんで……」
 「虫の死骸。便所の水。動物の糞」
 わたしがそれだけ言うと、アイが暗闇で息を飲むのが分かりました。
 「と言ってももうだいぶ前から自分で使えるようにはなっているんです。ただ、漫画なんて何を読んだらいいものか、ちょっと分からなくて。貯金が増える一方ですのでお母さんにお菓子を買ったりとか。普段はもっぱら、昔買ってもらった電子ゲームとかで時間を潰してますね」
 「漫画なら、あたしのお勧め教えたげるよ」
 アイはわたしを励ますようにいいました。
 「なんなら貸してあげる。あげたっていいよ」
 「ありがとうございます」
 わたしは微笑んでいいました。
 それから自然な沈黙が降りました。元より、過ごしてきた人生に多少近しいものがある程度で、性格も趣味も考え方も違う間柄です。盛り上がれるような話題と言えば教室で生き抜く為の傾向と対策くらいしかなく、そんな話四六時中していれば参ってしまうので、その沈黙はごく当たり前に生じたものでした。
 わたしはアイの吸血鬼談義が始まるのを待っていましたが、アイは一向に口を開こうとしません。何か様子がおかしいなと思っていると……アイは彼女にしては真剣な声で切り出しました。
 「ねぇ……硝子ちゃんって……その。どんな子なの?」
 藪から棒に、と言う奴です。
 「どんな子なのとは? 見てのとおりです。チビで童顔であなたとは似ても似つかぬ幼児体系で無口で孤独で利己主義者でひねくれものの榊原硝子。心配しなくてもあなたに隠していることなんてありませんよ。あなたに隠す意味ないですから」
 「隠しては……ないと思う。だけど硝子ちゃん……わたし気になるの。硝子ちゃんが、去年やらかしたっていうこととか……」
 それを聞いて、わたしは暗闇の中で目を剥いて
 「誰から聞いたんですか? ……まぁ。おおかた想像はつきますけどね、学級委員さんくらいでしょう、あなたがわたし以外で会話をするのは」
 「う……うん。あの……硝子ちゃんにはちょっと気を付けた方が……って言われて」
 まぁそういうしょうね。彼女としては。
 「園山も硝子ちゃんを見る目はなんだか怯えてるし……他の子も硝子ちゃんのこと、怖がってる。……なんか、すごいことやらかしたって……そう聞いてるんだけど」
 「そうですか」
 「ね……ねぇ硝子ちゃん、やっぱり隠してた? っていうか……怒ってる?」
 「少し不愉快ではありますが、怒ってはいません。隠してもないですよ、自分の口から話そうと思っていただけで……あなたには関係のない話じゃないと思いますし」
 「それって……」
 「わたしは去年ね、クラスでいじめにあっていたんですよ。今のようなただの孤立や排除じゃなくて、本物のいじめにね。その加害者はとある三人組で……仮にエックスとワイとエーとします」
 その内の一人が、今アイにちょっかいを出しているクラスメイトの園山祝で、わたしにとっては因縁の相手の一人でもあります。ちなみに祝だからアタマ取って『ワイ』です。
 「うん……それはなんとなく知ってた」
 「わたしは事なかれ主義ですが、それで済むと考えているような楽天家でのんき者でもあったんですよ。ぼうっとしてるのは良く言われますし……両親が過保護だからなんでしょうか。とにかく本当に酷い目にあい始めるまで……こんな痣と火傷だらけの身体になるまで……ただ何もせず耐えていれば終わるって、そんな風に思っていたんです」
 わたしが臆病なのは一度ことが始まってしまうと、自分の力で止められないから。わたしが何より自己保身が大好きなのは、自分の弱さを知っているから。過去に受けた経験ゆえにアイの気持ちは良く分かりますが……同時に過去に刻まれた恐怖ゆえに、アイを救おうと積極的には思えないのです。
 「一番酷いいじめをしてきたのはエックスという女子生徒で……これはまぁワイのような小山の大将タイプ……威張ったり統率するのが好きでいじめをやってるタイプじゃなくて、生まれつき人を攻撃するのが大好きという性質でした。わたしはこれにこっぴどくいじめられて、だけど怖くて」
 「……そうなんだ。それで、そのエックスとは、どうなったの?」
 「戦いました。いじめられている今の状況から逃れるために、そのエックスと」
 「……戦ったって?」
 「文字通り、です。……逆境を翻すには、奮起するしかないんですよ。わたしはエックスに飛びかかり、バカみたいに叫んで、泣きじゃくりながらぽかぽか殴りつけました」
 「ど……どうなったの?」
 「負けました」
 「へ?」
 「負けました……体格が違いましたから。むしろおもしろがられたみたいです。エックスの背後でワイもエーもけらけら笑っていました。いいぞいいぞって……チビの癖にナイスファイトだ、たまにキレてくれないとおもしろくない。そう言って倒れたわたしを蹴りまくって、首にタバコの火を押し付けてきました。痛がる元気もなかったです。まだ残ってますよ、その時の根性焼き」
 「……そ、そんな。じゃあだったら……」
 「でもね……人間。勝ったと思った時が一番油断するんですよ。……そして手段と後先を考えなければ、人は悪魔だって倒せるんです」
 ……逆境を翻すには、逸脱するしかない。
 相手がエックスでなければ、わたしはそこまでする必要はなかったでしょう。ですがわたしはそこまでやりました。そうしなければ、今のわたしの安寧と静けさはなかったでしょう。クラスが分かれたとて、あの執拗なエックスが自分のおもちゃを手放したとは、思えませんでしたから。
 「わたしは床に倒れ付した姿勢で、エックスの足元に手を伸ばしました。そして強引に足の指を握りこんで、力いっぱいへし折ったんです」
 「へし折った……小指?」
 「いえ。最初折ったのは親指です。小指なら片手の力だけでなんとかなったでしょうが……わたしの選んだのは親指です。最初捻った時は変な音こそしたんですが、爪が割れたくらいで骨を折るにはいたりませんでした。それでもやはり、痛かったのでしょう。エックスがその場にすっころんで、わたしは跳ね起きてその足にしがみ付きました。わたしは抵抗するエックスになんとかまとわり付いて……全身の体重をかけてスリッパの外の親指をへし折ってやりました。べきぃ……って」
 効果音をつけて言って見ましたが、特にその時のことを覚えている訳ではないんですけどね。アイは流石に面食らって、沈黙しているようです。わたしは続けました。
 「エックスは痛みで昏倒して、でもわたしはそれだけじゃ不足だと考えたんです。……それほどまでに、わたしはエックスのことを恐れていたんでしょうね。親指をへし折ったくらいじゃエックスは堪えない、中途半端な逆襲ではもっと酷い目にあうだけ。いいえ、悪魔みたいなエックスが復讐を諦めるなんてことがあるとは、その時のわたしにはどうしても思えなかったんです。きっとエックスは必ずわたしがした以上の恐ろしい報復を実行してくる……そう考えると、怖くて……怖くてしょうがなくて、わたしはもう夢中で……だから……」
 倉庫の暗闇が、わたしの記憶を鮮明にします。湿ったトイレの冷たい床。火照って汗まみれになった体。目を剥き舌を突き出しわたしから逃げようと、タイルに向かって爪を引っ掛けてぼろぼろにするエックス……江楠まゆき。わたしはそれに追いすがり、捕まえて、それから無我夢中で
 「わたしは、エックスのことを殺そうとしたんです」
 アイが、暗闇の中で息を飲みました。
 「わたしは逃げ出すワイとエーを見ることもせずに、泡を吹きかけているエックスの上に馬乗りになりました。……首でも絞めようかと思ったんですが……わたしは前にエックスに口の中にシャープペンを十数本も突っ込まれ、死にそうになった時のことを思い出しました。そこで、わたしは傍にあった便所たわしの棒の部分を、エックスの口の中に力一杯突っ込んだんです。エックスは明らかに本能の動きで、びくんびくんと妙な痙攣をしていました。喉の奥のどこか柔らかいところに棒が突き刺さる感触がして、たくさん血が出ました。……わたしは本当に安心していたんです。……あ、死んだんだ……って」
 「…………本当に死んだの?」
 「結局、一命は取り留めたようです。お陰でわたしは殺人犯にならずに済みました。ですがエックスとはもうそれっきりです、クラスも離されましたしね」
 「それじゃあ。硝子ちゃんはもういじめられずに済んでるんだ」
 アイは少しだけ、安心したようなというか……慮るような声でそういいました。
 ……本当は少しだけ、気持ち悪がられるかと思っていたんですが。
 「そんなめでたしめでたしじゃありませんよ。エックスの母親が面倒な人で……といっても娘を殺されかけたんですから当然といえば当然ですが。裁判が起きる寸前までいきました。両親は全面的にわたしに味方してくれましたが……わたしはおまわりさんのところに何日か泊まる羽目になりました。かなりキツかったですよ……怖い刑事さんに毎日泣かされました。内向書にも大きくペケが入りましたし、エックスとは結局痛み別けにもできていません」
 わたしがそう言って、肩をすくめて見せると、アイは納得がいかないとばかりに、子供のような声で言いました。
 「……そんな。酷いよ、硝子ちゃんは全然悪くないのに。どうして……」
 「悪いとか悪くないとか、そういう問題じゃないんです。いじめられっ子は敗北者であっても被害者ではない。むしろあの悪魔を相手に首を吊らずに生き残っただけでも……わたしは運の良い方なくらいです」
 わたしの全身が傷だらけだったこともあり、『いじめ』の事実は明らかにされました。学校としてもわたしを追い出す訳には行かなかったのでしょう。両親はわたしにこんな狂った学校からは距離を取れと言いましたが……どこに行っても結局は同じだってことは、葦原アイの例を見るまでもありません。むしろ、この学校ならわたしは腫れ物扱いでしょうから、もうこれ以上誰にもちょっかいかけられずに済むと踏んでいたんです。
 そしてそれについてはまぁ、大当たりといったところでした。おかげさまでわたしは今、孤独に守られた自由と静寂と……幸せを満喫できているのです。
 「それでその……エックスさんはどうしてるの?」
 「まだ学校にいますよ……。わたしとエックス、どちらが転校するかわたしとエックスの親との間で少しもめたようですが……どちらも譲らず。クラスを別々にする措置で決着が付きました。その時に元いたクラスを引き離されたのは、わたしの方だったんですけどね」
 「じゃあ……結局そのエックスって奴には、負けちゃった……ってこと」
 「そんなこと気にはしていません。わたしは浅い傷なら受けて済ませる主義ですから」
 エックスの傷は足の指も喉も完治したようです。わたしがおまわりさんのところから解放されるのに少し遅れて、エックスも病院から出てきました。その時は正直、生きた心地がしなかったものです。
 わたしと顔を合わせ、怯えたように息を飲んで逃げ出すエックスを見て、わたしは始めて安心しました。その日わたしは、お母さんの胸の中で泣きました。『今まで怖かった』と、そう言って、小さな子供みたいに。
 「硝子ちゃん……がんばったんだね」
 アイは慮るようにそういいました。それからあろうことか、わたしの頭の上に手を置いてきます。わたしは即座にそれを叩き落としましたが、アイはそのまままとわり付くようにわたしの身体に飛び込んできました。
 「良くがんばったね。偉いよ。硝子ちゃん」
 ……がんばった? 偉い?
 妙なことを言うものだと思いましたが……きっと彼女は理解してくれたんでしょう。わたしがどれだけ吐きそうな思いであの状況を乗り切ったかを。哀れまれることはあっても、褒められたことなどありませんでしたから、少し新鮮で、どういう訳かそれは心に染み渡りました。
 ですから……わたしはとても後ろめたい、罪悪感に満ちた気持ちになりました。
 「もう終わったことです。あなたは自分の心配をしてください……それと」
 間近で見ると、暗くてもアイの顔が良く見えました。きょとんとした、険しい顔をしたわたしをいぶかしむような表情で
 「全てのいじめられっこがあなたのように清らかだとは思わないでください。だからわたしを褒めなくていいです。頭をなでないでください」
 「……でも。硝子ちゃんはすごく優しい子だよ」
 「違うんです、それは。だから……違うんですよ。わたしは敗北者であって被害者ではありません。わたしだって……。……違うんですよ」
 哀れみを請うような話し方をしてしまった自分に腹を立てながら……わたしはそう言って、アイを振りほどきました。

 3

 わたしの朝はいつも七時半を過ぎたあたりから始まります。それから四時までつらい学校生活を乗り切って、もちろんすぐに放課。誰にもどやされないように、びくびくしながら帰宅します。
 夜は日付が変わるころまで起きていても翌朝まで八時間近く眠れてしまいますから、遅くまでポケットクリーチャー集めに夢中になっていても問題はありません。帰宅して少し寝てから復習と予習、夜はお母さんのおいしいご飯を食べてから、眠くなるまで電子ゲーム。まぁ平均的な中学生の余暇の過ごし方といえるでしょう。
 その日は何故か。家に葦原アイが入ってきていました。放課後帰宅してさて夕寝でもしようかと思っていると、アイからメールが届いたのです。
 『家の傍まで来てるんだけど寄ってっていい?』
 面倒だったので返信せずにそのまま寝たら、ほどなくして家のチャイムが鳴りました。早出して帰ってきたお母さんかと思って出て行くと、そこにはわたしの母とは似ても似つかぬ下品な体格をした女が笑顔で立っていました。
 「返信ないから来ちゃった」
 返信なかったらくんな。
 追い返すようなガッツのあるわたしではありません。わたしはしぶしぶ夕寝を諦めてアイを家に入れました。なんだか負けた気分です。
 「どうして来たんですか?」
 わたしが訪ねると、アイは少しだけおずおずとした様子で
 「えっと……来ちゃ迷惑だったかな?」
 「わたしの睡眠を妨げたものはたとえ敬愛する両親であっても半日は許しません。これじゃ今晩夜更かしができないではないですか」
 「いーじゃん早めに寝れば」
 迷惑かと聞いた割に、アイはからからと笑います。この女、最近ふてぶてしくなった、いや馴れ馴れしくなってきやがりました。
 例の給食当番の件……ワイこと園山祝がアイに自分の役割を継続して押し付けようとしたあの事件ですが。アイはこれを不恰好ながら自力で解決することができていました。『今日もお願いね』と、にやついた顔で宣言する園山に、アイは顔を真っ赤にしていったのです。
 『あたしは高貴な吸血鬼なのよっ! くだらない人間のいうことなんか聞くもんですかっ!』
 あれだけ大声を張り上げれば、流石に園山もぽかんとしたものです。それからアイは学級委員の樋口英子さんに入れ知恵、もといアドバイスされたとおり、わめく園山を無視して教室を去りました。
 園山が追って来ないのを見て、アイは『怖かったぁ……』とわたしにすがり付いてきたものです。その時ばかりはわたしも意趣返しとしてアイの頭を撫でてあげましたが……それはともかく。
 そうやって自力でいじめを克服できたことが、アイの中で一つの自信になっているのか……最近どうも彼女はわたしに対しても大きく踏み込んでくるのです。それはもううっとうしいくらいに。わたしにとってのアイがそうであるように、アイにとってのわたしは今のところ唯一の友達でしょうから、べったりしてくるのは無理もないといえばそうなんですが……。
 「レベルあげてりゃ良いってもんじゃないんですよ3値も知らない素人風情がっ。もちものもないようなこんなクソパーティ一匹で十分ですっ。ほらっ! リーフブレードっ!」
 「わ……わぎゃーっ!」
 わたしは鍛えに鍛えたポケットクリーチャーでアイを粉砕しました。わたしがここ数日をかけて最高の個体を粘ったヘビ型クリーチャー、ニックネーム『おろちまる』の性能は抜群。アイの選出に刺さってばっちり3タテしてやりました。
 いえい。
 「これに懲りたら挑戦してこないことですね……。素人はチャレンジアイリスをレベルでゴリ押して、それで満足してりゃ良いんですよ。はんっ」
 『硝子ちゃん、これ好きって言ってたよね?』とアイが取り出したゲームソフトは、わたしが小学生の時からやりこみを続けている人気シリーズのものでした。『あたしも最近ハマッてるんだーっ。ちょっと通信対戦しようよ、あたし強いんだよ? レベルがもう……』とか言い出すので軽くコテンパンにしてやりました。爽快です。
 「ひ……酷い。あたしの育てたラッコちゃんが……レベル100まで届いてるのに……」
 「50フラットなんだから無駄ですよそんなもん。もっともその弱点の偏った構成なら、パーティそのままでレベル無制限にしても負ける気がしませんが……。どうです? まだ続けますか?」
 アイはそこでしょぼんとした格好で「いや……いい」といじけました。ふむ、ちと大人げなくやりすぎたかもしれません。
 「しかし葦原さん。この子、どうしてレベル89にもなって、まだ最終形になってないんですか? ちゃっちゃと進化させちゃえば良いでしょうに」
 わたしがいぶかしく思って尋ねると、アイはいじけた調子のまま
 「……買ったの中学にあがってからだもん。交換してくれる友達なんていなかったのよ」
 とさめざめと言いました。
 彼女の愛用している岩石型のポケットクリーチャーは、同一ソフト二つの間で行えるクリーチャーの通信交換を行うことで、新しい姿へと進化するよう設定されています。ですが、どうやらアイはそれを行う術を持たないようですね。
 「なるほど……あなたは本体を一つしか持っていないのですね」
 わたしが言うと、アイは「へ?」と妙な表情を浮かべます。
 「わたしはお父さんにおねだりして二つ目を買ってもらって、通信交換ができるようになったんですが。そんな贅沢、誰にでもという訳にはいきませんよね。いやはや、あくどい商売ですよ。ゲーム機を二つ買わなければ楽しめない要素をゲーム内に入れておくなんて……」
 「DS二つ買ったの? 硝子ちゃん、それちょっとちがくない? ふつう、同じソフト持ってる友達同士で交換するもんだよねそれ?」
 「なに言ってるんですか? そんなの一緒に遊ぶ友達がいる人だけの話でしょ? わたしたちには関係のないことです」
 「当たり前みたいに言わないで硝子ちゃんっ。今はあたしがいるからっ。むしろ今のあたしには硝子ちゃんがいるからっ! できたらちょっとあたしの『ギガとん』の進化に協力して欲しいかなぁなんて。できたらそっちのロムでしか出ないクリーチャーを、あたしに分けてもらえないかなぁとか」
 「いいですけど。あげれて不一致3Vとかまでですよ。せいぜい親にしてください」
 「う、うん。良くわかんないけど野性で捕まえてきてくれたら良いよっ! あたしのもなんかあげるから」
 「ほう……ではそのかわいいクラゲちゃんを……」
 六時ごろまで遊んでたらお母さんが帰ってきて、娘にもやっと友達ができたと喜ばれました。娘の友達は美人だとお父さんも大喜び。実態を知ったらさぞ悲しんだことでしょう。

 アイに日課の夕寝を妨害されたわたしはいつもより一時間早く床に着きました。夕寝をできなかった分夜に余分に寝かせてもらおうという寸法だったのですが、いつもよりだいぶ早い時間にお母さんによって起こされてしまいました。
 「お友達が来てるわよ」
 あいつめ……ということでパジャマから着替えて出て行くと、案の定アイがこちらに向かってにっこりと手を振っていました。
 「おはよう硝子ちゃん。遅刻しちゃうよ」
 『遅刻しちゃうよ』の部分は言ってみただけでしょうに。
 「ちょっと早いんじゃないですか? わたしはいつももう三十分は寝ているというのに。あなたと来たら」
 「ごめん。硝子ちゃんがいつごろ家出てるのかあたし知らないし。早目に来て見たんだ」
 「迷惑です」
 「硝子……友達にそんなこと言わないの」
 お母さんに叱られてしまいました。あう。
 「……朝ごはん食べてくるから待っててください」
 「うん。分かった」
 アイは満面の笑みで言いました。さて。登校時まで付きまとわれるとは、流石にいかがなものか。

 登下校を共にすると言う感覚は……それはもちろんわたしにとって、馴染みないものではありません。小学校くらいまではそういうことをする友達もいましたから。
 ですがそれっきり、わたしにとって朝学校まで向かう時間は、とぼとぼと一人きりで孤独と恐怖感、憂鬱感を引き摺ったものでしかありませんでした。煩わしく憂鬱な学校と言う場所に向かうまでに、じっくりと苦悩と相対し諦めに似た悟りを得る時間……だったのですが、こんな煩わしい友人を隣に連れ出つ羽目になるとは。
 「あれ? 硝子ちゃんが自転車乗ってかないの」
 「持ってませんからね」
 「……もってないって? まさか、エックスとかいう奴に壊されたとか」
 「違いますよ。本当に、最初から持ってないんです」
 と、自転車を押しながらわたしの隣を歩いてもらっているアイに、わたしは言いました。
 「持ってないって? こっから学校まで結構遠いよね? 毎日歩いてるの?」
 「ええそうですよ」
 「なんで?」
 「乗れないんです、わたし、自転車」
 「……え?」
 アイは信じられないというような様子で呆けてしまいました。
 「人一倍こらえ性がなくてですね。自転車の練習と言うのをお母さんとしたことがあるのですが、小学一年生の時に挫折を味わって以来、二度とあんな危険で不安定な乗り物を使ってたまるかと誓っているのですよ」
 「で……でもみんな乗ってるし、速いし……」
 「みんなが乗ってることがわたしも乗る理由にはなりません。そして、自分の足で歩いても目的地にはたどり着けます」
 わたしがそういうと、アイはおずおずと自分の自転車の荷台を指差して、「乗ってく?」と提案しました。
 わたしはそこで、お父さんの運転するバイクの後ろに乗った時のことを思い出しました。風を切る感覚が爽快で、なかなかスリルがあっておもしろかったことを覚えています。……悪くないかもしれません。
 「地獄じゃ炎馬も乗りこなしたからね。自転車の二人乗りなんてお手の物よ」
 ……それを聞いて思いました。このアンポンタンに任せたら、スリルじゃすまないかもしれません。こういう吸血鬼云々の妄想が出るときは、たいてい彼女が不安や緊張を感じている時です。つまりこの子は、二人乗りなんて経験がないということなのではないでしょうか。
 「遠慮します」
 「どうして? 校則違反だから?」
 「それもありますし……わたしは他人のことはそんなに信頼しない主義なんですよ。だからわたしを乗せた状態であなたが転ぶというリスクに対し、恐怖して『あぴゃー』とか『うっきゃぁー』とか叫んでしまう可能性があります。それは嫌です」
 「いいから乗りなって。遅刻するよ」
 だから遅刻までには時間がありすぎると言うか、早く行き過ぎても人の目を気にする時間が増えるだけというか……。しかしアイは聞きませんでした。意地になっていたのかも、しれません。
 「あ……あぴゃぴゃっ! うう。うっ。きゃーっあぁああ!」
 わたしはアイの後ろで叫び続けました。登校しきるまで。ずっと。

 学生の本分は勉強とは言います。
 中学で習うちゃっちぃ授業内容におもしろいことは一つもありません。ただ覚えることが多くて煩わしいだけの話です。ですがそれも高校ないし大学から始まる本当の勉学の基礎の部分であって、それなりに重要ではあるのでしょう。お母さんがそう言っていました。
 ですからわたしは昔の人が退屈しのぎに書いた古文を読み解いたり、わざとかと思うほど回りくどい教え方しかしてくれない英文法を覚えたり、複雑なばかりで使うアテのない数式を途中で投げ出したりして、日々の勉学に勤めているのです。うちの学校はそこそこ進学に力を入れていますから、学力テストは割としょっちゅう行われ、成績上位三十名ほどが廊下の掲示板にさらし者にされます。
 その日は学力テストの結果発表日で、朝から上位成績者の名前が廊下に張り出されていました。ここに載らないそれ以外の二百余名は、また後で個別の成績表でという訳です。
 「葦原さん、結果はどうでしたか?」
 と、わたしは友達としてアイにそう尋ねてみました。わたしはクラスのみんながテストの結果を教えあって比べあう様子を見て、そんなことをして良く友情に亀裂が入らないなと思っていたものですが。……まぁアイとならそんなことにもならないでしょう。
 「どうかな……。調子変わらないから多分いつもどおりだよ、多分、上の中くらい」
 「そうですか」
 あんたが上の中くらいな訳ないじゃないですか。とは言いませんでした。
 「えっと……載ってるかな。あ……あったあった。あったよ硝子ちゃんっ!」
 「良かったですね」
 わたしは首を振って言いました。
 「見てよこれ、硝子ちゃんの名前っ。二十九位だって。すごいじゃない」
 んな右下の方のをわざわざ探してきて大声で言わないでください。
 「どうして人の名前を先に探し出しますか。っていうかあなたに他意はないでしょうけどそれ、嫌味に聞こえるかもしれませんよ」
 「なんで? ここに張られてるってことは、いいってことでしょ?」
 「確かにわたしの名前がここに載ったのはもうしばらくぶりですから……。まぁちょっとはうれしいですし、あなたに祝福されて気分を良くしてもいます。ですがね、覚えておいてください。人に嫌われないための方法として、自分より下の人を褒めちゃいけないんです」
 アイの名前は成績表のもっとも左上にありました。それはつまり、アイはバカそうに見えてこの学校だと学年一位なんですね。それもダントツで。
 名前を聞けばだいたいの人がピンと来るような私立進学校に通い、そこで上の中程度という成績をとっていたアイです。こんな田舎の公立に流れれば、トップになるのは嫌味ったらしいほど当然の結果でしょう。
 つか。あの意味わかんない問題しか出なかった数学で満点取るとか、訳が分かりません。国94数100英88理95社79で、五教科中四教科が学年トップ……これまでの成績上位者にとっては、ちょっとした災害であると言えるでしょう
 「ふふふ……我ら吸血鬼が人間風情に遅れをとるとでも思ったか。……だけど、暗記系……っていうか社会がだいぶ落ちたなぁ。英単語も分からないのが出てたし……ええと、もうちょっと近くで……」
 あまり人の輪の中に飛び込むのが好きではないわたしたちです。当然、成績表も遠巻きに眺める程度だったのですが、アイはトップになれたことが嬉しいのか成績表に近付いていきます。
 そこで……わたしはあることに気付きました。
 「もういいでしょう。あなたがあんまり長くここにいすぎても嫌味なだけです、さっさと教室に……」
 順位表に近付くアイをとめようと手を伸ばしたところで……間に合わずアイは息をのみました。
 最も左上に書かれたアイの名前の傍に、シャープペンシルで軽い落書きがされているのです。それは近くで良く見なければ分からないものですが……まぁアイは見てしまったんですね。
 『↓(やじるし)先生にカラダ売って、答え教えてもらってるんだって(笑)』
 アイはその場で硬直し、顔を青くしました。
 成績表の周囲でたむろしていた生徒たちが、一様にくすくすとこらえたような笑いを浮かべます。それからひそひそ話を交わしながら、嘲るようにアイの傍から離れていきます。
 ……なるほどそうだったのですか。いやはや、あなたが本当に陰売だったとは。あなたの品のない胸部を持ってすれば簡単でしょうけど、お体は大切にした方がいいですよ?
 ……なんて。いつもみたいにわたしがからかえる訳がないんですよね。アイは本気で嫉妬を帯びたそのメッセージに衝撃を受け、繊細な心を痛め、傷ついていたのです。想像力に過多なところのあるアイには、この誰が書いたのか分からないところが良く堪えます。それをこれまで何人もの人が見つけ、指差してくすくすと笑う様子を想像し……アイは真っ青になっているのでしょう。
 「葦原さん」
 わたしはアイの肩に手を置いて言いました。
 「こんなのにいちいちショック受けててもしょうがないですよ。ただの嫉妬でしかないんですから。こんな時こそ吸血鬼です。鼻で笑っていてください。ほら」
 「そ……そうだよね」
 アイはそういうと、ぎこちなく笑いながら言いました。
 「高貴な魔族に無粋な噂はつき物……。這い蹲ってひそひそ噂していなさい人間ども……どうせあたしたち高位の吸血鬼には追いつけないんだから」
 その息です。
 わたしはそのままアイの手を引いて、例の倉庫室に連れて行こうとしました。どうせ今教室に入っても、クラスメイトはアイにささやきと嘲笑で追い討ちをかけるだけでしょう。バカにされているはずの転校生が、学力テストでは極めて優秀な成績を取った……わたしもあまり性格の良い方ではありませんから分かります。これを、気に入らないと言う人は、おそらくたくさんいるはずでしょう。
 ですが。時間が立てばアイの実力を認める人も出てくるはずですし、それはアイという人間そのものを認めることにもつながります。だから今は耐えていてくれれば良いのですが……。
 そう思っていると、アイを遠巻きに眺める人たちによって、寂しくなった順位表に男の子が一人、近付いてきました。
 「……ユウ?」
 それはぽっちゃりとした体格の、わたしほどじゃないですが背の低い男子生徒でした。薄汚れところどころ破れて修繕の痕のある制服で、髪の毛を寝癖でぼさぼさにした少年で……わたしは彼のことを良く知っています。
 アイが来るまで、たいていは学年一番の成績を収めていたその男子生徒。花畑家雄介というけったいな名前をした『ユウ』は、順位表の前まで来るとポケットに手を入れて、ここに来るまでにそうすることを決めていたかのような自然な動きで、アイの名前の上の落書きを消しゴムで消しました。
 「……あっ」
 アイがそれを見て口から息を吐きました。
 それから雄介はやや魯鈍な印象を与える緩慢な動きで無言のままきびすを返すと、その行為をはやし立てる声の中を立ち去って行きます。
 「……あれは」
 よくないですね。とてもよくないですね。わたしは絶対やりませんねあんなこと。自分の中の哀れみの感情を満たしたいなら、誰もいない時にそっとやるべきなのです。増して……あのやり方では誰も幸せになりません。
 「ユースケよ、おまえ。吸血鬼のこと好きだったりするの?」
 雄介くんは何故そんなことを言われているのか分からないとばかりに目を見開いて、「エ……エェ?」と、彼独自のどうしても他人の嗜虐心を煽ってしまう声を出しました。
 「葦原さん」
 わたしはさっきまでより強くアイの手を引きました。
 「さっさと引き上げますよ……なるべく迅速に。早く」

 いじめにあう人の特徴について考えてみましょう。もっとも身近なサンプルは、もちろんわたし自身です。
 この手の自己批判は二年生になって落ち着いた時間が取れるようになってから、何度もしました。どうして自分があそこまで酷い状況になったのか……知っておくことは重要そうでしたから。
 まず一つ。わたしは孤独な性質です。口下手で、気持ちを隠したり、相手に好かれる為に思ってもないことを口にしようとすると、笑われるほどぎこちなくなってしまいます。ぬけぬけと言いたいことをぶちまけている方が楽で、誠意に欠けることでも平気で言います。ですからなるだけ黙っている方が安全。つまり無口で協調性もなく話せば根暗ということになりますから、どうしたって人に好かれようがないのです。
 もう一つはよわっちぃこと。チビでいじめやすそうな外見をしている上、消極的で事なかれ主義ですから、攻めるに安しと思われてしまいがち。ですからわたしは、常に細心の注意を払った立ち回りを要求されるのです。……自己批判終わり。
 次に葦原アイ……これはわたしよりは悲惨ではないでしょうが、それでもられっこ的キャラクターには違いありません。キモいイタいサムいの三拍子揃った吸血鬼設定が目を引きますが、本当の弱点はそこではありません。
 奴は阿呆です。自分に悪意が向けられるなんて、想像することもできないような、昼行灯なところが彼女にはあります。吸血鬼として振舞えば本気で一目置かれると思っているほど純粋。腰が引けている癖、軽率で人をすぐに信じてしまい、感情的で傷つきやすくうろたえやすく、からかい安い。……ようするにおめでたい人なんですよね。
 その人懐っこさと邪気のなさがうっとうしいと思われてしまうと、もうアウト。その上で才色兼備でやたら目立ちまくるという……。運が良ければ受け入れられ、純粋な明るさで愛されるという道もあるのでしょうが、そう簡単には行かない場合ばかりです。
 そして三人目のサンプルケース……彼はわたしかアイかでいうと、おそらくアイに似ているでしょう。能力が高くよく目立ち……ですが本質は気弱で従順というタイプ。
 わたしがそんな風に一人思索に耽っていたのは、午前中の学年集会でのことでした。学力テストの結果に基づく、今後の勉学への取り組みについて……とまぁ、テストの結果を突きつけられた上から、釘まで刺されるという非常に気の滅入るスケジュールとなっていました。
 勉強のこと三割クラスでの立ち回りのこと七割でぼんやりと船を漕いでいると……唐突に隣のクラスの列から嬌声のような声が響き渡りました。
 「オマンコーっ!」
 それはあまりにも悲痛な、胸が引き千切れそうなくらい凄惨な叫びでした。
 『ユウ』こと花畑家雄介がそう叫んだのを見て、周囲のクラスメイトたちがけらけらと嘲るように笑っています。男子生徒特有の、下品なことを言わせる遊びの……相当酷い奴のようでした。
 雄介は今にも死にそうな顔をして俯き、周囲からの嘲笑の声に耐えています。体育館中は唖然として雄介の方にさすような視線を向け、何かいいたそうにじっと目を丸めていました。「サイテー」とどこかで声が響いて……後はもう傍で聞いているのも地獄のような、そんなささやきに包まれます。
 わたしは顔を伏せて、耳を覆いました。
 「今のなに?」「またユースケだって……キモーい」「言わされてるんでしょ? ……それにしたって……ねぇ」「悲惨だよなアイツ。マジ終わってるってカンジ」「っていうかよ。バカにされてるのは分かるけど、どうしてあそこまで従うかね? バカだろ?」「でもちょっとおもしろくない?」「分かるわ。もっとやって欲しい。退屈だもんな集会」「あいつもう死ぬんじゃねぇの? っていうか死んでくれないかな? あいついなくなったら俺の順位一つあがるし」「でもアイツ今回二位だってよ。吸血鬼に負けたとか」
 こんな感じの陰口が……明らかに聞こえよがしな大きさで、あちこちから聞こえてくるのです。その恐怖感は味わったものにしか分からない……世界中が敵に回っていて、その中で自分は既に完全に屈従させられていて、後はただなぶりものにされるだけ。自分がなぶられるのを、体育館中の人間が期待してにやにやと見詰めている……。
 生徒指導の先生が一括し……それで喧騒は止みました。すると今度は校長先生が……何事もなかったかのように勉学について話を再開します。……学問に王道はなし、ただひたすら、コツコツと努力せよ。耐え、忍び切ればその先に希望はあるはずだ……。
 今が本当に苦しいと希望なんて持てないんです。絶望した人間が一人で救われるのに、狂う以外に方法なんて、ありません。

 「ね……ねぇ。さっきのなんなの?」
 給食の時間中、おずおずとわたしにそう尋ねるのはアイでした。
 アイは先ほどの集計の一件の後、明らかに雄介のことを気にしてきょろきょろしてました。自分に対して向けられた中傷的な落書きを消しに来た親切な男子生徒……アイには彼がそんな風に写っているんでしょうね。
 「なんであの人、あんなこと言わされてたの? わたしへの落書きを消してたから?」
 「それはさほど関係ないでしょう。っていうかあなたやっぱりおめでたいですね。ひねくれものの視点から言わせてもらいますよ。あの落書きは教師にばれないよう後で消すため、シャープペンで書かれていたものです。つまり、あの落書きを消しに来たユウこそが犯人である……という風に考えられなくもなさそうなものですが」
 「そんなのってっ!」
 アイが憤慨したように言いました。
 「あなたは人を簡単に信じすぎるんですよ……。ユースケだって、いじめっ子に命令されればあなたに攻撃を加えてくるはずです。男子生徒の中では彼はもっとも悲惨なられっこですが、だからって無闇にシンパシーを感じていると裏切りに会いますよ」
 ……そう。裏切りに会う。
 「それは。わたしと葦原さんの関係にも同じことが言えます。それをくれぐれもお忘れなく」
 「違うっ! あたしは硝子ちゃんのことを裏切ったりしないっ。絶対にだよっ!」
 ……ずるいですこの子は。ここまで空虚な台詞を口にして、うそ臭くならないなんて。
 「ありがとうございます。……あなたは本心からそう言ってくれているのでしょうね。ですが、本当に追い詰められて裏切りを求められる状況になった時に、その気持ちは簡単に覆ります。それは決して気持ちの良いことではありませんが……仕方がないと割り切ることならできます」
 「じゃあ。硝子ちゃんはいつあたしが裏切っても仕方ないと、割り切ってるんだねっ」
 アイは目尻に涙を浮かべ、訴えるように言いました。
 「そんなのってないっ!」
 わたしは溜息を吐きます。
 「……あなたがわたしに感じてくれている友情に対し、失礼なことを言ってしまったのは謝ります。分かりました。そして……ありがとう。ですが、わたしのことを信用するのはやめてください」
 「どうして……」
 「裏切るからです。わたしは平気であなたのことを」
 「あたしは、硝子ちゃんがそういう人だと思えない」
 「思われてたら困るんですよ。答えることができませんから……。いいですか、実際にわたしは……過去に親友を裏切ってしまったことがあります。それもこっ酷くむごい形でね」
 わたしがそういうと、アイはさも信じられないというように……本当にバカですねこの子は……息をのみました。
 「小学生の頃です。ずっと昔のことのようにも思えますが……まぁほんの一年ちょっと前のことなんですね。わたしのクラスにはいじめがありました。首謀者はおなじみワイこと園山祝です。と言ってもその教室にはまだエックスのようなサディストはいませんでしたから、良くある無視とか陰口程度です。ですが当時のわたしはそれが、怖くて仕方がなかったんです」
 「……そうだろうね。分かるよ。どんな内容だって、いじめられてるって立場は、それだけで死ぬほどつらいもんね」
 アイが素直にそういいました。彼女はこういう弱音めいたことを、自分からは決して言いません。
 「しかしわたしはチビでノロマですからね。九月からはじまったそのいじめは、何人か違った被害者を取った上で……三学期になってわたしに向かいました」
 「……それでどうしたの?」
 「結局、わたしがいじめに会うことはありませんでした。……そのいじめは一人の生徒をクラスから除外することで成立しますから、誰か一人でも標的に味方がついていれば、非常にやりにくいんですよ。……わたしには親友がいました、彼女を仮に『エー』。エーと呼びます」
 エーはとても素敵な人でした。アタマが良くて親切で芯のある、わたしとは正反対みたいな女の子です。彼女がどうしてわたしと仲良くしてくれていたのか……今でも少しだけ不思議なんですよね。
 「エーはわたしを見捨てないでくれました。わたしはそれが無償に嬉しくて……エーが邪魔でやりにくかったのか、ワイはわたしをいじめることをやめました。エーの友情の勝利です。エーは本当に、優しくて、正義で、そして強い人でした」
 ……だけど。だからこそわたしのしたことは。
 「いじめなんかするような人間は、常にいじめなんかやっていないと死んでしまうようにできています。ですからワイもわたしの次に違う標的を見繕いました。ワイが自分に従わないものが嫌いなのはあなたも知ってのとおり……次の標的はエーでした」
 そこまで言うと、アイはわたしのしたことが、おおよそ察しがついたようでした。わたしは軽く微笑んでから、少しだけ露悪的な言い方でこう続けます。
 「ワイがわたしに、エーに対する背反を求めた時に……わたしはいっそ安心していたんですよ。とにかくこれで自分に対する攻撃は止むと。『エーのことをどう思う? 真面目ぶっていて空気読まないし嫌いだよね?』。わたしはこれに……喜んでうなずきました」
 エーが席を立っている時に、園山がわたしにそう声を掛けてきた時……わたしは最初驚いて何を言っているのか分かりませんでした。最初こそは俯いて耐えていましたが……脅迫的に繰り返される文言に、胸倉を掴んで要求される裏切りに……わたしは屈しました。エーから受けた恩も友情も忘れ、ただ怖かったからというだけで。あまりにも卑怯に醜悪に。
 「わたしにエーと同じだけのことをできるだけの強さはありませんでした。その時のエーこそは被害者です。わたしの裏切りでエーは精神的に陥落し……結局三学期の間中、再起することはありませんでした」
 ワイが『サコ、あんたのこと嫌いだって』とエーに付きつけ、わたしはワイににらまれてそれにうなずきました。その後わたしはワイに少しどやされただけで身動きが取られなくなり、関係の修復に望む勇気もないまま一年が終わりました。
 心は冷え切っていた方が、考え方はひねくれた方が楽でした。わたしは何か大切なものが心から抜け落ちていくような気持ちでエーのいない日々を送り、卑怯者のまま中学にあがって、その報いを受けました。
 「わたしが中学に上がるとき、最初のクラス編成でもっとも望んだのは、ワイのような生徒と同じクラスにならないことよりも……エーと離れ離れになることでした。もう彼女とは顔を合わせられませんでしたし、わたしはエーから一生逃げ続けたかったんです。ですが中一のクラス編成でエックスとワイとエーが揃ってしまったものですから、そこから因果応報的にわたしに対するいじめが始まりました。エーはもともと……強い子ですから。わたしのことなんて気にしなければ、どんなグループにでも属すことができます。もちろん、エーの攻撃は、報復を兼ねた執拗なものでしたよ」
 ここまで話して、アイはとてつもなく嫌な話を聞いたとばかりに、苦虫を噛み潰していました。
 いじめにあう人間のすべてが、アイのように清らかである訳がありません。攻撃を受ける恐怖を知るからこそ、隙あらば安全のために攻撃側に回る。だからわたしは、どんなにか酷い目にあおうと哀れみを請うことはできません。被害者面なんてとんでもない。
 そんなわたしをどうぞ軽蔑してください……と、開き直ることができればよかったのですが。わたしは拳を握り締めて震えていました。こんなことを話して、アイに嫌われてしまわないだろうかと……。
 なんでそんなこと、今更気にするんでしょうね。
 この子があまりに純粋にわたしに好意を持つのがいけないのです……わたしはそう思いました。彼女の純粋な笑顔はわたしを狂わせる。冷徹で合理的なプレイヤーであろうとするわたしに、感情というものを思い出させようとしてくるのです。貫き通せないなら、そんなもの持っていても醜悪なだけなのに。
 「硝子ちゃんは悪くない……とは言えないと思う」
 アイはそう、つぶやくように言いました。
 正直な奴ですね……わたしはアイに微笑みかけます。
 「悪いとか、悪くないではありません。そんなことは気になりません。教室は修羅の国です。どんな手を使ってでも、わたしは生き残ります。だからあなたのことも裏切ります、平気で」
 「……自分に開き直るのはダメだよ。硝子ちゃん、本当はそんなことしたくなかったんでしょう? だったら、したくなかったって、ずっと言い続けなくちゃ。したくなかったのにって……次こそはって。言い続けなくちゃ」
 「正論ですね。あなたが正しいです。しかし誰もが正しいことを実行できるほど強いんじゃないんです。だから次こそはなんて言えません。約束できません」
 ですが。
 「もちろんあなたのことを積極的に裏切りたい訳でもないんです。裏切るのはエネルギーが要りますから。だからせいぜい、上手く立ち回ってください」
 お願いします。
 「わたしのために」
 アイは何も言いませんでした。彼女のような真っ直ぐな人間には、納得できないこともあるでしょう。罪を看過しないのはもちろん人の自由ですし、わたしの在り方は欺瞞に満ちています。言いたいことも、気に入らないことも、アイにはたくさんあることでしょう。
 もしかしたら……これで終わりかな。わたしはそう思い……寂しくなりました。それは最早、意外でもなんでもないことでした。
 「話してくれて……ありがとうね」
 しかし、アイはそんな風に言いました。
 「話してくれてありがとう。硝子ちゃん、本当はつらかったでしょう?」
 「なんですか。それ」
 わたしは首を振りました。
 「意味が分かりません……」
 その時、チャイムの音が鳴り響きました。

 給食はほとんど食べられませんでしたが、アイが間食を用意してきたというので、いつもの場所でいただくことにしました。さつまいもチップスと水筒のお茶。
 アイはわたしの告白に対し、明確な答えは出しませんでした。
 もしかしたら、わたしは彼女に過去の過ちを許して欲しかったのかもしれません。ですが、そんなことはエーにしかできないはずで……さらに今度は誰も裏切らないと約束する必要もあるでしょう。アイはわたしの行為を批判しましたし、今のわたしのあり方にも苦言を呈しています。
 それらを含めて、アイはわたしとの友情を続行してくれるようでした。それはありがたいこととしか言いようがなく……わたしは感謝してアイのサツマイモチップスをパク付きました。甘くて安心する味です。
 「あたしはね。硝子ちゃんがあたしのことを友達だと思ってくれている限りは、あたしも硝子ちゃんの友達でいたいの。何があってもね」
 「昼行灯のあなたらしい考え方です。でもね、そういう人はたいがいは『友達』の言葉を後ろ盾に、都合よく利用されて捨てられるものなんですよ」
 友情には友情で答える、対価を望まない。それは友達を選ばないということにつながり、だからその関係は希薄でご都合的なものとなりがちです。わたしは彼女のことは好きですが、アイとははじめそういう関係を望んでいました。そういう関係にしかできないだろうとも。
 「あはは。そんなことする人は、あたしのことを本当に友達だなんて思ってくれてないって。そういう人は、あたしだって嫌い」
 覚えがあるような言い方で、アイは少しだけ空虚にそういうと
 「でも硝子ちゃんのことは好きだよ。硝子ちゃんはちゃんとわたしのこと、大切な友達として見てくれてるから」
 「友達だと思ってますよ。捨てる準備も捨てられる準備も万全ですがね」
 そんな空虚なやり取りをして……チャイムがなり終わるのを聞いて立ち上がります。つかの間、休息でした。
 その時。わたしは目がなれた暗闇に油断して……足元のダンボールに滑ってぺたんとその場で転んでしまいました。またひさしぶりにノロマを発揮したなと思いながら、起き上がろうともがいていると
 「はい。硝子ちゃん」
 と、アイが自然にこちらに手を差し伸べてきました。
 ……そう言えば、最初に彼女に友情を持ちかけたのは、わたしだったような。そんなことを思い出しながら、わたしはその手をつかみ返しました。

 下校時間というものは安堵と幸福に満ちていなければなりませんが、その日は違いました。
 他のクラスに遅れること数分、アイと連れ立ちながら教室を出てそそくさと逃げ帰っていると、校舎の一階を歩いている途中にわたしたちはそれと遭遇しました。
 二人の背の高い男子が、神輿を担ぐかのように一人の男子生徒を肩に抱えています。彼らの周りには男女問わず大勢の観客が押しかけていて、とうてい間を縫っていけるような状態ではありません。靴箱にいたる廊下の前に陣取ったその神輿を注視すると……案の定持ち上げられているのは『ユウ』こといじめられっこの雄介でした。
 わたしたちの学年の男子の間では『ユースケにするぞ』という文言があります。気弱な男子生徒を一発で従わせる効果を持つこの言葉の意味は、学年一のいじめられっこの雄介のように酷い目にあわせるぞということなのでした。
 では『ユースケ』にされた男子生徒がどんな目にあうと言われているのか……それは目の前で展開される光景を見れば誰だって理解できます。
 ユースケはズボンを脱がされ、パンツを頭からかぶせられた悲惨極まる状態で、二人の男子生徒に抱え上げられていました。むき出し状態でさらし者にされた尻には、何か黒いもの……おそらくマーカーが突き立っています。
 わたしは息を呑んで、呆けた状態でその場に突っ立っていました。
 それを見た生徒は、一度は誰もがそうなるでしょう。たいていの生徒は俯いたまま背を向けて立ち去っていくか、はやし立てるようにして集団の中に混じっていきます。わたしはいっそ吐き出したいような気持ちになりながらも……すぐにその場できびすを返しました。
 ……ダメだ。何かできると思ったら絶対にダメだ。わたしは合理的で冷徹なプレイヤー、今すぐアイをつれてここから離脱するべきなのです。
 「なんか字ぃ書かさねぇ?」
 男子の一人がそう提案する声が響きます。彼が雄介にさせようとしていることが、わたしには鮮明に想像できました。どんな卑猥な単語を書かされるのか……それはいったいどれだけ無様な姿なのか。
 「あんなのって……」
 アイが口を被ってそうつぶやきました。
 「ちょっととめてくるっ!」
 ……っ! そう言って、アイはわたしの傍から離れて集団の方に飛び込んでいきました。
 「この……阿呆っ!」
 わたしは振り向いて集団に紛れていくアイを追います。いじめ会場の盛り上がりは最高潮……そこにアイなんかが加われば先は地獄でしかありません。
 どうしてもアイをとめなければなりませんでしたが……わたしはその姿を見て足を止めてしまいました。
 いじめに加わっている集団の中に、隣のクラスに在籍したあのエックス……江楠まゆき野姿がありました。わたしの深層心理にはっきりと刻まれたその恐怖に、わたしの足は止められてしまったのです。
 フラッシュバックという言葉があります。過去のトラウマが、ふとしたことでよみがえる現象の事を指します。
 両親にも話していないことなのですが……わたしはしばしばこうした幻影に苦しめられていました。ただエックスのみを学校で見かけても、あまりそういうことは起こりません。ですが、この酷いいじめが起こっている場で、自分がいじめを受けていたあの時の空気そのままの場でエックスを直視したことで、わたしはふらついてその場で膝を付いてしまいました。
 「やめなさいっ」
 アイはそう言って、集団の中に飛び込んで、静止を呼びかけます。
 「何してるのか分かってるの? どれだけ人を傷付けてるか……最低よっ!」
 「吸血鬼じゃん」
 エックスがせせら笑うように言いました。
 「おい捕まえろ」
 傍ではやし立てていた男子生徒の数人が、そこですかさずアイの方に飛び掛ります。アイはそこでようやく恐怖を覚えていたようでした。
 「ちょ……ちょっと。あたしが誰だか分かってってやってるの? あたしは不死身の……」
 「はい吸血鬼いただきましたっ、ホントバカだしこいつ。ねぇユースケになんか書かせるんだったら、こいつの顔がいいんじゃない? きゃははは」
 エックスがそう言って高笑いします。相変わらず人を傷付けることを考えさせたら天才的です。わたしは当時の恐怖を思い出して身震いします。
 捕らえられたアイ。それに、四肢を拘束され持ち上げられ、抵抗する意思もなく太った顔を泣きはらす雄介。顔は恥辱と恐怖で歪んでいて、世にも醜悪で哀れに見えました。
 「……帰ろう」
 わたしは蒼白で立ち上がり、首を振るいました。
 「備えていたことが起こっただけです。こんなことが起きたら迷わず見捨てると決めていたではないですか」
 ……自分でとめに入る? どうやって? エックスに話でもつけるか? 消火器でも振り回して……。
 「自分が傷つくのは嫌ですよ。ここで感情ずくに動いても後悔するだけです。人助けは自分に一切害のないところでしかしないのがベスト。ここはまぁクレバーにですね……」
 ……先生を呼びにいく? 間に合うのか? こんな異常事態が起こっても放置されているような学校だぞ? 止めることが可能な人物をつれてくるのに、一体どれだけの時間が……。
 「何をしているの? 榊原さん」
 と、そこで階段から降りてきた人物が、その場で蹲るわたしを見て言いました。
 「あらあら……予想はしてたけどたいへんなことになってるわねぇ。ま……私は学級委員だけど、『自分のクラスで起きた問題』じゃないから直接関わる必要はなし。でもまぁ先生に連絡くらいはしておきましょうかね……言っても連れて来られるかは分からないけど」
 その人物……樋口英子さんはその無残な状況を見ながら冷静にそうコメントし、わたしに背を向けました。
 「吸血鬼ちゃんを見捨てるなら、素直にそうすれば良いの。どうせあなたには何もできないわ……」
 それから樋口さんは、わたしの方を軽く振り返って、にっこりと笑いました。
 「そっちの方があなたらしいわよ、硝子ちゃん」
 それから樋口さんはその場からゆっくりと立ち去っていきました。職員室に向かうのでしょう。
 わたしはその場を立ち上がりました。
 「……そう。そっちの方がわたしらしい……」
 雄介の後門に突き立ったマーカーが、羽交い絞めにされた蒼白のアイの前で微調整されます。雄介の体ごとマーカーを操作して、アイの顔を汚そうという試みでしょう。
 「アイとの友情ごっこももう終わりでしょうね。あんなことになって助けず見捨てたんですから……まぁ気まずくって顔は合わせられません。いつかはそうなると分かっていたこと。わたしにとってそんなのは……」
 そんなのは……。
 「……嫌だ」
 嫌だ。……アイとの友情を失うなんて、そんなのは嫌だっ!
 わたしは抱え込んでいた頭から両手を振りほどき、そのまま転びそうになりながら現場に飛び込んでいきます。
 最初に反応したのはエックスでした。エックスはわたしの顔を見ると、恐怖したような戸惑ったような顔で後退ります。リーダーを失った集団は僅かにたじろぎ、しかし異物を排除する目つきは維持してわたしの方を見詰めていました。
 この状態から、アイと雄介を救い出すわたしにでもできる方法……。
 わたしは集団のすぐ近くに、消火器を見つけていたことを思い出しました。刺すような視線を浴びながら、わたしは心臓を高鳴らせ消火器の傍の火災警報装置に向かって走りこみます。
 皆の見守る前で、わたしは表面のガラスごと警報装置のスイッチを、ぐーで叩き押しました。
 警報音が鳴り響いて、一団は驚愕に顔をゆがめながらも、雄介とアイをそれぞれ開放してしまいます。リーダーのエックスがわたしの方を見ながらその場から逃げ出したのを皮切りに……集団は蜘蛛の巣を散らしたようにその場から去っていきました。
 「……硝子ちゃん?」
 真っ赤になって汗を流すわたしに、おびえた顔をしたアイが心配そうに声をかけました。
 「葦原さん……。もう、大丈夫……」
 わたしは薄く微笑んで、その場にへたり込みました。
 そしてそのままブラック・アウト。わたしはその時、恐ろしく緊張していたのです。

 4

 「榊原さん。こないだの学力テストどうだった?」
 と、そう尋ねたのは進路指導の先生です。わたしは身を硬くして俯いたまま、ぼそりと「390ポイントでした」と言いました。
 そうはいってもその手の基本的なデータはすべてプリント化されているはずで、わたしの口から言う必要はないように思われます。教師とか上司とか先輩とかがたまにする、分かりきったことを相手に反復させるやり方がわたしはあまり好きではありませんでした。
 二年生になって行われるのは二度目となる学力テストですが。一年生の時の事件を乗り越えて精神的にも安定してきたというのもあり、わたしにしてはそこそこ調子の良かった390です。
 「390ね。B高校なら『ふつうに受かりそう』ってくらいよね。決して『楽勝』とか『安心』って数字じゃないわ。特進は絶対に目指さないでね。あなた文系が得意なようだけど、B高校に行くなら理数系の方が大事よ? あなたは問題行動があるから、もうちょっとがんばった方がいいわ」
 校内暴力および、警報装置に対する悪戯。これらの行為は、決して少なくないダメージをわたしの内向書に与えるはずです。
 「中間期末は九割近く、取るようだけど……。下手に良いところを受けて落ちられても、進路指導担当としては困る訳よね。はっきり言って、今は一つランクを落としておいた方が、指導しやすいの」
 それを聞いて、わたしは口をあけて顔を上げました。
 「……そうなんですか?」
 「もちろん。成績がよくなるとか、あなたの素行が改善されるようなことがあれば、これまでの志望通りB高校も十分に狙えるの。月並みな言葉だけど、最終的に決めるのはあなただから。だけど先生としての意見は……あなたにはC高校あたりが安牌かなぁって」
 わたしに通えそうな範囲に、進学校と呼べそうなのは以下のとおりです。
 まずは私立A高校。これはいわゆる本当に才能のある人や、志の高い人が通うところ。雲の上なのでここははじめから勘定に入れていません。雄介くらい成績がよければ或いは、というところ。
 次に公立B高校。これは中堅上位の公立進学校で、学力テストのポイントは最低ラインでも350。これに、部活動での功績、内向点などが加味されます。わたしの場合は後者にやや不安あり、と進路指導の先生に懸念されているようでした。
 もう一つ落としてC高校。A高校やB高校ほどじゃありませんが、良質な大学への進学を目指します。要領良く趣味と勉学を両立させ、上位から中位あたりの成績をキープできる人なら、入学はそう難しくないでしょう。
 次にD高校ですが、部活動も盛んで評判も高く、そこそこ進学率が良い割には案外誰にでも入れるとのこと。わたしたちの中学でも、上位から下位まで幅広い進学先として人気があります。
 「榊原さんは成績はまずまずなんだけど、部活にも目立った委員にも属してないのがね。それだけならまだしも、ちょっと色々やらかしちゃってるのが、致命的にまずいの」
 「……はぁ」
 「B高校を目指すなら、もう一つってところかな? まだ二年生だし……今からでも何かしてみる? とにかく、もうちょっとがんばってくれた方が先生としては安心できるかなぁなんて……。もう時間ね、じゃ、そろそろ次の人」
 割と批判的な意見をもらったようで。わたしはとぼとぼと進路指導室を去りました。
 わたしと入れ替わりで、出席番号の前後する生徒が進路指導室に入っていきます。本日の午後の授業は期末テストの自習を行いながら、出席番号の順番で生徒指導ということになっていました。
 教室に入ると……教師がいないのをいい事に、自習もせず三々五々にしゃべくっていた生徒たちの視線が、わたしの方に向きました。警報機の一件があって以来、わたしに注がれる視線は三割増し程になっていたのですが、本日のそれはいつもと少し違いました。
 ……なんというか。好奇心や嘲笑ではなく、もうちょっと強いベクトルの悪意なんですね。バカにされているのとも違う、恨みとか憎悪とか、そういったものさえ感じる嫌な視線……。
 唐突に、わたしの頭に紙のつぶてが投げつけられました。
 それなりに硬い紙によって作られているのか、或いは中に何かが入っているのか。それを喰らったわたしは思わずたじろいで、頭を押さえました。見ると、既に進路指導を終えた出席番号の若い女子生徒を中心とした数人が、束になってわたしの方を睨んでいました。
 「……あんたの所為で。あたしらの進学まで厳しくなるんだってさ」
 と、その中では中心格らしい女子生徒がわたしに向かって言いました。確かワイのグループの二番手くらいの人だったと記憶しています。Yに次ぐものとして仮にZ、ゼータと呼びます。
 ゼータは立ち尽くすわたしにもう一発紙のつぶてを投げつけてきました。それをかわすほどの反射神経を持たないわたしは、相手の狙いどおり左目にそれを受けてしまいます。
 「先生から聞いたわよ。去年は学校に警察を呼ぶような事態が起こったから、その所為で推薦が受けにくくなるんだってさ。聞いてる? あんた一人の為にあたしらの進路まで被害をこうむるの? 分かってる」
 「申し訳ない」
 わたしはなるだけ媚びないような口調でそういいました。
 「謝って済む問題じゃないでしょ? このチビ。っていうかあんたなに、暗いのよね? こないだも良いところでやって来て警報機鳴らすし、アタマおかしいんじゃないの?」
 わたしは黙って身を翻しました。それから自分の席に戻ろうとすると、机に落書きがされていることに気付きます。『キチガイ。チビ。学校くんな』わたしは意を決して、ゼータの方を向き直りました。
 「あれ? 怒った? 迷惑ばっかりかけるキチガイの癖に一丁前に怒った? へぇ? じゃ、これからも色々嫌がらせしてあげるから。あたし志望校一つ落とせって言われちゃったの。まだ二年生なのに。本気で許さないんだから……っていうかあんた後でトイレに」
 「チビで悪かったですね」
 わたしは両手で自分の机の両端を掴んで……力一杯持ち上げました。
 ゼータの後ろで見物していたワイが、息を呑んだのが分かります。彼女はわたしがこういうのをやらかすことを、知っていますからね。
 「ちょっとあんた……チビの癖に喧嘩売って……」
 「確かにわたし、チビです。力だってそんなにありません」
 と、わたしは机を掲げたままゼータににじり寄ります。
 「でも机の重さにそんなの関係ありません」
 言って、わたしはゼータの足元に自分の学習机を放り投げました。
 ゼータは膝にわたしの机を喰らって、大げさにその場に転がりました。それから恐怖したような表情で、わたしの方をじっと見詰めています。蜘蛛の巣を散らすように周囲の取巻きたちが場を離れていきました。わたしがもう一度机を持ち上げると、中からばらばらとテキストがこぼれ、わたしとゼータの足元に降り注ぎます。
 恐怖に塗れたゼータの頭の天辺に、それを力いっぱい叩きつけてやろうとしたその時
 「やめてっ」
 凶器を持っておそらくは結構怖い顔をしていたわたしに、命知らずな女生徒が飛び込んできました。
 「やめて硝子ちゃん……。もう十分だよ、これ以上暴れたって意味ないよっ!」
 わたしの胸にすがり付き、静止を促すのはアイでした。わたしは全身の力が抜けて、机を取り落とします。すごい音がして地面に机が転がり、周囲の生徒が後退ります。
 ゼータがびくびくとした様子でその場を立ち去ったのを見届けて……わたしは安心してその場に膝を付きました。アイはわたしの様子を察してか、同じ目線まで来て肩を抱き、アタマに手を当ててくれます。
 「怖かった……」
 なるだけクラスメイトの前で弱みを見せてはいけないとは思うのですが……わたしは嗚咽を漏らすようにそういいました。アイは「大丈夫、もう大丈夫だから……」とわたしに声を掛けてくれます。
 またいじめの標的にされるのかと思った。わたしはいつだって怯えています。びくびくと回りの顔色を伺って、自分に降りかかる火の粉は多少無茶なことをしてでも払っておきたい。ああいう風に明確な悪意を向けられて、冷静ではいられなくなっていたのでしょう。……荒事は得意じゃないのです。
 「なに……すごい音がしたけど」
 教室の出入り口から、担任の先生が顔を出して言いました。机に座って自習をする姿勢の学級委員さんが、涼しい顔をして言いました。
 「榊原さんです」
 クラスメイトたちが一斉にうなずきます。アイは戸惑ったようにわたしと先生の間で視線を泳がせますが、わたしはすぐにその場を立ち上がりました。
 「またあなたかしら。もう勘弁して……。今すぐ職員室に来なさい、お話がありますから」
 「……はい」
 わたしは黙って俯いて、担任の先生の後ろをとぼとぼと歩いていきました。

 どうも完全に問題児童として認識されてしまったらしく、先生のお説教は放課後をまたいで行われました。
 わたしの唯々諾々とひたすら頷いている態度も良くなかったようです。はっきりしないとか、聞き流しているとか、そういう印象を与えてしまうようでした。
 「手ごたえがないのよね、あなた」
 先生はこめかみに手を当てて言いました。
 「馬耳東風というか……。自分が何したか分かってる? さっき葦原さんが来て話を聞かせてくれましたが……それにしても、ねぇ? もうちょっと穏便にできないのっていうか……そこまでキレるのはおかしいわ」
 「もっともです」
 「あなた自制心とかそういうのってないの? 子供じゃないんだから、何事にも節度を持って。癇癪を起こせば良いってものじゃないの。それができなければ、これからもずっと鼻摘みものよ?」
 「そのとおりだと思います」
 「だったらきちんと考えてから行動しなさい。……今日はもう帰っていいわ。くれぐれも今後は問題を起こさないでね」
 わたしは立ち上がって、首だけで挨拶をしてその場を立ち去りました。職員室の空気はあまり好きではありません。仕事をしている人の喧騒というか、ぴりぴりした感じがなんとも。
 教室を出ると……そこには葦原アイがわたしのことを待っていてくれました。何やらぽっちゃりとしたお友達を連れて。
 「あの栄えあるT大学の入学テストで、こんな問題が出たらしいんだ。是非とも、葦原さんにこれを考えて見てもらいたい」
 そうアイに仰々しく口にしているのは、こないだの『ユウ』こと花畑家雄介でした。今までのものより少しだけ明るくなった表情で、自分より背の高いアイに向かって興奮したように話しかけています。
 「ふふん。サルバシオ魔法大学で数学を専攻したわたしに、解けない問題はないわ」
 魔法大学なのに数学専攻しちゃったんですか。あなた。
 「博士号も持ってるわ」
 「ははは、そりゃ頼もしいな。で、問題はこうだ……円周率が3以上であることを証明せよ……どうだい? エレガントだろう、キミならどう考える?」
 何が『えれがんと』なのかはよく分かりませんが……できる訳ないでしょうそんなもん。
 そもそも円周率というのが、どのようにして計算されたものなのかを知る必要があります。数学の苦手なわたしじゃなくても、そんなもん知ってる訳がありません。
 「……うーん。わたしだったら、いったん、円を短い直線が集まってできた、正多角形だと考えてみるかな」
 ……へ?
 「例えば正六角形なんかは、正三角形が六つ重なってできてるから分かりやすいね。正六角形を構成する正三角形の一片の値がr。正六角形の外周はこのrが六つ分だから6r。そして、本来の半径rの円の円周の長さは2πr。ところで正六角形の外周6rは、同じ直径の円の円周2πrよりも小さいはずだよね? 円の中に正多角形はすっぽり納まっちゃうから。よって、2πr=6r以上、円周率πの値は3よりも大きい。どうかな?」
 ……な。なんか納得できちゃいましたよ? アイの口から為になることが聞けるなんて、思いもしませんでした。
 「うぃひひっ。完璧な答えだよ葦原さん」
 ……なんですか今の笑い方。
 「いやぁ葦原さんはすごいなぁ。うぃひひっ。さすがだよ。僕はね、難しいと言っても複雑なだけの問題よりも、こういう見ただけでティンと来るような、一見して解きたくなっちゃうような問題の方が好きなんだよね」
 「それ分かるなぁ。考えるよりも、思いついて解きたいよね。こういう思いついてすっきりするような問題? 用紙に計算式一杯書いたら解けるようなのはね。手間を書ければ解けるなら、解いても嬉しくないし」
 「うぃひひっ。気があうじゃない、僕ら」
 そう言って嬉しそうに笑いあうお二人。……アタマよさそうな会話しやがってからに、仲良いですね。
 アイと話して、雄介くんはそのふくよかな顔を嬉しそうに歪ませています。アイは美人でスタイルも良いですから、男の子としては一緒に話せると楽しいのかもしれません。乳がでかくてツラがよく、アタマが軽く人を信じやすい、懐きやすい女……うっわ理想的。メンヘラですが。
 とりあえずなんとなく思ったことがあったので、わたしは二人の間におずおずと入っていき、雄介に向かって言いました。
 「人の話し方や笑い方に難癖をつけるのはよくないですが、客観的に見てあまりその笑い方は『えれがんと』じゃないです」
 「うぃひっ?」
 雄介はショックを受けたようでした。
 「というか美人の葦原さんに鼻の下伸ばしてるように見えますよ。あなたに他意はないでしょうし、お話しながら笑っているだけなんでしょうけど……。それ、キモいとまでは言いませんが、キモいです」
 「……女の子にそう言われるのはしょっちゅうだが、これは堪えるな……」
 雄介は大ダメージを負ったようにうなだれました……やっべやらかしました。わたしは口汚いんだから、アイ以外にはもっと慎重に喋らないと……。
 「ちょっと硝子ちゃん……それは酷いっていくらなんでも。雄介くんは硝子ちゃんが……」
 「もう名前呼びですか。仲睦まじいですね。ところで葦原さんにはちょっとお願いが……」
 こないだのあの一件があってから、アイと雄介は知人と呼べる関係になったようでした。雄介の方はあれだけの酷い姿をアイに対して見せてしまっていますし、アイの立場からしても顔を合わせにくいものがあったでしょう。本来ならばかなり気まずい関係になってもおかしくないのですが……そこはアイの無邪気さがカバーしたようです。
 もっとも。雄介に恩を感じていたアイと、その恩に答えて助けにはいったアイですからね。お互いのことを尊重し、気遣い合うくらいのことはできたのかもしれません。
 例の一件の後も、雄介に対するいじめ行為はやや下火になったとは言え続いていますが……雄介の顔が少しだけ元気になったように見えるのは、アイと仲良くなったお陰でしょうか。
 ……なんだか。こんなんでも友達を取られたみたいで、気に入らないところがなくもありません。
 「こ。こんにちは、榊原さん。その……こないだは、どうも」
 雄介がどもりながら言うので、わたしはつい目をそらして、突っぱねるように言いました。
 「勘違いしないでください」
 「へ?」
 「別にあなたを助けようとした訳ではないんですから。あそこにたまたま警報装置があったから押しただけですし、押していじめっ子たちに効果がなければそのまま逃げてます。あくまで見捨てたら夢見が悪いって思ったから押しただけで、あんなのはただの自己満足です。それを何かの親切だと勘違いされたら困ります」
 わたしがそこまで捲し立てると、雄介は「ツ……ツンデレっ?」とつぶやいてから、アイの方を見ます。
 「硝子ちゃんこういう子だからね……。でもかわいいでしょ?」
 アイが笑顔でそういうと、雄介は「うぃひっ」と頷いてから
 「そうだね……。ちっちゃいのに勇気があって、すごい」
 と、何やら変な視線をこちらに向けました。
 意図が読めず……わたしは混乱してしまいます。
 「……とにかく。葦原さん、花畑家君もですよっ。あなたたちに頼みがあるんです」
 「なに? いいよいいよ、何でも言って。ふふ、硝子ちゃんに頼まれちゃった」
 「ぼ、僕に頼み? いいよ、な……なんでもは無理だけど……」
 いちいち大喜びする奴といちいち緊張してどもる奴……。られっこの第一条件って、やっぱりコミュニケーションのやり方ですよね。無口で無愛想なわたしに言えることではありませんが。
 「勉強を教えて欲しいんです」
 「……勉強?」
 「ええ。今日はもう遅いのでまた今度でいいです。学年主席と次席のあなたたちになら、できるでしょう?」
 「いいけど……硝子ちゃんふつうに成績良くなかった?」
 ……だから自分より下のものを褒めても嫌味なだけだとあれほど……わたしは咳払いして
 「例の警報装置の一件で先生に目を付けられてしまいました。よって内向書に大きく響くんです。このことはあなた方にも無関係ではありませんから、拒否権はありません。おとなしくわたしの勉強を見なさい、そして成績をあげなさい」
 「もっと素直に頼めないのかな……」
 雄介が下を向いてぼそりと言いました。……分かってますよ。
 「それなら僕も……最近成績が下がって親に殺されかけたから、やるよ。葦原さんと、勉強会しようって話になってたんだ。だからその席で、榊原さんにも教えてあげられると思う。もちろん、できる範囲で」
 「それはありがたいのですが……。成績下がった? あなたこないだの学力テストなら、点数的には全然いつもどおりというか。英語なんて全国的にも高得点だったって噂じゃないですか。アイより上でしたし……それがどうして?」
 雄介は軽く、本当にかるーくアイのほうを一瞥してから、少しだけ遠い目をして言いました。
 「……総合点で学年トップじゃないと納得してくれないんだ。親が」
 さいですか……。
 わたしが彼女の方を見ると、アイは「ほえ?」と視線を向けられた理由が分からないとばかりに首を傾げました。今の一連の流れで自分の所為だと気付けないものですかね……栓のない話なんですが。
 「じゃあ明日は昼までで終わりだし……その後にでもどうかな?」
 以外とリーダーシップのある雄介がそう取りまとめました。
 「いーねっ! べんきょーかい、楽しそうっ! わたし何もってこようかな? 雄介くん、ポケクリはやるの?」
 「葦原さんはあまり騒がないでくださいね。……あと持ってくるって、わたしの家にでも来るつもりですか? まぁいいですけど……」
 こうして。翌日は雄介とアイと三人でたいそう盛り上がりました。
 それが柄の間の休息だったことは……わたしたちの置かれている立場を考えれば、もちろん当たり前のことだったんですけどね。

 学校生活は表面的にはそれなりに平和に、特にこれといって大きな事件がないままに進みました。
 アイに対する陰口は、わたしたち二人に対してのものにもなっていましたが、しかし正面切って嫌がらせをしてくるような輩は減っていました。代わりのように机の落書き、上履きへの悪戯などが増えましたが、そういうのは気にしなければなんとかなるものです。
 「いったぁっ。硝子ちゃん気をつけて、画鋲っ、画鋲入ってるっ! あたし吸血鬼だから無傷だけど、硝子ちゃん危ないっ!」
 「とっくに取り除きましたよ……。というか、んな古典的トラップに三回も引っかからないでください。わたしはそういうの、二回ずつチェックしてから履くようにしてますから、まだ足の裏には一箇所しかケガをしていませんよ。えっへん」
 「硝子ちゃん、それ胸を張るところじゃないっ!」
 なんてまぁ適度に茶化しながら、実態の見えない敵からの嫌がらせを乗り切っていました。わたし一人ならもうとっくに参ってしまっていてもおかしくはありません。こうなってくると、共に戦う友達がいることは、本当にありがたいことなのだと実感しました。
 どうやらわたしは本気で一部の生徒から睨まれているらしく、いつ取り囲まれてフクロにされないか、びくびくしながらの毎日となります。敵が見えないというのは本当に厄介です。もっとも、敵の首謀者が誰なのか、それが分かったところでわたしに何ができるかという話なのですが。また苦手な荒事をしなくてはならないことを思うと、しばしば泣きたい気持ちになるのでした。
 そして気になるのはユウこと雄介の動向……彼に対するいじめはわたしたち女子の陰湿なものとは違う、もっともっと乱暴で危険なもののはずです。それを雄介が乗り切れているのか、たまには心配してやりたい気持ちにもなるのでした。
 「うぃひひっ。大丈夫大丈夫。榊原さんのお陰か知らないけど……随分マシになったから。それに、こっちにされる言われはないんだから、堂々としてれば良いんだよ」
 雄介はそう言ってからからと……いえ、うぃひひと笑いました。
 「へぇ。強がりにしても……根性あるんですね。でもなければ、あんな環境であの好成績を維持はできないってものですか」
 「いや。僕の場合は勉強に逃避してるみたいなもんなんだ。小さい頃からそればかりさせられたから、呼吸してるようなもんでね。うぃひひ、結構落ち着くんだよ」
 「うらやましい感覚ですね……」
 そんな会話を二人でしていると、「やっほー」とアタマの悪い声で挨拶をしながらアイが現れました。
 「遅いですよ。その豊満なものが重いから、遅れるんだっていつも言ってるでしょ。Eですか? Fですか? わたしがもいであげますから、そこでじっとしててください」
 「だから何をもがれるのあたし?」
 そんな会話を聞いて、雄介がうぃひひと笑いました。
 三人で一緒にいると、雄介とアイが二人でオタクっぽい漫画やアニメの話をし始めてしまうので、わたしは少し退屈になり、ちょっといじけたりします。アイから半ば押し付けられた本やDVDのお陰で、ある程度付いていけるようにはなったのですが……今はそういう話をする気分じゃないので、わたしは先手で切り出しました。
 「そう言えば。花畑家くんと葦原さんは、どちらの高校に行かれるんですか?」
 すると、アイはにこにことした表情で、当然のように答えました。
 「硝子ちゃんと一緒のとこっ!」
 「ふざけるのは止しなさいこの昼行灯。わたしはそういう、おおよそ守られない約束がなされるのを教室で聞いて、寂しい気持ちになるんです。わたしと葦原さんじゃ成績が全然違うでしょうが」
 「いやいや。それがあながち、空約束じゃないみたいなんだよ」
 と、雄介が含みありげに言いました。
 「僕はA高校を目指すんだろうけど……はっきり言って今の成績じゃキツいからね。B高校で妥協しても良いと思ってる」
 「え……。花畑家くんがですか?」
 「そう。A高は本当に厳しいんだ。親はそこでも前期で受かって、一番の成績を取れっていうんだろうけど……。無茶は無茶だ。きっとB高校に行って、学業賞でも狙うことになると思う。僕はがり勉だけど凡人だから、それも厳しいが」
 「でも、葦原さんなら……」
 「うんっ。あたしはA高は無理っ!」
 「どうして?」
 「私立は高いっ!」
 アイはからからと笑いました。
 「葦原さんは才能はあるけれど……お家はそんなに裕福じゃないらしいんだ。前に私立中学に通っていた時も、親にだいぶ無理を言ったらしくてね。それが一年で中退しちゃっただろ? 高校からは公立にしろって言われてるんだ」
 「どうしてその話を先にあなたが知ってるんですか?」
 「え……あ。いや」
 わたしが訪ねると、雄介はあからさまに目をそらしました。アイはどこか楽しそうに
 「こないだ一緒に映画見に行ったのだ。魔法少女エクス・マキナのっ!」
 「ああ。あなたたちの大好きなアレですか。金髪の子の首から上があーなるシーンしか、印象にありませんけど……」
 っていうかわたしハブられてません? どうして誘ってくれないんでしょうか……いや付いていったか分かりませんけど。ぐす、オタトークに加われないわたしに用はありませんか……そうですか。
 「ち。違うんだよ榊原さんっ。僕も彼女も公開初日に見にいったものだから、映画館でたまたま居合わせてさ。それで一緒に見たってだけで……」
 「カノジョですか。それはまたまぁ、シャレオツな言い方で……」
 「ええっ。そんな、えっと、そういう意味じゃ……」
 「それで……。葦原さんはどこの高校を受けると?」
 「今から決めてる。B高校っ! 硝子ちゃんと一緒のトコねっ」
 「あなたが入ることで花畑家くんの学業賞が実現困難になるんですがね……。っていうかわたし、まだB高校を受けられると決まった訳じゃありませんよ」
 先生からはランクを落とせと言われていますし。これからおとなしく過ごすことができたとしても、この時期に起きた汚点は消せません。両親はどこに入ってもかまわないと言ってくれますし……わたしの成績じゃぁ、C高校あたりでやっていくのがちょうど良いのかもと、最近少し思い始めて……。
 「先生の言うことなんて気にしちゃだめだよっ。決めるのは硝子ちゃんなんだからっ!」
 アイはそう言ってわたしの頭を撫でました。
 「確かに。先生方は自分の担当の生徒が受験に失敗されると困るからって……石橋を叩くようなところばかり押すからね。まぁそれに、まだまだ中学生活は長いから、今のうちにたるまないよう脅かしておくっていうのも、あるんだと思う。キミの成績ならB高校も十分射程圏内じゃないかな。それに……」
 キミに来てもらえると、僕も嬉しい……という雄介の言葉にかぶせて、わたしは言いました。
 「分かりましたよ……じゃあ今日も試験勉強しましょう。期末テスト来週ですしね」
 「うんっ。そうしよっ、わたしたち三人でトップスリー取っちゃお!」
 「期末なら三位はきっとうちのクラス委員さんですよ……。あの人先生の話なら本当に良く聞いてますからね、中間期末は強いです。美術やら技術家庭で取れないあなたたちと違って」
 「じゃあ、僕も参加させてもらっていい? 今度葦原さんに負けたら夕飯のおかずが海苔の佃煮だけになるんだ。場所はどうする? 図書館にでもいく? ちょっと遠いか?」
 「自転車で行けばすぐだよ。魔族的にはたいした距離じゃないって」
 「なんですか魔族的にって……。わたし自転車乗れないですってば」
 「じゃああたしの後ろ乗ってく?」
 「以前二人乗りした時、わたしがあなたの運転でどれだけ恐怖したと思ってますか? ……学校の図書室でいいでしょう。放課後なら、人も来ませんし」
 今にして考えると、わたしのわがままでそう決めさせたことは、大きな過ちだったと思います。

 「あら。葦原さん……三人でどこに行くの?」
 三人連れ立って図書室に向かって歩いていると、クラス委員の樋口さんとすれ違い、声をかけられました。
 「こんにちはひでこちゃん。あたしたち、図書室で勉強」
 「へーぇ。成績の良いお二人が一緒に勉強かしら。私もあやかりたいものね」
 「一緒に来る?」
 「ありがとう。でも、図書室には後で行くかもしれないけど、お勉強の予定はないわ」
 「そうなんだ」
 「ええ。それじゃあね」
 そう言って樋口さんはそっとその場から立ち去っていきました。
 わたしがいぶかしいものを感じながらそれを見送っていると、雄介が樋口さんの後ろ姿を見ながら言いました。
 「今の人がキミたちのクラス委員さん?」
 「そうだよ」
 アイが請け負います。
 「雄介くんのクラスは、誰なの?」
 「僕だよ。面倒ごとだって、押し付けられたんだ」
 うっわぁ。実によくある。そういやわたしも中一の文化祭の時、実行委員にされましたね。他にも演劇の大道具と小道具と演出と衣装と、主役とは名ばかりのさらし者の役をやりましたか。断ったのに見に来た両親に対して、すごく気まずかったのを覚えています。
 わたしたちは揃って図書室に入りました。図書室と言っても司書さんがいて、返却ボックスがあって……というちゃんとしたところではなく。本が無造作に突っ込まれた、背が高く禄に固定もしていないような危険な本棚が並んでいて、そこから本が溢れかえっているだけといった体たらくでした。禄に管理されていないそこを、わたしは『図書室の廃墟』と心の中で呼んでいます。
 それから思い思いにテキストを開きます。最近分かったことなのですが、この三人で勉強をするとペースとやり方が違いすぎて、教えあうことなんてできないんですよね。だから特に何の益もないのに何故か寄り合ってシャープペンを動かすと言う、非常に良く分からないことをしています。
 雄介は得意の英語を。単語帳を開いて神経質な眼差しで、ひたすらノートに写しています。彼はなんでも長時間かけて何度も書き写して覚えます。ちなみにこれ、ちょっとでも邪魔するとすごく怒られます。
 アイはというと、参考書を開いて無駄話をするだけ……という有様です。それで勉強になっているのかと思いますが、彼女の場合さらっとテキストの文字を目で追うだけで覚えてしまうようなので、問題はなかったりします。腹の立つことに。
 わたしはと言えば、堅実に授業の予習と復習をなるだけ丁寧にこなし、届いた教材を解いて行くという具合です。テストのたびに『シンケンゼミに出てたとおりだっ!』と驚喜している訳ではありませんが、決まった量の教材が届くのは勉強がやりやすいので好きです。
 そうやってしばらくアイをかまったり勉強したりしていると、図書室の扉が開いて樋口さんが入ってきました。
 「ひでこちゃん?」
 アイが尋ねると、樋口さんは綺麗に笑って。
 「先生から本棚の状態のチェックを頼まれたの。留め金の状態とかね。ほとんど取り除いちゃったらしいんだけど、もし残ってたら先に外すんだって。夏休みに図書室の新装の時、揺れの対策と一緒に並び替えもするらしいから。まぁ、気にしないで勉強してて」
 樋口さんがそう言って、わたしたちの方を一瞥してから自分の仕事に入りました。わたしたちは彼女のいうとおり、すぐに自分達の勉強に戻ります。アイのおしゃべりも再開です。
 しばらくそうしていて……わたしはなんとなく居心地が悪くなりました。樋口さんの方を見ますと……まだもう少しかかりそうです。
 「ちょっと。トイレに行ってきます」
 と、わたしはその場で席を立ちました。
 「そうなの? じゃ、わたしも行くっ!」
 「トイレとかそういうパーソナルなことをする時くらい、一人にさせてくださいよ……。最近はただでさえいつもあなたがべったりなんですから。時には孤独が恋しくなるというものです」
 「……心にもないことを言うね」
 雄介が少しだけ、おもしろがるように言いました。それからぼそっと、
 「そういうところが、魅力的なんだけど」
 「何かいいましたか?」
 聞こえませんでした。わたしは首を傾げて
 「それでは行って来ます。葦原さん、花畑家くんを邪魔しちゃダメですよ」
 「うんっ」
 アイは元気良く頷きました。
 「それでね雄介くん……こないだあのアニメが……」
 聞いちゃいねぇ。
 わたしが傍を通るときに、樋口さんが何か含みありげな表情でこちらを見ます。
 視線を投げ返すと、樋口さんはその後も何事もなかったかのように、自分の仕事に戻りました。
 わたしは図書室の外にでました。

 一応本当にお手洗いに言って、手を洗ってから鏡の前で自分の姿を確認しました。
 前と比べると……少しだけ明るい顔になれたような気がします。いえ、自分のことなので本当はよく分かりませんが。両親からは特に、「かわいくなったじゃないか」とか、今まではかわいくなかったみたいなことを言われますが……それもこれも、アイや雄介のお陰なのでしょう。
 られっこ同士集まって、一緒になってびくびくおどおどと過ごしている。それは傷の舐めあいに見えるかもしれないし、実際、しばしば陰気な話をすることもあります。
 しかしわたしたちにとってそれは、本当にかけがいのない時間で、大切なつながりになっていました。一生手放したくないと思える程の、生きていく中でもっとも大切な財産に。
 二人組みを決める時にあぶれない為とか、裏切りあう準備のできたただの馴れ合いだとか……捻くれたことを行っていたわたしを、アイは大切な友達だと言ってくれました。わたしはそんなアイだから、彼女の為にらしくないことをし、負わなくて良い傷を負い、それでも後悔せず……今は、彼女なしでは生きていけないような気分ですらありました。
 この友情を……わたしは誰にも壊されたくないし、それを守るならわたしはなんでもするでしょう。わたしは認めてしまいました。孤独ではないことを、冷徹で合理的なプレイヤーでいられなくなったことを。
 それはわたしにとって、進化だったのか退化だったのか。
 結論を出せず、出す気もないままにわたしは時間を見計らって図書室に戻ろうとしました。
 ふと見ると、図書室の扉が開いているのが目に付きました。わたしは閉めたはずですから、樋口さんが出て行く時に閉め忘れたのでしょうか? 几帳面な彼女が? わたしはいぶかしく思い、こっそり中を覗きこみます。
 そこにはこれまで何度も見かけた、何人のいじめっ子男女がアイと雄介を取り囲んでいました。
 わたしは目を見開きました。それから、図書室の中に飛びこんで、本棚の影からさらに中を覗きこみます。……羽交い絞めにされて服を脱がされる雄介と、同じような目にあうアイ。
 何が始まるのか。明らかにわたしたちがいることを知っての布陣は、これから何をするのか。
 「聞いてたのと違うな。榊原の奴はいないのか」
 そう言ったのは、雄介をいじめる主犯格たる男子でした。ティーとしましょう。
 「殺されかけた江楠のお礼でもしとこうかと思ったんだが……」
 「いいよ。あいつはもう……気持ち悪いし。ほっとけば?」
 彼と親しいらしいエックスが、苦虫を噛み潰した顔で言います。
 「あいつ窮鼠猫を噛むタイプだから……本人を追い詰めちゃ危険なのよ。とびっきりね。まぁ、お友達には手を出すけど?」
 こいつ……この悪魔。やはり腹の中に一物抱えてやがったか。わたしは歯噛みします。
 「こっちの吸血鬼ちゃんは結構かわいこちゃんだからな……。はは、楽しみだ」
 ティーが露悪的にそう言って、アイに向かって舌なめずりをしました。
 「こいつがぁ……まぁわかんなくもないけどね。でもクソビッチじゃん? 成績良いのってさ、ねぇ誰に体売って見せてもらってんの? アタシにも紹介しない?」
 「はぁ? おまえが売りすんの?」
 「違うわよ。こいつとのことネタにして、答案とお金でももらおうと思ってさ。きゃははは」
 「……なに?」
 羽交い絞めにされ、罵声を浴びせかけられながら、アイは恐怖したように言いました。
 「何が始まるの……。やめてよ、そんなこと……わたしは高貴な……」
 「吸血鬼ちゃんだっけ? ねぇねぇそれっていつから言ってんの? サムいのよっ、バーカ。何が始まるのってね……あんたはこれから、こっちの子豚と……」
 「やめてくれっ!」
 雄介が大声で叫びました。
 「彼女は関係ないだろうっ。おまえらが用があるのは、僕だけのはずだっ」
 「黙ってろっ」
 冷たく言って……ティーが雄介の顔に蹴りを入れます。
 雄介の顔の形が歪んで、鼻から血を流し始めました。それを見て、数人の男女が声をそろえて笑います。
 わたしはその様子を……呆然と本棚の裏に隠れて見ていました。自然、本棚のふちに当てた手の力が強まり、鉄板を組み合わせただけの本棚はぎしぎしと妙な音を立てます。
 ……どうすれば?
 あの時のように……警報装置でも鳴らしてしまうか? しかしこの図書室には警報装置は一つしかなく、それはアイと雄介を取り囲む集団にマークされる場所にありました。外に出て離れた廊下のものを鳴らしても……効果があるかどうかは微妙なところです。万が一アイと雄介を抱えてこの場を離脱されたら、もうどうにもならなくなる。
 先生を呼べば……これを止められる人なんているのか? ここから職員室は遠い……それまでに致命的なことになったら? こいつらのしようとしていることは、絶対にさせてはならない辱めの一つです。万が一間に合わないようなことはあってはならない。
 「どうすれば……」
 わたしは泣きたいくらいの気持ちで顔に手を当てて、下を向きました。へこたれていても仕方がない状況なのに、わたしはただ泣いて騒いで、神様にでも助けを求めたい気持ちでいました。アイたちを助けてくれるのならば、何を犠牲にしたって……。
 「見捨てちゃえば?」
 ……本当は……一つ確実な方法を、わたしは思いついていたのです。
 「こっそり抜け出せばいいのよ。それで、現場の写真でも携帯電話で取って。後で警察に提出するとか。そうすればこれからの長期的ないじめも防げるわ。あなたの身も守れて完璧、それが正解行動だって分からない?」
 どこかから、囁くような声がします。
 それは確実にわたしに向けられていて……わたしの心を揺さぶりました。わたしの本質的な利己と保身の在り方が、声に従うべきだと警告します。この状況で何をしたところで……それは破滅にしか繋がらないと。
 ……背を向けて、逃げ去って。それでもアイと雄介は変わらず友情を約束してくれるでしょう。わたしにはなんとなくそんな気がしました。
 この場は逃げ出しても、わたしはそこからできる範囲で彼女らを助ける行動をします。いったん卑怯に逃げたところで、もっとも確実で唯一迅速なその手段を採用しなかったところで……誰がわたしをとがめるというのでしょう。
 わたしは本棚のふちから手を離し、そっと出入り口のほうに視線をやりました。
 「……そう。じゃあ、逃げるのね」
 その時……わたしの間近、息がかかるような声が響きました。
 わたしはその声に……聞き覚えがありました。二度と忘れることのできない、忘れてはならないその声は……わたしのことをあざけるように、とがめるように、そして懇願するようにそういいました。
 「じゃああなたは……また友達を見捨てるんだっ!」
 声は泣き叫ぶようにそう言ってから、わたしの傍を離れていきました。思わず振り返る暇もなく、いじめっ子たちの驚喜と嘲りの笑い声が響きます。
 「助けて……」
 それに混じって……羽交い絞めにされ制服を破かれるアイの悲鳴が耳朶を揺らしました。わたしはいたたまれなくなって、本棚の脇からアイを見詰めます。そこにはなぶられてぼろぼろになったアイの姿がありました。
 「……助けて、お願い。助けて硝子ちゃんっ!」
 これまで、彼女がわたしに助けを求めたことがあったでしょうか?
 いいえ……わたしが散々釘を刺しましたから。わたしは自分勝手に……頼るな、巻き込むなと、何度も何度もそういいましたから。本当に彼女は、何があっても自分からはわたしに頼りませんでした。
 「あっはっは。来ない来ない」
 エックスが笑います。
 「あいつは結局……自分のことがかわいいのよっ! エーコもそういってたわっ! あんたのお友達は……今頃図書室をちょっと覗いてすぐに逃げるとかしてるっ! 安全なところに一人でいるに違いないわっ」
 「違うもんっ!」
 アイは、強がるように……しかし信頼と確信を持った声で言いました。
 「硝子ちゃんは強いもん……吸血鬼のあたしなんかより……あんたみたいな一人じゃ何もできない腐った奴なんかより、ずっと強いもんっ! そんなあんたみたいな連中から……硝子ちゃんは絶対に逃げたりしないっ!」
 だって……とアイは絶叫しました。
 「硝子ちゃんは……あたしの友達なんだもんっ!」
 その時……わたしのアタマの中で何かが強く共鳴し、繋がりました。
 全身が浮くような高揚感と、今まで自分を縛っていたものから解き放たれる開放感。それは過去にわたしがエックスを殺そうとした時に似ていて……まったく比なるものでした。
 わたしは冷静に勘定します。ここからアイや雄介が犠牲になるようなことは……ありませんね。少なくとも雄介は絶対に大丈夫。アイが暴れて足を突き出せば、それが少し危ないといった程度。
 逆にもっとも被害が出る相手は……これはちょっと、厄介ですね。
 わたしはそばにおいてあった本をとるための台を引っ張ってきて、本棚の傍におきました。そして、軽く助走をつけて台に飛び乗りつつ、本棚に向かって体当たりします。
 緩みきってほとんどが取り外された本棚の留め金は、まったく用を成しません。高いところを大きく突いた為、テコの原理も働いたでしょう。わたしの全力の突進は直立した本棚を緩慢に突き倒し……アイの真正面で腕を組んでことの見物に当たっていたエックスの背中に向かっていきます。
 「へ……?」
 ティーが、呆けたような顔で本棚を見詰め、それから本能で飛び退ります。疑問に思ったらしいエックスが、ティーの指差す方を体ごと振り向きました。
 激しい音がして、エックスの悲鳴がそれにかき消されました。ばらばらと中の本があふれ出して、アイやユウ、いじめっ子連中に降り注ぎます。エックスは体の半分を本棚の下敷きにし、苦悶の表情で体を起こそうとしました。
 辛うじて首だけを起こしたエックスと、体当たりの拍子に一緒に倒れて、本棚ごしにエックスの上にかぶさったわたしの目が合いました。
 「……さ。ささ……さかきばら……っ」
 恐怖に表情を歪め、エックスはそこで意識を失いました。わたしはその場を立ち上がり、呆然とするいじめっ子連中を見渡してから、大声で叫びました。
 「今すぐここから出て行けっ! クズどもっ!」
 ティーを含めた一団は、わたしの一喝に、蜘蛛の巣を散らすように逃げ出していきました。「……やべぇよ、あいつ、やべぇ」そんな風にささやきながら、恐れるようにして。
 「硝子ちゃん……硝子ちゃんだぁっ」
 あちこちなぶられ、うつろな表情になったアイと、わたしは目が合いました。
 「やっぱり、助けに来てくれたんだね」
 「当たり前じゃないですか」
 わたしは言って、アイの傍で微笑みました。
 「わたしたち……友達でしょう?」
 そう言ったわたしの背後で、一つの足音が、後ろの出口から図書室の外に出て行きました。



 教室がどれだけ厳しい修羅の国だったとしても、所詮は子供の王国です。
 そこでどれだけ偉くなろうが、威張り散らそうが……それが外の世界からの干渉に耐えうる訳ではありません。例えば、どんなに強いいじめっ子でも、ナイフを持った殺戮者が教室に侵入して来たりしますと、とうてい太刀打ちできないでしょう。その時、教室で培ってきた権力など、何の意味も持たないのです。
 ですから。図書室でエックスを負傷させ、自らの友達を救い出すことに成功したわたしですが、外部の大人による制裁行動まで止められる訳ではないのでした。それは確実に、しかも迅速にわたしに襲い掛かるはずです。
 その時はもう、間近に迫っていました。

 「そうか……S子ちゃん。またキレちゃったのか」
 と、応接室でわたしの前に座る記者が言いました。前回の女子トイレでの事件でただ一人だけ、わたしに対して同情的な記事を書いてくださった女性記者で……彼女はわたしのことをS子ちゃんと呼びます。自分に記事にそう書くからだそうです。
 「キレただなんて……わたしはいつだって冷静なつもりなんですよ」
 「つもりなだけくない? S子ちゃんは追い詰められると別人格になるタイプだからね。その別人格なりに冷静ってことなのかな?」
 「人を多重人格者みたいに言わないでくださいよ。……でも確かに。あれからわたしのアタマの中で、何かが繋がるような感覚があるんですよ。電流が走ったみたいに、何かとても強い力がわたしの心の中に繋がって……ああしろこうしろって教えてくれるみたいな。それに従ってると……なんていうか開放感がありますね。気持ちいっていうか」
 「なにそれぇ。あぶなーい。硝子ちゃん、このままだと殺人鬼になっちゃうよー」
 そう言って、記者さんはけらけらと笑いました。
 「それで……今回の登場人物のイニシャルは?」
 「イニシャルっていうか……アルファベット表記するなら。わたしがS子、それから本棚の下敷きになったのがX。その場に居合わせたいじめられっ子がIとU、脇役のいじめっ子T……こんなところでしょうか」
 「了解。そう書かせてもらうわ。それで、今回のS子ちゃんは友達を助ける為にそのXを本棚の下敷きにしたと?」
 「ですから自分のためですよ。他にいくらでも穏便に済む方法があったのに、あえてこんな方法を選んだんですから。『人の為』っていうのは、誰も傷付けずにことを終えられた人間のみが、主張することなんですよ」
 「小学生みたいな見た目の癖に偉そうなことを言うなー。っていうか、S子ちゃんがそうしたのなら……それはS子ちゃんにとってそうするしかなかったことなんだと、あたしは思うけどね」
 そう言って、その記者さんはメモを取り終えて立ち上がりました。
 「それでは先生。生徒さんを貸していただいてどうもありがとうございます」
 そういうと……担任の先生は疲れた顔で「はい……」と生返事をしました。それからその記者は、わたしの方をちらりと一瞥して
 「これから色々あるでしょうけど……自分の身は一生懸命、守りなさいね。S子ちゃんには、ご家族も、今は友達だっているんだから。良い?」
 「分かってます。自分の身くらい、自分で守ります」
 「その考え方がダメ。自分でなんでもできると思わないでね。今回の事件だって、もう少しお友達の負担を増やして、少しの間だけ耐えてもらうようにすれば、S子ちゃんは傷つかずに済んでるじゃない。……S子ちゃんはちっこい癖に背負い込むのよ、ドライでシニカルぶってる割に潔癖なのもよくない。大人になるにはまだまだ遠いわね」
 飄々とそう言って、片手をひらひらさせながら記者さんは去り際に言いました。
 「連絡先は教えてあったわね? 何かあったらすぐに頼りなさい……報道方面には顔が利くからね」
 頼もしい限りです……わたしはそう言って頭を下げました。

 「ようやく終わりかしら」
 担任の先生は疲労した様子でそういいました。
 「……あなたがあの記者とならって言ったから招いたけど。なんか変わった人ね。わたしのことナマクラ先生って呼んでくるし……」
 苗字が中村ですから。おそらくわざと言い間違えたんでしょうね……。記事に出てくるとしたら『担当職員N』でしょうか。
 「本当にもう……いい加減にしてよ」
 先生は頭を抱えました。
 「今度こそ裁判になるんじゃないの……。ああもう、なんで私の受け持ったクラスでこんなことが起こるのかしら」
 「……申し訳ない」
 わたしは頭を下げるしかありませんでした。先生は恨みがましい表情でわたしの方を一瞥すると、忌々しそうに立ち上がり、何も言わずに去っていきました。
 わたしは鞄を手に持って応接室を出ました。
 「硝子ちゃん」
 すると、アイがバカ面でわたしを迎えました。応接室の前でわざわざ待ち伏せしていたとのこと。こいつも事件の当事者ではあるので、先ほどの記者からも廊下で個人的にお話をしていたようです。それはアイの隣でわたしの方を心配げに見詰める雄介も同じ。一対一でお話したのはわたし一人ということでした。
 「どうだった?」
 「……ちょっとは気分が良くなりました。やはり、頼りになる大人の人が近くにいると、だいぶ違いますね」
 敬愛する両親にもたくさん心配と迷惑をかけました。こんなことをしておいて……父も母もわたしのことを怒らないんですよね。わたしのしたことならなんでも肯定してくれそうな特徴が、わたしの両親にはありました。それが良いことなのかどうかは分かりませんが、大きな支えになっているのは確かです。
 「もちろん葦原さん……あなたのそのバカ面もわたしを安心させる一要素ではありますよ。つらい時、くじけそうになった時、あなたのそのバカ面や軽率な言動を思い出せば、問答無用で笑わせてくれます。自分より下の者がいればある程度気は紛れるものですが、あなたの場合存在自体が悲惨なので、たいへんな癒しになるのですよ。感謝してます、本当にありがとう」
 「……キミはいつだって素直に言えないんだね」
 雄介が呆れたように言いました。

 放課後の学校には独自の匂いがあると思います。
 それは単純に、昼間の混沌めいた狂騒に塗れた状態では分からない校舎独特の香りというものが、放課後人のいない廊下などで感じられるということなのだと思います。放課後は真っ直ぐに、逃げるように帰ってしまう学校生活を送り続けたわたしですから……そんなものに気付いたのは今日が初めてなんですが。
 「僕はずっと前から知ってたな。その匂い」
 雄介がぼそりと言いました。
 「戻っても勉強勉強で……家に帰りたくなかった時期があったんだ。それで学校にずっといて、この匂いを嗅いでいたんだけど。あまり良いものじゃなかったよ。わびしいばかりでさ」
 「ええー。あたしは好きだなぁ。青春の香りだよ? 運動場の砂の匂いとか、教室のチョークとか。まぁ、新鮮な血液の匂いに勝るものはないけどね」
 「あなたは何を言ってもそれで台無しにしますね」
 この子の場合は、たとえどれだけ激しい喧騒の中に身を置いていても、そうした匂いを確かに体で感じられるのでしょう。ありのままのものをありのままに感じられる、そういう純粋さを持った子です。唯一この子が受け入れられないもの……それはきっと、自分自身なんでしょうけど。
 「あはは。そうだね……あたしもう吸血鬼卒業しようかな?」
 「なんですか藪から棒に……。それなくなったら、あなたの個性なんて乳がでかいことくらいになりませんか?」
 「そんなことないよっ! ……なんていうかね、硝子ちゃんとか雄介くんは、吸血鬼なんてなくてもあたしのこと、かまってくれるでしょ? 受け入れて、認めてくれるでしょ? だからもう、必要ないような気がするんだ。友達が一緒にいてくれたら」
 「…………」
 ようやく気付きやがりましたか。
 ……これなら。わたしがいなくなっても大丈夫かもしれませんね。わたしはそんなことを思いました。
 「あたしね。私立の中学に入ったの、誰かに認めてもらうためなんだ。小学校の頃からずっと、友達ができてもすぐに消えてなくなったりして、気が付いたら一人になってたから……。何か特別なものがあったら、そうならずに済むと思った。特別な自分になれれば……例えばすごい学校に入ったりできたら、きっとみんなあたしのこと認めてくれるんだろうって……」
 「そんなもので人を認めたり認めなかったりするような輩は、どっちにしろ消えていきますよ」
 「そうだと思う。……実際、そうだった。中学に入ってから友達が続いた子なんて、一人もいなくて。だからちょっと、学校で変なほら吹いちゃったんだ。そしたらすごくおもしろがられて……からかわれたりもしたけれど、あたしはそれでも良かったの。色んな本を読んで、設定を考えて……毎日バカみたいに喋ってたら、本当に一人ぼっちになってた」
 「…………」
 誰もが孤独に耐えられる訳ではありません。そして、たった一人の繋がりでさえも、自分で得られるとは限らない。友達を作ったり、集団に身を置いたり、そういうのがあまり上手くない人は、それでも一人じゃ寂しいから、変な方法で人目を惹こうとして失敗する。
 アイはイタい子ですが……ただ友達が欲しいだけだった。少しくらいからかわれるのでもいい、おもしろがられていてもいい……ただ自分を拒絶せず、悪意も向けず、いじめず、触れ合える人が欲しくて吸血鬼になった。けれどもそれは受け容れられなかった、どこでも誰にも。
 「でももう……あたしは一人ぼっちじゃないよ。硝子ちゃんも、雄介くんもいる。こんなあたしをかまってくれる人がいる。だからもう吸血鬼じゃなくても良いんだ……まぁ、設定とか色々考えるのは、やめられそうにないけど」
 「いいんじゃない? 小説でも書いてみなよ、きっと読むから」
 雄介が優しい顔をして言いました。
 「いいかも、それ。主人公は硝子ちゃんみたいな子にしよう。ちっちゃいけど、強くて勇気がある子」
 「さぞアタマの悪い文章なんでしょうね、あなたから送られてくるメールを見るに。いやはや、国語の点数と文章を書く力が必ずしも一致しないというのは本当ですね」
 「それでちょっとだけ、素直じゃない子」
 言って、アイはにこりとわたしに笑い掛けました。

 「こんにちは。榊原さん」
 三人で連れ立って後者を出ると……見覚えのある若い刑事がわたしの前に現れました。
 「宮本さん……」
 「……今回は気の毒だったね。ちょっと、署まで来て欲しいんだ。お話を聞かせてもらいたい……」
 「ちょっとあなたっ」 
 アイが噛み付くような声で言いました。
 「なんなんですか……硝子ちゃんは何も悪くないはずでしょう?」
 「お友達かな……キミが例の、硝子ちゃんに助けられたってっていう子だね」
 「そうよっ。あたしが証言してあげる、硝子ちゃんは何も悪いことはしてないってね……」
 「キミの気持ちは良く分かる。言っていることも確かだ。ボクだってそう思う」
 宮本さんは共感を示すようにそういうと
 「けれどもね。人にケガをさせたら、それ相応の処理がいるんだ。被害者のお母さん……江楠女史は今度こそ訴えてやるっていきり立っててね。もちろん、キミの言うようなことも十分に考慮する……。ケガをした江楠まゆきさんは、あばらを数本負ったくらいで、夏休みがあける頃には学校に復帰できそうだしね。十三の時とは言え、初犯じゃないからなんともいえないけど……榊原さんは、どんなに長くても多分ほんの数ヶ月……」
 数ヶ月、という言葉にアイが息を呑み、宮本さんにつかみかからんばかりににじり寄りました。
 「宮本……」
 背後でパトカーに乗ったもう一人の刑事……年配の木島さんはとがめるように宮本さんに言いました。
 「任意同行は拒否できる」
 雄介が眉に皺を寄せて言います。
 「僕らの友達は連れて行かせない」
 「そんなことをしても……意味ないよ」
 宮本さんは寂しそうな顔で、雄介の方を見ながら言いました。
 「今それを拒否したところで、しょうがないんだ。悪いようにはしない……だから。榊原さん、どうかおとなしく従ってくれないかな? キミの事情は考慮するし……取調べの時はボクが守ってあげるから」
 「…………」
 取調べの時のやり方として、アメとムチというのがあります。怖い刑事さんと優しい刑事さんを用意して、脅かして弱らせたところを優しい言葉で説得するというものです。
 前回、中学一年生の時の取調べで、わたしは奥の木島さんに強面で叱られ、次に若くおだやかな宮本さんになだめられました。泣きじゃくるわたしに、宮本さんは丁寧に接してくれましたから……。今回もわたしを呼びに来るとすれば、わたしがおとなしく同行するよう、宮本さんで来ると思っていました。
 実際、ここまで警察に連絡が行かなかったのが遅いくらいなのです。通報は誰が行ったのでしょうか。わたしは頷いて言いました。
 「分かりました。同行します」
 「硝子ちゃんっ」 
 アイがわたしに飛びついて言いました。
 「いかないで……硝子ちゃん。行かないで」
 「花畑家くん。アイのことをよろしくお願いします」
 「……キミがそう決めたんだね」
 雄介は神妙な顔で
 「分かった……わがままは言わないよ。……待ってるから」
 「ありがとう」
 わたしは笑いかけました。
 「硝子ちゃんっ」
 アイは泣きじゃくって、わたしの胸に飛び込んできます。
 「いるからね……硝子ちゃんには、あたしがいるからね。……絶対だからね、何があっても、どんな場所に連れて行かれても……ずっとあたしは硝子ちゃんの傍にいるよ。硝子ちゃんを、守っているよ」
 「そうさせてもらいましょう」
 わたしは泣きそうに言いました。
 「あなたのアホ面を思い出せば……ある程度のことは耐えられそうな、気がします。ですから……また今度、夢で会いましょう」
 「おい」
 後ろで木島さんが険しい顔で言いました。
 「……少し時間が空いたな」
 「ああ……」
 宮本さんは、木島さんのその言葉を受けて言いました。
 「……榊原さん。その、ちょっとの間だけ、支度をして来なよ。夜に迎えに行くから。……お父さんお母さんにも、挨拶とかあるだろう?」
 「ありがとうございます」
 わたしは頭を下げて言いました。
 「……ちょうど。こちらからお時間をいただけるよう、お願いしようと思っていたんです」
 それから……わたしは自分の教室の窓を見ました。そこには一つの人影があって、わたしたちの方を薄い笑みを浮かべて見下ろしていました。

 教室には、クラス委員さんがいました。
 まるで誰かを待っているかのように、教室の窓から刑事さんたちの車を見下ろしています。そこではアイと雄介が、宮本さんにお話を聞かれていました。きっとお二人は……最大限わたしが有利になるような証言をしてくれているのでしょうね。
 「ひでこちゃん」
 わたしがそう話しかけると……クラス委員の樋口さんこそ樋口英子さんは、わたしの方にどこか懐かしそうな視線を向けました。
 「……その名前。嫌いだって小学生の時に話したと思うけど。他のみんなが呼んでるみたいに、こう呼んでくれたって良いのよ。……エーコちゃん、ってね」
 そう言って薄笑いを浮かべ、わたしに向かって呼びかけました。
 「硝子ちゃん」
 わたしはそれに微笑み返すこともせず……いきなりアタマを大きく下げて、絶叫するように言いました。
 「ごめんなさいっ」
 わたしが裏切ったエーこと、親友だった英子ちゃんはそんなわたしの方を、少しだけ意外そうな表情で見詰めていました。
 「あの時あなたのことを裏切ってしまって……本当は後悔していたんです。だけど何も言えませんでした。卑怯なわたしは……ワイなんかが怖くてあなたから距離を取りました……目も逸らしました。あの時わたしは、あなたに本当に酷いことをした……本当に傷付けたと思っています」
 「……意外ね。おまわりさんのところに行く前に……報復されるものだと思ってた」
 エーは、少しだけ溜息を吐いてそういいました。
 「図書室に連中を連れてきたのは私よ? 直接何かしたことはないけど……あなたや葦原さんに細かい嫌がらせをするようけしかけたのも私。江楠さんにあなたを攻撃するよう誘導したのも、あなたに飽きたっていだす江楠さんをなだめていじめを継続させたのも、全部私。あなたが警察に連行されることまで、多少アドリブも入ってるけど……大局的には全部私の目論見どおりだったわ。もちろん裁判が起きたらあなたに不利な証言をするつもりでいる」
 そこまで、エーは露悪的な口調で言い切り、見下すような目でわたしを見ました。
 「私だって、あの時図書室の本棚の影で、全部見てたからね。……そこまで分かってて、あなたは私に謝罪ができるの?」
 図書室でわたしの耳朶に響いた声の正体は、この人でした。仇の一人でもあり、かけがえのない親友だったエー。わたしが裏切ったエー、今のわたしの根底を作ったエー。わたしは彼女のことを、本当に好きで、尊敬していて……だけど。
 「……友達に戻れるとは、思っていません」
 わたしは正直に言いました。
 「だけど……したことは、したことです。許してもらえるかは分からないですが……最後のわがままで、謝らせてください。ごめんなさい」
 「…………はぁ」
 溜息を吐くと……エーはゆっくりとわたしの前までにじり寄って……そしてアタマに手を置きました。
 「へ?」
 わたしが思わず顔を上げると、エー……クラス委員は慈愛的な笑みを浮かべてニコニコとわたしの頭を撫でました。
 「良くできました」
 そして、飄々とそう言ったのです。
 「さっき記者さんとすれ違ったの。『S子ちゃん』がいるけど、どうするってね。わたしは校舎のどこかであなたが探しに来るか待つことにしたんだけど……まぁ、正直机で殴られると思ってたわ」
 「えっと……ひでこちゃん……?」
 「そう呼ぶのはおよしなさいな。友達には、戻れないんでしょう? 私だって分かってるわよ……。あのね」
 そう言って、樋口さんはあの頃たびたびそうしたように、わたしと同じ目線まで腰を折り曲げて……切り出しました。
 「記者さん曰く……あなたの処遇がどうなるかは、その場に居合わせた第三者の証言で決まるんだって。葦原さんや花畑家くんの証言はあなたに有利すぎ、彼らを襲った連中の証言はあなたに対して辛くなりがち……。という訳で、『その場で隠れてことの成り行きを見守っていた』わたしの采配が大きくなるの」
 「……でも」
 「それなんだけど……私は榊原さんに有利な証言をすることにしたわ」
 わたしが目を見開くと、樋口さんは愉快そうにくすくす笑いました。
 「どうして?」
 「まぁ。今まであなたにしてきた仕打ちを考えると……ちょっと信じられないかもしれないけどね。……だけど、だけどね」
 それから樋口さんはわたしの脇を通り過ぎて、吹っ切れたような声で言いました。
 「人間っていうのは……本当に些細な、ちょっとしたことで、人を恨んだり許したりするものよ。そして、そのほんの些細なことの為だけに……ものすごく残酷になったりとんでもなく大掛かりなことをしたり……それを簡単に畳んでしまったりする」
 そして去り際に、言い残すようにこう付け足しました。
 「でも一つ残念。あなたと友達に戻れないなんて。榊原さんみたいにかわいらしい人、他にいないんだけどな」
 そう言って……樋口さんは気ままな女神か何かのように、満足げにその場を立ち去っていきました。
 ……いや。
 本物の悪魔って、ああいうのを言うんじゃないでしょうか。わたしは少し身を引いてそんなことを思いました。






 セミの鳴く季節になりました。
 陽炎すら見える程熱した公園の空気の中で、わたしは粗末な子供用自転車ですっころび、蝉の鳴き声と小学生たちの好奇の視線に包まれては、こうつぶやきました。
 「……夏ですねぇ」
 「いや……唐突にどうしたの硝子ちゃん」
 そう言ってわたしを見下ろすのは、このクソ熱い日に公園にわたしを呼び出しやがった張本人、葦原アイです。アイはわたしに手を差し伸べ、助け起こしてから困ったような笑顔で言いました。
 「硝子ちゃんって……本当にセンスないんだね。自転車、こんなに転ぶ人始めて見たよ」
 「考えても見てください。あんな薄っぺらく円形をした物体二つで、ものが立つ訳ないでしょう。増してその上に乗っかるのは、いくらスリムだと言っても三十キロの体積を持つわたしなのです」 
 「いや……上に乗ってる硝子ちゃんがバランスを取るものだから。あと硝子ちゃんはスリムじゃなくて、ただ痩せっぱちなだけだからね」
 「だまらっしゃい牛女。もぎますよ」
 夏休みが始まって。日が高くなるまで寝ていようとベッドで幸せな気持ちで横になっていたわたしを、『カムトムシ取りに行こうぜっ!』的な夏休みファッションのアイが叩き起こしに来ました。麦藁帽に白いワンピース。似合いすぎて嫌になりました。
 そして瞼の重いわたしを引き摺ってどこに連れて行くのかと思えば……公園で自転車の練習って。しかも、わたしの体格に合うようにこども用自転車まで用意してきているのだから用意周到です。
 「でも良かったね……こうして一緒に夏休みを迎えられて」
 「……その点には同意しますよ。まさか、朝早く叩き起こされた上、こんな目に合わされるとは思いませんでしたが」
 結論から言うと。わたしは警察署に数日ほど宿泊しただけで済みました。
 警察署から出てきたわたしに、樋口さんがしたり顔でこう請け負ったものです。
 『私が直接証言をしに行って不起訴にさせたの。私んち、お父さんが県会議員でお母さんが弁護士の秘書だから。それで、おじさんが警察署長』
 なんてデウスエクスマキナですか。わたしは思わず突っ込みました。
 「なんだおまえ。身ねぇ顔だけど、どこ小? 何年生?」
 そんなことを思い出しながら自転車を起こすわたしに声を掛けてきたのは、浅黒く日焼けした仏頂面の小学生たちでした。こども用自転車に乗るわたしを、自分達の同類だと勘違いでもしたのでしょうかね。
 「こいつ知ってる?」
 「さあ? 自転車の練習してるってことは、俺たちと一緒の四年生じゃねぇの。背もそんくらいだし……」
 「八年生です。もとい中学二年生。悪かったですね、自転車検定の日は仮病使って欠席しましたよ」
 わたしたちの地域の小学校には自転車検定というものがあり、小学四年生の生徒を集めて自転車に乗れるかどうかを監督するというものです。これに合格するまでは、公園や広場、サイクリングロード、家の周りなどの安全な場所を除いて自転車を使ってはいけない決まりとなっているのでした。もちろん規則というほどのものではなく、得意な子なら一年生でもそこらで乗っていますが。
 「中二ぃ? 嘘吐くなよ。俺より背ぇ低いじゃん」
 「うっさいですね……。あなたに二次方程式が解けますか? ルート2の値を十桁目まで暗唱してみてください、ほら」
 「硝子ちゃん……ちっちゃい子と同レベルで喧嘩しないの」
 アイがなだめるように間に入りました。
 「何この牛みたいなおっぱいのねーちゃん。触っていい?」
 「エロガキさんですね。別にかまいませんよ、なんならもいでやってください。クラスの女子に見せてあげたら、きっと驚かれますよ」
 「何の話をしてるのっ!」
 アイが憤慨して声をあげました。はしたない。
 「おまえが何年生かは知らないけどさぁ……」
 と、浅黒い少年は、背後で自転車に乗っているふとっちょの少年を指差しました。
 「あいつと一緒だよ。あいつも自転車、乗れねぇの。だっせぇの」
 そう言ったとたんに、ふとっちょの少年はばたんと自転車ですっころびます。明らかに体格に合わない自転車をあてがわれ、転んでしまうたびにはやしたてられて笑われています。
 少年の顔は、あからさまにもう帰りたいといった具合に参っていました。しかし、それを他の少年たちが許してくれない様子です。良く見れば顔に喧嘩の痕らしき痣もあります。自転車に乗れない彼を無理矢理に連れ出して、わざと大きな自転車に乗せて転ぶのをはやし立てるといういじめでしょうか。
 「……こら」
 わたしはそう言って、少年たちをにらみつけました。
 「どうしてこんなことをさせるんです?」
 「だってよぉ、こいつ。嘘付くし声小さいしすぐにチクるし……気にいらないんだ」
 「なるほど。良くある理由ではありますが」
 わたしはそう言って、倒れているふとっちょ少年を助け起こしました。
 「大丈夫ですか?」
 「あ……う……」
 「こっちの自転車に乗ってみてください。こども用ですから多分すぐに乗れますよ。後ろ持っててあげますので、やってみてください」
 「……うん」
 少年はそういうと、これまでわたしが乗っていた自転車に跨ります。「どうせ乗れねぇよ」と少年たちはバカにしたような声で言いました。
 「違う違う、もっと身体を真っ直ぐにするの。あと、怖がってこぐのをやめちゃダメ、ずっとこいでる、止まる時は両足も使って……そうそう」
 そこでアイがしゃしゃり出て、ふとっちょ少年に自転車の指導をしてしまいました。おっぱいの大きなお姉さんに手取り足取り、密着練習を施されて少年は俄然、やる気を出しました。然程大きな問題はなかったのでしょう……少年はとりあえず真っ直ぐに走ることができるようになりました。
 「……確か。曲がり方は教えてませんでしたよね」
 と、わたしは少年の耳元でそうつぶやきます。
 「……うん……でも。なんとなくできそう」
 「……自信がついてきたようで……良いことです。しかし、ここはできていないことにしませんか?」
 「……?」
 「連中を見返しましょう。あなたが自転車になんか乗れないと思っていた連中に、自転車で復讐してやるのです」
 少年は最初戸惑ったような顔をしていましたが……わたしの勇気付けるようなしたり顔に納得してか、頷きました。
 わたしは少年の自転車の荷台を持ち、少年を走らせて軽く方向転換の補助をします。それからちょうど進んだ先にいじめっ子少年がいるように位置を調節しました。
 「いいですか。いじめっ子の皆さん」
 わたしは言いました。
 「これから彼が皆さんにいじめられた仕返しをします……ケガをしても知りませんよ」
 そう言ってわたしは少年の自転車を思いっきり突き飛ばし、少年を出発させました。たむろしていたいじめっ子少年たちの真ん中に……少年は全速力で自転車をこいでいます。
 「……え。ちょっとおま、おまえちょっと……曲がれっ! てか止まれっ!」
 「ごめーん、まだ曲がる練習してないのっ! ごめーんっ!」
 嘘吐きと言っていたのは本当みたいですね。これはなかなかガッツがあります。
 「ちょちょちょっと……止めて、止めないと……硝子ちゃん?」
 「わたしはあくまでその気のある少年の手助けをしただけですよ……。覚えて置いてください」
 そう言って、わたしは自転車に突っ込まれ、ボウリングのピンのように弾き飛ばされた少年を眺めて口角を歪めました。それからしたり顔で言います。
 「られっこはね……時にやられっぱなしじゃないんですよ。あなた方はおもしろ半分でやってるのかもしれませんが……やられる側は常に必死です。自分がどれだけ傷ついても……時に命を掛けてでも、逆転と復讐の機会を狙っている……。これに懲りたら、二度といじめなんかしないことですね」
 うひひっ。と雄介に似た笑い方で得意がる少年。逃げていくいじめっ子……ここで喧嘩してくるような根性のある連中じゃないのは、振る舞いを見て分かっていました。
 「硝子ちゃん……いくらなんでも今のは危ないって。子供にケガさせたらどうするの?」
 アイはぶりぶり怒ってそう言いました。
 「ケガの一つや二つ。わたしなんて全身傷塗れですよ。今ここで自転車の傷で済んだのなら、お互いにとって幸福なだけの話じゃないですか……。さて」
 わたしは少年から自転車を返してもらい、自分で乗ってみました。
 最初の一こぎ、力を入れた途端……わたしはこいだ方向に力み過ぎてバランスを失い、そのまま右側にすっころびました。
 「……夏ですねぇ」
 わたしはそうつぶやいて、横向きに転んだまま空を仰ぎ見ました。
 ……こんなに空が青かったのは……いったいどのくらいひさしぶりだったでしょうか。

 それからわたしとアイは図書館に向かいました。わたしが自転車の練習に根を上げたので。
 「もう……夏祭りまでには乗れるようになってもらうからね。お祭り会場、遠いんだから」
 「一緒に行く気ですか……タクシー使いましょうよ、そんなの」
 「どれだけお金かかると思ってるの? 週に二千円もお小遣いもらってるの、硝子ちゃんだけなんだからねっ」
 これでも結構つつましい、中学生的な数字だと思うんですがね。
 図書館には雄介がいて、いつもの狂ったように真剣な表情でノートに英単語を書き写していました。この人の勉強のやり方は、なんというか明らかに勉強の得意じゃない人の、単純極まる作業的なやり方なんですよね。
 「……こんにちは」
 わたしがおずおずと声をかけると、雄介は最初不愉快そうにして、しかしわたしの顔を見たとたんにぱっと笑顔になりました。
 「こんにちは、榊原さん。……その、奇遇だね、嬉しいよ」
 「そうですね……今日も勉強ですか」
 「ああ。こないだの期末テスト、葦原さんどころかキミたちのクラス委員さんにも負けたからね……。やっと学校でいじめられるのが収まったかと思ったら、これだよ。塾は増やされるし日付けが変わる前に寝たら怒られるしもう僕はダメかもしれない」
 「おいたわしい……」
 エックスを本棚の下敷きにした一件で、わたしやアイに対するものだけでなく、雄介に対するいじめも下火になり、そして止みました。樋口さんによる誘導が少なくなったというのも、この少年に対しても言えなくはないのでしょうが……やはり。彼らも気付いたのでしょう。
 いじめられっこはただの被害者でこそありませんが、ずっと敗北者でい続ける訳でもありません。
 その気になって奮起して、何が何でもという気迫で逆襲されると、おもしろ半分のいじめっ子ではとうてい太刀打ちできないのでした。
 だから……雄介も多分、わたしのいない間に、人がんばりしたのでしょう。逆境を翻すには奮起すること、なんだってそうです。そして本気になった人間ならば、どんな状況だって覆すことができます。本当です。
 「今度。両親と真剣にお話をしてみては? いっそのことその辺の相談窓口に駆け込むという手もありますよ」
 「ははは……。試してみようかな。……くたばる時はノートに学歴社会に対する恨み言でも、目一杯書き綴ってやる……」
 「重症ですね……今度一緒に、夏祭りに行きませんか? 塾なんかすっぽかせばいいんです」
 わたしがそういうと……雄介は目を丸くしてわたしを覗き込みました。
 「えっと……それって」
 「もちろん。アイも一緒です」
 雄介は少しだけ肩を落として、しかし納得したような表情で言いました。
 「そうか……そうだね。そうさせてもらうよ、楽しみだ」
 アイと雄介は変に気が合うようですしね。なんというんでしょう、同盟とか、仲間みたいな。変な秘密を共有しているみたいな感じ。しばしばのけ者にされるわたしとしては、気に食わなくもないんですがね……。
 「ちょっとちょっと……あなた。噂のS子さんじゃない?」
 そういう声が聞こえて、わたしが振り向きました。
 そこにはわたしたちの中学の制服を着て、三年生の校章をつけた補修帰りといった女生徒数人が、わたしの方を見ていました。受験生は忙しそうです。おずおずと腫れ物に触るような、しかし興味津々と言った態度で女生徒の一人はわたしに近付き、やや腰の引けた様子で声をかけました。
 「わー。言ってたとおり……小さい子ね。あの二年で調子乗ってた江楠を本棚で殺しかけたんでしょ? その上に本棚の上に乗っかって足であばらをへし折った上に、友達のツテで無罪放免になったとかいう……」
 「ああ……」
 どうしよう客観的に見て事実過ぎる。あばらは勝手に折れたんだけど。
 「記事、読んだよ。昔いじめられてたんだって。それで今度は友達を助けるために……ってことだけど。たかがいじめくらいで、よくそこまでできるよね?」
 「たかが……ですか」
 「ええ。二回も殺しかけたんでしょ? ちょっとおかしくない? 別に、命の取り合いをしてるんじゃないんだから……」
 「虫の死骸。便所の水。動物の糞」
 「……は?」
 「このうちの一つでも、あなたは口にしたことがありますか?」
 「……」
 女生徒は意図が読めません。不気味がるように自分の学友たちと顔を見合わせて、ふるふると首を振りました。
 「ないけど……ふつうに。そんなの」
 「そうですか」
 わたしは微笑みを浮かべました。
 「じゃあ。分からないでしょうね」
 分からないほうが幸せですし……これからもわかる必要はありません。彼女はこの先高校生になっても……当たり前に友達と一緒に楽しい人生を謳歌できるでしょう。
 「硝子ちゃん。こっち来て一緒に勉強しよう」
 アイに呼ばれて、わたしは先輩への挨拶もそこそこに、その場を離れました。
 なんとなく始まったアイとの友情も……夏休みに一緒に出かけるくらいにまで、なりました。まさか、わたしがそんなふつうの中学生みたいなことができるとは思わず……少しだけ感無量という気分がします。
 ……江楠まゆみはどうしているでしょうか?
 今頃は、病院のベッドからも出られている頃でしょう。わたしたちの学校に戻ってきますでしょうか? 分かりません。もしかしたらまた彼女の母親が、わたしに転校しろと求めてくるかもしれませんね。
 「絶対してやるもんですか」
 わたしはつぶやきました。すると、それに反応してか、アイが図書館にもかかわらず小うるさく喋くっていた口を尖らせ、わたしの方を向き直りました。
 「どうしたの? 硝子ちゃん」
 「なんでもありません」
 そう言って、わたしは済ました顔でテキストに戻り……誰にも聞こえないように小さな声でつぶやきました。
 「友達が……いますから」

作者コメント

 十日程前に掌編の間に投稿した『吸血鬼の骸』とキャラクター・設定など大きく一致するところがありますが、違った世界観となっております。もうちょっとだけ、幸せな話に。

 テーマを『いじめ』にしぼって書きました。このテーマで表現したかったことはだいたいこなしたかと思います。
 冒頭こそバイオレンスで実際そういうシーンも多いですが、内容としては女の子同士が一緒にお風呂に入ったり、暗い倉庫の中でランデブーしたりするそんな感じの要素も多く含みます。ご安心ください。

 こちらの作品を書くにあたって、取材というか『あの時の感覚』を思い出す為に母校である小学校に遊びに行ったんですがね。運動場の傍で体育の授業を見学していると、女子児童の数人がこちらを見ながらこそこそ何か話してるんですよ。
 で、次に校門の前で同じことしてたら、同じ女子児童がやっぱりこちらを見てて。壁ごしにこそこそ見てるので、ちょっと思いついてピースサインをしてやると『きゃあっ』とか声があがりましてね。で、調子にちょっと近づいてみたんです。
 「あの。誰ですかー?」←女子児童。
 「怪しいおじさんじゃないよ」←まずは自己紹介。
 「そ、そうですか。何しに来たんですか?」
 「君たちを見に来たんだ」←正直
 「……! それめっちゃ怪しいじゃないですかー。ストーカーとか?」
 「誰のストーカーかなぁ」←ノリの良い親切なお兄さん。
 「……! あ、あの、あたし……とか?」
 「うーん。キミかわいいから、僕じゃなくてもいるかもね」←きちんと褒めてあげる。
 「……! コソコソ……」
 「それじゃ。これ以上いたら捕まるから帰るよ」←ユニークな挨拶で好印象を残す。
 「……さ、さようなら」
 このやりとりをしている間中……なぜか高校の制服着てたんですよね、自分。
 後で冷静になって見て、不審者の連絡が学校に行っていないかどうか、とても不安になりました。夜寝れてないレベル。
 ちなみにその一件で小学校を舞台にするのを諦め、代わりに向かった中学校ではきちんと職員室に行って職員の許可を得て正式に案内してもらいました。
 廊下でたまたま遭遇したカワイイ女子中学生にモテモテでした。やったねっ!

2013年03月04日(月)02時30分 公開

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感想

尾田榊さんの意見 +30点2013年03月05日

尾田と申します。作品拝見いたしました。

いやはや面白かったです。冒頭のバイオレンスな描写からいったいどんな暗い物語なるのやらと思って、実際軽いお話ではありませんでしたが、硝子やアイのキャラクターも相まって、「られっこ」の成長を読みやすく描いているなと感心しました。いじめというテーマはどうしたって重くなりがちですが、それをこれだけ軽やかにかけるというはすごいと思います。

語り手である硝子が魅力的なキャラクターなのと無関係ではないでしょうね……ものすごく可愛い主人公だと思いました。電波少女のアイも、オタクの雄介も、非常に好感が持てる登場人物である、というのが読みやすさにつながっているのではないでしょうか。

樋口さんだけは少々存在がご都合主義すぎるのではないかとは思いましたが、結果として彼女の存在が読後の良さに繋がっているのでそこには目をつぶるべきでしょうか……もう少し、彼女と硝子の繋がりを描いてもよかったのではないか、とは感じました。途中で「エー」=樋口さんというのはわかりますから、「エー」とのエピソードを随所に挟むとか。「ほんのちょっとのことで……」というのには納得ですが、そこまでの樋口さんの感情の化学変化を、読み手としてはもう少し知りたかったです。

執筆お疲れ様でした。

こよるさんの意見 +30点2013年03月05日

田舎で育ちました。小・中を地元で「一番いい学校」と呼ばれる学校で平穏に過ごし、ヤンキー不良とは無縁の進学校の高校に進み、勉強してそこそこ名のある大学に受かり、嫌になるくらい良い人たちに囲まれて大学一年生をやってます。身の回りにあった「いじめ」は陰口とかハブくらいなものでした。そのせいか、ニュースで報道される「いじめ」問題や、「いじめ」を題材にしたメディアをどこか醒めた目で見ている自分がいて、つくづく自分は馬鹿な幸せ者だなぁと思う今日この頃です。

というわけで、こよるです。昔のことを思い出しながら読んだので、モノローグってみました。すいません。
全体として、かなり温かみのある作品だなぁという印象でした。個人的には、この物語から感じたテーマは「いじめ」ってよりは「友情、他者とのつながり」って感じです。「いじめ」だけを書こうとしたら、こんな救いのある話にはならないんじゃないかな、と思います。先日「おめぇの席ねえから!」で知られる映画『ライフ』を見た影響もあり、この物語の終わり方には少ししこりが残りました。余談ですけど、あの映画はマジで荒んでましたね。
とはいえ、いじめ物語に希望や温かみを持たせるという意味では、こういう終わり方もアリだと思います。特効さんの物語はあまり救いがなくて「悪」を隠さないのが多い印象でしたけど、今度の物語は読んで心がほっこりしました。もっとも、実際にはいじめられっ子は孤独な戦いを強いられるものなので、この話の場合はられっ子同士の連帯にどれだけ説得力を持たせられるかがカギになりそうですけど。
以上、物語の主題について考えたことでした。以下、血も涙もなく無機的な構造の話です。

・文章
淡白でさらっとして、物語の世界観づくりに貢献してると思います。読みやすいのも良かったですけど、今回は誤字がかなり少なかったのが良かったです。一か所とか二か所とか、そのくらいかな。

・キャラクター
相変わらず、独特の味わいがあるキャラクターたちでした。どことなく、彼らの存在する世界の基盤がずれちゃってるような印象があります。それだけに何だか「共有」できてない感じがして、感情移入しづらいのが難点かなぁと思います。まぁ、観てるだけで十分に楽しめましたけど。
あと、いくつか気になることがあるんですけど…後述します。

・構成・内容など
ストーリーについては、相変わらずしっかりしていて苦もなく読み進められました。展開・掘り下げについてもバランスが取れていたと思います。読者を引っ張っていくこの力が、僕にも欲しいと最近マジで思ったりします。羨望。
というわけで、どんどん読み進めることが出来てプロット力やべぇと思っていたわけですけど、気になる点が少々。
まず、主人公のキャラについてです。過去が凄惨なだけに、かなり薄汚れていて孤独で冷たい人間なのかと思いきや、前半部の早い段階からアイにけっこう優しいのが気になりました。あの過去があって「いじめ」にかかわりたくないと思うなら、もっとアイを拒絶しても良いんじゃないかな、と思います。ていうか、そうしないと主人公の過去の持つ意味が小さくなって、主人公のキャラ自体が浅くなってしまう気がします。
また、それとの関連でアイについて。彼女の言う「吸血鬼」ってのは道化ですよね。そのわりに、アイがその「吸血鬼」という道化の皮を脱ぎ捨てる展開が一度もなかったことが、少し気になりました。というのも、彼女は主人公に対しても「吸血鬼」――道化のままで付き合っているわけで、要するに本音を出さずに付き合っているわけです。となると、主人公の「友情を壊されたくない!」っていう心情には説得力が欠けるなぁと思いました。
アイは常に明るく、悪く言えば空気を読まない人間として描かれています。でもそんな人間にだって必ずつらいことやかなしいことはあるわけで、暗くなったり落ち込んだりすることがあります。なかったら人間じゃないですね。そして、そのつらさやかなしさこそが、彼女の隠している「人間」の部分じゃないかな、と思います。だからこそ、主人公が「いじめ」に立ち向かうほどの「友情」を作り上げるには、アイが道化の皮を脱ぎ捨て、主人公に自分の本音を吐露する場面が必要だったんじゃないかな、と思いました。抽象的で分かりづらくて申し訳ないです。

というわけで、だらだら書きましたけど面白かったです。読者を引っ張っていくストーリー力は本当に見習いたいですね(切実)。
以上、たいしたことは書いてませんけど、何かしらの参考にしていただければ幸いです。
ではでは。

Hiroさんの意見 +30点2013年03月05日

>死骸か水か糞
こんばんは、感想返しにやって参ったHiroです。
拝読しましたので、拙いながらも感想を残していこうと思います。


よかったと思います。
実はなんどか冒頭のシーンで引き返していたのですが、そこを抜けると女子中学生のワキャキャウフフな展開が待っていました。信じて良かったといった感じです。<オイ
でも、暗くて痛い話はちょっとビクビクでした。いや、痛い場面なんてありませんでしたが。

一人称のせいで主人公の外見が中盤まででてこなかったあたりは不満でしょうか。
また序盤は絡みもないせいで、頭のいい子なのか、がんばって頭のいい子のようにしてる子なのか判断がつきにくかったです。

>きっと将来はインテリジェンスになれるはずです
インテリジェンスって『知能』って意味じゃ? 頭の悪い子のネタなのかな、と思ったけど、学年上位なのでどうなんだろう?

う~ん、しっかり完成してる話なのであんまりいう事ないですね(汗
お役に立てずにもうしわけありません。

●誤字っぽいところ(間違ってるかも)
>背中の傷むこと
痛む?

>日々の勉学に勤めているのです
努めて?

>人間風情に遅れをとるとでも思ったか
後れ? いや、ネットで調べると遅れで問題ないのか。

>時間が立てば
経てば?

>男子生徒の中では彼はもっとも悲惨なられっこですが
誤字じゃないですが、『なられっこ』はつまづきました。

>江楠まゆき野姿
の?

>膝を付いて
突いて?

>わたしは身を硬くして
固く?

>顔色を伺って
窺う? うかがう?

>手間を書ければ解けるなら

> 「ただね……葦原さん。私から一つ言わせてもらうなら。理不尽に用事を押し付けられて困ったのなら、『抵抗する』のも『従う』」のも……結局は受け身な態度でしかないのよね。この場合は『無視してその場を立ち去る』っていうのが正解。もうあなたのことは相手しませんよ……って感じかな?」
途中で閉じのカッコがひとつ余分?


感想は偏った生き物が書いております。情報の取捨選択にはご注意ください。
では、失礼します。

流大倉匡さんの意見 +20点2013年03月07日

 お初です。流大倉匡と申します。
 拝読しましたので、感想を残しておきますね。


・文章について
 すっきりとしていて読みやすかったです。硝子の心情がしっかりと描きこまれており、問題らしきものも見られず、非常に高い文章力なのだと感服しました。


・キャラクターについて
 硝子は壮絶な過去を経ての人格形成だからというのは、わかると言えばわかるのですが、ひいき目に見てもおよそ中学生の思考回路とは、程遠いのではないでしょうかね。これは他のキャラにもいえることです(もしかしたら自分が中学生というものを幼く見すぎているだけなのかもしれませんが)。もう少し年齢を引き上げた方がしっくりくるなと感じました。
 メインどころは味のあるキャラクターで、しっかりキャラが立っていると思います。自らの境遇にどう向き合い、どう折り合いをつけているのか。普段の行動から、背景的な部分まで魅力的に映りました。
 サブは、まあ、どこまで突き詰めてもサブってことで。
 お気に入りはなんと言ってもアイですかねー。読んでると、物凄く意地悪、もといいじりたくなるキャラでした。


・ストーリーについて
 いきなり硝子のいじめシーンからというのには、面食らいました。なかなかにハードな中身の話なのかなと思いつつ、読み進めていくと文体のおかげか、それほどの重さは感じませんでした(といっても、やっぱり腹に溜まるものはあったのですが)。
 キーキャラクターたるアイが登場し、徐々に仲を深めていくシーンは、読んでいてほっこりしました。ただ顔を合わせて、いきなり一緒に風呂に入るとかは、事情が事情だとしても、さすがに「ねえよ」と心の中で突っ込みをいれてしまいしたが。いえ、わかっていますよ。サービスシーンです。ごっちゃんですっ。
 話が進むうちに硝子の過去が、より明確にされました。その上でアイとどう付き合っていくか。そんな揺れる気持ちが、手に取るようにわかり、物語に引き込まれていきました。
 続いて、られっこの雄介が登場。その先のシーンで、
ユースケはズボンを脱がされ、パンツを頭からかぶせられた悲惨極まる状態で、二人の男子生徒に抱え上げられていました。むき出し状態でさらし者にされた尻には、何か黒いもの……おそらくマーカーが突き立っています。
 という展開がありました。別段、これが悪いと言いたいわけではありません。いじめ云々の前に、こんな発想の中学生がいたら嫌だろとは思ってしまいました。どんな中学生だ。
 硝子の活躍(?)によって、いじめの状況が少しながら改善されましたが、おかげで硝子自身は説教コースという、なんとも不条理な状況。仕方ないとわかっていても、嫌な気持ちにはなりました。
 それとは別に、ふと担任の台詞で気になったのは、
「あなた自制心とかそういうのってないの? 子供じゃないんだから、何事にも節度を持って。癇癪を起こせば良いってものじゃないの。それができなければ、これからもずっと鼻摘みものよ?」
 の部分です。うん? 硝子は十四? 十五? ともあれ十分に子供だと思いますけどねー。
 その後、この担任は何度も頭を抱える羽目になりましたが、まあ、放置していただけに自業自得でしょう。
 そうして物語はいよいよ佳境に入り、どうなるのかと思う先の気になる展開でした。アイや雄介が図書室で悲惨な目に合わさられる寸前、硝子が助けに入るシーン。その前に様々な葛藤をする部分は、非常によかったと思います。まさに見所。
 無事に二人を助けた後は、犯した罪の清算をすることになるわけです。ここで記者なる者が登場しますが、やや唐突感があるなと思いました。そういったくだりが、これまで一切なかったので、そう感じたのだろうと思います。また以前にも記事として取り上げていたのなら、それに対する世間の反応や影響が、まったくなかったというのも、おかしな感じがしました。記事になるくらいですから、学校側としてもなんらかの対応を迫られたとしても不思議ではないでしょうかね。警察沙汰にもなっていますし。ここに引っかかりを覚えました。
 ともあれ、硝子たちはいじめからの脱却を果たし、なんとか前向きに生きていくというハッピーエンドで、よかったよかった。

 物凄く個人的な意見になってしまいますが、いじめの表現がやや中学生っぽくなかったと感じたり、内容が不快だったので、そういう部分で評価を落とさせてもらいました。
 ですがしっかりした構成力はさすがとしか言いようがなく、読了感もがっつり感じられました。

 蛇足的なもの。
 文章より抜粋。
・ーーわたしの朝はいつも七時半を過ぎたあたりから始まります。それから四時までつらい学校生活を乗り切って、もちろんすぐに放課。ーー:後、が抜けてます?
・あなたに飽きたっていだす江楠さんをなだめていじめを継続させたのも、:いだす? 言い出す?
・「なんだおまえ。身ねぇ顔だけど、どこ小? 何年生?」:身ねえ!? 体がない!? いえまあ、普通に考えて見ないでしょうけどね。


・最後に
 稚拙な感想しか残せていないようで、どれほどの役立ちになるのか、はなはだ疑問です。少しでも足しになってくれれば幸い。
 次回、機会があればそのときにでも。執筆ご苦労様でした。

あおいあおさんの意見 +30点2013年03月08日

 はじめましてこんにちは。あおいあおと申します。読ませていただいたので感想書かせていただきます。
 ドロドロしたテーマをドロドロしすぎないようにうまいバランスで書けている良作だと思いました。私はドロドロした話をを書くとドロドロしすぎちゃうので、うらやましいです。

 私の読み逃しかもしれませんが、中盤、雄介君が登場するまで「あれ? 女子高だったかな?」と思ってしまうくらい男子の気配がなかったような気がします。傍観者とかその程度の反応などの背景としてでもいいので、男子の気配があったらよかったかなと思いました。

 樋口さんとの関係はもう少し詳しくほしかったかな、と思います。ほかの方がおっしゃってるようにご都合主義っぽい感じもありますし、興味がある、というところでもあります。私は樋口さんの正体には気づかなかったので、少しびっくりしましたが、逆に先に明かしてしまってお互いの関係を詳しく書く、というのもありかなあ、とも思いました。

 バイオレンスな冒頭で、それ以降も、そこまでとはいかないもののつらい状況の中、それでもはぐくまれていく友情にほっこりしました。
 硝子ちゃんが「裏切ります」を連呼していたのでもしかして本当に裏切るときがくるのでは? と思っていたのでちゃんと「友達ですから」となった展開に安堵しました。でもこの流れだと、ある意味王道なので、裏切っちゃうルートもちょっと見てみたかったかなぁとか、わがままなことを言ってみます。でもその展開だと話が重くなりすぎて読むのしんどくなりそうですけど。

 つらいシーンもありましたけど、興味深く、そして友情の育みをとても面白く読むことができました。ありがとうございました。
 それでは短いですが私の感想を終わらせていただきます。

ラクダマンタさんの意見 +20点2013年03月08日

初めまして、ラクダマンタと言うものです。
拝読しましたので、わずかながら感想を書かせていただきます。
文章はつかえることなくとても読みやすかったです。また、学校という人間関係の地獄のような場所で、少し周りと違う人間が、どう合理的に立ち向かうか、その心理描写が素晴らしく良く描かれていました。誰もが理不尽なことをされても、跳ね返すことができる分けではない。だから、政治的力量が必要とされる。しかし、そこに友情という理屈ではないものが絡んできたとき、どのような道を選択するのか、それによって人生はだいぶ変わってくるのでしょう。そんなことを考えさせるだけの力が、この作品にはありました。
一方、作品の構成については、少し疑問に思ったことがあったので、少々述べさせてもらいます。
まず、硝子に最初から勇気がありすぎるのではないか、ということです。彼女は、最初からいじめに立ち向かう力を持ちすぎている。ハリウッド脚本術とかいう本に拠れば、「主人公はどこかで劇的な決断をし、運命の歯車をかえなければならない」そうですが、この主人公は劇的な決断を物語の中で何度もしてしまっているために、その効果が薄らいでしまっているように思うのです。
アイと出会ったことによって、少しずつ変化(成長)し、劇的な決断をする、というのが物語のセオリーなのではないでしょうか。
また、物語の解決が余りにも「機械仕掛け」なのではないでしょうか。その辺りのことも、もう少し巧妙に構成されていれば、更なる感動をよんだに違いありません。
……などと偉そうなことを申し上げましたが、素晴らしく楽しめた作品であることは間違いありません。今後とも、執筆頑張ってください。

青空雲さんの意見 +30点2013年03月09日

こんにちは、特効人形ジェニーさん。青空雲です。
読ませて頂いたので、感想を書きたいと思います。

地の文について
幼女の敬体一人称。よどみなく読み進めることができました。作品のテーマは重いものでしたが、この地の文でうまくバランスが取れていた気がします。心理描写も素晴らしく、葛藤が手に取るように伝わってきました。
ここからは余談なのですが、私も丁度同じように幼女の敬体一人称書き終えたところで、この作品を見て「あ、同じだ」と思い一気に読んでしまいました。文章……ものすごくうまいです。勉強になりました。

キャラクターについて
硝子ちゃんはとても魅力的でした。なんだかんだ言ってアイを守るところなんか好きです。その姿が物語を追うごとに成長していくところにも読み応えがありました。
アイについて、少し疑問が。
吸血鬼という設定作りの動機が理解できなかったです。認めてもらいたいから吸血鬼、というのには無理があるように思いました。彼女の人間性からして、友達は愚直なまでに信じる。人懐っこい。容姿端麗。それだけあって目立たない訳がないかと。ここまで高性能な人間に友達がいなかったというのは疑問が残りました。しかしながら、魅力的なキャラだったという点に変わりはないです。その純真さは硝子ちゃんの成長を促していましたし、硝子ちゃんの成長を大きく担う大事な役目だと思いました。
雄介は、リアリティ溢れていました。正直に言えば、硝子ちゃんやアイなどは見たことありません。しかし雄介だけは身近に存在するようなキャラでした。思わず頑張れ、と応援してしまいます。
英子は、うーん。このキャラは少し特殊でしたね。問題を一気に解決する力があり、それでいて主人公を憎んでいる。かといえば、一言で掌を返す。判断が難しいキャラです……私の個人的な思いなのですが、このキャラをもう少し動かして欲しかったです。
その他いじめっ子について。こういったいじめっ子はどこにでもいますね。自分を中心に世界がまわっていると考えている人。そういった人は大抵高校で落ちぶれていくものですね。私の周りでも、中学を卒業したイジメっ子にニートがいますし。他のイジメっ子は高校中退。今は何しているんだか……おっと、余談でした。

物語について。
山アリ谷アリ。起承転結が素晴らしかったです。硝子ちゃんの思想、葛藤、成長がテンポよく書き出されていて、素直に面白いと思いました。導入部で思わず顔をしかめたのですが、読み進めていくと引き込まれる作品です。

総評。
完成度の高い作品だというのが、私の感想です。この作品で長編の間2作目を読み終えたのですが、この完成度の高さはなんなのでしょうか。自分の力量を思い知らされて、もっと頑張らないとなと感じます。また、特攻さんの作品は掌編でもいくつか見させて頂いております。私自身としては重厚なテーマの作品も好きなので、特攻さんの作品をとても面白く読ませていただいております。


それでは、長々と書きましたがこれで感想を終えたいと思います。
失礼しました。

S-Yさんの意見 +30点2013年03月09日

 特攻人形様 はぢめまして S-Yと申します。
 御作読ませていただきました。
 タイトルは、誰かを罵る表現かと思いきや、ズバリ即物だったのですね。
 この世のどこかで現実に行われている、「イジメ」という名の陰湿的持続的暴行・恐喝を思い出し、陰鬱となるテーマです。
 今のところ、フォーマットを使うつもりはないので、まとまりはなくも自分なりに感想を書かせていただいています。
 イジメの実体と言うよりも、そこに関わる弱い人間の心理を適切に射抜いていて、なるほどと思いました。
 ただし、読み終えてみて期待どおりだったともいえるし、期待はずれだった部分もあります。他の方の感想に重なりますが、主人公が利己的に「かりそめの友達」を作り、「真の友達」となるまで、あまり山と谷があるように思われません。途中、警報機の一節もあったのですが、あの時点では主人公もアイも「傷」ついていません。できれば、ここで二(三)人がともに傷つくか、主人公がいったんアイを見捨ててても良かったのではないかと。
 A子さんがラスボスだというのはなんとなく途中から気付いていましたが、ちょっと最後に、きれいに浄化しすぎなのではないかと。もちろん主人公との「過去」はありましたが、「過去」はあくまで設定の一つに過ぎないので、描写不足だと感じました。
 また最後に。作品の「点数」自体は問題ないのですが、これははたして「ラノベ」向きなのかなとも思いました。テーマといい文体といい、もっと骨太くすればじゅうぶん一般文芸誌向けになるのではないかと。ファンタジーならともかく、等身大の人間の闇と光の部分を描くならば、どうしても現代のラノベは明るくポップで「鬱な現実を忘れさせてくれる」作品に寄っていると思います。せっかくの作品なので、どこかに応募したとしても、一次落ちで埋もれさせるのはもったいないです。
 以上、勝手な感想でした。

麻梨さんの意見 +30点2013年03月09日

 読み終わったのは作者様が投稿なされて3時間後のことでした……
 実は感想書くの乗り遅れています。麻梨です。
 ざっと四作読んだ感じ「逆さちゃん」とか今作のほうが私にはしっくりきました。面白かったです。
 以降、細かいことをつらつらと

【設定】
 いじめられっこものって少女マンガとかにけっこうありますけれど、小説的にも異彩を放っており、光るものを感じました。
 キレているんじゃなくて、覚悟なんだよなぁとぐっときましたし。
 大切なものを大切にする方法を知らない奴らが多すぎるよねぇ、うんうん。なんて結構共感もしました。キャラぶれも感じず、ちょっと桜庭一樹さんの「少女には向かない職業」「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」を思い出したのですが、良い意味で裏切ってくれたなぁと思います。
 鬱々しているテーマ・設定・背景なのに、相変わらず会話文が魅力的で面白かったのでメリハリに好感が持てます。

 ただし、英子登場の時点でなんとなく謎は解けてしまいました。
 中盤では完全に想像通りのものになってしまったので、ミスリードの甘さや、謎の演出に関してはもう少し一泊あってもよかったかと。

【展開】
 アイがピンチ→硝子が助ける
 ってのが後半テンプレになりすぎていてちょっと……
 精神的苦痛や葛藤もわかるんですけれど、数回続くと一回目の共感を二回目に持続させることができないんですよね。どうしても。だからやり方に変化を加えればもっとうまい演出につながると思います。

【キャラクター】

硝子 = 応援したいんだけれどこの独特のひねくれ方がなんとも……。個人的にはかわいくて好きです。いままでの作者様の作品の中で一番共感できるし、かっこいいです。

アイ = これぞウザかわw
     キャラ立っていましたし、イタイけれど根本的にいい子なかんじで、面白かったです。

英子 = 設定がちょっとご都合展開すぎますね。
     ただ、最後に友達について硝子と会話するところはとてもよかったです。

【タイトル】
 好みの問題ですけれど、もっとひねってもよいのでは……
 冒頭バイオレンス描写で読者を選んでいるのだから、タイトルネームはもっととっつきやすいものでもよいのではないでしょうか。わかるし意味もあるんですけれど、なんとなく触りにくいです。

【総括】
 個人的に好きな順番は「逆さちゃん」「今作」「知恵のあるマルク」「芋虫は悪魔に祈る」です。
 どれも面白かったですが、今作は基本的に学校という箱の中で繰り広げられている鬱々感とか、少女らしさに目を惹かれました。リアリティ云々よりすっと文章そのものが入り込む感じがしてあくまで「物語」として読める魅力を感じました。

 以上です。
 好き勝手書きましたが、あいも変わらず素人でございます。さらっと流す程度にお願いします。

 では、執筆お疲れ様でした。

勇樹のぞみさんの意見 +20点2013年03月10日

 こんにちは、特効人形ジェニーさん。
 勇樹のぞみです。
 作品を読みましたので、感想を書かせていただきました。

 いじめの持つ陰湿感、私はこれが嫌いで、この作品を読むのはなかなか疲れました。
 明るく健全な笑いを求める今どきのラノベの主たる購読者、中高生にはどうかな、とも思いました。
 タイトルがタイトルですので、そう言う人は最初から対象外なのかも知れませんが。
 まぁ、いじめというのは中高生にとって身近に感じられる主題なのでしょうから、取り上げるのにふさわしいとも言えますが。

 首をひねったのは、アイが成績でトップを取った所。
 私の乏しい経験からすると、いじめをするような連中というのは、普通、成績上位者には絡んだりしないものでした。
 相手を馬鹿にしようとしても、その相手より自分が馬鹿なのは学校の成績が証明している訳ですから、滑稽な物にしかなりません。
 教師だって、いじめを行うような問題のある生徒と成績優秀者、どちらの味方をするかなど火を見るより明らかです。

 中学から高校への進路指導、最近はこうなっているんですか?
 私の時は、単純に成績でしか振り分けられませんでしたが。
 まぁ、自分が当たり障りのない生徒だったからかも知れませんが。
 それよりも、滑り止めの話は出ないんですね。
 もっと受験が近づいてからの話なんでしょうかね。

 全体を読んで、いじめを主題にした作品としてよく書かれていますし、作品としてのレベルは高いんだな、と思いました。
 私が、こういう問題が嫌いで作品から要素を排除しているのとは対照的です。

 一つ、昔話をしましょう。
 中学卒業後、地元とは縁の切れた私でしたが、中学で同じクラスだったいじめっ子というか、ヤンキーの卵みたいなのが後に殺人犯で捕まったとふとした拍子に聞きました。
 被害者は元同級生、日ごろから恐喝、暴行を受け、殺される当日も「俺、殺されるかも」と言い残して出て行ったそうです。
 思うに、逆に殺す気で立ち向かわないと、こういう類の人間とは縁が切れないんだな、と思いました。
 そう言う意味で、主人公の行動は正しいものと思いました。
 同時に、楽しむために読むラノベで、こういった内容には触れたくなかったなぁというのも率直な意見です。
 ですので、評価は第三者的に見てどうか、と考え+20とさせて頂きました。
 主観で「面白かったか?」と聞かれても、困惑するだけの自分が居ますから。

 それでは失礼いたします。
 今後とも頑張ってください。

瀧島さんの意見 +30点2013年03月13日

 瀧島と申します、こんにちは。

 面白かったです。読み終えて、「なんか右手が痛いな……」と思ったら、ずっと握りこんで読んでいたんですね。それだけ感情が入っていたのかと、ちょっと自分でもびっくりしました。

 やっべぇ、トラウマスイッチきた。思い出しちゃいましたよ、私も昔「敗北者」でした。それは社会的な意味では今でもそうなのかもしれませんが、当時の記憶がフラッシュバックするという、久々の緊張と昂揚がふつふつと蘇り、言いようのない吐き気と殺意を思い出しました。彼女たちの受けた痛みや屈辱に比べればなんてことはないですが、それでも当時の私としては、なぜ毎日上履きに履き替える時に中身を確認しなければならないのか、顔にヒメリンゴをぶつけられなければならないのか、理解できなかったし、きっと涙は流さずとも泣いていたのだと思います。

 読み終えてから他の方の感想と特効さんのレスを読んだので、なんかもう指摘するとこない気がしますが、ぼやーっと書かせて頂きます。(作品の中で泣くことはなかったですが、レスを見て若干、泣きそうにはなりました)

 いじめをテーマに置いた作品として、一つの完成された良作だったと思います。勝手な評価で申し訳ないですが、今まで出してきた鬱々とした特効作品の中で、一つの集大成、区切りとして成立しているんじゃないかと思いました。結構今までだってテーマとして意識しないわけじゃなかったと思うし、「狂気」という面でも楽しませて頂いておりましたが。一番の共感を覚えたのは今作です。ちょっと40と30で迷いましたが、まだそんな高得点なんか上げないんだからッ!

 さて、軽口一つ叩かないと胸が苦しくて感想も書けません。それだけ重かったんだと思います。冒頭部分、タイトルの胸糞悪さを裏切らないスタートダッシュでした。この辺って、どうなんでしょうね。正直に言いますと、普段の私ならタイトルを見て読むのを止めます。冒頭があれでも読めたのは、文章に魅力を感じたからです。だから、特効さん自身が感じている、良し悪しというのも分かるし、強力なタイトルを引っさげるメリットとデメリットもよく理解していると思います。これは天秤ですね。もしくは入口の広さ。特効さんが本当に読者の立場に立って、誰に読ませたいかで変わってくると思うので今の時点で良かったとも悪かったとも私からは言えないです。

 キャラクター。硝子は良かったです。この子の一人称だったから、私は楽しめたのだと思います。なにが良かったのか具体的には分かりません。うーん、よくよく考えてみると、今回キャラクターとして強い牽引力を持った人っていなかったかもしれません。うまいこと言えなくてもどかしいんですが、今作品の登場人物はキャラクターと人の間くらいの印象があります。
 リアリティ、ありました。共感できる部分がたくさんあり、硝子の被害者ではなく敗北者という言葉は、私の胸を強く打ちました。られっこの心理を、巧みに描かれていたと思います。
 キャラと人の間というのは、なんというか、ラノベか一般か、みたいなもんです。いくら語ろうとも答えはないですし、ただそう感じたくらいに受け取ってほしいです。

 大体のストーリー展開にも文句はありません。過去の凄惨ないじめの記憶に苛まれながら、新しい友情を育むというのは、王道展開でありながら、それなりの魅力を持っていたと思います。やや枚数が少ないせいか、展開を急いでいる感じはしたのですが、改稿も考えているようなので問題ないでしょうね。

 オチも綺麗だったと思います。ただ、ここでタイトルを見たとき、若干違和感はありました。硝子が終盤でも使っているので大変重要なキーワードなのですが、印象としては少し違う着地点だと思います。

 全体を通して良作だったと思う私から、これだけはという部分を上げさせて頂けるなら、エーコの扱い、でしょうか。指摘したいと思った箇所でありながら、レスでも改稿を考える部分だとあったのでわざわざ言う必要ないですかね。一応、書きます。
 隠すなら隠す。バラすならバラす。と思いました。仕掛けがおざなりだとも。これは今作における大きな欠陥だと思いました。大体の意図は分かる、と思っております。終盤でこの仕掛けがうまく働いたとき、かなり大きな感動を生むであろうことも理解できます。ただ、あまり機能してないです。単純すぎるし、中途半端です。もしやるなら徹底的にやるべきです。なんなら一つ、エーコ自身に過去を語らせるのもいいと思います。硝子の一人称かとおもいきや、実はあの場面はエーコだった……みたいな仕掛けは欲しかったです。他にもやりようはあると思います。
 硝子とアイが表。硝子とエーコが裏。この対比は、もっと溜めて演出するべきです。この部分は多少臭くても過剰でもいいくらいだと思います。最大の見せ場は表のアイを助ける硝子の奮起。そして過去と向き合った硝子とエーコだと思います。
 終盤の大人の介入は、取ってつけた感があります。ここも描くなら最初から、だと思います。デウスエクスマキナは特効さんの悪乗りです。作者の緊張の糸が切れたのが見て取れるようでした。でも私も緊張したんですけどね。

 細かい部分の指摘なら結構あったような気がするんですけど。外見描写が少ない。女性の喋り方。大人の違和感。など、多少ご都合部分もあるにはあったようなですが、揺るぎなく面白かったというのはまちがいないです。

 作品の感想はここまでです。いやあ、スイッチ何個もあるもんだからきつかった。でも過去を思い出せてよかったです。自分がどれほど冷めてしまったか実感できて、あの頃よりずっと大人になって、半分嬉しくて半分悲しいです。
 特効さんに影響されて感想を書くと決意し、自分の落書きをこのサイトに投稿させて頂き、一年余りが過ぎました。まだまだ同じ土俵に立てそうもありませんが、いつかはやりたいですね私も。これからもがんばってください。応援しています。

杉宮詩乃さんの意見 +30点2013年03月16日

初めまして、新米の杉宮詩乃です。

月並みな言い方で申し訳ないのですが、面白かったです。冒頭の1500ワードを読んだところまでは覚えているのですが、気がついたら読了していました。

小学校でいじめがあったころ、私は受け手側ではなかったのですが決して攻撃側だったわけでもなく、傍観者を決め込んでいました。られっこが助けを求めてきても、協力はしないのに無視もできない。そんな中途半端な人間でした。
そんな昔(と言ってもまだ四年前……)を思い出しながら読んだので、だいぶ心が苦しくなりました。私ができなかったことを、硝子さんが全てやってのけてしまって……。ですが、今目の前にられっこが現れても、おそらく私は静観するんだろうと思います。そんな自分が嫌になりますが、だからと言って何かしようとするほどの勇気もなくのらくらと争いごとを避けて…………

……自己嫌悪がループしそうなので感想に。のっけから身の上の話をして申し訳ありませんorz

●文体
硝子さんのキャラがとても上手く表せていたと思います。普通に読んでみて、特に野郎っぽさは感じられませんでした。ただ、ちょっとだけ理詰めすぎるところがあるかも……。人にもよるかもしれませんが、女の子はもう少しフィーリングで動くことが多いかもしれないです。あくまで一個人の意見ですが。

ちょこちょこ地の文で挟まれている、いじめの陰湿さを醸し出している文章がかなり苦しかったです。たぶん、この口調じゃないと読むのがとてもしんどかった……。文体と背景が見事にマッチしていてすごいと思いました。


●ストーリー
比較的明るい物語だったと思います。
思ったよりもエグイ場面が抑えられていたので、詰まることなく読むことができました。テーマがテーマなので、辛い場面は読むのも辛い……。
途中で友情が壊れても面白いかとも思ったのですが、それをやったらもう目も当てられないことになりそうなので却下! 作者さまの英断に同意です。

すでにあがっていますが、やはり三章から四章への流れに変化が欲しかった所です。三章で硝子さんには自己嫌悪をするようなことをしてもらい、四章で汚名を雪ぐ、みたいな構成の方が浮き沈みがつけられるかも……。御作は、常に緩やかに上向いているような印象だったので、ある意味安心して読めたのですが、逆に言えばハラハラすることが少なかったです。「まぁ、硝子さんがなんとかしてくれるかー」みたいな……。
硝子さんたちのうち一人の心が折れてしまう展開も一度でいいので見てみたかったような気がします。


●キャラ
・硝子 一本筋の通っていたキャラだと思います。ある意味、友情面以外での変化がなかった「強いキャラ」。そのくせ、どこか甘さを持ち合わせており、親しみやすい主人公でした。
冷徹で合理的なプレイヤー……と言いつつも、キレのいいツッコミとしての役割も……。体の傷のところでは思わず顔を歪めてしまいましたが、基本的に面白かった! カップ数が徐々に上がっていったり、サキュバスとか言ってみたり(サキュバスについては調べて初めて知りましたが 汗)

・アイ この作品における唯一の光! 作品とキャラの雰囲気にミスマッチが起こっているにも関わらず、不思議と入り込んでくる子でした。なるほど、これが化学反応というやつですか。
後半でオタクという情報が出てきたのですが、吸血鬼ももしやそこから仕入れてきたネタ……? 

・雄介 個人的に、一番中途半端なポジションを張っていたように思えたキャラです。もう少し早めに出してあげても良かった気が……。
一度、彼から硝子ちゃんにフラグが立ちかけた気がしたのですが、あれは気のせいだったのでしょうか? 読み間違いだったらごめんなさい。

・樋口英子 おそらく、御作のボスキャラ。ただ残念だったのが、前半で彼女の正体がわかってしまったこと……orz
既出ですが、やはり出し方に問題があったかと……。いっそのこと、当然のようにスッと出てきた方が自然かもしれないです。


●率直な感想
全体を通して、完成度の高さに圧倒されました。
「被害者ではなく敗北者」等々、心に刺さる台詞が多かった……。中身の濃い作品でした。道徳の教科書なんかよりも、こんな風な作品を使った方が良いのではないでしょうか教育委員会と言いたいです。


駆け出しのくせに、生意気に色々と言ってしまいましたがどうかご了承を<(_ _)> 役に立つことが書けていないかもしれないので、斜め読みしてやってください。

それでは失礼します。良き作品に出会えたことに感謝しつつ、次回作にも期待しております。執筆、お疲れ様でした!

ishiさんの意見 +50点2013年08月31日

 凄く面白かったの一言に尽きます!「小説に読者を引き込ませるときは、冒頭に事件を起こせ」と、小説の書き方入門に書かれていましたが、なんて上手な冒頭なのでしょう。
 そして心理描写と情景描写の緻密さ。それでいて「説明長いな~」と全く思わせない文章の簡潔さなど、参考にすることだらけです。
 親指が折れるシーンなど、こちらまで「うぎゃっ、痛い!」と思うほどリアルですし、硝子ちゃんがフラッシュバックを起こす場面も、自分が硝子ちゃんになったような感覚がするほど巧みな心理描写でした。
 そして全く先が読めない、意表を突く展開。少しずつ友情を取り戻す硝子ちゃんの心の動き、はっとする伏線回収。最後には温かいものが心にしみました。
 こんなにもこの小説に引き込まれたのは、ひとえに硝子ちゃんをはじめアイちゃん、花畑家くんのキャラが魅力的だからでしょう。キャラ設定が本当にしっかりしてぶれない。硝子ちゃんが、きれい事だけでなく、自分の弱くて醜いところもさらけ出せるキャラでなければ、これほどまで主人公に感情移入しなかったでしょう。
 個人的に気になるところは、誤字脱字と、あとはお風呂のシーン…アイちゃんが硝子ちゃんの傷だらけの体を見たときの1度目のリアクションが無かったので、少し「ん?ん?」と一瞬ついて行けなかったような…。いじめのことを聞かされた後の2度目のリアクションからなので、少し理解しにくかったかな、と思います。
 それでは、これからも応援しています。と言うか、師匠と呼ばせて下さい。