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決別のとき

 熱風が吹きつける、高熱にうかされ飽和状態におかれた空気で、景色はゆらゆらとゆらめいて見えた。
 ここは火の山。熱の正体は山から生まれる大地の火。岩地岩の間を流れるのは、まぎれもない火の川、マグマである。
 その娘はマグマの吹き溜まりに立っていた。見つめているだけで目玉が溶け出しそうな程にエネルギーを秘めた液体を、涼しい顔で眺めている。目つきは冷ややかといっても良かった。雪のように白く、氷のように冷たい横顔が、火にあぶられて赤く染め上げられている。
 マグマのほとりに立つだけでも尋常ではなかったが、娘の服装もまた普通の娘とは違っている。全身が黒。胸元だけ大きく開いた服には装飾らしいものは無く、徹底してスレンダー。腰には華奢な容姿に似合わない剣。まだ幼さない顔に定着した怜悧な表情は、見る者をぞっとさせるような冷酷さをうかがわせている。
 熱風にあおられ、闇色の髪が渦を巻く。娘の形良い眉が、険悪に跳ね上がる。
「くだらぬ」
 娘は吐き捨てた。
「アトラス、威嚇のつもりか。炎の魔人ともあろうものが、私の前に立つ勇気すら無くしたか」
 凛と張った娘の声は研ぎすまされた刃の様に隙がなく、しかしそれは巨匠の鍛えた刃ではない。邪念を持つ者が鍛えた凶暴な刃。不用意に近づく者すべて、容赦なく切り裂く狂剣のそれ。
 湖のようでいて、まったく正反対の性質を持つ場所にむけた声は高く響き、エコーが返ってくる。
「アトラス。そこにいるのだろう。もう一度言う、私の前に姿を見せよ」
 娘のブーツが地面を踏みつけ、高く乾いた音を立てる。
「どうした。臆したのか? 私がこの土地へ赴いた、その理由がわからぬわけではなかろう。私が来た以上、逃げも隠れもできぬぞ」
 嘲りの言葉をのせた声は冷たい。声の奥底に、凍てついた氷の力が潜んでいる。
 娘の氷に触発されたのか、マグマから炎がゆらめき上がった。深紅の炎は絡まり合い、大きな塊となって娘の前に浮上する。炎の芯というべき中心に、人の形をした黒いものがいる。
 雄々しい男の姿をしたそれは、娘を見てうやうやしく頭を下げた。けれど、娘のぬばたの瞳は容赦ない刃のように、男につきたてられる。
「姫君。お久しゅう。このような人界の果てに、何の御用か」
「おまえのその血、その魂を取り戻せと。王のご命令だ」
 言うなり、娘は腰の剣を抜き放った。切っ先を紅蓮のほむらにぴたりとつきつけ。
「おまえは敵に通じた。自らを勇者などと呼ぶ、浅薄な娘にほだされた。我らが王を裏切った。なぜだ? 最も古き、純粋な魔族の血を持つ者がなぜ、なぜ裏切った……っ!?」
 喉から出たのは、詰問のはずだった。かすれた声は別人のもののように、アトラスの耳に届く。
 アトラスのまとう炎が震えた。紅の炎は、鮮やかなオレンジへと変化する。薄い紫色の炎の舌が、剣の切っ先をなめる。
 アトラスは目を閉じた。長い吐息の末に、瞼を開く。
「姫君、私は」
 炎の照り返しを受ける白刃と、それ以上に鋭く輝く両眼に見据えられて、アトラスはいったん言葉を切る。炎は赤一色となり、さらに激しく燃え上がる。

「私は人間を愛しました。人間の娘を愛しました」

 わずかの間、2人の世界から音が消えた。マグマの轟きさえも。
「ばかなっ!?」
 娘は絶叫した。氷の仮面が完全に剥がれ落ち、感情があらわになる。
「ばかな。おまえは魔物。炎の魔人。人間など、おまえに近づく前に灰になろう。それを……」
「それでも、愛しました」
 アトラスの決意を表してか、炎はより密度を増す。上昇する空気中の熱はしかし、娘の周囲だけは冷えていく。
「彼女は今ごろ、人間の先頭に立ち、自慢の剣をふるっていることでしょう。魔王軍を相手に。あの小さな身体で、臆することもなく」
 娘のもとより白い肌から、血の気がすっと引いていく。煉獄にあってなお、その肌は野ざらしにされた骸骨のように白い。絹布の髪が一房、頬にかかる。
「……愛した、だと。おまえは、おまえは勇者を。あの小娘を愛したと? 我らの敵に、王から授けられしその魂をよせたというのか」
 大気から急速に熱が失われていく。娘に奪われていく。小刻みに震える娘の足下で、急激に冷やされた地面が悲鳴を上げた。
 ジュッ! 蒸気が上がる。
「なぜだアトラス。答えよっ」
 アトラスは静かにうなずいた。アトラスの炎はもはや炎とはいえなくなっている。熱エネルギーの塊、その中心にアトラスはいた。
 ゆらぎない熱。それがアトラスの答え。
 娘の喉が内から競り上がってくる怒りをこらえるように、はげしく痙攣する。
「この裏切り者っ」
 アトラスに突きつけられていた剣がひるがえる。娘は真っ向からアトラスを見上げた。そこから先の一連の動きは、一種の舞のようだった。娘が剣を構える。刃から、娘の全身から白い《気》が湯気のように立ち上る。剣を構え直す。弧を描いて、上段から下段へ。
「生まれた場所へ、王の魂へ戻るが良い」
 そして、時が凍結する。
 アトラスが見た娘の顔は、壮絶なまでに美しかった。
 

「……殺さないのですか?」
 斬撃は来なかった。
 《時》を待っていたアトラスは、当惑したように口を開く。
 娘は目を伏せた。同時に、構えが解け、白い《気》も霧散する。力を失った剣からついてもいない水気をふりおとして、腰の鞘におさめた。
「王は私におまえの魂を回収せよと命じた。しかし、軟弱な魂はいらぬと、王は仰せられた」
 驚くアトラスに、娘は冷たく言い放つ。黒い瞳の殺気がアトラスの炎の守りを突き抜けて、彼の心臓を貫いた。
「おまえは弱い。人間に心寄せるなど、そんな醜悪な魂、王に捧げるわけにはいかぬ」
「王が、そうおっしゃられたと……?」
 アトラスは鈍色の天を仰いだ。感嘆の吐息が漏れる。
「王はやはり、すべてをお見通しか」
「我らが軍は既に撤退を始めておる。おそらくこの戦、我らの負けだ。おまえの裏切りがため。おまえの浅はかさのために。何を驚く?おまえの望む通りになったのであろう」
 娘はアトラスに背を向け歩みだした。うなじで束ねた髪は、先ほどまでの激情を示すかのように乱れていた。
「われらはいつかまた、再び人界を手中に収めるべく、進軍するであろう。100年先になるか、1000年先になるかはわからぬが。そのとき、おまえはもう生きてはいまい」
 平素の声を取り戻した娘は冷然としかし歌うように言った。
「アトラス。おまえはもう二度と魔界の土は踏めぬ。空も、空気も、大地も、おまえを迎えはせぬ。魔界と人界を隔てる扉は、もうおまえのために開きはしない。人界で果てるが良い。人間を愛したと言う、愚かなおまえにはふさわしい」
 だから、殺さない。
 魔族が魔界で死ぬとき、または人界でも魔族が魔族を殺すとき、殺された魔族の魂は魔王の元へ帰っていく。魔族の王であり母であり、魂の源でもある魔王の元へ。
 人界で、魔族の手にかからずに死んだ魔族の魂は、行く宛も無くさまよい続ける。
 人界を統べる神とやらが、魔族の魂に救済を与えるはずもない。
 魔王の元へ帰れば、また新たな魔族として生まれ変わることもできるだろう。この想いと引き換えにすれば。
「エクレナーダ」
 娘は小さく震えた。アトラスは炎の中から、娘の背中をじっと見つめる。
「御武運を、エクレナーダ。また戦いへ赴くのでしょう」
「今更…っ」
 娘の声が張り裂ける。でも、振り返らない。首筋の髪だけがゆれた。それも一瞬だけ。娘は立ち止まりもしなかった。
「今更、許しを乞うても遅いわ!浅薄なおまえを、王は決して許しはせぬ。ここで果てよ。消え失せよ。受け入れるもの無きおまえの魂は、人界に留まりいずれ消滅する。永久にさらばだ」
 絶対零度の言葉を放ち、娘はアトラスから離れていった。やがて蜃気楼のように、娘は姿を消す。
 アトラスは娘の背中が見えなくなるまで見送っていた。娘の気配が完全に消えると、天を仰ぎ、目を閉じる。そうして、炎と熱のマグマの世界にいつまでも立ち尽くした。


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●感想
管理人の感想
 この小説には驚きました。良くここまで短い文章で、これほどおもしろい作品を作りましたね。
 火山の火口から始まるインパクトのある冒頭。練り上げられた世界観。織り交ぜられたロマンス。
 そのどれもが優れており見事に調和しています。
 特に秀逸なのが、ラストの部分。

《 「エクレナーダ」
 娘は小さく震えた。アトラスは炎の中から、娘の背中をじっと見つめる。》

 ↑娘とアトラスの関係を匂わせ、最後に余韻を持たせていますね。
 わざわざ魔王の娘がやってくるのはどうしてかなぁ?と思っていたのですが、その疑問が氷解しました。
 ファンタジー小説としてだけではなく、恋愛小説としても非常に完成度の高いものだと思います。
 長編バージョンをぜひ読んでみたいですね。


ハデスさんの感想
 はじめまして、読ませていただきました。
 確かに面白かったのですが、少々物足りないです。
 描写も秀逸なのですが、カタカナの表記が少々興ざめでした。
 管理人様も、長編を希望とのことですが……わたしもその方がよいと思います。
 このままではまりにも惜しすぎます。

 何やら短い感想で申し訳ありません。粗を見つけようも、ありませんので。
 でも、面白かったです。
 これしか言えませんです。


クッパさんの感想
 はじめまして、影香さん。クッパと言う者です。
 本日より貴方様を七英雄の一人とお呼びします(←私の勝手な呼称なのでお気になさらず)

 姫君の口調、アトラスの言葉や微妙な態度から、
 そのキャラクター性が伝わってくるのは凄く良かったです。
 この短さで語れる内容だとはとても思えませんでした。
 ストーリー性も十分高く、描写も洗練されており、質の極めて高い作品だと思います。

 では、批評。といっても殆ど無いのですが……私が気になった点です。

>ここは火の山
 全体的に格好良い描写なのに、これだけあまりにも直接的すぎる描写なのが残念でした。
 倒置法でも何でもいいので、直接示されるのはちょっと違和感ありました。

>〜、徹底してスレンダー。
 格好良い描写でした。惚れます。

>ジュッ! 蒸気が上がる。
 全部を硬い描写で通していたので、ここだけ擬音語を入れるのはインパクトがありますが、
 不自然な気もします。

>平素の声を取り戻した娘は冷然としかし歌うように言った。
 間に一つぐらい読点が欲しかった気がします……

 完成度、ストーリー性、キャラクターと極めて完成度の高い作品でした。
 姫君の格好良さに惚れる私です。今のところ、特に穴はありません。
 このように、硬く洗練された小説を久しぶりに読んだ気がしました。ありがとうございます。
 それでは。


寺宙さんの感想
 読ませて頂いたので感想の方を

 僕から言えるべき言葉はありませんね。
 申し訳ありません。
 ただ、これだけの文章では物足りなさを感じたのは僕も同じです。
 
 短くなりましたが、それでは。


ミユウさんの感想
 はじめまして。

 ああ、こういう描写がしたいなあって思ってしまいますね。確かにお上手。
 とりあえず短編としては指摘のしようがない。ただし短編としては、ですけど。
 長編にしたらいいという意見がありますけど、
 その場合は今度は「構成」というものが重要になってきますね。
 今回は短編ですし、ワンシーンのみの作品ですけどね。
 シーンを増やせばやはり世界観・設定だとかが、
 表に出てきてこれの独自性だとか矛盾、破綻しないかどうかだとかが問題になる。
 粗がないのと描写力に押されてともすれば忘れてしまいそうなバックグラウンド、
 という印象でしたが、よく考えたら人界と魔界ってかなりあれだなあと思ったり。
 けどまあ、登場人物が悪のサイドっていうのはいいですね。

 長編になったとしたら読むでしょうね、とりあえず。では。


いつきさんの感想
 小説を読ませていただきました。
 読み終えてみて、登場人物達に入り込みにくいなと思ってしまったのが、私の感覚でした。
 幾度か読み返してみて、なのですが、もしかしたら、
 登場人物が心の中で思ったことがないせいだったのかと思ったのですが、
(今でもはっきりと自覚できずに感想を書けないのが申し訳ありません)
 彼等の話す台詞が硬すぎたと感じたせいで、人間味(いえ、彼等は人間ではないのですが)が、
 私には薄く感じてしまったせいだと思いました。
 しかしながら、内容が短いながらも描写の細かさには心情が良く表れておりました。
 逆に、初めに描いてしまった心の中で思った事がないぶん、
 彼等の心情を言葉で表す技術には見事だと思いました。


一言コメント
 ・すっげー緊張感。ファンタジーの短編ってまず成功しないのに、大成功を収めている。
 ・異世界ファンタジーの掌編で、良くできていたね。
 ・オペラで歌われる歌詞のような描写とストーリで、まるで演劇や舞台を見ている気がしました。
  いろいろ気付く点があり、学ぶことが沢山ありました。
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