高得点作品掲載所     北崎陽一郎さん 著作  | トップへ戻る | 


コエとカタチと私と幽霊

Sec.17


 だから、私は待ち続ける。


Sec.1



 ノボル君が死んだ。
 交通事故で、大きなトラックに轢かれて即死だった。

 ノボル君と私は幼馴染だった。家が近くで、小中高、と同じ学校に通っていた。
 多分、仲は良かった。少なくとも喧嘩をした記憶はない。
 ノボル君は中肉中背で、これといって特徴がない体格だった。優しげな顔つきをしていて、笑顔が絶えない人だった。人当たりがよく、誰にでも優しかった。
 対する私はというと、あまり社交的ではない。別にいじめられたことはないし、友達がいないわけでもない。ただ、あまり人に踏み込めないのだ。仲の良い友達の家に、一度も行ったことはない。誘われはするのだが、私の何かがそれを躊躇わせるのだった。
 人の中に踏み込むのが、怖いんだと、思う。
 とにかく私はそういう、あまり好ましくない女の子だった。
 ――それでも。
 いつからだったか。
 ふと気づくと、ノボル君が、『いて』当たり前の存在になっていて。
 いないことが、哀しいことに気づいて。
 要するに。
 私はノボル君が好きだったのだ。

 そんな、私の想いを告げる前に、ノボル君は逝ってしまった。遠い、それこそ永遠にたどり着けないくらい遠くへ。
 哀しかった。死んでしまうくらい、哀しかった。気が狂って欲しかった。
 多分今まで想いを告げなかったのは、『また明日でいいや』『いつか、きっと機会があるさ』と、後回しにしていたせいだ。私は社交的でないのと同時に、あまり勇気もなかったから。今の関係が崩れてしまったらどうしよう、もう二度と会えなかったら、どうしよう。
 だけど、総てが終わってしまってからでは、あまりにも遅すぎた。
 告白して――それで、生死が変わるわけじゃないけど――でも、もっと、ノボル君と、いたかった。
 叶わない、想い。

 ただ生きる日々が続いていた。


Sec.2


 一ヶ月経った。
 一日中泣いているようなことはなくなったが、それでもまだ哀しくてしょうがなかった。
 朝、私とノボル君は一緒に学校に行っていた。彼は朝起きるのが苦手で、私が呼びに行かないと遅刻してしまうこともざらだった。たまにノボル君の部屋まで押しかけて布団をひっくり返すこともあった。
 ――そんな、何でもなく、どうしようもないほど愛しかった日々は、もうない。
 一人で学校に行った。隣に違和感があって、風通しがやけに良いような気がした。
 教室に入ると、友達が明るい声で挨拶をしてくれた。私も、無理に微笑んでおはようと返す。
 授業なんか、頭に入らない。成績下がるだろうな、とちらりと考えた。
 昼休み、食欲はなかった。私は今酷い顔をしているだろう。相当やつれているはずだ。
 ぼーっとしているうちに、あっという間に学校は終わった。
 何だか何も感じない。感じられない。
 家に帰って部屋に入り、制服のままベッドに倒れこむ。

 ――会いたいよ、ノボル君。

 逢いたいよ、ノボル君。


Sec.3


 しばらくベッドに突っ伏していると、――ぴりりりり、と携帯電話が鳴った。
 誰だろう。
 私はあまり人に電話番号を教えていない。とても仲の良い友達には教えたが、それでもあまりかかってくることはない。たまにメールのやり取りをするくらいだ。
 誰だろう。友達からだろうか。――いや、ノボル君のことを知っていて、今の私と一対一で話せるはずがない。それに、そんな暇はないはずだろう。
 とりあえず、無視するというのも気分が悪いので、出てみることにする。
「――――もしもし?」
 返事はなかった。
 悪戯電話だろうか。もう一度、もしもしと呼びかけてみる。
「――――――あ、――き、―――で――が、―――――っ――?」
 そんな音がした。何か言葉を喋っているようだが、よく聞き取れない。
 やっぱり、悪戯だろうか。
 私は、切ろうとした。
「―――キ? ――ツキ?」
 つ、き。ツキ?
 発音は、正しい。だとしたら――ツキ、というのは、夜野月という、私の名前だった。
 そして、心なしか、電話の声に聞き覚えがあるような気がした。
「――誰? 誰なの?」
 私は、電話の向こうに呼びかけてみる。
「――キ、ツキ、ツキなのか? その声、は?」
 その、声は、
 嘘、まさか、だって。
「僕だよ、ノボルだ」

 ―――聞き間違うはずもない、それは、
 ノボル君の、声。


Sec.4


 何が、一体何が、起こって、しまったというのだろう?
 念のため、頬をつねってみる。――イタい、痛い。当たり前のことだが、夢ではない。
 だとしたら、これは。
 可能性として。私の友達が、似たような男の子を使って、私の携帯電話にかけている。何のために? 私を励ます、ためだろうか。
 だって、そんなはずはないのだ。声の主が、ノボル君のはずないのだ。だって、ノボル君は――「ツキ? ツキだろう? 僕は――死んだのかな、ツキ?」
 ノボル君の声は、そんなことを、言った。
 私は、何とか言い返した。
「私は、確かに、ツキ、だけど。ノボル君は、死――んだよ、死んだんだよ、ノボル君は。だから、私と話せるわけ、ないよ」
 ノボル君は、死んだんだ。確かに、私は見たんだ。
 それなのに――
「あなたは、誰?」
「ノボルだよ。ツキ」
 すぐに答えが返ってきた。聞けば聞くほど――ノボル君の声だ。
「嘘。ノボル君は、死んだん、だから。私と、話せる、わけないじゃない」
 電話の向こう側から、ため息の男が聞こえてきた。
「そっか、僕は、死んじゃったのか。――うん、確かにありえないよね。僕だって信じられない。だけど、僕は今こうしてツキと話している」
「分からない、分からないよ。誰、なの?」
「だからノボルだって。――多分僕は、幽霊になってるんだと思う。それで、偶然ツキの携帯電話の電波に乗れて、こうして話しているんだと思う。原理はまったく分からないけどね」
 何だ、それは。分からないどころか――まるで、冗談だ。
「嘘――だって、だって、ノボル君は――」
 電話の向こうから、今度は苦笑するような息が漏れた。
「まだ信じてくれないのかい。うん、じゃあそうだな――」
 声は、少し間を空けて、それから言った。
「――十歳くらいだったかな。僕と君で、山へピクニックに行った。弁当を持って、色んな荷物を持ってね。――その時、迷子になった。山の道で迷って、元の道へ戻れなくなったんだ。あのときは大変だったなあ。夜八時くらいになって、山に山菜取りに来たおじさんに助けてもらったんだっけ。本当に、このまま遭難するんじゃないかと思ったよ」
 そんなこと。
 友達に、話してない。
「嘘――じゃあ、あなた――」
 うん、と声は言った。
「ノボルだよ。ツキ」


Sec.5


 暗いところにいるらしい。闇に包まれて、立っているらしい。誰も、何もないらしい。私が今生きているところとは違う、別の世界に、いるらしい。
 ノボル君も、携帯電話に向かって話しかけているそうだ。ポケットに、入っていたそうだ。その携帯電話のスイッチを入れると、自動的に私のところにかかったそうだ。
 ―――なんて、
 奇跡なんてものじゃない。こんなこと、現実にありえなさすぎる。
 だけど、電話の向こうの声は、間違いなくノボル君で。
「でも、何で一ヶ月も経ってかけてきたの? 起きたのはさっきだったの?」
 あちらの世界での常識などはまったく分からなかったので、私はそう聞いた。
「え? 目が覚めたのはついさっきだよ。――うん、トラックに轢かれて衝撃がきて、それで気づいたらここにいた」
 つまり、まだノボル君は幽霊として生まれたばかりだということか。
「おかしいね、どうしてだろう」
 そんなの考えても分かるわけない。私は黙った。
 それから、しばらく間があって、ノボル君が言った。
「――ねえ、ツキ」
「ん?」
 少し躊躇ってから、続けた。
「哀し、かった?」
 そういえば。
 今、思い出した。
 私、哀しかったんだっけ。
 ノボル君が、死んでしまったから。
「――うん」
 また沈黙があって、ノボル君は言った。
「ごめん。心配、かけて」
 ああ、やっぱり。
 こんなにも優しい、ノボル君だ。
「ううん。こうやって話せたから、いい」
 さっきとは、本当に大違い。
 哀しみのどん底だったのに。
 今私は、ノボル君と話せている。
 どうしようもなく、嬉しい。
「そっか」
 安心したような、ノボル君の声。
 本当に――
「――あ、――キ、な――だ―――いだ、――キ? ごめ――かけ――す――あ、また――」
 急に、ノボル君の声が途切れ出した。
 どうしたのだろう。また、という声だけ聞き取れた。
 そして、通話が切れてしまった。
「―――え?」
 つー、つー、と無慈悲な音が聞こえた。
 何で突然切れたのだろう。
 ノボル君は、また、と言おうとしていたのだろうか。
 リダイヤルしてみたが、かからなかった。
 私は、待つしかなかった。

 ――夜になっても、深夜になっても、ノボル君から電話はかかってこなかった。
 まあ、いいか。また、といっていたのだから、きっとまたかけてくるに決まっている。
 それに――ノボル君と、話せた。
 嬉しくて、しょうがなかった。
 また話せると思うと、更に嬉しかった。


Sec.6


 しかし、それからしばらく電話はずっとかかってこなかった。
 どうしたのだろう。一体。
 また、と言っていたのだから、またかかってくるはずだ。こちらからは、何度リダイヤルしてもかからない。あっちからかけてもらうしかないらしい。
 それなのに、かかってこなかった。
 どうしたと、いうのだろう。
 三日経っても、まだかかってこなかった。
 まさか、まさか――、もう、消えて、成仏して――しまったのでは。
 いや、そんなことはないはずだ。そんなことは。
 だけど、その不安は拭えなかった。
 心配で心配でしょうがなくて、結局前と同じような日々が続いた。

 ――そして、
 電話がかかってきたのは、一ヵ月後だった。


Sec.7


「――やあ、元気? ツキ」
 なんて、まるで一ヶ月の時間なんてどうでもよかったように、ノボル君は言った。私は拍子抜けしてしまった。
「昨日はごめんね。急に携帯の調子が悪くなってね。もう一度かけ直すのに時間がかかったんだ」
 急に、携帯の調子が悪くなった――まあ、そういうこともあるのだろう。住んでいる世界がこちらとあちらで、違うのだから。
 ――あれ、だけど、
 ノボル君は、今、何て言った?
「――昨日? 昨日は、ごめんね?」
「? なに、ツキ。僕が何か変なこと言った?」
 ちょっと、待って。この前電話がかかってきたのは『一ヶ月前』のはずなのに、ノボル君は『昨日』と言った。
 この、差は。
「一ヶ月、じゃないの……?」
 私は、おそるおそる、ノボル君に尋ねた。
「何言ってるのツキ? 昨日話したじゃないか。覚えてないの? ――ああ、こっちでは正確な時間なんて分からないから、勘で昨日、って言ってるだけなんだけどね。もしかしたら一日二日ずれはあるのかもしれないけど――でも、それでも昨日辺り話したはずだろ?」
 気づいた。
 そう、そうだった、私とノボル君は、今住んでいる世界が違うのだ。当然――かどうかは分からないが、『こっち』と『あっち』では、時間の進み方が違う――。
 あっちが遅いのか、こっちが早いのかは分からないが、とにかく。
「一ヶ月前だよ、ノボル君」
 私は、今自分が考えたことをノボル君に話した。ノボル君は、なるほど、と感心したように言った。
「ふうん。僕の体感時間は、そんなに長くなかったんだけどね。そっちでは、そんなに経ってたのか……」
 それからしばらく間があって、ノボル君がごめん、と謝った。
「どうして謝るの?」
「いや――また、心配かけちゃったなって。すぐにかけ直すって言ったのに、かけられなくて。ごめん」
 私は小さく、うん、と言った。
 ――――時間が、違う。
 それから、三十分くらい当たり障りのない話をしていると、また電話が切れてしまった。
 ――――また、一ヶ月。
 一ヶ月も、待たなきゃいけないのか。


Sec.8


 それから私とノボル君は、一ヵ月後ごとに電話で会話した。
 何の変哲もない、どこの誰でもするような、当たり障りのない会話。
 これは会話するうちに分かったのだが、大体会話できるのは三十分から一時間までだった。
 一ヶ月に一回、たった一時間弱。
 だから、ノボル君と会話する時間がどうしようもなく大切に思えた。私の毎日は、ノボル君の電話を待つ日々になった。
 しかし、ノボル君が待つのは経った一日だけだ。電話が切れて、それから一日待てばいい。――羨ましい。私も死にたくはないけど、一日ごとに会話したかった。
 ――いや、そう考えるのは間違っている、のか。そもそも、ノボル君が死ななければ、よかったのだから。
 一ヶ月待つのはとても長かったけど、でも気がついてみればあっという間に季節が変わっていった。冬から春になって、私は高校二年生になった。春から夏になって、夏休みが始まった。
 まあ、そんなことは当たり前だ。一年なんて、たったの十二ヶ月しかないのだから。六回会話すれば、もう半年過ぎてしまう。
 ――本当に、早い。どうしようもなく、早い。
 一年にたった十二回しか、会話できないなんて。
 一年が、十四ヶ月も二十ヶ月もあってほしかった。
 もっともっと、
 ノボル君と、話したい。
 ずっと、話していたい。

 ――どうして、
 ノボル君が死んで、もう二度と逢えないと思って、
 それから、話せるようになって、
 あんなに嬉しかったのに、
 どうして、胸が痛いのだろう。


Sec.9


 ある危惧を抱き始めたのは、私が高校三年生になって、進路進路、と一日一回は聞くようになった頃だった。
 その日、ノボル君から電話がかかってきたので、私は聞いてみることにした。
「――ねえ、ノボル君」
「ん?」
 少し、躊躇ってから、聞く。
「あのさ、ノボル君は――年、とってる?」
 長い間があって、それから、ノボル君は答えた。
「いや、自分で感じる限りは、とってないよ」
 まあ、当たり前だろう。ノボル君にとって、私の一年は十二日なのだから。
 だけど、それは。
「あはは、ツキ」
 ノボル君は、あんまりおかしくなさそうに笑いながら、言った。
「どんどん―――歳が、離れちゃうね」
 ―――――――――――――――そう。
 このままだと、ノボル君と、時間がずれていってしまう。
 浦島太郎のような、感じなのか。
 私だけ歳をとって、ノボル君は高校一年生のまま。やはり、あっちの時間の進み方が遅いのだろう。こっちが一ヶ月進んでも、あっちは一日経っただけ。
 ただ、それだけ。
「私が老けておばさんになっても、笑わないでね?」
 話題を明るくしたくて、私はそう言った。ノボル君は分かってくれたのか、笑ってくれて、雰囲気を明るいものに変えてくれた。

 ――歳が、離れていく。


Sec.10


 それでも、ノボル君との会話は楽しかった。死んでしまったはずのノボル君の声が聞けるのは、嬉しくて、楽しくて、喜ばしかった。
 たった一時間弱の会話だけど、これくらい充実している会話はないのではないかと思うくらい、たくさん話した。会話が途切れることが怖かった。私もノボル君も、たくさん話題を持ってきた。
 主に話すのは私のことだ。テストの点が悪かったとか、私の進路のこととか、最近読んで面白かった本のこととか、色んなことを話した。
 話して、話した。
 ――それが、私たちが繋がっていられる、唯一の手段だったから。
 人間に『会話』という概念があって、本当によかったと思う。
 同時に、哀しくも思う。
 ノボル君が、こうして電話をかけてきて、話してくれなかったら。
 もう、哀しみは過ぎ去ったのかも、しれなかったのに。
 一体、どっちが正しいのだろう。
 私は、どうすればいいのだろう。


Sec.11


 季節がまた春になって、私は大学に入った。少しだけ、日々が楽しくなった。
 ノボル君はおめでとうと言ってくれた。
 それから、笑いながらこんなことを言った。
「そういえばさ、ツキも僕のこと『ノボル君』なんて『君』付けで呼ばなくたっていいんじゃない? そっちのほうが年上なんだからさ。――ああ、そうすると僕もツキのことツキさん、って呼ばなきゃ駄目になるね」
 笑いながらの話だけど、一瞬私は言葉に詰まった。
 ――そういう、ことなのだろう。もう、ノボル君は私より年下だ。
 ノボル君は、笑いながら続けた。
「ツキさん、今日の大学はどうでした? 何か、面白い話聞かせてくださいよ」
 敬語。普通なら同年代のはずなのに、敬語を使って、話す。
 ノボル君は冗談のつもりだったのだろう。
 だけど、私はそういう風に思えなかった。
「――やめて」
 長い、沈黙があった。
「――――ごめん。ふざけすぎた」
 ノボル君は、そう謝った。
 そのとき、ちょうど電話が切れた。タイミングを計ったように。
 ――それが、今日は助かった、と思った。
 あのまま話していたら、きっと、私は泣いていた。

 ―――――――、
 どうして。
 嬉しかった、はずなのに。


Sec.12


 大学二年生になった。
 今も、電話は続いている。毎回同じように、当たり障りのない話。たまに気まずくなることがあるけど、それでも持ち直し会話を続けていって、次の電話のときには忘れたように話していた。
 それがこのとき、ちょうど終わり始めた。


 事件が起こった。といっても日夜ニュースを騒がしているような事件ではなく、私にとっての大事件だった。
 大学で突然、男の人から告白された。告白、というのは、その、つまり、あなたのことが好きです、と。私が、言われたのだ。
 ふと、気づく。私に告白してきた彼は、高校で一緒だった。三年生のとき同じクラスになって、何度か話したことがあった。
 その彼が、突然、私に、告白なんて。
 顔は、多分真っ赤だった。何も言えなかった。
 彼は真面目な顔で、決して冗談を言っているわけではなさそうだった。
 私のことが――好き、だなんて、
 どう答えていいのか、分からなかった。
 私がずっと言いよどんでいると、返事、待ってますから、と言って、男の人は逃げるように去っていってしまった。
 私のほうが逃げ出したかった。
 一体、何と言えばいいのだろう。

 自分でいくら考えても分からなかったので、ノボル君に相談することにした。
 電話がかかってくる日を待って、適当なところでその話題を切り出した。
 ノボル君は――長い間、黙っていた。
 それから、重い声で、切り出した。
「ねえ、ツキ。その男の人、どんな人だった?」
「? どんな人、って?」
「つまりさ、カッコよかった、とか、優しそうだった、とか」
 何でそんなことを聞くんだろうと思いながらも、私は記憶を頼りに答えた。
「えっと、うん、確かカッコよかったと思うよ。それに、結構もててるみたい。そういう話を高校のとき、よく聞いたよ」
 そう、信じられないのは、そんな男の人が、私なんかに告白したことだ。
 ありえない。どうしてだろう。
「――そっか」
 ノボル君は、納得したようだった。
 それから、こう言った。
「ねえ――ツキ。僕は、前からずっと考えていたんだけど」
「なに?」

「もう、やめにしよう?」

 なにを、言っているんだ、と思った。
 まったくもって、言っていることが分からなかった。
「え? なに、ノボル君」
「だから、さ」
 ノボル君は―――重い声で、続ける。
「もう、この電話、終わりにしない?」
 ――――――――――なにを、何を?
 どうし、て?
「だって、さ。僕は、きっとツキの負担になっている。ツキが、僕のことを気にかけるから、自分の幸せがつかめていないんだと思う。――君は気づいていないかもしれないけど、結構君もクラスに男子の間から人気あったんだよ? 僕から見ても――うん、君は、可愛いと思う。それなのに、このままだと君は一生僕と会話するだけで終わってしまう。もったいないよ。君は、僕という死人なんか忘れて――好きな人を見つけて、幸せに、生きる、べきだ」
 重い、声だった。その声の中に、辛そうな感情があったような、気がした。
「――何、で、何で? ノボル、君?」
 信じられない。何で、そんなことを、ノボル君が、言うのだろう。
「今言ったとおりだよ。ツキ。間違ってたんだよ、僕も、君も。死人は死人であるべきで、生きている人と話しちゃいけなかったんだ。君も、僕がノボルだって信じないで、無視し続ければよかったんだ。――間違って、たんだよ」
 間違って――いた、
 間違って、いたのだろうか?
 少し考えて、出した答えは、イエスだ。
 私は、このせいで長い間苦しんでいた。
 きっと――間違って、いたのだろう。
 私が黙っていると、ノボル君は無理やり、と言った感じの明るい声で、言った。
「反論はないみたいだね。うん、だからさ、いっそのことその人と付き合っちゃいなよ。僕の生前の記憶によると、確か優しい人だったよ、彼。自分から告白してきたんだから、きっと良い人だよ。だから、付き合っちゃいなよ。それで、世界が広がるかもしれないから」
 ―――私は、何も、いえなかった。
「――あ、――ょうど、終わ――みたいだ。タイミン――いいね、じゃあ――キ、さよ――ら」
 ノボル君の声が、途切れ途切れに聞こえてきて――
「ノボル君!」
 ――そして、消えた。
「あ……」
 つー、つー、と。無慈悲な、音。
 私は、気づいた。こんなときに、気づいた。もう終わったっていうのに、気づいた。
 確かに、私とノボル君は、間違っていた。本来なら、死んだとき別れる、べきだった。
 でも、
 私は。

 ――――まだ、ノボル君が好きだった。

 歳が離れたって、電話でしか話せなくたって。
 ノボル君が、好きだった。


Sec.13


 結果から言うと。
 きっぱりと、断った。いや、きっぱりと出来たかどうかは分からないが、それでも、私の気持ちは伝わったと思う。男の人も、辛そうな顔だったけど、頷いてくれた。
 後日、大学の友達から、どうして断ったの、と不思議そうに問いかけられた。あんた、彼氏いないし、彼カッコよかったじゃない、どうして、と。
 そんなの、決まっている。
 ――好きな人が、いるからだ。

 一ヶ月経った。
 電話は、かかってこなかった。
 まあ、当然か。だって、あっちはまだ一日しか経っていないのだ。考える時間にしては、短いだろう。
 だから、私は待ち続ける。
いつかかってきてもいいように、機種変更を一度もしていない古い携帯電話を肌身離さずに。
待ち続ける。

 もう一ヶ月経った。
 電話は、かかってこなかった。

 また一ヶ月経った。
 電話は、かかってこなかった。


Sec.14


 待っていた。ずっとずっと、待っていた。
 ノボル君にとっては――まだ、四日、か。私にとっては四ヶ月。
 本当に、辛い。
 私は、馬鹿だったんだ、と思う。
 また、同じことをしてしまった。終わってから大切なことに気づいて、もう一度チャンスを与えられたのに―――無駄にして、しまった。
 何て、馬鹿なんだろう。私は。
 ――好きだって。
 たった一言、好きだって。
 好きだから、ずっと話していたい、って。
 言えば、良かったのに。
 それだけなのに。
 私は、ノボル君にずっと想いを告げられなかった。
 今だったら、反論できる。
 間違ってなんか、いない。私とノボル君が、もう一度出逢ったことは、間違ってなんかいない。
 だって。
 死んでいても、会話しか出来ないことに哀しんでも――
 ――好きな人と、もう一度話せたのだから。
 それは、良かったに、決まっている。

 今は、ただ。歳が離れていっていやだとか、一ヶ月に一回だけなんて寂しいとか、あんな別れ方哀しいとか、そういうことは一切思っていなかった。一つの想いだけだった。

 ノボル君。
 もう一度、声が聞きたい。


Sec.15


 ――そして。
 もう一ヶ月経った後のことだった。

 ぴりりりり、と。
 電話が、鳴った。
 大学に入って、私の交友関係は少し広がった。なので、たまに友達から電話がかかってくることがあった。
 私は別段不思議に思わずに、電話に出た。
「――もしもし?」
 私が言うと、電話の向こう側から躊躇うような息が漏れた。
 そして、しばらく黙っていた。
 悪戯電話をかける人が、躊躇うような息を吐くだろうか?
 それに、私の友達に、そんなことをする人はいない。
「――ノボル、君?」
 電話の向こう側で、反応するような音があった。
 やっぱり。これは、十中八九、ノボル君だ。
「電話してくれたんだ。ありがとう」
 私は、出来るだけ明るい声で言った。
 返答はなかった。
 それから長い沈黙があって、やっと、口を開いた。
「――ツキ。僕は、あのときの言葉を、撤回なんかしないよ。僕はあれで、良かったと思っている。正しいと、思っている。――僕が電話をしたのはね、ツキ。今の彼氏と、上手くいってるかを、確認するためだよ」
 抑揚のない声で、ノボル君は、そう言った。
「彼はどう? ツキ」
 ――――何だか、そのノボル君の言い草が、腹立たしくてたまらなかった。

 私は、言ってやった。

「断ったよ」
「は?」
 きょとんとするような、ノボル君の声。
「だから、五ヶ月前、ノボル君がやめよう、って言った次の日に、断った」
 しばらく、間。
「――ツキ」
 低い声で、ノボル君は言った。
「僕のことが心配で、何て言ったら、怒るよ」
 本当に怒っているような声だった。
 ――だけど、私だって怒っている。
 だからこう返した。
「ううん、違うよ。ノボル君って、簡単なことが分かってなかったりするんだね。――好きじゃない人と、何で付き合う必要があるの?」
 ノボル君は、息を呑んだ。だが、また言い返してきた。
「―――付き合ってみればよかったじゃないか。色々と、世界が広がるかも、しれないじゃ、ないか」
 ああ、本当に腹立たしい。
 ノボル君が、そんなこと言うなんて、思わなかった。
「ノボル君。私だって、怒るよ」
 ノボル君は、黙った。―――自分の言葉がおかしいことが、きっとノボル君だって分かっているのだろう。
「そんなの、間違ってるよ。それは、彼に失礼だよ。ノボル君。彼の気持ちを、踏みにじってるよ、それは」
 少し間があって、ノボル君は辛そうな声で言った。
「――でも、それじゃ、君が、いつまでも――」
「ううん」
 ノボル君の言葉を遮った。

「私は、幸せだよ」

 なんで、という声が聞こえた。
 ――うん、何だか、不思議と怖くない。今日は、簡単に言えそうだ。
 だから、言った。

「だって――ノボル君が、好きだから」

 電話の向こうで、ノボル君が息を呑んだ。
「好きな人と話せて、幸せじゃないわけ、ないよ」
 本当に、簡単に言えた。
 こんな簡単だったのなら、もっと早く言っていればよかった。
「この前、ノボル君、私とノボル君がこうして話していること、間違っていた、って言ったよね。私は、反論するよ。間違ってなんか、ないよ。一度死んじゃった人と、こうして話せるんだから。幸せに、決まってるよ」
 こんなに温かい気持ちになれたのは、多分生まれて初めてだろう。
 ノボル君が、好きだ。
 歳がいくら離れたって。たとえ嫌いだって、言われたって。
 好きで好きで、大好きだ。

「――ツキ、」
 長い永い沈黙の後、途切れ途切れに、ノボル君が言った。
「やめろ。僕を、好きに、なったって、何にも、ない。会えないん、だぞ? 死んでるん、だぞ? 歳だって、離れてるん、だぞ? それなのに?」
 私は、うん、と返した。
「会えなくても、死んでても、歳が離れてても、私は、ノボル君が好きです」

 ノボル君は、何も言わなかった。

 嗚咽のような声が、電話の向こう側から、聞こえた。


Sec.16


「――本当は、怖かったんだ」

 ノボル君は、呟くように言った。
「暗いんだ。何も、見えないんだ。誰もいないんだ。本当に、何もないんだ。――怖くて、たまらなかったんだ。気が狂ってしまうかと思った」
 本当はね、とノボル君は続ける。
「消えようと思えば、いつでも消えられたんだと思う。幽霊ってのは、この世に未練がなくなると成仏するんだよね。総て諦めて、体の力を抜いて何時間か寝転んでいれば、消えられたんだと思う。でも、僕は怖くてたまらなかった。消えたくなかった。もっと、生きていたかった。世界と、触れていたかった。――寂し、かった」
 その声は、辛そうだった。
「そんなとき、ポケットに入ってた、携帯電話を見つけたんだ。――本当にどうしてか分からないけど、君のところへ繋がった」
 少しだけ、その声が優しいものになった。
「――君が、全部変えてくれた。僕は、君と会話するために、消えないでいようと思った。電話が切れて、一人だけ残されたとき、僕だって心配でたまらなかった。もう、かからないんじゃないかって、ずっと思っていた。それに、暗闇が、怖かった。――何の音沙汰もなく消えてしまうんじゃないかって、ずっと考えていた」
 ノボル君は、ゆっくりと、言葉を紡いでいく。
「だけど、君と話しているときは、そんなことが総て忘れられた。自分が死んでいる、ってことも忘れられた。本当に、楽しかった――」
 ああ、優しい、ノボル君の声だ。
 しばらく間があって、ノボル君は照れくさそうな声で、こんなことを言った。
「あのさ、僕が、こんなこと言う資格、ないんだけど――

 ――僕も、君が好きだ。昔からずっと、今も、これからも」
 うん、と私は頷いた。
「寂しいんだ。怖いんだ。僕は、一人じゃ駄目なんだ。こんな、僕だけど。ただの、わがままなんだけど。
これからも―――一緒に、いて、ほしい」

 もちろん。
 私は、そう答えた。
 それから、一つだけ、思いついて言ってみる。
「ね、ノボル君」
「なに?」
 まだ照れくさそうな声のノボル君に、私も照れくさくなりながら言う。
「受話器に、唇つけてみて?」
「? ふぁい、つけたよ?」
「――――――――――――」

 私は、そっと。
 受話器に、口づけした。

「何かのおまじない?」
「秘密」

 多分。
 今のは、世界で一番、遠いキスだ。
 そして。
 一番、幸せなキスだ。


Sec.18


 だから、私は待ち続ける。


 もう大学三年生になった。
 また事件が起こった。何とまあ、私はまた告白された。背が高くて、優しそうな感じの人だった。
 もちろん、丁重にお断りした。
 このことをノボル君に話すと、また申し訳無さそうな声になったけど、私はそれでもノボル君が好きだからねと返した。それで丸く収まった。
 ノボル君も、私を好きでいてくれているらしい。
 両想い。
 本当に、早く告白していればよかったと思う。
 こんなに幸せな気分が、もっと早く味わえたのだから。

 もう季節は何度巡っただろう。
 高校一年生のあの日、確かにノボル君は死んだ。
 だけど、こうして話せている。
 たまに、どうしようもなく姿が見たくなることは、あるけれど。
 でも、私は幸せだ。
 もう溶けてしまうんじゃないかと思うくらい。
 何度も言うが。
 歳が離れていたって。死んでいたって。会えなくたって。
 私は、ノボル君が好きだ。
 それは、ずっと、変わらない。


 だから、私は待ち続ける。
 次のノボル君との電話を。
 相変わらず電話がかかってくるのは一ヶ月に一回。
 その期間を、私は笑顔で待ち続ける。

 

―――ノボル君。

 安心して。
 暗くても、怖くても、寂しくても。
 私は。


 ここにいるから。


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●感想
エルスさんの意見
 切なくて。後ろ向きだけどどこまでも前向きだという印象を受けました。
 死んでしまってるノボル君を、それでも好きだと思いを貫けるヒロインが素敵でした。


氷華流さんの意見
 死してなおも彼のことを思い続けるピュアなツキと、
 それに応える健気なノボル君のやりとりは涙を誘います。

 一つだけ注文をつけるとしたら「−−」という記号をもうちょっと減らしてほしかったですね。
 一部、途中で多すぎて読みづらい部分が出てきましたので…。


すぽんじさんの意見

 描写もストーリーも素敵です。すんなりと読めるのも魅力的です。

 自分が気になったことは……。
 「―」の多さよりSec.9が二つあることでしょうか。
 作為的なのでしょうか。
 何だか重箱の隅を楊枝で突付くような意見だと自分で思ったりもするのですが。


りゅうのすけさんの意見
 とても面白かったです。凄い人がいるものだと脱帽してしまいます。
 ただちょっとだけ「――」が多かった気もします。


草葉光輝さんの意見
 『天国に繋がる電話』と言う話を思い出しました。いや、アレは確か結局繋がりませんでしたけど(笑
 結局ノボルくんが言っていたことも正しいのでしょうけど、幸せなんて人それぞれ。
 まだまだ困難があるかもしれないけど、頑張って欲しいと思えるお話でした。
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